5 | 17件 | ||
4 | 2件 | ||
3 | 12件 | ||
2 | 5件 | ||
1 | 19件 | ||
合計 | 55件 |
読み | おーどりー | |
放送局 | NHK総合 | |
クール | 2000年10月期 | |
期間 | 2000-10-02 ~ 2001-03-31 | |
時間帯 | 月曜日 08:15 |
脚本家が大河ドラマと同一人物に因んで再放送されているだけで
再放送される価値があるのか理解できない。主人公が平凡で精彩がなく魅力なし、
一代記なのか時代劇なのかテーマがハッキリしなくてこれからの
展開に期待できない。今活躍しているベテラン俳優の若き日の姿を楽しむだけ。
これは…他の時間帯のNHKドラマ…今で言う夜ドラとかBSドラマでやってれば成立したかも知れないが、朝ドラとしては失敗かなあ。
人が大事にする価値観や信条といったものの支点、ベクトルの位置がどうもおかしい。
樹里さんは人気役者として輝き続ける事に命をかけていたんですよね。だったら体調管理に人一倍気をつけて怪我や病気のないようつとめる、なったら1日も早く治してから現場に立つ。それがプロであり、自分を輝かせてくれるファンへの何よりの礼儀。なのにドラマ撮影を優先し、すぐ手術すれば治ったはずなのに手遅れとなり死んでしまった。プロ意識の欠如、ファンあってこそ自分の栄光があるという感謝の視点、女優にあって然るべきものが無かったとしか思えない。
美月は滝乃さんに育てられ20数年、それで愛子さんは美月の生みの親なのにまともに母らしくふるまう事を制限されて来たんですよね。ならば滝乃さんが麻生裕二と添い遂げ椿屋を閉めるとなった時、美月は実母の立場も考え「20数年おかあちゃま(滝乃さん)の望みを叶えたから、今度はママ(愛子さん)の望みを叶える番や」と愛子さんと一緒に暮らそうとしなければおかしい。愛子さん本人が悔いているように美月が生まれ滝乃さんの手に渡った時、断固No!と言えなかったのもいけないが、滝乃さん本人が美月の元を離れると決めた以上、血を分けた娘ならお腹を痛めて生んでくれた愛子さんに感謝し、寄り添うのが普通の感覚。いくら椿屋で育ったとはいえ、どうして本当の血の濃さよりも育ての親の思想を継続させるほうを選ぶのか、美月の思考がさっぱりわからない。
家出したり椿屋が嫌いと言いながらなんだかんだ間に立ってくれる弟の梓、接客業は笑顔と愛嬌やと良い事を言う晋八など良い面も有るがそれ以前に大事な何か、人として重要なベクトルがズレている。
本放送のあと長らく再放送されず、陽の目を見ない朝ドラを掘り起こしてくれるのは本来ありがたい行為なのだがオードリーに関しては眠らせたまま、伝説扱いにしておいたほうがドラマも視聴者も幸せだったのではないか。
TVドラマ「ルーツ」が話題を席巻し、「スター・ウォーズ」がアメリカで公開された昭和52年。
自分の育ったルーツ・アメリカを巡り、自信を取り戻したパパ・春夫さん。それに当たられたように梓まで活気に満ちて帰国、曜子とデートするほど開放的に。梓がアメリカでのパパの仕事は賞賛に値するとまで言うのだから、春夫さんの建築設計の腕は本物、そのままアメリカに留まれば成功し幸せだったろうになぜ戦後、京都に帰って来たのでしょう?。
輝いてまぶしい、帰って来た2人が活気に満ちたアメリカ映画界を、女優を辞めた美月と手狭所帯な大京事務所の黒田・杉本たちが衰退した日本映画界をそれぞれ象徴しているように見えました。春夫さんと梓が景気のいい話をすればするほど、邦画の斜陽ぶりが強調されるようで日本人として悲しくなる。
