5 | 547件 | ||
4 | 254件 | ||
3 | 231件 | ||
2 | 208件 | ||
1 | 878件 | ||
合計 | 2118件 |
はじめの頃はなんで井伊一族を脳筋とは失礼じゃないのかと思ったが、それが説得力が出てきた。
浅慮な為に何度も同じ過ちを繰り返したり、考えるより戦という短絡思考な直平が代表的で、ごく普通の人達なのに何故領主たりえたか。
無能な領主には歯向かう下剋上の世に民の支持を得たのは、誰に対しても愛想がよく飾らない素直な人柄による人気だったのだろうと。美形が多い一族というのも大きいかもしれない。
もし、井伊一族が傑物ばかりだったら歴史は変わってしまうのだから、この人物設定であっていると思う。
一人一人の役者さんは演技が上手なのに何かもったいないと思いました。全体的に家臣も家族も盗賊も町衆も今川もみんな良いのに出番が少ないというか見せ場がないというか。もっと45分を有効に活用出来そうな気がします。
今回はなお虎が気賀の城主になればよいと気付くまで時間がかかっていたけど私でも思いついてしまいましたよ。
間延びしているので、早く小野政次が井伊谷城を奪う展開に進んでほしい。高橋一生が退場してしまうと困るのなら、たけが梅に代わったように別の役で復活すればよい。
直虎が気賀の城主になるのは史実なのでしょうか?
直虎には領主らしく館の中に腰を落ち着けてほしい。出歩いてばかりで軽すぎるし、領主が本来果たすべき政務も滞って支障がでているはず。
各種の案件は家臣に命じて交渉に当たらせ、話がまとまったら書面に署名してこれを認可する。また壁にぶち当たっている家臣がいれば館に呼び知恵を授け、家臣から感謝の念をもたれる。そんなかっこいい領主像が見たいです。
部下を信用してないから、任せられないから社長自ら現場に足を運ぶのかと思われて、会社全体の士気は低いのではないかと気になります。
井伊という小さな国でも曲がりなりにもそこの領主なのに、ほいほい気軽に出歩きすぎですよね。
商いにはやたらに精を出している様に見えますが、内政をきちんとやっているのか不安になります。
綿花やら火縄銃やらの架空の話で尺を稼ぎ、今度はまた狙いを定めた盗賊の尻を鼻息を荒くして追い掛けて(最早そういう風にしか見えない)気賀を手に入れようとするとか、お前は何処の城主なのだと言いたくなるのも分かります。
因みに直虎が気賀の城主になるというのはこれもまた史実ではありません。家臣の方久が名を変えて、気賀堀川城の城主になったとの説があるそうですが。
直虎にこれといった功績がないので、他人の経歴を借りて話を作るしかないんですね。
そもそも、気賀という場所は井伊から3キロも離れていない近さだったそうです。いくらなんでもその距離にある気賀を直虎が知らなかったって、世間知らずどころの話ではないです。
そうですか。ありがとうございました。
気賀は3キロの距離ですか。
情報ありがとうございました。
3キロというと、うちの子の小学校の距離だなあと考え、
やはりいくらお姫様でも、知らないのはおかしいなと思いました。
周囲の誰かから話くらいは聞いたことはあったでしょうに。
子供の頃から、駿府まで歩いて行くくらい行動力があるのだから、
気賀まで行くことはなくても、いろんなことに興味津々で、
井伊谷の外のことも聞いていそうなのに、
本当に箱入り、情報から遮断されて育ったのですね(笑)。
こういうところも、後々(・・・って、何歳の話?)城主として覚醒する時のため、いかに立派になったかという比較のために、わざと、何もできない、何も知らないというように描かれているのですね。
にしては、愚かに描かれ過ぎて、微笑ましいでも、応援したくなる、でもなく、不快にすら思います。
史実完全無視だけでなく、おもしろくするためには何でもありの、今作の特徴的事例ですね。
「史実と言っても、実際どうだったかなんてわからないのだから・・・」という意見をしばしば見かけるが、
史実以前に、話の筋が通っているかというと、
それがないから、違和感があるのだ。
歴史モノでなく、時代劇でなく、現代の架空の人物のドラマでも、
「こんなことありえない」「理屈がおかしい」ものなら叩かれる。
それが、ここの欄でも書かれていた「整合性がない」ということだろう。
整合性がなくても通るのは、最後に目が覚めて、すべてが夢でした。
