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別に史実通りに見たい訳ではありません。
ドラマとして成り立ち、面白ければそれでいいと思います。
でも、蓮子が宮本の駆け出し弁護士の稼ぎで食べさせてもらい、姑に家事を叩きこまれる展開って…。
世の奥様たちが姑エピを入れたら、食いつくだろうなぁ〜っていう、制作側の意図が見え見え。場当たり的な発想にしか思えません。
そんなだから、伝様との飲み代を自分のお金で払いたいと主張する蓮子にはてなマークの嵐になるんです。
あんた、それ、宮本の稼ぎ?それとも伝様のお金で出版した歌集の印税?って。
もうメチャクチャ。
お嬢様暮らししか知らなかった蓮子が、家計のために歌人として働いて苦労する。
そこで、かつての主人の凄さや優しさを理解し、だからこそのあの場面ならまだ納得がいきました。
まあ、私としては伝様再登場は余計だと思っていますが。
「てっぱん」から朝ドラを見ていますが(純愛は忙しい時期と重なり見てませんが)、花子とアンが一番苦手です。
私も花子とアンはもしかしたら直接的に不快感まで感じてしまった純と愛より苦手です。
モデルになってる人々への敬意を欠いてその場の人気取りを優先するような製作姿勢、そしてあまりに稚拙な技術力の低い脚本の作り方、両面から非常に苦手な朝ドラです。
それらが純と愛のようにあからさまに出されずにどことなオブラートにくるんだり、甘いクリームでごまかしているような見てくれになっているところがよけい苦手だし嫌いです。
蓮子さんの台詞、「一杯やりませんか」「私の稼いだお金」にも違和感。
華族のお姫様だった人が、使う言葉とはとても思えません。
「稼ぐ」って言葉ではなく、例えば
「私の作品が世の中に認められて、お金をいただく事ができましたの。
゛働いてお金を得られる″って尊いことですわね。」
「これまで私はお金もうけを下品なことだと毛嫌いしてきましたが、それだけではないことを知ることができました。」
とかね。(想像の翼を思いきり広げまくりです(;^_^A)
女学校時代、桜の舞い知る中、颯爽と登場した蓮子様の気品を大切にしていただきたかったです。
おでこにチューは、ありえません。( ̄△ ̄)
おでこにチューは吉田さんのアドリブだったとかここで読みましたが、吉田さん思わぬところで現代男モードになっちゃったのか…仲間さんの蓮子に本気で惚れちゃったのか…吉田さん好きのわたしとしては全面否定をするのは抵抗があるもののしおうにさんのおっしゃるとおり冷静にちゃんと考えるとこれまでの伝ちゃんからしてありえない演出かと認めざるを得ないです(涙)
昨日のスタジオパークに待望の醍醐亜矢子〜高梨臨が出演!
この人、髪を下ろしたら違う魅力が漂う久々に出現した宝石のようです。
仲間とは違う気品と華やかさをもっていて若い頃の鶴田真由を彷彿とさせる今一押しの女優だと確信しました。
醍醐のトレードマークになりつつあるリボンは彼女自身の発案だったことも判明。
視聴者のメッセージにあったがこのドラマに出る全ての女優の中で一番魅力的だと思います。
このドラマの後の高梨臨の成長が楽しみですが、関係者は逸材である彼女を大事に育てて貰いたいものです。
エピソードで将棋ガールというのもツボにはまりました。
醍醐さんのことは、お茶の間でも話題になっていましたね。
華やかな雰囲気で、今後も楽しみです。
震災の後のリボンについては、自分でも疑問だったとのこと、やはり、きちんとした常識をお持ちなんだなと、ほっとしました。
あちらでも指摘がありましたが、脚本については、やはり役者さんも疑問に思うことがけっこうあるようですね。
村岡父役の方もそうでしたし。
