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合計 | 2223件 |
清が一緒に行くと言っても「そうかい?」と受けちゃいかんよね
清の行き先は別に考えてほしかった
若者を黄泉路に道連れにしてどうする
学費返済ワロタw
そういえばそんな話すっかり忘れてたー
踏み倒したのかしら。
次回も忘れたころのカクンカクン
>常子と鞠子は働いて学費を返すのは言わなくても想像できます。
同意です。 今週も見所いっぱいでした。
この時代、嬉しいことより大変なことや辛く悲しいことの方が
圧倒的に多かったんだろうなと思います。
そんな中でも小さな幸せ、希望を見つけてくれたらなと。
常子達をこれからも応援します!
>君子は滝子が長くないことを知ってるのにねぇ
病状はよくないことは医者から聞いてるけど
余命宣告は聞いてないのでは?
君子は最後の親孝行ついて行きたくない訳がない。
戦争で商売に支障をきたしているのがなけりゃ、清は店を守ったんだろうけど。
一人で出来る商売でもないし。
何より清には他に家族がいないから、滝子しかいないから、兎に角滝子意外に清にあるのは商売なんだけどそれもも畳んだから、君子は清に託したという形に結果的になっただけで。
君子の性格からすれば、何もない清が言うのを制して自分が看取るとは言えなかったという事だ思う。
小橋家と関わった事で森田屋や青柳が深川を出ていったなら幸運の女神じゃないですか?
東京大空襲で深川は火焔地獄と化すんですから
燃えたマッチのようにクロコゲの人間が数人くっついて固まってたとか、庫の戸をあけたら蒸し焼きになったマネキンのような死体が詰まってたとか
君子は昨日医者から滝子の具合は良くないと聞いているから、滝子がもう長くないの勘づいているよね。今日、君子が「青柳に産まれてよかった」と言ったのは滝子は最期だと思っていたからなんじゃないのかな?
あの時、君子が木曽に行きたいと言っても、清が制止しただろうね。それが君子たちへの最後の滝子の芝居なのだから。後でその説明が後日談としてドラマでありそうですね。
学費の件だけど、常子がタイピストの仕事を3年やっていたのだから大分返したのではないのでしょうか?少なくとも常子の女学校代金くらいは払えたのでは?
今日はお涙頂戴回なんだろうけど、君子と美子は一緒について行けばいいのに~とか、清さん達これで退場?まさかね?の驚きの方が勝ってしまった。
来週はいよいよ戦争。朝から見たくないという意見がどの朝ドラでも出てくるけど、やっぱりドラマで伝えていくことも必要だと思うので、どう描くか期待したい…んだけど、この脚本家で大丈夫か?と思わずにもいられない。
つうか、滝子さんと清さん隈井さんは本当に最後なのかしら。このままじゃ物語的に都合よく消えたようにしか思えなくて残念。
ドラマの中の借金の返済まで視聴者が心配してどうすんの。
モデルの大橋さんは学費は祖父母に出してもらったんでしょうが,いらぬ心配と戦いせんでもええやん。
あの借家の家賃は常子達が払うんでしょうし。
小橋家のために借家を用意したのも芝居ってやつだよ。隈井が常子と鞠子の職場の近くに用意したと言えば、常子たちは何の疑問なく住むだろうし、滝子は君子や美子たちに一緒にきてもらいたくないから芝居を打ったんだと思いました。それに君子たちが木曽についていったとしても、そこで収入がなければ、滝子や清の足手まといになると思いますよ。だから君子は余計なことを言わなかったのではないのでしょうか?そして美子が一緒に行くと言ったときも、足手まといになるから止めたのではないのでしょうかね。それに常子も滝子の意見に従うとも言ってますよ。
経済的なことより小橋家の4人が一緒に暮らすこと,前半で深川編が終わることで綺麗さっぱりな感じにしたんだと思う。細かいことはいりいろつっこみをしたくなるが,忘れて後半を応援していきます。
滝子が最後に残した言葉
これから先を生きる人のことを考えて暮らしていきなさい。
前半を締めくくるような台詞でしたね。
制作側はこれを名ぜりふにしたかったようです。
