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アキさんのコメント、うんうんと読んでいてうどんの入ってない素うどん、でずっこけてしまいました。
ウケましたです。うどんの入ってない素うどん、ってなんのことなのかただのおつゆのことなのかそもそもそれはうどんではないのではないか、と思うもののたぶんこのドラマのようなもののことなんだろう、と勝手に納得しました。それにしてもかすみさんと村岡さんを並べて見ると少なくとも花子とよりはなんだか雰囲気が合っているような気がしてしまったのですが。
こんな一見素敵なご夫妻が別れて花子と村岡さんが結婚する、というのもちょっと複雑な感じしてしまいますね。
感想
どんなに酷い朝ドラも生活習慣として見続けてきたのに,
「花子とアン」は本当にすべてつまらない。
朝ドラを見ない生活を考えるしかないのか…。
アキさんの今作の脚本家に対する評価には同意します。
というより「人間が描けない」と言ってもいいほど。
これは,朝ドラの脚本家としては致命的だと思います。
一方,「あまちゃん」の脚本家に対する評価には
同意しません。
人間の持つ「毒(不良性と言い換えてもよい)」を描くのが,
あるいは「毒を持つ人間」を描くことが
少し上手いのかも,とは思いますが,
「人間を描くことが飛び抜けて…」とは思いません。
うどんの入ってない素うどんはおつゆだけで、おつゆというのは美しい画面だったり素敵な着物だったりですよね。
かすみさんと村岡さんがお似合いというのは頷けます。このままじゃはなが悪者にしか見えない、もしくはこんな奥方を裏切る村岡氏にとうてい同調できない、という展開になりそう。
まさかと思うんですが、はなと奥方に親好が出来「わたしの亡き後主人をよろしくお願いします」とか棚ぼた式がまた展開されるのではと戦々恐々とすらします。
そんなことだけはないと信じていますが。もめるところはきちんともめて、はなも村岡さんも業からは逃げないで欲しいです。薄くてもかまわないので(もうそれ以上は望めない)
このドラマの中には私が思う村岡花子さんも赤毛のアンも見つかりません。
その意味で私にとってもまさに「花子とアン」という名のうどんが一本も入ってない
素うどんです。
こんなドラマでも相変わらず視聴率はいいんですね。あまちゃんで朝ドラを初めて見るようになった人が、ごちそうさんでさらに朝ドラの面白さにはまり…そこまでは分かるんだけど。それで朝ドラをみるのが習慣になった?時計代わりにみてる?それともこんな浅くて薄くて、毒にも薬にもならないドラマのほうが、視聴率とりやすいの?なんだかよく分からないことばかりです。
編集長、やっぱり村岡さんの結婚知ってたのか!と思いました(笑)。
村岡さんの結婚ははなが甲府に戻ったあとなので、醍醐さんも編集部に働いていた頃のこと。
まあ、その頃は好きな人じゃなかったし、今より雑用しかしてなかったろうし、出入りの印刷屋の結婚を知らない可能性はあったかもしれないけど、はなが東京に来る頃にはかなり仕事していて、村岡さんとも話すことあっただろうに、家族の話はまったく会話に出なかったのかしら。
編集長がいきなり奥さんのこと言い出した時には、特に話しちゃいけない話題でもなさそうだったし、今の今まで何も言わなかったのはやっぱり疑問だなあ。
↑それ言ったらこういうサイトの存在の意味は?てなるでしょ
>>評論家気取りが多いな
そりゃ、一般人が自分の目でみた評価を書きこむのが目的のサイトですからね!当たり前じゃないですか!
気取ってるか、どうかはわかりませんけど、評論してる場ですからまぁそう見えても不思議はないです。
是非、☆5つの理由を評論家気取りで教えて下さい!気取ってなくてもいいです。
私はアンチですので、☆5の理由にとても興味があります!お願いします。
こんなドラマって?
