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一部の視聴者が、でしょ?
地主の息子で爽やかイケメン。
安東家の借金全額肩代わりして家族の面倒も見てくれる。
海外移住の予定もあるから身に着けた英語力も活かせる。
家に入って家事も育児もしなくていい、思い切り執筆活動にも励める・・・・ああ、本当に願ってもない縁談ですね! 断ったら罰が当たりそう(笑)
でも見合い相手から見たら執筆は趣味で仕事は辞めてほしい。
女学校時代に出版社でアルバイトもし、結婚願望が強かった醍醐さんも今は職業婦人。タキ先生も恋愛でなく仕事を選んでいましたね。田舎とは別の世界を見、大いに感化されたはなにとっては悩ましいですね。そもそも初めて書いた童話で賞をもらい、やる気が出ていたところだし。完全な自立女性を目指すという蓮子には、自分は仕事もしたいけど結婚も育児もしたいと言っていました。家族のことを考えれば文句なしのお話だけど、ああ、どうするんだろう?
でも最後におとう登場で、また影響があるんでしょうね。
はながどう考え行動するのか楽しみです。
おとうは苦手です…。またはなのことしか目に入らないのかな、と身構えてしまう。でも唯一、気になるのはお兄との関係。和解というか、ずっとおとう代わりに家族を支えようと頑張ってきたお兄のこと、少しはわかって欲しいな。そして少し反省して欲しい。
いやあ~~すごいハッピーガールですね。
極貧の娘が給費生になって、英語も堪能になる。
何故か4人兄妹の中で1人だけ異常に気に入られる。
女学校で何度も退学させられそうになっても、謝罪と土下座で
何とか乗り切る(困ったときに危機を察してやってくる嗅覚の
鋭い父)
たまたま、教え子の為に書いた童話が賞を取る。
その後、地主(超金持ち)との縁談が舞い上がる(これ以上ない
ほどの条件)
その後へつづく・・
この調子だと億万長者も夢ではないかもしれない!
あれ?これって何のはなしだったっけ・・翻訳の話って
出てきたカナ。せめて「みみず女王」の話をてっけんさんの
パラパラ漫画でもいいから見せてほしい。
おとうとおかあを汚れた衣装や髪型でインパクトの強さだけ
で笑いをとるのは、一瞬は笑えるのですが、何だか貧乏を
笑いものにするみたいで、あまり気持ちのいい笑いではないですね。
ふじさんの着物姿
綺麗な着物を着なれていない感じがよく出ていましたね。
安易に、
見違えるくらい綺麗なふじさん
にしないところが、細かいなあと思いました。
リアタイでは無理なので 1週間まとめて録画で観ています
『赤毛のアン』は子供の頃の愛読書だったので
懐かしく感じていました
アンのエピソードとつい重ねてしまって
石板事件?があったら 朝市クンがギルバート?
と思ったけど違った!!
蓮子さんもダイアナとは全然違ったし・・そりゃそうか・・
フィクションもあるのでしょうが
翻訳の村岡花子先生の事はよく知らなかったので
興味を持って観ています
吉高ちゃんはすごくお肌がきれいで可愛いな~とか
仲間さんは美しいけどやっぱり 20代には見えないかな?
とか単純に楽しんでいます・・スイマセンなんか低俗で(*^_^*)
そんな感じで 家のお婆ちゃんも 喜んでみています
・・ばあちゃんは毎朝リアタイです(^_^)v
原作と完全に切り離して放送していたら、ただの内容の無いドラマだなぁで終わりますけど、村岡花子さんの生涯を、こんな下らないまったく別人の話にしちゃって…大丈夫なのか、心配してしまいます。実在の人物をモデルにするという事はその方が生きてきた苦労や努力があって成功を掴んで行く過程が重要だとわたしは思いますが、そういう部分がまったく描写されずに簡単に話がトントン拍子で進んでいく。村岡さんは学校で先生達との親密な交流があって赤毛のアンの原書を譲り受ける事になったと記憶していますが、先生達との精神的な交流なんて描かれてなかったし交流は表面的なとこだけだったし。でもこの脚本なら、実は親密な交流があった先生からアンの原書を、はなさんとアンは似ている、貴方に持っていてほしいの。はなさんの頑張る姿のおかげで私も日本で頑張れたのだから…とか言い出しそうですね。このドラマならやりそうだし、ビックリはしませんが、先週まで見て視聴をやめたので、今日から朝15分余裕ができてよかったです!これからもう少し心に響くようなドラマになっていく事を望みます。もう無理か。
赤毛のアンの原書は孤児院にいた外国人の女の子が大人になって再会して渡しそうな気がする。
赤毛のアンの原書を譲り受けたのは
同じ出版社で働いていたカナダ人
アンシリーズのあとがきに、村岡花子さんが書かれてましたよ。
ちなみに
その本は7版発行で、初版はその同じ年の半年くらい前に発行
カナダでは大ベストセラーだったようです。
家の借金もなくなる。家族の近くに住める。好きな物書きもしていい。(ただし趣味としてなんだろうけど)
こんなにいい縁談は確かにないでしょうね。お相手ははなの英語が話せること、賞をとるほどの童話をかけるような文才があることを自分の理想の女性のように感じたのでしょう。
でもこれで決めてしまっていいのだろうかという迷いを感じるはな。はな自分もこの縁談がいいのはわかっているけれど、正直なところ本当の自分の気持ちとしていいのかどうかがわからない。
そんなところにトラブルメーカーおとうが!!
