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大変に良いドラマだと思います。
自分には疑問に思う場面やセリフは今のところありません。
水原の行動。
入湯上陸。ここをご覧の若い女性は嫌悪するかもですが、水原の同僚達で嫁さんや恋人のいない連中の大半は女郎屋に行ったと思います。詳しくは述べませんが、それだけ死を目前にした男にとって女性、母性を求める気持ちは強いものが有ります。
水原は人生において唯一好きだったすずに会いに行きます。嫁ぎ先に会いに行くなんて図々しいと思いますが、しっかりしていても、まだ十代か二十歳そこそこの若者の幼さもあります。自分でも図々しいと思っても兵隊の身分に甘えてしまった。死ぬ前にゆっくり、好きだったすずと話がしたかったのだと思います。会っておかないと後悔するとの一心で。それ以上の事は望んではいなかったと思います。
周作の行動は、女心も、すずの気持ちにも、何もかも鈍感(穴あき靴下が象徴)な彼の考えた、精一杯のすずへの愛情と償いだと思います。
彼の中には、すずをりんの代用品にしてしまった申し訳なさがあると思います。おまけに足の不自由な姑と口うるさい小姑がいる家に嫁いで健気に働いてくれる嫁の姿を見てますます。
そして、周作は兵隊になれなかったので、兵隊に対してもコンプレックスの塊。男としての存在価値にさえ悩んでいると思います。それが普通の女性になれない娼婦であるリンの境遇に自分を重ねて同情して結婚しようとした理由だと思います。
私の祖父は徴兵検査に合格せず兵隊に行っていません。見た目は五体満足でした。そのため小学生だった父はガキ大将から苛められたそうです。そのくらい、若い男が兵隊に行かないのは肩身が狭かったんだと思います。その反対に兵隊さんは敬われました。半分ボケたような近所の爺さんが水原に「ご武運を」と敬礼するシーンが象徴です。
周作は、水原とすずは両思いだと思ってました。すずを好いてくれる兵隊さんから、すずを奪ってしまった。すずもきっと水原の方が良かったに決まってる。
軍関係者だから、水原が二度と帰って来れない事は、一般の人より知っていたはず。一度くらい二人の思うようにさせてあげよう。それがすずへの償い。でも、すずの気持ちは周作一筋、そこに気がつかない鈍感さ。
もし、子供が出来たら自分の子として育てようとの覚悟もあったと思います。子供が出来ないのは、すずは自分のせいだと思っていたが、周作は自分のせいだと思っていた。
そう頭では思っていても、悩みに悩んだ。それを振り払うために鍵を掛けるシーンがあるんだと思います。
広島県の出身です、原作コミックも早くから読んでおりました。
映画も視聴済みでございます。
このお話は監督がクラウドファィンディンクされて長い月日を諦めず
主役の声優さんに反対の声が出る中必死の思いで制作されました。
(確か去年NHKでドキュメントが放映された)
映画の完成度が高いので、映画ファンの方が実写を認められないのかも
もしそうであれば本末転倒。
戦争の悲惨さと、それでも強く明るく生きるすずさんの実直な生命力。
表現したい事は同じだと思います。
登る頂きは一つ、登る方法アプローチや道が若干違うだけでは?
