私は、美子ちゃんが家ではいつもチクチク手縫いをしているイメージがあったので、家族の服は美子ちゃんが作っているのかなと想像していました。お裁縫が大好きみたいですしね。家のミシンは修理しようと思いつつ、高価だから捨てることもできず。ミシンを使用するのは滝子が紹介してくれた洋裁店と(使用している場面はなかったけれど)勤め先の縫製工場だけで使っている感じがしていました。個人的な勝手な想像ですけどね。
だから、そんな時代の理不尽にあらがう姿を描きたかったんでしょう。
組長だって、息子のことがあり、あんなにお国のため、お国のためだけになんでもしなくては、となってしまったわけで。
あの時代にはそんな情勢を理不尽とも考えず、盲目的に従うのは当たり前だったのだろうけど、心の中では、なにかおかしい、と感じたり、その不満を口にした人達もいたでしょう。
そんな姿を描くことで、戦争反対のメッセージを込めてるわけだし、父の考えから、とと、かか、と両親を呼び、子供も大人も一人の人間、を信条に生きてきた小橋の子供達が時代の理不尽に反発する姿は不自然と感じませんでした。
理不尽というなら本当に理不尽な扱いを受けたのは戦地の人。
本当に金属がなかったから、飛行機のボディも木製だった。
木の飛行機で、鉄製の飛行機と戦っていたんですよ!
仮に常子たちに兄弟がいて(仮に鞠男と名付けよう)ミシンから取れる金属が鞠男や同じように戦地にいる若者を守るかもしれない弾丸一つにでもなり役に立つ可能性がわずかでもあるなら、安全な場所から感じる生死に関係のない理不尽など目になとはいらなかったでしょう。
でも常子たちにはそうやって命を思いやる人は1人もいなかったから、戦地の若者の命より自分たちの意思を尊重したのでしょう。(星野くんは既に過去の人。)
いかに戦地の生死が他人事かよく解る秀逸な描写だったと思います。
で、その視点から見ると、組長さんがアイロンを残していたのは、完全にミスに感じる。
悪役描写の為に親心置き去りな印象。
それは大変遺憾です。
史実でも大橋さんはミシンを供出していないので、私はミシン出してなくても良いと思う。身内が戦地にいない事で辻褄も合うし。
ただ、大橋さんは空襲の時も防空壕まで自らミシン抱えて持って行っています!
供出拒否シーンを敢えて創作したなら、ミシンに対するそこまでの熱意を描いた方が良かったかも。
149番、150番、あなたたちのような人たちがわがままで傲慢の代表みたいなものだよ。
小橋家がなんでミシンをお国のために提供しないといけないのか、疑問に思ったっていいじゃないか。あの時代、みんながみんな右向け右なんかじゃない。組長の理屈に疑問を持つ人間がいたって不思議じゃない。鞠子は当然のことをしたまで、組長のような人間を正当化する者がいれば、それを受け入れない人間がいるのだって当然だよ!
