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嘘っぽい稚拙な大河だった。
とくに最後の二話はひどかった。
本能寺の変が光秀・家康共謀で、光秀が我が子を無力な氏真に差し出し、氏真は井伊谷に置き去りにし、直虎はその子を信長の子と言い逃れた。時代考証の先生は、自説の氏真有能説をヒストリアで紹介されたからといってプライドを捨てたのか。
無力で無能な氏真をドラマの最後まで引っ張った理由は何。於大の方も龍潭寺までわざわざ来て主人公の引き立て役。脇役を生き生きと描くことを他の好評ドラマに見習うべきだ。
全体を通してみれば、直虎に井伊家再興を断念させたのが大失態。井伊を名乗ることを自ら画策した直政と直虎の対立が強調され、直虎が直政を育てたシーンが少ないことと相俟って、井伊家再興はひとり直政のおかげ、直虎は何も貢献しなかったとの印象しか残らない。
政次は奸臣ではないという設定も、敵も味方も騙せないまま最後は近藤の策略にはまったでは共感は無理。
しのとなつの父の死は正当防衛で一同納得に唖然。
直虎が願う、戦さのない世の実現という綺麗ごとも、従わない者を滅ぼす家康の史実の行動とどうつながるのか。ラストシーンが勇猛な直政の一番槍宣言では理解不能。
脚本家は男に囲まれてチヤホヤされたいという願望を直虎で表現したかったのか。桶狭間の後、井伊家の男たちが次々と亡くなり、井伊家存亡の危機のはずなのに緊張感がなく、男が代わるがわる登場し直虎の相手をする。直親、政次の死後、盗賊と暮らすための還俗は論外。
史実のおとわは、井伊家存続を願う直親や先祖をはじめ井伊家の犠牲になった人たちを尼として一生供養したはず。そのような姿を最終回から何も感じ取れなかった。
あの時代に、「家が無い方が幸せだ」「家があるから争いが起きる」「見通しが甘かったので、もう決定事項だけど私は領主辞めます!一応事後報告」なんて舐めた事を言う人間も、それを認めていい大人の女をよしよしする激甘な周囲の人間も、最早生きていく価値は無い。
史実の直親が何故10年にも渡り潜伏し、匿われた先で子をもうけたか。何故そうまでして命を繋ぎ、井伊へ帰ってきてから当主の義務としてしのと結婚し、虎松をもうけたのか。
ひとえに、家の血脈を繋ぎ広く根を張り、後世へ遺していく為でしかない。
一寸先は闇で、自分の命の保証など何処にも無い時代だっただろうから。
浮気だとかすけこましだとか、そんな現代的な考え方では勿論無い。
妻は複数持つことは当たり前、子を何人作ろうが成人するまで生きている確率は低かった時代に、恋愛云々等殆ど考えている暇など無かった筈。
史実の小野政次だって、井伊家よりも己の生家である小野家を一番に考えていたと思う。
勿論今回のファンタジー政次の様に直虎直虎とうじうじ片想いなどせずに、普通に妻子が居た。というか、例え片想いしていたとしてもそれが当たり前。
結果として、仕えるに値せずと判断すれば下克上され家が乗っ取られる事はよくあることで、当時の武士としてはそれは当たり前だった。
数少ない史実の通りに描けば、小国の中での内輪の争いや大国に翻弄される様をまざまざと描き、緊迫感のある大河ドラマになっていたかもしれない。
ただその技量も、歴史への情熱もCD発売までして熱を出したり己の作り出したほぼ創作のキャラに興奮している様な女性製作スタッフ達にはまるで無かったのだろう。
直虎と同じように、大河ドラマは荷が重すぎたとも言える。
NHKはこれを教訓にしてもう2度と、史実が定かでなく存在すらあやふやな人物を女性だったかも?というだけで貴重な大河ドラマの題材には選ばないで欲しい。
民法の何倍も莫大な制作費をかけて毎週放送しておいて、池の水を全部抜くに視聴率は負けるんだから、今作はもう放送する意味も価値もない。
本当に受信料の無駄。
ちやほやよしよし農婦龍雲丸の嫁直虎物語は最終回で、来週からは直政の井伊家再興出世物語を放送して貰いたい。
歴史の中に生きた人々の物語を観るために大河ドラマをみてきたが、この作品は粗悪なファンタジーだ。権力者側でない物語は今まで多くあった、登場人物達は逆境に苦しみながら必死に生きる姿を多くみせて頂いた。このドラマの魅力の無さは、まず主人公に才能がないだけでなく人間としての芯がなく、直虎を名乗ったことしか自分でしたことはなく、力及ばずことが駄目になったらより楽な方に逃げ続け反省もなく苦しみも悲しみもすぐ忘れへらへらしている人間としたことが大きい。二つ目に架空キャラのリアリティの無さ、武家出の盗賊でなんでもできる木も切る船も