嗚呼、せんなき事ですが邦画全盛期に五社協定などと了見の狭い事を言ってないで、日本の各映画会社が力を合わせハリウッドのような映画を大量生産出来る場所とシステムを作ってくれていれば・・。後にそれは〝製作委員会方式〟という本来〝1社が1作入魂〟の映画制作の理想から更にかけ離れた、〝制作会社に名を連ねるのに出資だけで制作しない会社が増える〟、パラダイスとはほど遠い現在につながっていくのです・・。
なぜ椿屋の品格をそこまで守らなければいけないのか?。実の親兄弟との絆や、弟の恋愛より大事なのか?。
そこの説得力が無いから、女将編の美月はただの悪者に見えるんだよな。
それは先代の椿屋を守っていた時の滝乃も同じで、今日の曜子をクビにした美月を非難する梓を見ていると、これまで梓が嫌いだったのは「滝乃そのもの」ではなく全ては椿屋のため、品格のためを理由に上客として泊まれる成功者以外の全てを見下し排除して来た(見下された者からすれば差別だ)「椿屋の女将というポジション」だったのだと思った。女将になってからの美月、やってる事が滝乃に生き写し(受け売りとも言う)だもんね。
正直、今の美月は好きになれない。せっかくパパとリチャードが日米合作映画の朗報を持って来たというのに映画界への興味を失い蚊帳の外。何という好機のタイミングの悪さか、彼女はどこまで映画の神様に見放されてるんだと思う。しかし雀蓮が言った通り、その道を選んでしまったのは美月自身、自業自得なのだとも思う。
今まで撮影所が好きと女優業に励む美月を応援して来た視聴者もどうしてここまで椿屋に肩入れするのかわからず、理解の範疇を超えた豹変ぶりに戸惑ってるだろう。わかるのは椿屋という宿には主を変える魔物が棲んでいて、変わらなければ成り立たないという事だけである。
大石静は「映画・テレビ界のサクセスストーリー」と「椿屋、美月の女将のドラマ」、どっちが描きたいんだ〜〜〜!!😡
まだ終わってないが、今回の女将編は失敗だと思う。いくら春夫やリチャードの日米合作への挑戦や錠島ら大京映画陣の成功譚を華々しく描いても、肝心の主役の美月が関わってないから爽快感ゼロ。いや、美月の滝乃さんモドキの最悪な女将ぶりも手伝いゼロどころかマイナスだ。これからどちらか或いは両者に綻びが出て後に美月も合作話に関わる展開かも知れないが映画界と椿屋、どっちを見せたいのかはっきりせず中途半端なドラマになってしまっている。少なくとも今のこの現状は失敗だろう。
このドラマ、美月が映画界で成功した!というスッキリしたエピソード無きままモヤモヤ進んでしまったので此処で椿屋を継ぐと言われてもソウジャナイモヤモヤ感が増幅し、ドウシテソウナル感がハンパない。やっぱり、最初からどっちかを削り美月をブレさせず一つの道に精進させるべきだった〜〜〜😞。
「お姉ちゃんが一番、変わった!」梓と美月、初めての姉弟ゲンカ。その原因の梓が初めてつき合った女性が、美月のかつての大部屋時代の先輩・曜子というのが皮肉である。
しかしこれは梓に部が有り、美月の言い分は了見が狭いと感じる。仮に美月が女優を辞めず、梓が曜子とつき合っていたらどうだろう?。女優・美月ならたとえ祝福しなかったにしろ、もう大人やし一緒になる別れるは2人にまかせようとしたのではないか、昔の自分と錠島のように。
美月の了見が狭く、そして椿屋のおかみは無理と感じるのは美月が女優だったから。「錠島という男は美月ちゃんにふさわしくない」と言ったかつての滝乃のように「女優の曜子は梓にふさわしくない」と女優だった美月が決めつけるのは大いなる矛盾。中居に雇ったのは美月なのにかつて同じ釜の飯を食った曜子に何の礼節も無く、椿屋の品格を汚したからクビは余りにもぶしつけ。そもそも、俳優を中居に雇う常軌を逸した発想自体が不快。どれだけ客に失礼かわからないのだろうか、接客業を舐めるな。
