私もこのドラマの戦争の描き方には、深く感動した一人です。
かつおの死亡通知を受け取り、半狂乱になって彷徨するめ以子。ふらふらになって戻ってきた彼女を暖かく迎えるどころか、畑に引きずっていき、彼女が放置したため枯れかけた収穫物を突きつける和枝。
そして孤独の極致でせめて一緒にご飯を食べてほしいと懇願するめ以子に、「あんたは見送るお人や」と言ってすげなく拒否する。こうして和枝に冷たく突き放されながらも、め以子は一人で食事し、黙々と畑を耕し、ようやくもとの姿に戻った畑で新たな収穫を迎える喜びを知る…。
どんな哀しみのどん底にいても、こうして命はよみがえり続いていくのだという事実を身をもって知るのですね。ここの描き方、本当にすごいです…。
>ふ久が謝らないだけで怒る人がいっぱいいるって私には不思議です。
そんなことで怒っていたら日常生活で支障をきたすことってないのかな?たかが子供でしょ。
論点のすり替えですか?
石を落としてけがをさせる、ボヤ騒ぎを起こす
子どものしたことお終いに出来る方なんですね。
>反省してない…というより事の重大さがわかっていない、ピンと来てない、みたいな。もちろんやったことの意味はわかってるんでしょうけども腑に落ちる、ところまではいかない、というか。
いくらなんでも、相手がけがをしたり
火事になりかけたら、事の重大さんは分かると思いますけどね。
ふくちゃんの場合は、発達障害を連想させるかのような
ちょっと変わったというこの設定。
見えへん力に興味を示すのは、いいと思うんですけど
そのあとがちょっと中途半端だったなあと残念です。
私もごちのファンですけど
疑問に思ったこと残念に思ったことを書くと
アンチ扱いされたことを思い出しました。
連投すみません。ごちの戦争時代のエピについてもう一つ…。「悠太郎の卵」をまた録画で見直したのですが、なんと人の心理を丁寧に描いているのかと、改めて感動しました。
愛しい妻を残して遠い満州に旅立たねばならぬ悠太郎のやるせない思い。その目は何も知らずその日も慌ただしく家事をこなす妻を、切なく愛をこめて追い続ける。
そして事情を知った希子夫婦やお静さんの心尽くしで、め以子と二人だけで過ごした出発の前夜。たった一個の卵でめ以子が作ってくれたのは、二人の思い出の料理、スコッチエッグ…。
妻の笑った顔だけを見て旅発っていきたいと願った悠太郎。しかし最後にたまらなくなったお静さんから満州行きを知らされ、必死に悠太郎を追いかけるめ以子。
雪が降り積むなか、万感の思いをこめて見つめ合う二人…。ここのシーンは何度見ても思わず涙がこぼれてしまいます。大好きなドラマです。
反省してないというよりピンと来てないんじゃないか、と書きました。
自分に当てはめての見解です。
自分も小学生の時遊んでて同級生に怪我をさせてしまったことがありそれはさすがに事の大きさはわかっていましたがちゃんと謝ったか、というとはっきり覚えないんですよね…。親同士でやり取りはあったと思うけどその当時自分が謝ったかどうか覚えていないんです。
もちろんその子に悪いという気持ちもありましたし謝ったのかもしれませんが…よく覚えてない…。その後その子とは普通に友達付き合いはしていました。
要するに事の重大さを理解することと謝ると言うことが直接的にイコールで結び付いていない、というか…。
おそらく私も鈍い子供だったのでしょう。
子供の感覚で、ですよ。
これはあくまで私自身が思うことで重ね合わせたときにすんなりと納得できたんですがもちろん納得できない人がいても当然だとは思います。
でもどちらかというとふくがどうこうよりそういうことがあったときの親のあり方の方が大事かなあと思いますが。謝りそびれてしまったとしても子供心に親が怒る、自分のために親が他人に謝る、という姿を見せられる、というのがすごく堪えるし心にずっと残る事だから。
教育的にということで言えば本人が本心から謝れる状態でないのに形だけ謝らせるのはどうなんだろう、とも思います。ふくがあの事件を自分のなかで消化するのはあの後少し成長してからだったんでしょうね。きっと。
53さま、もう心から同意します! 私もあのシーンでは泣いてしまいます。ドラマを見ているときも、まだ寒い季節だったので、ことのほか心に残っています。ごちそうんは、見返せば見返すほど、深く味わい深いドラマです。
ふくのシーンは道徳観で見るか、ふくの特性を認めるかで意見が分かれるし、いくら書いても結論が出ることはないでしょう。
うちの次男坊もいくら理屈で言ってもわからない子でしたね。だからって親が子を叩くようなシーンは見たくないし、ふくの子育ての難しさはよく伝わってきました。じいちゃんがフォローしてるシーンが好きでした。
正蔵さんのフォロー、よかったですよね。
