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常子は武蔵を『お客様』だと言って連れ帰り、森田屋の人々は常子から武蔵がどんな人物なのかの説明を受け、理解した上で自発的に歓待している。
有り得る話。
上京して1人勉学に励んでいる学生が、故郷の実家で食していたのと同じ味噌を使った味噌汁を飲んで、懐かしさと望郷の思いを込めて『母のと同じだ』と言ったところで、何の不思議も無い。
まあそもそも、新種を発見したら森田屋の皆さんへのお知らせより
真っ先に教授に報告して、本当に新種かどうかを確認な。
それが日常ってもんだ。
味噌が同じかどうかなんてダシが変われば判別出来ませんけどね
赤味噌かどうかくらい判るでしょ。
もっとするなら味噌の話はお茶の間ですることにしよう。
花子とアンのときも主人公に知性が感じられないと散々叩かれたが、
今回のヒロインも後に暮らしの手帖を作る人とはとても思えない。
試験で好成績をとるには一番の人に勉強を習うのが一番だという短絡的な発想しかない。
自分で努力しようという健気さもないし、特に勉強好きにも見えない。
そもそも奉公人に出資してもらってまで女学校に行く必要があったんだろうか。
味が違うのに赤味噌だってだけで母と同じとか言う奴いるのか。。
う〜ん、確かに今のところかなりマザコンぽいキャラに描かれてはいるけど…
基本的な衣食住の生活描写もいいかげんで、出来事も不自然で突拍子もないこの話の、どこが「何気ない日常」なのかと不思議でしょうがなったけど、なんかわかった気がする。
半径10メートル以内でちょこまかちょこまか起きるエピをつないでいきますよ、ってことなのね多分。そうでも考えないとこの状況は理解できない。
いいよね、舞台転換もいらないし、ご大層な物語を作らなくていいから楽だもの。だから、何かといえば10メートル以内で全員集合して学芸会になるんだね。
何気ない日常=話をミニサイズにすること。ここでも言葉の使い方まちがってる。
視聴率だけはいいけど、このドラマここがクオリティとして優れているという高評価をほとんど見たことがない、、、なんて前作もよく同じような事言われていましたね。私はこのドラマ、ゆるく観られて好きですよ。ご馳走をずらり並べて見た目にも綺麗なドラマばかりじゃ飽きます。たまには飛びきり美味しい塩おむすびと母を思い出すお味噌汁が食べたいです。特に朝には。なので凄くいいなと思いますとと姉ちゃん。
朝ドラにとびきりの食事はいらない。
温かいご飯と味噌汁,そういう当たり前のものがあれば安心できる。視聴者の気持ちをよくわかった上での今作です。視聴率が落ちないのも納得します。
だしの味まで同じじゃないと母の味といわないなら、冬彦さんになるので気持ち悪い。
赤みそイコール家で母が作ってくれた味。
これぐらいのアバウトさで男の人は丁度いい。
これ私の意見(笑)
我慢して観ていますが、唐突で不自然な展開が多すぎてお話に入り込めません。
脚本がヘタ過ぎます。
それでも前作ではこの頃には立ち聞きシーンのあまりの多さに不快感が限界に達し視聴をやめたので、今作はまだ「不快」とまではいってないのでもうしばらく我慢してみます。
前作の評判は、今作の評判と何の関係もないと思いますが、どうして単ここでは、たびたび持ち出されるのか不思議。
でもよく上がっているので、ついでに客観的に比較をしてみると、脚本の出来は、プロとアマほどの違いがあります。
大森さんの脚本は、基本的な作劇手法がきちんとしていましたが、西田さんは少なくともこのドラマでは、一体どうしちゃったのというぐらい基本がめちゃくちゃ。もうさんざん指摘されている通り。それでも好きというのはまったく自由だと思いますが。
名作と言われる朝ドラと比べると、前作の脚本が特に優れているとは言えないし、あれはあれで粗もありましたが、この点ではちょっと今作の比較の対象ではない。
比べるなら、「おひさま」や「梅ちゃん先生」ですね。梅ちゃんはよく知りませんが、今回と同じような現象が起きたそうです。
