5 | 457件 | ||
4 | 78件 | ||
3 | 40件 | ||
2 | 27件 | ||
1 | 109件 | ||
合計 | 711件 |
このドラマの価値は前半より寧ろ後半にあると思います。決別の涙で恋から愛に成長した恵の女性としての心の描写が、共感ではなく胸を打つからです。
恋に恋する女性も十代まで。愛する人に巡り会えた恵は本当に幸せだと思います。
拓人と恵のふたりを見ていると、人間の優しさとは強く生きることなのだと改めて教えられた、美しく
素敵な、そして素晴らしいドラマだったと私は思っています。
確かに恵目線で見ると後半は見ごたえがあったのかもしれませんね。
氷水バケツリレー行われてますね。ツイやどこそこで「三浦春馬の僕のいた時間の病気…」と書き込まれているのを観てこれこそこのドラマが作られた意義があったと思います。
良い作品でしたよ。今でも良く観ています。「生きてる」って幸せだな~と思いながら…
構成(序破急)からの私的解釈
この(僕のいた時間)を鑑賞する上で最も重要となる場面は、第6話の拓人と恵がスポーツセンターで数年振りに再会して、恵が新居の床を水拭きしながら
泣くシーンである。(序破急)の(破)のはじまりであり
、若いふたりが相思相愛の恋人たちだった(序)をある意味否定して、作者(橋部敦子)がこのドラマで描きたい本音が表れてくる。
拓人が自分も介護するA L S の難病に冒されていたこと、自分は繁之と婚約し新生活がはじまる、この対比は実に残酷であり、物語のヒロインに課す試練としては男の作家にはちょっと描けない、女性作家ならではの大胆さと厳しさがある。そしてここで流す涙の意味合いがドラマ全体の理解に結び付くのだ。
恵を想い難病を隠して別れた拓人に、再び恋しさが募る感情と、本当に自分のことを愛していたなら何故病気の事実を言ってくれなかったのかの気持ちと
、自分は恋に夢中で拓人のことが見えていなかった自責の念が、恵のこころを押し潰す。
繁之が拓人の病気を知っていたことが、最終的に恵に婚約破棄の行動をとらせる作劇のルーティンは納得出来る。が、それ以上に恵を変えたのは男の嘘に対する女の性(さが)であり、それは第8話において恵と拓人のぶつかりあう会話シーンに見事に表現されている。(破)のクライマックスと言っていい、このドラマで作者が最も言いたかったテーマが三浦春馬と多部未華子の名演により、まるで名舞台を鑑賞したかの感慨に導く。
ここで100年前のあるサイレント映画のお話しをさせて下さい。舞台はアメリカの片田舎、二人の青年と一人の女性がいました。三人はいつも一緒に仲良く生活していました。青年たちは友達同士ながらそのひとりの女性に好意を持っています。女性は優しいふたりの青年が好きでしたが、あるとき青年のひとりが田舎の生活に不満を感じ夢を実現させるため都会に行ってしまいます、実はその青年が女性の本当に好きな人だったのです。月日は流れ、都会に行
った青年の音信も途絶え、田舎に残った二人は結婚し子供にも恵まれ幸せな生活を送っていました。そこへ突然夫に、都会に行った青年から田舎に帰る知らせが入ります。妻になり母になった女性は夫に悪いと思いながらもこころのときめきを抑えることが出来ません。そして、三人は昔のように出会い仲睦まじく楽しい時を過ごす筈でした。ところがその青年は変わってしまっていたのです。派手な都会的服装に、キザな話し方、女性は期待した分表には出さないものの大変落胆してしまいました。
ラストシーン、再び都会に向かう青年を見送りに来た夫がその青年に声を掛けます、ありがとう、と。
これは男の友情物語として、シンプルで美しいお話しだと思います。(昔読んだ淀川長治さんの本にあったもので映画は観ていません)夫は妻の気持ちを分かっていたんです。でも自分が幸せにしてあげたい思いが強く、友人に嫌な男を演じるようにお願いし
、青年も女性の幸せを望んで嘘の芝居をした、というお話しでした。
ただこれを妻の立場で見たならば、違う考え方、いろんな捉え方があると思います。
