甲府の家族は貧しくてきんつばなんてたべられなかったんじゃないでしょうか?
>蓮さまと一緒に甲府に帰るまで一度も帰れなかったのでしょう
その前にブラックバーン先生の計らいで
帰れましたよ?
そしてかよが女工に行くことを知って
女学校を止め働こうとした
だけどあにやんに諭されて
勉強を頑張ることにした。
その後学校では、葡萄酒事件に腹心の友ごっこ
私もきんつば食べることが悪いとは思わない。
でも食べるものにも不自由している甲府の家族のことを
思い浮かべたり、少なくてもバイトで入ったお金を仕送りしたりするシーンはまったくなく
楽しい学園生活を送っていましたよね。
かよが、クッキーをスコット先生と食べているのを
『また、かよったら』と困った顔でしたし・・
批判されるべきは花ではなく、脚本でしょうけど。
きんつばくらい都会では食べるでしよう。
兄弟を犠牲にしたところはみとめますが、花は勉強して家計を支え、日本中の子どもたちに喜びを与える仕事をしています。それをももは理解していき、支え合うかけがえのない家族になろうとしてるのだと思います。
>それをももは理解していき、支え合うかけがえのない家族になろうとしてるのだと思います。
それは誰でも予想がつく話。
未来のことを言っているのではないよ。
過去のことですよ。
家族思い兄妹思いの勤勉かのはなと周囲は持ち上げるのに
その描写がほとんどない
兄妹との落差がありすぎる設定でありながら
能天気なヒロインにしていることに疑問があるだけ。
花子の進学は兄弟の犠牲の上にあったこと、それは父親のことや当時の社会的な背景もあるし受容していかないと、ドラマも村岡さんも肯定していくことはできないでしよう。
きょうだいやまわりを犠牲にしているように感じられる部分があって、花子がそれに見合うだけの一生懸命勉強したり仕事して家計を助けている、という描写がちゃんとされてるかどうか、を考えると、そこが弱い、とか不足している、と感じる人がいる、ということでしょう?
私もそれは感じます。
万人にとってドラマは勝手にそれぞれが自己完結して納得すりゃそれでいい、というものではなくてそれなりに表現、描写の充実が必要ですし、それはよくできたドラマのひとつの条件だと思います。
これで十分、という思う人にはそれでいいんです。でもそうは感じないからいろいろと意見が出るんでしょう。
お互いほかの人の感じ方、コメント(ドラマに関する)は尊重すべき。
ムキになってごめんなさい。
私の見方は書いた通りです。
見方の違いが分かり、勉強になります。
ありがとうございます。
>ドラマも村岡さんも肯定していくことはできないでしよう。
ドラマの肯定否定と村岡さんの肯定否定はぜんぜんべつのことです。ドラマは村岡さんに題材を借りたフィクションでしょう?このことはさんざん肯定派の人たちは強調していましたよ。
史実を認めたとしても、ドラマの世界の中で表現が納得できる形で作品としてできているのかどうか、を考えることはドラマのレビューです。
そのあたりをごちゃ混ぜにしている人がいらっしゃるのでは?
このドラマを肯定しなければ村岡さん自身も肯定することにならない、なんてことあるわけないでしょう?
507さん、コメントが前後してしまってこちらこそすみません。
皆見方はちがってそれでいい、ってことです!
仲良くやりましょうね!!
兄弟を犠牲にしたことは、ドラマも史実もそうだからです。そこは両方とも私はそう思って見てます。
史実を大事に考えてドラマでもそれになるべく忠実にして欲しい、と考えるのはその方の希望としていいことだと思います。しかしそれなら特定の部分のことだけでなくほかの部分についてもそのようにして欲しい、と考えないと一貫していないように感じます。
他を犠牲にしてる部分だけが史実と同じで他はちがってもいい、というのではレビューとして説得力がないと感じますが、ほかの部分もなるべく史実に忠実にして欲しい、ということなんですね?