あれがあったから、夢を取り戻したふ久の「この世にあふれている見えへん力で電気を作りたい」という言葉が説得力を持つんです。
あと、勝くん。ただ、ふ久にけがをさせられるためだけに出てきた存在じゃないと、しみじみ思ったのは、戦後、泰介が作ったドラム缶風呂に入っていたとき、多江さんが寂しそうにつぶやいた言葉を聞いたときです。
「ええなあ、泰介くん、戻ってきて」
「勝は、英霊になりはったから」
西門家に西門家の歴史があったように、高山家も同じ時代を生き、いろいろなことがあったのだろうなと、しんみりさせられました。
勝くん、どんな青年に成長したのでしょうね。どんな思いで出征し、どんな思いで散っていき、英霊になったのでしょう。
石を落して他の子にけがをさせたりボヤ騒ぎを起こしたり…いくら発達障害を思わせる個性的な子供の行動にしても、やりすぎですよ。めいこが叱ったのは当然だし、学校から停学処分を受けるのも当たり前。でも、おじいちゃんが家で実験をしてわからせるのはいいけど、やっぱり悪いことをして叱られたら謝るシーンはきちんと描いてほしかったです。我が家の子供はなんでこの子謝らないの?と私に聞いてきました。返答に困りましたよ。
私もやりすぎだと思います。
ボヤ騒ぎを起こしても、けがをさせても
悪いことをしたという自覚がないような演出。
めい子も、最初はそういうふくに困惑していたのに
好奇心からの行動とわかるとそれで良しとしてしまった。
何とも中途半端な終わり方。
小2になっても善悪の区別がついていないことへの対応が
されないまま終わったのが残念です。
私も満州に行くシーンが一番好きでした。
また希ちゃんが
結婚後どんどん勝気になって
ご主人を尻に引くのも面白かったです。
ふ久が謝らない、なにが悪いか理解できない。
その部分がめ以子の子育てに大きな壁を作っています。
め以子は「普通であること」がいいことと思ってるんですよね。
女学校時代も自分は背が高いから魅力がないと思ってた。他の子みたいな普通の背丈なら良かったと。
戦争の時にも最初は笑顔で出征を見送っていました。それが普通、当たり前と思うから。
その普通が自分には当てはまらないと気づくところにドラマが生まれたりしていると思うので、ごちそうさんという作品でのふ久のありようはあれで良かったのだと思う。
そんなふ久をどう育てるのか、叱るだけでなくふ久のなにを認めるのかが大切だったのでは。
め以子はなかなかふ久を認めてあげられなかった。義父や教授という、め以子と少し離れた人がそれをする。親が完璧ではないってことがすごく描かれていたなと思う。
もちろん視聴者の好みはあろうけど、あれが一般的に正しい、間違いというのだけで論争しようとしてる人と、ドラマの作り方としてありかなしかを話してる人とはなかなか噛み合わないだろうと思うよ。
そういう意味では、ごちそうさんってご都合じゃないところに個性があったようにも思う。
和枝も悪かったと謝りめ以子を認めたりしない。
それでいて関係性はちゃんと前進する。
源ちゃんのPTSDも牛乳が飲めたから治ったとは描いてなかったと思う。きっかけにはなっただろうけど、どちらかと言うとめ以子の行動とセリフが源ちゃんの中でマッチングしたのだなと感じた。
そこに牛乳があっただけで。
牛乳に気づき、それに救われるって、ありがちな感じだけど、そこに着地点がないこととか。
ふ久が謝らない。自分を曲げない。
それもめ以子の子育てをご都合にしないバリケードみたいでした。
ちょっとおかしくない?って引っかかるところにこそ、ごちそうさん独特のメッセージがあったように思う。
普通じゃないことに苦悩するだけなら
物事の善悪の区別がついていないエピなんて必要なかったと思う。
「ごちそうさん」には実にいろんな料理が登場するけど…、私が特に印象深かった料理の一つは、ハモニカでしょうか。
芸者置屋にきて心細さに泣いていたお静さんにそっとハモニカを差し出した、若き日の正蔵…。このときから彼は、お静さんにとって忘れられぬ人になったのですね。
その正蔵さんと運良く結ばれたはいいけど、そこには小姑、和枝との葛藤の日々が待っていた。そしてついに愛する夫は出奔…。あのハモニカはお静さんにとって甘い初恋の味だったとともに、苦い苦い人生の味でもあったのでしょう。
大阪編の天神祭りのシーンは忘れられません。悠太郎扮する獅子を待っている西門家の人々のわくわくする表情、そして祭りを楽しむ人ごみのなかで、ちょっと離れた場所に立つ正蔵とお静の束の間の触れ合い…。
二人の思いが交差したのが確かに感じられました。それが泣きながらハモニカを食べる、お静の名シーンにつながるのですね。宮崎さんの演技にも感心しました。
61さんにガッテン!っガッテン!
