まず、最初に。
このスレの利用に当たっては、以下の禁止事項を絶対にお守り下さい。
【※感想やレビューを元に議論するのは問題ありませんが、感想を書いてくれた人を誹謗中傷する書き込みは禁止します。】
議論・投稿内容は、【「おむすび」の作品評価に関わる部分】です。
【「おむすび」という朝ドラを、自分はどう評価しているか】についてお書きの上、必要に応じて議論して下さい。
議論スレですので、反論等は自由です。
ただ、当たり前ですがスルーも自由ですので、
【議論中に相手の投稿を強要する等の行為は禁止】とします。
あくまでも、「おむすび」という作品の内容についてだけ語って下さい。
勿論、批判や反論も、「おむすび」という作品についてだけです。
【投稿者に関しての批判は絶対に書かない】で下さい。
なお「感想やレビューを元に議論するのは問題ありません」とありますので、本スレに投稿された「おむすび」に関するレビュー内容についての議論も可とします。
ただ、その場合、【「おむすび」という作品とは関係ない内容について取り上げることは禁止】ですので、お守り下さい。
【感情的な書き込みも禁止】です。
冷静な議論をお願い致します。
サイトの利用規約、禁止事項、お茶の間ガイドライン等をあらためてご確認頂き、【それに抵触するような書き込みは絶対に行わない】で下さい。
なお、【このスレ立ての是非についてご意見がある場合は、ここには書かずに、管理人さんにメール】をして下さい。
そうした投稿が入るとスレ運営に支障を来たします。
万が一、【そういう投稿があった場合は、一切スルー】して下さい。
そのことも、ローカルルールと致します。
本スレのおむすびスレで批判する人はその人なりの批判の感想を書いています。それを肯定の一部の方は一方的に否定の方たちを悪者扱いにするのはいただけない。他人の感想にケチつけている余裕があるなら、肯定の皆様は自分の推している朝ドラの絶賛の感想でもどんどん書いてほしい。そうやって否定派も肯定派も切磋琢磨して盛り上げればいいと思います。肯定の皆様は否定の人たちに感想を書くなというような権利はありません。
2
ローカルルール違反です。1を転載します。
【投稿者に関しての批判は絶対に書かない】で下さい。
【「おむすび」という作品とは関係ない内容について取り上げることは禁止】
あくまでも、「おむすび」という作品の内容についてだけ語って下さい。
勿論、批判や反論も、「おむすび」という作品についてだけです。
題材の間違えのボタンの掛け違えでとんでもない
手の施しようもない作品になりました。
でもまだ始まったばかり巻き返しの可能性もありますが
例えダメでも最後まで作らないといけない公共放送の定めが哀しいです。
このスレは何を目的として立てたのか?
何を書けばいいのか分かりません。
作品評価について語るってのは、感想の感想であり、サイトで推奨されてないことです。
5さん
作品評価について語る、は、自分の作品評価について語ることです。
自分が、おむすびという作品をどう捉え、どう評価しているか。
分かりやすく書くと、
A こういう部分があるので、自分はおむすびを良い作品だと評価している。
B こういう部分があるので、自分はおむすびを良い作品だと評価していない。
というような、自分自身の作品に対する捉え方、自分自身の評価や感想を書いていくのが、このスレです。
本スレ投稿と投稿する内容は同じ、と捉えて頂ければ良いです。
ただ、本スレとは違い、お茶の間のスレには星評価をする場所はありませんので、星の数をつけることなく、作品の内容についての是非・評価を書いていくスレになります。
そして、本スレと違うのは、投稿された内容についての反論を書くことが出来て、作品の内容の是非を議論することが出来る点です。
例えばの例ですが、おむすびに「ギャル」を取り入れていることを、取り入れない方が良かったのでは、とする意見がよくあります。
ただ、「ギャル」を取り入れていることを、楽しめる要素として、好ましく思っている人もいると思います。
その場合、同じ要素に関して、相反する意見があることになりますが、双方の意見を書き合うことによって、
何故、取り入れない方が良かったのか、
何故、取り入れて良かったのか、
が、読んだ人に見えてきます。
分かりやすく言うと、ギャル要素は是か非か、という話です。
このスレは議論スレです。
誰かが書いた内容について、反論することも出来ますし、議論することが出来ます。
結論を出すことを目的とはしませんし、結論を出すことが目的ではありません。
作品の様々な要素を多方面から捉える
色々な見方や感じ方があることをお互いに知る
作品の中の様々な要素・ストーリー・人物設定や場所設定・キャスティング…等の様々なことには、色々な捉え方があることを知り、作品に対する理解や捉え方、評価について考えていく
このスレッドは、そういうスレッドだと考えて頂ければと思います。
