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2014-07-01 13:52:00 名前無しさん
スペシャルドラマでアンのゆりかごに忠実なドラマを、というのはあくまで私の個人的願望。そういうのができてもまたいいな、というだけですよ。花アンで私は十分満足してますから。
>屋根歩きも確かに突飛な行動ではあったけど、私はいじめとまでは感じなかったし。
その感覚大丈夫ですか?
想像が好きな少女に嘘つきと責め立て
それなら屋根の上を歩いてみろと強要し、
実際に屋根に上っておびえる少女に
いじめっ子は青ざめるどころか
早く歩けとはやし立てる。
虐めそのものかと思いますが?
橋の上から飛び込みを強要する現代ののヤンキーと同じでは?
赤毛のアンではいじめの要素はないエピでした。
>>そうなの?
ドラマを見る限り、まだわからないでしょう?
相手を死なせてしまったり、でも相手に身を引かせる、でも描き方として相手側の妥協、とか相手側に事情を作ってストーリーを展開させる、ということに変わりはないでしょ?そういう方法で収める、ってことはだいたいの人が想像できることで、そういう作り方が疑問、ということが言われてるのであり、先のことを断定したりしてるのではないでしょう?
先のことが分からない、なんていちいち言わなくても当たり前のことだと思いますし、それを前提にいろいろコメントされてるのだと思います。
当時は未成年飲酒法はありませんでしたが、葡萄酒泥酔事件は倫理的にアウトでしょう。
冠チューハイのCMにカエルのキャラクターが登場しただけで、成年者の関心を誘い、飲酒を誘発しかねないとのクレームが出て放映中止になるご時勢です。
あのシーンは市民団体から抗議は出なかったのでしょうか。
まして、はなが学んだ修和女学校のモデルである東洋英和女学校はカナダ・メソジスト教会が設立した学校です。
メソジスト教会は飲酒には極めて厳格で、禁酒運動の中心となった宗派です。
明治時代に寮内で泥酔したなら、即刻退学処分になったに違いありません。
飲酒シーンは現代の価値観から見て極めて不適切であり、泥酔したはなが退学にならずに許されるというのは時代考証的にも間違っています。
朝ドラだろうが単発夜ドラだろうが民放だろうが、村岡花子さんのことを描いたり、アンのゆりかごを原案とするドラマを他の脚本家さんでもっと内容の濃いものを作ってくれたらそちらの方が何十倍も嬉しかったな。
キャストはこのドラマのままでもまあだいたいいいんじゃないかと思うけど。
はなにひたすらはなにもやもやします。
アンが童話と書かれていますが、アンというキャラクターには主体性がありますよ。酸いも甘いも知った大人もたくさん出てきて、リアリティがあります。ラベンダー婦人のような方も出てきますが、あえて夢の入り口なのだと読んでいる方もわかりますし素敵な演出です。それは他のストーリーが地に足がついているからです。
ここでの書き込みをみると、やはり不倫で少し不穏になった気がします。簡単な素材じゃないですよね。誰も悪くないまではわかりますが、それはさんざん苦しんだ者だけがたどり着ける救いであるならばアリだと思います。不倫に否定的な視聴者でも納得までいかなくても、そういうこともあるんだろうなという説得力が出るのではないでしょうか。
でもそれをやるといままでの『花アン』から浮きまくりますよね。題材はわかっているのだから先を見据え、もう少し厚みのあるストーリー、キャラクターの掘り下げをやはりして欲しかったです。そうすれば『不倫の葛藤』も浮く事はなかったんではないかと。
いまはなが深く葛藤を感じるのはおかしいと感じる時点で、もうこのドラマは崩壊していると感じます。悲しいことに。
それとこのドラマの視聴率の良さには、高齢者社会の影響が大きいのかなと。わたしの母の時代は高校進学できるほうが稀な環境だったようです。勉強熱心な子供も家庭の事情で進学できない、そんな時代でした。
本にふれる機会もなかったでしょう。経済成長で仕事におわれおわれて、テレビはあくまで気楽な娯楽。そんな人が圧倒的だと思われます。大河だってナレーション付き。ナレーションを入れないとついていきにくいからなんでしょう。
老人世代を馬鹿にするというのではなく、時代背景を考えると、誰にでもわかる内容で、とりあえずストーリーがあり、朝軽く観るのには最適、という『用途』としては痛く理解ができます。わかるだけに辛いです。
失礼しました。
>はなにひたすらはなにもやもやします、ではなく
ひたすらはなにもやもやします。
朝軽く観るのには最適! ほんと良い朝ドラだと思いますね~
そうゆう意識で作られていて視聴率が高いのなら、それはそれでいいことですね。
不満のある方には辛い朝ドラなんでしょうけど。
>赤毛のアンではいじめ要素はないエピ
そうでしたよね。
このドラマではいじめとしてそのエピを使っていると思います。
でも、この描き方では気付けないかたも多いのでは。
私も、ここのコメを見て気付けたくらいなので。
もし、自分がたえちゃんの立場だったらどんなに辛く、怖いことであるか想像してみれば判るのではないでしょうか。
朝見るのには最適、というのはどういうドラマがそうなんでしょうか。このドラマのどこがそうなんでしょう?逆にどんなドラマなら朝ドラとしてふさわしくない、ということなのでしょう?