脚本のまずさということでは、私は「おひさま」をよく思い出します。大物脚本家の方でしたから、前半はけっこうよかったのですが、後半びっくりするほど失速しました。
プロットが迷走してテーマがわからなくなったり、時間配分が狂って要らないところがダラダラ冗長、要るところがすっ飛ばされたり、唐突、全員一列に並んでの学芸会演技、ステキな俳優ぞろいだったのにみんな下手に見えてしまう、など今作とそっくり。
あとで知るところによれば、この方は後半をあらかじめ全く考えてなかったとか。失速も当然といえば当然ですが、大物と言えどやはり事前準備は大切ということ。
ましてや、まだ小物(失礼)なら、推して知るべし。この人も、撮りと並行しているようです。
男はって話なら、女性に料理作ってもらった時は母と比べちゃダメでしょ(^^;
もちろん、母の方が美味しいと言うよりはマシだけど、同じだ〜てのも充分気持ち悪いよ
もー味噌汁話で煽りあうのはやめてくださいよ。
するならせめてお茶の間でお願いします。
前作のように時系列も登場人物の年齢も季節感もすべてめちゃくちゃで、途中から年号テロップが消えるような脚本が優秀だとは到底思えません。しかも実在モデルがいるのにその人物造形のありえないこと。あの当時の育ちのいい女性が人前で四股を踏んだり大股で着物の裾はだけて歩いたりしなかったでしょう。お得意の口癖や大人になってからもお口つまみのぶりっ子仕草は言わずもがな。
フィクションとはそういうものというなら今作も同様です。
ドラマなら日常生活の中でちょっと非日常的な騒動が起こるなんて当たり前だし、演出の良しあしはほとんどが視聴者の好き嫌い。
エピソードが唐突で不自然に思えるか自然にしっくり見られるかも視聴者次第でしょう。
日常に起こるちょっとした騒動から、当たり前の生活の良さがしみじみ伝わるいいドラマだと思います。
人との出会いやその人個々の造形にも、このドラマはちゃんと意味があります。
前作のように大事業を成した人ではないからヒロインとしては地味だけど
今のところはそのささやかな人間的成長が丁寧に描かれていて好感を持てますし
今後どんなふうに「暮らしの手帖」創刊に至るのかとても楽しみです。
私もこのドラマと前作を比較するのはあまりに現実感がないと思う。
前のほうの方がアマとプロの違いと書かれているのはまさにその通りで、
とと姉ちゃんの作者は、そもそもドラマ作りがどういうことか基本的に分かっていないのだろう。
ドラマというのは何も、行き当たりばったりのギャグやコントの寄せ集めではない。
半年なら半年間かけて緻密にストーリーを組み立てていき、ヒロインの成長やその時代を描き出していかねばならない。
そしてヒロインはもとより登場人物たちのキャラを肉付けし、それらの人物を画面上で自在に動かし、彼らの生き生きした存在感を見る人に感じさせねばならない。
さらにストーリーを膨らませ発展させていき、所々に山場を配置して、視聴者を飽きさせないようにし、かつ次回を期待するワクワク感を与えねばならない。
残念ながらこのドラマの作者は、そういうドラマ作りのごく基本になることをことごとく満たしていないのだ。
梅ちゃんの雰囲気と確かに似たところがあると私も思います。
私は「梅ちゃん先生」の飄々とした作風とゆるくニヤリクスリのあのなんともいえない独特の、ふんにゃり拳法的なところがすごく好きでした。
なので、この作品の良さも理解しやすいのかも。
空気系ドラマなので、さほど時間経過は気にしないで進めていけるので、そのへんはアバウトになりやすい点ではあります。
ただし、朝ドラだとヒロインは成長していくので、成長はいくつかのエピ後、何か月後、または何年後という形になることが多いかも。作りとしたら、もし何年間も作れと言われたら、永久に日常を繰り返すことの出来るドラマかな。
ヒロインが身近にいるかも風で、がんばっている姿を応援したくなるようなところ、まわりの人は皆一癖あり、その一癖あるがゆえの個性が微妙にかみ合ってドラマの面白さになっていく点もこの二作は似ています。
