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かよの闇市のあの立派な屋台、どうしたんだろう。材料の仕入先は?甲府のはずはないし。法外な場所代を要求されないのだろうか、女一人でやっているのに。
もう、謎だらけ。
でも、主人公じゃないのだから、スルースルーと言い聞かせていましたが、最終週の残された僅かな時間の中、まだかよにスポットあてて孤児の引き取りとかやってて、呆れ果てた。
そんなに時間を割くなら、疑問が頭の中に浮かばない様にしっかり経緯を見せて!
マニラみたいって…。
もう、やめてー!!早く終わって欲しい。
うーん、ファジーというのともちょっと違うなあ。
このドラマ、「あいまい」じゃないですもの。
できごとや結末はとてもはっきりしてます。あえてぼやかしてませんでしょう。
そうじゃなくて、よく言われているように、そこに至るまでのプロセスがないのです。ワープするのです。
あいまいなのは、花子の感情や考え方、生き方です。でも、それも「ファジー」などという、ちょっといい感じの語感を持った言葉ではなく、「薄らぼんやり」と言った方が、ぴったりのような気がします。
ドラマの花子は賢いのかもしれないけど(翻訳の才能という点で)、利発な感じではない。
言葉を尽くして話さなければいけないときにキョドって黙りこくるくせに、子どもたちの夢を守るなどという曖昧な理想を語りたがる。
長子ではないけど、二人の妹に「お姉やん」と呼ばれながら、妹たちをリードするような姉らしいところもない。
薄らぼんやりという言葉は確かにぴったり。
村岡花子さんには本当にお気の毒だ。
ドラマの内容はともあれ、村岡花子という人がいたことを、そして何をしたのかを知ることができたことは、日本人の文化的レベルの向上におおいに貢献した番組だったと思います。
このドラマが始まる前に、どれぐらいの割合のかたが村岡花子という人を知っていたでしょうか。
それに対して、次回は日本で始めてウイスキーを作った人。そんな人を知っても、宴会のトリビア程度にしかならないと思いますけどね。
花アンを擁護したいのはわかりますが
次回作を避難するようなカキコミはどうかと思います。
日本の酒造業界に一大革命を起こした偉大なる功労者ですよ。
一時の感情で、、恥ずかしくないのでしょうか?
避難→非難 でした
余りの事にビックリして変換ミスを致しました。
ドラマの内容はともあれはないでしょう
それを言ってはドラマの意味がない本末転倒じゃんww
マッサンのが全然面白そう 早く始まらないかな
2014-09-24 00:05:16さん。
関係者ですか?
次作への批判なんて、ここですることではないでしょう?!
花子に文学者らしい聡明さを感じられなかった。
花子が、吉高さんにしか見えなかったし、声が良くないのも残念。
女学校時代までは、面白く観た。まわりの役者は、よかったと思う。
花子役、若い頃の松たか子とかだったらどうだったろうかと夢想する。
あまり知られていない人を世間に知らしめる、という点からいえば、ほとんどモデルのいるドラマにはその功績があり、それは今作に限ったことではありませんね。「ゲゲゲ…」も「カーネーション」もまったく同じです。
私は、それよりも、村岡花子像が間違って世間に伝えられたことの方に問題を感じます。これも、何度も言われていることですが、多くの人が村岡花子を知らなかっただけに、吉高由里子の演じた、ご本人とは似ても似つかない「あの」イメージが村岡花子として定着することが怖い。
今回のNHK・脚本家の功罪の「功」が、関係各所においしい思いをさせたこととすれば、「罪」は、村岡花子本人の人間像をゆがめたことと言えるでしょう。
いくら誰でも知っているビッグネームではないからといって、ここまで歪曲してもいいのか。個人の名誉にもかかわることだし、私など、これは簡単に見過ごせる問題ではないと思うのですが、NHKはそのあたり、何も考えてないのかしら。公共放送として、それでいいのかしら。
薄っぺらいドラマでした。村岡花子さんや白蓮さんという方を知れたと言う事は私にはプラスでしたが、この内容では2時間位のスペシャルでじゅうぶん。同じ実在の人物の物語でもカーネーションやゲゲゲは楽しく見れた。やはり脚本ですかね。
赤毛のアンの話に惚れ込んで翻訳し続けたのかと思っていました。
花子さんも酒によって仕事を引き受け札束見ながら翻訳したのかな?何てうがった見方をしてしまうほど村岡花子のイメージがダウンした脚本と演出主人公でした。すごく楽しみにしていたので、本当に残念でした。
次郎物語では無いけど、贔屓されない兄弟は本当にかわいそう!持って生まれた能力や運が全てで親に贔屓されず、運もなければ能力も無い人間は犠牲になるしか無いみたいでこれが朝ドラのテーマ?と不愉快でした。
とくに村岡氏の先妻が気の毒でした。
人に気持ちはドラマみたいに花子を讃える気にはならないと思います。
脚本家がこんなに話題なったドラマは無いと思います。これからはドラマは役者だけでなく脚本家を見て選びます。本当に残念な時間でした。
にじいろに始まる朝の空気がとても爽やかでしたね(^-^/
わたし的に愚作は、この雰囲気をぶち壊したオカルトドラマ、
もう名前も忘れましたが、あれはないわ、でしたけどね?