なお、<自分自身の感想や評価を書く場合>、
既に本スレやお茶の間に投稿した内容をコピぺしても構いません。何度も書く手間が省けますから。
また、<本スレに投稿された>作品の捉え方について、反論や意見を書いても構いません。
因みに、<お茶の間に投稿されたもの>に関しては、基本的にしないで下さい。禁止事項として追加しても良いかもしれません。
理由としては、ファンスレに書いたファン目線の内容に、ファン以外の方が反論や意見を書くのは好ましくないと思うからです。
繰り返しになりますが、1を転載しておきます。
<本スレに投稿された>と書いています。
<なお「感想やレビューを元に議論するのは問題ありません」とありますので、本スレに投稿された「おむすび」に関するレビュー内容についての議論も可とします。
ただ、その場合、【「おむすび」という作品とは関係ない内容について取り上げることは禁止】ですので、お守り下さい。>
本スレ内で他の人の書いた内容に対して反論や意見を書くことは、推奨されてはいませんが、禁止事項にはなっていません。
↓
<感想やレビューを元に議論するのは問題ありません>
ただ、本スレに書かれたものについて流用する場合は、それがあくまでも個人的な<感想>なのか、<作品の評価>なのかを見極めた上で、して頂きたいと思います。
<日々の個人的な感想>を取り上げるのは、相手に対して失礼でもありますし、相手の気持ちを傷付ける行為でもあります。(個人的には、本スレは絡み禁止にして頂きたいぐらいです)
本スレの内容を取扱う場合には、<作品についての公的な評価>だけにして、個人的な思いを書いた投稿は、取扱わないで下さい。
勿論ですが、それを投稿した【投稿者について誹謗中傷することは禁止事項】ですので、あくまでも、作品に対する捉え方や評価に関してのみの反論や意見にとどめておいて頂くようにお願い致します。
【※感想やレビューを元に議論するのは問題ありませんが、感想を書いてくれた人を誹謗中傷する書き込みは禁止します。】
の注意書き通りに、ということです。
また、1に書きましたが、意見や反論をする場合、その相手からの返信を強要することは、ローカルルールとして禁止します。
意見や反論を書かれた投稿者は、それに反応するもしないも自由です。
その為、反論や意見は、○さん宛に書くのではなく、△△という意見があったが、自分はこう思う、という書き方をした方が、反論や意見を書かれた相手の負担にならないと考えます。
最後になりますが、私がこのスレを立てたきっかけは、本スレ内で、投稿者に対する誹謗中傷投稿があったからです。
その投稿内容には、おむすびを失敗作と決め付けている投稿者への不満が書いてありました。
投稿者に対する不満を抱えて違反投稿をするくらいなら、きちんとした形で、その<失敗作と決め付けている“理由“ “評価内容“>について、
<作品に関しての反論>を書いて頂く方が良いと思ったからです。
感想やレビューを元にした議論は許されています。
許されていないのは、投稿者に関する話です。
投稿者に関する意見等は、誹謗中傷ではなくても、絶対に書かないで下さい。
1にもローカルルールとして、明記しました。転載します。
【投稿者に関しての批判は絶対に書かない】で下さい。
【感情的な書き込みも禁止】です。
【「おむすび」という作品とは関係ない内容について取り上げることは禁止】です
なお、規約違反やローカルルール違反に関しては、スレを立てた者の責任として、逐次、違反報告メールをします。
(他の方も違反報告メールをして頂いて構いません。して頂いた方が良いと思います。違反投稿が削除される可能性が高まりますから。メールの宛先は、FAQの項目から辿れます)
お茶の間のスレが荒れるのは、規約違反、ローカルルール違反、ガイドライン違反があるからです。
サイトの規約やスレの規約、ガイドラインを守った投稿を誰もがしている限り、荒れることはありません。有り得ません。
サイトの規約や禁止事項、ガイドラインは、その為にありますし、作られています。
お茶の間ガイドラインには、ローカルルールはスレの規約となる、ということも書かれています。
今一度、規約や禁止事項、ガイドラインをご確認頂き、それを遵守した投稿をお願い致します。
長くなりました。
もし、分かりにくければ、過剰書き等で、書き直します。
私は、おむすびの脚本に関して、疑問を感じたことは今まで特にありませんでした。
エピソードや台詞に関しても、唐突と感じたり、整合性がないと思ったことはありません。
糸島編からまったく整合性が取れていなくて
キャラ変や後出しばかりで
神戸編は別ドラマを見ているようです。
そのせいかいくらか僅かながら評価が上がって来たそうです。
上手くごまかしてカスタマイズされました(笑)。
整合性が取れていないと思うのは、どのあたりですか?
キャラ変というのは誰のどの部分ですか?
後出しと感じたのはどの内容ですか?