恵にとって拓人は、自分が愛する人と決めた初めての男性であった。不自由な車椅子生活に弱音を吐かず、つねに前向きに生きる姿をみて、拓人の世話をすることが拓人を愛することと結び付いて行く。澤田拓人像は作者(橋部敦子)の理想とする男性であろう。しかし恵には、女性の理想を求めていない。そこがこのドラマの好みの別れるところだと思う。
作者は陽菜の存在を通して拓人と恵の愛の成長を見守り、また応援している。
女性の愛を受け入れるに相応しい男になりなさい、と言う作者(橋部敦子)の男性応援メッセージとして捉えれば、(破)は女性より男性が観て感じなくてはならない、優れた愛のドラマだといえるだろう。
構成(序破急)からの私的解釈 2
前回(破)の説明に力が入りすぎて(急)の話しに言及出来ずに終わってしまいました。今回をもってこの(僕のいた時間)についての感想と礼賛は最後にしたいと思いますので、関心のある方お読み頂ければ幸いです。
谷本医師からA L S の宣告を受けてからの澤田拓人が悩み苦しむ、また難病ということでは自暴自棄になる、もっと言えば運命を恨む修羅場のような、描写が少ないとする印象は極普通の見解だと思います。私は第3話の谷本医師に詰め寄るような独白に、(これも三浦春馬の名演があってこそ)まだ澤田拓人はこころが完全に折れていないと思いながらも、その後の言動が模範的過ぎると見ていました。難病に冒されながらも挫けずこころ強く、生きる目標を見失うことなくつねに前向きに、こんな立派な青年がいるだろうか。ここで(序)における、キャラクターを演じる拓人の性格表現が意味を持って来るのです。
(破)は、そんな本当の自分を隠して健気に頑張る拓人を愛する恵によって、拓人のこころが初めて開放されることを表現している。しかしそれだけでは足りない。
(急)は第10話と最終話において、拓人が人工呼吸器を着けるか着けないかの選択を扱い、この人間の尊厳に関わる大変デリケート且つ難しい問題を真摯に描いている。私はその第10話の最後に、拓人が呼吸筋が衰えて人工呼吸器装着の覚悟を迫られた苦しいこころを涙ながらに言うひとつの言葉(だから、全力で今を生きようって決めたんだ。自分で呼吸ができなくなるまで)に、全てを理解した。そしてこの(僕のいた時間)を観て来て初めて涙を流す自分がいた。その涙を止めようとはせず、こころのままに流れるようにしばらくそのままにしていた。
拓人は病気と闘うすべとして、キャラクターを演じること、呼吸器を着けるまで目標を持って生きることになっていったのだ。
テレビドラマは普通一回しか観ない人たちがほとんどだと思うけれど、後の回から見返すことでより作品の本質にたどり着けるものもあります。
(僕のいた時間)は(序破急)それぞれに見所があり、それぞれの関連性が緻密であり、そして作者(橋部敦子)の人間愛の太い糸で確かに繋がれた人間讃歌の美しいテレビドラマだったと、私は確信しています。
違和感だらけの残念なドラマ。
まあいろんな見方があると思います。
私も単純なのでこのドラマには何度も涙しました。
だけどどうしても高評価はつけられなかった。
私にも小学校高学年にして唸ることしかできない(しゃべれない、意思の疎通もできない)、這うことしか移動手段がとれない重度の障害がある子供を身内に持っているので。
親のしんどさもいやというほど見てきたし現実には金銭的な問題だってあるし、ドラマなんだからそんな表現は要らないんだと言われそれも理解しつつもやはりどうしても納得しきれないところもあり…。
自分だって泣いたしこの感動的な良いドラマを素直に絶賛したいのにその子を思うとどうしても高評価にできませんでした。
、、きっと私みたいなのは少数派でしょうね。
全く知らないわけでもない、かといって当事者というわけでもない自分みたいな立場だからこんなもどかしさを感じるんでしょうか。
本当にもどかしくてしょうがない。
私も絶賛はどうしてもできないです。すみません。