私は朝、夜、関係なく、また全体的に激しい感じ、優しい感じ、関係なく、ドラマとは見ていていいなあ、納得できるなあ、なるほどなあ、泣けるなあ、なんて感じられるものが好きです。
その日に見られる回で見ていますが、これ朝見ても夜見ても別に受ける感じ私は別に違いないですが。
これまでの朝ドラもだいたいそんな感じです。朝見ても夜見ても面白いものは面白いしそうでないのはそうでない。
朝だから特に爽やかに見えるわけでも夜だから違って見える、ってことも感じたことありません。結局どの朝ドラもいつ見ても特に強烈な不快感を催させるようなものにはなっていない、それはあんまり変わらないと思います。
純と愛だけは正直一日中どこで見ても不快だった初めての朝ドラでしたが。
好みはさまざまですから、自分が観て朝観るには最適って思うものが、そうなんじゃないんでしょうか。
純と愛だって、好きで観てた人達もいると思いますしね。
>自分が観て朝観るには最適って思うものが、そうなんじゃないんでしょうか。
それはそうだと思います。
でもそれをドラマに沿ってそれぞれのそういう思いの理由などを言葉で他の人に伝えて頂けるのが感想サイトだと思っているもので・・・
ごく表面的に見てれば、口当たりの良い作品なんじゃないですかね。はっきりとした悪人が出てこないから。
朝ドラってご飯食べながらなんとなーく見て、テレビ消したら内容はもう覚えてない。もちろん登場人物の心理を深く考察なんてしない、っていうイメージあります。だから優しい音楽と映像、ふわっとした主人公という雰囲気だけをつまんで、見易いドラマだなーという感想になるのはわかる。
ここの方達はとても真剣に見ている方が多いと思う。もしかして一番熱心な、制作側が大事にすべき視聴者なんじゃないかな。でも、大抵の人はそんなにまともに見てないですよ。仕事に行く合間、次の家事に取り掛かる合間の小休止に後ろで流れてるBGMって感じ。うちは昔から朝ドラつけてたけど、そんな感じだったな。
どの時間に観てもドラマの感想は変わらない、という方へのわたしなりのレスです。
朝目覚めてこれから家事をする、会社に行く、朝はかなり時間もとられますし、労力も必要とされますよね。そして多くの方々は、朝は1日のはじまりとしてできるだけさわやかに過ごしたいのではないでしょうか。そういう理由もあり、朝ドラに不倫は冒険だなと思った次第です。
わたしは昼ドラはあまり見ないのですが、おそらく昼ドラマは家事をあらかたすませて人心地ついた主婦の方が、その世界にどっぷり浸かって(少々濃い演出で)満喫する、そういうイメージがあります。
ゴールデンタイムは、小さなお子さんがいても大丈夫な家族で見て愉しめる娯楽が一般的に求められるでしょう。
深夜まで起きてドラマを観る方は稀だと思われます。サブカルや一部熱狂的なファンがついているような良い意味でのB級作品、実験作品が好まれると思われます。
