朝ドラは半年もあるから、私の場合はとと姉ちゃんに限らず忘れてしまう事があります(笑)教えてもらえるのは有難いと感じますが、読解力がないと言われると凹みますよね。
たしかに書き方なのでしょう。
ミシンはずっと家にあった
美子は勉強は苦手だけど裁縫が得意という設定
なぜ回想シーンが必要なのかがわからない。
美子は軍事工場でもミシンを踏んでいたし。
100さんに同意です。
美子のままごと道具のこともそうでしたね。あれほど何回も常子を赤ちゃんにして姉妹でままごと遊びをするシーンがあったのに、いきなり唐突だ、みたいな批判が出てくる。
確かに間隔的に空いてしまって忘れる方もいるのでしょうが
ながら見でよく画面を見ていなかったり自分が勝手に忘れているのに
大きな流れについてならともかく
細かい部分を粗捜しのように批判するのはどうかと思います。
批判するならきっちり確認するべきでしょう。
そう感じることがよくある気がします。
木曽へ向かう滝子を見送ったあと目黒の家に着き、、
「ほーほーほー」ではなく(私はこれ嫌いじゃなかったです)
引越しの片付けでおままごと道具が出てきて、「ほーほーほー、懐かしいね」とでも言って大切そうに仕舞うシーンでもあれば、忘れる人も少なかったかもしれませんね。
美子が子供の頃によく遊んでいたのは分かるけど、成長してからどの程度思い入れがあったのかは描かれていないから、視聴者の想像に任されたところなのかなと思う。思い入れがあったんだろうなと想像はできるけど、それでは不十分に感じる人がいるのは仕方ない部分ではあるかな?と思います。
おばあ様に頂いた玩具に思い入れがあるから美子はあれほど手放したくないのだとすんなり納得できない人もいるんですね。私は問題なく観れました。私がこのドラマと相性が良いのは、あまりしつこい描写は好まないからかもしれません。本家で、こうすればよくなると改定版が書かれているのを読んで、これじゃ台無しだと思うことが多いです。感性が違うんだなと思い知らされます。
消しゴムの話ですが、昔の消しゴムは生ゴムが原料で今のプラスチック製のより消しにくかったそうです。でもちゃんと消せたそうですよ。紙が真っ黒になって消せないという意見がありますが、そんなことはないそうです。ただし、古くなったり直射日光に当てると消しゴムが硬くなり鉛筆の黒鉛が吸着せず紙が黒くなってしまうようです。
昔のゴム製の消しゴムは消し方にコツがあるそうで、細かい小さな動きで消すとよいそうです。ドラマではゴム製の消しゴムでちゃんと消えている場面が映されていましたね。
読解力がない、と書かれることも失礼だとは思いますが、「ここは、とと妄ちゃん率が高い」とかも、感想かいていらっしゃる方に、ちょっと失礼かと。(苦笑)
私はこのドラマが最高に面白いとも思っていないし、もう少し仕事はじまりの頃、常子のふんばりの姿が見られるかなと思っていたのですがあまりなくて残念なところも感じているけど、肯定意見の感想としてよくドラマを観ていらっしゃるし、脚本家が描きたいことを理解されていると思って読んでいますよ。
描写が薄い、なんか物足りないと感じる部分も私にはあるけど、充分にドラマの描写内容の範囲で感じ取れるものと思います。
妄想するまでもないものかと。
96さんの意見を読んでみて、思うんですけど、批判されて当たり前の作品である、そういう人が多いのだという視点から書いていらっしゃるように感じるんですよね。
たとえば
>提示される情報や場面描写、そして大事な心理描写が、他のドラマ作品よりも極端に少ないです
だから、批判されても当然、仕方がない。
と、決めつけていらっしゃる。では、どこが他の作品と比べて、どのくらい少ないのか、示してほしいと思う人も出てくると思うんです。
肯定的に見ている人からすれば、それって自分の価値観が正しいっていう見方ですよねって。
面白い人はそれでもいいけど、このドラマは批判されるべき作品なんだって言いたいことが透けてみえるような批判に対して不満が出ているのかなと思いました。
このドラマ、すごく良い週もあったり、このセリフやエピいいなと思うところも沢山あるのに、あれれれっとズッコけるような時やこのセリフイマイチ~~みたいな時もあって残念な時もあってと不思議な気持ちにさせられるドラマなんです。
映画のような映像の美しさは抜群にいいと思います。
ミッチーとか唐沢さんとか出てくるとワクワクするし~(笑)
今週はなんだか楽しい週になりそうな予感。