次回作も楽しみです。余市はよく行きましたね。
今もウ#スキーはニッカです(・▽・/
村岡花子のイメージが悪くなるなんて、大げさじゃないかなあ?
知名度上がって良かったんじゃないかな。
イメージは悪くなってないと思う。
心配御無用!
村岡さんが世に広く知られて、赤毛のアンのブームが再来したドラマだから、中園さんの功績は大きいと思う。酔っ払ったくらいでイメージダウンになる時代か?戦争中ではないよ。
脚本の好みが別れるのは毎度のこと。
えっ?
イメージ悪くなったと思いますが。っていうか、村岡花子を知らない人は、あのドラマのイメージになりましたが。〇〇年に〇〇をしたという大ざっぱな事実だけが符合する、本人とはまったく別の性格、別の習慣、別の考え方、別の生き方をする人間。
それを気にすることない、というのは、村岡花子なんて有名人でも何でもなくて、あれぐらいの改竄は、大げさにいえば歴史をゆがめたことにはならないのだから、まあいいじゃないのそんなにうるさいこと言わなくても。おもしろけりゃいいんだよ。
……もしこういう気持ちが制作側にあったとしたら、もう初手から、あ~あだったということですね。
なんか人生に受け身っていうのがイメージよくないと思いますね。
態度をはっきりさせないで曖昧にしていたら、状況が変わって花子に都合がいい展開になるという。
偉業を成し遂げたような、頑張った人に見えません。
ラッキーな人だなという印象。
ドラマのイメージはいいと思うよ。
なんか悪いことした?
花子は立派に仕事を続けてる。こういう姿は子どもにも見せたいと思う。花子とアンはいいタイトルだと思ってる。私だけかもしれないけど。
「運も能力もない人間」って そんなこと言ったら
花子以外の全ての人達に 失礼に感じる。
かよも ももちゃんも そんな 簡単な評価で片付く人生だと思いません。
第一 ヒトの生き様って 損得や勝ち負けだけで描かれたら 心を動かされることなんて ないと思うの。
私達自身も そうだもの。
嫉妬したり 卑下したり 苦しい想いを抱えて そんな自分を越えられることもあれば ずっと地面を這いつくばったままのこともある。
兄やんの描き方なんかは 見ていて ずっと辛かったけど 最後 少しは報われたと思う。
花子とアンのタイトルはいいと思う、赤毛のアンって多くの日本人に受け入れらた作品であって花子もそのひとりなんだと思う。
批判のない朝ドラのヒロインなんていないわ、欠点のない人間を見せられるほうが気持ち悪いわ。
私のなかでは、実際の村岡花子さんのイメージが下がるというよりは、
本当はこんなじゃないはず、こんなの違う、と思い続けた半年間でした。
とても、現実感の薄い軽薄な作品と思いました。(好きな方にはゴメンなさい)
村岡さんご本人の、というよりNHKの朝ドラに対する評価が大幅に下がりました。これを成功したドラマとNHKが考えているとしたら、スタッフの質も落ちたものです。
次のまっさんには期待しています。どうか良質のドラマでありますように。
>欠点のない人間を見せられるほうが気持ち悪いわ
全くです!