わたしは深夜起きてるのが苦手なのですが、土曜テレビ東京の深夜枠だけは観ています。週末だということ。サブカルで秀逸な作品が多いこと等です。前期の『なぞの転校生』も今季の『リバースエッジ』も個人的には傑作だと感じています。また、週末の夜にだらだらと時間を気にせず質の良いドラマを夜の肴に観るのは、一種の恍惚感を得られます。
録画して観る場合もありますが、昼間に観ても気分は夜になります。わたしのなかでドラマは、ふさわしい時間のなかで成り立っているように感じます。もちろん人それぞれでしょう。
病床の髪を下ろした妻見舞う切なる願い手にはかすみ草
ありがとうベッドの上でごめんなさいいつも何もしてあげられなくて
私にはあなたの心わかるのよ挿絵の中にも優しい愛が
もういいの優しくしないでこれ以上あなたの愛は優しすぎるの
思い出のつまったブローチ取り出してもう過去にする二人のことは
心の中に降る雨は
今日も悲しい音がする
激しく叩く雨音に
心は振るえ揺れ惑う
いつになったら止むのやら
誰も彼も教えてくれぬ
降り止まぬ雨など無いと人は言う
明日を信じて進んで行けば
いつかは晴れる時が来て
空にかかるは七色の虹
それでは、ごきげんよう、また明日。
2014-07-01 14:40:55 名前無しさん及び2014-07-01 15:30:24 名前無しさん、無茶苦茶文章お上手ですね!全文同意です。
これだけもう今までに多くの作品が誕生した朝ドラ。
うちも小さい頃から必ずその時間についてましたね。
でも同じ朝ドラの中でも本当にそれこそ時間を確認するためについていてただ適当に一応筋だけ追って何となく終わってる、というのと、15分間くぎ付けになって次の日が楽しみになる、とか終わっても総集編絶対見るぞ!ってなるものはやっぱりありますね。
どの作品でも全く同じスタンスで朝ドラと意識して見られる、ということでもないと思いますし、時計代わりに見られる方が好きな人とそうでない人はいます。感想サイトなどに感想を投稿するような人は決して時計代わりに見てるんじゃない、とかこの作品は特に面白い、逆に今までのと比べてつまんない、とか感じるからこそそうしてるんだと思います。
そしてなんとなく出がけに流し見できるのが朝ドラらしい、と感じる人、それが長所だと感じる人も逆にそうでない人もいる、ということでもあると思います。朝ドラらしい、という言葉自体がよく分からない人もいる。
ですので、正直、感想サイトで朝ドラらしくて良い、とかそうでない、とかは別に書かれていてもそうなんだなあ、とは思いますが、特に皆に共通性のあるほめ言葉、また逆に批判の言葉にはならないような気が私はします。感想なので全然あり、だと思いますが内容的な反論とかともちょっとちがうな、って。
それは数字だけでその意味する内容が曖昧な視聴率についても全く同じように感じます。
(お茶の間話題だったかも。すみません。)
2014-07-01 15:30:24 名前無しさん、わかります、わかります!
特に深夜枠のこんなの見てる人少ないだろうなあ、というようなドラマ、サブカル臭プンプンのドラマ見てる時の一種の恍惚感!