動かす 城も簡単に作る、刺されても死なない、都合よくでてきて都合よく去り存在に意味なし。三つ目は民ファーストの御都合主義、井伊谷の平和は近藤と徳川の支配下で戦がないからで、直虎が防いでるわけではない、しかも直政に与えられた他の土地にいたであろう民は無視、井伊谷オンリー箱庭のおままごとピースフル。歴史はみる角度で解釈は異なるのは当然だが、新しいところはほぼ史実無視のファンタジー、大河風は今まで観たことがあり感満載焼き直し。最近徳川の話で大河風にしているが、以前も歴史考証の専門範囲の今川家の歴史を描き通な歴史解釈を装う実にさもしい脚本だ。
色々な感想がある。
>小さな世界での心の機微を丁寧に描きたいなら、大河ドラマである必要はない。
大河では、歴史的にあまり知られていない人物が主人公になったり、小国小地域が中心舞台となるたび、このような意見が出る。大河ドラマには何か壮大に見えるものを求められる風潮がある限り、このような感想もあって当然だ。
ただ私は少し違う見方をしている。
歴史は、歴史に名を大きく残した人物だけで作られてきたのではない。
例えば、天下を取った武将も、属国の小さな国々に支えられたり駆け引きをしたり、農民に食糧を支えられ、職人や商人に武器や物資の面で支えられている。あるいは常に小国の謀反の危機に怯えている。
歴史は、小さな世界や名も無き人々の織り成す社会の中で紡がれてきたもの。それこそが壮大な歴史そのもの。
そういう小さな世界に光を当てて、その世界からの視点で歴史を考証する、という大河ドラマも、逆に無くてはならない。大河でそれを取り上げなければ、小さな世界の努力が埋もれてしまう。現代の私達も、1人1人が歴史を作っている。
歴史とは壮大な群像劇だから、直虎の物語も実に興味深い。
検地の借りを返したのシーン、直親が恩着せがましいとか、無理やり仲直りさせられた、
などと思っている人が少なからずいて驚いた。
私は、幼なじみのいいシーンだと思ってみていたので。
本当だったら、いくら正当防衛だとはいえ、喧嘩両成敗で処刑されてもおかしくないところを
直親に救われた。でも直親は、そのようなことを恩に思わなくていいと、直接言わず
ずっと、心の中で申し訳ないと思っていた、検地の話で伝えた。
正次もそれがわかったから、亀!と幼名で、引き止め謝ったのだと思った。
正次の表情が晴れやかではないのは、人を殺してしまったからで、
直親に対する気持ちではないと思う。
人を殺して、ニコニコなどできまい。
奥山殺害で実父のみならず義理の父の敵となった政次を、感情に走らず公平な状況判断で正当防衛を認め、庇った直親。
その礼に、直親の嫡男虎松への出生祝いとして、謀反の疑いで召し上げられた直満の所領をすべて虎松に返上した政次。
政次の助命と鶴と亀の仲直りのため竜宮小僧として奔走する次郎。
そして元康の今川への裏切りにより自害を迫られる瀬名のため命がけで寿桂尼に助命を直訴する次郎。
鶴と亀とおとわ。おとわと瀬名。子供時代から続くそれぞれの友情の厚さに今日は泣かされました。
特に直親と政次は父親の代からの複雑な屈折がある。
それが「亀、お父上を、すまなかった」「俺だってああする」のやりとりできれいに解消された。
三浦さん高橋さんの晴れ晴れした表情と共に見ていてとても気持ちのいいシーンでした。
この後の波乱や悲劇を想うとなんとも切ないですが、子役時代の3人のシーンがよみがえり今日は心が温かくなりました。
そして最後、突如現れた馬上の武士! 次回への引きも上手いですね。
元康と瀬名の今後からも目が離せません。濃密な人間ドラマに惹き込まれます。
三方原の戦いは家康や徳川四天王の人となりを描くチャンスだったのに。一瞬のコントでスルーした。およそ製作陣は歴史を描く気はないのだろう。女脚本家、女プロデューサーによる女大河がこれ程駄作になるとは。予想を更に下に越えてくれた。それにしてもこのプロデューサーは過去の大河をどれくらい通して見たのだろう?朝ドラとの違いすら分かっていないと思う。
直親も二枚舌とか三枚舌とか言われてたけど、それは違うのではと個人的には思います 。
最初の結婚は逃亡先で匿って貰う為にやむを得ずだったかもしれないし(というか恐らくそう)、帰ってきてもおとわとは結ばれず次期当主が未婚を貫ける筈もなく、これもまたやむを得ずしのと結婚しました。
個人は捨てて、家を繋ぎ広く根を張る為にするのがこの時代の結婚であり、直親もその一人に過ぎません。
結婚しない小野政次はずっと一途とか言われてスイーツ達も盛り上がっていましたが、小野家という家の当主でありながら個人の感情を優先し、何より優先すべき己の生家を繋ぐことなど考えてもいない、戦国時代にはあるまじき人物です。
その上、「義兄は妻も子も居ないので乗っ取りは考えていません」等と義妹に言わせる始末。
別に妻子が史実通りに居ても主家への忠勤は幾らでも他で示せるのに、妻子がいないというとんでも設定も小野政次が不憫ぶる背景の材料にされたとしか思えません。
脚本家がかなり小野政次(というか高橋一生?)に肩入れをしているのはこれ迄の流れからも明らかですが、そしてそれを当たり前に受け止めて直親を貶める視聴者もTwitter等を見る限りでは結構居ましたが、私からすれば政次の方が異様な存在だし、奸臣としての仮面もあっさり剥がれてから中途半端な立ち位置で何の為に居るのかも最早わかりません。
