5 | 547件 | ||
4 | 254件 | ||
3 | 231件 | ||
2 | 208件 | ||
1 | 878件 | ||
合計 | 2118件 |
政次の志を完結させるためには、直虎自身の手で政次を殺すことが必要不可欠、でしたか?
私はそこがいちばん納得いかないところです。
このドラマを好意的に見られなくなった分岐点でした。
深いようで浅い。
私が期待した大河じゃないと強く感じました。
私は、政次は直虎に殺されたかったのだと思いました。「白夜行」の亮司の懺悔のように、大河「新撰組」の芹沢鴨が沖田総司の手で殺されたかったように、和田勉の「天城超え」の土工と少年のように、純粋な者(好きな人)の手で死にたかった、そのように私には感じられました。これは私の個人的感想です。生きているか死んでいるかも解らない直虎の生死の境を彷徨う闇も時間をかけて描かれていました。ドラマのストーリー展開(動き)も止まり、心の世界を描く、私は個人的にそんなドラマが好みです。それぞれ好みは色々ですね(色々あっていいと思います)。ありがとうございました。
全部一通り見た限り、寿桂尼の生き様は良かった。
今まで今川が築いてきたもの、自分が生涯かけて守り抜いてきたものを途絶えさせてはならないという今川家の人間としての責務と、後の世代に少しでもいい状態で今川家を渡してやりたいという親心みたいなものが感じ取れた。
ただ、主人公サイドにはほとんど共感できる部分がなかった。私が家康だったら、「あなたに戦のない世を作ってもらいたいと思ってます」って言われたら「自分でやれば?」って思うし、「実現したら井伊家は見返りに何してくれる?」って言うと思うわ。
おとわと万千代は何故だかわからないけど、いつも誰かに何かキレてて、沸点低いなあと思わざるを得なかった。あと、感覚的に「つぶれた家の子だからこそ」っていうのが個人的には気に入らなかった。家がつぶれないように先祖代々子々孫々頑張ってきた人たちの方が評価されて然るべきでしょ、そこは。
結果的かもしれませんが、直政は、家を潰した立場だからこそ北条と徳川の和睦の架け橋になり、徳川の家が大大名となる大きな仕事をやり遂げたと思います。
そしてその直政の逆転の発想こそ、家を潰した直虎から受け継いだ平和の魂だった、と言う事で、徳川家康も直虎を評価した、という最終回だったように私には見えました。
私はざっくりの視聴なので、思い違いもあるかもしれません。個人的な感想ですが、寿桂尼さんは自分とよく似ているからこそ直虎を始末したかったのでしょうね。私も寿桂尼さん、好きです。
直虎と井伊家に魅力を感じなかったせいか、政次の最期がとてもかわいそうに感じました。直虎に会ったのが彼の運の尽き、と言っては言い過ぎかもしれませんが、もったいない、というか、犠牲になりがい、というか。
彼が直虎に対して恋心を抱いていたせいで、家臣が主君に忠義を尽くした、というのとも違う印象だったし、彼が私の友人だったら、「もっと命を大事にしなよ」といいたい感じで、すっきりしませんでした。
あれなら、政次が直虎と敵対した、という展開のほうがよかったです。
↑井伊家、と書きましたが、あくまでドラマの中での井伊家です。
政次さんの悲劇は、やはり自分の父親が井伊を陰で欺き(裏切り)、北条と通じていた事を幼い頃知ったショックと絶望が根底にあると私は思います。
大人になった政次はこれも自分の宿命だ、と言うようなセリフを確か龍雲丸に言っていたように記憶しています。
父親の姿に、幼い子供だからこそ深く傷つき、それまで仲の良い幼馴染の三人だったのに、その時を境に、自分だけが汚れてしまって、おとわからどんなに信じていると励ましをもらっても、二人には顔向けできない後ろめたさ、罪悪感と懺悔の気持ちがずっと拭えなかったのだと私は思います。
政次さんの父親も事情はあったとは思いますが、子供にとって血のつながった親の不誠実は、子供の心をそれだけ傷つけ自尊心も破壊させ、その後の人生にも多大な影響を与えるものだと、深く考えさせられました。