私は全くそんなことは感じませんでした。
本スレに書かれているその辺りの意見も首を傾げることばかりです。
前にこんなことがあったという「回想」が、振り返りシーンで出てくるのはどのドラマにもあることですし、人は、何かがあったり年齢を重ねると誰でも変化します。
今まで表に出さなかった部分が何かのきっかけで出てくることは、誰にでもある普通のことです。
神戸編も、糸島編からの続きだと感じます。
糸島編で、ここはどうにかならなかったのかと思ったのは、2年間すっ飛ばしたことぐらい。
あのすっ飛ばしは、陽太のことが充分に描けてなくて、私も不満がありましたが。
整合性が取れない、キャラ変、後出しなどなど、本スレに具体的に書いておられる投稿がたくさんあります。よく読んでください。私には頷ける意見がほとんどです。
9さんは首を傾げるとのことなので、感じ方が全く違うとしか言いようがありません。
ついでに言うと、『人の目を気にしない、自分のやりたいことを貫く』って、ギャルじゃなくてもできるので、「さっちんもギャル」とか、もう意味不明でした。あれだけの会話でさっちんと急に仲良くなるのも、都合が良すぎて不自然。
そうだ!不自然と感じるところが多すぎるので批判したくなるんだ!
と、今、自分で書いていて腑に落ちました。
ま、感じ方の違いです。
私は「おむすび」はつまらないと感じ、9さんは「おむすび」が面白いと感じる、それでいいじゃないですか。
後だしとかキャラ変って悪いことの代名詞のように使われてるけど、後出しが面白いんだよってのも沢山ある。海に眠るダイヤモンドは考察にハマってる。
阪神大震災30年に向けて、おむすびは震災を振り返りながら今をどう生きるのかっていうテーマがあるのだと思う。だから振り返り形式になってるんでしょ。
つまらないと思って見ていたけど、真紀ちゃん関連の話は刺さる所がある。
後出しだからこそ効果的。
そういうドラマ、多分殆どがそうだと思います。
そうだったのか!と溜飲を下げる。そこにカタルシスがあり、ドラマを見る面白さがあるので。
大きなことから小さなことまで。
最近、一番脚本の後出しに唸ってしまったのは「全領域異常解決室」。
素晴らしい脚本だと思いました。
全領域は、初回から中盤まで、オカルト?不思議?と思わせながら、実は科学で説明がついたという事件を描いているのですが、初回からの解決していない事件は、そうではなかった。
実は、人間だと思っていた登場人物達は、実は日本神話に出てくる神々たちだった!…という話ですが、その構成がハッキリ明らかにされたのは、6話のラスト。6話のラストを見た時、私は震えました。感動しました。(現在は8話が地上派で放送されたところ。全10話です)
最初から予想してる人達もいましたが、私は予想も考察もせずにドラマを見ていたので、6話のラストは本当に衝撃的で、素晴らしい脚本だと思ったものです。
何故そう思ったかは本スレに書きましたが、最初からそういう話だと思っていたら、私は多分、初回で見るのを止めていたからです。
日本神話とか、全く興味もなかったし、神がどうだとかの荒唐無稽なストーリーはどちらかと言うと敬遠しているような視聴者だったのに、6話までに少しずつ匂わせていたことで、全く違和感なく物語の世界観に引き摺り込まれ、私はまんまと脚本家の意図通りに…そこからドラマの世界に完全にハマり、日本神話にも興味を持ち、今に至ります。
海に眠るダイヤモンドは、初回だけ見ましたがあまり好みの内容ではなく、でも登場人物の正体?が凄く気になっていて、2話からずっと未視聴ですが、放送後に書かれたレビューだけは読んでいます。
その正体が明かされるまでは読み続けると思います。
もう明かされたのかな?でもまだハッキリしてないかもしれないので、読み続けますが。
後出しだからこそ、ドラマにハマった。
後出しだからこそ、いつまでもドラマへの興味が持続する。
何でもそうで、最初から全て分かっていたらドラマは面白くないし、どんなドラマでも後出し要素が人を惹き付けるのではないかと思います。
こういう人物だと思ってたら、実は違った。
サスペンスやミステリーでは当たり前に使われますが、例えば、実際のリアルでも、こういう人だと思ってたら実は違った…は、後から分かった方がインパクトがあり、強烈な印象として残ります。
“ギャップ萌え“という現象がありますが、それも、後から知るから萌える。
意外性は、人を惹き付けます。意外性は逆の現象も起こしますが、後から知るからインパクトが強くなります。
ドラマ等の映像作品では、どれだけ人を惹き付け、引き込むかが大事で、脚本はそういうことも狙って作られるので、後出しは王道の手法。
本スレに投稿された“後出し“とされてるもの、多分、大体は目を通していると思いますが、整合性が取れているものばかりと感じましたし、ましてやこじつけとかは全く感じませんでした。
話もまだ続いているのに、後出しも何もありません。
一般的に批判される後出しは、ドラマで描かず、制作側が放送終了後にドラマ外でコメントしたりすることを言ったり、何も伏線がなく、最終回でいきなり、実はこれこれこうでした、となるようなことを言うのだと思います。
おむすびに関しては、本スレで後出しと言われていることにも、推測可能な事前情報としての台詞や描写がありました。
登場人物の性格や言動、過去についても、詳細は分からないけど何かあるような気がしたことばかり。
そこを考えながら見ていた自分は、後出しと感じたり、整合性がないと感じることはなかったです。
風見先輩が、学校の貼り紙を見て、俺のタイプは…と言ったタイプが結では?と勘違いする場面、その後に彼女と連れ立った風見先輩と会う場面がありましたが、その彼女は、その貼り紙に写真が載っていた彼女だった、だから風見先輩は、その彼女がタイプだと言った部長の前で、自分もその彼女がタイプだと言えなかったのだろう…とか、思わず後でニンマリしてしまうエピソードもありました。
キャラ変も後出しも、ドラマの流れとして自然なら大いに結構。
そもそも成長すればキャラは変わって当たり前。ちゃんとしたきっかけなどが描かれていれば納得できる。
けれど「おむすび」では不自然で整合性が取れないエピソードが多すぎる。
例えば、ギャルを嫌っていた結が突然「ギャルやりたい」と言って、バリバリのギャルになる。パラパラが楽しかっただけで?