とりあえず脚本家や演出、今回のスタッフには大河枠でこんな整合性の取れていない上に下品要素まである歴史破綻ラブファンタジーを垂れ流した責任を、是非とって貰いたいものです。
今ふり返ると、検地の回が一番よかった。直親と政次の心理戦は見応えがあった。
それと、直親が今川へ出向く回。覚悟を決めてから命を落とす直前までが、美しく哀切に描かれていた。
あのあたりは、今と演出が違うんじゃないかな。まるで別の作品のようだもの。
そして、やはり三浦春馬は華やかだった。思い起こすと、おりのように澱んだ今と違い、彼のいたころの記憶や印象はとび抜けてキラキラしている。
あれらの回の演出家と三浦春馬に、この作品のベスト演出・俳優賞を進呈!
直虎も直親も実在した人物であり、二人の人生をドラマにするにあたって、最低限もつべき尊敬の念というか、畏敬の念というか、一言でいえば二人の人生を大切にする、という気持ちが、制作者に欠けてる気がする。
それは、この二人に限らず、実在した他の登場人物たちにも当てはまるかもしれない。
だから見てて、なんかモヤモヤする。
登場人物に対する制作者の愛情が感じられれば、見てるほうも、なんとなくほっこりしてしまうものだ。
三浦春馬さんは爽やかで優しそうで笑顔が素晴らしいですね。
あの笑顔で『何が望みだ?』と言われたら、、もうアカン、、。
普通の女子なら妻にして下さいと思ってなくても言ってしまいそうww
おとわいや次郎法師だったから踏み止まったとしか思えないです。
この大河の1番の問題は脚本家、プロデューサーともに一貫したコンセプトも歴史観もないうえに人間についても浅くしか描けておらず、役者の演技に依存し続けたにも関わらず、自分達の破綻したストーリーを押し付けた結果寸断された歪な物語を作ってしまったことだ。
今回の話も直虎は直政とは幼少時からの関係は希薄で彼の成長の大事な時期は盗賊の女になり自分だけの幸せを謳歌して全く関係しておらず、親もしくは先代という超えて行かなければならない壁的存在というより唾棄すべき存在で直政の怒りは正論だが、これから四天王になる彼の通過点にもならないので存在意味がない。
この大河は通狙いの支流の話ばかりで大河になることはなかった。小さな世界で人間を深く描いたというには直虎に井伊家の悲しい過去を感じさせる深みはなく、直政が何故か代わりに背負い苦悩しながら必死に生きており、直虎は存在意味はやはりない。存在意味を視聴者がドラマの流れから感じ取れないと危惧しているからこそ、周囲がわざわざ褒めちぎる展開にならざるをえなかったのだろう。わざわざ脚本家とプロデューサーがホームページに存在意義を書いた盗賊と直虎は同じであったのだなと感じる。
大河史上最低な主人公になってしまった。
菅田将生演技上手いし好きな俳優なんですが、初の大河出演がこんな脚本家の趣味に走ったラブコメファンタジー作品で可哀想だと心から思います。
重厚な内容の大河でも、彼なら十分演じられるはずです。
そもそも最初から直政主演で直虎こそ脇役に徹すれば良かったのに。
余りにも史実が無いのでオリジナルエピソード満載、かといっても戦や歴史は脚本家も製作側も興味がないのであっさり流して適当だし、隙間を埋めるために龍雲丸と何度もキスさせて還俗させて…主人公の頭の弱い恋愛脳な所も最悪で、何がしたいのか何を目的としているのか分からない、本当に酷い作品だと思います。
自分の中ではまだ清潔感はあったしキャストも豪華だった花燃ゆの方がマシです。
NHKで北斎の娘お栄のドラマがやっていたけど、直虎なんかあれよりもエピソードがはっきりしていないし資料も無いし、あのドラマみたいに2時間くらいで十分語れる一生でしかありません。
1年かけて、民法ドラマの何倍もお金をかけて(何十倍?)一生を語る価値があの直虎のどこにあるのでしょうか。
活躍して名を上げて、井伊の再興の物語は直政の物語ですし。
それに、宮崎あおいと柴咲コウの演技力の差が凄すぎて、やはり主演の存在感や説得力ある演技に雰囲気、声質は心底大切だと思いました。
柴崎さんには歴史物は無理です。ましてや女優として、1年も主役を張れる程の器の持ち主ではありません。
しかし主人公の性別さえはっきりしない(しかも今川から派遣されてきた男性説が最近は有力?)、いわば繋ぎの当主を女性だったかも~というだけで題材に決めてしまったNHKは本当に何を考えているんだろうと思ってしまいます…。
はっきりとした史実が徳政令だけなんで、2時間ドラマでも十分なレベルです。
