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話題つくりのためだけに篤姫登場させなくてもいいのにね。それに、庶民的過ぎて違和感がありました。もう少し気品がないと。宮崎あおいと比べても仕方ありませんが、宮崎あおいには、お転婆の中にも、ちゃんとお姫様らしさが感じられたように思いますが。
私もドローンに手を振る農民が気になりました。
なんか、現実に引き戻されて冷めてしまった。
蚕のダンスはいきなりファンタジーだし。
4歳の幼稚園児くらいで、「千代は大切な人だ」「俺がお前を幸せにする」「日本は俺が守る」といったセリフにも冷めた。
全体に教科書的な説教臭さが気になった第1回でした。
戦乱が終わり新時代の幕開けの新しい国造りが始まる。いよいよ新政府入りし、渋沢栄一が実業家としての活動を始める。これから同じ志を持つ仲間たちとともに新しい日本を作っていくのだ。次回からがますます楽しみ。こんな分かりやすく飽きさせない大河なら、今年はリタイアなしで見られそう。
45分が瞬く間に過ぎる。栄一がフランス滞在中に経済制度や仕組みを学んで、成長していく姿がとてもいい。フランスの鉄道に投資して、稼いだ話も面白い。当時のパリや万国博覧会が再現された映像がまた素晴らしい。
しびれる~。
喜作の敦賀での惨状を見るシーンの男前度。絶品。
耕雲齋の忠義を尽くしての最期。美学。
小四郎の士気を鼓舞するも喜作に毒づくも耕雲齋の最期をみるも全てに空虚を内包してるのも物語性として秀逸。(小四郎の耕雲齋の処刑時、あの眼は落とされた頸でも残された胴でもなく、散った血飛沫を無意識に追ったんだろうな、と)
栄一の説得百面相、いい。家電CM並みに、コメディ色がほんとうまい。
困ったなあとか、そりゃあおかしえというときの普通ぽさがあんなに自然なのに代官への脅しはなんと妖しい美しさ。
そして、慶喜との今回のハイラスト。
失意で沈みきって「職務上功労の部下に報奨を渡すだけ」の慶喜に恒例となった建白を始める栄一。
けれど今回はその中に栄一が「何がダメで天狗党はつまづいたのか自分はむざむざと同胞を死地に向かわせてしまったのか」を腹のそこから考えて出した結論、何をするにも算段が必要、志だけで事は成らぬとの信念が含まれるようになった。
そして米をみせ、硝石を手に取らせる。かつて商談相手と藍の葉を手に話したように。それはまた、米一粒から大切にし蜂蜜を(きっと)慶喜に舐めさせた父を思い出させる。
それは父が発する攘夷が呪いとなって世を狂わせたと沈んでいた慶喜が父の実像を取り戻し息を吹き返す糸口になり。
そして、台詞ではそう話さなかったけれど、おそらく慶喜にとっての本当のスイッチは「あなた様の手でこの日の本を…!」の力強く断言し頭を下げる姿だったと思う。
円四郎、と。
たまらん、父の雷神姿…!とツボに入り、泣きそうな笑顔で「円四郎め」と口にする慶喜。
人の心を打つのが主人公栄一ならば、おそらく本作上もっとも人の心を強く打ったシーンは、慶喜の心を打ったここになる。
そうして覚醒したかのように力強く栄一に命をくだす。
お前の思うようにやってみよ、と。
この、二人の呼応ぶりが胸熱でした。
この回の前。座して面会すればたちまち感服意気投合だとすればそれってどう説得力を持たせるのかなあと不安視してました。円四郎とは史実に基づく見事?な給仕エピと米人形でしたが、こちらはそんな史実もなさそうだしと。
すると、意外や、慶喜くん能面対応(笑)。
たしかに、何があっても能面対応な人だもん、そうだよねえ。
これが、この脚本は上手い!と思う所以。
キャラとの齟齬がない。
けれどラストの薩摩への一撃をやっちまってからあと、栄一から少なからぬ刺激を受けてたことを自覚する。
つまり、面会シーンのみではなく、一話全体を使って二人が生涯強い結びつきを持つことを大いに予期させたわけです。