日常的に料理を作っている様子もないのに、いきなり彼氏でもない翔也の弁当を毎日作る。結局、高校時代に自分の弁当くらい作ったのか?
弁当差し入れをコーチに否定されてから、2年間すっ飛ばして、いきなり栄養士を目指す。理由は彼氏を支えるために?
なのに栄養士学校のことは何も知らずに(調べずに?)、調理実習のある日にバリバリギャルメイクと付け爪で登校する?(親も黙認?) 先生に指摘されるまで非常識さに気づかない? 何歳?
それほど畑を手伝った様子もないのに珍しい野菜は知っている?(都合良く売り場にある?)
上げていったらキリがない。
12に書いたことを批判材料として文中に入れたものが本スレに投稿されていたので、その投稿をコピぺして反論します。
元投稿が長すぎて、全部入れられなかったので、残りはまた後程。
残り部分、あと2投稿ぐらい必要ですが。
元投稿部分を『』に入れています。
2024-12-05 15:32:37名前無し
『「実は…」の後出し4連発・実は、祖父が炊き出しの材料調達に尽力していた(←後出し&ご都合主義)以前母の回想シーンとして描かれた時は、祖父が迎えに来て母子だけ「すぐに糸島に移住した」かのように描いた脚本。父に「炊き出しができるようになったのに(移住やなんて)」と言わせながら、大鍋を拭いているシーンを描いていた。だから、炊き出しそのものを描かなくてどうすると書いた。今週の「炊き出しエピ」を描くために、前回はわざとスルーしたのだ。あざとい!呆。』
↑が何故↓の結論になるのか分からない。
『そういうことをやるから、不自然で、ぶつ切りで、繋がらないのだ。祖父のキャラや言動が破綻したのだ。』
不自然でもなく、ぶつ切りでもなく、繋がっている。キャラも言動も破綻していない。
“米田家の呪い“と佳代が言った<人助け>の精神。永吉は<人助け>で動いただけ。
『てか、「炊き出しができるようになったのに」って、半分じーちゃんのおかげやん苦笑。』
『実は、菜摘母は兄と兄嫁を震災による火事で亡くしていた。実は、皆に気を遣い、そのことをしばらく黙っていた。実は、結母は後から聞いて知っていたが、結たちには黙っていた(←後出し&ご都合主義)』
↑わざわざ娘に言う話ではない。
気を遣った相手は結達ではなくて、美佐江。
愛子が誰から聞いたのか知らないが、本人が自分に話したのならともかく、そうじゃなければ普通、人と話すような話題ではない。
本人が話したとしても私なら自分の口から娘には話さない。
『これで、菜摘母の真紀父に対する「イライラ」を正当化したつもりの脚本って呆。』
『リアル被災者でも、心の復興はそれぞれ。そんなことは皆わかっている。わかっているからこそ、このドラマの【被災者に寄り添わない】描き方を批判しているのだ。時系列に沿って、菜摘母の【悲しみ→自分を奮い立たせるまで】をきちんと描いていたら…。はぁ…タメ息しか出ない。』
寄り添う必要があるのはナベさんに対してだけ?
美佐江も被災者。
美佐江が自分を奮い立たせているからと言って、心の復興が出来ているとは限らない。
ナベさんに苛つくのは、美佐江もまだ傷を負ったままだからである。
『実は、真紀父がアーケード設置に精力的に動いたのは、真紀の思いに報いるためだった。実は、真紀が書いた「賛成」の紙が残されていた(←後出し&ご都合主義)脚本家としては、これが最大の見せ場だったのだろう。だったら尚更、糸島移住した後の結父がアーケード&真紀父のことを気にかけ、床屋の常連から「ナベさんとミサエさんが頑張ってくれて無事完成したで」と聞き、2人に電話をかけるが真紀父の態度はまた…などのシーンを描いておくべきだった。』
何故そんなシーンが必要?