奸臣のふりをする、という設定が、私には無理があるように見えました。そのために、説明的なセリフも増えたように思えました。
しかも、奸臣のふりをしてるだけだと皆にばれていて、なんのためにしたのか、わからない感じでした。
主人公の都合のいいように他の登場人物たちが行動するのが気にかかっていましたが、政次の悲劇は、その最たるもののように思えました。
政次の父親は悪者のように描かれていましたが、私には悪者には思えませんでした。彼なりに、井伊家のために働いていた面もあったし、井伊家の中で孤立する中で、なんとか生き延びていくために、今川家を頼るようになるのは、仕方ないように思えました。
私は政次さんの父親を悪者とは書いていません。
政次さんの父親も事情はあったとは思いますが、と書きました。
貴重な意見を色々伺う事ができて参考になりました。ありがとうございました。
2017-12-26 21:36:16 さんの感想を見て、悪者と書いたわけではありません。
以前より私には、政次の父親がドラマの中で悪者のように扱われてるように思えていたので、そう書きました。
私も、同じドラマを見ても、人それぞれ、いろんな見方があることが分かりました。
ありがとうございました。
このドラマでは本来示すべき『大勢力の今川に圧迫されながら、弱小の井伊家がどう生きるかを模索する葛藤』がおざなりというか、大雑把なんですよ。だから正次親子にしても、善悪以前に不透明だし、井伊一族も今川が嫌いなのは解るけど、怒ったり文句を言うばかりで戦国時代をどう乗り切るかの指針が見えてこない」。
これで、魅力的なキャラクターなんか出来るわけが無い。
今までたくさん面白いドラマを描かれてた脚本家さんだけに、「大河ドラマの常識」を自分なりに覆してやろうという野望があったのでしょうが、自己陶酔以外の何物でもなく、空回りして悪い方向にしか転がらなかった印象です。
「軍師官兵衛」や「真田丸」のような、「全てはお家存続のため!」というテーマを180度真逆で描きたかったんだろうな、と思います。
それがインタビューで言っていた「大河ドラマに爪痕を残せた」という的外れな自画自賛なのでしょう。
また、高橋一生さんのブレイクとかツンデレ?ムズキュン?とかにのっかりすぎであきれ果てました。というか嫌悪感しかわきませんでした。
「軍師官兵衛」の時は優秀でクールな家臣役が脇で光っていてとても良かったのに、この持ち上げられ方で、この人がメインで出るドラマは敬遠がちになってしまいました。
開始時の期待値が高かっただけに、ただただ不快で残念な大河ドラマでした。
直虎の、
『家』と言う『執着』(我)を捨た無欲が、お家再興の決め手となった。
さすが、僧侶。おんな城主・直虎、恐るべし。
嘘っぽい稚拙な大河だった。
とくに最後の二話はひどかった。
本能寺の変が光秀・家康共謀で、光秀が我が子を無力な氏真に差し出し、氏真は井伊谷に置き去りにし、直虎はその子を信長の子と言い逃れた。時代考証の先生は、自説の氏真有能説をヒストリアで紹介されたからといってプライドを捨てたのか。
無力で無能な氏真をドラマの最後まで引っ張った理由は何。於大の方も龍潭寺までわざわざ来て主人公の引き立て役。脇役を生き生きと描くことを他の好評ドラマに見習うべきだ。
全体を通してみれば、直虎に井伊家再興を断念させたのが大失態。井伊を名乗ることを自ら画策した直政と直虎の対立が強調され、直虎が直政を育てたシーンが少ないことと相俟って、井伊家再興はひとり直政のおかげ、直虎は何も貢献しなかったとの印象しか残らない。
政次は奸臣ではないという設定も、敵も味方も騙せないまま最後は近藤の策略にはまったでは共感は無理。
しのとなつの父の死は正当防衛で一同納得に唖然。
直虎が願う、戦さのない世の実現という綺麗ごとも、従わない者を滅ぼす家康の史実の行動とどうつながるのか。ラストシーンが勇猛な直政の一番槍宣言では理解不能。