梓も「元女優のお姉ちゃんならわかってくれる」と曜子と渡り廊下で喋っていたはず。椿屋の品格を守るのはあくまで美月の都合だし誰も頼んでないし、滝乃のやり方でおかみをせねばならない決まりも無い。ましてや「誇り高いだけの宿」椿屋が大嫌いな梓である、曜子がクビになり再び愛子が手伝いだして「お姉ちゃんの阿呆が」と言うのも頷ける。
滝乃は「人は変わるもんえ」と言ったが、なかなか変われないのも人なのだ。美月は変わることばかり執着し過ぎて、変われない人の心を考えるゆとりに欠けている。余りに自分だけ変わろうと(しかも誰からも嫌われるおかみの滝乃をコピーしようと)急いては事を仕損じた。
「光る君へ」も含め、大石静脚本が嫌いになりそうだ。
懐かしい人がいっぱい出てきてとても楽しく拝見してます。
ジュリーの演技久々見ましたが、柔らかい京都弁がいいですね。
カムカムがオマージュしているドラマなのがよくわかり、懐かしくもあり楽しいです。
ヒロインに共感するのが難しい。
よってドラマ自体も面白く感じない。
いつの間にか鬼女将に変貌してサイコパスヒロインで怖い、サブのエピソードも面白くないし大京映画が潰れてからつまらない。回を追うごとに内容がしょぼくなり盛り上がりに欠けた。いったい何を描きたいのか迷走している。別に評価が高く名作で社会現象を起こしてその後主演女優が大ブレークした記憶もなく再放送する意味がない。脚本家が大河と同じだから話題集めに再放送されたのではないだろうか、とにかくつまらない、秋からの評価が高くて好評を博したカーネーションの再放送が楽しみ。
大石さんの朝ドラなら「ふたりっ子」という名作が有るし、今回は内容うんぬんではなく完全に「光る君へ」の脚本がらみで希少性の高いほうを選んだよね再放送担当者は。「オードリー」は主演女優が芸能活動を辞めて十数年、許可が取れず再放送もソフト化も無理と言われていた。今回なんらかの方法で(おそらく無理をしたか幸運なことが有って)権利を獲ることに恵まれ、再放送にこぎつけたのだろう。ただソフト化してほしいと言うニーズもこれまで少なかったようだし、「はね駒」のように再放送後ディスク化する事も無さそうなので、今回再放送後またしばらく封印期に入ってしまうんじゃないだろうか。そうなったとしてもまた再放送してくれという声も無く、テレビ局側の再放送したい企画にも昇らず、供給する側される側双方にニーズが無さそうなのが哀しい。
映画を作るお話しだと思って見てるので、オードリー頑張ってな。これから佳境に入っていくのだろうから応援してます。はんなりした京都弁を喋るジュリーもええで。長嶋さんは野球も俳優も諦めての今のタレント業なんだねー
ジュリー=麻生先生を再び意識し出し、調子が狂いだした大竹しのぶさん=おタキさんの衝撃ギャグ(!?)、椿屋の調理場で吸い物のお椀2つを目に当てて「ハチ!」が忘れられない……なんなの?。段田さん=パパは「ふだんはそういう事やらん人だからびっくりしたわ」と言ってましたが、しょっ中ギャグかます人でもシュール過ぎてやらんですあんなの。ああ〜あ、大竹さんに台本通りかアドリブか聞いてみたい!。
錠島!!、いつまで「俺には運がない」言ってるんだ!。
お前が夢死郎ポシャってからも腐らず、失踪せず地道に出演を重ねていれば、日本各地放浪せずに実績を重ねていればもう少し顔も知られたかも知れないし、ひょっとしたらリチャードに知られているぐらい有名になってたかも知れない。