ままごとセットの事は、お婆ちゃんにプレゼントされたものだから、私も思い入れがあるんだろうなとは思いました。でも「想像がつく」と言われても、そうい事を敢えてしたくはない方もいるように思うのです。逆に想像を楽しんでいる方に「それは行間を読む事とは違う」と言っても、その方は想像を楽しんでいてストレスを感じていないと思うのです。実際にはこの2パターンだけではなく、もっと多様な感性が集まっているのでしょうから、同じドラマでも、見る角度がぜんぜん違っていて見え方が違う。感想の内容が真逆になることもあるのは仕方ないことなのでしょう。そんな人もいるのだと、心では理解できなくても頭では理解した上で「自分はそれとは違うのだ」と、相手の感性を否定する事なく反論できると良いんですけどね。人間は感情の生き物だからなかなか難しいのかな。
105のつけたしです。
私が書いた「ほーほーほー」の改訂版は
この方が良いと思って書いたものではないのです。
たとえ話として半分冗談で書いてしましました。
脚本家の描いたものの方が良いのは間違いないと思います。
失礼いたしました。
美子の滝子からもらったおもちゃ、覚えていた私は農家とおもちゃとの交換になった時、なんの違和感なんてなかったけど「おもちゃで遊んでる場面なんてほとんどなかったぞ」という批判を見た時、正直いって自分がただ覚えていないのが悪いんじゃないのと思いました。ミシンもそうだけど何回も画面に登場させないと「つかっていなかったじゃないか!」と花山のように怒鳴りちらすのでしょうかね。
なんかさ、自分の記憶力のような、能力の低さを自ら露呈して批判しているように見えます。おもちゃのときは鞠子常子もハンカチをもらい、その週は美子がおもちゃをいじっていたのですから、なに難しいことがあるのでしょうかね?普通に見ている人なら「ああ、おもちゃあったよね」でおしまいでしょ。それを「今まで出でいなかったぞ」といって批判へと昇華させ粘るって、その根性がね、嫌だわ。違う朝ドラになったらお返ししてあげたいね。
それと、美子のおもちゃの件の時、「おもちゃは滝子からもらっています」といった反論がはいっても無視して「おもちゃで遊ぶ場面なんて今までなかったのにいきなりおもちゃの話が出てきた!」言っていたのがいたけど、他人が教えてもやめないってしつこいと思いませんか?みなさん。
普通じゃないよな?こんな人間がいるからこそ、朝ドラの感想欄はどこもおかしいのだろうね。
半年間もやるドラマなので、
毎日見ていない人も結構多いです。
だからその日見て解るように、また、記憶想起させるために、重要アイテムを出す直前にちらっと回想なり伏線いれるのは、朝ドラでよくある手法。
とと姉はそれがあまりないので、ちょっと不親切。
私が、情報量が少ない、と感じるところのひとつです。
事前にセリフひとつ加えるだけで、つっこまれる確率が低くなる=印象が変わると思うのですが……。
あとここだけでなく、どこのサイトにも、
感想を投げるだけで、他の人の感想は読んでいない人が結構いるように思います。
毎日見ていない人のために回想シーンを毎回出す必要はないでしょう。民法のCMのあとまた同じ画像を流す手法なんてされたらたまったもんじゃない。
というか毎日見ていないんだから、自分が見落としたと思うほうが自然で
それを脚本や演出のせいにするほうがおかしい。
回想を毎回入れるのではなくて、重要なアイテムが出るときだけでも、見落とした人や忘れている人などのために、チラリと回想を入れてもらえたら親切なのに、ということではないでしょうか。重要なアイテムはそう度々登場するわけではないですし、その方が分かりやすいかなとは思います。制作事情は分からないけど、そんなに難しいことなのかしら?一回15分とはいえ、毎日隈なく見て、全ての内容を忘れることなく、半年間ドラマを見る。わたしにはチョット無理かなと思います。ただ、ちゃんと見ているという人がいる以上、批判を入れるときには、見落としているかも?いう視点も必要なのかもしれませんね。
ミシンとかの批判もさ、「もう少し、ミシンをつかうシーンがあったらよかったに」という意見はわかるが、「今までミシンをつかうシーンが全然なかったのにいきなり出てきたぞ!」では感想を見ている側の印象だって違うぜ。反論でミシンが登場したシーンを説明している人も数多くいたのだから、大人なら説明を聞いた時点で納得して引き下がればいいのにさ。
そこを「違う、違う」の一点張りの人がいて見苦しいと思った人たちもいるはずですよ。
その人の記憶力がなかろうが、見落としがあろうが誰かがミシンの登場場面を詳しく教えているのですから、それを踏まえて考えてから発言するべきじゃないのですか?あまりにも発言が子供じみているから呆れている人もいるのですよ。主観で感想を書いていいとあっても限度ってありますよね?みなさん。
仕事終わって見たらあっちもこっちも凄く進んでいて驚いた。
ここって仕事引退した専業主婦が多いのかな?