脚本家は男に囲まれてチヤホヤされたいという願望を直虎で表現したかったのか。桶狭間の後、井伊家の男たちが次々と亡くなり、井伊家存亡の危機のはずなのに緊張感がなく、男が代わるがわる登場し直虎の相手をする。直親、政次の死後、盗賊と暮らすための還俗は論外。
史実のおとわは、井伊家存続を願う直親や先祖をはじめ井伊家の犠牲になった人たちを尼として一生供養したはず。そのような姿を最終回から何も感じ取れなかった。
バタバタしていてしばらく読みに来れずにいたのですが次回の大河が不安だとコメントさせて頂いたのですが、2017-12-26 00:45:00 さんにバブリーコンビのネーミングに喜んでいただけたようで、こちらこそニッコリです。
中園さんは「下流の宴」「コールセンターの女」などの佳作もあって決して駄目な脚本家だとは思わないのですが、恋愛ものではあまりにも陶酔しすぎるクセがあるし、大ヒットを飛ばした某医療モノとかだと大味になってしまったり、次の大河もそうですが主要キャストを自らお気に入りの俳優を指名したりして、その上、もっとバブリーな原作者が一緒になると相乗効果がすごいことになるそうでいまから少しガクブルです。わかりやすく言えば「花子とアン」の白蓮ブームのようなドラマのテーマや主演をおいてけぼりで変なブームを作りそうで(汗)鈴木亮平も好きな俳優なので、なんとかあのコンビに負けないように(苦笑)
まさか森下さんがそれこそ「花子とアン」の中園さん化するとは、しかも脚本家人生で何度も回ってくることもない大河という大舞台で・・なのでしょんぼり感が強くて、虚脱感も半端ないですね。
近い時間帯の「陸王」が最終回で20パーセントもとっていることを考えれば、視聴者が惹きつけられるものを作れば、地上派でも高視聴率は取れるということでしょうし、「陸王」はあまりにもベタでスポ根すぎてドンびきするシーンもあったけど、何よりリアルタイムで最終回を見たい!と思わせてくれる何かはありました。否応なく感情が動かされる何か。それが大河云々は関係なく「おんな城主・直虎」にはなかった何かだったとおもいます。
自分は森下さんのファンなのであえて言いますよ。
気になったシーンがあるのですが、直虎が最後の方で盗賊の頭と再会するシーンで妙によそよそしかったのが不思議でした。ああゆう時ってもっとびっくりしたり、大袈裟に喜んだりするのではないでしょうか。この2人、かつて一緒に暮らしてた恋人だったとは思えないほど。柴咲さんはじめこのドラマって表情が薄くて、表面だけの演技みたいな感じとでもいうか。
おまけに直虎が色仕掛けするシーンでは盗賊頭が妙にドキドキして、何だかこの人達、高校生みたいだなって変な感じでしたよ。もう40もとっくに超えた初老の人たちだよね・・。
思えば、すべてが高校の文化祭レベルとでもいうか・・
二度と再放送で見たいとは思わないぐらい、深みがなく、幼いドラマだった・・
平成29年1月の私:「竜宮小僧?ん?何?」「誰かを知らぬ間に助ける不思議な存在、とな?」「浜松伝説?わけわからんぞ…」
最後の制作側の言い分:「おとわは生涯、竜宮小僧であり続けました。」………多分こういう想い。
今の私の想い:「ミステリアスで表舞台に立たない架空の存在を大河の主人公に被せないでね。」
伏線をちゃんと回収するドラマが好きなんだけど
こんな回収の仕方ならやらない方がマシと思ったのは初めて
今年のを観ていたら、苦手だった三谷幸喜さんがやたら輝いて見えてきた。キラキラ。大河の作者は4人くらいでローテーションするのがいい。
私にとって今年の大河は最終回を見終った後に感動が一気に押し寄せ余韻が強まる初めての大河でした。その感動がどこから来るのか、自分なりに考えてみました。