それを一つにして評価するのは元から違うように感じます。
読書感想に個人の見解からいろんな意見があるようなものかと。
もしそこの部分で批判をされているのであれば、戦争ものは人気が無い
と一括りにされて映画のようにスポンサー自体が付かなくなり制作が
危ぶまれるのではないかと、、老婆心ながらどんな形でもこのような
人の心を震わせる良作は後世に伝えて行きたいと思っております。
忙しくて、ようやく先週分の録画を今見終わりました。
すずと周作、水原。誰も悪意を持っている者はいない。それどころか自分のことばかり考えているずるい人間もいない。
周作は、死を覚悟している水兵の水原がすずを好きだったこと、おそらくはすずも水原のことを思っていたことを感じ取り、自分の気持ちを押し殺して、すずを納屋に行かせ、母屋の鍵を締めた。自分の心に鍵を閉めるかのように。
死を確信している水原もすずを抱こうとしたが、すずの周作を想う気持ちを理解し、その瞬間以降は指一本触れようとしなかった。
すずも周作の気持ち、気遣いを理解してはいた。しかし、理解していたからこそ、初めて周作に本気で怒った。
結果的に3人の関係はギクシャクするが、誰かの悪意や自己中心的な考えのせいではなく、むしろ三者三様に、互いの事を思いやり合ったからこその、避けられない結果だった。
敢えて言えば、戦争がこの3人に、平和な現代に生きている日本人(特に女性)には理解し難い、否、理解できても、理解したくないような行動を取らせた。
その3人の複雑な気持ちの交錯は、原作の場面を実写化する上での脚本、演出、そして3人の役者の演技力によって、ある種の説得力を持って、しっかりと表現されていたと思う。
作家には二種類いて、作品は永遠に自分の所有物だと言う人、自分の手を離れた以上作品は受け手のものだと言う人。
どちらにも理があるが、作品は受け手の経験や教養や感情性質などそれぞれの心象で理解するしかない事実はある。
厄介なのは、ファン心理だろう。
作者でさえ、どう厳しくコントロールしたとしても、作品は100%自分の思い通りには再現や理解はされ得ないのである。
二次権利といういわばせこい主張があるが、原作漫画を読んだ、アニメを観た、先に知ってたと言う彼らの場合、一体どういう機序の主張なのか、おそろしく幼い独占欲を恥じらうことなく、幼いリテラシーと共に開帳できる人が今のこの国には思ったよりたくさんいるのか、ごく少数が何度も投稿しているのか、それに感化されて倣う人が出ているということなのか、珍しくはないことだが、ここでは随分目に障る。
ドラマの上質さとこのページの乖離の大きさに驚く。
リンさんの扱いが雑。全然回収出来てない。
1話だか2話で出てきた座敷童子が「リン」なわけだけど、桜の樹の上で「小さい頃は他所の家の屋根裏で暮らした事もあったんよ」と自分語りしたのみで、その後お互いの気づきへと話を膨らますでも回収するでもないまま言いっ放しやりっ放し。
そんな扱いにするくらいなら、意味不明な座敷童子のカットなんていらなかった。
死亡も壊れた建物見せてお終い。いらない現代の様子に尺を取るくらいならそこを描けよ、と。
アニメ映画の高評価は、どういう理由だったのかと考えながら、以前に見ました。アニメで表現することで、穏やかな風景と戦中の暮らしや人びとの心情を淡々と、悲惨すぎずに、声高でなく伝えながらも、戦争を描き、それが皆の心に響いたのだなと。
今回、実写ドラマとなった時点で、自然背景や町並みや家、大道具・小道具だけでなく、人々の表情や話し方、やり取りにも、戦争のリアリティがより求められるのは当然と思います。結果的には、暗い、重い、悲しい、無残だ、と戦争ドラマを避ける人の多いことを意識しすぎたのか、このドラマにはリアリティが欠けていると私には思えたのが、残念でした。暮しの手帖社の『戦中・戦後の暮らしの記録』を読んだ後でしたので、なおさら、そう感じました。特に、広島の原爆ドームの前での主人公夫婦の様子が、大きな違和感となりました。その他、細々とした点は省きますが、心を突き刺すような痛みが、曖昧にぼかされていってしまった印象で、アニメでは描けない写実的な描写で訴えかけるというドラマ性が弱かったです。