常子達が森田屋に住み始めた頃に、とと姉ちゃんの特番を公開生放送でやってたね。高畑充希、ピエール瀧、秋野暢子が出てたけど、その時森田屋や青柳家のメンバーはクランクアップしてる事を言ってた。大地真央はVTRで「秋野さん、お疲れ様でした。もう私達の出番は無いけど…」と話してたからこの先出ないんだろうなーと思って今日見てたら涙出そうだった。(^^;;
鶴ちゃんも清もお別れなんて寂しいね。
夕方の前編総集編でも星野との別れのシーンでやっぱり泣けたし。
皆さん書いてるように君子のキャラとか突っ込み所は色々ある。今日だって老いて先の短い母親が見ず知らずの土地に移るんだから、君子は何が何でも付いてって、私に看取らせて下さい!くらい言って欲しかった。清がいるから大丈夫、あなたにはまだまだ子供達を嫁がせるという大仕事があるんだよ、何より戦争を生き抜かなきゃ!そうゆうセリフが滝子からあり、常子がそれを立ち聞きしてる、なんてシーンを入れて欲しかった。
余りにもサラッとし過ぎ。一緒に暮らしてきた肉親と別れるのに美子のあのおばあさまと一緒に行く!だけでは物足りなかったなー。
ナレーションだけで簡単に説明しすぎ
目黒のがらーんと広い借家にて。
「広いわね」
「私たち4人だけなんて、広すぎるわ」
「今までたくさん人がいて、にぎやかだったから」
「楽しかったなあ」
「みんな…行っちゃったね…」
「……」
「……」
常子「…でも!元気出しましょ。また新しい生活が始まるのよ。お婆さまのためにも、私たちが元気なくしちゃいけないわ」
君子「そうね…お婆さまは、私たちにそうあってほしかったのよ。だから、最後まで毅然として行かれたのよ。森田屋さんもあんなに明るい顔して行かれたじゃない」
最初にちょっとこうした会話があっただけでも、今まで去って行った人々が成仏できたし、こっちも泣けた。
先週の「サワコの朝」で宮藤官九郎さんが
『NHKは楽に自由にやらせてくれたけれど、
「あまちゃん」でヒロインが丸々出ない話を1話書いたら、
さすがにヒロインの出ないのはね、と言われた』と、おっしゃっていた。
失業後は森田屋祭りで常子は数ヶ月の間不在、今週の後半は滝子劇場で常子不在。
常子の姿さえ出ていれば、何も言われないんだね。
花山が出てこようが、出まいが、
どちらにしてもやはり裏切られてのタイトル詐欺。
これはあくまでも私の想像です。
作家はきっとサブタイトルを先に考えたのでしょう。
物語が後付けされたために全体の構成に歪ができて、
無理に騒動エピに合わせようとしたために、
人物像が曖昧になり、季節感もなくなって・・・
やむなくヒロイン不在の話になってしまったのでしょうね。
思い出しましたよ。
計画表を作るのが楽しくて楽しくて、
終わってみれば何一つ計画通りにならなかった夏休みの子供の頃を。
青森のヒバではなく、木曽ひのきに拘っていた滝子を思い出します。
人生最期の地として木曽を選ぶなんて粋だわぁ、と思いました。
滝子自身がが選んだ人生に皆が同意したということなんでしょう。
ドラマならば、というよりもドラマだからこそ「あり」の人生というのがあると思う。
滝子らしい生き様だと感じました。
なんにしても、初登場からずっと
容姿、演技共浮きまくってたお婆さまが
ひっそりと消えてくれたのは良かったと思う。
お婆様を前半で消化して
花山を後半は登場させた方が
サブタイトル詐欺感が薄いと思うんだが
なぜかサブタイトル分を急いで消化して
後は別の話ってが多い。
今日は泣かせたかったんだろーねー
清も役に入っていたけど、ババ様のあの喋り方で全て吹っ飛んだ 笑
病気の滝子は、清に丸投げ。隈井に探してもらった新居で浮かれてる常子たち。酷い人たちに見えてしまいます。小橋家は、苦労も見えず、都合良く森田屋さんや、青柳に世話になって、行くとこ行くとこ、不幸にしますね。
君子同行の件ですが、脚本の中に、ついて行って看取りたい君子の気持ち、家族四人を離したくない悲しませたくない滝子の覚悟、滝子の気持ちに添うと決めた清と隈井、これらを書いてくれていれば皆さん納得できたのですよね。
素人が考えても、凄くいい場面になると思うのに、なぜ書かない??