真面目な人ほど考えてこんでしまうのかも。
現実に苦しんでる人のこと思うと単純に感動できない、というか。
もちろん素直に感動していいんだけど。
病気ものだからそういう人がいても当たり前だよね。
私だってこのドラマいいドラマだと思うけど
「綺麗事」「偽善」という感想だって作品としてのこのドラマの
一端をちゃんと捉えていると思う。
言葉的にきついから反発しがちだけど他に適当な表現がないん
だから仕方がないよ。
どこをチョイスしてどういうテイストで見せるか、という問題
でしょう。これで正解な人がいても違うという人がいても当然
ですよね。
ドラマが終わって半年…。まだ感想が書かれることに感動します。とっくに忘れられても良いのに感想は続きますね。何かしら皆さんの心に何かが伝わった。十分にドラマは役割を果たしたと感じました。拓人の苦悩や恐怖。悲しさ、悔しさをひっくるめて尚も前を向くこと。なかなかリアルには難しいから、その姿に元気もらえるような気がしました。こんなドラマは最近なく心に残った良い作品でした。このドラマに限らず人は誰しも頑張ってる姿に励まされ、自分もまた歩き出すことが出来る。…それぞれの時間の中で。いろんなこと考えられて良かったと私は思いました。
素敵なドラマでした。ありがとう。
賛否わかれるアイスバケツリレーで、ALS が、また注目されて。
どんな病気でも、病気は病気。
誰も、病気になろうと思って病気になる人はいません。
私も、癌患者です。
だけど、明日、死ぬわけでは、ありません。
みんな、明日どうなるかわからない、そんないのちを、いま、生きています、
拓人の名台詞「死にたいわけじゃない。生きるのが怖いんだ」 そんな想いを抱えて、それでも、人は生きていく。
一人じゃないから。
拓人に恵が居てくれるように。
私も、家族が居てくれて、ありがとう。
そう思えるドラマでした。
ドラマ。本当に沢山の感動をいただいたドラマでした。
そしてまた、、現実にこの病気や、また他の多くの病気と向われていらっしゃる方々に、「どうか頑張ってください」と、心からお伝えしている声が、映像から聞こえて来るドラマでした。
残念ながら、胸に響いてくるものなど無いドラマでした。
このドラマに出会えて良かったと思わせてくれる作品でした。難しいテーマでしたが、健常者の私に「一生懸命生きなきゃ」と思わせてくれたこの作品を忘れません。
主役の演技力は素晴らしかったと思います。
だからこそ、語り継がれるような名作にするためにも
詰め込みすぎで中途半端な脚本が残念でなりません。
そのせいか、途中で脱落した人も多々いたし
このドラマでALSを知ってもらうというには視聴率的にも及ばなかった。
賛否両論の氷水バケツのほうが、話題性があるというのも皮肉です。
この作品は、テレビドラマ史上に名を残し、永遠に
語り継がれる名作になるでしょう。
2011年のあの震災を経験したわたしたち日本人にとって、いま最も必要としている、生きることの、生かされていることの、ひとりでは生きて行けないことの、人を愛することの、とても大切なものを優しく語り掛けた作品でした。
バブルが弾けて、新自由主義経済が支配したお金が全ての価値観に、自分さえ良ければいいとする社会になってしまった今だからこそ、この作品にめぐり
会えた意味は大きいと言えるでしょう。
名作なんて ほど遠いものだと感じます。
大切なことが中途半端にしか描かれなかった駄作だと思います。
大切なことが丁寧に描かれていました。きちんと取材され真摯なメッセージがあったからこそ、多くの方々から指示され、評価も高かった。ドラマが終わって随分立つのに感想があること事態、凄いことです。いつまでも心に残る作品でした。
自分にも若くして亡くなった障害者の身内がいる。
そういう人は一定の年齢になればたくさんいるだろうしそのなかには複雑な思いでこのドラマを見ていた人もいるだろう。
批判する人のなかには本当に怒っている人だっていたかもしれない。