やはり、見ていておかしいな、と思ったら、役者さんも同じように感じているんだと、わかりました。
演者の演技が、どうも今いちのってないな、と思ったら、脚本に納得できてない場合もあるんでしょう。これから、ちょっとそういう新しい見方もしていこうと思います。
第一回目の放送で、花子が「アンと私は似ている」ような事を言って居ませんでしたか?なので、「はなこと呼んでくりょう」や石板事件が納得いったし、楽しみでもありました。赤毛のアンを思わせるエピソード満載!宣伝文句に踊らされた私がバカだったのでしょうか?昨日の放送で蓮子さんが「帰る家がある 云々」の台詞は、アンが言った言葉らしいですね。なんか、アンとは関係ない人物が言ってしまうと、ガッカリ感ばかりつのります。と、すると朝市の「一生懸命やって勝った 云々」も言えなくなってしまいますが…。やっぱり、ど〜しても「花子とアン」と言うタイトルに引きつけられた私には、吉田鋼太郎さんや仲間由紀恵さんが素晴らしい演技をなさっても この物語を素直に楽しめないんです。アラ探しをしたいのではないんです。しかし、回を重ねる毎に文句言いたくなってしまうんですよね。みなさん それぞれ楽しんでいらっしゃると思います。水さす様なコメントごめんなさい。
役者さんたちも疑問に思っている説、なるほどです。
そして、私のコメント「おでこにチュー、ありえない。」に賛同くださった方、ありがとうございます。
吉田さんも疑問が積み重なり、限界の向こう惻までとんでいってしまわれたのですかね。冒頭の「はあっ!?」にそれを感じました。
こ、今度は、と、富山先生が・・・BS見てますが。(頭痛)
ついに新会社の設立よかったですね。まさに花子と英治夫婦二人三脚での手作り本。「郁弥の思ひに捧ぐ」の辞が切ないけど、印刷作業に打ち込む村岡父も含め、未来への希望が感じられます。
富田先生と梶原編集長の再会は大人の味わいがありました。互いに忘れられない思いを心に秘めつつ過ごしてきた年月が台詞や表情の端々に感じられて。これからまた大人の付き合いができるといいですね。
かよの心の時間もようやく前に進みだしました。花子が郁弥がしたように忘れな草をそっとかよの髪に差したのも、郁弥の好きな花の種をそっと父親が庭に植えいていたという逸話も素敵でした。
悲劇を経てみんなが希望の未来に目を向けたいい回だったと思います。一日が気持ちよく始まります。
おでこにキスは、いいなと思いました。
異国の女性とのラブアフェアで、伝ちゃんの愛情表現も幅が増えたのでは〜、などと思いました。
蓮様にとっても、伝ちゃんは額にキスされるくらいなら、不快な違和感もない存在に昇格したのだろうな。
伝ちゃんと蓮様の和解?歩み寄り?は、ぜひ見たいと思っていたので、満足です。
今日は、かよの時間が動き始めたようだし、タキ先生にも変化の兆し。
ほっとして、一日が始まります。
当時の印刷技術を知らないで申し上げるのは、大変失礼かと存じますが…。社長と相談役のお二人で一枚一枚ご丁寧に印刷されてましたね。何百頁もありそうな単行本。どうやって仕上げるのでしょうか?花子の自宅に建てた出版社兼印刷所は、印刷するだけなんですか?製本は?震災前に働いていた村岡印刷の職人さん方は、どうされてるんでしょうか。今も昔も仕事がないのは死活問題ではないでしょうか?社長を頼って…。と言う方はいらっしゃらなかったのでしょうか?登場人物増えたり、話がややこしくなるからそれはナシ。なのでしょうか?私が大事と思って居た話も割愛されてしまいましたから。余計な事はナシ。なんですね。
かよが郁弥の思い出として忘れな草を見ていることが周知の事実みたいになっていて???となりました。
富山先生は梶原さんが離婚したの知ってるのかな?また会うって、不倫じゃないのを知っているの?