>ツリとかアラシ目的かもしれませんし。
対立意見同士お互いが相手のことをこのように穿った見方をしていると私は感じています。
これはもはや水掛け論だし、ましてやかまってほしいから絡んでくるつもりもサイトを荒らすつもりもなく、自分の正直な感想や意見を書いているだけなんでどちらか一方だけを断罪してはいけないと思います。
その点は自戒を込めて反省し今後気をつけていきたいです。
そうですか?
だって誰でも肯定でも否定でも自分の文章スタイル、ことば使いでドラマの感想を述べていいサイトなんですよ。
それを何度も何度も自分のドラマの感想でなく、他の人の感じ方、書き方、コメント自体にどうだこうだ、といって荒らす原因を作るのはそれが感想の場を荒らすことになる、ということが分からないマナー違反の人がすることじゃないんですか。
マナー自体の議論ならせめてこちらでやるべきでしょう。
本人にそのつもりがあろうとなかろうと、本家で何度も同じことが繰り返されそのたびに感想から離れてぐちゃぐちゃになるのは結果として立派に荒らしている、と見てよいことだともうこの時点では思います。
一方だけの断罪やお互いの穿った見方、なんてことではなくて、マナーがわかっているかそうでないか、それだけの違いだと思います。
510です。この件は終わりにさせてください。疲れました。
あの~花子が実家にいたころは学校にもなかなか行けず
水汲みして家を手伝っていたりして家族のために働いていたし、
しかも、かよをおぶって昼食のとき飯食えなかったり
武のアホにかなり馬鹿にされていたけど、これって楽してる?
子供のころの花子の女学校の描写も実家に帰りたいと思っていたくらいだから厳しかったよね。その後に飲酒の話はあったけどね。
ももなんて、花子のいい部分しか見えていなくて花子の今までの苦労を知らないアホにしか見えない。
ここでは、どうだ!どうだ!と言え言え!
あと途中でマズイと思ったら黙って退散するのも
賢いやり方ですよ。
私の地方では突然に雨も降り、今日は少し涼やかな風が入ってきます。
秋も近し。
このドラマももうすぐ終わりなんですね。
毎回毎回楽しみというわけでもなかったのですが、心のどこかで見逃すとどうなったんだろうと引っかかり、次をみて、その時にはうれしくなったりほんわかしたり・・そんなドラマでした。
って、まだ終わってないけど、なにかしら展開が気になるドラマです。
さてさて、トリックのDVDをつい最近みたのですが、仲間由紀恵は当然でるべくですけど、伝助演じる吉田鋼太郎さんもご登場だったことにいまさら気がつき、なんだかニヤリとしました。
蓮子さんもいいけど、山田もいいなぁ。
仲間さんは大好きです。あんな女性になりたーい!
>あの~花子が実家にいたころは学校にもなかなか行けず
水汲みして家を手伝っていたりして家族のために働いていたし、
しかも、かよをおぶって昼食のとき飯食えなかったり
武のアホにかなり馬鹿にされていたけど、これって楽してる?
それはもももかよもも同じでしょう。
花以上の長い年数
真っ黒になって農業を手伝っていましたよ?
わらじを夜遅くまで作って
ひもじい思いをして
その間花はふかふかのお布団にねて
ごちそうをおなか一杯食べていたんですよ?
ももちゃんが平仮名の『もも』なので皆さんの
「ももの」とか「もも も」が何やらももだらけの早口言葉
みたいに見えてクラクラしちゃいました。
まぁそれだけなんですけど(笑)
519さん、爆 笑 ( ゚∀゚)<wwwwwwwwwwwwwwwwwww
言われてみればそうですね。なんか はながラジオの特訓で早口言葉
を言ってたのを思い出しちゃった。
>ごちそうをおなか一杯食べていたんですよ?
反論します。食い物が学園内で満たされいても子供の花は実家に帰りたいと思っていましたよ。
あなたは表面上のものしか見てないから簡単にそう言えるのでしょうね。
食い物だけ満たされれば人間は幸せだと思っているのは一部の人だけです。
人間はさみしい、家族に会いたいなど食い物よりも大事だと思うものもあるのです。
最近はヒロインが苦労していないという批判自体が流行っているのでしょうかね。花子が全部楽して生きているというのなら詳しく具体的に説明するような批判を本家でもいれてもらいたいくらいで、いい加減なもの全て反論しますから。
次の朝ドラでも定型文のようにヒロインは苦労していないと安易な
批判を繰り返すつもりなのでしょうか。
本家もここも同じ現象が起きてるなあと思って読んでました。
花子が他の姉妹より苦労してないとかなんとか?