そして、その「やっちまう」エピも決して唐突でもなく、その途中で家茂を挟む。嘘偽りを嫌い高潔さを尊ぶ慶喜が、邪心のみで動く薩摩と高潔ゆえにいいようにされる家茂をみて、義憤堪らなくなったという導火線がきっちりと描かれる。導火線に栄一の種火。
また、これまで長く抑制に抑制を重ねた慶喜だけれど、それでいて視聴者にそれだけの人ではないと感じさせてもきていたので、中川宮を前に啖呵を切ったところで「どしたどした?そんな人だっけ?」ではなく「待ってました!」と視聴者に受け止められる下地もあって。
そうして、愛され烈公の快なり!を挿入しての快なり!シーンという打ち上げへと。
なんとも時間をかけて構築されたカタルシス。
さらに、ここで新入社員として優しくされまくったのプラス祝酒シーンで一橋家のホーム感をつくることで、後日の悲劇的展開へとつながるんですよね。
うーん。丁寧で無駄がない。
栄一の親父の小林薫、いい味出してますね。
以下、ネタバレ注意ですが、
「孝行は子が親にするものだと思っていたが、親が子にするものだったとは!」と、志を貫くのはこれから大変だろう「持っていけ。」と"軍資金"を栄一に差し出すとこにはぐっときました。
攘夷を断念した栄一が、京に出てもう一度天下のために何が出来るか探りたい、と申し出たのに対して、親父は、
「お前のすることにはもう是非は言わない。ただしものの道理だけは踏み外すな。道理を踏み外さずに誠を貫いたと胸を張って生きたなら、俺はそれで満足する。」
自分とは生き方が全く相容れない息子に対して、本当は許容しがたいのを抑えて認めてやり、苦しい中にも子の意思を尊重し応援してやる姿、いつの時代にも、現代にもある親子の確執だとは思うが、それが生死に直結する時代であっては、なかなかできることではない。
この父親に自分を重ねて見て、自分は子をここまで認め信じ、危険な道でも送り出してやることができるか、父親の心中を思うと胸が熱くなります。
ただ、私も子に孝行する親でありたいと心底思いました。
小林薫さん、いい演技しますね。
慶喜の長いセリフが棒読み調で抑揚が無いのは、長いセリフを言い切る事にいっぱいいっぱいになってるからでしょう。
長谷川博己なら、あのくらいの長いセリフでも抑揚つけられる。
草彅剛は、あの無表情さで慶喜のクールさは出せているかもしれないが、慶喜とて人間。その人間らしさが垣間見える演技をしてほしい。
ドラマとしては良く出来てるかもですが、何だか眠くなってしまう作品。
前に書いてる方々もいますが、やっばり主役に違和感。
顔が綺麗すぎるわ。特に明治以降は断髪姿が、イケメンを強調してて、渋沢を見てる気がしなかった。あの早口滑舌の良さにご自分で酔ってる気がした。
イケメンでもそれを思いださせない俳優さんもいますから。
その上、1人だけ老けないんだから余計目立つ。
久しぶりに登場した、『こんばんは。徳川家康です。』が嬉しかった。これから最後まで出て来てほしい。徳川家康の江戸入場300年を祝う東京開市三百年祭で旧幕臣たちが集い盛大に祝うシーンが印象に残りました。薩長が徳川幕府を倒して明治維新を迎えても結局渋沢栄一はじめ多くの優秀な旧幕臣が新政府を支え尽力したのは感慨深かった。今まで幕末を描いた大河は徳川側を悪者のように描いたがこの大河では徳川側に立ち薩長を批判的に描いたのが面白かった。戊辰の役で汚名を被った徳川慶喜にも同情的に描いたのも新鮮でした。今作の大河は幕末や明治維新を徳川側から描きその幕臣であった渋沢栄一の活躍で次々と日本の経済を築いて行く展開が痛快でした。
渋沢栄一の女好き伝説がよく語られているけど、私がその手の話に詳しい研究家から聞いた話だと、たしかに女好きだけど『泣かした女』がいなくてみんな栄一と関係すると栄一に惚れちゃったそうです。とにかく優しくて気をつかってくれ、偉そうじゃなく気前良くて、Hも上手くて、その後も面倒見てくれ世話もしてくれて、まさに女が惚れるタイプだったらしい。しかも好きなタイプがわけあり苦労人の性格が良く口が固いタイプで、その手の女中や芸者達としか遊ばなかったそうな。そこが他のお偉いさん達と大違いというしだい。それゆえに女遊びはしたけどさほど悪い話と詳しい話が伝わってないのは、そういう理由だとされております。