ふ久ちゃんのことは、既に何人かの方が述べていらっしゃって
結論は出ています。
私も小学校に入る前に雑貨店でスプーンを万引きしたことが
ありました。でも、その時には罪悪感はまったく感じなかった。
子どもというのは残酷なもので昆虫を道端に叩きつけたり、
カエルのお尻に爆竹を突っ込んで火をつけたり…
万引きが良くないことだと自覚したのは中学生くらいになって
からだし、道端のアリさんを踏み潰さないよう気をつかうのは
成人になってからのことです。
ふ久ちゃんは、母親のめ以子から厳しく叱責されたし、停学
処分も喰らいました。十分に制裁を受けたのではないでしょう
か。
8歳の少女が自分の起こしてしまった事故を悔いて号泣しながら
謝罪する方がリアリティに欠けていると思います。
さっき書いた者ですが、よかったら皆さんの思い出に残るシーンも、いろいろ聞かせて下さいね?
>8歳の少女が自分の起こしてしまった事故を悔いて号泣しながら
謝罪する方がリアリティに欠けていると思います。
泣きながらの謝罪は誰も求めていないでしょう。
一番はふくが反省しているようすがなかったから
叱られたから、停学になったから
罰を受けたからよしとするって
本人が悪いことをしたと
思ってもないのに何の意味もないでしょう。
万引きがよくないことと思わないで
小学校時代を過ごしたらしい人の意見ですね。
万引き少年少女は、悪いことと自覚しているかと思いますよ。
罪悪感がないだけでしょう。
ふくは非行少女じゃないですよ。
軽度発達障害を疑わせるようなエピをいれ
善悪の区別がついていないとするのなら
終わり方が中途半端。。
幼稚園児ならまだしも、小学2年にもなって
ボヤ騒ぎをおこす、石を落してけがをさせる
事の大きさに青ざめるわけでもなく、なぜ悪いのか何の自覚もなく、ふてくされる。
お子さんがそんな風で、まだ小さいから理解できないんだと思う親がいたら
いかがなものかと思うけどね。
確かに私も小学校低学年頃は遊びで虫をいじめたりかなり酷いことをしてしまってた。大人になった今、たまに思い出すと恥ずかしくなって心から謝りたい気持ちになる時がある(ごめんなさい..)
自分で言うのもなんですがその後、成長すると不良グループとは全く係わり合いがないような無難な生き方を選んできた私でもそうなのだから、ふ久のことを突き放して非難する気になれないな。
成長したふ久の告白も私は微笑ましかったし、め以子や悠太郎さんの戦中の頃にやってしまった失敗は、手放しでは絶賛できないが、自分におきかえてみると全く失敗しない人なんていないだろうし、私には、そういう失敗を繰り返して、ほんのちょっとずつでも成長して大人になってく夫婦を見るるのはドラマとは思えない臨場感を体験できた珍しい経験でした。
この夫婦や娘たちの行動に完璧さを求める方たちには疑問だらけのドラマだったろうな、とは察します。
私は「花子とアン」はそれほど好きじゃなかったけど、放送終わったらそのドラマについての批判意見をわざわざ書こうとは思わないのは「花アン」に対する愛情がそれほどないからだと思うんです。でも「ごち」でこれほど盛り上がるのは、嫌いな方も依然として何かしら関心を持ってもらえてるのかな、って。
私は嫌いだから言っているんじゃないです。
好きなドラマでも残念なシーンだからです。
他の人もそうかと思います。
ボヤ騒ぎと石落下が不要だった。
授業が始まっても、たき火の煙を見つめ続ける
池に石を何度も投げ入れる。
それくらいで十分だったと思っています。
60さんにいいねをつけたい…。
私も60さんにいいね!