それはほんとわかるなあ。これ朝の寝起きに見てもしら~ってなるだけかも、とか思う。録画見るにも私はやっぱりそういうの朝見る気にはならないかも(笑
でも例えば朝ドラは私は夜見ても録画したものを見ても面白いものは面白いしなんか深夜枠のドラマほどはそういう違い感じません。たぶんそのへんは元々そこまでアクの強いものが朝ドラには意識的に作られてない、ってことなんでしょうね。
恋愛を描く、ということで不倫が出て来ても要するにその描き方でだいぶ違うと思うし、それを朝見ても違和感がないように作ることは今の時代ならできると思うんですよね。朝だからと言って主人公に都合のいいように不倫という事実さえも何かで誤魔化すような非現実的な描き方をして薄っぺらいドラマを作るなら最初からやめた方がいい、って私は思ってます。その意味でもなんでわざわざ村岡花子のドラマを朝ドラにしたかったのか、よく分からない。
朝ドラだから爽やかで明るい感じが良いっていうのはわかります。でも不倫まで事実を適当にすりかえて誤魔化しているに過ぎないのに、朝ドラらしくて良い、なんていうのはやっぱりそれ自体がどこか誤魔化しの褒め方で、褒め言葉には感じないってことなんです。
好きな人たちは高視聴率を楽しんで観てる人が多いと思いたいのはわかります。
しかし残念ながら視聴率はどれだけの人がみてるかっていうだけのものだから、好感度とか、支持率っていうものとは違うかもしれませんね。
例えばこのドラマが何かの賞を受賞したら、ある程度の評価があったと初めて言えるのだと思います。
高視聴率だけで取れる賞があるなら、それは別かもしれませんが。
それだけ大勢の方が見ていれば、肯定意見ばかりではないかも。むしろこんな感想サイトは否定意見のが多いのでは。疑問とか、納得いかない気持ちのほうがどこかに吐き出したくなると思うから。
よくここで、面白くないという意見に対して軽い感じが見やすいという言葉があってとても気になるのですが、軽いタッチの作品と、面白くない作品がイコールとは思いません。
軽いタッチでも面白いドラマってあるのでは。
このドラマは軽いタッチだとは思いますが、面白いとは感じない。
いつ見始めても困らないような作りなので、そういう意味では視聴者に優しく軽く見られるのかもしれないですね。
好き嫌いはともかく、朝ドラにはそんな面があってもいいのかもしれません。
朝ドラらしい朝見てふさわしいドラマ・・・
なら元々のモデルの人生がそれに沿ったような人にすべき、と思う。
カーネーションのヒロインにも不倫っぽいところは出て来てあれももしかしたら事実とは違ってヒロインや相手の美化なのかもしれないけれどそもそも名前から変えているし長い間の二人の心の通じ合いも大人同士として納得できるようには描かれていたし、このドラマの薄さとは全然違うと思う。糸子はともかく周防、という男はそれまでの描き方からして感情に負けて不倫に走る男ではない、ということが見ていてちゃんと納得できた。
朝から元気が出るドラマだからカーネーションを評価できる、なんてことでもない。
わたしもドラマには時間帯など元々のTPOはあって当然、と思うけれどTPOさえできていればいいドラマになる、とかいうことじゃないと思う。
そもそもTPO的なことまで持ち出してほめなければあまり内容的にほめるところが見つからない、というのが質の高いドラマであるとは思えない。
またあまりにTPOを意識してるな、ということがこちらに伝わって来てしまうようなドラマが内容的に本当に面白い、と感じたことない。そういうのはその時だけ雰囲気では楽しめるけれど、録画して何度も見たい、というふうにはならないな。
不倫を誤魔化してるってことなのかな?
蓮子はもろ不倫に描くと思うし、花子の場合は苦しみと葛藤を描くと思う。対比させるのではないかな?