想像して脳内補完することは容易ですが、朝ドラなんですから、あえて言葉と映像にしてほしかったです。
それぞれの優しい気持ちに酔って泣きたかった土曜日です。
常子23歳のご指摘ありがとうございました。
23歳にしては言動が幼い気がします。(新居のほ~ほ~ほ~等)
そして22歳の鞠子。こちらは髪型のせいか今週ぐっと老けた感じがします。
もはや美魔女系君子の姉妹といっても通りそうです。
常子ってお芝居に騙されず、すべてを悟る設定なんですよね。あらすじに書いてありましたから。それなのに新居での「お~お~お~」ってありえません。まずはしんみりと感謝の気持ちを表して欲しがったです。
おばあ様もまさかのナレ死とは、女優さんのご意向かなと思ってしまいます。私にはいろいろと疑問が残る、もやもやした青柳家の退場でした。
滝子の芝居は小橋家に自分の死期を悟られたくなかったのではないでしょうか?滝子が木曽に行くと言った際、清も自由にさせてあげようとしていたので、滝子は元々ひとりで死ぬ気だったのではないのかな。
美子にもう長くはないと言えば自分が死ぬまでついてくるだろうし、滝子自身、毎回君子たちに心配されるのが性格上嫌だったのかもしれないし、青柳の家は政府に従えば出ていかなければならないから、これを機に小橋家の者たちと合わない覚悟を決めたのかもと思いました。
美子が一緒に行くと言った際、また青柳の家に戻ってくる、そして祭りを一緒に見ようといったのは滝子の嘘なんでしょうね。
はれ? 今日は休みだったから、ちょっとだけ総集編見てみたけど(平日は出勤前に見ると士気にかかわるのでw)、お婆さま、あと1年ぐらい、って自分から皆にバラして頭の上にフラグ立ててなかった?
見まちがいなのかしら?
おばあさま、潔かったです。死期を感じるほど具合が悪いのならそばにいてほしい頼りたいと思うものだけど死に方はその人の生き様が現れている。(戦争などは別として)これから暗い時代へ突入していくのですね、物が無くなっても人が残っていればきっと復活できると信じます
バラバラでギクシャクとしたドラマの流れ。
トンチンカンな登場人物たち。
腑に落ちないヒロインの活躍。
今週のお題は、本来違ったものではなかったのか、この脚本家はお題を付けるのも下手です。
来週は戦争です。どう描かれるのか、15分見続けられるか心配です。
凜とした滝子おばあさまと心優しい清さんに会えなくなるのが寂しいです。
お二人とも大好きだったので。滝子達の嘘が悲しかったですね、美子以外はもうわかっていたんでしょうけれど。
君子は滝子と清の気持ちを汲んだのだと思います。
私はあれで良かったんだと思うし、辛かっただろうなと思うこそすれ冷たいなどとは思いませんでした。
予告を見ると来週は空襲にあうんでしょうか、心配です。
戦争に突入していく。
9.11では、テロリストの親玉が笑った。ミサイル発射の成功をようこぶ、阿呆な国のトップの写真があった。
「ねぇ、ママこの紐を引くと神様が褒めてくれるの?」幼い子が母親に訪ねる。「そうよ、うんと褒めてもらおうね。」そういうと市場でごった返す人ごみに親子が消えると同時にドーン!!というけたたましい爆発音。そんなことが世界のどっかで日常的に起きているのだ。
別れたくない人達との別れ。戦争という名の悪魔が人の心と心を引き裂く。戦争という名の悪魔は、命をより軽くする。片道の燃料しか積まないゼロ戦が艦隊に体あたり。人の命は、消耗品と化する。今でも、人の命を軽んじている人がいる。毎日のように凄惨な事件が起きている。
これから常子たちは、毎日が命を軽んじる世の中の真っ只中に突入していく。この頃、日本のトップは、何を想っていたのだろう?そして、現在。どこかの国が日本に向けてミサイルを飛ばしたら、日本は、命を守るために迎撃するのだろうか?