もうおとうが天使なんだか悪魔なんだか・・・。はなには天使になるんだけれどね。
おとうが登場してなくて安心してみてたのに~。でもまあ生きてて良かった(笑)
自分が結婚したら家族は幸せになれる
という葛藤は、なさそうね。
すみません!出版社で出会ったカナダ人の方からでしたか!しっかり知りもせず、コメントしてしまいました。
アンのゆりかご、村岡花子さんの著書も読んでみたいと思います。
ドラマががっかり過ぎて、忘れていましたが、このドラマのスタートによって村岡花子さんという翻訳家の存在に興味を持ったのでした。
文学がテーマだからこそきちんと書いて欲しいなと私も思います。
だって、もし「ごちそうさん」で出てくるご飯がまずそうだったら、それだけで目も当てられない(笑)
前のことで恐縮なのですが、紫式部の授業の回疑問におもったのは私だけでしょうか?
紫式部と清少納言が仲が悪かったこと、高慢な性格だったこと、私は高校で習ったのですが。
その程度のことを指摘して悦に入る蓮子さんにも、怒る先生にも疑問があったのですが、高校ではあまり習いませんか?
時代が違うのかも知れませんが、昔はそういう作者の人格面、特に教科書に載るような作品を著した人物を悪く言う(たとえ事実でも)ことは教育者という立場で学生に対して言うべきことではないという感じでした。
捉え方として、下世話な話をする生徒を窘めたタキ先生という風にとれば、優れた文学作品を学ぶのに関係ないことでもあるので常識的といえるかと。
他の見方では、自分より物知りな生徒が生意気で腹が立っただけとも。
このドラマは薄く省かれて表現されるので、どうとでも視聴者が受け取れるように描かれているので私の見方は的ハズレと取られても仕方ありませんが。
今日の終身の本読みを聞いていて思いましたが、教育内容や先生の姿勢なども随分違うものだったと思います。先生に意見することなど許されなったでしょうし、教科書の裏話などするはずもないでしょう。
女学校は現代的な感覚で書かれていたとおもいます。
屋根登りのいじめは今のいじめよりひどい。
それでも視聴率がすごくいいのは見やすいからなんだと思います。
上でもおっしゃっている方がいますが、名前にこだわるところなんてどうだっていいから、どちらかと言えば本物の村岡さんが書いた、という「みみずの女王」の話をちゃんとやって欲しかったです。
翻訳者につながるようなセンスを感じるものがあまりないんですよね。
シェークスピアを自分の気持ちで変えちゃう、なんていう妙なエピはありましたが。
その日その日はまあ朝ドラとして見られないものではないと感じていますが、ふと考えると一体何の話?ってところがあります。
とにかく花子のキャラがボンヤリし過ぎています。本やら英語に興味ある、ってことはやたら言われるのにそれを「感じさせてくれる」ものがない。主人公に欲しい情熱不足を感じてしまいます。
この人、貧しい家庭に生まれたと言っても、他の家族の誰よりも実はものすごく恵まれた環境で東京の女学校に何年も行ったのに、先生たちやお友達、バイトをした出版社の人達、そして何よりも山梨とは違う東京から一体何を得たんだろう?って思ってしまうようなキャラ。
想像の翼、と言っても感動したのは一番最初の雲を食べ物に見立てて空腹を満たす場面だけ。あとはなにか重要なものにつながっていくものでもないような。何だか想像の翼、なんていう言葉がとても浮きまくっているように感じてしまいます。
こういう展開のドラマなら何も村岡花子さんをヒロインにしなくてもよかったような気がしてなりません。
結婚だの恋だのそんな所ばかりに焦点が行くようで・・・残念ながら翻訳者になった人の話、とは感じられないようなドラマです。
正直、ストーリーがつまらないです。
危険な屋根の上を歩かせるという酷いいじめをしている悪ガキ達を怒りもしない先生達と、全く反省の色のない様子を描くことで、現代にも通じるいじめ問題が、自分の身に起こらなければ、それがどれだけ残酷な行為であるか気付けないものであることをさらっと提示されている気もしました。
>紫式部と清少納言が仲が悪かったこと、高慢な性格だったこと、私は高校で習ったのですが。
その程度のことを指摘して悦に入る蓮子さんにも、怒る先生にも疑問があった・・・
あの学校の授業風景や教育の描写はとても薄っぺらいと感じました。キリスト教の学校であるはずなのにキリスト教的精神は何一つ深くは感じませんでした。マリア像、だの「雰囲気」のお飾り的なものだけ。このドラマはすべてがそう。文学に対しても社会の状況に対しても人の心の描き方も全部表面的。ものごとの神髄のようなものが何一つ描かれていないと感じます。こういうのを「見やすい」ドラマというのでしょうか?????