楽しんでる視聴者に失礼です
習慣で時計代わりに見てるのはあなたでしょ
いろんな意見が出るからこそのサイトでしょ
ドラマを楽しめる人もそうでない人も
どうでもいいけど早く結婚して欲しい。
王子と乞食以外の翻訳作品を知りたいし、震災が来るのなら、二人で乗り越えていくところが見たいです。
なんか今日は間伸びしてたな…。
はなの心に降る雨と言われても、ある日突然恋に気付いて次の日告白、その次の日に振られてるので、そこまで深みのある恋に見えないんだよなー…。まあ、そういう恋が全くないとは言い切れないけどね。ドラマなんだからもうちょっと感情移入できるようにして欲しいな〜。
奥さんは挿絵見ただけで勘付いちゃうなんてすごい鋭さ。そんなに素敵な絵だったのか。それにしても奥さん役の方が、あまり演技お上手じゃなくて良かった!伝助並に上手かったら、肩入れしすぎてつらくて見るのやめてたかも。
今日は割合、普通の回でしたが、「ミスタードミンゴ」が妙にツボに入ってしまい、ミスタードミンゴとミミズの女王とのやり取りやその後の展開がコントに見えてしまって、再度、回想で例の衝撃の嵐の中の窓開けシーンでつい思いっきり吹いてしまいました(苦笑)
最後は、おぉ~編集長、花子と村岡印刷のことを感づいてた!室井滋演じるおっかあについで2人目のエスパー登場に唖然・・
ほんとうにここの掲示板を読んでるとドラマ見ながら皆さんの面白いコメントを思い出して、楽しめます。コントだと見下してる訳じゃなくて、このドラマの何が出てくるかわからない感じってのは病み付きになるところもあるので褒め言葉です。
もうやっぱりね、という展開で先が読め過ぎちゃうような・・
ただのわざとらしいだけのつくりのドラマになって来ている。
ドラマはつくりものだからこそ逆に人間のリアリティを追求するか、徹底的に頭の中で現実とは違った夢のあるようなものを人間の創造性を活かしてちゃんと作ってくれるかどちらかにして欲しい。
来るぞ、来るぞ、この徹底ヒロイン持ち上げドラマのハイライトの持ち上げが・・・
他のことで持ち上げるのはまだいいけれど、恋愛のことで恋敵まで美化することによってヒロインを持ち上げるようなやり方はかえってわざとらしいいやらしさを感じてしまうだけ、と思うけれどね。
花子という個人のために素晴らしい挿絵を描いた、というのは一見美談に見えるし恋が良い作品を生む原動力になる、いうのももちろんあり得ることだと思うけれど、ここまでのやり方は何だかちっとも村岡という男を上げることにはなっていないように感じる。
二人に優しくして傷つけてる村岡さんは何なの?
印刷屋さんが普通挿絵まで書かないでしょうから、女性が書いたものにそんなことをしたら奥様に勘ぐられてしまったのでしようか?
残酷に奥様を捨ててでも花を愛する村岡が見たいなあ。
夜、「王子と乞食」を読んでその挿絵を見た後、カメオの聖母子像を見つめる香澄さんの表情が寂しそうでしたね。挿絵に込められた夫の気持ちを察したんでしょうね。翌日見舞いに来た夫を会わずに帰して「(夫は)優しすぎるんです」。不治の病で将来のない自分と優しい夫の気持ちを考え、身を引くのかな?
一方のはなは仕事に集中しようとしても、村岡の自分への気持ちを感じさせる周囲の言葉を聞いたり、嵐を見て抱擁の夜を思い出したりすると、ついぼんやりしてしまう。そんな時の吉高さんの表情はなかなかだと思います。今週のテーマは「ゆれる思い」。今日の回は女性二人の揺れる心が丁寧に描かれていたと思います。
編集の腕が上がると女性は生意気になる? 村岡父は知的で物腰は柔らかだけど、やっぱりこの時代の男性なんですね。胸の病の妻との離婚を息子に勧めるのも納得な気がします。
恋敵を美化するとヒロイン持ち上げになるの?
評論家気取りが多いな、ってドラマの感想ですか?