それをすんなり受け入れられるかが、賛否分かれるところかもしれないです。
なんていうのかな、ベタなことや、スベってるだろう、え!?みたいなことをマジメに言わせるそのアンバランスな可笑しさですかね。それが微妙に味わいなんですよ。
そして、それだけでは終わらない、人の大切なものはなにかのテーマがちゃんとあり、それが伝わるように出来ている。
このテーマ部分も梅ちゃんとととは似ていると思います。
人の幸せは身近にあるのに、人は日頃それを忘れがち、ということ。
たとえば、梅ちゃん、そして兄姉は初恋の人とはみな結ばれずに、
そして身近で支えてくれていた人達と結婚する、それは本当に大切なものは自分の身近にあってなかなかそれに気が付かない、だけど一番大切なのは身近で支え叱咤してくれる人なんじゃないか、ということにつながっていきます。
ととは、梅ちゃんよりもっと濃くその忘れがちな部分や大切な部分に焦点を絞ってきている感じがします。人との繋がりや、その中での気づきなどは濃厚な味わいがあると思います。
そして、ネット、サイト事情的にもほんとに似ている。
梅ちゃんは、とくに前作がカーネーションという人気朝ドラだったので、特に某サイトではカーネ支持者さん達からこっぴどく痛めつけられてましたっけ。苦笑
そのサイトの常連さん達が梅ちゃん批判ブログを立ち上げたり、放送中止するようNHKにみんなでメールを送ろうと呼びかけたりなんかそれはそれは異常な雰囲気でした。
それにも関わらず、梅ちゃんが最高視聴率を叩き出し、大入り袋なるものがみなに配られたことは出演者ブログにも記録されています。
ととも、そうなる可能性は大きい気がします。
おちゃらけだげか続くと、視聴率低下につながりますが、それだけでは終わらない、どちらかというと本筋は至ってしっかりとした芯があるドラマになりそうなのは、ここまで見て来ていてなんとなく判ります。
視聴率がすべてではありませんが、ネットの批判ほどの嫌悪を示していた人は巷にはそれほどいなかったということだと思います。
カーネーションとは注目されて取り上げられる部分は違いますが、過去最高視聴率をたたき出したというドラマの後だけに、いろいろ注目され書かれるのもの仕方がない性でしょうかね。
あ、簡単に視聴率を過去最高と書いてしまいましたが、梅ちゃんは9年ぶりの平均視聴率が20パーセント越え、あさが来たは2000年からの放送の中での最高視聴率でした。
訂正しまする
押しが強そうな印象の高畑充希さんがちょっと苦手だったけど、今作では周りの人たちを気づかい、問題を解決しようと奮闘する小柄なとと姉ちゃんに好感持ってます。
「僕はイケメン」と意識してるやろな〜と、勘ぐっていた坂口くんも、田舎出身のオタクな帝大生星野くんを好演されていて、なんだか素敵です。
滝子はじめ青柳商店の人たち、森田屋の人たちを演じている俳優さんも、この朝ドラで皆好感度アップしているような気がします。(個人的に)
そう考えると「とと姉ちゃん」、地味だけど素朴さ優しさが根っこにある、朝には心地よいドラマなんじゃあないか?そんなに脚本酷くないんじゃないか?って思います。
確かに、ん?っていう箇所はあるけど、今朝も見ようという気持ちになるから自分は好きですね。
前作の脚本が優秀だとは、どこにも書いていないのだけど、困りましたね(笑)どうも、前作アレルギーの方がいるようで。
単に基本的な作劇手法の問題なのですが、そういう基準すらも否定してしまうと、もうこの世では、ものごとの巧拙というものを言うことはできなくなり、単に好みだけですべてを判断することになる。
このドラマの脚本が客観的に技法として拙いことは、今のところ、厳然とした事実です。今後は改善されるかもしれませんけどね。
それでも好きというのはまったく自由だし、そうあっていいと思います。下手だけど好き、上手いけど好きじゃない…これは人間の感情の問題なので、どうすることもできませんよね。