あとどうでもよいことですが、
自己の評価を一番に思っている方はよほど素晴らしいのでしょう。
蓮子さんのラジオでのスピーチよかったです。戦争で子を亡くした母親の悲しみから今後の女性運動、平和運動への決意が伝わりました。そしてようやく手にした短冊に”焼跡に根づく木もあり かくのごとく 吾子の命の帰らぬものか”と歌を詠む。歌人白蓮らしいいい演出だったと思います。
私はこのドラマ、花子と蓮子の友情に注目して見てきたので、とても満足しています。二人の生い立ち的な対比もありますが、そんな中で文学という共通要素で親しくなり、今日まで幾度かの喧嘩や対立もありながら、確かな友情を持ち続けたのは素晴らしいと思います。ふだんはどちらというと主体性に欠ける花子も蓮子との関係では自分の思いや考えをはっきり伝えることが多く、それだからこその二人の激しい感情のぶつかり合いもありました。とても見応えのあるシーンが多かったと思います。
今はともに息子を亡くした経験を経て、穏やかな理解に包まれた素敵な関係ですね。
吉高さんも仲間さんも好演だったと思います。
タイトルの並びで同列ですが、物語の登場人物と実在の方
アンと花子は同列ではありません…。
欠点のある人を見せるドラマの意味が不明。
NHKのドラマ制作に御家族が関わってるのでしょうか?
冷静になって頂きたいものです。
戦争で子どもを喪った母の代表が蓮子さん。
またもや花子一家的な職権の乱用ですかね。
ラスト近くになって二人が考えの違いから離れるエピ
入りましたか?
子どもを亡くして茫然自失も、休みを貰い帰って来て
他のお母さんよりは余程覚悟が出来たはず。
かよちゃんのエピも急展開で、まずは自分の地盤を固めた方が
何でもかんでもやりたがる脚本に呆れてしまいます。
朝ドラは幅広い視聴者層を対象にした大衆ドラマだから、いくら著名な文学者がモデルであったとしても、”誰もが見やすくわかりやすい”を目指すことは間違いではないと思う。ドラマを見るのは一部のドラマ通や知識人、文学ファンだけではないのだから、身近に感じられるヒロイン像を作りだしたのは正解だし、とくに文学性や宗教的要素を盛り込む必要もなかったと思う。実際、私の周囲でも、このドラマをきっかけに初めて、あるいは改めて、「赤毛のアン」を読んでみたという人がけっこういる。そういう意味での功績は小さくないと思う。
前作も、ヒロイン他登場人物がみな、人間的欠点があるからこそ魅力的だと言われましたね。それもひっくるめての人間なのだと。
ヒロインが完全無欠である必要は私もないと思います。
人間は欠点があるものなのに、当たり前の事を
わざわざ強調しなくても良いと思います。
ただ今回はそれ以上に自分が無いヒロインでした。
欠点があるというより
脚本家に花子に対する愛着がないと感じるドラマでした。
昨日のものまででも、花子の酔っぱらいのパロディがありました。
ここの意見が厳しいのはドラマ通が多いからなんでしょう。
辛辣な意見は気にすることはありません。
賛否分かれるのはいつものことです。
応酬しあうなんて意味のないことです。自分の感想に自信を持ちましょう。
今日は蓮様が良かったし、歩文庫の館長になってる美里さんが気に入りました。ヒロイン花子の功績はドラマを見て強く感じます。
女性運動は描かれてないけど、文学的な功績はすごいと思います。
美里ちゃんもすでに女学生
養女のカミングアウト
なぜ必要だったのかが分からない。
そういえば、エルマーの冒険の翻訳家
村岡花子のもとで道雄文庫の手伝いをしていた人なんですよね。
かよちゃんが孤児を引き取りましたが
花子の初恋の君は戦後妻と孤児院を創設し
交流があったそうです。
そうですよね。
文学界において偉大な功績者だと思いますよ。
ドラマにおける村岡花子その人を批判できても、翻訳した「赤毛のアン」を批判することはなかなかできないでしょうね。
横入り失礼します。
今までそんなに気にするほどではなかったのに出だしの部分で吉高さんと仲間さんの演技力の違いを見たような気がします。ここでも何度か書かれていたけど吉高さんの喋り方は年相応に似合わず若い時のままだし(しかたないけど・・・)台詞も少し棒ぎみだったような気がするのは私だけでしょうか?