滝子との別れの場面。最近涙腺が弱くて、映画の予告でも泣ける私が一滴も出ず。
話の流れもあるけど、言葉遣いも一因じゃないかと思っている。常子達が祖母に(母親の君子にも)「○○ですか」「○○します」 言葉が綺麗って評もあるけど、家族だもの。もっと自然な喋りの方が、視聴者にも感情が伝わりやすいと思う。「です」「ます」で話せばいいというものではない。
深川って下町ですよね。下町言葉は沢村貞子のイメージ(あちらは浅草だったけど) 母親にたいしても、あの時代で、ああいう商売なら「おっかさん」が普通かと思っていた。「お母様」は山の手の言葉かと。
まれの話題がでるけど、まれは伝統工芸の女将とパティシエの同時をこなしつつ、子供を妊娠するなどと、どっちらけで無理な話だらけだったけど、とと姉ちゃんではプロポーズした相手より妹たちが大事だとわかればそちらは諦めるのでどっちらけにならなく無理もないのでドラマが見やすいよ。
ととになると決めたヒロインはブレもなく自分の信念を貫こうとしているところは見ていて気持ちいいですよ。
あさが来たで毎週金曜にどアップで死に際を流しては、はい泣いて下さいという演出が余りにも繰り返されたので、今回は趣向を変えてみようかという気分に作者もなったのかも知れません。
死を覚悟した滝子さん最後の大芝居。
まさに老舗材木商を女手一人で切り盛りした誇り高き大女将らしい潔さでした。
「最後くらい恰好つけさせておくれよ」
娘や孫に心配をかけず、迷惑もかけずに引き際を決めたかったんですよね。
その気持ちを察し芝居に協力した清や隈井の男気も、滝子さんを気持ちよく送り出した娘の君子や孫たちの気持ちも温かいです。彼らにできる精いっぱいの思いやりだと思う。その辺の複雑な心情が君子や常子の表情からもよく伝わりました。やつぱり巧いな、と思う。
ただ一人、祖母の芝居を信じて再会を心待ちにする美子は哀しいですが。
でも自分なら病気の老母を一人で行かせはしない。そういう疑問も多く出ているようですが、ドラマの中での人間の感情の自然さ(整合性)とそれは別物だと思います。少なくとも今日のドラマ内での登場人物の感的整合性は取れていた。私も自分なら君子と同じ行動は多分取らなかったと思うけれど、ドラマ内の彼女の行動に違和感はありませんでした。素直に泣ける良い展開でした。
来週はいよいよ戦争真っただ中で苦難の時が続きそうですが
家族4人だけになった小橋家のこれからの生きざまに注目したいです。
前作はナレ死連発で話題になったものだが
今作は話を進めて欲しいからナレ死歓迎って人が多そう。
滝子は以前青森ヒバより木曽のヒノキを選んだんじゃなく、
ミス=ヒノキの発注を間違えてヒバを加工してしまったのを正しただけ。
青森ヒバは木曽ヒノキ同様超高級素材。
見た目もなかなかわからないからミスが生じたけど、商売には信用が大事だから、今からでもヒバ損してもヒノキでやり直しただけで
滝子はヒバを選ばすヒノキを選んだとか、それが粋だとか、勘違いしています。
不自然なほどの白髪カツラに、全くなってな い江戸弁と、いつまでも抜けないヅカ芝居。大地真央は常に浮きまくっていた。祖母役は別の女優を望んでいたから、消えるんならまぁいいかと。孫たちは地方出身者だが、親とは敬語で会話していたため、祖母や一部の他人に対しではほとんどの場合敬語なので、いささか味気ないやりとり。
とと姉ちゃん、こういう場所やSNSがなく、録画もビデオテープ時代だったら合格点の朝ドラだったと思う。セリフで突然説明してくれるとわかりやすいからね、視聴率だけ高いというのは妙に納得。でも最初から見てき良かったという積み重ねが感じられないのが残念。
今週ようやくの唐沢さん登場やら、おばあ様退場週なのに、最後の新居シーンにすべてもってかれた。
広いっ!