「自分一人だけ糸島に逃げた」ということは、聖人の心の傷になっている。
(糸島フェス打ち上げの大泣き演説。その前にも糸島フェス実行委員の話がきたときに神戸の商店街でのこと~アーケードの話を指してるはず~を口にして、愛子相手に引き受けるのを迷う描写がある。実行委員の話も聖人が返事したのではなく、返事したのは永吉で、聖人は永吉に怒っている。)
糸島という安全な場所に逃げて、ずっと暮らしてきた聖人が自分から被災者達に「どうしてる?」なんて電話連絡をすることなんかできるだろうか。
それこそ無神経。
話をするなら実際に自分も神戸に行ってからでないと、安全な場所から声をかけるなんて申し訳ないと思うのは普通。
ましてやナベさんとはあんな状況で別れ、ナベさんの傷が深いこともわかっている。
『被災者に真摯に向き合う気持ちがある脚本家なら、結父&真紀父の思いをすっ飛ばすなんてしない。』
すっ飛ばしてはいない。糸島フェス打ち上げの時の大演説でどれだけ聖人が後悔、真摯に思っているかを描いている。その前、神戸市の広報を見て思いを馳せているシーンもあった。
『被災者の12年間を軽視するな。こんな状態だから…実は、歩を拒絶したのは真紀を思い出してしまうからだった…まで「後出し感」が苦笑。自業自得である。』
『実は「おにぎり冷たい。チンして」と言ったことを、結は後悔していた(←後出し&ご都合主義)』
後悔していることを口に出せなかっただけではないのか。
糸島編から、結の震災に関する吐露はいつも曖昧で妙だった。
よく覚えていない、まだ6歳…と翔也に言いながら、一方で姉には真紀ちゃんのこと!と強い口調で言ったりする。
つまり、対外的には“覚えてない“ことにして、自分を守ってるのが結。
おぼろげながらの記憶で、「私 まずいこと言ったかも」 とは思っているけれど、 わざわざ自分からは口にしない。
自己保身傾向の強い人にはよくあることである。
『脚本家的、結の見せ場はこれだろう。先日も書いたばかりだ。ハッキリ記憶にあると描いておきながら、』
はっきり記憶にあるとは一度も描いてない。
よく覚えてないと結は言っていて、その辺りの結の記憶がどうなっているかはいつもぼかして描いている。
結の神戸に関する記憶は、いつも曖昧な描写になっており、その部分が私はずっと引っかかっていた。何故曖昧にしておくのかと。(↓へ続く)
『未だに結の思いを描かずに引っ張っていると。悪い予感が当たってしまった。やはり今週の「炊き出しエピ」に絡めて描くために、わざとスルーしていたのだ。あざとい!呆。そういうことをやるから、結のキャラや言動が破綻したのだ。』
↓
破綻してはいない。
結は元々、現実の辛いことから逃げたり目を背けたりする傾向がある。結の神戸に関する記憶の吐露がいつもハッキリしてなかったのは、「冷たい。チンして」をなかったこと(覚えてないこと)にしたかったと考えれば辻褄が合う。
14の続き
↓
https://www.ch-review.net/ochanoma/1597/203
この投稿は↑の続き。これで最後です。
『結だけでなく、他の登場人物も。何かがあったり年齢を重ねたりして起こる変化ではなく、脚本都合や脚本破綻によるキャラ変及び不自然な言動がずっと続いているのだ。』
ここまでの反論で示したように、それは “このレビューを書いた人がそう思っている“という話。
脚本都合は物語の構成上必要なことで、どんな脚本にもある。
ましてや、脚本破綻などはしていない。
キャラ変も納得のいく変化であり、不自然な行動もない。
『また、今まで表に出さなかった言葉や感情が何かのきっかけで出てくるならわかるが、このドラマの場合はそのきっかけが【脚本都合】になってしまっている。脚本家が「謎」のまま引っ張りたい時は出さずに、ネタとして描きたい時に投入しているだけ呆。だから不自然だし、ぶつ切りで繋がらない。』
どんな脚本でもきっかけは脚本都合であり例外はない。
ノンフィクションならともかく、フィクションの世界で人為的以外のきっかけが起こることは有り得ない。
不自然なこともないし、私がぶつ切りと感じた部分は糸島編で2年すっ飛ばしたこと位。
あの2年すっ飛ばしは、登場人物に、すっ飛ばしを自虐させる台詞を入れているくらいだから、脚本家自身、ぶつ切りだと自覚しているのだろう。
あのぶつ切りが、今後のエピで出てくるのかスルーするかで、ぶつ切りの評価は変わってくる。
今はまだ、判断するのは時期尚早。
私が気になっているのは、恵美の存在。
結から恋の対象として見られていなかった陽太に、恵美が近付く場面(帰るので“送って“とやや強引口調)や寄り添う場面(海辺で缶コーヒーを差し出す場面)があった。
2年経っても、陽太が結を忘れられなかったことは分かったけど、恵美はその間どうしていたのか。
今後、恵美が再登場して陽太のことを話す場面があるのかどうか。
(2人が付き合うことにしたとか結婚のエピでもいいんだけど)
結は、永吉との約束もあるから、今後糸島に帰省する可能性もあり、その時に旧友として登場し、高校時代を振り返るようなエピがあると良いのだけど。
『要するに、「回想」の使い方が下手なのだ。上手い脚本家なら、まず本筋で惹き付けることができるし、そこに絡めて自然な形で「回想」を入れることができる。』
私は回想の使い方が、逆に上手いと思っている。
https://www.ch-review.net/ochanoma/1614/42
に書いた感想参照。
『で、「前にこんなことがあった」からこうなっていたのだという、点と点が繋がる形になる。整合性が取れているのは当然として、深みのある人物造形とストーリー展開(+各演者の演技力)で視聴者を魅了することができただろう。』
私はおむすびの人物造形に不満はない。
神戸編になってからのナベさんの描写には、緒方直人さんの卓越した演技もあり、ナベさんが出てくる度に心に刺さるものもある。
他の登場人物についても同じで、聖人、結や歩等は、現在の状況に至った背景がよく分かる。(愛子スケバン時代&聖人との馴れ初めはある?)