歴史なんて当時生きていた人は誰もいないんだから殆ど創作なのは他の作品も一緒だ、なんて言っている人も見ましたが、それでも大河ドラマというのは残っている資料に照らし合わせて出来るだけ忠実に描くのが本筋だと思いますし、直虎に関してはその歴史的資料が歴代大河に比べ極端に少ないにも関わらず、貴重な史実さえ改変・改悪したりして、物語の9割が完全な創作ファンタジーになってしまっているというのが問題なのです。
直親の逃亡中の生活を省き、妻子を得た過程も描かぬままただの浮気性のように描いて直虎としのの和解に使ったり、政次は小野家の当主にも関わらず妻子を持たない、側室もなし。
この現代的な描き方がまず不愉快で気持ち悪い。
史実通りに小野を奸臣にしては何故いけなかったのか?
乗っ取りを企む獅子身中の虫と闘うという緊迫感を話の主軸にして欲しかったです。
三角関係とか妙な恋愛煽りを本筋にしてしまった事がまずおかしいし、完全オリキャラの龍雲丸もこれからも益々しゃしゃり出て来ては話に絡むんだろうなと今から萎えてしまうので、視聴をそろそろやめようかなと。
大河ドラマでなければ~という感想も随所で見ますが、史実を元に作られるべき歴史ドラマが9割創作だと、誤った知識を得てしまう視聴者も居ます。
既に綿花の栽培や種子島等、本当に直虎が行っていたと考えている方もいますし。
それこそBSプレミアム等で全10回程度でやって貰えれば、自分も面白く見れたのではないかなと思います。
スケールは小さいかもしれないが、話はおもしろい。
見続ける。
でも、「直虎」褒めコメントは、嬉しいのだが、(大絶賛も「そうだね」とにこにこ読んでいる)「直虎」を持ち上げるために、「真田丸」を落とすってどうよ。(「真田丸」よりはまし、とか)(「まし」って言い方は、決してこちらを褒めていないのだが、気づいてるのかな?)そういう褒め方をされると、せっかく好きな気持ちが半減。「真田丸」も好きだったからね。まあ、個人の感想なんだから、どう書いても自由なのだが、「直虎」を嫌いな人のコメントでなくて、好きな人のコメントによって、「直虎」が嫌いになるのだけは、勘弁。
ドラマは、本当におもしろいと思うけど、そういうコメントを読んで、ちょっともやもやした分、マイナス星ひとつ。
結構気に入って見ているけど、いろんな人が言っているように、北条や武田、織田なんかの情報も欲しいですね。井伊が小さい領主だけに大きな時代の流れ的なものを入れつつ、だから今川は焦っているんだよ、とか。
それにしても、春馬君は本当にいい役者になったねえ。こんな短い期間じゃなくて、いずれは大河の主役を演じて欲しいわ。
三浦春馬は今作で光っていた。このキャスティングは正解だったと思う。
凛とした若武家ぶりで、時代劇のなんたるかをきちんと心得た芝居。
眼光も強くきちんと声を張り、居ずまいや所作も端正で細やか、十代の時からずっと見ている私は、よくぞここまで成長したと思わず涙でしたわ(笑)
いなくなると、絵の一角が欠け落ちたように感じられると思う。
主演が力不足気味で、それだけの魅力で全編押しとおすのがむずかしいんじゃないかと懸念される今、この喪失は痛い。
何年かしたら、大河の主役で、最初から最後まで中心になって活躍するのをぜひ見たい。
自分もこの作品が絶賛される方がいるのがよく判らないです。
フラグ乱立でどう考えても展開が読めすぎる。
もちろん全てのストーリーが読める訳じゃないですけど
「どうせこんな感じになるんでしょ?」
が大体当たる。そんな判りやすい展開にワクワクする訳もなく。
それもある上に、おとわが蹴鞠で勝つまでやって
文句も言わず付き合う今川家に待ってる子供達とか
今川がいよいよ滅びると言う時にわざわざ軍議で
鎧着てこずに
「僕たち裏切りますよ」
アピールする連中。
その人らを見て
「あいつら裏切るんじゃ?だから確認してこい」
と確認しにいった奴がわざわざ顔を出して聞き耳立てるとか
あまりにあり得ない展開が多すぎて興ざめしまくりの作品でした。
いくら演出といっても、あんな見事な竜の形をした雲なんか
見れるか!って雲が四度も出るとか。
もう下手な漫画より漫画展開なので全然心に来ない。
少年少女から役の人が変わっても、それから何十年もたってるのに
誰も年を取らないとか、去年と比べるとあまりに無理矢理感が多すぎて、何も心に来ない作品でした。
本当完走するには苦痛の一年でした。
政次ロス。
視聴者が盛り上がって作ったというよりも、
NHKの方で、そうなるように決められていたみたい。
いや、「みたい」ではなく、間違いなく、そうだ。
だって、「嫌われ・・・」の翌日には、
「政次ロスの声に応えて、CD『鶴のうた』を発売(企画中ではなく、もうできている)」
もちろん、「シナリオを見て感動して」「撮影の様子を見て感動して」CDの製作をした。と言ってはいるが、まだ放映してもいない段階で、視聴者の反応がどう転ぶかもわからない段階でのCD製作。制作者の感動だけで、見切り発車的に、早々と作ったのだとしたら、滑稽な自己満足ということになる。
CDって、1、2週間でできる物?