または、魔法の力で解決する話くらいだろうか。
だから、普通に考えてありえないことが、まかり通るドラマも、ないわけではない。
「直虎」もその部類か。
だったら、やはり大河の枠でない方がよかった。
ツイッターなどを見ると、大河初視聴の人もいるが、「真田丸」の延長で視聴を続けている人も多いようだ。
そういう人、好意的に見てくれる人がいるから、まだ好調を保っているが、
そうでなければ、駄目大河、駄目ドラマと言われてもおかしくなかった内容だと思う。
そう考えると、私も挫折したのだが、「江」や「花燃ゆ」も、ちゃんと最後まで好意的な優しい目で見続けていたら、
いいところをたくさん発見できたのではなかっただろうかと、今になって申し訳なく思う。
少なくとも、整合性という点では「花燃ゆ」はあったと思うので。
前の見なかった大河を、また見たく思わせるのが「直虎」の功績かもしれない。
脚本家が関西人だから無意識のうちにどーしても「商い」エピに筆が傾いてっちゃう。
どこの土地の話かよと感じる。
このちゃっちい感じは、あさがきた、みたい。
朝ドラでやってほしいわ。
井伊直虎、という実名を使ってこんなほぼ架空100%のドラマを作っているから、ドラマも無理してチグハグになるし、見ている者も疑問だらけで問題が起きる。
いっそ、井伊直虎をベースにしたフィクション、ということで場所も架空、名前も架空にすれば、別に好きにやれば?ということで非難されることもなかった。
中途半端なんですよね。ファンタジー大河にもなりきれず、真性大河にもなりきれず。そんなシロモノを大河枠に持ってくること自体が間違い。
森下さんが言ってるという「大河の縛りから解き放つ」って、こういうことじゃないし、全然解き放ってもいない。
大河枠においては、今までにない斬新な視点を盛り込んだり、描き方や構成を目新しくして、視聴者を楽しませるってことでしょう。
それが、「解き放つ」の正体が「史実を改竄してスイーツ層が喜びそうな話に作り変える」だったとは、ガックリの極み。
隅の隅まで徹底してクソ、というわけじゃなく、部分的には見るべきところもあったドラマだけに、ほんとに残念。
直親見たいんだけど(//∇//)
女性脚本家のオリジナル女大河でも、4年前の八重の桜は、史実に沿って非常に重厚に描かれてたのに…たった4年でこうも変わるとは。
しかも最新の研究成果を話に盛り込んで、そんなまさか?と思わせる事が事実だったりと、非常に上手い作りだった。
おんな城主直虎も、そんな感じの大河になるかと思ったら、どうも江のような作りにだんだんと傾いてきて、創作部分のデタラメさが鼻に着くようになってきている気がしている。
直親は、ほんとは、政次に氏真への密告や、ある事ない事吹き込まれて殺されたの?
直親は本当は二枚舌でしたと思えばこの時代劇風大河ドラマも面白いが、、大河ドラマの良さではないなと最近は実感した。
三浦春馬君には二番手をいつか演じてもらいたい。まだ女大河というものがあればね。
ファンタジーなら、三浦君、別の役で出してよー二枚舌なら、二役でもいいよね。直親、亡くなられて徳川が、
動いてくれたんでしょ。
やっぱり、真逆の話で、本当の直親が、気の毒。
現代でも、まさかそんなありえんと思ってたことがどんどん真実だと暴露されつつあるし、史実も本当はどうだったか分からないもんだが。
このドラマでは、ひっかかるところを調べるとどうも史実とされるほうが辻褄が合うようだ。つまり、創作部分がヘタもしくは手抜きだろう。
でも、史実に忠実にすることばかりが重要ではなく、やはり面白いかどうか為になるかどうかだが、今のところは個人的にはまあまあという感じかな。
直親も二枚舌とか三枚舌とか言われてたけど、それは違うのではと個人的には思います 。
最初の結婚は逃亡先で匿って貰う為にやむを得ずだったかもしれないし(というか恐らくそう)、帰ってきてもおとわとは結ばれず次期当主が未婚を貫ける筈もなく、これもまたやむを得ずしのと結婚しました。
個人は捨てて、家を繋ぎ広く根を張る為にするのがこの時代の結婚であり、直親もその一人に過ぎません。
結婚しない小野政次はずっと一途とか言われてスイーツ達も盛り上がっていましたが、小野家という家の当主でありながら個人の感情を優先し、何より優先すべき己の生家を繋ぐことなど考えてもいない、戦国時代にはあるまじき人物です。
