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あくまでも個人的な意見なのですが、このドラマって『花子の物語』ではなく『花子の日記』という感じだなぁ、と思う今日この頃です。
『日記』だからストーリーというよりも、色々なエピソードの積み重ね、という感じかと…。登場人物によって“面白さ”も変わるんですよね。今日は伝さまも来て何か面白かった~♪って言う日や、…ふ~ん、だから何?って言う日や…。でも淡々と日常を描くので映像の雰囲気も相まって「優しい」「ふんわり」という感想も出てくる。でもエピソードの積み重ねだから、登場人物に
よってキャラクターの描き方はバラバラ、一つの物語としては繋がりがない…。
物語はもっと主観的というか、一つの話の内容に上がり下がりがあって、登場人物に共感出来ればそれがドラマチックと感じる人もいるし、そんな感情的な話は朝から観たくない人もいる…。極端な例えかもしれませんが、「源氏物語」ファンと「枕草子」ファンの違いのような?古すぎますかね(笑)
私は否定的に観ていた者ですが、そう考えると好意的な感想にも頷けるようになってきました。
まぁ日記的なドラマもそれはそれで良いのかも、と思うようにもなったんですが、でもやはり「翻訳家」の人物を描く以上、「翻訳家」の仕事だけはしっかり描いて欲しい。
好きな洋画を観ていると、字幕と日本語吹替って、俳優の口の動きとかで、かなり和訳のセリフが違いますよね。同じ映画なのに、日本語の文章でこんなにイメージが変わるものかと驚いた記憶があります。日本語ってホント奥深い…。翻訳って難しいんだろうな、と感じました。
でも脚本家だって、そんな奥深い日本語を扱うプロフェッショナルだと思います。だから過去面白かったと言われるドラマには「名ゼリフ」が多い。良い文章は人を惹き付ける部分があるんでしょう。村岡花子さんという翻訳家もまた然り…。同じ日本語の文章を扱うプロとして、翻訳家の
仕事を描ききって欲しいです。
重箱の隅をつつくですか。違うと思ういますよ。単純に、面白いか面白くないかを書いているだけなんじゃないでしょうか。感じ方は人それぞれだから、批判もありだと思いうんです。
私は吉高さんの演技、全部同じに見えてしまって、感情がわかりにくいんです。ドラマが面白いかは、役者さんで決まると思っているので、残念です。
蓮さまと伝さまの再会と和解、タキ先生と梶原さんの再会と想いの確認。そしてかよと村岡父も郁弥の死という大きな悲しみを乗り越えて前を向き始め…。関東大震災を経て色々な変化がありましたが、そんな中、お友達や伝助さんの力を借りて花子と英治も会社を再建し、地道に翻訳や出版の仕事を続けているのがいいですね。よくヒロイン花子の影が薄いと言われるけれど、翻訳の仕事自体が地味な仕事です。自宅で毎日机に座り、辞書を片手に原稿用紙に向かって鉛筆を走らせる。家事や育児の合間に机に向かって仕事をする花子のそんなシーンが結婚以降は折々に描かれていますね。そして暇なときには歩くんや近所の子供たちにお話を聞かせて。地味でもそれが花子なのだと思いますし、それがしっかりドラマでは描かれていると思います。
来週はそんな花子に試練が訪れそうだけど、それをどう乗り切って後のアンの翻訳に繋げていくのか楽しみです。今は時勢がら仕事を選べず、梶原から回される児童書以外の翻訳で家計の一部を支えているようだけど、アンの翻訳までに他の有名作品の翻訳シーンも見られるのか。それも楽しみです。
>雰囲気よくないですね。
そうですか。肯定的意見も批判意見も活発なコメントが出ていて私はすごくいいと感じましたが。
お互いを中傷したりお互いのコメントの書き方がどうとかここの雰囲気がどうとか自分に合わない、とかじゃなくてもっぱら皆さんがドラマや役者さんに関して感じたことが書かれていてこれぞ感想サイトだと思いました。重箱の隅をつついてどうこう言うよりもさすがドラマがこれだけ進んでくると全体的に見た感想も多くなってきて読んでいて面白いです。
私にはこれが特に優しくて穏やかな雰囲気とかふんわりほのぼの、というドラマにはなぜか全く見えません。しいて言うなら非常に表面上だけそう見えるように作られているだけで実に底が浅いドラマだなと感じています。