アメリカへ連れて行ってもらえなかったのは自身の力不足、自業自得ってもんだよ。もっと他の役者なみの努力をしてから物を言え!。努力しないで運頼みで文句ばっかり言ってる奴見るとムカッ腹が立って来る。
杉本の堕ちっぷりは監督地道に続けてる(それも望まない作品の)だけにちょっと同情する。ただもう錠島や晋八に当たり散らすのはここまでにしてくれ!。
出てくる人がみんな個性的で人間臭くて、今期の朝ドラより私はこっちの方が好きです。
再放送で初めて見ることができて嬉しいです。
大京映画の斬新な時代劇が打ち切りになったり日米合作の
ドラマがダメになったり下請けのドラマが前に進まずイライラ
脇役のサブストーリーに時間を取られて肝心のヒロインの
人生が描けていなくて肝心のヒロインが表情が乏しくて
地味過ぎてつまらない。
ダラダラし過ぎ。
晋八は悪気はまったく無いが行動がオーバーアクション過ぎて空回り、椿屋クラッシャーと化しとるね。出汁のとり方や煮込みは上手いから、下働きより調理担当にさせたほうが適材適所やろ。がさつで漢字外来語にも弱いからまぁ、本当は俳優より殺陣師が一番天職。二時間時代劇の殺陣指導やりながら椿屋の調理のみやってもらったらええんやないか。
予告の幸さまが美月を抱きしめる場面は単純な「幸さまから美月への恋愛感情」じゃなさそうだと思ったが、「殺陣師に復帰しない晋八を焚きつける為」でなく「美月に映画への思いがまだ残っている事を誘発する為」だったとは。それで再び美月が撮影所に戻るようなら日米合作話のとき美月が春夫の傍で力になってやらなかったのは、ここで女将になったタイミングの悪さは、あの確執は何だったのか。大石静さん、何でこんな残酷な話を書く?。
椿屋も人手不足で何とかやっている状態で女将では大成しなさそうだし、いつになったら主人公・美月の成功譚を我々は見れるのか?、大石さん。我慢に我慢を重ねた「おしん」だって商売が上手くいった瞬間が有った。このままグレーな裏目続きで終わらせたら何の為にわざわざこの話を朝ドラにしたのか?、視聴者にフラストレーション溜めさせ過ぎ。
失意のうちだったとはいえ春夫の突然の死因は?。心臓発作?。もしかしてこれがナレ死のハシリ?、やっぱり後の杜撰な朝ドラの片鱗が見える作品。
吠えよタイガー
戦った敵に自ら乗っかってトドメを刺すところは燃えよドラゴンのパロディ
「タイガーウォンはトラなら背中に傷がある筈」
そんなのはメイクでいくらでも消せる
大事なのはそこじゃなくて「香港映画なのにフィルムでなく
TVで紹介される映像がVTRで撮られていた」
映画愛にこだわるドラマなら「TV画面の中だけフィルム合成」するか
「線や音声ノイズを入れフィルム映像らしく汚した質感にして」劇場映画らしく仕上げないと
視聴料取ってるNHKなら余計こだわらなきゃダメでしょ
オードリーが二流の残念なエセ映画界ドラマと感じるのはそゆ所
燃えよドラゴンに京大泌尿器科の染料による膀胱腫瘍発生研究(実際、研究報告あり)。守備範囲広すぎる。
映画の世界を忘れられず、おかみ稼業に100%入り切れない美月。椿屋を忘れられず、京都を離れたくない滝乃。
このドラマは「人は変わろうとしても結局変われない」事を描きたいのかと思っていたら、虎之助はあれだけ大事にしていたクリキンに当てられた傷を整形手術で消し、あれだけ嫌っていた香港の現地の女性と結婚して身も心も香港スター・タイガーウォンに変わる道を選んだ。
今でいう「多様性」がテーマなのか、「人の心はうつろいやすく、その時その時の気持ちは人によりけりでアテにならない」と言いたいのか。
現実味あるリアルな人間の気持ちを描きたいのかも知れないが、なんだかフラフラして「これだ!」という芯がわからないドラマだ。