組長さんが、常子の出版社で出版された戦意高揚の雑誌に感化されるシーンとかあったら完璧でしたね。
常子の生活の為の仕事が組長さんのやる気の源とかだったら、逆説的で面白かった。
戦地の人達が一番理不尽かどうかは自分には、わからないし。何も知らず、戦火の犠牲となった子供らなんかとどっちかなんて比べようもないし。
戦争は、そんな理不尽や狂った感覚が普通と思うような状況で、それを普通と感じない、疑問に思う姿勢を描いたんだろうと、言うことなんですけどね。
組長の見逃しも、あれは組長が出征した自分の息子を思うがあまりに小橋家にはつらく当たっている、本当はそんな人じゃないという組長の良心の表れだし。
ようは穏やかな生活や人てしての普通の感覚も変えてしまう戦争全体に対する批判でしょう。
ま、ミシンの件は別に疑問は感じないけど、小橋家が戦争で大したダメージを受けなかったことは幸いだろうけど、ちょっと緊迫感が足りない印象だったことは否めません。
脚本家さんが、言いたいこととか、わかるんだけど、どうも薄味なエビがところどころにあるのはちょい残念。
149です。私は疑問に思ってはいけないなんて一言も言っておりませんよ。155さんの仰ることはわかります。私は、あのときの組長さんの態度はとても怖いなと思いましたし、いい気分のする場面ではありませんでした。ただ私は、ドラマを当時の目線で見てしまったので、鞠子がどのような考え方でが行動をしたのか?本家やここを読むまで、あの場面がよく理解できなかったということです。そして、ミシンのことで私が本家で批判の感想を投稿したことはない、という事はどうかご理解いただけないでしょうか。皆さんの意見を参考にさせていただき、読んでなるほどと思いましたよ。それが我侭で傲慢と思われるのであれば仕方ありませんけれど。
議論はいいけど相手の感想や考えは尊重すべきです。それができない人が一番わがままで傲慢だと思います。
ミシン供出については、当時を生きていた年配の方に聞いてみたいな
何を議論してるのかよくわかりませんが,今の朝ドラは反戦思想が濃いです。今回のドラマは供出の拒否や終戦の喜び,花山の心の傷などから感じます。
あの時代の感覚は祖父母や両親から子ども心にもたくさん教え込まれた年代なので,反戦だけでない生の声をたくさん聞きました。
戦争を知らない世代の戦争の描き方と考え方はこのサイトを読んで考えさせられました。
私も両親は爆撃の中を逃げまどった経験などを聞いて育ちました。
もちろん反戦だけではなく、御国を支えることが一番だという考え方はその頃当然だったことも聞いています。
しかし、だからそれが正しかったとは思ってはいないようです。
戦争が終わり、戦時中を振り返れば、一億火の玉と盲信していた人達も、戦争はするものではない、戦争は本当に恐ろしいものだ・・と我に返ったのではないでしょうか。
広島にも長く住んでいて、何度もドームには訪れていましたし、被爆者の声を聴く機会もありました。毎年、原爆の日はやはり特別な想いがあります。
日本は比較的平和ではありますが、世界中では、テロがいたるところで起り、まさに戦争をしている国も多々です。
戦争やそれに準ずることを肯定または、扇動するようなドラマや映画は作られないだろうと私は思うし、とくに日本は唯一の原爆攻撃での被爆国、戦争反対の立場をつらぬいてほしいです。だからNHKではとくに、戦争の本当の悲惨さも語ってはほしいけど、悲惨な戦争は間違っていると否定もしてほしいと思います。
なので、このトラマのヒロイン達が、戦争での不公平などに反対の態度を表していることには賛成です。
私も両親は⇒私も両親の
の間違いでした。つけたしますと、親は昭和一桁、自分は昭和三十年代の生まれです。
批判ありきで見ている人には、表情だけの演技では心の機微が伝わらないみたいですね。
戦争や兵役があるのが当たり前の時代に生まれた人、ないのが当たり前に生まれた人。
思想が自由とは言い切れないような時代に生まれた人、自由な思想が出来る時代に生まれた人。
そこには嫌でも根底の価値観が違うということ。
それが違うということは現代と違い、国のためにミシンを取られても疑問に思わない人が多数を占めることも決しておかしなことじゃないってこと。
現代であれ今回の選挙と与党の憲法改正が進めば、今の価値観なんて簡単に崩れる可能性だってある。