何が言いたいのかよくわからないのです。
もしかしてだけど〜
修和時代に(現)漆原夫人グループから、あの人給費生のくせに調子こいてるわよね〜なんて陰口をたたかれてたかもしれない。
初バイト代できんつばを買ったけど、残りはせっせと実家に送金していたかもしれない。
画面の外では花ちゃんにも人知れぬ苦労があったり非常に家族想いだったり・・・想像の翼を駆使しまくれば、色々出てきそう。
しかし、それが上手く伝わってこないから残念です
酔っ払ってたり寝てたりパルピってる印象ばっかりだし。
521さんは、失礼ながら、元のコメを曲解してられるのでは?(それに「あなたは…でしょうね」と、コメの方にまるで非があるかのように決めつける口調はやめた方がよろしいでしょう。ここは、単に感想を書くところですから。)
ここでしばらく言われていたのは、花子の人格がどうこうということではありませんよ。ドラマでの描き方が、見るとそのように感じられるということでしょう。
「表面しか見ない」ではなくて、表面的にそのように描かれていてそのようにしか見えない、ということです。
花子はがんばってるかもしれない、他への思いやりも持っているかもしれない。でも、それならそれで、そのように描いてほしいということですよ。また、それがドラマの作り手としての当たり前の努力でしょうし。
どうも登場人物に感情移入のあまり、その人格と、ドラマの技術面とを混同なさっている方が多いようですね。二つは、はっきり別の問題ですよ。
それから、一つ思うのは、相手の意見の主旨をよくとらえずに、部分を取り上げてものを言ってる人が多いんじゃないか、ということ。
その人が、何を伝えたいのかよくつかんだ上でないと、まともな議論にはならないと思います。
本家に521さんへのお答えのようなものが出てますよ。
うるさぁーい!!!
あ、すっとした。
論破、ロンパ、、、いいかげんに せんとね!
正解がないことも あるよ!
あら、ほんとだ。
本家でも同じようなネタですね。
それぞれの感じ方の違いとしか言いようがないみたい
確かに526さんの言われるように正論は無いのでしょうね。
正論・・・だけにセーロンテェ飲んでまったりしましょうかね。(寒っ!!!)
北海道から逃げ出したももは、なぜ花子の元へ直接行かず、駆け込み寺的な蓮子の家に行ったのだろう?花子を妬んでいて会いたくなかったから?
それと、なぜ花子はももに自分の元へ直接来なかったの?って聞かなかったのかな? ももに聞きにくければ、事情を知っている蓮子に聞くこともできたのに。気にならなかったんだろうか。
ドラマではこの点があやふやになっていると思いましたが、いかがでしょうか?