作者の言葉にもあるように、このドラマの、そして井伊家の原点は竜宮小僧にあると私も感じます。竜宮小僧とは先祖より伝わる精霊の守り人的な守り神(民話)でもありますが、特にこのドラマでは深く掘り下げられ、目に見えない人と人との絆、信頼、仁の象徴としても描かれていて、人間の心に住む純粋な子供(インナーチャイルド)でもあり、自他共の幸せを願う高次元のハイヤーセルフの象徴でもあり、それは政次を自身の手で殺してしまった直虎の壮絶なる自己との対峙、つまり家と言う形の為に犠牲になる命の矛盾への根本的な問題提起であり、直虎の原点は(形)を捨て、人間の本来の原点(竜宮小僧)を選択する事、つまり、目に見えない大切な本質、それが井伊家の原点であり、碁石(意志)として受け継ぐものであり、もっと言えば日本人の原点でもあり、子供から大人まで今一度自身と向き合って平和(戦争)を考えて欲しいというメッセージでもあると感じています。
最終回で亀、鶴、おとわ、そして龍雲丸が子供の姿に帰った(戻った)のもそのせいで、人はなぜ平和を願いながら戦わねば(人を殺さねば)ならないか、子供の頃の素朴な原点に立ち返って、今を考える、視聴率は共に低かったですが「花燃ゆ」ともリンクしていると感じました。
また、恋愛は、年を重ねるほど本当に好きな人と過ごしたい気持ちが若い頃より強くなるとも聞きます。人間の大切なテーマとも思います。小中学生の視聴者もいます。
最後に、他者と戦い他者を屈服させる時代から自分を見つめ自分と向き合う時代へ、今私達は踏み出したのだと感じました。
投稿に参加させて頂きありがとうございました。
さっさと城主辞めて責任は一切取らないが、自ら責任を負おうと立ち上がる者を綺麗ごとで責める。感情でわめく。
馬鹿みたいな口先の嘘をつく(ドラマ上はそれで皆が騙されるが現実的にありえない)
自分だけ目上の者に礼を取らない
男にチヤホヤされてそれが自分の言いなりになる事が出来る女と思ってる
死の間際なのに何故か美魔女気取り
直虎だけが、たちの悪い現代女でぶち壊してた
竜宮小僧で思い出したのが、大切なものは目に見えない、の「星の王子様」です。
そして、「星の王子様」にも井戸が出てきます。水の湧き出る生命の源、そこに集う人と人の絆、繋がり、温もりを象徴しているとも言われます。子供の王子様はアダルトチルドレンとも言われ、自分と向き合う話でもあります。今回の大河も世界に通じる内容だと改めて感じます。
ドラマの語りは「篤姫」で大老・井伊直弼役を演じられた中村梅雀さん。どんなに汚名を着せられても徳川を守るのが自分の仕事と篤姫に胸中を語るシーンは今回の政次にも重なります。
かつて演じた役の先祖の話だからひとしお、慈しみと温もりを感じさせる語り口調に、その演出に、大河歴がまだ浅い私もベテランの仲間入りを果たしたようなそんな嬉しさでした。
史実の詳細はこちらの掲示板や教科書で学び、井伊谷の心はこのドラマで感じ、今頃、おとわ、鶴丸、亀之丞、龍雲丸が仲良く遊んでいるであろう姿を想像しながら、温かく優しい気持ちで、今年も良い年の瀬を迎えられそうです。ありがとうございました。
次の大河は西郷どん、いちおう男が主役だが、原作、脚本、音楽、が女性、男が主役でも次の大河も女大河に等しい、女性作家に西郷さんが骨抜きにされるのが今から思いやられる。男制作による男主演の男の骨太の大河ドラマが観たいです。これから女性がリードするのが世の常だとしてもなんか空しい。
なる程、竜宮小僧が軸だったのか。ありがとう、しっくりきた。
終始、なんじゃこのファンタジードラマは!?と思ってた。
ファンタジーを軸にしてたのならファンタジードラマだな。
大河ドラマじゃない。
ファンタジードラマも嫌いじゃないが、このドラマは面白味が全くない摩訶不思議甘河ドラマ。
NHKは、あの枠の名を大河ドラマじゃなくて長期ドラマ枠に変更したほうがいい。
そうすれば色々なジャンルのドラマできるでしょ。
作者にとって、直虎が直政のためにこしらえた四神旗なんて、話の外(ほか)だったのね。四神旗は見たかったな。美術スタッフも拍子抜けしたんじゃないかと勝手に想像する。
今年は六佐
去年は三十郎
花燃ゆは松陰先生
軍師勘兵衛は悩む
あっ好きなキャラね。毎年いるけど今年は見返さないが書きたくなった。
たくさんレビュー読んで面白かった。
井伊谷あたりに伝わる竜宮小僧伝説。
これ、河童伝説だったらどうなっていただろう?