一見優しそうに穏やかっぽく見えるのは現象としてものごとの結果のよく見える部分だけを並べて強調しているからだけ、と思います。人って本当の幸福感を得られるのはやっぱりいろいろな精神的、物理的困難や他の人との摩擦やら自他ともに葛藤を乗り越えた時こそだと思います。かよにはそういうところは少し感じられましたが、郁弥という相手との本当の心の通い合い、そこに至るまでのものがちっとも丁寧に描かれていなかったからいまひとつかよの苦しみもぐっとせまるものがありませんでした。
蓮子と宮本にしてもあれほどまでにして結ばれるまでにお互いの強い結びつきが十分に描かれていませんでした。
この両方ともかよが立ち直れてめでたしめでたし、蓮子と宮本もめでたしめでたし、ついでにタキ先生と梶原さんもめでたしめでたし。肝心な花子と英治も似たようなもの。結果的によく見えるようなものばかり並べていれば人としての苦しみのようなものを描かないのだからふんわり見えるに決まっていると思います。
好きな人はそれでいいと思いますし、好きなドラマに会えてよかったのでは、と思いますが、私はこれでは人間を描くドラマとしてはもう物足りないことこの上ないです。
芯が詰まってない張りぼてのお菓子のようなドラマという感じにしか見えない。
村岡花子は文学者でしょう?文学ってやっぱり人の喜びも悲しみも深く追求したところにこそ成り立つのだと思う。それは現代だから昔とは違う、というのではなく今の若い作家の作品だって評価されているものはやっぱりそういうものが多いです。表現のしかたはいろいろあっても。仮にも文学者を扱うドラマならそのあたりのことはやっぱり他のドラマ以上に意識していただきたかったですね。
朝ドラもいろいろありますが、そうですね。例にあげれば、この前のごちそうさんなどは人との争いも相容れないところも描かれていた。ヒロインの恋にも夫の幼馴なじみの強力なライバルも出てきた。いろんな意味で登場人物は苦しみました。でも一人ひとりのそれぞれが人とは違う個性を持った登場人物がヒロインの一貫した食への情熱を通してお互いの個性や夢を大切にしながら絆が生まれていくのがちゃんと描かれていて私はどちらかといえば最終的に人の優しさのふんわり、ほのぼのした部分がこのドラマよりずっと実感を伴って感じられました。たまたま前ドラを例に出しましたが、表面づらの優しさだけでなく人の優しさ、ふんわりしたところが実感できるドラマは他にもたくさんあります。残念ながらこのドラマはそういうものに匹敵するようには私は思えません。
とにかくこのドラマの上辺だけの絵に描いたような優しい雰囲気にはどこか嘘くさいもの張りぼての感じがもうずっとしています。
恋愛さえ思い通りになれば人は幸せ、そんなもって行き方にもとても狭い世界観、人間のごく一部の感情をピックアップしてるに過ぎないものを感じざるを得ません。
清濁飲み込んで人は大きく強くそして優しくなれる
そんなことをよく言われるけれど私はそれにはやっぱり真実があると思うなあ
この花子とアンというドラマはそういうことばと無縁の世界
人の本当の優しさなんて、そう安易に語れるものでもないと思う
喧嘩しなければ大きな声を出さなければいじめがないようなふりをすれば人は本当に優しい、って言えるのかなあ
否定的な感想が多いと雰囲気が悪いとか、否定的な感想を重箱のすみをつつくと言ったことを言い出す方がいますが、そういうコメントこそ雰囲気を悪くするコメントだと感じますね。
誹謗中傷があるわけでなく、ドラマに対する個々の感想が並ぶだけ。
自分と違う感想を嫌なものとしか受け取れないから雰囲気悪いと思うだけ。
ここのせいではなく、自分の受け止め方のせいです。
否定的な感想を悪口かなんかと勘違いしていませんか。ここはファンサイトではないです。
否定を読みたくないならお茶の間ファンサイトを利用されてはいかがでしょうか。
自分に都合のいい感想しか認めないように他の感想をアホとかバカとか書くような方も迷惑極まりない。この頃そんな人がいますね。
ドラマをいくら褒めてもそんなコメントする人ではドラマのファンではなくただ否定派を叩きのめしたいだけの悪質な利用者にしか見えないです。
脚本がバラエティっぽい。継続視聴者で登場人物の設定キャラを知っている人を使った、小ネタの羅列。安っぽい手法ですが、結構、人を引きつける効果はあります。でも、このドラマで何を書きたいんだ? 何を伝えたいんだ?