不倫らしく描いても、そうでなくても、こういうサイトはどちらにせよ批判は出るし、いろんな意見が面白いです。
カーネーションは不倫したとしてもその人と結婚した、という人ではかなかったからああいう描き方でも納得できるし、あれで疑問を抱く必要なかったと思う。
でも村岡花子は事実がそうじゃないから。
そういう人を朝ドラにしたのは確かに冒険。
でもそれを朝ドラ風(かどうかわかんないけど)にごまかす、というのは全然冒険してることにもなってないと思う。
それにそんなことで冒険するよりはもっと翻訳者としての花子さんの人生に向き合ってその描き方に挑戦して欲しかった。
こんな茶番劇なような話なら花子さんの人生をわざわざ借りてくる必要ない。
> 花子の場合は苦しみと葛藤を描く
それがこれまでの花子のキャラの作り方からして深いものになるとは思えない、というところが問題なんだと思います。
突然苦しまれても、これまでの花子と繋がらないような、そしてその苦しみがどこまでちゃんと「人の苦しみ」としてこの脚本で説得力を感じさせてくれるものになるのか、ということでしょう。
花子さんこれまで葛藤のかの字も感じなくていいようなお気楽人生を送って来た人ですから。
そこをうたにしてる方もいるし、お気楽と見るかはそれぞれです。
花子さん自身が「ドラマ」の中で歌にしてくれていればたぶんそうお気楽には見えなかったんでしょうね。日記でもよかったです。
やり取りした手紙の中身を少しでもドラマに出してくれたらいいなと思って見てます。
奥さんは見たくなかった。二人の演技だけで表現して欲しかったです。
別にお気楽と思ってませんけど。観る人の受け取り方の違いですね。
>花子さんこれまで葛藤のかの字も感じなくていいようなお気楽人生を送って来た人ですから
そこなんですよね。
卒業後は自分が家族を支えるという意識が全く感じられない。
甲府編では親元から会社に通う現代の娘のような感じ。
そして何より文学への情熱を感じさせなかったのはちょっと致命的な感じ。
今週は朝市登場ですが
また花をもちあげ元気にさせてくれるんでしょうね。
花子が日本語でも英語でも文字を書いている場面が少なすぎると思う。
原稿用紙を前にした時だけとんでもなく美しい字体でことばがわき出て
くるように文字を書く。
そこにいつもすごく唐突感と違和感がある。
日常生活も言動もまるで着物を着た現代のOLのようだ。
なんで文学者のドラマにこんなに本人が字を書く場面が少ないのか?
細かいそういう積み重ねが描かれていない。誰に対しても。
なにに対しても。
村岡だってこれまで絵心があるような事があまり強調されてもなかった
のに突然天才的な挿絵を描き始めた。
甲府編で童話を書いて出版してましたから、情熱はありました。描き方なんでしようね、批判する方は。
あの年齢になるまで大きな恋愛も失恋もなく何から何までまわりが助けてくれてちょっと何かあってもすぐ解決する。まわりが言うほど他のきょうだいのように家族を助けている切羽詰った様子もない。身体も健康で幼少の頃一回死にそうになっただけであとはもう風邪もひかないような健康体。
葛藤なんて大げさじゃなくても眠れなくなるほど精神的に辛い思いをしたこともない。あれがお気楽でなくて一体何だろう、と思います。時代も話も全く違うけど人生のすすみかたの状況としてはこれまではあまちゃんのアキちゃんレベルに近いですね。
子供の頃から朝ドラって時計代わりになっている空気みたいなものでした。
それなりに子供心にも楽しめたり、なんじゃこりゃだったり。
あー今回はあたりかなーとかはずれっぽいとかそんなものでした。
それがここ数年の優れた何作かで、自分の中のハードルが上がってしまったんだなとつくづく感じています。
えったった15分でこんなに心揺さぶられるドラマがあるなんて!
その感情をまた味わいたくて、自分の好みに合わないとすごくがっかりしてしまうのです。
飲酒がダメとか不倫がダメとか言ってたら品行方正な
清く正しく美しい人達ばかりになってそれこそ嘘っポイ。
もうちょとちゃんと仕事に情熱を燃やしてる感じが欲しかったなとか
結婚記念日などという考えが庶民にあったのか?
読みもしないで印刷屋に原稿をもっていけという編集長って?
脚本にはいろいろ突っ込みたいところはありますが
吉高さんはじめ女優陣は文句なしに可愛いし、衣裳もセットも素敵です。
物凄く好きな作品ではないけど自分なりの楽しみ方で、
今後も観ていきたいな。
村岡さんの挿絵を見て「絵描きになるのを諦めたんじゃなかったの」って 奥さんが言ってましたね。
それで説明付くし、いいと思いますが。
最初に取り立てて強調しなくても、それはそれでいいような気もしますが・・・
村岡さんが何の資料もなく、いきなりスラスラと挿絵を描くのにはびっくり。
画家志望だったのかな。日頃から描いてないとなかなかああはいかないと思うが。デッサン力がプロ並み。
西洋の中世のお話というだけでハードルが高いよ。
はなの天才ぶりもすごいが、村岡さんの天才ぶりはもっとすごいw
>甲府編で童話を書いて出版してましたから、情熱はありました。描き方なんでしようね、批判する方は。
才能がないと言われ、あきらめませんでした?