ではいってきます。
べつにこの場面は楽しく見られなかったっていう人がいたっていいじゃないですか。それはそれですよ。
ドラマの全てを楽しく見られた人ばっかりじゃない。
その件については結論が出ているとかっていうのは、そのことに自分なりの見方での結論というだけで、ふくちゃんのシーンに納得できないって人達にとっての結論ではないのだから。
私はドラマについて良かった悪かったと、もう書き込みするほどの感想もありません。
他と間違えてごちスレをポチッちゃったら、たまたま目についただけです、通りすがりの者が口出しして失礼しました。
60さんへ
いいね!
ふ久のことは、私も60さんに、「いいね!」です。
それから、源ちゃん。
源ちゃんは、牛乳のあと、雑炊のようなものをきちんと食べてましたよ。め以子、泰介、かっちゃんに見守られながら。
酒盛りはそのあと。
あれはふざけたわけじゃないと思う。源ちゃんは食べることを拒否していたわけじゃないし(関東大震災のときの谷川さんみたいに)、泰介に夢を語って生きようともしていた。だから、きっかけさえあれば、食べられるようになったんだと思うんです。それこそ食べなければ生きていけないから。
でも、食べられるようになったからって、戦場で傷ついた心が完全に癒えたわけはない。一方の悠太郎も、なんだかんだいって尊敬していた竹元さんに絶縁されてのやけ酒での二日酔い。
そもそも、源ちゃんと悠太郎がふたりだけって、かなり気まずい状況だと思うんですよね。話すことなんかないでしょう。ともに気持ちが沈んでいるうえに、話すこともない。で、酒に逃げた、と。私はそんなふうに感じました。
でも、端から見たら、冗談じゃないとなるから、当然、め以子は激怒した。
そう思えば、ごく自然な流れだといえるのではないでしょうか。
小学2年生にもなってと言うけど、それがふくちゃんなのだ。小学2年生で物理的な事象に興味を持つすごい女の子だったんでしょ、どうして火事になるのか、石が落ちてものが壊れたり人がケガをするのかが解れば問題行動を起こさなくなるのでしょう。
それに気がついた正蔵さんは素晴らしいフォローをしてましたから、謝るシーンなどどうでもよかったよ。
ぶつかって転ばせた時の勝ちゃんも謝ってなかったし、まぁまぁいいんじゃないでしょうか。どっちもわざとじゃないですもんね^ ^
色んなドラマやコメントを見てると、何を嫌い、そして嫌いなものにどう向き合うかで人の品性が分かるのかも。
うーん、寛容でユーモアのある人になりたいです!
自戒を込めて。
今度は76さんにいいね!ですね(笑)
こういう議論もまた楽しい♪
「ごちそうさん」本スレでリアルタイム放送時に議論になったことで気になったことといえば枝葉末節という言葉がやたら出てきたことでした。
ネットで言葉の意味を調べると枝葉の2番目の意味に物事の本質にかかわりのない部分。主要でない部分。「―の問題にこだわる」と出てきます。
しようまっせつ【枝葉末節】という言葉の意味は「中心から外れた事柄。本質的でない、取るに足りない事柄。「―にとらわれて大局を見失う」ということらしいです。
「ごち」本スレでは軍手が白いとか、和枝さんが手を合わせていたお墓が小さいとか、天神祭りで食中毒になった件とか、設定とかセット、小道具で詳細に疑問が投げかけられ、そのたびに、ドラマの中心の話、そっちのけで論争になってた印象が強いです。私はそれを見ていて、なかなか普通にドラマの感想をかけ込めなくて他のサイトでドラマの感想を書いていたことを思い出しましたが、皆さんはあの枝葉論争、どう思われていたでしょう?