なにか、こういういつの間にかわかってることになっている。みたいなのも、このドラマって多いですよね。
本ができた時に、村岡花子訳の文字に嬉しげなのも不思議な感じ。あんなに郁弥のため郁弥の夢って言っていたのに、自分の名前?って思ってしまう。
元々郁弥の夢、って扱いも違うよね?と思っていたので、共感できず白けてしまった。
映像や役者さんたちの芝居は優しい雰囲気を出していて悪くないけど、ここでもやはり脚本のゆるさに疑問が絶えない。
史実になかった蓮さまと伝ちゃんの和解はおでこにチュも含めて最高でした。視聴率も高いと予想してます。
賛否があるのでしょうが、こういうふうに描く中園さんを見直してます。
震災後は会社再建とかよの立ち直りなど、まえに進む描写が出てきて朝の気持ちが明るくなります。順風満帆ではないのが花子の人生なんでしょうが。
やはり「アンは私に似ている」と言ってましたか。想像通りですね。
それで最後は、自分の回想を交えながらアンの翻訳場面を映しながらか、出来上がった本を手にして終わり。白蓮の方は、年取った醍醐さん(林真理子氏の可能性あり)がルポルタージュをまとめて終わり。
...目に見えるようです。これが「花子とアン」というタイトルの意味ですか。
アドリブでおでこにチュー…おお、吉田さんまでやっちまったんですね。いまはほとんど見ていないので、ここをのぞくたびに、相変わらずびっくりさせられています。
今日は、もう本が出たとか。たしか昨日資金繰りの話だったと???
モデルになったご本人は、お友達ではないので。どんな方だったのか?私には解り兼ねますが。石炭王の伝助氏にみんなが群がるのは、財力のおかげ。もあったのではないでしょうか?特に芸者さんとかは、支払いの良いお客様について居たのでは?金髪女性が夢中になる。と言うのも解らなくはないです。このドラマの中にもあったではないですか。葉山伯爵から離れて行ってしまった使用人達が。今も昔も、「やっぱり世の中お金よ」と言う方、いらっしゃるんだと思います。「金に物言わす」のは嫌だ。と言う方のコメント拝見します。それは、その方の感想なので良いと思いますが。私は、星の数程居る人達。「お金!お金!」と言う人も居ても良いのではないか?と思います。伝助氏を演ずる吉田鋼太郎は素晴らしいと素人ながらに感じます。朝ドラ「花子とアン」ではなく、「白蓮事件」のドラマか映画で拝見したかったですね。
やはり昨日の視聴率は25%越えですね。
白蓮事件で視聴率をとってるのがなんとも?でありますが、吉田さんあっぱれです。
花ちゃんのこれからに感動させてください。元気をもらってる朝ドラです。
勿忘草
いくやの好きだった花を育てる父親
かよちゃんの思い
それはよかったんですが
髪にさしたのが造花とまるわかりで、がっかり。
いっときのガチャガチャぶりからはちょっと落ち着いたような気もしますが、やっぱり星は一つ。感想は…もう何度も同じ事書いてきたから疲れた。同じ事ずっと言ってるって言われちゃうし。
伝ちゃんあれアドリブやったんかーい!!私は嘉納伝助の描き方良すぎるくらいなのが不思議でしたが、NHK会長か誰かが筑豊出身だという噂を聞き、このドラマらしいなぁと思いました。
伝ちゃん好きだし、伊藤伝右衛門ファンだったので良いんですけどね。
しかし、伝ちゃんあれアドリブやったんかーい!
ドラマとしてのストーリーも面白いし、出てくるキャラクターも魅力的だし、何より演技陣が素晴らしいと思います。
脚本家、演出家が役者の良さを引き出していますね。
ただ今のところ宮本だけが他の登場人物に比べて幼稚で魅力に欠けますが、これからの蓮子さんとの生活で光る部分が出てくるのではないかと期待しています。
忘れな草と言えば昔「赤い疑惑」(知ってる人いるかな?)というドラマで主人公が最愛の恋人と最後のデートの時に船上で歌っていたことを思い出した。もしかよが忘れな草を見つめている時に「忘れな草をあなたに」のBGMが流れていたら涙が出ていたかも。それにしても村岡の父が庭に種をまいていたとは粋なことをしてくれるではないですか。かよさん、早く立ち直れるといいですね。
忘れな草は郁弥がカフェを訪れる時、いつもかよに贈り物として髪に差してあげた思い出の花ですよね。見てすぐに私は忘れな草だと分かりました。
梶原は以前、富山先生に再会した時に、意志に反して親の勧める女性と結婚したが、今は独り身になったことを告げています。それであらためて富山先生にプロポーズしたものの、富山先生がお断りしたんですよね。自分は教師の道を生きると言って。
単行本出版に関しても昨日の回で、郁弥さんの夢であり私たちの夢でもある、って言っていたと思いますが。翻訳書で初の単行本化が訳者である花にとって嬉しいものであることはごく自然です。
王子と乞食の原作者の名前が書かれていませんでしたが
いいのでしょうか?