永吉も、結や聖人らに対する思いが、糸島を離れる前の畑のシーンで描かれたことで深みが増した。
それと、神戸編で結にカラオケボックスから電話をかけてきたルーリー達ハギャレンの、あの適当な様子。
私的には、結構あのシーンがツボで、自分自身のあの年頃のことを思い出した。
久しぶりに友人同士で集まると、其々が色々なことを喋るんだけど、皆、人の話なんかろくに聞いてなくて、楽しく騒いで時が過ぎて、でもそれで良かった。それが楽しかったと後になって笑いながら振り返れるような時間。
真剣な話は別の機会にゆっくり話せば良いし、其々が勝手に話したいことが話せるような、ホッとするような気のおけない友達との時間。
人との付き合いでは割と距離を持って接することも多かった結も、そういう気のおけない友達を高校時代に得ることが出来たんだなぁと思って、私は嬉しかった。
結やハギャレンの人物造形としても成立していた。
『残念ながら、おむすび脚本(+橋本環奈)には無理だったようだ。「チンして」失言の後悔の描き方…重要ポイントだったはずなのに…今更どうしようもないが。』
おむすびという作品を好まないのは、人の好みなので端がどうこう言うことではないが、この作品の脚本は別に破綻してはいない。
私はそう思って見ている。
△△△
まだ字数が書けるので、>>13に書かれた内容について。
『例えば、ギャルを嫌っていた結が突然「ギャルやりたい」と言って、バリバリのギャルになる。パラパラが楽しかっただけで?』
違う。
震災前の結は、お洒落して着飾ることが好きだった。
その頃の気持ちが蘇った描写がある。
一度、歩の部屋にあるひまわりの髪飾りを自分で付けてみたのが伏線。
その後、歩と和解して髪を結ってもらい、ギャルの服装に身を包んで父に「ギャルやりたい」と話し、今に至る。
『日常的に料理を作っている様子もないのに、いきなり彼氏でもない翔也の弁当を毎日作る。結局、高校時代に自分の弁当くらい作ったのか?』
自分の弁当は知らないが、翔也の弁当は、佳代に教えてもらって作り始めた。
自分のご飯より彼氏のご飯。
人に食べてもらう喜びが結に弁当を作らせた。(台詞がある)
『弁当差し入れをコーチに否定されてから、2年間すっ飛ばして、いきなり栄養士を目指す。理由は彼氏を支えるために?』
それしかない。
何かを目指す動機として、あの年頃の女の子では彼氏は一番の動機。
『なのに栄養士学校のことは何も知らずに(調べずに?)、調理実習のある日にバリバリギャルメイクと付け爪で登校する?(親も黙認?)』
そこが結の結たる所以。
結は、基本的に深く物事を考えない。
愛子の黙認は、学校でどうせ言われるだろうから自分で気付け!だったかも。
聖人は注意していて、でも結は反論してるので、どうせ言ってもきかないと思っていたんだろうと。
『先生に指摘されるまで非常識さに気づかない? 何歳?』
結の浅さ、考えの甘さを現している人物描写。
18歳ぐらいだと、実際にも時々そういう子はいる。
脚本家のギャルに対する認識がそうなのかもしれない。
物事あまり深く考えてないよな~みたいな。
『それほど畑を手伝った様子もないのに珍しい野菜は知っている?(都合良く売り場にある?)』
都合よく売り場にあったのは脚本都合だろうけど、畑は小学?~中学時代にはよく手伝っていたと何度か台詞に出てくる。
選別作業はハギャレンと付き合い始めた頃も行ってる描写が何度も。
ハギャレンと距離をおいた時、土日に畑仕事をしている描写もある。
「農業を継ぐ」と言った一時期は登校前に農作業。出荷の手伝いもしていて、将来が楽しみと近隣の農家の人が結のことを聖人に話す描写がある。
ものすごくムキになって反論してるけど、他人の感想は変えられませんよ。
あの長文を読んで思ったのは「めんどくさっ」だけ。
あのドラマをつまらないと感じている者にとっては、あの長文もつまらない。
私は自分の感想を書きたかっただけで、論争するほど「おむすび」に執着してないので、二度とこのスレには投稿しません。
本スレもお茶の間も長文過ぎるのは読んでいて疲れます。というか途中までしか読まなくなりました。もう少し簡潔にまとめてもらえたらと思います。
なんか…すごい勢いで一生懸命書いてくれたみたいなので対応しますが…。
>不自然でもなく、ぶつ切りでもなく、繋がっている。キャラも言動も破綻していない。
→そう感じるか否かは人それぞれなので、どーぞそう思っていればいいですよ(*^-^)