最近キツイコメント増えたわねえ。
他人の感想やここのコメントをきちんと受け止めずに、ちょっと筋違いの反論してる人も増えたなあ。
まあ文章って難しいよね。どう受け取られるかわかんないし。だからこそ、他人のコメントに反論する時は言葉を選ぶのが大切かなーと思う。
ドラマの見方なんて自分が正しいわけじゃないのだから、他人の感想を間違ってると論破するなどと言うのはなにかとても傲慢な感じがする。
人の感想も尊重する。
ただ否定だけしない。
それはここの正式なルールですしね。
>どうも登場人物に感情移入のあまり、その人格と、ドラマの技術面とを混同なさっている方が多いようですね。
今回の肯定派で批判意見にやたらに干渉する方々にはこのタイプが多いと感じています。(忌憚のない意見、ということですW)そういうタイプの方は失礼ながら他のドラマで自分の好みとは違うことが出てくれば逆にそれを理由に技術面もごちゃまぜにしてドラマを批判なさるのではと推測されます。
このドラマの批判意見には好き嫌い、とか感情移入などという感覚的なことよりも脚本、演出、俳優の演技などいわゆるドラマつくりの「技術」の面に疑問を呈しているものが非常に多い。
好き嫌いよりもそちらに重きを置いてコメントを書いている人が多いのではないかと感じます。
個人の好き嫌いには正論は存在しません。嗜好の問題だから。
しかし、客観性やら相対性、論理性を持って答を出すものには正解はあるものです。でなければ客観的評価、というものは何に関しても成立しません。なのに人間の世の中にはそういうものは厳然と存在しております。(例をあげれば国語の読解力テストでの評価など。それを言うとそんなのドラマ作ったひとしかわからないでしょ?と言う屁理屈が必ず出てくるけれど、そんなことない。ドラマ読解力がある人とない人、それに興味ある人とない人はいます。)そういうものにまで正解が存在しない、などと言い張るのは幻想です。
そのあたりのことが理解できない、理解しようとしない、そういうことまで個人の好き嫌いがまかり通る、という勘違いが多いと感じます。
技術面を指摘するコメントに対して感覚的なコメントでは反論になりません。だから反論する必要ないんです。
それをしようとしても全く説得力はないコメントだとわかる人にはわかるだけだと思います。
好き嫌いで感想を書くのもいい。技術面の良し悪しを言うのも自由。同レベルでの反論はいいけれど、そうでない場合は自分には関係ない世界、と考えて干渉しないことが大事かと思います。
昨日の分の461、491、512のコメ主です。
私の立場は既に書いてある通りドラマについて肯定否定なしに割りに(あえてこう言います。完璧に客観的で公平な見方などできないのが人間ですから)フラットに見ている一視聴者です。趣向的にもドラマ制作面の問題にしても。
私の感じたところでは今回の肯定派で批判意見にやたらに干渉する方々にはこのタイプが多いとは思えません。
そのような方もいるかもしれませんがすべてが肯定派の方だけではないし、
すべてが好き/嫌いの趣向からや、無意識に感情移入して登場人物の人格否定と曲解しているとは限らないと思います。
さらに、個人のドラマの客観的評価は絶対的なスケールになるなどおこがましくて私ならとても言えないです。
私自身も好き嫌いや感情的な見方よりも演技やドラマの表現やテーマなど作品性を重視した見方をするのですが、
例え自分の中で客観的だと確信していたとしてもそれが絶対的な評価とは必ずしも成立しない論理だと思うからです。
ある程度、良い作品を見抜く目利きはできるかもしれませんが、世の中に絶対的な評価基準が成立するのは困難、専門家の中でも様々な見方がありますし、特に今の時代は様々な価値観がありますので。
以上、長くなりましたが私のドラマ視聴についての意見を述べました。失礼しました。
このドラマの否定意見に(肯定意見にも)絶対的評価などしているコメントはないと思いますよ。
そもそもドラマの絶対評価ってなんですか?そのようなもの、この世の中自体に存在しないでしょう。
好き嫌いの観点からの感想はもちろんあり、しかし技術面などを自分のこれまでの経験や知識から判断して感想を書くのもあり、なのです。
おこがましいも何もないと思います。
自分がそう判断する、ということは書いていいのが感想サイトですよね。
よく見受けられるコメントにドラマの良し悪しなど素人が決められるものでもないのに正解があるかのように断定しているのはおかしい、などというものがありますが、他人のドラマに対しての判断におかしい、などというほうがこういうところではよほどおかしいのであり、おこがましい行為だと思います。それは賛否関係ありません。
ドラマの絶対的評価、なんてものはそれがプロの評論家によってなされたものであってもあるわけありません。それはプロだろうがここに参加する人だろうが同じことです。
それを個人意見として言うことができて、それをすることにほかの人がどうこう言うことはできないのが民主性ですよね。
それと相対的、論理的判断から正解が存在するかしないかは、全く別のことです。ドラマの正しい読み取りができないような人はプロだろうがアマだろうが説得力のある評論はできません。