直虎は平和な世を求め、その意思は直政に受け継がれた…というラストでしたが、そのラストシーンが、鬼の形相で先陣を切って疾走する甲冑姿の直政って…なんか、このドラマって途中途中で矛盾や破綻が見られましたが、それを象徴するようなちぐはぐなラストシーンだったと感じました。
2017-12-27 15:27:01 「竜宮小僧?ん?何?」の私です。
竜宮小僧伝説を否定しているわけではありませんので、誤解しないでくださいね。
もうね、朝ドラといい、大河といい、原作つきのドラマで人気を得てるような脚本家に任せないでほしい。
こんな長期ですごいボリュームのドラマなんて、「ドラマ作家」としてのオリジナリティ、創意と個性にあふれてる人じゃないと、最後まで持たせるのは無理。
最近、脚本家の力量低下が著しい(お手軽なマンガ原作ばっかりドラマ化してるのも原因の一つでは?)から、そんな人は、ほんとに数えるくらいしかいないだろうけど、長期ドラマだけに、視聴者はガッカリさせられると虚脱感や喪失感(それに怒り・笑)がハンパないので、無理をしてでも朝ドラ、大河だけは、実績のあるオリジナルの大家に任せるべき。
そうじゃないなら、大河は、人気のある歴史小説を原作にして、それこそ原作つきの名手に破綻のないまともなドラマを作らせるべき。森下さんも、そういう条件なら、もしかして失敗しなかったかもしれない。
今回の森下さんは、大河脚本家としては失格。朝ドラは何とかやりおおせたが、「大河の作家」としては下の下だった。
はあ…
「つぶれた家だからこそ」って台詞、かっこいいですよね…。
瞬間感動する気持ちもわからなくない…。
でも違うんです。
例えば、精一杯潰さないように手を尽くした→でも負けた→起死回生の一手の台詞!!
ならわかるんです。
実際は(ドラマ内では)仲間の死が辛くなって、城主を自分で放棄しただけ。
(国を守ることと、犠牲をださねばならないのは為政者の責任であるのに、嫌じゃ嫌じゃだけで思考放棄)
責任放棄→直政を放逐→直政の出世を邪魔
このあと反省も謝罪もなく、いい台詞思いついたわ‼どう‼すごいでしょ‼(どや顔)
なので、戦犯が何を自慢げに…とがっかりするのです。
一時が万事この調子、この脚本家さんは視聴者を馬鹿だと思っているんでしょうか。(どや顔でカッコいい台詞をキメとけば、流れは適当でも感動するでしょ、みたいな…)
ちなみに先程チャンネル捜し中に、直虎の生意気なギョロ目で誰かを睨み付けている場面に出くわして、慌ててチャンネル変えました。総集編やってたんですね。気持ち悪い。早く終わってほしい。
自分もこの作品が絶賛される方がいるのがよく判らないです。
フラグ乱立でどう考えても展開が読めすぎる。
もちろん全てのストーリーが読める訳じゃないですけど
「どうせこんな感じになるんでしょ?」
が大体当たる。そんな判りやすい展開にワクワクする訳もなく。
それもある上に、おとわが蹴鞠で勝つまでやって
文句も言わず付き合う今川家に待ってる子供達とか
今川がいよいよ滅びると言う時にわざわざ軍議で
鎧着てこずに
「僕たち裏切りますよ」
アピールする連中。
その人らを見て
「あいつら裏切るんじゃ?だから確認してこい」
と確認しにいった奴がわざわざ顔を出して聞き耳立てるとか
あまりにあり得ない展開が多すぎて興ざめしまくりの作品でした。
いくら演出といっても、あんな見事な竜の形をした雲なんか
見れるか!って雲が四度も出るとか。
もう下手な漫画より漫画展開なので全然心に来ない。
少年少女から役の人が変わっても、それから何十年もたってるのに
誰も年を取らないとか、去年と比べるとあまりに無理矢理感が多すぎて、何も心に来ない作品でした。
本当完走するには苦痛の一年でした。
直虎が忠義の誉れの高橋一生(役名忘れた)を、躊躇無く堂々と槍で突き殺したのは引いた。
高橋一生に対してどのような想いが込められようよとあれは酷い。
大河史上最低な演出だったと思います。
いいものはいい、その一言につきますね。