>単行本出版に関しても昨日の回で、郁弥さんの夢であり私たちの夢でもある、
史実とまったく変えてしまっているので
私には白々しく見えてしまいました。
本の出版は史実のほうが感動的かと思いますので。
というか、村岡父やかよちゃんからは悲しみはよく伝わってきましたけど
村岡夫婦からは何にも伝わってこなかったんですよね。
郁弥さんの夢であり私たちの夢じゃなく
私の夢のほうが大きい感じがしてしまいました。
今日は富山先生と編集長とのシーンに思わず涙が。
何かあった時に一番最初に思い出す人って
きっとその人にとってはとても大切な人ですよね。
お互いに、そのことが改めてわかった今
止まったままだった二人の時間も動き出すんじゃないでしょうか。
かよちゃんもたくさんの忘れな草を見て
自分も前に進まなきゃと思ってくれたみたいで、本当に嬉しいです。
村岡父も張り切っていますね。 それぞれがきちんと前を向いて歩いていけそうで
今日は、素晴らしい回だったと思います。
伝助のおでこにキスはアドリブにしてもなんだかな、と感じましたがここで外国人女性とつき合ったから愛情表現も広がったのでは、というコメントを読み、ああそれは言えるかも、もしかしたらそれを踏まえて吉田さんのアドリブだったのか、と少し納得しました。このドラマの延長線上ならそれもあり得るな、と。
しかし、元々伝助が外国人とつき合う、という設定自体がむりやり花子との接点(手紙を訳してもらう、という)を作るための設定ですよね。ドラマ上の都合とはいえ、伝助と花子をむりやりからませることでなんだか伝助のキャラは相当ブレたと感じます。基本的に伝助がやさしいいい人、花子が人の心を開かせるような明るい人物、ということを強調するためでもあったかとは思いますけれどやり過ぎ感にうんざりします。
香澄や郁弥、醍醐や学友たちのからませ方もそうなのだけれど、どうもこの脚本はヒロインとほかの人とのからませ方がわざとらしくて上手くないですね。非常に不自然だし表現が過剰だったり逆にまったく不足していたり。この点ひとつをとってみても他の朝ドラなどと比べても描き方が非常に稚拙だと言わざるを得ません。
ドラマが嫌いだからそう見えるのではなくて、こういう描き方の過不足が多すぎるので、自然に話の流れやキャラの言動についていくことができず、断片的な俳優さんたちの好演にもかかわらずドラマの自然なストーリーの流れを大事に考える人たちの中では好きになれない人が出てきてしまうのだと思います。
とにかく全体的にドラマの内容の充実よりも視聴率狙いのその場その場の話題性を優先している作り方。こういうのを良質ドラマとは言えないと私は思いますし、昨日危惧されていた方と同じようにこういう手法がドラマの主流になっていくことはドラマ文化にとってけして芳しいことではないと感じています。
とうとう会社を設立して「王子と乞食」の出版までこぎつけました。
暗く悲しい時でも夢を共有して希望を持って頑張る二人、良かったです。
周囲の方々が賛同していきたくなるのはそういう姿勢が見えるからなのでしょう。
ご都合主義的にトントン拍子なのではなく、スタンドプレイはなくとも、人の良さ、性格の良さが周囲を巻き込んで結実していく過程なのだと思いました。
拒絶と否定、ぶつかりあって進むのではなく、同調と肯定、理解しあって未来へ向かう感じがモデルの村岡さんご本人や創造した翻訳作品群の世界観とオーバーラップしているようで好感が持てます。
かよも本が出来上がったことで気持ちに区切りがつきそうで良かったです。忘れな草のくだりはきっかけが村岡父だったのに胸を突かれました。悲しみに落ち込んでいても思いやりある方だったのですね。
雨上がりの日差しがとても綺麗で、未来へ向かう様子を美しく表現していて、理屈でなくダイレクトに心に響くものを感じました。
多くの視聴者が惹かれるのはこういうところなのでしょう。