いや、普通は、その回放映後、称賛の声がテレビ局に多数寄せられて、(でも「CD作ってください」などではないと思うが)みんなの声に応えて、何か企画したいと思って、企画の案が出る、というものだろう。
または、これが自然だと思うが、今年の大河ドラマが全部終わった後で、「終わってさびしい」「もっと見ていたい」「DVDやサントラ以外に何か欲しい」という声が多く寄せられて、初めて何かおまけが企画される。
ところが、この手際のよさ。今回の(一部視聴者の)盛り上がりも、すべてわかっていたのだ。
というので、もう気づいてもいいでしょう。
最初から、「こうなることが決まっていた」のだと。
自分の意思で感動して、自分から動いているように信じているが、実はずっと、あらかじめ敷かれたレールの上を走らされているだけ。
「この人、このシーンでは、こういう感想を持つようになっています」
このドラマ、最初からそう。
抱く思いまで、全て、決められているような感じ。
まあ、それが今の時代の商売。
売り手の方が作為的にブームを作り、購買意欲を煽るのは、普通に見られるだろう。
でも、今回のは、あからさま過ぎて、さもしい。
売れる時に、売っておけ。(最終回まで待っていたら、ブームが去るかもしれないぞ、と)なりふり構わず、という感じ。
「ファンだけど、感動したけど、CD発売と聞いてちょっと萎えた」という感想もちらほら。これが ごく真っ当な感性。
これがNHKの手だとわかって踊らされてもいいのだが、私は、嫌だ。げんなりする。
方久顔負けの、商魂たくましさ。
ブームって、制作者側に意図しないところで、火の手が上がり、徐々に拡大していくものなんじゃないの?
まあ、炎上商法というやり方もある現在。
こういう批判も、織り込み済みだとは思うが。
あと4ヶ月、レールを敷いて、速やかに、滞りなく、おとなしく(貨車の中は大狂乱のパーティー。外の景色、自分の居る場所に気づかないように)視聴者を、ゴールに導いてくれる。
こういうのも楽でいい。
でも、私は、自分で道を探して、もっと自由に散策しつつ、マイペースでゴールを目指したい派なので、このドラマの視聴者には適さない。
大大名に支配される弱小国の悲哀は描けていたと思う。
直親も、史実から見ても、もともとが悲劇の人だよなあ。
父親を讒言によって誅殺され、長年の隠匿生活の末、やっと戻れたと思ったら、自分と自分の子もまた、まったく同じ運命をたどる。
前回~今回と、三浦春馬の演技が光り、悲劇性と哀切さが出ていた。
が、全体はしょりすぎ。
ふだん要らないことばっかりナレがしゃべってるくせに、今日はあれよあれよと説明セリフで、一気に時間をすっとばし。
おかげで、井伊が奈落に落ちるように衰退していく混乱、残された者たちの嘆き、不安などが十分に掘り下げられなかった。
それあってこそ、それをはね返してこその、華々しい「直虎誕生」だろうに。
わかりづらいと言えば、なんで次郎があんなに「我のせいじゃ」「我のせいじゃ」とヒステリックに嘆きまわっていたのかもよくわからない。
結局、この事変には彼女は間接的にしか関われず、たいした働きはしていない。
瀬名を救出したのは元康だし、元康に会いに行くことを決めたのは直親自身。自分でも言ってたとおり、あれは直親の軽挙だった。
次郎がいったい何を?