結局とと姉ちゃんって人気あるのかな?
同じ職場の同僚は、朝ドラ好きで何年も録画して観ていたけど、今回は面白くなくて途中脱落したと言っていた。
その後面白くなった?と聞かれて、戦争終わったからここから本題かな、と答えたけど、あの人どうしただろう。シフト合ったら聞いてみよう。
ミシンはあんまり気にならなかったけど、私は美子の和裁の縫い方が気になった。
和裁はさ、ピッピッピッっとやってグーーーッとやるから(テキトー。)指貫ないと大変だよと老婆心から美子の指が心配だった。
本筋と全く関係ないしどーでも良い事だから胸にとめておいたけど雑談なので。
皆さん、ここ感想書いた人への誹謗中傷禁止となっているので、意見を書くのは良いけど、自分と意見が違うからと言って人格否定までするのはやめません?
115さんの言われる事わかります。過去の朝ドラでも、こんなシ―ンはなかった。突然出てきて驚いた!とか言って批判する人達はいくらでもいました。ちゃんとありましたよって説明されても無視です。結局、そういう人達は批判のネタを探して書いているんじゃないのかな私は思っています。
結局意見の違う方への中傷はやめられないんですね。はあ。
花山ふうに言葉を考えました。
「アンチ、とと姉ちゃんの評価下げにいそしむ」
「とと姉ちゃんのアンチ、評価下げにいそしむ」
みなさんはどちらの言葉が良いと思いますか?
どちらも良いと思いません。
私は「とと姉」を楽しんで観ているので、本家で明らさまな「批判のための批判」を目にするのは正直、良い気分ではありません。でも120さんの書き込みも立場を変えているだけで、同じだと思うんです。
いちゃもんレベルじゃない書き込みなら、たとえ自分の意見とは真逆でもこういう見方もあるんだと思っています。120さんもドラマに対する批判が気になるなら、ご自分の考えを具体的に書かれた方が建設的だと思いますよ。
119さんのように言う人がいるが、
ここで批判について話すことによって、本家で批判をいれているアンチの人をここに来らせて、ここで直接議論したいと思っている人もいるのですよ。
本家で反論は言えますが投稿者へ向けては言えません、でも、お茶の間なら「あなたは間違っている」と言えて便利なんですよ。
本家で批判をいれていて、このスレのことで文句がある人はここで議論すればいいだけです。
反論されるのが怖くて、反論されないよう本家にこもっているのはもうみんなが知っています。
投稿者に向けても言えますよ。別に名指ししなくてもいいんだから。
「上に~というご意見がありますが、それは間違ってます」というのはいくらでもいえるはず。
禁止ではありません。
現に、いくらでもそういうコメントはあります。
投稿者に向けて、と言うけど、まさか「○○さん、あなた一体どういうつもり?」なんてことは言いませんよね。こういうのは、どこであってもNGでしょ?