震災という不幸をきっかけにタキさんの人生も動き出しそうなのも微笑ましく、時代の世相もあったのでしょうがずいぶん頑なだったようですから、うまくいって欲しいなと思いました。
「最上のものは未来にある」
この言葉が出来た本当のいきさつは存じませんが、このドラマで耳にした、明るい未来を志向する健全な思いが感じられるこの言葉が気に入っています。
ドラマではこれから更に暗い時代、どう乗り越えていくのか楽しみです。
>拒絶と否定、ぶつかりあって進むのではなく、同調と肯定、理解しあって未来へ向かう感じがモデルの村岡さんご本人や創造した翻訳作品群の世界観とオーバーラップしているようで好感が持てます。
この感想はとてもいい!いいね!があればさしあげたいくらいです。
こういう肯定派の感想が大好きです。
きょうは全体的に普通のドラマ、という感じでよかったと思います。
王子と乞食の単行本が出来上がりその予約第一号が朝市。相当わざとらしくはありますが、朝市、武、花子という幼なじみ3人が方言でやり取りする場面に和みました。
村岡父子もここに至って初めて印刷屋さんとして直接的なお仕事の場面。こういう場面は郁弥も含めてもっと以前から見たかった。花子のための王子と乞食を出すのが郁弥の夢、のようなもって行き方はいかにも花子持ち上げのようで不自然ですが、そこに家業の印刷会社再建、というのが関わってくればもっと説得力も増した気がします。この一家は印刷業といってもこれまで工場や従業員とのかかわりが映されるでもなくオフィスだけのまるで架空の印刷会社みたいでしたから。なんだか今日はじめて村岡親子が印刷屋だったのだという実感がわいた感じですよね。まあ上でおっしゃってる方もおられるように製本は一体どうしたんだ、とかの疑問はありますがそのあたりは脳内完結でもOKの部分かな、と私は思います。
これからも美しい本を作る、という英治のことばもよかったです。文学者のドラマなのですからこういう本に対する愛情を表す場面はすごくよいと思います。
雨上がりの光の中で村岡父が郁弥を思って種を蒔いた忘れな草が咲き、それを見てかよが前を向いて歩いていく気持ちになる、とか震災でお互いの無事を何より思ったというタキと梶原の再会もよかったです。映像もそれぞれきれいでした。
全体的にどこもかしこも男女の恋愛、というもって行き方にはちょっと辟易する部分ありますが、きょうのような展開は悪くないな、と思いました。
しかしなんだか花子というヒロインに焦点が当たった部分に限って見栄えがしない、話がどこか不自然だし、吉高さんよりも今日も脇の黒木さんやともさかさんのほうがずっと内面の表現が上手い、と感じてしまうところがこのドラマはなんとも残念です。
先週から村岡父の動向に目が離せません。今日の郁哉に出来上がった本をお供えした時の、感無量…でも悲しみを秘めた眼にジーンときました。史実ではもう亡くなっているのに、ドラマでは生かされている人物です。今後の人生が穏やかで幸せであるように願わずにはいられない。
かよが立ち直って行く過程も良かったです。じっと郁哉の時計を見つめるシーン、画面ではほんの一瞬で明るくなったけど、かよは一晩中暗闇の中でああしていたんですよね。そして、空が明るんできて外に出てみたら忘れな草がたくさん咲いていた。本当に美しいシーンでした。
>多くの視聴者が惹かれるのはこういうところなのでしょう。
この一文、同意です。私、結構このドラマには納得いかないことが多いのですが、こういう所はすごく好きです。
そしてかよを励ましたり慰めたりするのではなく、そっと花を髪に差してあげる花子に優しさを感じました。今週ずっと何も言えなくて、遠巻きに落ち込むかよを見つめているだけだった花子ですが、何か言葉をかける以上の見守る愛ってことだったのかなと、このシーンのお陰で思うことができました。
花子が他者に大きな愛を見せる時は、このドラマを優しいドラマだと心から思えます。なぜか英治との恋愛の時などは、そういうものが私には一切感じ取れなかった…。今日のようなエピソードを今後、もっとたくさん見たいものです。