それで☆5の評価ってどういうことなのかな。
このサイトの主旨も規約も注意書きもすべて無視だと思います。他の人に対してのただの中傷のみのコメントに過ぎません。
こういうのこそここでふさわしくないな、と感じたので非常に珍しくよくないを投票させて頂きました。正直削除していただくに値するのではと感じます。
不倫という形を自分は動かず相手を一方的に引かせることによってヒロインの道徳的な部分を一切傷つけずにヒロインにとってきれいごとに済ませる。サイコーの持ち上げ脚本ですよ。
別に手法としては全然あり、だと思います。
ただそれを見ての感じ方はそれぞれでしょう。持ち上げがわざとらしくて鼻につく、という人もいるでしょうし、持ち上げ大好き万歳!ってなる人もいると思います。
受け取り方、感想も全くそれぞれ自由だと思います。
まあ最終的にどういう展開になるかはまだ放送が待たれるところですよね。
相手を一方的に引かせるって?
そう読める方が多いのかもしれないけど、まだわからないよ
>そう読める方が多いのかもしれないけど、まだわからないよ
だからまだ放送が待たれる、ってこと書きましたよ。
持ち上げと言うなら、今日奥さんに村岡のことを「優し過ぎる」と言わせたのが、村岡はいい人アピールしてるなーと感じてしまった。不倫なんだけど、はなも村岡も奥さんも誰も悪くない。確実にそこを目指してるんだなーと思ってしまった。優しいドラマと言われているけど、優しい不倫まで描こうとしてるんじゃないかと。
これぞ優しさと残酷さを兼ね備えたドラマだと思います。この残酷さがいいね。
ヒロイン持ち上げじゃなくて、三人を持ち上げてると思えます。結局はなは奥様から村岡さんを奪うのだから、情熱的で気丈でかつ残酷な面を持ち合わせる女性なのだと思います。そういう業を見たいのだけれど、それは蓮子のほうで描かれるのかなと思って見てます。
不倫に優しいも厳しいもないと思います。
不倫は不倫、です。
傷つく人が出てくる、という時点で不倫に優しさなんて
ありえないと思います。ならそれは不倫ではないですから。
どんなに虚飾しようと美化しようと。
でもそれをいいとか悪い、とかでなくどうとらえるか、
ということだと思います。
変な美化のしかたは結局根底で不倫を理解するつもりが
ない、完全に否定している、ということの逆の形での表現に
過ぎないと思いますし、それがその本人がしたことへの
擁護になることとは私は思いません。
でも美化の中に実は不倫の本当の残酷さを感じさせてくれる
ようなものにできるならそれはすごいことかもしれないと思います。
ただこのドラマにそういう厚みのある、裏のある表現を求めても
ちょっと難しいかなあ、ということをこれまでの描き方からは
感じています。
>でも美化の中に実は不倫の本当の残酷さを感じさせてくれる
中園さん脚本のはつ恋がそんなドラマだったように感じます。この朝ドラは別のタッチで描かれてるから、それが残念なような楽しみなような。
奥さんが身を引こうとする
そこへ病状悪化で亡くなってしまう。
奥様は、自分は村岡を幸せにできなかったので
花にそれを頼みたいという手紙を書く
ありがちな展開になる気がするな。
誰も悪者にしない。
奥様も村岡も花も
要するに村岡花子さんて人が奥さんのいる男性と恋に落ちた、というところだけは事実を描く。でもそれは3人が納得する、という形で、だから一般的な「不倫」ではないんだ、という方向で描きたいのでしょう。美しい男女の美しいお互いへの深い愛の話、なんだと。
まあそういう作り方が駄目、ということではないと思います。これはフィクションだそうですから。
しかし不倫なんていう実は人間を考える恰好の素材がありながらあえて薄っぺらく浅い表層的な話をヒロインが文学者である人のドラマにする、これはなんだか非常に皮肉のように思えますね。そういうつもりで作っているのではないとは思いますが、結果として。
ちなみに私はこういう描き方は見ていてまるで面白くないです。
こういう状況になった時にきれいごとだけでものごとが済むのが人間だとは思っていないから。
まさに「人間」が描けていない典型的なドラマだと感じています。
「はつ恋」は映像や音楽が美しくて印象的だったけれど、決して不倫を美化してはいなかったですよね。苦しみがよく描かれていました。確かに花アンとは違う描き方だったと思います。