そうじゃなくて、あくまでもコメント内容について論理や認知が間違っていれば、それに反論するのなら本家で十分です。
「○○だ」「いやそれは間違ってます。理由は~~」というやり取りで十分済む。お茶の間など必要ない。
そういうことについては、いくら言葉を尽くしても、まったく生産的な話にはならないから、私はお茶の間は全然使っていません。
論理がおかしいことに対する反論とやり取りは、本家以外でやるものではありません。
そんなことより、本筋から外れた枝葉のことがら、消しゴムがどうしたとか、手紙が、イラストが、お菓子が、ままごと道具が、ミシンがどうのこうの、というのをあれこれいつまでもやり取りしているとお茶の間へ行け、と赤字が出る。
いわゆる雑談ですね。こういうのの受け皿になるのがお茶の間です。
ただ、それに関しても、相手の言うことをまったく受け入れようとしない人も多く真にやり取りができないこともままあるので、あまりここを使う魅力は感じません。
これも、多少本家で話ができれば十分かな。
ドラマにいちゃもんつけたい人に絡んでもしょうがないでしょ。相手は議論する気などさらさらない。ドラマを下げたいだけなんだからお茶の間にその話題を持ってこられたら迷惑するんです。まれの時の寄生虫がいい例です。あれは理屈じゃないって読んでて思いました。でもお茶の間で理屈で反論する人がいる。冗談と突っ込みと正論がごっちゃになってるような,まさにまれのような混とんとした状態だった。こういうやりあいが好きな人が掲示板にくるんでしょう。
寄生虫のようにただ、評価を下げたいがために本家に寄生している人間がいるのは知っているよ。だから、わざとアンチに向けてお茶の間に来て議論でもしてみろと言っているんだと思うよ。
他のサイトだと、みんないい子ちゃんのフリしないといけないから、こういうサイトに来てドラマ以外のことで憂さでも晴らしているんだと思う。
Yなんかから来ているのは自分たちのサイトと同じようにしたいのでしょうね。なんか視察や監視でもしているみたいだ。
このサイトはなんか肥溜めみたい。いろんな悪い奴らがやってくるよ。
重要なシーンはちゃんと回想シーンいれていますよ。
見落としておいて回想シーンがないと騒ぐのはみっともないです。
誰も「重要な場面」に回想シーンがないと騒いではいないと思いますよ。
ミシンやままごと道具などの「重要なアイテム」が登場するときに回想が入れば、そのほうが分かりやすいのに、と感じている人がいるということではないでしょうか?それに、一口に重要な場面といっても、人其々の捉え方によっても違うかもしれませんよね。
重要なアイテムとは重要な場面と同じなのでは?
いちゃもんつけのようなミシンとかおままごととかの人のために
いちいち回想シーンは必要ないでしょう。
昨日なんで花山が1回あっただけでなんで常子を覚えているんだという批判がありましたが
回想シーンや今日の説明で、なぜ花山が1回あっただけの常子を覚えていたかがわかりましたよね。
ちゃんと回想シーンを効果的に使っていると思いますが。
なんというか、そういう感じで回想を入れておけばミシンやおままごと道具のことも、分からない、知らない、という人は少なかったのではないでしょうか。私は逆に花山が常子を覚えていたのは回想がなくても、自然にそうだろうなと思えたのですよね。初対面のときの常子が去った後の花山の最後の表情はとても印象的でしたから。ミシンとかおままごと道具などは「重要なアイテム」ではあっても演技ができないので、もう一度登場させるなら効果的な演出があった方が分かりやすいのではないか?と個人的には感じました。
でも、ここを読んでいると捉え方も理解の仕方も様々なので、私の考えが正解だとは思っていません。ただ、現在このことを語り人はいても、未だに納得できないと騒いでいるようには見えなかったので投稿させて頂いた次第です。
ミシンやおままごと道具は分かりやすいとかという問題ではなく
よく見ていない人が、回想シーンがないから、唐突だと騒いだにすぎないかと。
それは見る側に問題かと思います。よく見ていないんだから確かめて批判すればよいだけ。
質問すれば誰かが答えてくれるし、そういう人もいますよね?
○○があったけど、△△の場面なんかありました?とか
一度あっただけで覚えているのはおかしいって、もうさイチャモン言いたいだけなんだから相手にしないほうがいいかもね。感想として程度が低いと思う。
あの時、そうとう花山と常子言い合っていて、花山の揚げ足しをとるようにして挿し絵を描かせているし、革靴のかかとが取れて裸足で帰るすがたは結構印象的だったもの。それで覚えていたでいいと思いますけどね。
うん、自分が忘れていたり見落としていたのを棚に上げて
なんでもドラマのせいだ、描写が足りない、
と批判するのは違う気がします。
批判するならそれだけしっかりドラマを見るべき。
(つまらないから)もう見てませんが、とか、ながら見ですが、
とかいう方は本来(少なくとも細かい点は)
コメントする資格がないんじゃないの?