最後に…久しぶりの富山先生。ともさかりえさんが好きなので嬉しかったです。すごく演技のお上手な方だと思います。若い頃演じられた、自閉症の女の子の役は圧巻でした。今日も短いシーンの中でがっちりハートを掴まれました。涙を堪えながら、梶原さんの無事を喜ぶ姿…良かったです。
昨日は蓮子と伝助の和解、今日は富山先生と編集長の恋の再燃…なんだか少しずつ話がまとめに入ってきた感じですね。でも花子にはこれから、最大の試練があるんですよね。今日のようにじっくり心の移り変わりを描いてくれたら…と願っています。
かよやお父さんの心境など今日は穏やかでありながら、ものすごく文学的なものを感じました。
本を作ることで多くの人が励まされる。これぞ花子とアンの真髄だと思います。苦境にめげず多くの人が喜ぶ本作りを目指す花ちゃん、これからが大変な曲がり角になるのでしょうが応援してます。
今日のようなある意味文学的な雰囲気がこれまでに描かれていればこのドラマも支持意見がぐっと増えてたことでしょうね。
一貫したものがドラマには必要だと思います。
残念ながらこれはそれができていません。今日よくてもまた落とされる、ということがこれまでも何度もありました。
特にヒロインの花子中心の話に文学性がないのが致命的だと感じます。
期待を持ってこれからでも持ち直してくれることは願いますが、全体的に見た場合やはりこれが文学者を真摯にとらえたドラマとはおそらく見えないことでしょう。
「最上のものは未来にある」はドラマでもありましたが
本当に卒業式の時校長先生が送った言葉です。
「今から何十年後かに、あなたがたが学校生活を思い出して、あの時代が一番楽しかった、と心底から感じるなら、私はこの学校の教育が失敗だったと言わなければなりません。人生は進歩です。若い世代は準備のときであり、最上のものは過去にあるのではなく、将来にあります。旅路の最後まで希望と理想を持ち続けて、進んでいく者でありますように」
2014-08-08 14:09:18 名前無しさんが引用してくださった校長先生のおことばは視聴者というよりこのドラマの作者さんに心から理解していただきたいものです。希望と理想は大事ですが、それを持つためにはきちんとものごとを考え整理していくこと、それが大事、ということは校長先生は日々の教育の中で教えてこられたことでしょう。
今日は清々しく心動かされた回でした。
「最上のものは未来にある」と繰り返すブラックバーン校長
「生涯あなたの生徒です」と答えた花子
止まった時間が進み始めたかよ
生死の心配にあなたのことが真っ先に浮かんだと告白したタキさん
それに応えた編集長
そう言えば伝助と蓮子、宮本君もけじめがついて前に向かう感じでした。
もう大団円に向かう足音が聞こえるそうだと思ったのですが、これから戦争に突入。翻訳者には辛いだろう時代がどう描かれるのか、期待しています。
でも、今まで優しいエピソートが積み重ねられたほんわかとした印象のおかげで、嫌な感じにならないような気がするのは、制作側の真摯な姿勢のおかげでしょうか。
ヒロインの印象が薄いとの意見が多く、演じている吉高さんもかなり抑えめな感じですが、それでも真面目さ、人の良さ、一途さが見えて、モデルの方の雰囲気もひょっとしてこんなだったのではないかなと思って勝手に想像しています。
綺麗な映像と音楽、間合いのいい効果音(?)もあって、これからも楽しみです。
今日はいい回でした。
ブラックバーン校長始め、タキさん、花子、かよさん、同級生の皆様方、そして蓮子さん等々、外見だけでなく何と言うか「綺麗な」方々だなあと思いました。
「最上のものは未来に」
いいですね。
2014-08-08 14:09:18 名前無し さん
全文載せていただいてありがとうございます。
本当に卒業式におくられた言葉だったとは知りませんでした。
心のこもった、素晴らしい送辞ですね。