その後4年間(?)蓮様からお便りがあるまで
全く消えていたようでした。
2014-07-01 14:40:55
2014-07-01 15:30:24
同一人物です。
最初にも書きましたが、わたし自身の意見としてはこの作品が上質とはとうてい思えません。そして一部の方が仰るように、こんな中途半端な描写をするぐらいなら、村岡花子さんを持ってくるべきではなかったと落胆しております。
朝ドラは軽い方がと書きましたが、わたし自身もこの出来は軽いとか重い以前の問題だと感じます。そしてこのドラマは村岡花子さんの一生(どうやら翻訳者としての一生ではなさそうで残念です)をやるだけなのだなあと諦念の境地です。
個人的には朝一くんが好きなので(俳優さんお上手ですよね)再登場は嬉しいですが、花にとって都合の良い駒にきっとなるのでしょうね。そこは覚悟して視聴します。
愉しんでご覧になってる方には不快な文章だと思われます。一意見として流してくださいませ。
たえのために、もものために書いた童話は好きでした。
おとうがおじいに童話を読んで聞かせるシーンが大好きでしたから、甲府編が文学とはかけ離れてるとは思いません。
批判を書けばきりがないので、なるべくドラマに沿った視聴をしています。
はなは童話に携われれば、自分が作家の立場だろうが編集の立場であろうが翻訳であろうが全然構わないんですよね、きっと。
私の感覚では自分で創作する人はやっぱり、自分の言葉で本を出したいじゃないかと思うけど、はなにはそういうのはない。英語の本を読んでワクワクするけど、そういう本がない環境ならそれに馴染んで、自分から求めようとはしないし…。そういうところに情熱の欠如を感じる。上に書いてらっしゃる方もいるけど、甲府で何年間かは童話を書いていないから、“童話”という題材自体からも遠ざかっているし。
自分で道を切り拓いて行く情熱は今までひとつも感じなかった。
ドラマとして上質とは思えない。
全く同感です。っていうかこれを上質ドラマ、としてつぶさに分析したりしてしっかりした理由で絶賛しているようなコメントも今回は少ないように思います。
でも大好き、とか部分的に好き、とかいう人は結構いらっしゃると思うのでそういう感じのドラマ、ということでもあるんだと思います。それはそれでいいと思います。
私はもう脚本がスカスカでダメ、と感じ、最近は好きだと思ってた部分にもだんだん影が差すことが多くなって来ました。
だから何かそういう部分に対しての擁護意見みたいなのも積極的に言う気持ちも薄れてしまっています。
やっぱり基本的なストーリーや主要キャラに納得できないと私はどうもそのドラマを好きになることができないです。
朝ドラに対しての自分のハードルが上がっている、というのは同様に感じています。
そう思うことに否定はしません。
脚本がしっかりしたドラマでも好きになれないドラマもいっぱいあるので
私は脚本云々はあまり関係ない感じです。
それより、それ以外の部分で好きなものがあれば、そのドラマを好きになってしまいます。
花アンの場合もそうですね。でもこのドラマをじっくり夜に観たら
色々なことが気になって、不満が続出してしまうような気もしています。
あくまで深く考えず、朝に見る軽い感じの朝ドラとして好きです。
ドラマの村岡夫妻にお子さんはいないのでしょうか。
史実では一人おられたような。
お子さんがいるという設定ならば、奥様と離縁してはなと結婚するにしても、大人同士の問題だけではなくなる訳ですから。
そこを逃げないで描いて欲しいですね。
はなへの熱い思いが目一杯詰まった挿絵の雑誌を
病気の奥さんにニコニコと見せる村岡は、一体どう言うつもりなのかと少し寒気がしました。
仕上がったばかりの雑誌を一番に…はもちろん本心なのでしょうが。
なんだかとても残酷に思えてしまいました。
奥様が登場したことにより、とても残酷に感じました。
不倫を美化してるとか誤魔化してるとは感じません。
ここだけは見たくない早く結婚してとまで思ってしまいます。
でも見ちゃうんですけどね。
お子様はいないと思われます。