その悔悟の念から自分が死んだ直親と一体になることを決意→直虎誕生、という運びにしたかったんだろうけど、かなりこじつけっぽい。
歴史上、女城主は何人もいたという話だから、井伊にもどういう歴史的な必然があるのか、もっときちんと押さえてほしかった。
(にしても、このドラマ、「なんでそういう理屈に?」と首をかしげることがとても多い。)
演出上よくできている部分と、なんか変なの~な部分が混在して、今日もなんだか落ち着かない回だった。
あとこれから楽しみなのは、直虎と政次の丁々発止のやり合いだけど、果たしてちゃらくてマンガにならずに描くことができるか。
ちなみに、次週は「城主はつらいよ」。バカですか? 週タイトルについてはもうほとんど意地になってると思われ(笑)
懐かしいですね。
高橋一生の演技力が高く評価されましたが、ずっと対峙していた柴咲コウの確かな演技力によって引き出されたものでもあると私は思っています。
史料が少なく難しい題材だったでしょうが、視聴者の心に訴えるものがたくさんある、熱い大河だったと記憶しています。
再放送してほしいです。
直虎の功績であるはずの、虎松の養育について、描かれ方が足りないというご指摘に共感します。
総集編を見て、改めて「直虎」は母性に欠けていると思いました。子育て、養育の魅力的なエピソードが乏しくて、直虎が与えた影響とか、虎松へ細やかな関わり、成長の過程も十分に描かれていませんでした。
親戚の叔父さんがちょっと口を出すという程度の関わり、仕事に忙しい単身赴任中の父親が、いつの間にか成長した息子に会って、反抗されるみたいな、サバサバした関係のよう。
龍雲丸とのくだりに時間を取るなら、武家の跡取りの育て方をもっと見てみたかったし、六佐みたいな守り役と実母のしのが何をどう教え導いたのか、亡き直親への思い、松下様とのエピソードも見たかったです。
地味なようで、母親の滋味深く厳しい教えや、自己犠牲的な包むような温かみはドラマの核となるような魅力があります。もっと直虎をそのような人物として描いてほしかったです。
直虎は、周囲の大人達に愛された惣領娘として描かれ、出家してからも、年を取ってからも、お姫様のまま、「娘」の側面ばかり強調され、「母」の側面が感じられない人間になってしまったことが残念です。
主人公やそれと恋愛・疑似恋愛関係になる男性キャラに生理的不快感や、気持ち悪さを感じた大河でした。
何度も使ってきた言葉ですが、この面でも「こんな大河は前代未聞」です。
政次のねっとりとねばりつくような目つきや表情、そのアップの連続を嫌というほど見せられて生理的にギブアップ状態になりましたし、最後に血反吐を吐きながら絶命するシーンも、演出の露悪的趣味といかにもセンセーショナルにやってやろうというあざとい狙いが見えて、嫌悪感でいっぱいでした(あそこまでやらずとも、その死を深く受け止める演出はいくらでも可能)。
龍雲丸も気持ち悪かった。
そして、それに欲情し、ついには欲望のままに関係を持つ主人公。
彼女が何より嫌悪感だったかも。身持ちのだらしなさ、性格や人生に対するだらしなさ、他力本願で脆弱、そのくせそういう己を顧みることも反省することも一切なく、自分の意を汲まない者には冷たく、命を賭して家を守った者を詰り、ずるずると行きがかり上あるいはなし崩し的に今あるのに、いかにも最初から自分はこうなのだと言わんばかりに、居丈高に自論を主張する。
…書いてみて、いやよくもまあ、こんな酷いキャラにしたものだと驚きます(笑)
このドラマがつまらなくて、かつ駄作であると思わせるのは、こういうかつてないほどの主人公の魅力のなさ、というか、嫌悪感を催させるほどの破綻した人物設定も、一つ大きな原因だったと思います。
話は単純で底が浅いくせに、ほんとにわかりにくいドラマ。
毎回最低一度は「は?どういうこと?意味わからん」というのがあって、前回は「お家再興をあきらめた」「盗賊と一緒になる」だったが、今日は、皆さんも言われている「孫の顔が見たいから、盗賊と一緒に堺へ行け」
もう40近い、孫がいてもおかしくない歳の女に、何を新婚の娘に言うようなことを。また、直虎がそれを聞いてその気になるのがもう。
それに、直虎は最初に、「自分だけここから出るわけにはいかない」などと言っていたが、そこにいて亡くなった井伊の人間を弔うでもなく、村の発展のために音頭を取るでもなく、ただのほほんと一農婦としてしか生きていなかったくせに、今さら何を言っているのか。
もう、とっくにお役御免で市井の人間なんだから、それこそ旦那と一緒に流れ者になろうが盗賊団に入ろうが、自由の身のはず。