今年、2024年はオードリー・ヘプバーンの代表作「ローマの休日」の日本公開70周年。
長崎県・佐世保で1954年4月21日に先行公開。
東京ではその6日後、1954年4月27日に公開。
これが今回再放送に選んだ理由の一因だとしたら何故NHKは大々的に宣伝特集しないのか。
BSでヘプバーン特集と共に「ローマの休日 4Kリマスター版」の放送と同時に朝ドラ「オードリー」の特番、ヒロイン女優は芸能活動停止しているとはいえ他の出演者を集め座談会・インタビューぐらい出来るだろうに。「光る君へ」執筆中の脚本・大石静氏を招き「オードリー」執筆時のエピソードや裏話を聞くぐらい、そちらにも出演の段田安則氏や佐々木蔵之介氏にご登場願うぐらい出来るだろうに。ふり返りたい当時のスタッフ、出演者はいないのだろうか。
「ならNHKに出せ」と言われそうだが出しても明確な答が返って来そうに思えない。最近は他所でネットニュースにもならない。ただ黙々と再放送されるのみ。この、閉塞的な空気は何なのだろうか。
ドラマの感想は、幸太郎からの気づきや日本に帰ってきた虎之助の存在、斬られ役に甘んじながら機を伺う錠島の熱視線でまた美月の映画への熱がじょじょにくすぶり始めていて、正直言って女将編はつまらないので早く沸騰して次の情熱物語に行って欲しい。滝乃と麻生の仲、梓の染料の発ガン性究明も良い結果に終わらなそうなので早く一段落して次の時代へ、もっとすっきりしたステージへ進んで欲しい。
ひとりひとりがとても個性的で、最初は嫌いだった人がどんどん好きになってしまう不思議なドラマ。
今週は予告のジョーに笑わしてもらったので早く観たいです。
初見の朝ドラなんだけど
一言で言えば
「カオス、混沌、珍品」
映画業界、旅館業、二人の母親による複雑な家庭やらといろんなテーマや問題を盛り込みまくり、いったい全体何を描きたいのかよくわからない変なドラマである。
まるで濃厚豚骨味噌味のあらゆる具材をいれたゴチャマゼちゃんこ鍋のようなウマイのとマズイのとがある変な料理を食べさせられているみたいである。
まぁ、沢田研二が見れるのと、大竹しのぶ、やっぱスゴイ!という彼女の狂った演技が見れるトコは誰もが評価するとは思うけどね。
とりあえず最後まで見るけど、再見はもうしないだろうな。長いしね
〝役者だからどんな役でも演るさ。未来刑事ダイナーなんか見て育つガキを俺は信用しない〟芝居に対する姿勢は良くなりましたが人を信じない、錠島の本質はやはり変わっていない。彼は「俳優だけは続けて」と言う美月の言葉が有ったからと言いますが、子供たちにサインしながら〝大人になったこいつらに馬鹿にされるのか?〟と心の中で屈折(葛藤ではない)する姿には役者魂や情熱より、売れる俳優のプロフェッショナルになるという誇り(以前、樹里を「あいつも俺と同じ穴のムジナ」と言っていた)。この男に有るのはただそれだけなのかと感じました。
タイガー・ウォンとして香港で暮らし、変わったかと思わせたトラも日本でまた活動したいとカミングアウト。このドラマのテーマは「人間は職を変えようが生活環境を変えようが整形しようが結局、中身の本質や精神・心は変えられない、変われないのだ」という結論のほうに落ち着いたようです。
女将編の美月はもみじ姉さんや曜子さんを雇って中居を演じてくれと言うのは違うと思ったし、花尾先生(桂米朝さん)には至らぬ点を指摘されっ放し、幸さまには映画界への未練を見透かされ・・滝乃さんと比べるとお客を観察して好みや弱みを覚えるような気付きが足らず、接客業に向いていない要素はあった。