優しいって感じる人がいるんだからそれでええやんか、いや違うってその人の感性を否定するかのような反論は好きじゃない。やっぱり私はファンサイト向きなのかなあ?
冒頭の入道雲。そしてたくさんのてるてる坊主を裏切る大雨。
どうしても約束の海水浴に行きたいと駄々をこねる歩くんに、ひとひらの雲が夕立を降らせて人間や草花や動物を癒すお話をして聞かせ、傍らでそれを聞きながら英治がイメージの絵を描く。協力して皆を元気づける本作りをしている夫婦らしいいいお話でしたね。しかもその話からさらに想像の翼を広げて歩くんは夕立を降らせて死んだ雲は虹になるんだね、と。それを聞いて神童だと喜ぶ英治はまさに親ばかだけど、その点は花子の父吉平と全く同じ(笑)なかなか微笑ましい演出でした。
日曜日が晴れてみんなで海水浴を楽しめるといいですね。
今日はエアあややに似た手法のエア海水浴が出てきました。
エア~海水浴にはびっくりでしたが、思えばここでも色んな言葉が出てきました。
インスタントおかあ、コピット族、限界の向こう、鉛筆で書いたのはオラです、ああこれはセリフでしたね。
今日の歩くんで神童と騒ぐのはあまりにもですよね・・。
かなしい出来事の前にそれまで放置していた人物にスポットがあたるのもこのドラマの特徴ですが、あまりにもフラグがわかりやすすぎて、こんなかなしい感じが今週ずっと続くのかと考えてしまうとつい気持ちが萎えちゃいますね。
ちなみに、インスタントおかあ、コピット族、限界の向こう・・等々の言葉は好きです。こうやって掲示板で盛り上がれるのもかなり楽しめてるるのかもしれないですよね。
2014-08-10 20:50:58 名前無しさんの意見に同感。
このドラマに捨て駒なんていないと思いますよ。いるとしたら、吉平さんの愛人顔して甲府に現れたサダさんぐらい(笑)
よく花子の犠牲で不幸を背負わされている的に言われるかよやももも、自分で選んで道を切り開いている。本人たちは決して不幸だなんて思っていないと思います。
花子だって悩み苦しんでいる姿は描かれていたし、見る人にはちゃんと伝わっていますよ。
私はこのドラマがふんわりかどうかはわからないけれど、周囲の人に残酷というような指摘は当てはまらない気がします。
白鳥さま
捨て駒じゃないよね!
いつ出てくるかと楽しみにしてるんじゃ
エアー海水浴なんて予想していませんでした。
ちょうど今は暑くて海水浴のシーズンですね。
海で泳ぐ歩くんを想像して見ていたらとても
心が和みました。
インスタントおかあ、コピット族、限界の向こう・・
私にとっては、不愉快な言葉でしかありませんが。
いつも私も批判的に見ていますが
今日はほのぼのと見れました。
母親になって初めて本当の幸せがわかったという村岡花子さん
エピは違えど、本当に幸せ造なほのぼのとした放送でした。
でも、おとうもおかあも、まず村岡父と婿殿に
あいさつするのが礼儀なんじゃないかな
このドラマは、そういうところがちょっと雑ですよね。
>女学校ではいじめもない
甲府の学校ではいじめはあったよね。
花もいじめられていたし
屋根の件は相当悪質ないじめだし。
でも反省もしていないし謝ってもいない。
花子が体をはって止めたってことだよ。
インスタントおかあ、コピット族、限界の向こう・・
甲府のおかあの蓮子に対しての大袈裟な言動に驚いたのも事実だし、「あまちゃん」の方言よりも多用してた「こぴっと」や「てっ」をあざとく感じた人が多かったのも事実。限界の向こうは、それほど悪い言葉ではないと思います。脱落しそうになってもこの言葉で掲示板で活性化して盛り上がったら、ドラマ掲示板としても話題になるし悪いことではないでしょう。
脱落したい方は 脱落して下さって大丈夫です。
ドラマをみるときに、自分の好みと脚本力や演者の力量は別のもので捉えて観ます。
話は好きだけど、脚本にアラがあると思うこともあるし、きらいな話だけど脚本は練られていてすごいなと思ったり。
また、新人で芝居はうまくないけど、雰囲気はハマってると思ったり、うまいんだけど、イメージが違うと感じることも。
そうやってそれぞれ切り離してみたときに、花子とアンは雰囲気は好きだけど、脚本はダメだなと感じます。その都度思いつきで書いてるように見えてしまうので。