こういう場所にはその読み取りにおいて正解に近いもので批評しているコメントもあるだろうしそうでないものももちろんあるでしょう。
しかし、そういう能力までアマだからない、と断定することもまたできないことです。
またドラマ自体に論理性がない、論理的につじつまが合わない、ということはわかる人(感じる人)はわかるものであり、それに反論するならつじつまが合っている、ということを根拠を述べてしなければ反論にはならない、ということです。あなたはただえらそうなこと言ってる、なんて言うのは問題のすり替えに過ぎません。
ドラマも映画などと同じ映像芸術の一つだと思うのですが、芸術の表現に国語の読解力テストのように正解を求めるのはナンセンス、あるいは無粋と私は感じます。
たぶん、その辺りからして議論するには噛み合わないようなので、531と533のコメントは私の個人的な意見としてだけで述べさせていただきます。
みんな違っておもしろいです。
正解なんてない。これが正解。
だから、なんぴとと言えども、他の人の言うことやすることに、「あなたは…」とか「~する人は…」なんてクレームをつけてはいけない。(これが進むと「言いがかり」になる。)
だれがどう感じても何を言っても自由。だって答えなんてないのだから。これは、今までここでずっと言われてきたことで、なんら変わっていません。
「反論」というのは当然ありです。ただし、それは同じ土俵の上に立ってないとできない。それから、客観的なこと同士でないと成立しない(感情や嗜好という主観に対して反論はできない)。
つまり、技術面のみでしか議論はできないということです。
ここを見ていると、これがなかなか徹底しないなあと思う。技術面の不備をあげている批判に対して、きちんと技術面で反論をしている、というコメントは、あまり見たことがない。
ほとんどの場合、「技術」対「主観」になっていたり、コメントの主旨そっちのけで表現の一部を取り上げてそれをどうこう言っていたり、という形ですね。
ほかの人のコメントを読むときには、その人が何を言おうとしているのか、それをまず尊重したいものです。
その道のプロとか脚本の勉強しています、という方のご意見なら納得がいくかもなんだろうけど、同じ視聴者同士での結局はお茶飲み話的な中での技術面云々・・・だから、本当に判って言ってるのか、それもその方だけの主観だろって思っちゃうからなんじゃないですかね。
難しい話も、自分にとって面白くないであろうコメも私は最近パスパスって感じです。
以前は反対意見も丁寧に読んだり、反論したりしてましたけど、結局は時間ばっかりくってストレスがたまるだけと最近思うようになりました。
反論するくらいサイトにハマッてたってことですが、もうそういうのは卒業しました。
自分にとって、おいしいところだけ読んで元気もらうくらいがちょうどいいです。
ところで、北海道での開拓生活はとんでもなく大変だったそうですね。ももちゃんの生活に想いをめぐらせて、あるサイトでその時代の過酷な生活というのを知りました。終戦後の昭和20年代でもまだそうとうに苦しいものだったとか。
ドラマから、そういう歴史や自分の知らなかった世界に感心を持てたことに感謝。
「ヒロインが苦労していないと安易に批判」こういうのってよくわからない。その人がそう感じたことを安易っていう。これこそルール違反の否定ですよね。
「花子はいつも周りのおぜん立てでうまくいく。だから共感できない」
「ヒロインが自分で苦労しないから説得力がない」
こういうのは個人の感じ方。
それに反論するなら「花子は翻訳のために寝ない夜も何回かあったし、苦労してないとは思わない」って、やはり自分の感じ方で言うしかなくて「苦労してる。それは安易な批判だ」っていうのはルール違反の感想から外れた否定したいだけのコメントに当たる。
あと、子供時代の苦労を引き合いに出す方もいるんだけど、ここ最近の話に対して、そこを持ってきても説得力はないんじゃないかな。
正解不正解はドラマに出てきたことの事実のみでしょう。
たとえば「かよは形見の時計を飾っていなかった」とあれば「飾っていた」と訂正はできる。
だけど演技や脚本に関して「こう思った」「こうじゃないのがわからない」ってことにはあくまでも「相反する感想」で反論するしかないはず。
分かってる方も大勢いるんですけれどね。
最近なにか自分が正義だといわんばかりの強いコメントがあって、首をひねります。
考え過ぎかもしれませんが、ツリ的にからんでくるかたを感じます。
昨日の花子と妹の苦労の比較って何の意味があるのかと思ってしまうのです。境遇が違うから兄弟の葛藤のシーンがあるのでしよう。
きんつばなども、ももが妬むものの中に含まれているのだと思います。
527 名前無し ID: 9UG2wG53Ee 2014-08-23 22:00:55
ダジャレ、、すっ好きです、、。
何か良くわからないのですが、意見されてる方の背景まで推測して
書き込みしちゃう時点で、もう花アンの雑談じゃないように思います。
論破も、昔の龍一なのか?懐かしのカフェドミンゴか?