総じて脚本と演出、演技が、このドラマの真髄を薄めてしまったように思えるのが惜しまれます。CMに入るときに「感動の、、、」と出るのも、何とも余計なことでした。例えば、ドラマ化における脚本の不備を、演出・演技が補い合い、淡々、ほのぼのでも、深い余韻が残ることを期待していましたが、しみじみと心底に響き渡るものがありませんでした。
もっと、じっくりと描けば、あの時代を生き抜いた人々がいたからこそ、今、こうして平和な日本があるという感慨とともに、あそこに戻っては絶対にだめ、という勇気を増してくれたのでは、と感じつつ。
心がきゅ……っと、締め付ける。
前回のラスト。
あの握りしめた右手が残像として、残っていて…。
見るのに心を構えて拝見しました。
すずの心が、苦しくて、申し訳なくて、悲しくて、孤独感でいっぱいで、泣きまくっているのです。
径子の心も、苦しくて、悲しくて、どうしようもない思いをぶつける所がなくて、泣きまくっているのです。
それが、ずっと、深く、伝わってきます。
トマト、晴美のあの笑顔、鉛筆やスプーンを握る右手…
それらの映像のインサートがすべての感情に深みを与えています。
秀逸です。
すずと幸子と志野のどつき合い…
径子がトマトを抱え込む姿…
径子がすずの背中越しに語るシーン…
素晴らしい演出、演技で名シーンがたくさん心に刻まれました。
尾野真千子さん。今までの回のお芝居も今回のために積み上げられており、径子という一人の女性を深く演じられています。完璧!また、一段、上がられた!
松本穂香さん。真摯に役に向き合い、すずの深い感情や微妙な感情もしっかり表現されています。すずさんです。
心に響く良いドラマです。
やはり、実写版での空襲の描写はリアルすぎて、改めて戦争の恐ろしさを感じた。
しかも軍人や兵士ならともかく、機銃掃射で、民間人の女性一人を狙うなんて、狂ってると思った。民間人の若い女性を一人殺したところで、戦争の勝敗に影響するわけでもないのに…
一方で、もう消えてしまいたいと思いつめて、正面から機銃掃射をあえて受けようとするすずさんの心を思うと、胸が苦しかった。
右手や頬の傷以上に深い傷を負ったすずさんの心の内を思うと、辛かった。
他にも色々なことを感じたが、長くなるので割愛します。
とにかく、当たり前の事しか書けないけど、こんな恐ろしくも愚かな戦争など、どんな理由があっても、絶対にやってはいけないと心底から思ったし、
決して楽しい話ではないかもしれないけど、次の若い世代に必ず伝えていかなくてはならないと、心の底から思った。
一番ひどい犠牲に合うのは職業軍人ではなく、なんの罪もない民間人であることを、特に強調して伝えていかなくては。
実写で、あまりにもリアリティがあるために、いよいよあの場面が来てしまったことに衝撃が大きい。
ストーリーは知っていたので、当然、最初から覚悟していたのに、やはり辛い。
しかし、これが戦争だ。これが戦争の残酷さ。
我々日本人は、世代から世代へ、この戦争の残酷さを語り継いでいく責任があるのだから、目をそらしてはならない。
台詞が多いばかりがお芝居ではないのが、よくわかるドラマですね。二階堂さんしかり、松坂さんしかり。目で佇まいで感情が伝わってきます。ときどき画面が絵画のように美しい。
ドラマのはるみちゃんがほんとにかわいくて…
6話のラストは不発弾のシーンで終わってしまって
再来週に持ち越しか…と号泣までは至らなかったのに、しばらくして思い出して泣きました。
映画は見たからストーリーは知っていますが
このシーンは時間差でじわじわ来ますね。