仲間さんの場合は演技自体はうまいと思うけど、まるで舞台で演じているような芝居だし、周りの雰囲気に合わなくて、ひとり浮いているような印象を受けます。
花子が蓮子を通路で見送る場面は確か収録最後のシーンでしたよね。今日ここで使われるとは思いませんでした。ほんとに最後はどういう場面で締めるのか?興味しんしんです。
後数回で白鳥さまがどんな登場をするかは興味津々ですな~。
『赤毛のアン』というタイトルに決まった由来は出るかな。
世の中の人が本当にドラマの花子イコール、史実の村岡花子さんいう認識広まってしまうなら、タイトルに対しての煩悶は描いて欲しいですが、村岡さんが提案したタイトルは繊細なものだし、ドラマの花子が言い出したら唐突感はすごいですね。
花子とアン、びっくりしちゃうほど面白くなかったです(>_<)
私は間違ってもドラマ通なんかじゃないし、朝ドラファンでもない。「面白ければ正義」であって、特にこだわりもない、志し低い軽薄な視聴者です。
今回は、中園脚本×村岡花子×白蓮×赤毛のアン、という、贅沢なコラボに胸躍らせて、はじめから見はじめました~☆
「波乱万丈の幾多の試練を健気に乗り切っていく女性の一代記」は、どちらかと言えば苦手です。朝ドラはそういう理由で敬遠していたのですが、「あまちゃん」人気にふらふらと吸い寄せられました。次作の「ごち」も最高で、上手い役者さんや豪華なセット小道具も見られるし、なんだ面白いじゃんと。
で、「花子とアン」。どうせ私なんぞ、人並み程度の文学史的知識しか持ち合わせていないし、村岡花子さんという実在人物の掘り下げ、文学史的位置づけ、翻訳という仕事などなどについては、「へえ!そうなんだ!!」と思わせてくれる程度でいいのです。赤毛のアンにも、さほど思い入れもありません。
恋愛に重きをおこうが、文学や歴史に重きをおこうが、軽妙なコメディ、重厚なシリアス、どんなジャンルになるにせよ、とにかく、キャラクターが生き生きと動き、その喜怒哀楽にノレて共感できて、笑わせて泣かせてくれさえすれば。
ドラマに求めているのは、ほんと「面白さ」だけ。
普通、ドラマって次の展開を楽しみにして、「わあ、思いもよらなかった!」と驚いたり、あるいは「ふむふむ、予想通り王道だな」と満足したりかと。けれど、どちらでも、なかった。
白蓮と伝助パートでは、「煎餅フラッシュバック」「顔と身分に惚れたとたい!」という切ない指の動き、そして家鴨だか鶏だかの白き羽毛飛び散る「愛の賛歌」「こげなもーん!」などなど、突っ込みどころあれど、おおいに胸かき乱され笑って泣きました。よくあるお話といえばよくあります。やり過ぎで狙った感アリアリだけど、それがいい。
しかし、他はほんと、ひどかった。
花子の人間関係の尋常ならざる冷淡さにも、驚きますし、兄やんと醍醐さんにせよ、家族関係などなどとにかく、すべてが雑。きっと時間が足りなかったんだなあ~と思います。脚本家さんの心が入っていないので、見ている側もノレないし、つまらない!
酔っぱらって仕事を引き受けた、札束発言が物議を醸していますが、そんなのも、どうでもいいです。
それどころか「まるで伝助さんのように豪快で気取らぬひと」そして「ちょっと照れ屋さん♡」と、好感爆上がりになるぐらいです。
「花子とアン」が面白い作品でありさえすれば。
中園さんは、もっとスゴいドラマが書ける方だと思いますので、(多分)このドラマは失敗作なんじゃないのかな。人間だもん、全部が全部面白いものを創りつづけられるはずもない。プレッシャーだってあったでしょう。
……な~んて、こんなこと素人には言われたくないか。
でも、一応中園さんのファンの端くれなんですよ。ごめんなさい。
中園さんの次作、これからも、もちろん期待しています!