その上、「義兄は妻も子も居ないので乗っ取りは考えていません」等と義妹に言わせる始末。
別に妻子が史実通りに居ても主家への忠勤は幾らでも他で示せるのに、妻子がいないというとんでも設定も小野政次が不憫ぶる背景の材料にされたとしか思えません。
脚本家がかなり小野政次(というか高橋一生?)に肩入れをしているのはこれ迄の流れからも明らかですが、そしてそれを当たり前に受け止めて直親を貶める視聴者もTwitter等を見る限りでは結構居ましたが、私からすれば政次の方が異様な存在だし、奸臣としての仮面もあっさり剥がれてから中途半端な立ち位置で何の為に居るのかも最早わかりません。
とりあえず脚本家や演出、今回のスタッフには大河枠でこんな整合性の取れていない上に下品要素まである歴史破綻ラブファンタジーを垂れ流した責任を、是非とって貰いたいものです。
いっそスイーツ層向けと分けて一年おきで区分けしてほしいな。来年の西郷どんも女性脚本家が、女の目線で西郷隆盛がいかに周りからモテたか描くそうだ。またかよ、もういいよと思った。龍雲丸出てきてからスイーツ妄想に拍車がかかった。この先直虎と結ばれたとか止めてくれよ?
話の整合性よりも、
人物のきめ細かい設定よりも、
とりあえず、目先の萌えなんでしょうね。
ドラマを見て、妄想することを、私は否定はしません。
ドラマで描かれた以外のシーンや後日談が想像できるのは、
素敵なドラマだということを表していると思います。
でも「直虎」は、その妄想が、ごまかされているような気がします。
人物設定がめちゃめちゃでも、パッと目を引く漫画チックなシーンを入れられると、そこしか見えなくなります。
「政次と直虎のあのシーンが!きゃー!」
頭の中で、直虎を自分に置き換えて喜んだり、
さらに過激なラブシーンにしたり。
(脚本家自身も?)
こういうシーンを入れておけば、とりあえず受ける。
なんだか馬鹿にされてるように思います。
史実と言われている通りの設定にしたら、みんな萌えなでしょ、と。
朝ドラ的なものを大河でやったらどういう反応か実験かもしれませんねw
やっぱり、自分でも事実を調べないとダメですね・・・
NHKひどすぎる。視聴者も騙されすぎている。みんなを騙すのにも、
私たちの受信料を使っているのだろう。
政次が、一番ほんとは、酷いのを美化しちゃって・・・・
嘘の垂れ流し・・・
大河で、悪質な嘘は、いかんでしょ・・・
犯罪レベル・・・
直虎、今のところおもしろいからたぶん最後まで見ると思う。
最近の大河でおもしろかったのは、篤姫、江、八重の桜、龍馬伝かな…それと、清盛、義経も良かった…もっと昔のは秀吉、吉宗、毛利元就が好きかな…
大河じゃない時代劇だと暴れん坊将軍、大奥、JIN、信長協奏曲が好きかな…
みんながつまらないと評価した大河も私にとってはおもしろかったと心に残っている。
直虎、今までの大河の中で私的には上位なんだけどな…
ラブファンタジーって形容詞には笑わせていただきました。
皆さん辛辣〜笑。
史実に忠実だと評価があがるのかな~。確かにひどいが…
私も直虎は3かな。真田丸は4かな。
なーんて考えたが、やっぱり時代劇が好きだから見てるので…萌え要素はいらないがね。
「樅ノ木は残った」という大河ドラマは、悪役として語られてきた原田甲斐を忠臣として描き高い評価を得ている作品です(しかも原田甲斐は主役)。だから井伊家乗っ取りを謀る小野政次が実は直虎の味方という設定で描くこと自体は問題ではないと思います。
例えば徳川家康も、ある作品では平和を希求する英雄であるし、別の作品では徳川家が覇権を握るためには手段を選ばない悪人です。
問題は明らかにされている事実を曲げることなく新解釈を施せるか、視聴者を納得されるかで、ハードルは高いですよね。果たしてどのように決着をつけるのか…
大河は、やっぱり史実に、近づけて描いて欲しい。
子供でも分かりやすくいいと思っていたのは、
間違いだった。子供には、見せられない作品でしたでした。大河の情報を信じてきた人生は、なんだったんだ(T_T)
子供に歴史を教えたいなら、大河ドラマじゃダメだと思う。直虎に限らず、今までの大河も全部フィクション。
歴史に興味を持つきっかけにする程度かな。
今作品、韓流の歴史もののドラマに近い内容な気がする。特にチャン・オクチョン(史実では悪女だけど、純粋に愛に生き、王に愛されながらも処刑される話になっている)とか………ちょっと違うけど、今作品の政次ってこんな感じかな(笑)