今の様子だと香澄さんは自ら身を引きそうだけど(すみません、私の勝手な印象です)、仮にそうであったとしても、その時の村岡の行動、態度が大事ですよね。そこをどう描くか楽しみです。
この作者さんは世の中の朝ドラの視聴層がいまだに道徳観念にしばられた昔ながらの良妻賢母、あるいは普通に結婚して安泰に暮らしている仕事を持たないいわゆる専業主婦、あるいはアンの話を読んでフワフワとした少女っぽい部分だけが大好きな女性たち、というような観念にとらわれているんじゃないのかな、などと感じてしまいます。このドラマを見ていると。
いえ決してそういう人たちが悪いという意味ではありません。でも朝ドラ見てる人達はもっといろいろな人達がいるんだよ、だからへんなことにとらわれないで、ってこういうところを見ているとちょっと作者さんに言いたくなってしまうような・・・
いつものパターンの始まり始まり…
奥さんがはなの翻訳の挿し絵で感づいて離婚を申し出る…
それをなしかしらではなが知る…
予告では「離婚なんてしないでください」ってはなは略奪するようには見せない…
でもつらいから甲府に帰る。
そこでいつもの朝市くんがほっとけないと世話をやく…
順番はどうかわからないが、やっぱりはなは素晴らしい半年間のどんこう列車にゆったりと乗って終着駅(最終回)に向かうのでありました。
カーネの不倫も相当批判が来たと聞いてます。
難しいところなのでしょうね。
こういう書き方だから、人間が描けてないとは思いません。三人の揺れる気持ちが少しずつでてきましたし、実際身を引く人もいます。
今のところ恋愛編については何とも言えません。
私は、誰も悪者にしたくはないドラマなのかなと思いました。
おとうはどうしようもないひとだけど
最後は改心、息子と舅とも心を通わせる
家族からは好かれていると
史実と変えていますし
貧困のため養子に出された子供たちも存在しない。
村岡氏も花と出会って恋におち
あっさり妻子を捨てる展開ではない。
奥さんが身を引いたとしても、はなは悪くないわけではないと思います。流れから言えばはなが身を引くのが妥当でしょう。
葛藤しながらそれでも強い結びつきを見せてくれるのがドラマだと思います。
その強い結びつきというところが、挿し絵のような実にプラトニックで物足りないと思う方もいるのでしょう。
花と村岡の罪の意識と苦しみの描き方が間延びしてると思います。
朝ドラ見てる人達はもっといろいろな人達がいるのかもしれないけど、視聴率がこれだけ高いのですから、今のところは成功してるんじゃないでしょうか。視聴率はドラマの良し悪しに関係ないし、批判もありですが、楽しんで観ている人達も多くいるのも事実ですから。
視聴率のことが度々言われるけど、楽しめる方達はそれでいいんじゃないですか。ここで批判している人達は楽しんでいる人をどうこう言ってるのではないし。自分のどうにも止まらないドラマに対するモヤモヤを素直に書いているだけの人が多い。
世間ではどうか知らないけど、ここの掲示板ではおかしいと思っている人間も相当数いるってこと。
今までのご都合展開も朝ドラお得意の主人公補正だと思えば、ありえなくもない、と思っていました。この恋愛が正に正念場と思っていたけど、どうやら私の好悪の感情の針は大きくマイナスの方に傾いたみたいです、残念ながら。
誰も悪くないように不倫を描く…無理のありすぎることを本当にこのまま推し進めそうでいやな予感しかしません。残酷な愛の形をオブラートに包んで優しく美しい愛に見せかけようとしてる、でもオブラートは透明だから偽善が透けて見える、そんな感じがします。
視聴率が高かろうが、ただテレビがついているだけでポケーと見ている人がいっぱいいるんじゃないの。
花が村岡に病の妻がいることを知っていて村岡英治とつきあっていて、
村岡の妻の存在を思い浮かべるたびに後悔や懺悔するようなシナリオの
ほうが良かったのにと思います。
このドラマって、いつもごまかしごまかしで思い出に残るシーンなんてないです。脚本家さんもごまかしの生き方でそれが作風に出ているんじゃないのかな。話の作り方からして嫌いです。
ポケーっと見てるのも文句言いながら見てる人もみな視聴率なら別にいいんじゃないの?