思いつきがうまいことはまればいいけど、ほとんどそんなことはなくて、だいたいどこかしらに大きな穴がある感じ。
演者はさすがの方々が脇を固めているので、それによってやはり脚本力のなさが目立つ。
吉高さんは悪くないけど、吉高さんじゃなくてもいいだろうなと思うかな。
だけどそれも花子らしさみたいなものがあまりに少ない脚本のせいだと感じます。
花子は控えめな女性にも描かれていないし、それでいてたいがい静かな反応ばかり。
これは表情豊かな女優さんというより、悲しみの表情がうまい女優さんでないと決まらないのかなと思ったりします。
吉高さんの底抜けに明るい表情はとても魅力的なんだけど、あまりないものね。
前の方のおっしゃる通り、甲府の両親。歩〜♡より、まずは村岡爺ちゃんに挨拶でしょう。ほんの数秒の尺だし、こういう所を省くのは確かに残念です。だからコピット族とか言われちゃうんですよ。
コピット族ってホビットみたいだね。
インスタントおかあ、コビット族、限界の向こう・・・等々の言葉、楽しい方はどうかお茶の間で盛り上がってください。あちらは雑談可ですから。こういうおふざけを楽しいと感じるのは批判的な方がほとんどで、掲示板全体の活性化になるとは思えません。
歩くんを囲んでの家族のシーンは和みます。
いつの間にかずいぶんきかん気になってますね。
でも、花子おかあちゃまの雲のお話にはすぐに目を輝かせ、雨が人や動物や植物を助けているんだという理屈にも素直に納得してました。その上に雨が虹になるなんて素敵な発想。
お父ちゃまが親ばかになるのもわかる気がします。
こういうほのぼのしたシーンは好きです。
今日は良かったので、久しぶりに☆つけてみました。
私にとっては、女学校卒業後では一番いい回でした。
花子の「想像の翼」、今までのものはくだらない妄想や自分勝手なイメージの押し付けに思えて残念だったのですが、今日の「ここは海」、単純だけど悪くなかった。
落ち込んだ気持ちを想像力で明るくしようという、花子なりの子育ての工夫を見たようで、歩には効かなかったけど好感がもてました。
雲のお話も、初めて「花子の中から生まれた物語」という感じがしました。
今までは語られるお話と普段の花子が結びつかなくて、とってつけたような、借りてきたような感じしかせず、何だか嘘くさかった。
今日は吉高さんの演技も自然で、花子の個性がやっと伝わったような気がしました。
水着を恥じらうところも大げさすぎないコミカルさでよかったな。
やっぱり台本に納得がいっているシーンは気持ちが乗るのかな?
それにしても歩くん、うまいわ。ふてくされた姿の小憎らしさ、お話をきいてやさしい心を見せたかわいらしさ、何といっても「してやったり」みたいなにんまり顔がすごい。
そして英治に似ているところがまた!いい子見つけたなー。
(余談ですが、はな、朝市、吉太郎、醍醐の子役も個性があって演技もよくてすごく素敵な子たちだったのですが、成長後の俳優に見た目が全く似ていなくてイメージ繋がらないのが残念だった)
表現の問題についてですが、言葉の使い方も多少の遊びが認められなければ息苦しくてしょうがないので、罵詈雑言は別として、あまり制限をかけるものでもないと思います。お茶の間でなければならない、という規範もないでしょう。
ただ、単に言葉を並べただけで、意見でも感想でも何でもないものは、ただの落書きに近く、確かにサイトの発展とか建設性の点からいうと、好ましいものではないと思えますね。参加者の立場から言うと、なるべくスペースは有効に使いたいので、あまり内容のない一行コメントのようなものは避けたり、細部をつつくようなコメントはお茶の間へ行こうか、という自制を働かせることも必要かな、と思います。
毎朝結構楽しく視聴しています♪
朝ドラで今まで嫌いだったドラマはないのですが(ハマり具合の上下はありますが)これはかなり好きな方。
まあ、朝は忙しいですしテレビにかぶりついて見ているわけではないので細かいところは流せてるだけなのかもしれないけど^^;
吉高さん自分の中での株が急上昇中です(笑)
おとうのキャラクターだから
歩くんていくのはいいけど
おかあまで挨拶なしではね。
一言お世話になっとります。って
なぜいわせないのかな。
海水浴のくだりや花子のお話しもいいなと
思ってみてたら
神童発言。それも父親にいわすか?