>現代にも通じるいじめ問題が、自分の身に起こらなければ、それがどれだけ残酷な行為であるか気付けないものであることをさらっと提示・・
ですか?そんな風には少なくとも私には感じられなかったなあ。
なんというかその場その場で起こりそうな出来事をアンネタを
やりたいためにただ羅列しているだけの感じで裏に深い考察が
隠れているようには見えない。
本来深刻であるようなものをなにごともただ軽いネタみたいに
扱っているようなところがあるドラマのように感じる。
感じ方、とらえ方はひとそれぞれですからね。いろいろあっていいと思います。
でもあのおとうの「グッドモーニング」を聞かされるとたしかになんだかこのドラマ全体の雰囲気があれに集約されているみたいなちょっと嫌な気持ちになりいい加減にして欲しいと感じるようにはなりました。
子供の躾が、教育がなってない!
と前作ではあれほど厳しく延々と議論されたのに作品が変わると評価も変わるものですね…。
六年間学んだ東京での仕事に後ろ髪を引かれながら、おかあの望みのために甲府に来たはな。
それなのに、家を救うための最高の条件のお見合いを一体どんな理由で蹴ってしまうのかとても気になります。
文学だのキリスト教だのをあえて深く描こうとしないのだと思います。
何が見やすいかっていうのは人によるのだと思いますが、さらりと現代的に親しみやすく友情や恋愛、家族の絆を描こうとしてますね。
肝心のはなの仕事がまだハッキリ見えてきません。童話を書くのは趣味ではないのなら何なのでしょう。賞を取ったから童話作家のつもりでいるのでしょうか?そしたら教師と二足のわらじでいるということですよね。そういう描写が丁寧ではないなと思います。
流れを読まずに書き込みます。
以前どなたかも書いておられましたが、ナレーションが邪魔だなと思うようになりました。
登場人物の表情で分かるものにことさら説明されてうんざりするようになってきました。
なんか毒にも薬にもならないドラマですね。まあ、普通の朝ドラならそれでもいいのかも知れないけど、村岡花子さんの話だというから、こちらも期待してしまったんですね。ただのゆるーい朝ドラ、要するに時計替わりだと割り切ってしまうしかないんでしょうか。残念です。
紫式部について質問した者です。
教科書に載る様な人物を悪く言うべきでないという教育だったとのご意見、目から鱗でした!そういう見方は無かったので勉強になりました。
現代だと、紫式部は素晴らしい作品を書いたけれど欠点もあったんだよ、の方が作品を身近に感じられるという判断ですよね。面白いです。
ナレーションですが、せっかくの美輪さんなので作品の解説してくれたらいいのにと思います。例えば、与謝野晶子の引用。好みの問題ですが、全文朗々と詠みあげるのは高貴な方にしては少し品がなく見えるので、蓮子さんには
「淋しからずや、、、」とだけ言って微笑んだりして欲しい。で、美輪さんが解説をしてくれる、とか如何でしょうか^ ^
家のために嫁いだ蓮子と、そうはしないであろうはなの対比が面白そう。いったいどんな理由で縁談を断るのだろう。
グッドアフタヌーンのチャラいおとうとの絡みがあるのだろうか?