こういうテイストしか書けないだけのに、「敢えての新しい挑戦」みたいな上からやってきたような言い方をするから、この脚本家が嫌い。
「直虎」
歴史に興味を持つきっかけになるのかなあ。
一応戦国時代(らしきもの)が舞台で、
有名武将は時々出るけど、
「この時代の~が」「この戦いの~」
なんて、当時の特徴、風習、出来事に関心を持ち、触れた書き込みを、TLでも、あまり見ないのだが。
目につくのは、「政次と直虎の関係に萌える」といったものばかり。
三浦春馬も可哀想だけど、実在した直親にも、相当失礼だと思う。絶対、草葉の陰で泣いている、怒っていると思うと。
政次の視線が~とか手が触れあった~とか、政次嫉妬してるとか政次の今後を想像すると~とかそんなのばかりですもんね。
これ本当に大河の感想かよというものばかり。
脚本家はきちんと歴史も描いているつもりかもしれないですが、結局視聴者の頭には政次がどうとか直虎とどうなるだとかしか殆ど頭に残っていないし、そういう見せ方しかしていないので、やはり直虎はなんちゃって歴史ものの創作ラブストーリーでしかないんだと思います。
ファン層は女性(それも年齢層高め?)が多いらしいけど、自分は20代ですが一回り近く上の柴咲コウの甘えた喋り方と幼稚な演技が気持ち悪くて無理です。
まだ次郎法師の時の方が落ち着いていたのに何故年齢を重ねてああなるのか…
高橋一生も取り上げられている程格好いいとも思えないし、演技は此処でも言われていたように場面ごとに3パターン位しか無い印象で、声が小さくて籠っている様に感じます。
直虎の調整能力がアップしていましたねー。
双方から話を聞き現実的な落としどころを模索しまとめる。理想を持ちながらも現実的に対処していけるようになってきて頼もしいなー。
いいところを見つけて褒める。
ドラマに対しても、直虎に対しても。
寛容ですね。
素晴らしい!
私は、ダメだ。
もうギブ。
半年もった、自分を褒めてやりたい。
え、政次は本当は悪者なの?そうなの〜?一層直親が気の毒に思えてならないわ。最終回までにいい奴だったという印象を残してあげて欲しい。直親ファンの方々の為にも。
直虎はだいぶ成長してきましたね。でも根は本当に真っ直ぐでお人好しなおとわそのままに見えます。
政次にどこの当主だと怒られながらも、龍雲丸達が心配で仕方がない。
あの猪突猛進に見える行動も「結果自然になる」と南渓和尚は言い、本当にそうなればいいのですがと政次は心配しているけれど、そこは政次にない直虎のいいところだと認めているようなので見守っているのでしょうね。
当主、経営者はとても孤独・・・。
今後、直親、政次の思いを背負ってうまく乗り切っていくのかハラハラ、ドキドキしています。
領主が暴走すると家臣団が幼君を押し立てこれに対抗することは少なくない。直虎を追放するため家臣が虎松を補佐して領主に擁立するという展開はないのかな。
その後の直虎は改心して良い君主になるとか、あるいは実権は家臣に移り形だけの領主をつとめるとか。追放で決着すると史実に反してしまうので。
このドラマの直虎は、領主のくせに公私混同し過ぎ。民のためとか言うなら、もっと私情を押さえて、立場をかえりみずに行きたいところにいつでもヒョイヒョイ出歩くのはやめるべき。龍雲丸一味のことだって、結局自分が女として龍雲丸に惹かれて執着してるだけにしか見えない。 直虎が男だったら、支持する家臣なんかいなくてとっくに下剋上されて終わってる。ただのバカだよ。
私は視聴はやめたが、たまにチラッと見てみると相変わらずな内容(ラブファンタジー最優先・ご都合主義展開・時期不明・時代の歴史背景不在・虎松の動静不明・井伊と気賀の位置関係の不審さ・尺稼ぎの架空盗賊との絡みネタ等)が続いているのを見て、やはり駄作ぶりを確信してしまった。これがあと半年も続くのか。早く終わってもっとまともな作品を放送してほしいんだが。
実在の人物を大河で主要キャラにするなら、バカやスケコマシやストーカー気質に描いて下げるのは本当に失敗だ。主人公にも周囲の人々にも魅力より短所の方が目立っている。
『八重の桜』放送時(2013)の『音楽で楽しむ大河ドラマ 全52作品』に出演の坂本龍一氏、風吹ジュン氏、岩井俊二氏。この方々に今年の感想を聞いてみたいもんだと思う。