平和な高齢化社会の現象の一つに、再放送やら録画やらオンデマンドまで出てきたから、チョット人気が出ると、便乗商法まで出てくる時代。
好みのドラマが朝ドラになればラッキーだなってそんな感覚で見てます。
不倫はイマイチ、朝市を早く見たい。
よく言われることですが朝ドラで悪者が出て来ない、皆良い人に描かれている、というのはだいたいどの作品でも同じことだと思います。
違うのはその描かれ方ですよね。
悪い部分がどうしてもあるのが人間、自己犠牲を厭わないような人間をさらっと描かれても人として説得力はない、また欠点がある人間がさしたる大きなきっかけもないことで簡単に改心するようなさまを描けばやっぱりいかにも作り物的でつまらないドラマになります。
このドラマの花子はまるで人の善意の部分だけにのっかるだけのっかってただ生きてる人みたいなところがあります。いくら悩むふり、苦しむふりなんてしてくれても相手に花子に対する競争心や対抗心がなければこちらには苦しみとして伝わって来るものなんてなくなっちゃう。相手に対して、でなく自分の不倫をぜったいに駄目という倫理観で自分が苦しむにはこの花子の描かれ方がそこまで潔癖な人間として描かれて来てない。
それなら飲酒事件やら屋根歩き事件の非道徳性についてもっと深く反省するとか考えるような人でないと。恋愛だけに関してやたらに人の道をそこだけそんなに大事にするのか?ってなる。おとうが本当に浮気でもした人でそれで苦しむ母を見てその反動で不倫は許せない、ってなるならまだわかりますが。
恋愛において相手が引いてくれるような状況で苦しむ、なんてことよりは本来は文筆業において圧倒的に水を開けられている宇田川女史と自分の状況の方に対してもっとずっとなにか感じるところがあってもいい花子、なのではありませんか?この人は文学者になるはずの人なんですから。
本当にこのドラマ、村岡花子さんという名前で彼女の一体何を描こうとしているのかわからない焦点が定まらないドラマだなあ、と感じます。
恋愛に焦点を置くものととしても、見ていてどこかすっきりしません。自分の作品に素晴らしい挿絵を描いてくれる人は素晴らしいし嬉しいし尊敬もできると思います。しかしそれに恋愛やら不倫のようなことを絡める、という設定自体になんだかなにかの混同、エピの設定として勘違いのようなものを感じてしまいます。
> このドラマって、いつもごまかしごまかしで思い出に残るシーンなんてないです。脚本家さんもごまかしの生き方でそれが作風に出ているんじゃないのかな。話の作り方からして嫌いです。
脚本家さん自身の生き方がどうなのかは全く分からないのでその部分は私は簡単に同意はできないのですが、この生身の人間の姿をごまかし、ごまかし描いてはばからないこのドラマの作風、私も正直大嫌いです。
これが文字による本だったら最初の数ページで読まなくなるか、ある程度進んで読み始めたことを後悔するようなものだと思う。
でも映像作品であるドラマはストーリーだけが全てではありませんので見どころは他にいろいろあるのだと思います。
しかし一方、ドラマというのはやっぱり脚本が命、っていうところあるなあ、ということを実感する毎日です。
原案の「アンのゆりかご」の村岡花子さんとドラマのはなはまったくの別人ですね。原案に忠実に、花子さんの文学者としての側面にもっと光を当て、不倫略奪婚も正面から描いたドラマはきっと見応えがあるだろうし、私もぜひ見たいと思います。でも、それは朝ドラではなく、2時間ずつ前後編くらいのスペシャルドラマのほうがいいな、というのが私個人の感じです。もちろん、その際のヒロインは吉高さんではなく、もっとしっとりして、それでいて女の情念も強さも演じられるような女性。でも、朝ドラとしては今の花アンのように、童話のアンの世界を重ね、原案を大きく変えた作風もありだ、と私は思います。そしてその作風なら吉高さんでOK、というかむしろ適役なんじゃないかな。あくまで個人的な好みなので、朝ドラに求めるものも人によってさまざまだと思いますが、少なくとも私はそう感じているし、周囲の人間もそういう人が多いと思います。どなたかが書いておられるように、たぶんこのドラマは誰も悪者にしたくないドラマなんでしょう。現に、嘉納伝助は実際よりかなり好意的に描かれていますよね。そういう描き方もありだ、と私は思います。