結婚より仕事を選ぶ女性なら、もチッと芯のあるおなごに描いてくりょう。
朝ドラなんだから文学やキリスト教を何も深く描いてくれ、なんて考えてる人はむしろ少ないんじゃないのかな。
そういうのを書いて重厚感を、なんてことが言われてるんではないと思う。
そういうものの要素をポイントポイントに入れてほしい、というのは私は感じるなあ。なんだかしまらない、というのかあまりにもただ話を取ってつけてつないでいるようなドラマで見てても物足りない。話がブツ切れで全然深まって行かない。
漠然とした言い方だけれど深みみたいなのが皆無。
かと言って完全に軽くてただ面白おかしく見られる、ってものでもなくてなんとなーく全てが中途半端な感じ。
あの女学校って元々キリスト教を広めるために作られたような学校でしょ?
西洋人が作った学校ってみんなそうだよね。
そういう中で何年も若い頃を過ごしたなら、どこかにキリスト教の思想や教育から強い影響を受けた、ってところでもあっていいと思うのに。本当にただ表面的に外人が校長の女学校、ってだけ、英語を学んだだけ、で終わってしまった。
精神性みたいなのが描かれないんだよね。
>文学だのキリスト教だのをあえて深く描こうとしないのだと思います。
翻訳者になってく人の話に文学を描かないで一体何を描きたいのか、って思ってしまうよ。
「 『赤毛のアン』などに代表されるモンゴメリーの日本語訳版を著し、明治から昭和の混乱期に翻訳家として活躍した村岡花子の生涯を描いたドラマ。」
へぇー村岡花子さんの生涯を描くつもりのドラマだったのか、村岡さんの生涯など関係なくあちこちにアンの小ネタをぶっこみたいだけのドラマかと思った。
文学よりも今週は家族でしょうね。
翻訳業も趣味的に描くんじゃないでしょうか?
もう割り切って見てます。
なにか、批判しないと流れに乗れないのかと思って、考えてみたけど、
これが不思議とないんだな~、フント!。
そうさのう~、花、自分の生きたいように生きんと、お祖父もお母も今までの苦労の
しがいが、無いちゅうこっちゃ。
花は、希望の星じゃ、ただ、安易な幸せだけじゃ、いかんちゅうこっちゃ。
そんなわけで楽しみに観てます。
赤毛のアンを翻訳された方、ということで興味を持って初回から見ていましたが、文学や英語よりも家族や友情、恋愛がメインになっていますね。
物足りなさを感じイライラすることもあったのですが、これは村岡花子の名を借りたフィクションだと思って見ると、何だか気持ちがラクになりました(笑)
これからもユルく楽しもうと思います。
いいと思ったセリフがほとんど赤毛のアンからの引用なのが
うんざりする。
こういう物語の作り方、すごく軽蔑してしまう。
知らないひとが見たら全部オリジナルだと思ってしまうような作り方が
卑怯でもあると思う。
そのせいでちぐはぐになってる部分もあるけど。
なぜなのか理由はわかりませんが、花アンを見ていると攻撃性が薄れます。
テンポなんだかセリフなんだか映像なんだか、はたまたおとうのせいなんだか。
あ、ときどき思い出したように鳴く鳥の声のせいかも。
ゆったり笑って見ています。
正直内容とか作りとか、あまり気にしない。
見ていると心がほぐれる感じですごく好き。
こうじゃないといやとか、ああいうの嫌いとか、負の感情を持ちながら見るのは疲れます。
いいと思う、こういうのも。
私はふじさんの子どもたちへの気持ちが好きだなあ。
今日もはなのお見合いの後でも、けしかけるりんさんの話しききながらはなに強く結婚をすすめるわけでもなく、静かに微笑みながら糸紡ぎ(?)をする姿が良かった。
おしゃべりお節介りんさんも、今だってこんなおばちゃんいるよね~って笑ってしまう。
これ見てて気持ちがほぐれる人は楽しめてるんだからいいんじゃないのかなって思う。
私はこのドラマはハズレ。
とにかく話が凡庸で何のドラマなのかよくわからない。
朝ドラでその時間ついているから何となく見てるけどそれだけ、って感じ。
美輪さんのナレも確かに最近何だかくどい感じしかしなくなってしまいとても残念。個性があるだけに毎日聞かされるとさすがに食傷気味になって来るし、花子の気持ちとかをいちいち説明されるのがちょっとうっとうしい。
美輪さんがこの作品を本当にいいと感じてナレをしていらっしゃるとしたらなんだかちょっと美輪さんにも期待はずれなものを感じてしまう。あまりにも凡庸、というのかきらりと光るようなところを何も感じさせてくれないです。私には、ね。