ちなみに千代さん存命時代は 番組で見てるように忙し過ぎて、女より仕事で遊ぶひまもなかったとの事。遊んだのは千代さんの死後で晩年のようやく余裕が出来てからだそうです。もっともそれからの話はすごい話がたくさん伝わっていますが、みんなどこかおかしみがあって笑えて、栄一ならではであります。
とにかく女性にたいしても器の大きい男だったのはたしかでありましょう。
町田啓太さんが演じた土方歳三が良かった。自身の写真を家族に届けるように少年兵に託しましたが、その町田さんが演じる洋装の土方の写真が本物の写真の土方そっくりでした。実際演じた町田さんと史実の土方とは同じ年頃なので違和感がありませんでした。これまで土方を演じてきた俳優の多くは町田さんよりかなり年を取ったベテランの俳優がやっていたと思うと町田さんの土方は自分の中では一番似合っていると思いました。最後土方が渋沢喜作を逃がすシーンが良かった。以前、さあ行こうか、もう一人の渋沢よと喜作を戦いにけしかけたが。最後はお主の友(渋沢篤太夫)は生きると言った、お前も生きよと喜作を逃がしたシーンが運命を感じて感慨深かった。賛否は別にして志しを持ち命を懸けて戦い抜き潔く散った土方の生きざまに感銘しました。最期静かに目を閉じて眠るように果てる土方が美しかった。演じる町田さんは華麗で凛々しい土方を渾身の演技で見せてくれました。
まさか、大河で泣くとは思わなかった。
いや、八重の桜の松平容保や会津藩に泣いたな。
水戸藩の思想を全く理解してなかったから、
今回は勉強になるし、八重が薩摩を憎んでいた気持ちもわかる、
とっさま、かっさま、千代に泣く。
とっさまが千代にお金を渡した時には号泣。
フィクションかもしれないが、そういう麺で
渋沢栄一が偉業を成し遂げるのか。
いよいよ、明治。
ますます、楽しみ
慶喜と栄一のラストシーン、涙が出た。
落ちぶれて生気の抜けたような慶喜を
なかなか直視出来なかった栄一。
それでも穏やかに、嬉しそうに栄一の話しに耳を傾ける慶喜。
つよぽんの静かな演技、
セリフが途切れないお亮、2人とも良かった。
どんなにか苦労したか、
弟を無事に帰国させてくれてありがとう、と
かつての部下に頭を下げる上司。
国が大きく動き変わり、そこに何人もの国を思う犠牲者の血が流れる。
今も昔も、どこの国でもそれは同じ。
この明治維新〜西南戦争から約70年後に日本は大東亜戦争となり、国は多くの命を亡くし、大きく変動した。
戦後また70年以上になる現在、日本はまた変わってしまうのかもしれない。
総裁選で間違えば、これまで大切にしてきたものを失うことになる。ふと重ね合わせてドラマを見終わった。
もうね。充実度がすごい。
まずは長七朗の生を描ききった!という天晴れ感。
志を高く、鮮やかに先頭を切っていたはずが道を見失い絶望の闇に落ち…でも命絶えてからであろうとまた目に光が戻り栄一に明るい未来を指し示す。
そういえば、長七朗は栄一と喜作に手紙で千代が好きなら二人で闘えってそんなアドバイスまでしてたなあ。うるる。
優しくていい兄貴分だった…。
栄一は生き残った者としての辛さを容易には面にだせず、同じく生き残ったことを苦悩する惇忠兄ちゃんの前でようやく涙する。
父にお金を返す。つまりは攘夷にかぶれ外に飛び出すことだけを考えていた青春期の区切り。同時に、父親が妻にご苦労さんと労うのをみてあちゃー嫁と子どもほっぽってたんだよなあを再認識。ここまでされたら、もうあとは自分で妻子への責任ももたないとね。(お金には意味がある、を見事に描写。さすが一万円札の顔になる人のドラマ!)