こういう雰囲気が好み、楽しいという方がいることも十分理解できます。それはそれでまったく正当です。
私はどうかと言えば、まったく、そういうタイプではないんですね。
ドラマは、部分と同時に構造を見ていて、両輪がうまくかみ合っていないと、面白いと思えないし楽しめないタイプ。これも理屈でなく、そういう性なのでしかたありません(笑)
だから、このドラマの構造的な欠点はどうしても目につくし、そこをレビューしようとすると、どうしても批判的になります。
でも、いろんなレビューを見ると、私に限らず、こういう人もまた多いようですね。それもそれで、またレビューが賑わってけっこうなことです。
これからも、どんどんおかしなところは指摘するし批判もするでしょうね(脱落しなければ)。脚本や構造にいいところが見つかれば、当然ほめます。
そうしながら、さしあさっては、このドラマと向き合って楽しんでいこうと思ってます。
2016-05-08 11:05:05 名前無しさま
「前作は基本的な作劇手法がきちんとしていましたが」
の理由と、今作脚本家が、その基本がなっていないのは事実だという根拠を、皆が言っているという形ではく、比較としてお茶の間に書いてくださるとうれしいのですが。興味ありますし、その点が明確であれば、誤解も生じにくいと思いますので、ぜひお願いします。
お茶の間を使うまでもなく、比較レビューはここでも許されていますから、ここに書きます。
基本的な作劇手法というのは、
・エピソードには背景と伏線がある。
・伏線は回収される。
・テーマや性格設定がぶれない。
というのが、もっとも重要なところです。前作は、上手い下手は別として、これはまずまずしっかりしていました。
今作に関しては、これらがとても脆弱です。
細かいことは、今までこのスレでも、また、ここに限らずネット上でさまざまに指摘されていますので、お読みになるといいと思います。
森田屋さん、結構ヒマだなと思うんだけど。
>前作のように時系列も登場人物の年齢も季節感もすべてめちゃくちゃで、途中から年号テロップが消えるような脚本が優秀だとは到底思えません
激しく同意です。ここのところを無視して前作を誉めたたえても説得力に欠けます。
それこそ好きだから気にならない、気にしないってことなんでしょうが。 どんな作品にも粗はあるし、どこを大切に見るかでも違ってくるでしょう。ですのであさが来たに比べてこのドラマが劣っているなんて別に思いません。
いや、比較が許されているとかじゃなくって議論や雑談になりかけてるし、そこから反論があったりしたら、もう議論もいい加減にだなぁ、、と思ったので、赤枠でないうちにとお茶の間への呼びかけを致しました。
反論的に言いたいこともあるのですが、リア事情で、きちんとまとめて書く時間がありません。
ちょっと時間が出来たら、お茶の間にでも書かせて頂きますので。明日にかるか、はたまた数日後になるかもですが。
そのうちまあいいか、になったらすみません。(苦笑)
議論は熱いうちに討て・・・なんかどうでも良くなったりすることも良くあるんで。
たぶん考え方の相違なだけでしょうから。
いちおうお茶の間を使った方がいいと書いた理由について、説明させて頂きました。
先週のサブタイトル 「とと姉 新種を発見」って 新種を発見しましたっけ?
サブタイトルまでいい加減なドラマ
脚本の巧拙については、考え方の相違でも何でもなく、客観的な基準にもとづいた事実ですから、これ以上加えることはありません。
そして、それをすべて「見方の違い」「考え方の違い」で片づけるのなら、そもそも最初から議論する必要などないということにもなります。
このことについては、以上で切り上げさせてもらいますね。
制服が違うというだけで クラスの全員から 陰湿ないじめを受けますか?
東京ってそんなところじゃないよ。
海外に発信されるんでしょ このドラマ。
日本って変な国って思われるのが イヤです。
脚本家さんは 日本がお嫌い?