金属供出されないように、隠していた日本人もまた多いのも事実だよ。
根底の価値観は、それぞれ違うのはわかるけど、一人の人間の中ででも、時代や世間が変われば、考え方や価値観が変化してくることもある、価値観も流動的なものだよね。そう、価値観なんて簡単にくずれてしまうものなんだし。
あの時代なら、供出が当たり前に感じてた人だって、今あんなことがあったら反発する、と考えてる人も結構いると思うけど。
うちのじっちゃんは、戦争は二度とごめんだっていってるよ。
別に、あの時代の人間ならミシンの供出をこばむなんて非国民だと、感じて、なんで出さないと怒る人を否定はしない。それと同じく、皆が言い出せない反発を、口にしてしまう人もいただろうし、戦争反対の立場からドラマを描いて欲しい、と思う人もいることもまたしかり。
常子たちの戦争の向き合い方は少し物足りなさを感じています。
戦争を描いたドラマより今の日本がこわいです。根底は変わってないのではと思うことは多々ありますけど,政治の話はここではアク禁につながるでしょうから割愛します。
金属ではありませんが供出せずに済むようにずるく立ち回った祖父母の話はよく覚えています。戦況の悪化は人々の暮らしをも蝕んだということなのでしょう。
そういえば、めいこは隠れ食物貯蔵庫を密かにもっていましたね。小麦粉の減りがどうこうでものズゴイ剣幕だった。あの時も、意見割れてたっけ。
今日、花山が言っていたけど焼夷弾は怖くないと政府が言えば、言葉を真に受けてしまう国民ほど被害に合うように、金属の提出だって真に受ける人間は喜んで出すだろうけど、国だろうが相手の言うことに疑問を持って戦争の中を生きていた人たちもいるんじゃないのかな?はだしのゲンを読んだ人ならわかると思うけどね。
ごちでめ以子が食料を隠したのも、政府の言うことを真に受けていなかったからじゃないのかな?砂糖の時の感想欄は酷かったアンチの揚げ足とりの連続だったからね。あのとき、肯定側だって盗みのは良いことじゃないと踏まえた上で意見言っていたのにね。あれだって物事を真に受けるな!といった意味合いがドラマであったんじゃないのかと思うよ。
あと、批判ありきで見ているといった意見があるけど、批判も二種類のタイプがいると思うよ。客観的に見て批判し、おもしろくないとまじめに書いている人と、自分の好きだった作品を批判されて恨みからその朝ドラに批判を投稿をしている者がいるよ。
後者は本家で見ていれば簡単にわかるよ。批判をする際言葉が端々に汚らしい人や、自分の好きだった朝ドラの比較感想が出ると反応する人たちです。
そりゃいるでしょ。
それはどちらかというと個人個人のミクロの見方。
件の人は時代の流れとしてどういう思想が主流なのかのマクロの見方をしているだけ。
ミクロレベルならば個人の考えが自由というのは単純過ぎる部分がある。
ミクロも結局のところマクロの影響を前提にしているということ。
171さんは、どなたの意見に対しておっしゃっているのでしょうか?
ちょっと流れとして良く判らなかったので。
>自分の好きだった作品を批判されて恨みからその朝ドラに批判を投稿をしている者がいるよ。
こういう感想が何度も出てきますけど、私はそうは思いません。
まれも、あさがきたもとと姉ちゃんも、批判スタイルがよく似ていますから。
私もあると思います。製作局ファンの対立もあるみたいだし。勿論批判が全部じゃなく一部だと思いますが、全く無いと思う方が私の中では無理がある感じです。
朝ドラはファンの恨みはあるよ。朝ドラを批判している人全員でないというのはわかっているけど、感想欄に恨みから批判を書いている人が毎回いるのはもうみんな知っているじゃないのかな?
別にIDなんてなくても文章見ていればなんとなく気づくよ。自分の好きな朝ドラでの批判を注意深く見ていると、汚い言葉や荒々しさのある感想文はたいていが恨みだと思うよ。冷静に考察いれて書かれている批判とは全然違うよ。本家で見ていて感情的な感想はどれだってわかる人なら、その感想の裏側も読み取れると思うよ。
あと、そういうのがいるってことはもう珍しくないことだよ。このサイトでなくても他のサイトでも同じだよ。
でも、批判の仕方が前作、全前作と同じようだよ。
前作を貶された恨みから次をいつまでも批判するって本当にいるの?