龍一はやっと仕事してる男になったのに、スーツ姿はもう出ないの?
537さんに同意します。
賛成も反対も、相手の考えを尊重し、言葉を選びながら自由な感想を書く場であってほしいです。
よく出る批判にエピが唐突だというのがありますが、私からすれば、その方がドラマをよく見ていない、見落とし部分があるからそう感じるんだよね、という場合がかなりあります。批判している方皆がそうではないですが、中にはそういう批判文句に乗っかって同じように言ってるだけの人もいるなと感じる。
花子が苦労している場面が少ない、ただのんきに見える、という批判も、それは見ている方それぞれの感じ方。決して”客観的”批判ではないと思います。
客観性、論理性を強く主張される方がいくらいても、基本、肯定意見も否定意見も主観的なものが多いと私は感じています。
総合的にはこのドラマには批判的な立場なので、批判意見には概ね賛成なんだけど、最近はチラホラ「今日は何か、良かった」「今日の花子は好きだな」という日が増えてきて、そういう時に批判意見を見ると「論理的に批判してはいるけど、違うの。そもそもそういう視点で見てないのよ〜。見方の土台が違うのよ〜」という気持ちになる。
ひょっとしてファンの人の気持ちってこんな感じ…?って思ったり…違うかな💦
自分が片方の立場にいる時って逆の意見の言わんとしてることって絶望的にわからないなって、最近思います(苦笑)。自分を省みてのことですが。
541さんに同意致します。
批判意見の中には、ただご自分が知らないことで批判したり、
ドラマできちんと説明されたり描かれていたのにも関わらず、明らかに見落としていて、
突然のことで意味がわからないなどと反論される方もいらっしゃいます。
感想など主観がほとんどの部分に置いて、正解などないのですから
書く時はせめて、私はこう思うとか書いてくれたらいいのに
断定されるから、それは違うんじゃないかと反論も起きやすくなるんだと思います。
主観、客観論とものごとの正解、不正解は全く次元の違う話だと思います。
正解、不正解、というので言うなら数学の法則のようなものにのっとってのそれがあることは誰にも分かります。小説やドラマなど誰かの思想が反映されるテーマが設定されたものの場合は、作者にとってのそれ(それは作者の主観から出たものですが)が正解であり、受け手がそれを正しく読み取ることはやはり正解といっていいでしょう。ただしそれはテーマがはっきりとある作品にのみ言えることですが。そこに至るまでには客観的判断力はやはり必要だと思います。
こういうサイトで「正解」を言うのなら、それぞれのコメントはすべてその人にとっての「正解」だと思います。それが純粋に主観であろうとその人が客観的判断と思って書いたものであってもどちらでもいいし、コメントはドラマ自体と同じに基本はその人の主観で書かれている一つ一つがその人にとっての作品なのですから。
そしてここではそれぞれその人にとっての正解をお互いに尊重することが大事なのだと思います。
一方、ほかの人のコメントの主旨を理解することは完全な主観ではできません。それはドラマの主旨を理解することと同じだと思います。理解する、という作業には無意識であっても自然に客観的ものごとの判断、というのが働いていると思います。
主観のみでほかの人のコメントをとらえようとすると主旨が上手くとらえられず、反論にならない反論という形になるのでは?