直親の本当にあった、青葉の笛だっけ。あれが、直親の素敵な真実だなー
あの話だって、史実だけどほのかに萌えっとくる。この程度でも、奥ゆかしさがあり十分素敵だと思う。
直親は、現代人に誤解されて可哀想だ。
ほんとに。
もし脚本家があの笛に心を動かされ、直虎との純愛を描く方向で物語を作ろうという気持ちを持っていたなら、もっと直親を心を込めていつくしんだろうにと思う。
回想や一人二役などで、彼を画面から離さなかったはず(しかし、自然に考えると、普通そうするよなあ)。
ところが、その役回りは、歴史上には存在しない(名前だけはあるがまったくの作り物の)男にとって代わられ。
あまつさえ、主人公の夢枕に立つでもなく回想にさえチラとも現れず、直親はまるで忘れられて、直虎はどうしているかというと盗賊などに岡惚れしてうつつを抜かしている始末。
城主になる時の「直親の現し身になってやる!!」という激烈な誓いはどこへ行ったのやら。
直親の愛されなさぶりが、あまりにも不憫だ。
にとどまらず、脚本家がその架空の男(か、またはそれを演じる俳優)に盲目的になるあまり、相対的に彼を上げるために直親を貶めまでする。そして、中途半端だろうが何だろうが、いつまでも彼を物語に引きとめ続ける。
その偏愛ぶりがどうにもこうにも気持ち悪い。スイーツ層はこの部分に特化してドラマを愛でているらしいが、それもまた、気持ち悪い。
脚本家が肩入れして偏愛するのが主人公ならまだしも、今や何のために画面に居座り続けているのかも分からない脇役っていうのがまた…
この脚本家は、自分が一番描きたい恋愛展開に力を入れようと史実を改竄・改悪するあまりに、結果的にすっかり架空の人物設定となってしまった小野政次に傾倒しすぎて物語全体の破綻を招いている。
この一人のキャラクターの株をあげるために、井伊の皆を脳筋に設定し、本来一番贔屓されるべき主人公の直虎でさえ欲望を抑えられない中身子供のままの下品な女のように描かれてしまい、第2の主人公的存在となる筈だった直親も逃亡先での生活等は一切描かれずにスケコマシところにより脳筋のように仕立てられ、散々それで政次が振り回されました可哀想でしょう不憫でしょうと視聴者を煽り、もういいだろうと言わんばかりにあっという間に退場となった。
人物の心の動きや人間関係の機敏をしっかり描いている自分は凄いと脚本家はしたり顔かもしれないが、登場人物により力の入れ具合が余りにも違いすぎて、それこそ整合性が全く取れていない印象で不快感しかない。
それから、気賀と井伊の距離など誰も調べないだろうから直虎が全く気賀を知らないという事にしても良いと思ったのかな。
妙な場面や設定は此れだけではないが、幾らなんでも視聴者を馬鹿にするなと言いたい。
主要キャラを美化せず滑稽にしてるのでしょ。
コメディーだから。
ゆきのじをもっと大事にしてあげてほしい。
子どもっぽく見えるけど、数少ない井伊の家臣の中では重臣なんでしょ。
キャストの序列も微妙だし、なんかかわいそう。
嫌いな脚本家だったんだよね。
書いたドラマ最後まで見たのないんだ。だが、
直虎だけは面白い。
この人の脚本で初めて最後まで見ることになりそう。
今回は出てくる人物が皆、生き生きしていて見ていて面白い。
みんなが、直親のことを忘れてしまったような感じ。
一番、憶えていなくてはならない直虎がそうなのだから、救いようがない。
過去の思い出に捉われていてはいけない。
今を生きるのに一所懸命。
というのを表したいのかもしれないが、
虎松に、「そなたの父上は・・・」と、
直親のことをたびたび話して聞かせるシーンが
本来ならあってもいいところ。
それは、しのよりも、直虎がやってこそのもの。
あの時代は、幼い頃に父親を亡くす子も多かっただろう。
でも周囲の者が、父がいかに立派だったか、父の権威を話し、それを聞いて成長した子は、記憶のない父親でも尊敬し、
家を守る使命を強く持ったのだと思う。
直虎としの自身が、直親に対しての思慕や尊敬を捨て、
「スケコマシ」と軽蔑の言葉さえ口にした。
(たとえそれが、本心でなく、あの場の勢いと、仲直りするための操作だとしても)
今後、今さらのように、虎松に父親の権威を話すことは、
成人した虎松と直虎の関係を、とってつけたように、
親密に描こうとしていると、受け取られるのでは?