東京がそんな場所だ、なんて言っているわけではないことは、鞠子がクラスメイトから受け入れられていることからも明確です。
それが鞠子も美子もみんなイジめられてて、『東京さは、こわいとこだ~』となっていたら東京についての偏見でしょうけど。
いきなりの総スカンは、ちょっと確かに大げさかもだけど、常子が家のために制服をガマンしたことが、悪意的に取られ裏目に出る、疑うことを知らなかった常子だけどそんな世間のことも少しずつは気が付いて行っていること、またその一件で、綾との接点ができたことで、将来につながる付き合いになる。そこへの伏線でしょう。
それに、このエピいま学校が描かれていないからそのままなだけで、そのうち学校の描写があれば、なにか出てくるかも。
あの意地悪女学生さんも、そのままではない気もしてるんで。
私は、コメディの要素がある海外ドラマを観て、その国の人達ってヘンな人、だなんて思ったことはないので心配いらないと思います。
前作みて、昔の日本人女性は、みなびっくりぽんって言うんだ、お相撲は日本女性のたしなみなんだ、ヘンだなぁ・・・なんて思う人もいないでしょうし。
今日ダイジェストで見たけど一番見れた。一話のなかでせめてこの二分の一ぐらいの展開あってもいんじゃない?
自分は海外ドラマばっか見てるからカット割りを展開とともにパッパとして欲しいタイプ。1シーンに長々とやると人は飽きてしまう。かといって全てが短すぎると解りづらい。メリハリが大事だと思う。
後は他の方と批判は一緒。
個人的には小ネタで積み重ねていく面白さにはまっています。
批判の多さ少なさなんてあいまいで判断基準にはなりませんよ。1人で何回もコメントしている人もいるだろうし、冷やかし半分でコメントする人もいるだろうし。1人で単なるドラマのために何回もコメントするのは普通じゃありませんからね。それで半分以上悪評とか言われてもね~。視聴率も正しいわけじゃないだろうけど、一応サイレントマジョリティを表していると思いますけど。。。
科学的な問題と違って、脚本の巧拙の問題には主観的な要素が多かれ少なかれ入ってしまうから、『厳然たる事実』とか『客観的な基準に基づいた事実』とか言い切るのは難しいでしょう。
ドラマの評価で見方の違いや考え方の違いと言う要素があるのは自然な事で、それらを突き詰める為に議論しても良いと思う。
前作と比較しなくても、今回の脚本は絶対評価において、下手すぎる。脚本家は明らかに、最終回までの流れを考えていない。1話1話が面白ければいいのではない。
その1話1話もほとんど、見ていて気恥ずかしくなる。
ドラマの作り自体がたとえば、全10話で、一話ごとの不連続な完結で出来上がっていて、そのエピだけに登場するキャラがいたりはするが、メインキャストはおおむね変更はなく毎回いろいろなトラブルやハプニングが起こり解決していく、そんな作り方のドラマもあれば、全10話、すべてが連続で切りの良い、ちょうど続きが見たいと思うところで次の回に、となるドラマ。
両方ありますよね。そのふたつを同じ並びとして、考えることは出来ません。
とと姉ちゃんは、概ねが前者で出来上がるような作り方のドラマです。
いわゆる女性一代奮闘記などとは異なるタイブなわけで。
週にひとつかふたつ、の、エピソード自体連続性はないハプニングが登場し、それを常子の日常で起るさまざまな経験として描いていきながら、常子の成長につなげていっています。
私たちの日常で起ることも、すべてがつながっていて、関連があるかといったらそれは違うのと同じ事です。
私もそ常子に今度はなにが起こるのかなと毎回楽しみにしていますし、それぞれの落としどころもほのぼのとしていて素晴らしいと思います。
これからどんどん面白くなっていく予感。楽しみにしています。
高畑さんの演技については、今のところ、不快とまでは感じない。
基本的に実力がある子だと知ってるし。まだ脚本の破壊力の方が強い。