ますます好きになりました。
ブラックバーン校長と花子の関係は女学校時代でしっかり描かれているので(このドラマ内比)花子が今日はよくみえました(笑) 忘れな草いいんですけど、村岡父は種をどうやって手に入れたんだろうというのは意地悪な見方なのかな。
でも全体的に今日はよかったですよ。手刷りは気になったけど。ちょっと従業者がどうみてもたりない……すんません。わたしも昔の製本方法は知らないんですけど、あれじゃ一冊いくらするのと変な心配をしてしまいました。
これからの飛行機の進歩は世界を平和に導くか、戦争をもっとも悲惨にするか、どちらかです。
この言葉も校長が言った言葉です。
ドラマと違い、女学校時代に
最新式のアメリカ製の飛行機が学校の上空を飛んでいるのを見て話されたそうです。
ドラマに対して私もいろいろ思うところはありますが
校長が花子に話したこの二つの言葉を
なかったことにされなくてよかったと思いました。
いろんな人がいいな、と感じる部分がある時は説得力を感じる肯定的なコメントも増えるものですね。
何が何でも批判、とか叩くとかのコメントは今回ほとんどないのでやっぱりドラマしだいだし、よく見てくれている視聴者がいるというのは作った人は幸せなのではないでしょうか。厳しい見方も真摯に受け止めて頂きたいですね。でもいろいろ振り回されてポリシーを変えて欲しくはないです。ってポリシーがあれば、の話ですが。
私自身も今日はごく普通のドラマという感じで(こう言うと普段がそうじゃないみたいだけど、まさにそういうことなんですがw)安心して筋が追えました。ただ、いままでのいろいろな展開を見てきているので今日よかったから、と手放しでほめることはできないな、と感じてます。基本的に脚本が村岡花子の話としては失敗してると感じていることは変わりません。
花子の穏やかで優しい性格が伝わってくるという方もおられますが、私にはむしろ主体性のない女性がなぜかまわりのお膳立てでなんだかなんとなく友情でも恋でも仕事でも家庭でも成功しちゃいますよー、って言うようなドラマにしか見えません。
見ていて何から情報を受け取るか、の違い、感性の違いかもしれません。
花子にリアリティが感じられない
お嬢様たちのをうらやむこともない。
妬むこともない。
級友たちと違う粗末な着物にみじめに思うこともない。
生まれを恥じることもなく、
伯爵のお姫様や婚約者を堂々と実家に泊める。
(甲府の中でもかなり貧しくみすぼらしい家なのに恥ずかしがっていない)
カーネの三姉妹と花子の三姉妹を比べると、作風の違いがはっきりする。愚痴やけんかのないやんわりしたドラマもまたいいと思います。
優等生でバリバリの花子に描かない中園さんのこのドラマに対する思いを聞きたいな。
東洋英和の名を出してるので、このドラマはいじめや差別などが学内であったことのようには書けない事情もあるのでしょうね。
女学校編からきちんと繋がりのあるいい脚本だと思います。
特に校長の教育方針が生徒に生きてるところに一貫した教育方針とドラマの世さが感じられます。
同感です。
リアリティーよりもこの今の世知辛い世の中で忘れられた繋がりの暖かさや大切さを伝えたいのではないでしょうか。
かよの現実よりも美しい庭のカットにそれを感じました。
> 世知辛い世の中で忘れられた繋がりの暖かさや大切さ
これはどの朝ドラも大抵もっているひとつのテーマだと思います。
それが上手く伝えられる作品かどうか、で評価も分かれるのではないでしょうか。
正直言って、このドラマがそれをとても上手に伝えられているかどうかは私は疑問。
非常に表面的な伝え方にとどまっているし、世知辛いもなにも人々の本当のつながりが濃い形で描かれているように感じられません。結果としていつでも良い思いがお約束されているヒロインを中心にものごとの甘くよく見える部分だけピックアップしてるにすぎず、表面的にきれいに見える映像などでごまかしているところが多いように思います。