129 です。私も本家の方で議論になったときは、よく確かめもせず「そんなものは出てこなかったのに」と批判するのはどうかと思いましたよ。ただ、ここの投稿に「回想があった方が・・・」という意見が出たのは、まだ騒いでいるというのとは少し違うのかな?と感じたのです。回想があったらそこまで騒ぐ人もいなかったかもね、と冷静に考えたら思った、というニュアンスを感じました。それはそれで意見としてあっても良いのかなと思ったのです。そして、私はミシンのことも玩具のことも一応覚えてはいました。その上で花山が常子を覚えていたことの方が、回想はなくても自然に感じられたということです。意見を押し付けるつもりはありません。
私も、朝ドラは一度見るだけで録画を見たりしていませんが、ままごと道具やミシンが出てきていたことは覚えています。「唐突だ」「そんなシーンはなかったのに」というコメントには、それは言い過ぎだなと思っていました。でも、美子がままごと道具を手放したくない沈痛な気持ちや、鞠子が組長に楯突いてまで頑なにミシンを守ろうとする気持ちが、この脚本ではいまいち伝わりづらいと感じました。美子がままごと道具を貰ったときの感激や、どれほどままごと道具を大切にしていたか、また、ミシンが小橋家にとってどれほど重要なアイテムだったかがわかるようなエピソードなどがあればいいのにと思いました。特にミシンを守った鞠子は、戦時中に金属を供出するのを拒むわがままに見えてしまいました。
私の個人的な感じ方です。
鞠子自身は私はそこまでミシンに思い入れがあったとは思いませんけどね。
美子や母親ならあったと思うけど、組長を言い負かすことなんて不可能。
常子も感情的になって無理,冷静に言えたのは美子だけ
美子は家族が大切にしているミシンまで取ろうとする組長への反発心から言ったのかと思いました。感じ方様々ですね。
小橋家は全員裁縫とミシンができるとありましたので、それは鞠子も例外ではなく、ミシンをお国のためといった名目でタダでとられるわけにはいかなかったと思います。ミシンがなくなれば裁縫のできる範囲がせばめられてしまいます。小橋家のためにミシンを守るのは当然なのでは?
ミシンができるからと言って、ミシンに思い入れがあるとは限らない
少なくとも美子がミシンに思い入れがあるような演出はなかったのは事実ですね。
だから違和感を感じた人もいた。
私は、かかは、3姉妹にミシンを教え込んでいるし、美子は裁縫が大好きなのでミシンに思い入れはあるのは当然だしと思うし
家族を代弁して、また組長への反発心からミシンを守ったと思えたので別に違和感は感じなかったというだけです。
最初にミシンが登場した時、使おうと思ったら故障して動かない、という話だったので、いつもは余り使っていないミシンをしばらくぶりに動かそうとしたからかな?と思いました。なので金属供出でミシンが再度出てきたとき、小橋一家にそれほど思い入れがあるとは思えませんでした。
金属供出のとき、それまで提示されていた直近の映像情報は
「ミシンが壊れて使えない」。
再登場までちょっと時間が開きすぎかな、と感じます。
ミシンが直されたかどうかも正確には不明。
供出シーンまでミシンがどんな扱いだったか、
そこは見る人の想像にゆだねられています。
壊れたままだと思っている人なら、役に立たないものを持っていてもしょうがないのに、なぜ供出しないの?ただのわがまま?と感じるかも。
きちんと直して日ごろ洋裁に使っていると思っているなら、
これは絶対必要だから、死守したんだろうと感じるかも。
ドラマでは日ごろミシンを使っている映像はなかったので、根拠が薄い想像かもしれません。状況証拠で固めることが必要になります。
それでも確定はできず。
結局、こうしていたのでは、ああだったはずでは、という推測でしか語れません。
見る人の想像に任せる部分が多すぎるように思います。
思い入れがあるないの前に、ミシンは小橋家のものじゃないですか?自分ちのものをなんでやすやすと渡さないといけないんだよ。思い入れがないから簡単に手放す、そっちの理由のほうが私には疑問だよ。
私も135さんと同じように、思い入れがあるから出ださないっていうより、組長のやり方が横柄で権力にまかせて横暴をする、そんな雰囲気に反抗したというシーンだったと思うんですが。
なので、そのミシンへの思い入れが語られていないから提供しないのは違和感がある、いやない、そういう問題と絡まるのはどうもよく判らないです。