反論をするならやはりそのあたりの意識は必要だと思います。
小難しいことを言ってるような感じがしてしまうかもしれませんが、要するに言いたいことは、感想サイトではその人のドラマに関するコメントはその人にとってどれも一様に「正解」である、ということを理解し、尊重すること。それがわかっていればむやみやたらに人のコメントに食いついたり干渉したり、○○なんていうのはおかしい、間違っているなどと言うことはできないものと思います。
ドラマについては、もう自由に自分の思うところを書けばそれでいいのだと思います。それが個々にとっての「正解」の場所なのですから。
>断定されるから、それは違うんじゃないかと反論も起きやすくなるんだと思います。
それぞれのドラマの感想なんですから、断定して何が悪いのでしょう?
ことばの使い方、捉え方は人それぞれであって、ある意味肯定意見だろうが否定意見だろうが、皆断定してますよ。断定しなければ主旨が分かりやすいコメントなんて書けませんから。
反論、反論と言いますが、本当の意味での反論ができているコメントばかりではないと思います。
同意、反論、どちらであっても相手のコメントの主旨はちゃんと捉えてしたいものですね。
明らかにドラマのある部分を見落とした上での感想だな、と気づいたときには指摘してあげればいいことであり、それは反論ではありませんよね。
ドラマの表現にもないことを察するように相手に求めてあなたは見落としている、などと言う事は本来できません。
ドラマの内容的なことでなくて、ただ相手の感じ方を否定するようなコメントを反論とは言わないと思います。
花子とアンはほどよいご都合があって心地いいドラマだと思います。
史実の村岡花子や蓮子の嫌な部分をドラマの中にいれなかった、この脚本家は偉いと思う。史実通りにドラマをつくろうと思えば簡単だと思うんですけど村岡家から止められたのではないかと妄想しています。
なんででしょうかね。過去の朝ドラでもそうなんですが批判がパターン化しているような気がします。前半はご都合主義のつじつま合わせ、そして後半からはヒロインが苦労していないというのが、この感想サイトでは多いですね。
ご都合につじつま合わせは朝ドラ特有なので私は見ていて楽しいです。
苦労していないは人によって感じ方は違うし、なんか毎回やけくそになって批判しているような感じがします。違うのかもしれないけど。
最近だと吉高さんの口がアヒル口で不快で許せないという批判がとても多いと思います。私はそれほど酷いとは思わないし彼女がアヒル口だと断定してなぜ言えるのかが不思議なくらいです。そんなふうには見えないという人もいるはずです。
「アヒル口」と思う人も思わない人もいる、それでいいでしょう。
そうでないと思う人はそう書けばいいし、そうだと思う人はそう書けばいい。お互い干渉しない。相手が変だと言ってはいけない。
これで、万事おさまります。
はあ〜、何か息苦しいです、最近のここの話題…。
どんなに言ったって他人の意見に対して文句付ける人はいなくならないと思う。ここは確かに議論する場だけど、最近堂々巡りな感じがすごくする。
ここはひとつ何か楽しい雑談で空気を変えるしかなかろう、と思うのに何にも思い付かない自分も悲しい(T ^ T)
えーっと、「ももも…」も目の混乱を招きますが、自分的には「はなは…」も似たような感じになったな…ってこんなんじゃ話題続かねーっ。
「やけくそになって批判している」。これも、要らないことです。見方によっては中傷にあたります(だって、事実かどうかわかりませんから)。
もういいじゃないですか。人がどう思おうとどう書こうと。なぜ他の人が気になるのでしょう。
それよりも、自分が思うままに感想を書く、これを楽しんでは?
ここは、それが保証されているサイトです。
549さん、大賛成!
自分もつい長々と書いてしまってごめんなさい、ですけど、本来はそれぞれが楽しみながら「ドラマ」のことだけ書いたりそれでやりとりすればものすごく面白くていいサイトだと思うけどなあ・・
ところでアヒル口って流行ってるの?
最初ここで見たとき、なんかバカにしてるような言い方だなあって感じたんだけど、あとでそれはフツーの褒めことばみたいにも使われるんだ、みたいなコメントもあって・・・
そういえばごちそうさんの時も杏さんがアヒル口だって、のあったなあ、って。
私、吉高さんの口は口角がきりっと上がっていてなんてきれいな形なんだろう、っていつも感じてますが。
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