朝ドラにも。マッサン頑張れ。
個人的感想として、
前半はとっても面白かった。
中盤が信じられないほどつまらなかった。
最後は持ち直してきたと感じるものの、中盤に突っ込みながら見るクセがついてしまったために楽しめなくなってしまった。
楽しめなくなったのは自分のせいでもあるのだけれど、素直に受け止められなくなったのが全て自分のせいとは思えない。
寂しいな・・・
いまさら脚本の細かいことに突っ込みを入れても無駄なので、
簡単に気になったことを。
花子の初恋の人、北沢さん(だっけ?)と別れるときに、
再会することになる、とかナレーションがあったけど、
いつ再会するのか気になります!!!
あと、お父さんが亡くなったときにお葬式はキリスト教で?仏式で?
醍醐さんの実家のご両親が出てこないけど、最後まで登場なし??
そういえば、戦争で受けた心の傷も治ったのか?
以前、花子が本を出すときに同窓生に借りた(?)お金はどうなったのか?投資だったか?つまり寄付??
などなど、気にしだすと終わらないけど、、、、
あと三回の放送なので。
できれば、モデルである村岡花子さんの人生を踏みにじることのないドラマだった!!
と思えるものであってほしいと、、、、、!!!
わたしは踏みにじるも何も
彼女の人生の全てを知っているわけではないので(てか全然知らん)
まったく気にもならない・・。
危惧する意見、怒りの感情を持つ理由も理解出来ないでいる。
何で?(・▽・?
村岡さんと花子を好きになりました。
あと3回はさみしすぎます。
おとうは、行商の仕事をして
教会にも出入りしてそれで感化されキリスト教になった。
花子も2歳で洗礼を受けている
花子は一番最初の子供だったから、高等教育も受けられた。
それらをドラマでは変えてしまったのはなぜなんだろう?
女学校に入るために洗礼を受けたのに
村に溶け込んでいる教会なんか不自然に思えた。
脚本家は「はつ恋」の高評価で抜擢されたのだと思うが
あれも中盤以降はどんどんご都合主義になり、最終回は悲惨だった。
本作も最初のひと月くらいはまだ鑑賞に堪えた。
私は地上波を録画しているのだが、「あまちゃん」の頃の録画設定のまま
続く「あさイチ」の冒頭も録って観ている。
有働さん井ノ原さんコンビの「受け」を含めて楽しめた前々ドラマに対し、本作は無理な受けが目立って激しく白ける。
タブーに挑戦したあさイチなのだから、本作の批判もやって欲しかった。有働さんの本音は「嘉納ちゃん贔屓」ではなかった筈だ。
残り僅かのところまで見て、やはりタイトルに「アン」を入れるべきではなかったと強く感じます。
主人公の代表作ではあるものの、晩年の翻訳作品で彼女の一生と絡めて語るのは難しい。
だから、アンのエピソードを花子の人生の中に散りばめるというテクニックが必要となった。
そのせいで、原作を読まずにドラマだけ見ていても腑に落ちない矛盾が多数見られるようになった。
色々「無理やり」になってしまったのは全て、タイトルを付けるときに無理をしたのが原因だと思います。
史実とドラマに違いがあるのは良いのですが、私が最もしてはいけなかったと思う改変は、花子さんの実家を「貧しいながらも愛と思いやりに溢れた家庭」にしてしまったことです。
タイトルに「アン」を入れなければ、こんな改変は必要なかったと思います。
ほうとうを囲みながらの家族団欒の風景は、花子さんの教え子の家庭のもので、花子さんは大変うらやましく思ったようです。
花子さんの家庭は団欒とは程遠い状況だったから。
このすり替えは、本当にやってはいけないことだったと思うのです。
どのような家庭に育ったかということは、人の人生を描くうえで最も重要なポイントです。
主人公の人格や意識にも大きな影響があるはずです。
例え同じ功績を遺した人物の一生でも、
家族愛に恵まれて育ったからこそ、おっとりと優しく他人を愛し、仕事にも打ち込めた、
というのと、
家族愛に恵まれなかったからこそ、努力して愛せる家族、打ち込める仕事を見つけた、
というのでは、全く違うドラマだと思うのです。
人生の土台をそっくり入れ替えてしまっては「村岡花子の人生」と言って良いのかどうか疑問だと思いました。
「アン」を入れるか、主人公を実名にしないか、選択が必要だったのではないでしょうか。
フィクションだから村岡さんと花子の違いがあっていいと思います。