結局、女将になろうとした5年間、美月は自分も気付かないうちに滝乃さんそっくりの椿屋の女将を演じていたのだと思います。でもいくら頑張っても芝居は芝居、本物にはなれない。大京に女優でなくスタッフで再就職を求めたのはそうした事から自分の芝居の限界に気付いたからでしょうか、演じ疲れたという感覚からでしょうか。
一方、もみじ姉さんと椿屋の調理場で談笑し客案内を許し、客間へのテレビ設置も許し、芸能界を嫌っていた昔からは考えられないほど柔和になった滝乃さん。曜子を蔑ろにして晶子を結婚相手だと紹介し、何だか春夫さんを思わせだした梓。一見、2人は変わったように見えますが実は本質がこっちだったとしたら・・・。
大人の朝ドラって感じ。
俳優さんがみんないい味だしてる。
脇役の人の人生もちゃんと描けてていいですね。
何も可もまとまらないドラマ。主人公がやっと映像の
仕事に向かうが、回りくどくて引き延ばし過ぎて
いまいち盛り上がらない。脇の実力俳優だけで持っているだけ、
相変わらず主人公の表情が乏しくて精彩に欠ける。
ジョーのお母さんが出てくるとは思わずビックリしたけど、お母さんの最期の見送り方がジョーらしくて納得しました。
長嶋一茂さん最初は演技に?だったけど、今ではジョーにピッタリだなと思えてきたのが不思議。
来週の滝野がどうなるのか心配です。
次週の予告では映画監督になるの?。
たいした映画の勉強もしないしスタッフの
下積みも経験もしないまま映画監督になるとは、
最初女優になると思ったらなっていないし、
大京映画も何をやってもだめ。サイドストーリーに尺を
取られ過ぎてヒロインのストーリーがぼやかされて
盛り上がりに欠ける。
不正
滝野の印象が初回からどんどん変化していき、最期は涙涙でした。
どんな嫌な登場人物も好きになってしまう、大石マジックがすごい。
後少しで終わりなのが残念だけど、再放送で見れて良かったです。
錠島のお母さんの病気は誤嚥性肺炎でしょう。今年の春、入退院した施設の父がやはり自力で痰が溜まり過ぎて自力で処理出来ず、あのように吸引器で処理してもらったのでわかります。
「死ぬ時はみんな1人」錠島の言葉も胸にしみました。去年、病気で実家で亡くなった兄が正にそういう最期だったので。まだすぐ入院しなければならない段階ではなく、週2で介護を受けていたのですが主治医の見立てでは持病に何らかの力が加わったのではないかとの事で、介護士さんがこと切れた姿を発見し救急車呼んで頂きました。
滝乃さんの最期に間に合わなかった美月のシーンも、約10年前亡くなった母の一報の電話を実家から受け帰省して母の亡骸と対面した時の私自身を思いだしました。そんなもんなんですよね、父の施設も私の家から離れてるのでたぶん父の死に目にも私は逢えないと思う。一緒に住む美月でさえ滝乃さんの死に目に逢えなかった、離れて住む自分は尚更じゃないかと私にとっては他人事でない、この二週間の内容でした。
確実に言えるのは本放送時の2000年に観ていたらこんな身につまされた思いに絶対ならず、あっさり「何だか朝から人が死ぬドラマだなあ」で終わった事、「前半は歪な家族関係、後半は辛気臭いドラマでオードリー嫌い」で終わっていた事です。今「わかるわかる」気持ちにさせられるのは私がそうした経験を得て歳を取った証拠、年月は人の考えや気持ちを変える事を実感させられます。