それに人々の繋がり、が朝ドラのひとつの大きなテーマであったとしてもこれは村岡花子という人がちゃんとヒロインとして存在感がある形で描かれていなければ期待はずれを感じる人が出てきても当然のようなヒロインの描かれ方だと感じています。
朝ドラはもう家庭や人々の繋がりを大事にする、ということはわかりきっているのでそれぞれの作品に個性とドラマとして良質なものを求める人が出てくるものだと思います。
温かくて良質なドラマだと思って見てます。
表面的できれいごとだけの世界のように感じる意見もわかります。
花子中心に皆が繋がっていくところに今日の回の良さを感じます。
私は良質のドラマってやっぱり脚本がすぐれたもの、ってどうしても思ってしまう。
その点でこのドラマはNG。
理由は折々書いてますのでここでは省略します。
青凜社看板掲げ誕生す出版兼ねた印刷会社
新聞に予約受付広告を出して間もなく電話がかかる
花たれけ聞きなれた声武じゃんさっそく朝市一番予約
庭先に工房構え父と子は慣れた手つきで印刷開始
新版の王子と乞食の単行本ついに完成遺影の下に
本開き「郁弥の思ひに捧ぐ」見る郁也の願いようやく叶う
震災で犠牲になった生徒あり先生たちも落ち込んでいた
ありがとう本のおかげで明るくなってお礼に来たの褒めてあげます
校長の言葉は常にここにあり生涯変わらず一生徒なり
帰り際外に飛び出し呼び止めて無事を喜び近況語る
震災の混乱の中真っ先に浮かんだ顔はお互いの顔
久々に出会った二人お互いの気持ち確かめ再会誓う
雨上がり空は明るく日は差して可憐な花は濡れて輝く
あの日から時計の針は止まっても勿忘草は今年も咲いた
蒔いた種あんなにたくさん花をつけ郁弥の愛は溢れ出るなり
庭に咲く勿忘草を髪に差す時は動けり前へ進めと
それでは、また明日
互いに認め合い最後まで見ていきましょう。
いいシーンがあると残念だなーと思ってしまう。
もっとちゃんと書いてくれてたら、きっと感動できたんだろうなって。
なぜそう思ってしまうのかと言ったら、やはり感情の流れがぶつ切りになっていると思うから。
結果だけをバンと出されてしまうので、残りの気持ちは想像するしかない。
わたしは提示されたものを繋げただけでしか判断できないので、ピースが欠けていると全体像がわからなくて、一部分のいいシーンだけで感動することができないです。
「最上のものは云々、未来に云々」のブラックバーン校長のこの演説は、言葉だけ切り取れば確かに良い言葉だと思うけど、それが発せられた当時の卒業式のシチュエーションを流れで見れば、卒業生代表(今週再登場してカンパしてくれた畠山さん)の答辞を 全 否 定 する形で言われた言葉なんですよね。個人的にはそこが引っ掛かって、今さら美談のようにリピートされても、ちょっとどうも……。
あの校長さんはまた、子花子のカンニング容疑を、教室の中、他生徒達の面前で問いつめる、という教育者としてはちょっとどうなのという描写もありましたし。
その場その場の小手先だけの美談調は、このドラマ全編を通じて言えることで、安っぽいわあ薄っぺらいわあという感がどうしても否めません。しょうもない恋バナに以上に尺を取るのも、そう感じる一因でしょうが。
かよがいくやを好きになったことがもっとわかればよかった。いくやに単行本にしたら?と言われたことが、いつの間にかいくやの長年の夢みたいにすり替わってしまったみたい。
いくやのためと言ってたのに、きのう突然わたしたちの夢でもある、と一言セリフが入った。
それだけで納得できるほど花子の夢になったのもわからない。いくやのことより先に、自分の名前をみて満面の笑みになるのは、やっぱり自分のことばかり?と見えたりもする。
いいシーンと思うところは丁寧に気持ちを描いてあるけど、そこの前が雑なので入り込めない。
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