おとうがいうなら微笑ましいですが。
細かいとこていわれるかもしれないけど
そういう小さなシーンの違和感の積み重ねで
わたしには残念な点が多い。
かよのお店のシーンは良かった
吉高さんも良かった。
うれしいな明日は楽しい海水浴みんなで作ろうてるてる坊主
待ちきれない早くも着替え水着着るてるてる坊主晴れにしてよね
甲府からスイカを持ってやって来た爺やんばあやん一緒に行くよ
一夜明け土砂降りの雨雷も残念ながら本日中止
お弁当家で広げて海水浴まぶたの浜辺は太陽キラキラ
目を閉じてここは海だよ波が来る畳の上ですいすい泳ぐ
駄々こねてむくれて部屋に閉じこもりお話聞かせご機嫌を取る
暑い朝ひとひらの雲浮き上がり海から空へふんわり飛んだ
雲さんは下界の人を助くため夕立となり命失う
雲さんは雫となって消えた後お空の上の虹になったよ
子育ての合間を縫って原稿書き仕事にかまけ躾忘るな
ただいまと外から帰ってまず手洗いそれから後に美味しいおやつ
父母を自分の店でもてなして大丈夫だと安心させる
新しい翻訳頼まれ断れずわずか十日で終える約束
ママちゃまと僕の水着は同じ柄親子揃ってしまうま模様
それでは、明日
想像の翼を広げれば翻訳なんてチョチョイのちょいよ。と、この脚本家は思っているんだろうなぁ。
1939年に原書を受けて1952年に出版するまでの13年間の苦闘をたぶん最終週の数話で終わらすに違いない。
ナレ「そして戦争が終わって7年、花子はついに翻訳を終えたのです。それではごきげんよう、さようなら」
2014-08-11 12:41:09 名前無し
同感です
良く否定派の人は辛辣とか言葉が悪いと書かれていますが
肯定派の人の厳しさに尋常じゃないものを感じています(笑)
まるで売り言葉に、買い言葉のような短い返しにびっくりしています。
このスレでは、お互い様なのではないでしょうか?
自分はその時々で良くも悪くも感じたままを書かせて貰ってます。
今回は、久しぶりのお父とお母の登場で村岡家の親バカぶりと
宮本家の放任が対象的で面白い。
この王子様のように大切に育てた歩くんが、、という流れなんですね。
アンはいつでてくるのと
小学生の息子に聞かれる夏休み
今の歩ちゃんあんまり評判よくないんですね。
私は、変に聞き分けのいいお利口さんより
わがままなほうが子供らしくて好きだけど。
みんなから甘やかされて育った子供
楽しみにしていた海水浴
簡単に機嫌は治らないと思うし
想像の翼も、食べ物もだめだったけど
お話は大好きというもいいと思う。
花子のお話が大好きというのは王子と乞食の代わりの複線かな
(ネタバレになるのでぼやかして書いてます)
思えば
花ももももかよも、子供のころはいい子過ぎましたよね。
お子様は神様です、みたいなエア海水浴???