この「オードリー」は国際スター化したトラ、女性の尻に敷かれ春夫さん化しだした梓、麻生祐二との大恋愛を得て柔軟化した滝乃、そしてスタッフとして撮影所に戻った美月と一見〝人は年月と共に変わる〟ドラマに見えますが・・。私は前にも書いたように「人間は結局、中身の本質や精神・心は変えられない、変われない」・・やはり日本で時代劇がしたいトラ、椿屋と関係無い普通の佐々木家だったなら初めからプレイボーイに育ったろう梓、早く麻生と劇的に暮らしていれば若い頃から誰にも人当たり良かったろう滝乃、女将を経験して映画芸能が天職とわかった美月と、むしろ〝人は年月によって本来なるべきものに気付き、戻るべき姿になった〟というドラマじゃないかと思うのです。
ずっと見たいと思ってたので再放送してくれて有り難いです。
大石静さんの時代劇愛が溢れていて、カムカムにそれがちゃんと受け継がれているのがわかって嬉しかったです。
後少しで終わるのが寂しいです。
急に18年たってヒロインが売れっ子テレビ時代劇監督になって、映画監督まで出世して、偉そうにして適当なドラマだ。脇の物語に時間を掛けすぎて、ヒロインが霞んで輝きが足りない。今まで何を描いてきたのかわからない。
若い時の堺雅人さんがステキ
舟木一夫さんも沢田研二さんも見られたし
クリキンついでにカムカムの再放送を、そのうちお願いしたい
ジャニーズ出さないとか、今でもNHKはそうなんだろうか?
しかし、お母ちゃまの設定が不自然で始めの頃について行けなくなった脱落者が大勢いたと思う、この朝ドラ。うちの家族もそうだったけど、少しして私につられて視聴に戻ってくれた。
主役の女優さんと長嶋一茂さんに、もう少し愛嬌が欲しかった。
毎日の楽しみが終わってしまった。
でもこのオードリーがカムカムに繋がるんだなと思うと感無量でした。
再放送してくれてありがとう!
美月が納得いく武蔵が撮れるまでNGを連発、駄目だしされ続ける錠島が自分の「無双の武蔵像」を捨てずに美月の「弱さをさらけ出す武蔵像」を受け入れ、監督と演者一体となって作る一乗寺の決闘シーン。予算超過出来ず撮れない追加シーンを、古参カメラマンの宮さんが撮影所裏の狭い一区画を使い真上からのショットで上手く撮る場面。子供を斬る殺陣を、見立てた石仏を竹刀で叩きながら涙目で考える晋八。それら映画制作につきものの苦労を描いた数々の描写はとても良かった。できれば序盤から複雑な家族関係よりこういう撮影の舞台裏メインでもっと観たかったです。
錠島、杉本、晋八、幸さま。人生で関わった男たちが、ヒロインを中心に衛星のように回ったまま帰結するところは大石静脚本。
終盤の美月監督編、一つ不満を挙げれば「杉本さんに映画を一本も監督出来なかった無念をもっとあらわにして欲しかった」事でしょうか。助監督時代が長かったのに時代の流れで映画監督になり損ない、本来やりたくなかったTVドラマに甘んじ、念願の映画・巌流島の監督もポシャった杉本さん。社長になったってその胸の内は「自分で映画を監督したい」気持ちが熱く煮えたぎっていた筈で、だから美月が監督をやめると言った時「よし、俺が撮る」と言って欲しかった。〝愛する大京を潰さないよう経営に専念〟〝スケジュールと予算を伸ばすな〟〝映画には娯楽が必要だ〟それらも確かに杉本さんですが溜めに溜めた悔しさや怒り、本音をここでぶちまけて欲しかったです。
最後のMUSASHIの試写シーン。最後に「製作委員会」の文字が有って、前に春夫さん帰国の辺りで「邦画の斜陽化は更に後の製作委員会方式という、パラダイスとはほど遠い現在につながっていくのです・・」と嘆いたレビューを書いたので本当に出て来てびっくり。2001年で製作委員会方式?、と調べたら1997年のエヴァンゲリオン劇場版で既に「EVA製作委員会」の名前が使われていたそう・・。大京映画はジリ貧設定だから理に叶ってますが今観るとそこから20数年、邦画の状況は何も変わっていない事になる。本放送当時は新しかったでしょうが・・ちょっと悲しいですね。