ただ、これからオヤジ化するそうで(どんなんや w)、その時は地でいけるねと親御さんからもお墨付きをもらったという、その時が怖い(笑)。
手練れのちょっと世間ずれした感のある、上から目線とよく言われるあの演技が出てこなければいいとひたすら祈っている。
同じく癖のある唐沢さんとのダブルパンチで、これで脚本がもち直さなければ壊滅的だ。
せめて暮しの手帖だけは無事でいてほしい。あれがどう描かれるのかだけが楽しみなんだから。手帖ファンの方もたくさんいることだし。
いじめって、今の現実のほうがもっと陰湿で問題でしょう。
そして海外もあんなもんじゃないし海外映画でもいじめはよく出てくるよ。
毎回ちょっした出来事や楽しいエピがあり観ていて飽きません。全体のト―ンとしては穏やかで、その中に笑いがあったりホロっとさせられたり。凄く見やすいし楽しいドラマになっていると思います。仲良し三姉妹が大好きだし、おっとりかかや人情味溢れる盛田屋の人達、個性的なイケメンキャラにすっかり気持ちを奪われて観てます。
盛田屋→森田屋の間違いです。
良いドラマの条件って、簡単にいえば
まずストーリーが面白いこと、
ヒロインに魅力があること、
脇役も適役で演技力があること、
テーマやキャラがぶれないこと、
ストーリーに適度な山場があり次回への期待感を持てること
などなどでしょう。
これらが満たされていれば、多少の欠点はあっても、
その魅力と勢いで吹き飛ばしてしまうものです。
だが、残念ながらこのドラマはそのどれに関しても満足させられない。
そういう意味で、ドラマ通に極めて評判が悪いのは事実ですね。
今週も楽しく視聴しました。
普段は映画が好きです
カンヌはじめ海外の映画祭で評価された作品は見ますし古典は特に色々見ています。
溝口健二、小津安二郎、ベルイマン好きです。
それで言わせてもらうと、とと姉ちゃんの脚本は稚拙だとはちっとも感じません。
「暮しの手帖・創刊、大橋鎮子がモデル」という触れ込みがなければ、単純に小橋家で次々と起こる可笑しな話くらいで ながら視聴してるかもしれません。
でも、「暮しの手帖」の愛読者であり「すてきな日曜日」のコーナーに掲載していただいた者として今のところ全く「暮しの手帖」の特別感が微塵も感じられなくて悲しいくらいです。
久しぶりに書棚から掲載していただいた1993年の「暮らしの手帖」を出してきました。
「これは あなたの手帖です
いろいろのことが ここには書きつけてある
この中の どれか 一つ二つは
直ぐ今日 あなたの暮らしに役立ち
せめて どれか 一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底ふかく沈んで
いつか あなたの暮し方を変えてしまう
そんなふうな
これは あなたの暮しの手帖です
花森安治」
と冒頭に書いてあります。
そして、製造年月日と賞味期限、体温の正しい測り方のコーナーでは各メーカーの精度表があり、クリーニングの上手な出し方などなど・・・
広告欄がないのでどのページも本当に丁寧に作られている。
だから、このドラマももっと、もっと
丁寧に作っていただきたいのです。軽いコントまがいに扱わないで欲しいのです。
例えばですよ、例えば、日々起きる事への常子の思いを表す日記などの存在があって一日の終わりにメモ書きでも良いから常子が文章を書く場面でもあればドタバタコントも未来の編集へつながる感が出て現実っぽくなるのでは・・・と余計な事を考えてしまいます。
今の常子からは本の世界へのつながりが見えてきません。特に本が好きって場面もないし・・・
明日からは又、滝子と君子バトルの勃発!!! ととの声の出演でお涙頂戴になるのだろう。
「暮しの手帖」は外したらいいのに・・・
もはや「暮らしの手帖」創刊を期待する気持など、とっくに失せてしまった。
モデルのいない普通のドラマと考えても、あまりに面白くない。
作者が笑わせようとする所、感動させようとする所、
今のところことごとくが滑っている。