ほんと、なぜそんなに?ってほど異常にねちねちしてる人がいましたね。
それについては、まともな利用者と思っていなかったのでスルーしてました。悪く言いたいだけって言うのが丸分かりでしたよ。
もちろん、そうでなくてそういう書き込みで自分も気になったと言う方もいたし、普通に視聴していて気になったと言う方もいました。
ただ、そういう方々は少なかったし、ちゃんと感想として書かれていたので、そんなところも気になる方がいるんだなーと思ってましたね。
どうしてこんなことが気になるの?っていう批判が気になるのは別に「ごちそうさん」のレビューだけじゃないですよ。
どんなドラマにも必ずそういう難癖的な批判はあります。
まるで「ごちそうさん」だけ特にそれがひどかったみたいな言い方はしないでくださいね。やたら他のドラマスレなんかでもそれを言う人が多いので、申し訳ないけど書かせていただきました。
なんだかごちそうさんの議論雑談というよりごちそうさんファンについての議論雑談になっている(笑)
お茶の間だからなんでもありとは思いつつそろそろ軌道修正があってもいい頃かと。
私も朝はなかなかドラマ見れないし録画もできず話題になってるシーンも見逃すことが多かったけど、一番好きなシーンは実は最終話の再会と豚のシーンだったりします。涙と感動の再会のはずなのになんだありゃ(笑)
再会の感動より逃げた豚かよ!と、そこが妙に現実的で悠さんもめいこも可愛らしくて笑いました。
ごちそうさんらしい最後であのシーン大好き♪
結局 熱烈なファンは
少しの批判も許さないって感じですね。
ごちにかぎらないですけど。
>どうして火事になるのか、石が落ちてものが壊れたり人がケガをするのかが解れば問題行動を起こさなくなるのでしょう。
小学2年生で理解できないって現代なら
専門家へ相談レベルですよ。
実話なら、物理的なことに興味のあるすごい子では終わらない話になりますよ。
実話と交えて、子供のしたことだから、いずれ大きくなると理解できるというのは違うと思いますよ。
小説だから仕方ない展開でしかないですよ。
ごちの批判がひどかったってことに異常に拒否反応出してくる人も必ずいますね(笑)。
あんなに削除かかったのって、他にあったのかしら。ごちの削除、ものすごかったし、そういう意味では他のドラマよりおかしな人がいたのは事実だと思いますね。
今はもう確認できないからそう言われるのかな。
花アンは削除がほとんどなく、ひどい悪質なコメントは少なかった。
ただ批判は多かったので、ごちのがひどい〜みたいな話になると嫌がる反応はあった気がしますね。
役者の人格否定とか
言いがかり的な批判を書く人も確かにいましたね。
マスコミ受けも悪かったらしく
最近も 杏さんとは全く関係ないのに
吉高さんを持ち上げ、杏さんを下げるような
ネットニュースもありました。
でも、過剰に敏感になって
ちょっとした感想や疑問にも、アンチ扱いする人もいました。
それはごちに限りませんけど。
ファン談義はどこも似たようなところはあるしいろんな批判もあって当然。
よって意見も出尽くしたんならここはごちそうさんファンが一歩下がって批判意見もスルーしてごちそうさんのドラマについて語り合うのが一番かと思いますが。
私は脚本も素晴らしかったけど単純にちょっと図々しくて生きること(=食べること)に貪欲なめいこが大好きでした。あんたは主婦の鑑や(笑)!