少なくとも春馬くん含め制作サイドはマイナス意見の方も真摯に受け止めてくれていると思う。
この病気以外のたくさんのまだ認証もされてない難病の方たちに早く有効な治療が行われるようにこのドラマを生かして活動してもらいたい。
ただ感動した、で終わられるのだけは許せない。
それは偽善だ、と自分は思う。
このドラマから得たものは、ただ感動した…それだけではないと思います。何に感動したのか…皆さんの心を揺さぶり、いろんなことを考えることが出き、あらためて様々なことと向き合うきっかけとなった。だからこそ感動をありがとう。となるのではないでしょうか。私を含め皆さんが、人との繋がり、「生きる」とは。深く心に響いたからドラマを見る前の自分と、見たあとの自分が少し変わったことに気づいた。ただ感動した…だけでは、これほど心に残ることはありません。ドラマの終了と共に忘れて、感想を書くこともないと思います。見ることができ感謝しています。
感動をありがとうと思えた人達ばかりじゃないってことは
よくわかる。
感動を貰えた人は、それはそれでいいけど
決して、そうじゃない人もいる。
そのことはこのレビューを見たら、よくわかった。
感動に浸ってるだけでは何も得てないのと同じ。例えばそれは被災地の惨状を見て涙する、救出活動を見て感動して涙する、その数時間後には何もかも忘れて温かいご飯を食べている。…確かに自己陶酔、偽善と言われても仕方ないと思う。
それから何かを得た人が実際に被災地に出向いてボランティア活動をしたり募金をしたりしている。何かをしなければそれはただ涙を流してスッキリしただけ。暖かい部屋で美味しいご飯を食べている私たちはそれを自分に戒めるべきなんじゃないのかな。
自分には何ができるのか、今治療費も自己負担で薬もない難病の患者さんが難病認定されるために日本中で活動をしてるのをニュースで見た。まだまだ何も知らない。まず知ることから始めたい。
自分には何ができるのか考えないといけない。
泣いてる場合じゃないんだなと思ったよ。
ずっと観たかったドラマでした。
保さんの、一言ずつの言葉や、優しい笑顔も心に焼き付いています。
拓人さん兄弟のご両親が、悩んで、気付き、乗り越えた時の涙も本当に綺麗でした。立派なお子さん。でも、育てられたのはこのご両親なのですよね~。
今の私の生活や、心の現状にとても重なるところがあって、いっぱい感動をもらった作品でした。
今まで、まったく感動しなかったドラマも幾つかあるけれど、それでも、また自分の生活や心に変化があった時に、そのドラマを思い出して、蘇るものがあったら嬉しいです。
「僕のいた時間」この感動と勉強させてもらったことを、これからの人生に繋がせてもらえるように、大切にします。
デトックスドラマ。
涙を流して心が綺麗になったような錯覚に陥る。
感動して涙を流し自己陶酔する。
いや、これは自分のことです。
最近絶賛コメにすごく違和感を感じます。
批判じゃないです。
うまく言えません。
もどかしいです。
これでいいのかなって。
そういう風に考え込んじゃう人は真面目な人なんだろうな。
絶賛できませんとはっきりとコメントしてる何人かは☆をあえてつけてないですもんね。きっと良心的な判断なんだと思います。
私も実は最終回からずっとモヤモヤしてます。
でもこうやって病気もののドラマの捉え方について悩んだりドラマでは描ききれなかった現実の厳しさみたいなものを考えたりする事が意味のあることなんだろうと思います。
私も☆はつけません。今更無意味だし自分は5も1も3もつけられないから。☆がどうしてもつけられない複雑な心情の人は私以外にもたくさんいるんだろうな、と思います。
良いドラマを観て、感動して涙して、それが普通なんじゃないのか。
つまらないドラマみて、見た後何も思わずすぐ忘れる物よりよっぽどましだ。
たかがドラマ、されどドラマです。
だけど泣かせられたらそれで良しでもないよ。
感動する人、疑問に思う人、捉え方で悩む人、いて当たり前。
そのどれもが「普通」だと思う。
人それぞれの感想なんだから