珠玉の一年間をありがとうございました。
私も政次の串刺しは、ひどい演出だったと思います。
百歩譲って理解しようとするなら。
「敵の手にかかるくらいなら、味方の手で!もしくは大切な者の手で!」
を、やりたかったんでしょうね。
カッコいいですもんね。海外作ラストサムライにも使われたくらい、王道中の王道ですもんね。
(ファンの方には申し訳ないけど、新機軸でもなんでもない)
でも、そんな切羽詰まった場面にはしきれなかった。
一重にそこまでの描写をサボったからです。
他のものの手にかかりなくない、という描写を一切しなかったからです。
また、むしろ敵であると直虎を欺き続けていたら、「わざと殺されたたのか」「本当は(悪を裁かれ)殺されたかったのか」と納得がいく。
または直虎に恋愛的思慕をいっさいせず、臣下として忠実であれば、「忠義をつくしたのか」と納得がいく。しのにも求婚する。それをしのも愛する、直虎も愛する、最期は妻ではなく、直虎に恋文を遺すとか、家を遺すのはバカらしいという世界観にも関わらず、複数の女性に手をだしているわけで、家を守る信念のない男&単なる浮気のように格下に書かれてしまっているのです。
さらに、政次が敵の手にかかるなんて口惜しい…と思っていればまだしも、政次にその描写もなく。
直虎にも、政次を必死に助けようとする描写もなく。
引きこもりから突然やってきて、能面の表情でかけより、ブスリ。
そのまま醜い悪鬼羅刹の表情で、「地獄に落ちろぉ」と暴言。それも尼僧姿で。(修行されてる全国の尼さんに謝れーーー)
邪魔しに来たなら、せめて浄土にゆけるよう、「あの世で待っておれ」と労ってやればよいものを。うまく近藤に判らぬように、美しい心のこもった演技ができたらまだ見れたものを。
これでは殿方が覚悟した死にざまを邪魔しただけです。
こういうの、男の死に際を汚す、って言うんです。
これが美しい死にざまだとか、狂気の沙汰かと思いました。
近藤の存在自体も一時期は必要以上に出しゃばっていたのに、突如、まるでいなかった存在かのように放置。
近藤は小野に恨みがあったようなことを言ってたような気があるけど、それまでの伏線では、盗賊をわかりやすくかばっていた直虎の方に恨みがあるのならわかるけど、小野が死ぬまでの経緯がとにかくわかりにくかった・・。
「ひきこもりが突如出てきてグサッ」というのは何となくわかりますね。だってあそこのシーンだけ、普段の直虎じゃなくて別人みたいだったもの。とってつけたシーンとでもいうか。
ここでも評判の「平清盛」DVDを手に入れて見てみたけど、ほんとに「直虎」とは比較にならないほどのクオリティの高さと豪華なキャスティングだった。同じ大河枠とはおもえないほど。
「直虎」自体、主役ばかり(普通に丁寧に描かれたキャラはせいぜい盗賊と小野ぐらい)にフォーカスされているので柴咲コウが好きか苦手かで大きく評価が分かれる作品だろうとは思うけど、ここの評価の1つ星と5つ星の数の300ぐらいあって、評価って割合、ちゃんとした数値で出るものなんだと感心した。
出演者に嫌いな人が居なかったのに、こんなに嫌悪感の残る大河ドラマも珍しい……作者の名前、経歴なんて頭に無く、素直に一年視聴しようと思ってたのに残念。
珠玉の竜宮小僧伝説は、使われないほうが良かった(涙)。
2年連続で雑魚扱いだった穴山梅雪を小野政次の様に悲劇の主人公として大河に...まあ無理だろうなぁ。
鈴木亮平さんはこの後、紅白に審査員として出る。大河ドラマ主役として普通のことだ。
昨年、柴咲コウさんが出なかったのを「斬新」なんて言わない。ただの手抜きドラマだった。
大河の続編案が局内で盛り上がり中・・https://news.merumo.ne.jp/article/genre/6957743
もうええっちゅーねん。
1年も時間をもらっておいて、何も描けなかったんだから大河に続編なんて可笑しすぎる。第一、人気だという菅田くんのスケジュールをとるのは難しいんでしょ?