ゆったりふんわり楽しめたドラマでした。
私は大好きです。花アンロスして投稿するでしょう。
否定派の方がどれくらい残るのか楽しみです。
葡萄酒酔っ払いも
辞書を粗末にするのも
仕送りもせず東京でパルピしてるのも
楽しめる人は楽しめるんですね。
実在の花子さんと違っていても、ドラマの花子に魅力があればよかったのだと思います。
甲府の家族の描かれ方は矛盾だらけだと言われても仕方ないと思います。
兄弟の格差は、個人的に古傷をえぐられるようで見ていて不快でした。
最後まで、それを上回る魅力をドラマの花子に感じられませんでした。
本当の村岡さんはアンに似ていたんですね。
ご自分が暖かい家庭を求めていたので、アンの翻訳にあんなにも暖かい家庭の様子を表すことができたのですね。
村岡さんの生まれ育った家庭環境をそのままを
ドラマにしてくれたのなら、アンの翻訳を何が何でも完成させたいという情熱にもまた感動できたのだろうと思うと、残念でなりません。
ある新聞に視聴者はドラマに下品で粗暴なものは
求めていないため、花子とアンは高視聴率になったとありました。
ありのままの村岡さんの家族を描かなかったことが、そしてきょうだい格差や養子の問題などを取り上げて起きながら、深く掘り下げなかったことが、優しく上品であると感じられ、高視聴率になったのだとしたら、なんと情けなく、寂しいことでしょう。
楽しめる人達には楽しめるし、確かに下品で粗暴な朝ドラを見たくない人達にはちょうどよい作品だと思う。次の作品はどうなるのかな。
>>否定派の方がどれくらい残るのか楽しみです。
大丈夫!悪質なアンチはあんまりいないと思うので、ほぼここには残らないと思いますよ!ここはファンの方々の穏やかな場所になるでしょう。
私にとっては花子とアンは心になんにも残らないドラマだったので、すぐに存在を忘れると思います。
でも、ここで色々な投稿をしたり、見たりしたこと楽しかった!
ドラマより楽しめました。みんなありがとー!
くだらない恋バナちりばめた
心の機微に無頓着なドラマのほうが
心やすまるんですかね。
兄妹の落差
ドロドロとした葛藤を見せては
しんどいかもしれない。
尊敬する自慢の姉と持ち上げるほうが、
穏やかに見えるのかもしれない。
ならなぜ史実と変えて北海道に嫁がしたのか
女工がつらくて逃げだしたことにしたのか
勉強嫌いですぐに学校に行かなくなった長男にしたのか
史実と変えてしまった意味が分からない。
最近の致命的なのは、美里ちゃんの出生の秘密ですよね。
あれだけで終わりなんですもの。
>深く掘り下げなかったこと
重すぎたら視聴者がしんどいというのはわかります。異論がある方もいらっしゃるでしょうが、個人的に今季いちばんのエンタメは『HERO』でした。
勧善懲悪、頭も使わず楽で掘り下げはなく、キャラクターもみな立っているけれど、各人背景はほぼ出てこない。見終わったあと何も残らずにすっきり、ああ面白かったと次の回がさほど気になる内容ではない。
犯罪物を扱っているのに大変軽い、軽やかなドラマです。犯罪を扱っているのに不謹慎だと怒る人なんているのかな。目指している物が視聴者にわかるし、脚本家が綿密な計算をしているんですよ。
『HERO』が嫌いな方も、もっと良くなったはずと仰る方もいると思いますが、それはそれとして、『軽やかでツボを押さえたエンタメ』がわたしのなかで浮かんだ物だったので例をあげました。
とはいいつつ村岡花子さんの伝記を『HERO』の演出でやるというのは背中がむずむずしますが、いまよりマシだったと思います。ご期待の軽やかなものにもなるでしょうし、出したエピソードを投げっぱなしは少なくともなかったはず。
話がループしてしまうんですが、どうして村岡花子さんを朝ドラヒロインだったのかと最終局面にきて、やはり肩を落とさざるを得ません。
『赤毛のアン』の売り上げの貢献になったからいいのでは、という意見がありますが、何十年も前から愛されているベストセラーですし、いったいなんのことやらと煩悶してしまいました。
来週ゆっくり書かせてもらいます。
今投稿するのは、空襲の中を燃えた原稿を持って逃げ回るような花子のようなもんだと察知いたしました。
ごきげんよう
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