星5に疑問とか星1がどうのとか別にいいのに。
その通りだけど☆5がどうのとか☆1がどうのとかという話じゃないと思います。
ただ☆がつけられないという個人的な感想でしょう。
別に☆がいくつへの批判とも思えません。
個人的には同意する部分は大きいです。
こうやって議論できることに意義がある。同意です。
星評価してもしなくても自由ですよ。
高評価も批判も星評価無しも、個人の価値観に裏打ちされた正直なものなら、全て尊重したい。
世の中には色んな人がいるということを知る事が大人になるということを持論としてきた私は、色んな人が作品をどう観たかの感想を知る事がとても勉強になります。勿論自分のと似た感想には嬉しさを感じますが、それ以上に自分では気付かなかったところを指摘した意見に感心し、より作品を深く理解する喜びを得たいと考えています。
その感情の振幅が大きいものが、いい作品ということではないでしょうか。
その後のみんなを知りたいのでスペシャルを期待しています。
拓人が一生懸命に今を生きる姿が忘れられません。
拓人が教えてくれた[生きる覚悟]は忘れようとしても忘れられません。自分が生きている限り、挫けそうになったり逆境に会おうが、このドラマを思い出して、弱音を吐かず前向きに生きる覚悟です。
ドラマは架空の物語でも、私のこころのなかでは、拓人とメグが今も生きています。
記憶に残っていることも意味があると思いますよ。
これからの、人生経験を積み重ねる上で、いつかきっとどこかで、このドラマに感化されたことを振り返って、自分らしい生き方を見つけられると思います。
拓人とメグ、そしてふたりを見守る人たちの優しさや思いやりを忘れない限り。
このドラマで多部ちゃんが好きになりました。
三角関係とかいらなかったと思うし大学受験とか出来すぎだと思ったし詰め込みすぎて肝心なところが中途半端に思えた。
雨の中、倒れていても誰も助けないとか行きすぎた描写も好きになれませんでした。
桜を見ると思い出します。深く刻まれたメッセージを胸に私も一歩一歩、歩いています。前に…前にと。良い作品でした。私の応援歌です。
久しぶりにきてみました。今期のドラマも見てますが、ここの評価の高さにはどれもおよばない。今さらながらに「秀逸」だったことがわかります。拓人は素晴らしかった。ヤフーの感想欄にもまだ沢山の方々が残り感想がたえることがないんです。三浦春馬さん本当に名演技でした。最近は舞台にお忙しいのかな。映画「進撃の巨人」楽しみにしています。またテレビでお会いしたいです。「僕のいた時間」後世に残る名作でした。
ただただ素晴らしい
残念なドラマでした。 前半は良かった。
でも結果的にご都合主義と綺麗ごと過ぎて受け入れられませんでした。
?陸人君がねどうしようもない憤りに感じていて、彼は誰にも苦しみを分かってもらえず苦悩するのが痛いほど分かっていた。私には共感できたのは彼だね。メグはいくらなんでも先輩とかに変わるしね。これはどうしても本当になんともいえないご都合的なものを感じてしまってね。かなり私はどんな気持ちで見ていたんだろうか。三浦さんか演じていたのは感動したのはとても印象にはあります。
でもどうしてもなぜか気になってしまうのがありいまいちとなりました。
すみません。複雑なのにつけてしまって。私にはどうも煮え切らないドラマでした。
私には、とても大切なドラマです。「今を生きていますか?」私にいつも問いかけてくれます。青青とした木々。風がふくと音をたてながら揺れていく。鳥の鳴き声も、真っ青な空も、「どうか生きて」と力をくれる。拓人が生きる覚悟を決めた時、涙がとまらなかった。拓人と同じように病気になり、悩み、共に生きることを考えさせられたドラマだった。忘れることのない宝ものです。
これを放送していた時は、ALSという難病に関するドラマなので避けていました。またここで評価が上がっているのを見かけ最初から続けて見るのは辛そうなので、とりあえず、3話(物語としても話が少し進んで、でもまだ、辛過ぎないだろうという予想のもと)だけ見てみました。