ほのぼのしてるってこと描きたいのだろうけれど見ていてもうなんだかお尻がむずがゆくなるようなお子様家族の風景。
まあこれがこのドラマのふんわり〈?〉世界感なのでしょうが、あたしは全く好みではありませんし、ついてけないもの感じながら今朝は流し見しました。
なんか・・・正直どうでもいいや、の回。
蓮子や伝助が出てきた九州や駆け落ち事件のことなど思い出すと同じひとつのドラマとは思えません。
吉高さん、見た感じはいいのですが、しゃべるとおかあちゃまという感じはゼロ。近所の子供のお守りをさせられてるお姉さんみたい。
この朝ドラはアンや翻訳に重点を置いてないんじゃないのかな?と思ってます。アンの話にこだわる方が多いのでしょうが短い話で終わりになる可能性が高いですね。
私はアンなんか知らないのでドラマを見るにあたり支障はないですね。
恋愛中心物語として楽しんでいます。
この吉高さんの花子は翻訳家としてよりも熱心な赤毛のアンの読者をモチーフにヒロインにしたような感じがします。
想像の翼を広げるという言葉も赤毛のアンの読者が使いそうな言葉のような気がします。
期待外れの村岡花子だと思う人達がいるのかもしれませんが、これはこれで楽しめる朝ドラだと思います。
子役ちゃんなので仕方ないけれど、なんだか無理やり演技させられてます、って感じが強かったです。
>肯定派の人の厳しさに尋常じゃないものを感じています(笑)
なんか、このドラマがふんわりしてるとかやさしい雰囲気とか言う主張が肯定意見に多いんですから、もう少しお好きなドラマにならって自分と違う意見に対してふんわりのびのびしていただけないものなんでしょうか。ドラマの雰囲気となぜか180度違う肯定派さんがいらっしゃるようで・・・(笑)
私は村岡花子の話にすごくこだわっているわけではありません。
しかしドラマとしてバランスやつながりが悪くてちっとも面白い
とか良いドラマだなあ、って感じません。
アンについてはなんだかそれも表面的な借用に過ぎない感じだし。
村岡さんにはこだわってないけれど、逆にこれだけ翻訳家村岡花子
にこだわらないならなぜ本名を使ってまでこういう話にしなきゃ
いけなかったのかはものすごく疑問です。
岡村花恵、くらいにしていただきたかったな。
ご本人への尊敬の気持ちとか文学や翻訳を少しでも理解しようという
感じが伝わってこない、こちらもそういう雰囲気にならないでなんだか
あちらもこちらも惚れたのはれたの、やれマイホームパパだの、なんて
のならわざわざ村岡さんのお名前引っ張り出さなくてもよかったのでは?
あれだけのことでわが子を神童扱い、ってもうどれだけ親バカ?!
かつておとうが他のきょうだいをよそにはなだけ神童扱いしてたけどはなは死にそうになった時辞世の歌まで詠んでたからね、まだわかったけどw
花子の回りはこんな男ばっかりなんだね
花子も英治もなんだかこども、こども、て騒いでるけどちっとも親として成長もしてない人たちみたい
花子中心になると話のレベルがどーんと落ちる
蓮子のほうもなんだかフツーの人になってはいるけれどお姑さんも出てきて(案外心根は良い人っぽいお姑さんだけど)なんとなくうまくかわして以前とは変わったなあ、って感じられるからこっちのほうがやっぱり見てておもしろいわぁ
宮本も成長してカッコよくなることを願ってます
なんで、郁也の求婚からいきなり戦争にまで、話が飛んだ?その辺りからつまんなくなってきたな、このドラマ…それまでは、「純と愛」「あまちゃん」「ごちそうさん」と続く中で私が観てきて一番朝ドラらしいと思えるドラマだったのに…
花子さんのご主人は花子さんを「はなちゃん」と呼んで居たとか…。あの時代に奥様を「ちゃん」付けで呼ぶなんて、ハイカラな方だったのでは?と思います。私が想像する明治大正昭和の時代と違った 書籍や画像では解り兼ねる 村岡家ならではのエピソードを知りたかった。あまりにも、脚色し過ぎて、本当のエピソードを入れても フィクションと勘違いされてしまって居ます。そのエピソードも今の時代ではあり得る事もあったりするから、大正の時代に それはないだろう。と…。ある方の話によると、道雄君は、かなりのやんちゃで お手伝いさんを困らせて居た。とか、道雄君は、とても良い子で 大人しい子だった。とか…。そういう些細な事は ドラマには関係ないのかも知れませんが、村岡夫妻の真意がかき消されてしまっているストーリー。視聴者(感想投稿する人)が勘違いする様な脚色は やめて欲しいです。
>想像の翼を広げるという言葉も赤毛のアンの読者が使いそうな言葉のような気がします。
いえ、これは大きな誤解です。そんなことはやりません。
原作の中でも、これはあんな普通に簡単にほいほいと使うような言葉じゃないんですよ。子どもに向かってなど、もちろん言いません。
主人公のアンは飛びぬけて空想好きな女の子で、授業中にぼんやりとロマンティックな冒険譚を創造していたりするときの自分を称して言う言葉です。あと、自分が窮地に陥って相手の大人に「どうか想像してみてください」と懇願するような時に出てきたかな?