ただ、わざと歪曲しているのか、読解力理解力の問題なのかわかりませんが…感想の【読み違い】がありますね。あと、放送内容の【誤認】も。それらだけは指摘しておきますので、よく確認してくださいね。間違った認識のままでは反論にもなっていませんし、議論もできませんので。
>気を遣った相手は結達ではなくて、美佐江。
→??美佐江が皆に気を遣って、しばらく黙っていた…と描かれたという話。母が結達ではなく美佐江に気を遣った??話などしていない。
>寄り添う必要があるのはナベさんに対してだけ?美佐江も被災者。
→??…だから、その被災者である美佐江に対して書いたのだが…よく読んでくださいね。
>糸島という安全な場所に逃げて、ずっと暮らしてきた聖人が自分から被災者達に「どうしてる?」なんて電話連絡をすることなんかできるだろうか。
それこそ無神経。
→誰がそんなことをしろと??…よく読んでくださいね。
>ましてやナベさんとはあんな状況で別れ、ナベさんの傷が深いこともわかっている。
→あんな状況で別れ??ではない。「過去を小出し?にする手法」なので、結父の糸島移住前については何も描かれていない。時系列通りに描かないと、こういう誤解をする視聴者が出てしまうという適例。
>すっ飛ばしてはいない。糸島フェス打ち上げの時の大演説でどれだけ聖人が後悔、真摯に思っているかを描いている。
→誤認。自分が神戸のために動いたことで、家族を放ったらかしにしてしまい、そのせいで歩が不良になってしまった(←聖人はそう思っている)という後悔と苦悩を吐露した。移住してからの真紀父への思いを描いたシーンではない。
>その前、神戸市の広報を見て思いを馳せているシーンもあった。
→これは以前にも書いたが、震災1年後のシーンで、1回きり。
>はっきり記憶にあるとは一度も描いてない。
→誤認。河童に語るシーンで、家の倒壊と「チンして」のやり取りは、結の記憶として描かれている。
>どうしてやる意味がないのか。
「大量調理は今後あちこちの職場に行った時にやるので、本当は2年になってからだけど、少し早いけれどもやってみましょう」と先生が言っていた。
→ドラマとして描く意味がなかったということ。全てドラマにおける描写についての話をしているのに…根本からズレているので話にならない。
>後悔したら同じことは繰り返さないというのは単なる理想。
結が理想通りではないからと言って 整合性がないということにはならない。
→??そんな話はしていない。
>過去エピを回想で出したからと言って、そのことで整合性を語るのはおかしい。
→意味不明。そのことで整合性を語るのはおかしい??どのことでも整合性がなければ破綻脚本である。
>ここまでの反論で示したように、それは “このレビューを書いた人がそう思っている“という話。
→読み違いと誤認と、超好意的解釈による脳内補完であることは充分示していたが…全く反論にはなっていない。
>どんな脚本でもきっかけは脚本都合であり例外はない。
→脚本都合の意味を誤認している。
>不自然でもなく、ぶつ切りでもなく、繋がっている。キャラも言動も破綻していない。
→まさに「それは “このレビューを書いた人がそう思っている“という話。」であるが、その判断材料として書いた内容は“妄想と誤認によるものだった”という話。
>本スレでおむすびを批判している人は、ドラマを見ずに批判している
→そう思いたい気持ちはお察しします。皆さん脚本の破綻ぶりに対して的確な批判を書かれていますから。それより、まずは自分がしっかりドラマを観ることから始めましょう。復興担当職員が誰かもわからないようでは話になりませんよ。あと、別のところに書かれた内容は規約違反なので、以後やめるように。
18へ
脚本破綻を理由にしてるようですが、前作では大絶賛して、今作では毎日煽るような長文批判も、また違反に近いと思って読んでいます。
19へ
そのような事、朝ドラでは昔から普通にありますが。反対も然り。
違反投稿でない限り、他人の投稿に対してああだこうだと言うのはいかがなものかと思っております。
私などはそちらの方がよほど違反じゃないかなと思いますね。
違反だとは書いていません。
※ファン同士の対立を煽るような書き込みは行わないでください。
これに近い状況が昔から蔓延しています。
前作ではくそみそに叩いていた人が今作では大絶賛しています。
お互い様だと思います。人の振り見て我が振り直せ。
19の投稿内容について
ドラマを見て、良い部分は称賛し、悪い部分は批判する。それのどこが「違反に近い」のか説明できますか?