そうして、慶喜への拝謁。
このための説明場面ながら、静岡の藩主との対面シーンを挟む。これ、すごい。これがあることで、普通ならまだまだ武士達は江戸時代と変わらない生活をしてるってことを知らしめる。からの、落差。
色の抜けたような、生気のない慶喜。大政奉還後の顛末を知るその後の全時代、全国民が問いたい「なにゆえ…」を、押し留めえる潤む目と「今さらせんのない…」。
と、続く「民部公子はいかがだったか」。
栄一は故郷でもそうしたように、それ以上に、聞く人の気持ちを晴れさせるために語りに語る。ここで、「皆うたの笑顔に救われた」からの栄一の土産話でおていのわずかに笑んだシーンが隠し味的に効いてくる。栄一が楽しいだけでない気持ちを抱えて話してるというのがわかるだけに栄一の語りだけで泣けてくるし。
しかもそれをきく慶喜の様子がまた、悲しいと楽しいとなんとも形容できない表情でわずかずつほぐれていくのがもう。しかも微かに口をあけたりが、語りの長さも感じられて。
気がつくと陽の光で暖かさと明るさが。
労う言葉が将軍ではもはやなく、兄としてのものなのがまた。うる。でも、いつも、ちゃんと働きについて過不足なく言及するのはさすがの上役生まれというか。この人は本物の慶喜なんだなあ。
そのあとの、ご無念であったでしょう、が。
栄一。というか吉沢くん。実があったよー。若いのに、言葉に、力というか質量あったよーーー。
尾高長七郎は長い牢獄生活の後に、廃人のようになって亡くなったらしい。維新後、牢から救い出されるというので、新政府でのなんらかの活躍を期待したのだが残念だ。栄一は長七郎が横浜攘夷計画に反対して思い止まらせたことを、自分たちの命を救ってくれたといって感謝していたそうだ。そして並外れた剣の使い手だった長七郎が、運が悪くて国家社会の表面に現れないまま終わってしまったと残念がっていたという。満島さんの個性的な演技が魅力的だった。
天璋院は「篤姫」のときの宮崎さんが良かった。
上白石さんは可愛いけど、現代ドラマのが向いている。
草彅剛さんの慶喜は浮いていて、しんどかった。
久々に興味深く観ている。近代もの大河のなかではダントツに面白い。吉沢亮目当ての視聴だったが、演技がうまくあっという間の45分間だった。これから新しく生まれ変わる日本での渋沢栄一の活躍が楽しみだ。
平九郎の凄惨な死は目をおおわずにいられなかった。岡田健史さんの迫真の演技が光る。
栄一のこれからの活躍や周囲の人間模様がどう描かれるか、いっそう楽しみになった。
徳川家の家臣だった栄一の側から観た幕末ドラマというのも面白い。
パラリンピックもいいが、大河の休止はいささか残念。
埼玉県の飯能戦争が大河に登場するのは最初で最後かも。埼玉県民にはうれしいかぎりです。コロナとオリンピックがなければ、このあたりの事情はもっとじっくり描いてくれたと思うのでやや残念ですが、それでも短いながらも解りやすく見せてくれたので良かったでした。尊王の志を持った草莽の志士がいつの間にか幕臣になり賊軍となっていく、運命の皮肉と残酷さと哀しさ。明治維新の矛盾を見せてくれた素晴らしい回でした。恐らく大河でこういうの描いたのは初めてかも。そしてまさにそれを体現していたのが深谷血洗島の若者達だったと言うわけで、そこをハズサないで短くてもしっかり描いたのはお見事!