朝ドラだから辛うじて時計代わりにテレビをつけてるが、
これが民放なら一週目で見なくなっていただろう。
ドラマ自体が面白くなくヒロインにも魅力がないと、何処もはまれる部分がなくて、細かい箇所がどんどん気になってくるのは事実。
ともかくこの脚本家は選び出してくるエピソードがことごとく陳腐で新鮮味がなく、しかも主人公のキャラを浮き上がらせることに何も役立っていない気がします。
さらにエピソードの解決がいつも曖昧で、伏線が放置されたままになっていることも多い。
それとごく普通の常識がなかったり、その時代にしてはおかしなことも多いし、
脇役がきちんとキャラ立てされなくて、ただの場賑わしになっていたり、ヒロインアゲ要員に過ぎなくなっていたり。
ともかく雑だな・・とか底が浅いな・・とか、見ている間中、どうしても感じてしまいます。
武蔵さんや教授(?)が新種の事実をまったく知らなかった事が、
いくらドラマとはいえ、こんな大嘘を堂々とやる事に驚きました。
もう常子が味噌汁を作って「食事は大事だ」と言わせたい為がバレバレです。
時代も仕事も興味のあるし、風景や木場の場面なんかいい感じだと思うけれど、
子供じみた脚本と気を使わない演出が、美術さんらに負けているのが歯がゆいです。
「日常」という言葉や「ほっこり」の裏で残念に思える箇所が多いのです。
来週はぜひ「ほし、みっつ!!」と言わせて。
常子へのいじめも充分、陰湿なものだと感じたけど。
それでも負けない、健気に頑張る常子を描きたかったのは、分かったけど、安易だよね。
いじめもクラスメート全員からじゃなくて、一部の人達だけで良かったんだよ。
中田さん印象づけたいだけの演出にしか見えない。
不快なエピだった事は、間違いじゃないよ。
あの苛め事件も、そういえばまだ全然解決していないですよね。
向井理叔父もちょっと見てないな。塩をまかれたシーンだけが強烈だった。
あれもさっぱり意味わかんない。
なんか漫画でいったら一話完結のこち亀を見てるみたいだ。生活のたわいのないエピソードを盛り込み、最後は脇役囲んでガチャガチャ。
この脚本家、ストーリー仕立てより短編ドラマの方があってんじゃない?
星野君ご飯もろくに食べずに、あの新種植物ノートとともに地面ばかり見て探していたんですよね。
彼にとってあのノートが希望のノートであり
他の人が先に見つけるとか、教授に時々会いに行くなんて発想も行動もなかったんだなあ、とひっくりかえって、ご飯の大事さに気づいた時そう理解しました。別に脳内変換しなくても素直にそう
理解したから、ここであれはおかしいと言われてることが不思議。
あと、いじめ問題は逆にあれ以上何をするの?
あの続き描いてあのいじめっ子を成敗するの?
それとも、まだいじめ描写つづけるの?
陰湿ないじめに、正々堂々と正面から挑んで
綾さんとの友情も描いてるし、先生は不正はないって断言したし。
めっちゃ、きれいにまとめてたと思うけれど。
綾さんや星野くんがワンポイント出演で消えるならともかく、これからも常子と関わって影響与えるのも予想できて楽しみだし。
この脚本のどこがそんなに酷いかわかりません。
常子ってあの苛めに何か挑んでいましたっけ?
カンニング事件はあのままうやむやにされ、犯人は追及されてもいません。
綾とは友達になったかも知れないけど(それもしごく強引なやり方で)、
その後常子がクラスの皆から受け入れられた描写はありましたか?
普通の常識なら、カンニングの紙が後ろから投げられた時点で、常子が先生に事情を話し、その紙の筆跡鑑定がおこなわれたでしょう。
それを投げた子も試験を受けているわけだから、答案用紙の筆跡と照合すれば簡単です。
ともかくカンニングの件を追求することもなく、そのまま再試験になるという運び自体が不自然そのものでした。
常子と綾を無理やり仲良しにさせたかったのでしょうけど。
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