隈井さん、すごいの見つけたね(笑)
常子たちは下町出身ではないので、下町言葉を使うのはおかしい、使わなくてよいのです。
ととが使っていたやり方が、小橋家には浸透してるので、ヨシ。
滝子さん、猫みたい、戦争がなければ違っていただろうけれど。
下町だからっておっかさんはないでしょうが,君子は下町育ちでシャキシャキしててもよさそうなのに,おっとりして丁寧な言葉づかいですね。滝子と君子が親子に見えないのは,見た目もありますけど言葉や雰囲気が違い過ぎるんです。君子は上品なととに感化されてしまったということではなく,小橋家のファンタジー上のキャラのようにふんわりしています。浜松時代はそれでよかったのですが,東京では浮いてしまいました。
君子は女学校を出てすぐに竹蔵と駆け落ちして東京を離れたから、東京の下町らしさがないのかもね。
そういえば、まつや宗吉や長谷川は下町っぽい話方をしていたね。君子のあのしゃべり方は竹蔵の影響でしょうね。東京を離れなければ君子も違かったんじゃないのかなと思いました。
そういう所からして、娘が家を出た。その上での養子も貰ったことも大きな覚悟であって。
当時の、家と家との距離が今とは違う事をを感じますね。
来週も、旗振り役の常子がどう時代を潜り抜けて行くのか、楽しみです。
言葉と言えば、常子だけが使う「どうしたもんじゃろのぉ」
西島ととから、ととを託されたチビ常子にとって
目標であり手本にしたのは当然西島ととだったはずだよね。
で、出来上がったのが大人常子の親父キャラなんだけど
上品で落ち着いた西島ととの面影が全くない。
せめて「どうしたもんじゃろのぉ」は西島ととの口癖として
1週目に連発させておかなきゃいけなかったと思う。
ここからは妄想だけど…
大人常子を絶賛撮影中に第一週の放送を見た
現場のスタッフ、出演者は「とと」のイメージの
あまりの違いに凍りついたんじゃないかと。
だから、あんなに押してた「どうしたもんじゃろのぉ」が
途中からめっきり減ったのかな〜と。
ドラマを見ていると君子の父親は君子が幼少の時にすでにいなかったような感じがするんです。でも滝子が男まさりでしっかりしていたから,君子は下に妹がいたとしてもとと姉のようにはならなかった。逆に母に反発して家を飛び出した。父親のいない家庭でも君子の実家と小橋家では全く違う描き方をしている。
こう考えると君子はお嬢様育ちと母親への反発もあり,あのようなキャラになったのかもしれないと考えてしまう。男まさりに仕事をするなんていやだわ,私は夫に頼って地味にゆったり生きるのよって感じで。
もし視聴者のこうさせよああさせよの意見を取り入れたとしたら、
劇中人物たちは何とも言い訳がましくて、
息苦しいドラマになってちっとも面白くなんかないだろうな。
先週は隈井や滝子、清、君子など、みんないい演技で
感動しました。星野が去り、森田屋もなくなり、
ついに青柳商店まで・・・ 寂しいな。
ユーモア特集の削除、森田屋や青柳商店の衰退などを通して、
間接的に戦争のひどさがよく表現されていると思いました。
来週はいよいよ空襲や食糧難など直接的に戦争の悲惨さが描かれますね。
常子たちはふんばりどころ。来週も期待しています。
このドラマのファンではあるが、常子の「どうしたもんじゃろのぉ」は今だに意味がわからないよ。ヒロインはまれのようにあっちもこっちもやろうとする八方美人でないのは良いと思うし、最近の朝ドラにある、不倫や男にいかがわしいヒロインを描こうとしていないのにも好感がもてるよ。
ただ、「どうしたもんじゃろのぉ」だけは、どこから出てきたのか脈絡がないのでわからないし、この朝ドラ唯一の汚点だと思う。これがなければ最高の朝ドラだったんだけどね。「どうしたもんじゃろのぉ」だけは脳内妄想で処理して見ているよ。
いろいろ飛び交っている視聴者の脳内補完の内容を、きちんと脚本上で表現していたら、とてもいいドラマになったのにね。
それは、たったの一言でも、たった一つの表情のアップでも、たったの一つの回想シーンでも、暗示でもほのめかしでも、たやすくできること。
その手間を惜しむ、というか、それすらも考えつかない脚本の愚かさ。
そのくせ、きちんとプロセスで見せなければならないところは、説明セリフやナレですっ飛ばす。拙劣としか言いようがない。
脳内補完しないといけないような、わからない
内容が私には今のとこないです。
画面から伝わるものだけで充分です。
人それぞれでしょうが、説明不足と感じることは
ないです。
心地よく見ています。
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