2週間は長いけど、はるみちゃんを胸に過ごしたいと思います。
とても丁寧に真面目に作っているドラマだと感心しています。
昔の日本人を懐かしく感じています。
本編とは関係ない話かもですが、三十年くらい前から、今の日本人が急激に変わってしまったと思う事が二つ有ります。『家』、『恥』という概念です。
径子の幼い息子でさえ、家を継がなくては言います。結婚は家と家の繋がり。由緒正しい家でなくとも、普通の家でさえ家を絶やさないという思いが強くありました。「今日は家長だから」と言った周作の長男としてのプレッシャーも感じます。また、恥じ=世間体、世間様に笑われる。周作がリンとの結婚話や兵隊になれなかった事がそれかもしれません。
今は結婚は個人の問題。簡単に結婚して簡単に別れる。政治家や有名人の恥ずかしいを恥ずかしいとも思わない行為。
このドラマは、そんな昔の日本人を思い出させてくれます。もちろん、昔が良かったとは言いません。それによって苦しんだ人も多かったのは事実です。逃げるのは恥じですから、特攻隊に行きたくないとは言えない空気です。極端に言えばそれが日本を戦争に向かわせたかもしれません。
主題とは離れてるでしょうが、色々な事を考えさせてくれるのは、当時の背景や人物を丁寧に描写してくれているからに他ならないと私は思います。
原作は未読だが、アニメ版は視聴済み。
アニメ版のエピソードをほぼそのまま踏襲していましたね。
人さらいのシーンはさすがに手直しされてましたが。
干潟を歩いて母方の実家に行くシーンとか、例の座敷わらしのエピとか。
あの子がりんちゃんだったんですね。なるほど、謎が一つ解けました。
ややファンタジックなアニメ版と実写を比較するのはナンセンス。
子供時代のすずに至っては3~4等身ぐらいにデフォルメされてましたからね。
身の回りでは戦争の実感は無いものの、すぐ近くに戦死者の知らせがあったり、入隊する兄がいたりする。
しかしそれよりも、突然降って沸いた嫁入り話に困惑しつつも、それが自然な流れだと受け止められる時代感。
その辺りが丁寧に描かれていたのも好感が持てます。
戦時下であってもごく普通の毎日の暮しがある。
嫁として何をなすべきか。そしてその場所から見える空と世界。
噛み締めながら見届けたいと思います。
伝えようとしてることはわかるけど、日曜日には見たくないドラマ 終戦記念日頃に2夜連続って感じの方がよかったのに。ダラダラしちゃって、すずさん役の人最初は一生懸命な感じしたけど、回数経つうちに、あんまり引き込まれなかったのが正直な感想です。なんかが足りないんだよな。
原作者も役者さんもスタッフの皆さんも現代を生きる人たちで、決して戦争体験者ではない。
様々な体験談や歴史資料を丹念につなぎ合わせて行間を推察し、一つの物語にするわけだが、それは結局の所フィクションに過ぎず、当時の実写フィルム等と比べればどうしたって差異は出てしまう。
ではこうした過去の物語を制作する事は無意味なのか?
そのドラマはインチキなのか?
それは違うと思う。どんなに時代は変わっても喜怒哀楽は変わらないし、人が大切にも守ろうとしたものは変わらない。
違うのは時代背景がそれを許さなかったと言うことだけ。
現代には徴兵制度はないけど、当時は国(天皇)のために命を捧げるのは当然の義務だったし、今と異なり物資が豊富にあったわけではない。
戦死者を出したのも、貧乏だったのも我が家だけではなく、助け合い励ましあいながらも生きていた。
日本の勝利を本気で信じて自分にも他人にも我慢を強いた人も居たでしょうけど、表向きは協調しつつも裏で不平不満をこぼしたり、涙する人だっていたに違いない。
人はいつかは死ぬ。戦時中であろうとなかろうと。
現代でも交通事故であっけなく身内が死んでしまうことがある。
その時残された人はどうすればいいのか、どう前を向けばいいのか。
過去を知り、過去から学ぶのは、きっと明日の糧になると思いたい。