NHKには森下&遊川にそんなにギャラ払いたい事情でも
この大河に続編案ってまじですか?
NHK、続編検討するところが間違ってます
お金がかかってる大河押しなのはわかるけど
視聴者の声を真摯にきいてください!
直虎に続編って言うなら
ほぼ全てにおいて直虎より上だった真田丸の方が
続編作るべきだよな?
何故、わざわざほぼ全て負けている方の作品の続編を作ろうとするのか訳が分からない…。
続編ではなく、直政スピンオフ、直政の青春グラフィティなら、見たい気がする。
もちろん、脚本は森下さん以外で。直虎も消去して。小野など主人公にしようものなら、これから受信料支払いを断固拒否する(笑)
徳川編は、直虎さえ出てこなかったら、なんとか見られた。
直虎がワープしまくって暗躍するようになってから、徳川(含めた本能寺の関係者連中)も変になったし、万千代もただ脇に突っ立つデクノボーになってしまった。
その雪辱というなら、やってもらってもOK。
でも、ほんとは、こんな低俗ドラマの記憶が残るドラマなど、やらないのが一番いいのよね。
さっさと記憶から消し去って、次(の次)に進むのが正解。
菅田くんのスケジュールを抑えられないというのは、幸いだ。
私的今年の三大仰天ニュースは、
1.槍ドン串刺し
2.スケコマシ
3.盗賊の女になる でした。
虎松の養育という直虎最大の功績についての描写にそれほど時間が割かれなかったのにも関わらず、直虎を主人公とした意図は何なのか
万千代に、勝つまでやれば負けではないと説いたおとわが、井伊家再興を諦めるという南渓の提案をすんなり受け入れる矛盾
結局万千代とおとわの家督の件はどうなったのか
高瀬とか傑山は何のために登場した人物だったのか
公式ホームページにある「許婚への一途な愛」とはなんだったのか
「家があるから争いが起こる。家のために犠牲者が出るのが嫌だから、井伊家の再興は諦める」とのことでしたが、「家の再興を目指し、かつ犠牲者が出ない道を模索する」ではなぜいけなかったのか
直虎は平和な世をつくるため、具体的にどんな努力をしたのか
諸々すべて、私ごときの貧しい頭脳では最後まで理解しきることがかないませんでした。
私の読解力と想像力が足りないばかりに、森下女史の書かれる素晴らしい脚本に理解が及ばなかったことは非常に残念でなりません。
本当につまらない作品でした。
やっと終った、、としか言いようがありません。
続編だけはやめて下さい。
続編いらない。だめ。絶対。
直虎の功績であるはずの、虎松の養育について、描かれ方が足りないというご指摘に共感します。
総集編を見て、改めて「直虎」は母性に欠けていると思いました。子育て、養育の魅力的なエピソードが乏しくて、直虎が与えた影響とか、虎松へ細やかな関わり、成長の過程も十分に描かれていませんでした。
親戚の叔父さんがちょっと口を出すという程度の関わり、仕事に忙しい単身赴任中の父親が、いつの間にか成長した息子に会って、反抗されるみたいな、サバサバした関係のよう。
龍雲丸とのくだりに時間を取るなら、武家の跡取りの育て方をもっと見てみたかったし、六佐みたいな守り役と実母のしのが何をどう教え導いたのか、亡き直親への思い、松下様とのエピソードも見たかったです。
地味なようで、母親の滋味深く厳しい教えや、自己犠牲的な包むような温かみはドラマの核となるような魅力があります。もっと直虎をそのような人物として描いてほしかったです。
直虎は、周囲の大人達に愛された惣領娘として描かれ、出家してからも、年を取ってからも、お姫様のまま、「娘」の側面ばかり強調され、「母」の側面が感じられない人間になってしまったことが残念です。
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