ちなみに同じ埼玉県蕨出身の彰義隊の設立者で幹部でただ一人戦死した柳剛流の名剣士の伴門五郎もチラリと登場したのもうれしかった。彼は手塚治虫の『陽だまりの樹』の主人公の伊武 谷万二郎のモデルの一人ともされています。
人は出会いが大事である、栄一が江戸で平岡円四郎と出会えなかったら慶喜に会えなかったし栄一の能力が目覚めず近代日本経済の父になれず一万円札にもなれなかった。また血洗島村に長七郎が帰ってこなかったら厳しい日本の現状を知らず井の中の蛙の栄一は同志と横浜で撃たれて犬死にして慶喜と出会えなかった。人は出会いと人との関りがいかに大事であることを今回を見て思いました。いよいよ栄一と慶喜が京へ向かい運命の初回の出会いのシーンに繋がって行くと思うと今から期待が高まります。
身分制度に怒り震える渋沢が慶喜に仕え、それこそ身分制度の尖兵となるのは大きな矛盾。
あまり社会正義的な人間であるふうに誇大に美化しない方がいいのでは?
それよりも史実通り、攘夷思想にかぶれ討幕運動に身を投じるが挫折し慶喜の元へ、という一人の人間として自然な欲や思想の紆余曲折を見せてくれた方がはるかに面白い。
幼い時から商才と頭はあったのは事実で、そのうち商業というものに目覚めていく。
興味深い波乱万丈の人生だ。
こういう話なら、がぜん見る気になる。
今のところ、いかに主人公(と中の人)をきれいに見せるか人気を集められるようにするかという点に腐心しているようで、ちょっとひっかかる。
今後、どういう方向にドラマを進めていくつもりなのか、それが分岐点になろう。
渋沢栄一の知名度がこれまで薄かったのは、日本の学校の歴史教育において、武士・政治家や、軍人、文化人が中心で、財界人については学校教育では軽い扱いだったからだろう。
江戸時代までの封建制度下では、幕府などの政界が経済も支配下に置いていた事情もある。
「あさが来た」で一躍有名になった五代友厚も、地元の大阪ですら、一般府民への知名度は薄かった。
しかし、今回「青天を衝け」の冒頭で、徳川家康が述べた、「徳川が退き、明治維新で日本が大きく変換したように言われるが、事はそう簡単なもんじゃない。」の言葉には重みがある。
政治や戦争だけで国家は動いているのではなく、国家を大きく下支えするのは経済。
パリ行きで欧州経済を目の当たりにし、民間からの投資で株式方式を取り入れた民間銀行や企業の必要性を説き、官僚を降りて自ら銀行・企業の設立に尽力した渋沢栄一らの財界人達こそが、明治以降の日本の原動力。
封建制度からの真の意味での脱却は、民間財界の発展があってこそなので、大河ドラマでその点に初めて中心スポットを当てたのは遅かったくらいなのかもしれない。
実にいい大河ドラマでした。
吉沢亮くんがとにかく素晴らしかった。
私は、天と地から大河を見続けてるジイさんだが、歴代大河の主人公の中で、この渋沢栄一役が一番セリフ量と演説シーンが多かったと思いますね。とにかくよくしやべる主人公でした。
それにしても、この膨大なセリフ量は覚えるだけでも大変なはずで、ベテラン役者でも楽にこなせるものではないのはたしか。吉沢くん、若いのにたいしたモノです。ホント、スゴイ役者に出会えたという感じです。
なんか、『伊達政宗』の渡辺謙を思い出します。彼も当時は無名の若手で開始当初は、子役人気もあって、彼で大丈夫かいなとかなり危ぶまれていたけど、すぐにハマり役にして最後は高視聴率の人気作にして伊達政宗のイメージまで定着させてしまった。それは今や語り草になっております。そしてそれからの渡辺謙さんの大活躍は周知の事。
今回の吉沢亮くんはまさにそれに似てる感じがして、大河で久びさにそんな若手役者に遭遇が出来て、うれしく思ってます。恐らく吉沢亮くんもこれから渡辺謙さんみたいな大役者になる事でありましょう。確信します。
この大河は将来、そんな意味でも語り草になるはず。
みなさん、政宗の時みたいな
それに立ち会えられた
いい体験
をしましたね。
大河ジイさんはそう思い、
『快なり!』
と叫びたい気分であります。
女性脚本家云々は全く無関係ですね。