私にはそういうのが全く理解できない。ファンの質を貶める行為だよ。
恨みって言うより、関西人が、東京に勝っている、東京より優れているって言い張りたいっていうのがあると感じる。
いつもファンが大阪作品を絶賛するさまは、大野ファンが大野さんを持ち上げる様と似てる。
それに気を悪くした人が、大阪作品に恨みをもって返してる。
でもなんでも東京にいちいちライバル視して楯ついてくるその目標の低さと視野の狭さが、大阪がニューヨークやミラノみたいに国際都市になれず一地方都市のままになってしまった理由の一つだと思う。
大坂だ東京だというのはごくごく一部で、ほとんどはどこかは気にしていないんじゃないの?
私はごちそうさんも花アンもどっちも好きだったよ。
あと、なんとなくだけど東京の人は大阪にライバル視しないんじゃないのかなあ?勝手なイメージだけど。
恨みで朝ドラの感想欄に毎回居続けて書き続ける人はいるよ。
>批判の仕方が前作、全前作と同じようだよ。
このようにありますけど、批判の仕方をサイトを使い続けることによりアンチファン互いに覚えているのですよ。マッサンで棚ボタという批判が出てからまれ、あさが来たでも同じ棚ボタが出ていますから批判の仕方をマネしているんだよ。
ネットのこういうサイトなんて誰がきているのかなんて全然わからないじゃないですか。このサイトは感情剥き出しの感想でも削除はされないから人間の本性が見えます。
恨みで感想を書いてる人がいないというのなら、本家のほうだってもう少しマシな感想欄になっていると思うし、あの警告だって誰かがムキになって議論雑談を続けたから出たのではないのでしょうか?
批判を冷静に書くことができる人はそんなにムキになって言い返さないよ。
マッサンのときに、ここのサイトでAK、BKという言葉を知りました。あのときの大阪局へのバッシングにはとても驚いたのを覚えています。大阪への批判、差別、蔑視に満ちたコメントが次々にあげられていました。その人たちが東京在住なのかはわからないですけど、そういうことを言いたい人は東西にかかわらずどこにでもいると思います。私は、朝ドラが東京と大阪で交代で製作されていることも知りませんでしたが、そんなことはどうでもいいかなと思います。東京でも大阪でも関係ないです。
わたしも感想欄を読んでAK、BKはじめて知りました。私は、感想サイト自体を最近使うようになったので、昔からの事情はあまり知りません。どちらの制作であろうが自分にとって面白ければそれで良いと思っているけど、世の中色々な価値観の人がいるんだな、と改めて感じたものです。面白くないものを面白くないと正直に批判することは悪いことだとは思いませんし、何が何でも絶賛する感想も本当にそう感じているのならばありだと思います。ただ、批判でも肯定でも、見落としや全く間違った解釈のまま「そうに決まっている」とばかりに盛り上がっていくことは、個人的にあまり歓迎できないなと感じます。淡々と自分の感じたことを投稿したいなと思う。
それと、解釈に幅をもたせているような場面で、お互いにこの解釈の方が正しいとばかりに意見を戦わせるのも、あまりにやりすぎると不毛なときがありますよね。書いた方は意見を押し付けるつもりは全くなくても、文字だけ読むと伝わりにくい事もあるのかもしれません。あまりにも自分と真逆な捉え方だと、分かってはいても疑問に感じてしまうこともありますし、お互いを尊重することが大事と分かっていても難しいこともあるようには感じています。
そういうヘイトスピーチ的なことをする人はどこにでもいます。
現実生活でも、偏見に凝り固まって、一定の対象に攻撃的にものをいう人がいますね。でも、一般の良識ある人たちは、たいていそういうのを無視しています。
ここでも同じです。一部そういう人がいるようですが、多くの人は引っかからず、良識的に意見を述べていると思いますよ。