そういえば直親が求婚した時も、うじうじと自分は井伊のために生きているから還俗できないとか何とかよくわからないことを言って結局ふったのに、盗賊には一発でOKして還俗した。寺で弔いの日々を送ることを捨てたということ。
そこまで直親よりもとことん惚れた相手(描写はなかったけど)に対して、一緒に行こうと言われて、またうじうじ。
なのに母親に子を作れと言われて決心。
しかも、いつのまにかまたしゃあしゃあと井伊の中心に座ってるし。家を捨てて逃げたくせに、
何なの、この女は。ていうか、この脚本は。
筋立てが行き当たりばったりだから、人間もこんなに迷走するのだ。
ほんとに、どこまでいってもしょうもないドラマとしか言いようがない。
つくづく思うが、最初に「変だな」と感じたドラマは、最後まで変。
直親ダダ下げ事件に対する批判のポイントは、直親がおいしいかおいしくないか、そんなことじゃないですよ。脚本がおかしい、作劇が最低、ということです。
まず、「夢オチ」という言葉があったけれど、伏線も何もなく今までのことを「今までのは実は夢でしたー!」(直親は実はスケコマシでしたー!)みたいに最後にひっくり返すのは、作劇上やってはいけないということ。
これは読者や視聴者のストーリー認識に対する重大な裏切りだからです。作者が受け手に対して「あんたたちそう思ってたんでしょ、実は違うんだよね〜(笑)」とアカンベしてせせら笑ってるようなもの。
また、あまりに安直すぎる方法なため、作者の技術に対する信用にも関わるからです。実際、あれで多くの人が呆れ果てて森下さんに対する評価を底まで下げましたからね。
それでとどめるならまだしも、あのビックリワードです。
たとえ誰かを落とすにしても、別にそんな言葉を使わなくたって済む。
下世話で珍しく耳をそば立てるような言葉をこれ見よがしに使う理由は、一つしかない。そのあざとさが批判されました。
もともと、このドラマは売らんかなのあざとさに満ち満ちています。
史実では直虎としのは不仲だったようですが、何らかの劇上の理由でそれを和解させようと思うなら、別に虎松をめぐってでもいいわけでしょう。
ぎすぎすした関係ながらも虎松の将来のため一時停戦に持ち込み、そのうち成長する虎松に亡き直親の面影を見て、互いに思いを語るうちに、彼への、また彼からの愛情がそれぞれに真実であったことを許しの中に知り、彼の死を乗り越える…というような運びで十分です。
それを、直親を下世話にたたき落としてその引き換えにあっという間に手のひら返しで和解させよう、注目も集まるだろう、なんて、一応名の知られたプロとも思えない作劇のお粗末さと稚拙さ。そして考え方の品のなさ。
そんなこんなで、あの一件は唖然とするばかりでした。そして森下佳子という脚本家の本質を見た気がしました。
大河のためにも、とても残念です。
別に直虎以前の統治時代を長々引っ張らなくてもいい(そういうことを言っているのではない)。
何でもかんでも直虎が関わった、直虎がやった、直虎が中心だった、という無理やりな直虎中心主義は、嘘でもあるし物語も陳腐になるからNGと言っているだけです。
そのためには、井伊が何をやってきたのかをすっ飛ばしじゃなくて、丁寧に描かないと。
で、今、何で話を引っぱっているかというと、政次の直虎後方支援。こういうまったくのフィクションでドラマの骨組みを作ること自体がおかしい。
歴史的素材があるのだから、それを利用すればいいだけの話。なぜこのような事実歪曲を行ったのか、理解に苦しむ。
というか、当然、婦女子人気を当て込んで、そこを狙ったものに違いないのだけど、しかし、結果としては大失敗、大きく批判にさらされている。
考え方があまりに安直で下世話なのに驚く。
この前の「真田丸」は、幸村(信繁)が主人公だったけれども、父昌幸の圧倒的な存在感で、物語をぐいぐい引っ張った。途中までは陰の主人公と言っていい。兄信之の存在も大きかった。
でありながら、別に主人公の影が薄かったわけでも、存在感が損ねられたわけでもない。
この複線、重曹的な人間の描き方は見事だった。それが物語にとてつもない面白さをもたらした。
これは大きくは才能の問題だから、才能のない作家にそこまでは求めないけれど、大河って、さまざまな人間たちが織りなす歴史を描くドラマであるということを、頭がどうかしちゃったんじゃないかと思うほど、あまりにも忘れ過ぎ。
せめて、お花畑構造は避けるぐらいの気づかいはあってよかった。
残念としか言いようがない。
三浦春馬の話題が出たので、再度だけど、三浦春馬待望論。
彼は今回の出演で、時代劇にぴったりはまり、しかも華のある若手役者だということが、プロにもはっきり意識されたんじゃないかなあ。
NHKが、将来の大河の主役候補としてカウントしていたらうれしい。