この記憶は定かじゃありませんが、もちろん相手は、そんなもって回った言葉をわざわざ使って自分をバカにしてるのか、と怒ります。
この言葉は、原作においても、そういう極めて特殊なフレーズですよ。ですから、花がふつうの日本語の会話をしているときに、突然ミュージカルが始まったごとく「ほら、想像の翼を広げてみて~」とやるたびに、なんだかぞくぞくっとしてました。赤ん坊を取り上げられて憔悴している蓮子にまでそれを使ったときは、「もっと短い誠実で率直な言葉をかけろ!」と怒りすら感じました(脚本に)。
この脚本家は、アン(かアンの読者)に共感できなかった、と言ったそうですが、さすがにそれだけのことはあります。他のアンの要素の組み込みも、だいたい失敗してますね。浮いて浮いてしょうがありません(最近何度もあがっている「ゲゲゲ…」ですが、これがうまくやっているのと対照的です)。そもそも、共感できなくて、どうして作品なんぞにできるのかも、大きな疑問です。
今日の回
まずおかあだけでも挨拶しよう
そのほうが良家がうまくいってて
より幸せ感が増す
神童といわせるのはやめよう
せめて花子さんに似て想像の翼があるんだな
ぐらいに
神童といわせたいならおとうに
蓮子さん
長男に子どものこと聞かれたら
あんな露骨にくちごもったら
子どもが怪しむじゃないですか
まだおばあさまとは一緒に住んでなかったのよ
と子どもにはさらっとながして
蓮子さんは複雑な表情でいいんじゃないかな
中園さん
わざとあざとく突っ込みどころいれてませんか
アンの話しもひっぱって・・・
視聴率は伸びていく。
一般人の身分で大脚本家さんに
だめだしとかおそれ多いですが
思いれがないか、投げやりになってるか
わざとやってるか
とかんぐるぐらいおかしい
話に思い入れが…無い感じがすっごく伝わってきますね。どうゆうつもりで書いてるのか、お聞きしたい。
逆に、美術、衣装スタッフには小物ひとつにも思い入れを感じます。
脚本は本当にひどいと思っていますが、着物は本当に綺麗やしな。似合ってる。だけに、本当に残念…本当に
脚本が中園さんではなくて、スタッフが今の方だったらなぁーと、想像の翼を広げてみました。
赤毛のアンのファンの方が多く?投稿してるので私もこの年で読んで見たのですが、共感はできませんでした。
少女の頃に読んでいたら吸収できたのでしょうが、赤毛というタイトルが好きになれなくて読まなかった記憶があります。
中園さんが共感できなくてもおかしくないと思いますけど、アンファンからしたらいろいろご不満が積もっているのでしょう。
花子の転機となるこの週はドキドキしてましたが。噂の歩くんに和みました。
アンのアニメ、あまり好きじゃなかったんですよね。わたし。
今作も、ただ、朝ドラだから流れで見てるんですが。
だから脚本家がアンに興味あろうがなかろうがそんなのどうでもいいんです。
ただただ、脚本の物足りなさで、このドラマはクオリティが低いと思うだけです。
小道具やセットはとても素敵だし、前作の時にも楽しみだったお着物の着方も同じように楽しみです。
なんていうか、ラッピングはレトロで可愛くておリボンも素敵で、どんなプレゼントなんだろうって開けるまでワクワクするんだけど、開けてみるとマトリョーシカみたいに立派な箱がどんどん出てくるばかりで、中身は何も入ってなかった、みたいな気持ち。
綺麗な箱がたくさん出てきて、それが楽しくて喜べる人もいれば、肝心なプレゼントがないことにがっかりする人もいるって感じかな。
2014-08-11 19:40:32さんのおっしゃっていることの意味がよくわからないのですが(どうして一視聴者がアンに共感できないから中園さんが共感できなくてもおかしくない、となるのか、また、そのことがこのドラマとどこがどう関係するのか)、ご説明いただけますか。
また、コメントする人についてのコメントが出始めていますね。今までも何度も注意がありました。感想に集中しましょう。
あ、ちょっと順番がおかしくなりすみません。質問、反論はご自由です。
2014-08-11 19:40:32 名前無し です。
取り消します。
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