「大絶賛」というのは19の主観です。が、大絶賛は違反ではありません。
「煽るような長文批判」も19の主観です。が、長文批判は違反ではありませんし、煽りでもありません。
※ファン同士の対立を煽るような書き込みは行わないでください。
→コレに触れているものは最近もありましたね。「おむすびを批判する人たちはドラマを見ていない」というのが。
私は前作も今作もしっかり見て、自分の感想を書いているだけです。
★ガイドラインに沿った感想に対して「違反に近い」と書く行為こそ煽りに感じますし、19の投稿内容はこのスレの禁止事項に当てはまります。
今後はこのような投稿は控えてください。
先に対応していただいた方に、お礼申し上げます。
19~23
ローカルルール違反です。
このスレは、作品の内容について議論するスレです。
利用者投稿者について議論することは禁止です。
感情的な書き込みも禁止です。
続きは他スレで行って下さい。
19~23の内容は、「朝ドラレビューはなぜ荒れるのか?」スレが適当だと思います。
本スレ投稿より抜粋転載。
2024-12-20 11:17:13 名前無し
■虐げられ我慢してきた聖人
「つけあがる」とは…相手の寛大さにつけこんで、やりたい放題すること。寛大さを、弱さや優しさや立場の違いと置き換え、使われることもある。ドラマに、つけあがる人物を描くのはアリ。例えば…
・客と店員という立場につけこんで、横柄な態度を取る客
・他の友達にはそんな態度を取らないのに、大人しい友達には上から目線の人間
・黙って従っているのをいいことに、部下を「シモベ」(←あえての表現)のように扱う上司
…等々。
どれもドラマでよく見るパターンだ。決して気分のいいシーンではないが…それがドラマにとって必然性のあるシーンなら描くのはアリ。つけあがっている人物に対して、ガツンと言ってくれる人物を登場させるとか…つけあがる人物を反面教師として、主人公の成長を描くとか…。描き方次第で、視聴者の多くは好意的に見るだろう。それこそ、結がガツンと言えば、困っている人を放っておけない「米田家の呪い」にもピッタリだ。
描くのもアリだが、「つけあがる人間は嫌いだ」とか「これ以上つけあがらせなくてよかった」等の感想も当然アリ。「つけあがる」という行為自体が、相手を見下したりナメたりしているわけで…。だから、つけあがっている人物やその行為を批判する感想は、見下すことを批判しているに過ぎない。逆の意味に捉えているのか、言葉狩りなのか不明だが…「つけあがる」を違反ワードと言うのは間違い。つけあがる人物に性別は関係ないので、女性蔑視にも当たらない。
話を戻そう。上記3例の場合、「つけあがっている・見下している」人物=強者に対して反感を抱き、「我慢している・虐げられている」人物=弱者に対して共感なり同情なり応援なりをする視聴者が多数だろう。これが理解できなければ、脚本家の資質ナシ。
ここからが本題。では、おむすびにおいて脚本家は、聖人と愛子をどう描いてきたかというと…
・「あなたは何もわかってない」「余計なことを言うな」「愛子さんに任せておけばよか」等、愛子や祖父母からの【お前は黙っとけ圧】を受けていた聖人
・娘の前で、妻からプロポーズを暴露され、笑われ、居たたまれなくなった聖人
・翔也への助言で「(夫婦円満のコツは)我慢と謝罪」だと言った聖人
…等々。
対等な関係ではなく、聖人を弱者、愛子を強者として、【虐げられ我慢する聖人】を描き続けてきたのは他ならぬ脚本家自身なのだ。
△△△
私は、愛子が付け上がっているとは思いませんし、そういう描写があると感じたこともありません。
聖人は弱者でもなく、虐げられてもいません。
年頃の娘の気持ちに対する理解や配慮が充分とは言えなかった父親です。
その父親に対して、理解や配慮が足りない部分に意見したり諌めたりしていたのが、愛子であり永吉であり佳代です。
愛子と聖人は対等な関係の夫婦にしか見えません。
お互いに、言いたいことを言い合っているように見えます。
愛子に対して「我慢や」と言ってる聖人の台詞がありましたが、愛子に聞こえるように言っており、あれは軽い嫌味のような台詞です。
また、パートナーとの人間関係に於て、互いに口が過ぎることはよくあることであり、互いに口が過ぎる、という日常的な状況は、夫婦が対等な関係であることを示しています。
更に加えると、愛子は嫁であり、永吉と佳代にとっては血が繋がらない他人。聖人は、永吉と佳代の息子です。
一般的に、息子より嫁の肩を持つのは、嫁が疎外感を感じないようにする為の家庭円満の秘訣でもあります。
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