診断された時の様子や、その後の不安、否認、怒り、譲歩などを医師にぶつけるところが、とても嘘とは思えない演技でした。
また、医師役をされている吹越満さんの患者に対する態度が、きちんと患者の話を聞き、いい加減ではなかったところ、かと言って同情的になるようなこともせず、医師としてあくまで冷静に対応されていたのが印象的でした。
全話を見る勇気がまだないので、3話だけの評価、とてもきちんと作られたドラマだと思います。
このドラマ浅い。詰め込みすぎ。いいにくいが綺麗事でしかない。
難病のALSをきちんとかいていない。
アスペルガー症候群であるはず弟をなぜうっとうしい性格の子みたいにしたんだろうか。
彼はきちんと見なかったらその事は分かってもらえないよ。きっとね。それが許せない。言いにくいが。
それがドラマだからとはいえできなかったから。言いにくいが群像劇になったから。
とても意味のあるドラマだった。でも感動とは違う。自分の背筋が伸びる感覚。
何年たっても、何回見てもこの作品に関しては同じ感動がよみがえってきます。
AlSについてもきちんと取材され、丁寧に作れたものでした。
○サイトのドラマ終了評価は、4、5。見た方々で評価する満足度大賞にも選ばれ、三浦春馬さんはこのドラマで、ギャラクシー賞をも受賞しています。ここの評価もご覧のとおりです。
AlSの進行などもよく見ていて、足のつりから手の上がり具合まで細かく忠実に演じられました。
この作品はオリジナルですが、拓人を演じるにあたりアドバイスをくだったAlSの患者さんもいます。
このドラマは説明台詞がないために、ながら見や、一回見たくらいでは、わかりにくく私などは、感想欄で教え貰ってもう一度見て、「あーそうなのか」と理解し、また新たな発見があるという繰返しでした。
私が拙いながらも感想を書き始めた感慨深いドラマでした。
陸人のことは、「。。。な陸人」とは言ってますが、はっきり「アスペルガー」とは断定していないのです。が、似たところありますよね。
あってもなくても、人の気持ちがわからない、こう言ったら、相手がどう思うのか察することが難しい。人と接することが、どうも苦手だという人も、含んでどうしたらよいか考えるきっかけを、私達に陸人をとうして与えてくれているのかなと、私は理解しています。(マア目に見えるものと見えないものとの対比として描かれているんですけどね。)
6話で陸人が大学生に行かなくなって2ヶ月という場面が出てきます。夜、兄の着替えを手伝った後、陸人は「助けて」と泣いてしまいます。拓人が親身なって話を聞いてあげます。お兄さんですね。
「相手が不愉快そうで、しまったと思うことも何でかわからない時もある。友達を、怒らせてしまったけど、母さんが解決してくれた。中高は進学校で一人でいることが多かった。大学生のゼミになり、みんなと関わる時間が長くなると、居ずらくなり、どんどん苦しくなり、もうどうしていいのかわからなくなって、ずっと母さんのこと悲しませないようにしてきたけど。僕、頑張ったけど。」
と、自分の気持ちを吐露するシーンがあり、それ以来、拓人が陸人の好きな恐竜博物館に連れて行ったり、さりげなくアドバイスしたり、フォーロしたりして助けていましたよ。
父や母にもそれとなく取り持ち、陸人の口から家族に話し合いをして、分かってもらえました。
陸人がバイト行く時などは、陸人みずから自分の「取り扱い説明書」を作りバイト先のみんなに配ったら、「君、面白いね」って話かけられたと陸人が、大喜びしていた場面がありました。
陸人は、最初はモヤモヤするばかりだったけど、拓人の病気が重くなり、手伝ったり、付き添っているうちに、目標を持って懸命に生きる兄を見て、変わっていったのかも知れません。
本当に見返すほどに、素晴らしく、秀逸な作品だとしみじみ感じます。
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