子供時代の、3人の交流を、あれだけ密に描いたのだから、
もしかしたら、今後、それこそ唐突に、直親の名誉回復を図るシーンが出るのかもしれない。
(貶めたまま、道化役として終わらせることはないと思うのだが)
でも、持ち上げて、落として・・・それも、おもしろおかしく・・・再び持ち上げても、前のように、
「やはり直親はいい人だった」と、私達自身がすんなり
記憶を上書きできるのだろうか。
あの時のことはなかったかのように。
一大事があっても「夢オチ」したりする、ドタバタコメディーなら、
直親貶めシーンも、最後、あのさわやか笑顔に、
「チャンチャン」の効果音入りで、
あははと笑って見られるのかもしれないが、
少なくともドラマ開始時は、制作者は、
直親の登場シーンは少ないとしても、
直政の父親という役以上に、重要な役、立ち位置を考えていたと思うのだが、
どうしてこんなことになったのか。
あの笛と鼓のエピソードを美しく書いた、
同じ脚本家とは思えない。
なぜあの子供時代のエピソードにあんなに力を入れたのか。
財政逼迫の井伊家のために、思い出の鼓を売ろうとする、
そのためだけの、前ふりだったのか?
そうではないだろう。
私は、直親のファンでも、中の人のファンでもないのだが、
(今回の大河を見るまで、知らなかった人である)
なんだか、もやもやした不快感がある。
みなさん書かれているように、バランスの悪い描き方だと思う。
物語に歪みや破綻が生じているにもかかわらず、架空の人物を意味もなく、しかもVIP待遇でこんなに長期にわたって出し続ける歴史物って、聞いたことないわ。
森下さん、男に惚れるとこんな見境いのない女になるとは(下世話な表現でスミマセン 笑)。もうちょっと理知的な人かと思っていたのに。
次の大河の脚本家がまさにそんな感じで、自分の寵愛する俳優を主演にし、BL含めた恋愛三昧を描くつもりらしい。
これは前もって宣言していて、こちらは来年もヤレヤレなんだけど、このドラマも、宣言はしないまでもまったく同じ体質なんだということが回を追うごとにはっきりしてきて、心底ゲンナリ。
脚本家が、高橋くんを大好きなんだね。
脚本じゃなくて、脚本家が、高橋くんに直接、愛の告白をしなさい。
直虎は実際は女性か男性かわからないとはいえ、その墓は、直親の隣に並んであるという。
このことや、残された遺愛の笛、二人が許嫁であったこと、直親隠棲の折に直虎が幼くして出家したこと、のちに直親が井伊に帰還したのも束の間、誅殺されてしまうこと…
こもごも合わせれば、このドラマの縦糸としては十分な、二人の純愛という芯ができる。それ以外、愛情関係は不要だった。
もし胸キュンに持っていきたいなら、どなたか書かれていたように、一途に直親を想い遺児を懸命に育て上げようとする直虎の姿に、他の男性が秘かに想いを寄せる、しかし直虎は凛として…というのが、王道。
それが、このドラマときたら…。
とにかく、猥雑な要素が多すぎる。
柴咲コウさんの虎顔も他の俳優さんたちも本当にもったいない。1年も拘わるのに用意されてたのがこんな浅い脚本だなんて。おととしのレビューでは既に今年の不安視されてた。ファンタジーか。
『江』では亡霊を感知したのは一人単位だったが、『花アン』では集まった人みんなに死んだ祖父の声が聞こえていた。来年の大河はオカルト大河になりそうな予感。
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