良い人ばかりしか出て来ない優しい朝ドラ、というのなら、あんなにお似合いに見えて相手を思う英治&かすみ夫妻をわざわざ離れさせたり相手を死なせてしまったり、でなく花子の方がきっぱり毅然と英治が何を言ってもあきらめる。そして文学の道に邁進する。
ああ、花子さんやっぱりすごい人や、さすがに児童文学なんかの人だ、かっこええわ~ってなるような気がするけどね。嘘っぱちばかり描くならそこまでやってよ、って思うわ。そっちの方がずっとスッキリしそうですわ。
2014-07-01 13:31:30 さんに激しく同意です。
私は花アンの作風が好きで、吉高さんはそれに見事にハマってると思って観てます。
創作は自由ですからこういう描き方はもちろんあり、でしょう。
しかしアンのゆりかごとは全く別の話でそちらを本当に下敷きにして良いドラマが作れるだろう、ということならなぜ朝ドラだろうがそうじゃなかろうが、それと違うものを作る必要があるのかわかりません。
他に違う枠でも良い選択肢があるならアンのゆりかごを下敷きにしない、全く違うドラマをこの半年で作る、ってことは出来たと思います。村岡さんを知るドラマが他で見られるんですから。
これが作られてしまえば、そちらが作られる可能性は同じ題材だから遠のく、しばらくは考えられないだろう、ということになるから問題なのだと思いますが・・・。
飲酒事件が非道徳的だとは思わないけど。
ちょっと羽目を外しただけでしょう。当時は未成年の飲酒を禁じる法律はなかったって言ってませんでした?
屋根歩きも確かに突飛な行動ではあったけど、私はいじめとまでは感じなかったし。
これはドラマとしてどう、ということ以前の問題として、村岡花子に対して個人による脚色の程度がひど過ぎる、と感じる。
さらに、文学、仕事、友情、愛情、家族…あらゆるものの本質にことごとく触れられていないようなものにしか見えない。
朝ドラだからこの程度でいいんだ、とかということとは違う。
男なら、奥さんがいても好みの可愛い娘がいたら色目使っちゃうし親切にしたりする。それで靡いてくれたりしたらつい欲に負けてしまうことはあるだろう。
昔はそういう道ならぬ行いをした場合、女が悪く言われるのが当たり前だった。
男の浮気性は仕方ないもの、それに本気になる女が悪いみたいな。
奥さんの存在を隠すズルイ男も多いのに。問題なのは詐欺に近いことなのに男の側の罪の意識が薄く、軽く扱われる世間のほうだったのかもしれない。
それからすれば、このドラマでは一応悩んでるような村岡氏の描き方はいいほうなんだろう。
>相手を死なせてしまったり
そうなの? ドラマを見る限り、まだわからないでしょう?
今日も夫の見舞いを拒絶したけど、べつに病状が悪いわけではなかった。私はただ夫の気持ちを察して身を引くのかな、と思いましたけど。
これはこれで見てます。
だから私も吉高ちゃんははまり役だと思います。
女学生が寮で飲酒して酔っ払って大声で騒ぐ、退学騒ぎにもなる、これはちょっと羽目をはずした、なんてことじゃないですね。
完全に非道徳的なことでしょう。
屋根歩きはいじめがどう、なんてことでなくて教師である身の人間がやるようなことではありませんね。
そういう意味で道徳をきちんと心得た教師のやることじゃありません。よく考えれば非常にゆゆしき行為です。
あんなこと教師がやったことが世間に知れれば問題でしょう。それは現代だから昔だから、なんてことではない。むしろ今の先生ならやりかねないけれど昔の先生はあんなこともっとやるはずありません。
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