私も別にファンじゃないけど、このたびの彼の演技には目を奪われた。録画も、他の部分は見なかったけど、三浦春馬の場面だけはつい繰り返し見てしまった。それだけ惹きつけるものがある。
こういうところを発見というか発掘というか、できたのが、今回のわずかな収穫。
人気もなかったが、出来から言って、大河史上最低ランクのドラマだった。脚本・演出・主演、三拍子揃いも揃って質が悪いなどという大河は初めてのこと。
今思い出しても何か胃がずんと重くなるような感じだが、ただ下手を打ったというだけならともかく、下世話な人気狙いによって話題づくりばかり図った上、少しは自省の色を示すどころか最後まで自画自賛で終わったのには、あきれて不快でさえあった。
作り手の傲慢というのか負け惜しみというのか、意識自体に問題があったと言わざるを得ない。
まさに大河の黒歴史だと思うけれど、一般世間にほとんど記憶されていないのがまったく幸いだ。
今年の大河は、正常なドラマに戻った。描き方には賛否両論あるけれど、それもまともな大河の範囲内で行われていることで、通常の大河に普通にあること。今後のクオリティのためにも、どんどん意見が交わされるのがいいだろう。
去年は、議論の余地さえなかった。
子供がいないからこそすべての子供を公平に愛する事ができる、その直虎の、闇を光に、絶望を希望にひっくり返す逆転の発想、生き様が、現代の様々な立場、生き方の女性の希望や勇気となり人気を博したのだと感じました。
直虎の石(意志)は直政に引き継がれ、家を潰した人間にしかできない仕事、発想で徳川家を大きく出世させ支えました。このドラマは逆境の人(弱い立場の人)の希望のドラマだと思います。
氏真も寿恵尼亡き後、秀吉、信長、家康と世渡りしながら北条家を存続させました。その生き方は氏真にしかできない生き方あり、直虎も徳川(直政)に平和の世を託すのは何ら恥じる事はないと思います。
人は皆、その人にしかできない生き方がある、だから希望を捨てるな、諦めるな、ドラマからそんな愛情を感じました。そして良き母か否かはその子供が決める事。
意志(石)を受け継ぐ事は崇拝ではなく尊敬だから、ラストシーンは直政らしく、騎乗して陣頭指揮を、で良かったと私は思います。
直虎の真直ぐでさっぱりとした性格、少女のような純朴さ、芯の強さ、知恵、そして同時に少し天然な所も好きです。両親の愛をたくさん受けたから自然と相手に愛情を注げる、だから周囲の人に愛されたのだと私は羨ましく感じました。
でもそんな時、直虎なら、あなたにしかできない生き方がある、そう肩を押してくれるのだと思います。私はその石を引き継げる人でありたいと心から思いました。
改めて、ありがとう!直虎!
そうだよね。柴咲さん以外の女優陣の見せ場や美味しい所がほとんどなく、なんでもかんでも柴咲一色だった。ナナオの良さは生かされず、山口・かんじや姉妹は嫌な感じで終わった。どんなドラマでも好演する女優の財前さんも只の過保護の母親に過ぎなかった。
最後の方なんて初老の直虎が色仕掛けしたり武将にモテモテなんて設定は全くいらなかった。あれって作者の願望だったんだろうか。
年相応の高瀬が外人さん相手に色仕掛けするならまだ理解できたのだけど。
タイトルがいくら「直虎」だからと言って、他にちゃんと女優さんを揃えてるのに、何でもかんでも直虎、他の女優が出ていたとしても只の引き立て役ばかりの描き方には辟易した。そういう部分がいびつすぎて、視聴者の直虎嫌いに拍車がかかったのだと思う。
しかもそんな直虎自体に全く共感を持てない描き方(虎松の身代わりに亡くなった少年や直虎自ら串刺しにした小野や、自分の選択のせいでピンチになったのにも関わらず、自分が弱った時にここぞとばかり大本命だった盗賊と結ばれて、ハッピーになる。虎松のことはほぼ放置だったわりに、虎松が出世しそうになったらここぞとばかり口をだし、つには自分が徳川をつかって平和な世の中に・・等々、見ていてウソだろうと視聴者お口ポカ~ンのトンデモ展開にただ、絶句するしかなかった残り半年。直政の出世部分に関しても、2,3回ほど面白そうな展開をしてた割りにいつのまにか、直政はその他大勢のモブに。これまたビックリ。
あれだけどうでも良い小野&盗賊&直虎の奇妙な三角関係のシーンを延々何ヶ月も見せ付けられ、あれだけ視聴者がみたかった後半の目玉と言われていた菅田まさきのシーンがちょっとしかないというガックリ感。これもまたいびつだった。
要は何ともまあ、バランスの悪い大河を1年間もみてしまってしまった。
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