もちろん、ととが生きていた時分からずっとあり、かかにミシンの使い方を教えてもらった想い出や、美子の裁縫の腕前からして、今後生活に役立つ、だから出したくない、そういう気持ちも多少はあるとは思いますが、それより提出できるものを無理やり探し出して、出そうというあの雰囲気に対して鞠子は物申したのだと思いました。
個人的には見る側の想像や感性に委ねているような場面が目新しくて好きな反面、ドラマ的にはもうちょっと説明があった方が視聴者を納得させ反感も出ないのにな〜と思ったりします。もうちょっと視聴者層を意識して上手く、ずるく、器用に作れないかと。
でもその不器用さと正直さからこぼれる真っ直ぐさが嫌いではないので不快に思うことはないです。
ヒロインみたいに。
組長だって、何かにつけ目障りな小橋家に来て、ミシンがぱっと眼について、これも、提供させようという、ちょっとエスカレートした部分やり過ぎなところがあったから。
それまでの関係性だとかそういうことへの意地悪と反抗を描いたものだと思ったけど。
それに、ミシンは浜松でもリビングにありませんでしたっけ。
どーでもいいものなら北側の部屋とか納戸に埃かぶっておかれてる。
家の一番家族が集うところに、カバーをかけられて置いておくものってどういうものか、っていう。
お寺の金や、通天閣ですら金属供出は免れられなかった時代ですよね。そういう知識があったからか、組長がミシンのことで激怒したのは納得できました。そして組長のやり方が気に入らないから反抗する気持ちが湧いたという風にも見えなかったんですよね。そしてアイロンの事を持ち出されてハイハイそうですかっていう組長も何だか腑に落ちない自分でした。ここを読んでそのような解釈もあるのだなと思いましたよ。その方があの場面はスッキリ見られると思います。とと姉ちゃんの世界はそうなんだろうなとは思っています。
ミシンの件、私は現代に置きかえて考えました。組長のような人間がいきなり現れて「お国のために電化製品を没収だ!」となりエアコンや冷蔵庫を持っていかれたら正直言っておもしろくないです。ミシンが持っていかれそうになった話もそれと同じじゃないのかな?
なんていうか、自分に置きかえて物事考えて発言をする人が少なくなってきているのかもしれません。こういうと「ミシンのある描写が少ないのが悪い!」言ってくる人たちはハッキリ言うけどわがままで傲慢だと思います。一応鞠子の制服を直すさいに小橋家のミシンはでていますからね。まったく描写がないわけじゃないから。
これはこのサイトで今に始まったことじゃないけど、わがままで傲慢な人たちがたくさんいるってことなんだよね。
今、ミシンの解釈についてやり取りがされていたんでしょう?
なんで人の悪口になるんですか。人のことを「わがままだ」「傲慢だ」なんて、それこそ傲慢で一方的な決めつけだし、失礼極まりない。
不快だからやめましょう。それにここはそういうことは禁止されていますよ。そんなことを言いたいなら、そういう誹謗中傷できるサイトへどうぞ。他の人がきちんと話しているのに、迷惑な。、
1945以前の日本国民はどういう教育をされていたのか。
金属供出をなぜやっていたのか。
それを知らないと、
単に「とられた、ひどい」という感覚だけになるわけですね……。
あの時代。
現代の私たちと置き換えられるわけがない。
取られた、ひどいっていうより、あのおっとりちょっとずれたかかを筆頭にした女所帯だという事もちゃんと念頭に置いてドラマ見て欲しいです。
国内情勢や政治に前のめりな人間が家の中にいないってだけでも、組長と温度差が出てくるのは自然だと思う。それは国に反抗してやろうとかそういう性質のものとは違う。
ドラマの内容を見て理解ができなかったことを「わがまま」と捉えられてしまってはどうしようもありませんね。こちらの理解力が足りなかったかもしれなという事を前提にお話していて、小橋家が組長に反抗したという解釈を否定しているわけでもなく、ここで様々な解釈がある中、それが私としては一番スッキリ見れるかな、という事を話しているのですけどね。
供出しないのはわががままでしょ。命だってお国のためにささげた時代ですよ。私はそういう感覚で見ていましたけど,小橋家は供出せずに済んでしまった。あのシーンは現代的な感覚で描かれてるなと思った。
ミシンは使われるシーンがあまりなかったけど,常子たちが来てる洋服などは家のミシンもしくは手縫いで作って着ていたのではないかと,昔を知る人なら考えるのではないだろうか。
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