1000件越えのカキコミ、しかも前回の放送終ってから300以上って。白熱の議論の一週間を追い掛けて、本編に劣らず外からですが楽しませていただきました。明日は次話が放送ということで、その一週間の総括と感謝のカキコミ。
前週まで話題が繰り返されてた原作・アニメ版との比較問題やキャスティング問題がいつの間にかトーンダウンし、今週に入ってからは、周作・水原問題に移行、やがて歴史認識や、日本人の性の倫理観まで。
週半ば過ぎても、まだ続てんのかよ~とか思いつつ、途中途中ではっとするような深い読みをされている方に感服したり、知らなかった逸話が書かれていたり、ドラマを理解する為に原作やアニメ版のほうに興味を持つ柔軟な人が現れたり。本当に色々な方が、同じドラマ観てることを実感して感動。一時代前はこういうのってって周囲の友達や家族とした光景でしたが最近は皆が同じドラマ観てませんし、熱く語ることも少ないですし。どちらもネットの功罪でもあるわけですが。
自分の感動や憤りだけで完結してしまうより、違う価値観を感じる意義は大きいですよ。ドラマの観かたも深まりますよ。
ところで明晩はスタート時間がスポーツ中継でズレるみたいです。ご注意を。あ、局関係者ではないですので、あしからず(笑)
戦時中は普通でなく異常だった。
水原さんは片道切符で帰りはないと死ぬのが分かっているから好きなすずに最後に会いに来た。
嫁さんでも会いたかった。
周作もそれが分かるから、二人にさせた。
今の平和ボケしている私達からだとあり得ない事でも、この時代はあり得ない事だらけ。
戦争している事自体が普通だもの。
槍で敵を殺そうと訓練する。
死ぬ覚悟で戦艦に乗る。
戦争が酷くなってからは特攻隊や人間魚雷。
考えられない事を平気でしていた。
異常な世界の中で普通に生活をして行く。
だから、水原さんはすずに普通でいてくれと言っていた。
女性の地位が向上したのは戦後。
この時代に生きた人は大変だったと思う。
原作漫画は白い紙に絵を描いて命を吹き込む、アニメ映画版は絵を動かし命を吹き込む、実写版は生身の血のかよった生きている人間が演じて現実感を出す、雰囲気が違ってくるので違和感があるのは仕方がない。だから原作漫画、アニメ版と実写版は一概に比べられないと思います。それぞれ良さがあります。例えば原作漫画やアニメ版のいちぶの場面を実写版に採用したときファンタジーに成り現実離れしてしまう恐れがあるので設定を変えたりする場合がある。
個人的には実写版のこの世界の片隅には、実写版なりの表現方法で丁寧に作られた良作だと思います。
いやぁ、子役二人に参った。映画を観てる感覚になった。尾野真千子の佇まいにも息を呑んでしまった。美人ではないけど(失礼)稀有な存在感のある女優ですね。
すずは普段は超がつく鈍感なのに「女の感」が備わってたことに、気の毒だが笑ってしまって、直後にそら恐ろしくなりました(笑)
神様は女の感だけは全女性に平等に与えたのですな。
いつの時代でも、どんな状況でも親子や夫婦の機微はかわらないものだと改めて感じました。戦況下でも人々は一生懸命に笑って泣いて怒って日々を生きていたのだと。
戦時中の物語を平和な茶の間で観覧できる幸せに感謝です。
戦争中のドラマと言うことで悲壮感漂う切羽詰まったものを予想してましたが、全く違いますね。
時間はむしろ現代よりゆったり流れ、物のない時代でも知恵を出し合い心豊かに生きようとする登場人物に心を打たれます。適度にコミカルな描写も入れ(尾野真千子さんと伊藤沙莉さんが上手い)、ストーリーに緩急をつけるのも見事です。
このような素晴らしい作品をリアルタイムで見られて本当に幸せです。
期待してたけど全然面白くならない。
原作・映画・アニメと今までも話題になっていたので(どれも見ていませんが)どんなもんだろ?と思って見てたけど、あまりのつまらなさやダラダラ感に拍子抜け。