栄一の考えは石橋湛山の小日本主義や幣原喜郎の親英米の国際協調外交となり大正デモクラシーの時代から昭和初期まできちんと引き継がれるのです。戦後の吉田茂も然り。
こんなことも分からない人は歴史を再勉強すべきでしょうね。
戊辰戦争に向かう幕臣のうねりは、将軍であった慶喜でもとめられない。日露戦争後の政府の弱腰を糾弾する民衆の好戦的心理はだれも抑えることができない。そして、天皇でも止められなかった昭和の拡大路線の結末としての破滅へと繋がっていくことを、慶喜の言が、十二分に示唆しているようにみえた。 幕末の慶喜の言動をあえてカットしておいて、日露戦争にからめてこの時期に栄一たち旧幕臣の前で語らせるとは、非常に印象的な演出だったと思う。
とりわけ、慶喜が明治維新後、自分がこれ以上争いの種にならないように、と隠遁の理由を語り、「人には与えられた役割がある。自分の隠遁は、与えられた最後の役割だ。」 これはぐっときたなあ。どんな役まわりであれ、それを全うし胸を張って自分を貫けばよい。とは親父の一郎右衛門も言っていたような気がするが、この大河では、先の見えない時代をその時どきに、それぞれが自分を貫いて役割を果たしてきた、とりわけ若者が信念と柔軟さとエネルギーを発揮して新しい事に立ち向かっていったところを見られて、おおいに刺激をもらいました。
弟の平九郎が幕臣であったこと知っている。これほど惇忠に響く言葉はないんじゃないか。
ありがとうでもすまなかったでも、合うわけではない。そして、それが欲しいのでもない。知っていてくれた。今もその胸に留めていてくれている。平九郎が浮かばれてこそ、惇忠に安寧がもたらされる。(長七郎まで言わせないのが、脚本的に節度あってなお、素晴らしい。)さらに、あの若き日の大演習。還る、ということだよね。あの未来にワクワクしたときに。あの日の目指したものに、違ったけれど、行き着いたようでもある。あの日からの全てを今は肯定できる-。
冒頭だけでもうここまで思いが膨らむって大河という長尺ドラマ、偉大。
財界人として戦争協力を語る栄一にどんどん光が射さなくなるあたり、セリフに皆を言わせないのがいい。
かつて栄一は屋敷の軒先立つ代官に庭先で訴えた。父の代理ではあるが一家と村の衆の代表として。上に立つなら責任を持てと。
篤二は慶喜に庭先で訴える。私は父を受け継ぐなんて出来ない。あなたはいいですね、責任から逃げおおせて。と。
もちろん、栄一のほうがえらい。今の価値観でも。
慶喜にとっての評価は間違ってるともこの後、展開される。
でも、見方によっては、篤二のような迷いや悩みを持てるのも、時代変化の利点なのかもしれない。それだけ、既成概念から個々が自由になってきたともいえる。
とはいえ、受け止める慶喜(泣)。
篤二は正直すぎたけれど、これこそが一般大衆全国民の慶喜像でもあったわけで。
だからこそ、栄一に乞う。
尽未来際、そばに居てほしいのだ。そなたにだけは。
かつて約束してくれた円四郎は、いない。
名前を言わなくても浮かび上がるかつての親友。
居てほしい、のセリフにどれほどの孤独が彼を取り巻いているか、ずっと観てきた私たちには伝わりまくる。
みるみる回復、は声だして笑ったけどね。好きすぎでしょ。
そうして、語られる悔い。「人の戦いたい」の狂気になす術なかったと。ここで、小村寿太郎や栄一に向けられた憎々しい形相が生きてくる。
押さえきれず投げ出すように好きにせいといってしまった、失敗だった。そのあとも失敗を重ねた。あるいは「もっと前から」失敗していたのかも。と。
もっと前。大政奉還のタイミング、根回し、その前からの薩長対策、宮廷工作…「もっと前からだったのかも」には繰り返し繰り返し一人で悔やみながら思い返してたことがわかり、痛々しい。それでもあくまでも淡々と語る様はかつての弁が立って周囲を圧倒した頃の片鱗も見受けられてそこはかとなく、懐かしくもある。
老いと若さと時代のうねりとが折り重なって、感情の波が押し寄せまくった45分でした。
あと二回は延長ですね。
しっかりと受け止めたいです。
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