こういう人がこういうことを書いている、という類のコメントに引っかからないようにしてください。それこそ確認不可能で憶測にしか過ぎないのに、あたかもそれらしいことを言って人を疑心暗鬼に陥れる。その言葉尻に引っかかって反論なんかしたりしていると、永遠に終わることのない泥沼になりますよ。
相手には論理も何もなく、いくらでも詭弁と屁理屈を並べたてて止むことがないからです。
また、そうなるのを喜んで煽り立てる人もいます。荒れる兆しが見えると、祭が始まったと駆けつけて、焚きつけるようなコメントを繰り返します。実際、今までのお茶の間には、はっきりそう言って、スレが荒れるのをおもしろがる人がいました。
こういう類は、徹底してスルー無双です。
このスレは、ローカルルールで制限されていることもあり、今までのような荒れ放題にはなっていませんが、ときどきステマのように人への誹謗を潜らせているコメントがあるので要注意です。
たいていそういうのは、憶測だらけの一方的な決めつけからできています。
朝ドラて争いはあると思うけどね。朝ドラは特殊だよ。東京、大阪が交互に半年づつ放送するのだからね。他の朝ドラとの比較なんていい例だよ。あんなのを頻繁にやっているのは朝ドラくらいだよ。比較を取り締まらないんだから仕方ないし、本家で比較が出たときの反応ってすごくわかりやすいよ。
東京制作と大阪制作で作品を上げたり下げたりするのがいると信じる人間がいてもいいし、逆に信じたくない人は信じなくてもいいんじゃないの?
それにここは雑談できる場所なのだから、このような話を制限できるわけじゃないからね。こういう話をしたからといって悪だというわけじゃないよ。
お茶の間の使い方も、ひとそれぞれ。まったりしたい人もいれば、議論したい人もいるし、ちょっとひとり言いったり、グチこぼしたいだけの人もいる。
違反にならない範囲なら、本家のことについて問題だなぁと思っていることをクチにしても構わない。
荒れるのを極端に嫌う人もいるけど、別にお互いに罵り合うようなことにならなければ、少しばかり白熱するようなことくらいは当事者同士でやらせておけばそのうち飽きて自然沈下する。
そういうのを見つけては、取り締まろうとして、自分の判断で、やめさせようとしたり、「まったくここの住人は・・・」「〇〇派の人たちは・・」(そういう書き方をすること自体も実は人に対してなにか言いたい気持ちがあり、他の投稿者を責めていることに気が付いていないように感じるけど)と詰るような強い注意したりすると余計に揉めて荒れることもある。
議論が出来たり、自由度が高いスレはいろいろ自分の考えとは違う意見が飛び交うこともあるのは承知で自分は来ているよ。
住み分けができるんだから、本当にこのスレは自分には合わないなと思ったら、自分の理想とするスレを作る、または住み心地のいいスレに移動すればいいだけ。
そう、関係なさそうな、あまりに自分と違う感覚の意見は無視するだけ。
ときどきイキすぎてるなと思ったら、メールで管理人さんにこんな状況ですが行き過ぎではないか、と取り敢えず連絡はするけどね。
こういう所(本家の事ですが)でクソミソに書いて憂さ晴らしするという楽しみのためにドラマを穿った見方をしているだけで、本当に見ていて退屈だったり苦痛なわけでは無いんでしょう。
これもネット時代のひとつのドラマの視聴方法として市民権を得てしまっているのが、何とも虚しいですね。
私は普通より上の朝ドラだと思って見続けていますが、とと姉ちゃんは他のサイトでクソミソに言われていますね。あるところの話がここで出て、#とと姉ちゃん反省会なるものを昨日見たのですが、あさが来たのほうが良かったといって、この朝ドラの文句を言う人が多くてちょっと驚いたね。あさが来たを出して貶すってことは、その人たちの一部でしょうが妬みからとと姉ちゃんを否定しているのだと、個人的に思いました。
批判を見ていますが、どこも批判ではなく憂さ晴らすために書き込んでいるような感想が多いですね。肯定意見がほとんどないところもありますからね。もうサイトを一部の人たちで占領しているようにも感じられました。