なるほど、内容なんか気にしないで見る方が心穏やかで良さそうですね。
実在の人物を描いたドラマだと結構期待して見始めたので、まったく情熱を感じないスカスカエピソードばかりでビックリしちゃって、完全なるアンチになるとこでした。
まあいいじゃないですか、人様々で。
ハズレだ!と思う人もいて、
心がほぐれる人もいて、
お見合いする花がかわいく見える人もいて(自分だ 笑)。
ふじさんの着物姿もなかなかだったし、
竹山にも好感もてたのは意外だったけど。
私は楽しませてもらってます。
フィクションとして村岡花子はどう描かれても正直、どうでもいい。
でも赤毛のアンはどうでもよくない。
アンが屋根の上をこわごわ渡る様子が子どものころからずっと想像の中あったのに、着物をきたはなに入れ替わっちゃったよ…。
鮮やかにクッキリと。
そんなのが残念でならない。
最近ではアンと聞くとキャラのはっきりしないヒロインが「てっ!?」と驚いてる顔ばかり浮かんでくる。
これもまた残念。
はなを特別な人として描いてないから親しみやすさがあると思う。
ヒロインの力強さを前面に出すのではなく、こういうほんわかした描き方もいいのではないかとここを読んで思った。
後半は翻訳や子育てなどを戦争とどう重ねて描くのかが楽しみです。
嫌でも文学は出てくるでしょう。
絢香「にじいろ」6/18発売前のPV(てかフルver)を観ました。
まさに空想の翼、童話チックな出来が非常によいですね♪
はい、このドラマなら突然のように今度は過剰に文学文学、ってなるかも。でもただ文学って叫ぶのと文学的要素をドラマに入れる、というのはぜんぜん違うことと思いますが、ね。
>フィクションとして村岡花子はどう描かれても正直、どうでもいい。
でも赤毛のアンはどうでもよくない。
この作家さんは赤毛のアンが本当に好きな人なのかな、とか村岡花子、という人に本当に自分が魅力を感じて研究したのかな、とこの作風を見ていて疑問に感じてしまう。
>ものごとの神髄のようなものが何一つ描かれていないと感じます。
同感です。
わざとやっているのか、そういうものが描けないのか謎。
わざとやっているとしたら、現代社会の風刺ですかね。
薄っぺらい社会ですからね哀しいことに。
薄っぺらい現代社会に生きる薄っぺらい人が薄っぺらいドラマだとコメントするのですね。
そんなもんですか。
私は楽しく観ています。
朝はイライラしない方がいいですからね。
イライラしない方がいいですからね、って好きだし何も疑問に感じないから言えること。
満足できない朝ドラを見せられたら誰だっていろいろ言いたくなるでしょう。薄っぺらい、って言ってる人達のコメントはぜんぜん薄っぺらくなかったりして・・痛いところを突かれているコメント多いようにお見受けしてます。
ちなみに私は他の作品から熟考することなく話をパクって実在の人物の出来事や性格描写に安易にあてはめるような作品はもうそれだけで評価できるようなドラマじゃありません。
イライラなんてする以前の問題。
でもこれが好きな人がどうこう、という気持ちはありません。
今日は徳丸を見直した日でした。
緊張すると茶を飲んで笑う坊ちゃんもいい人でしたけど、断るんでしょうね。小説を「趣味」と言われて気になってたようでしたから。
見た方の感想は本当に人様々ですね。
月曜はアニメもあるので両方見るのですが、見た後の感じが似てるのです。あの「のったり」したテンポなのでしょうか、物語の展開スピードなのでしょうか、セリフの感じでしょうか、多用される回想でしょうか。
ドラマの制作側がかなり気を配って作っているのではないかなと思います。
小説は別かもしれませんが、赤毛のアンの世界を大事にしているように感じます。
それらも含めてかなり好きです。
最初で最後のよい記念に、って言って、あっさりと小説を書くことなんてあきらめたかに見えたのに「趣味」と言われてあんな風に固まる花子の描き方はちょっと矛盾しているように感じました。
書くことが本当に好きでそんなふうに感じるなら、東京であんなにあっさりあきらめるような場面はいらなかったような。
村岡印刷さんに言われてまた考えが変わったのかもしれませんが、なんだかコロコロと変わる人だな、まわりに影響されやすい人なのかな、と思ってしまいます。
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