いちおう議論とついているからファンサイトではないですよ。
ファンのために居心地よくしたいなんて言っちゃ駄目だよ。
ファンのために居心地よくしたいと言ったつもりはないんですが…。書き方が悪かったですかね、すみません。
正解のない堂々巡りにごちそうさんファンがああじゃないこうじゃないって誤解を解こうとしてもたぶん徒労だろうなあと思い、スルーが最善じゃないかなとコメントしたまでです。
議論したい、反論したい、というのならいいのですがもうこういった議論は疲れたよと言う方もたくさんいらっしゃるような気がします。
そもそもスレ主さんは過去の本スレに出てきた話やドラマの名場面や印象に残るシーンを語るためにここを立ち上げたようなので。
しかし余計な横やりだったでしょうか…。
もしそうならすみません😢⤵⤵
ふくのことはもういい加減にしてください。
自分が嫌だからいい加減にしてというのは荒れる原因ですよ。
議論の場なんですから、
納得するまですればいいかと思いますが。
そうですね、ふくのことは延々と議論しても出口はないでしょうけど書きたい人は書けばいい、と私は思います。自分と考え方が違っても受け入れる=スルーする、ということで。
ごちはむしろマスコミ業界では好印象だと思います。メインキャストのほとんどがいまだに新作映画、ドラマなどに出ていますし、雑誌やCMでも見かけますね。
バラエティにも誰かだけが出ているわけじゃなくて、割合いろいろなメンバーが呼ばれていますから。
朝ドラで損したのは、純と愛の出演者くらいだと思います。
他の朝ドラは、出ればたちまちですよ。皆さん大活躍です。どの朝ドラも。
高視聴率、それは印籠みたいなものですからね。(#^.^#)
最近のヒロイン、またまわりの人、どの朝ドラに出た人もどんどん知名度を上げています。
それだけ朝ドラって気にされているもでしょうね。
「花子とアン」の出演者も目立つところはこぞって秋ドラに・・・・
ごちの出演者、またアンの出演者、そして他の朝ドラ出演者の皆さんの皆さんの活躍、楽しみにしています。
きっと「マッサン」に出た方々も引っ張りだこになるでしょう。
ごちそうさんを見ていた半年間、本当に楽しかったです。終わってから、見返すことも多く、そんな折は、本放送中には気づかなかった深い部分に感銘を受けたりもしています。
ただし、リアルタイムのとき、悠太郎の浮気騒動が描かれた「今日でおわカレー」の週だけはイライラしました。悠太郎にもですが、め以子にもイラついてしまって。悠太郎一途のめ以子だから、気持ちはわからないこともないんですけど、高校生カップルの痴話げんかレベルで、何やってんのって。それでも3人も子どものいる母親かって(まだ20代ですなんですけどね)。
だからか、あの週はあまり見返してません(笑)。でも、一回見返したとき、リアルタイムで見ていたときほどイラつきませんでした。やっぱり、リアルタイムだと、現在進行形で次の展開がわからないからイライラしたのかも。
みなさんはどうでしたか?
録画がないので見返せないのですが、悠太郎にイライラはしましたが、め以子にイライラした覚えはないなぁ。
お弁当を部下に食わせたり(エビフライの尻尾が残っていてバレたんですよねw)、め以子の作った
「最後の豪勢な朝ごはん」を何も知らず嬉しそうに頬張る悠さんなどなど…笑
あーもう一度みたい。
思い出させてくれてありがとうございます!
やっぱりオモロかったわ。
そう。えびの尻尾(笑)。
め以子の「最後の豪華な朝ごはん」は、前の夜、「亜貴、ごめん」なんて悠太郎が寝言をいったからでしたよね。それで、出てけって、め以子、やりすぎー。
それに、亜貴子さんに会いに行って、「後からきて横取りしたのはあなた」みたいなこといわれて、落ち込んで、め以子、部屋に籠城したんですよ。イラつきませんか(笑)。大人げなさすぎ。もともとそういうところのあるめ以子ですが、ちょっとやりすぎで、さすがにイラついたんですよ。
だって、悠太郎、ホントに浮気していたわけではないんですし。まあ、治療してもらっている医者が亜貴子さんだって、め以子に言わなかった時点で、悠太郎もダメですけどね。
蔵の中での言い争いだって、お互いの幼なじみを「亜貴」「源ちゃん」と呼んでいるとか、くっだらない(笑)。
というわけで、め以子にもイラついたわけです。
め以子の籠城。気持ちはわかるよ~でも、子どもたちの事考えて~!!と思いました(笑)
まあ、め以子が籠城してもおしずさん達がいたから何とかなったんですよね。
そう思うと、おしずさん、正造さんの存在は大きかった。
おしずさんも最初は困った姑、正造さんも世捨て人だったけど。孫たちにはいいおじいちゃんおばあちゃん、め以子にとっては頼りになる舅、姑だなぁと。
私もめ以子に、たまにイライラしちゃったり。
「ごちそうさん」って綺麗ごとにはならない、予定調和ではない、ワクワク感があったなぁ~。そういう感じがドラマの枠を超えて、終わって随分経つのにいまだに忘れられない何かを感じてしまうのかもですね。
わたしもイライラしました笑、いろんなところで!
作家の仕掛けだなと思いました。
通常はスルーしてしまういろんな事に思いをめぐらせる契機のようなものをそっと投げかけて
凄い!スレが立って一週間で100って!
ごちそうさんって改めて注目度の高いドラマだったんですね~。
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