こんなのが本当に話題作だったの?と思ってしまうけど、ここの感想を見てみるとただドラマ版が下手なだけなのかもしれないですね。
主演の女優さんも苦手です。
いいドラマです。
脚の悪い姑の世話のために嫁に貰われたのだとしても「うちが必要じゃぁいうことですよねぇ」と取る。鬼千匹の小姑の意地悪を親切だと受け取る。
幸せな人の考え方ですが、それがわかっていても真似できるものではないのですよね。
すず役に松本さんはとても合っています。
そして私にはランちゃん。
ポニーテールのランちゃんは『見ごろ食べごろ笑いごろ』のコント(あのコントでは坊主頭でしたが)から40年を経てそのまま繋がっていて、可愛いらしいです。
「ぼんやり」設定の主役、それを喰わないキャスティングと演出・お芝居、これからいろいろな展開があるのかもしれませんが、安心して浸れるよう「料理は引き算」のように計算されていると信じています。
気がついたら全部見ていた
音楽がラピュタとトトロを合わせたみたいだと思ったら久石譲さんだった。
尾野真千子が出たら空気が変わった、さすがや。すぐ帰ったのかと安心したのもつかの間次回小姑来襲だってさ、期待できるわ。
がんばれすず!がんばれ広島!
スペシャル知らない。
火垂るの墓もドラマ化してたと思うけど・・見てない。
現代版を挿入する意味が最後まで理解できなかった。
若い女性が他人の領域に土足で踏み込んでくる感じが嫌だった。
周作、すずのふたりの人物像がぼやっとしていた。
一部の方と同じで あのラストメッセージははいってこない。
最終回は納得いかないところがたくさんあった。
ラストメッセージも腑に落ちなかったが、それ以上に周作がすみちゃんに がんばれ と言ったのが冷たく聞こえた。
他に言い方はないが、もっと躊躇してことばを探すような演技ができなかったものか。
熱を持って観てきたので最終回は残念だった。
原作、アニメともに未視聴ですが、県民のひとりとしてとても興味深く視聴させていただきました。
戦中戦後は残念ながら未体験で、さまざまな歴史やお話のなかでしかわからないんですが、やはり被爆地に住むものとして幼い頃から身近に感じ、平和の祈り...その教育のなかで育ってきたので、知識だけは他県の方々よりしっかり持っているという自負があったんですが。
このドラマを観て、想像以上に過酷な体験を呉市民のかたがされてきたことを、初めて知りました。
幾度となくくり返される空襲の、恐怖。終戦を迎えるまで安まることのないその心情を思うと胸が痛く、辛かった。
空襲の際すずをかばって覆いかぶさる、周作さん。演じる松坂くんの身体が直後小刻みに震えているように見えて、その恐怖が痛いほど伝わってきました。
戦争の傷跡は、8月6日の出来事だけじゃないんだ、と思い知らされた瞬間。
恋愛も思うように生きられず、常に身近にある恐怖との闘いのなか、それでも主人公すずは恵まれていましたよね。
ゆっくりと愛を育み、やがて旦那さまがかけがえのない存在になり、周囲の人々も比較的温かい人ばかりで。
時代背景から、元々優しい人が冷たく変化することもままあったと思うのに。
とりわけ幼い我が子を失くしたお姉さん、径子さんの思いやりには感動を覚えました。
辛い時期にも、友人たちの明るさや優しさにも救われ、最後は和やかな談笑と穏やかなラストで、良かったです。
ただひとつ、私も節子さんの背景がどう描かれるのか注目してたぶん、やはり出会った当時の詳しい描写がなく唐突感が否めなかったかなと。
原爆投下後の描写を少なめにされたのか、それとも話数が足りなかったのか。
もう少し掘り下げるか、あの描写なら現在の節子さんが頭のなかで断片的に回想しながら、涙する感じでも良かった気もしました。
全体的には感慨深く考えさせられるお話でしたし、最後のエ-ルも胸に響きました。
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