その点、このサイトはアク禁が抑止力になっているからか、まだまともなほうだと思います。アク禁ないところは腐ったみかんの方程式ごとく腐ったみかんが無限に増え続けているよ。
私も#とと姉ちゃん反省会をのぞいてみましたが、
前作と比較しているようなのは、ほとんどなかったですね。
187こそ難癖をつけて前作を貶めたい方なのだなと認識しました。
なんだかここはこわいですね。
185さんは一見中立のスタンスを取りたいみたいな書き方だけど、その実普通の人よりもはるかに自治派だね。
それならそれで、私は自治したいですと書いたらいいと思う。
こういうのを見ると残念。
本家の方でも自分の本心に自覚がないか、もしくは本心を隠そうとしていると感じる感想は総じて面白くないから。
#とと姉ちゃんか#とと姉ちゃんイライラのどっちかであさが来たのほうが良かったといって批判しているの見たよ。
189さんが自分の意見を読んで、一見どうこうで、実は・・・と感じてそれを書くのも自由だし、残念に思うなら別にそれはそれ。
しかし、その見方が正しいわけではない。
個人的にスレ自治したいと思ってはいないことだけは、伝えておきます。
それにもともと中立で書いたわけでもない。(笑)
自分の書きたいことを書いただけ。
それに対する反応も自由だけど、勝手に決めつけないでね。
177さんのような感想が制作局対立を産むのですよ。
これ以上書くと自分もそうなってしまうのでやめます。
他のサイトの人たちはちゃんねるレビューを見て影響されているのですね。ツイッターで脳内変換という言葉を見ましたし、他のサイトでうんちく好きな人へ向けて「お茶の間というところへ行けよ!」とかありましたよ。ちゃんねるレビューで使われている言葉を他でもよく見るようになった。
今回は昨日まで東京大阪なんて出てこなかったかと思います。
一部の人が執拗に、前作貶された恨みから今作を貶していると書いているだけで。
何で争いに持っていきたかるんでしょう。
批判派は批判することを楽しんでいるでかと。
東京制作や大阪制作の話をするぶんにはいいんじゃないの?自分の好きな作品に批判をいれられて恨みに思う人だっているでしょう。あさが来たの放送時、お茶の間であさが来たの批判はすべて質の低い批判だと何回も言っていた人だっているじゃないですか?
批判を楽しむ人だってどの朝ドラ作品にも必ずいるので珍しくないですよ。
ただ、お茶の間で他愛の無い無駄話をしているだけです。なんだか、ひとりだけ過敏に反応している人がいるだけなんじゃないですか?
過激な作品批判をする人はわりとすぐ燃え尽きて朝ドラからいなくなるんですけどね
同じような新しい人が次々現れるだけw
だから経験から学ぶことがない
BK信者は「だんだん」の大失敗で一旦絶滅したんだけど
前作と比べて感想を書くのと
前作をぼろくそ貶された恨みから批判を書くのは
同じじゃないと思いますよ。
BK信者は「だんだん」で絶滅した、という話は
ここで初めて見ました。
なんだかAKだのBKだの、新興宗教のようになっているんですね。まるで狂信者です。
このスレ、レイシストの思考が垣間見えて、大変興味深いです。
気持ち悪いぐらい気違いじみていますね(笑)
朝ドラで狂人はいっぱいいるよ。他のサイトでは猫をかぶっていてこのサイトに来ると本性をあらわす人はいくらでもいるよ。人間の皮をかぶったなんとやらだね。
AKBKわけ隔てなく見ているというすさまじい反発だけがずっとやまずに続いているんですから、もう結論としては
皆、個人的に感じた作品の面白さのみでもって批判、賛成それぞれの意見を書いているという結論と決めてしまって、何も問題ないのでは。
AKBKなんて誰も気にしていないという意見がほとんどなのでそれが正しいのだと思います。
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