あの世から半透明の滝乃さん・春夫さん・樹里が試写に来るシーンは撮影終了した俳優達をわざわざ招いた新撮?。個人的には空いた席には君ちゃんに座っていて欲しかったです。藤山直美さんのスケジュールの都合でしょうけど。
半年間、映画・ドラマ撮影の舞台裏を楽しませて頂き、ありがとうございました。
再放送も終わったので、10月になったらこのスレ、本放送の期間表示に戻します。
感想を書きたい方はお早めに。
いつの間のか終わってしまったと言う感じでした。映画は完成したが試写会だけでその後大ヒットして成功したのか分かりませんでした。終わって見れば脇役のサブストーリーに時間を割いて、何を描きたいのか難解でした。ヒロインを演じている俳優には非はありませんが、主演俳優を生かせず、そのせいで表情が乏しくて魅力がいまいちでした。あくまでも個人の思いとして、他の人気朝ドラみたいに二度と日の目が見られないと思います。
ドラマは完成した「MUSASHI」の試写までで、映画がヒットしたのかしなかったのか、美月が名声を得たのか鳴かず飛ばずだったのかは視聴者の想像にゆだねるシチュエーションで終了。ヒロインが女優時代からずっと成功譚が無く、ドラマ序盤から3分の2が重く暗い家族関係・共感出来ない人物だらけだったのも有り、とにかく溜めさせるだけ溜めさせておいてこれではフラストレーション解消されなさ過ぎ、カタルシス度なさ過ぎる幕引きなのは否めない。全話視聴したが満足度は少ないと言わざるを得ない。
最後の再起編と監督編(最後の5週)は撮影所ならではの名言・映画作りに燃える熱い人間関係がとても見応えあり、最初からこのノリ中心で行ってくれればもっと名作になったのにと悔やまれる。椿屋と佐々木家の2人の母は大石静氏の子供時代の環境がモデルだそうだが、なぜ朝の爽やかさが売りの朝ドラでそれを描こうと思ったのか本当に不思議である。
前半の二人の女性が娘を奪い合うドロドロした内容が不快だったし、脇役の逸話ばかりでヒロインが浮かばれなくて霞んでしまった。何の映像の勉強もしないで18年吹っ飛ばしてヒロインがいきなり偉そうな映画監督になるストーリーに無理がありつまらなかった。映画監督より立派な旅館の女将になって、泊まりに来る映画演劇に携わる人たちとの交流を描けばよかった。大河ドラマと同じ作家の作品のよしみで再放送されたが、過去の朝ドラの名作みたいに何度も再放送されることもなく、もう二度と見ることはないだろう。
そこまでの暗い展開も嫌だったが、女将になる5年のくだりは大嫌い。結局、うまくいかなくて大京に戻るしさ。
美月がカチンコ係から撮影スタッフに入門して突然18年飛んで監督に出世するけど、その18年の間にいろいろ紆余曲折してどういう苦労をして映画人として大成したのか、そこが一番見たかったんだよね。
女将をやめてから以降の美月の撮影所でのプロセスの話で1年見たかった(それ以前の話はいらない)。リメイクするなら是非、それでフレッシュな俳優さん達でやって欲しい。
と思っていたら女将の美月と客の交流を描いて欲しかったと感想を書いている人もいて、本当に見方はそれぞれだなあと感じる。おそらく大石静さんは「そういうブレブレの人生もある」と書きたかったのかも知れないが、そうして「見る人で〝ヒロインがやるべき事は何か〟の見方が変わってしまう」のが本作最大の罪、というか支持されなかった原因だと思う。
失礼、前レビュー
1年→半年の間違い。
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