結婚してすぐ床に伏せたとありましたから。つまりはそういうお話ですね。
>はなへの熱い思いが目一杯詰まった挿絵の雑誌を
病気の奥さんにニコニコと見せる村岡は、一体どう言うつもりなのかと少し寒気がしました。
同感です。中園さんに真意を聞きたいと頭を抱えました。
英語に関わる仕事に就きたかった身としては、あの時代に、どのように英語を習得し、翻訳家として成功するに至ったかを見たかったのですが、日本語ですら読めなかったはなが、いつのまにやら、女学校の誰よりも英語を使えるようになり、その上童話を書き、翻訳をし、編集の仕事もする、スーパーウーマンぶり、見事期待を裏切られました。
翻訳家の苦労は、いかに適した日本語に訳すか、英語で書かれた文章の「行間」まで読んで、表現しないといけないことだと思います。しかも日本語にも長けていないといけない。ここで、はなの「想像の翼」が役に立ちそうなのに。なぜそれを見せてくれないのでしょう。辞書を引くシーンは数回ありましたが、単語がわかればこと足りるというわけではありません。
「王子と乞食」も言及されるのは、村岡さんの挿絵だけ。しかもその挿絵から、病床の妻が、夫の恋心を見抜く小道具にされている。
ここまでくると、ヒロインの職業がたまたま翻訳家だっただけのようです。単なる「記号」でしかない。人にも当てはまり、はなの「幼なじみ」の朝市も「友人」の醍醐さんも「編集長」も、「家族」でさえも。だから、キャラがぶれたり、薄っぺらだったりで、はなの精神的な成長に、良くも悪くも誰も影響していないように見えるのです。
不倫が非道徳的なのは、誰しもわかっています。避けて通れないエピソードならば、誰かの不幸の上に成り立つ幸せが、いかなるものか、はなと村岡さんが、その罪を背負ってどう生きていくのか、朝ドラ史上、最も嫌われるカップルと言われてもいいくらいの覚悟
で、描いてほしいです。
いかにも無神経な男性らしい描写かも。
自分の気持ちを悟られると思ってもいないのでしょう。
あまちゃんは女のイヤなところをリアルに描いていたけれど、花アンは男のイヤなところをリアルに描いていると思います。
実際にお子さんがいたことはカットするのかも。
だって奥様が長く入院しているのに村岡ファミリーの方にそんな様子や場面がまるでないですものね。事実はずっと人にあずけてた、というようなことですが。ドラマでも預けっぱなしで、という設定なら村岡さんがとんでもない男に思えちゃうし。
実際は奥様との間もきれいごとではなかったのではないかと思います。病気になって子供までいて、それで離婚、しかも相手は他の女性と結婚する、なんて聞いただけでも残酷すぎます。
こういうところは私もドラマだからこそむしろ端折って描いてあんなきれいで優しそうで村岡さんとお似合いの奥様をわざわざ出さないでもらいたかった。
今日の感じだと奥様がご主人の気持ちを察して身を引くことになるんだろう、ってこともう予想できちゃいますよね。
うーん、これはやっぱりこういう場合、実際の不倫のごまかしだろう、という感じはやはり否めません。
と言うより相手が引いたんだから不倫じゃない、と言わんばかりの持って行き方には嘘、という感じはしますし、結婚する二人にとっては実に言い訳になってない言い訳がましい描き方だな、と感じます。奥様まで出すのなら、よほど掘り下げて人の本当の心をちゃんと描いてくれないとよけい偽善的になってしまうように思います。
誤魔化すほうに賛成です。
真実を奥深くまで描いたら残酷過ぎます。
どっちにしても苦しむし、傷つけあうのでしょう。それなら、残酷過ぎない程度にして欲しいです。はなを正当化させるとかそういうことではありません。
掘り下げて描くのがいやというなら、始めからこんなテーマを選ぶんじゃなかったですね。矛盾です。
確かにいまのストリーでは、主人公が翻訳家である必要性は全然感じませんね。ましてや村岡花子さんである必要など、まったくなかったのでは?こんなはちゃめちゃな物語に名前を利用された村岡さんこそ、一番いい迷惑だったような…。
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