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宮藤官九郎でさえ 朝ドラは普通のドラマではないと
意気込みを語っていましたからね(笑)
中園ミホさんは自分を曲げない人だったということなのでしょうか?
村岡花子を清く正しく美しく描かないところが中園さんらしくて良かったです。楽しませてもらいましたから、朝ドラに不向きなんてこともないでしょう。
札束抱えてドンドンいい作品を書いてください。
朝ドラとしての「花子とアン」に批判的な方もここには多いけど、好きで見ていた方も大勢いますからね。
脚本の作りだって不満を感じた方ばかりではありません。
場面場面の表現も、ドラマ全体の流れも、実にわかりやすくて
朝の忙しい時間でも見やすかった。
中園さんが朝ドラに向いていなかったとは特に思いませんが。
文学者のドラマの脚本家に向いていなかったと思います。
一番致命的なのは、英語力と才能だけで翻訳家になったとしているところ。
蓮子をダブルヒロインにするのなら
彼女のおかげで、花子は日本文学を学ぶ機会があったこと
洋書を翻訳するには、外せない宗教がらみのことも
入れるべきだったと思います。
史実では、女学校の教師を辞めた後聖書や賛美歌の本などキリスト教関係の書物を多く翻訳していました。村岡印刷はそもそも聖書印刷の会社だったんですから。
おかあに一緒に暮らさないかって、やっぱり無理でしたね。この時代の人は、住み慣れた土地は離れないでしょうし、おとうとの思い出もあるし。
ドラマにはなかったけど、おかあ引き取って、やっと一緒になれた兄やん達を二人っきり暮らさせてあげたいという思いもあったのかな?
ないか、やっぱり(笑)
そこまで花子は考えないよね・・・
花子とアンの世界観が好きです。罵声や汚らしい場面が少なく穏やかに見ることができた朝ドラです。白鳥さんに武などのキャラも愛すべき存在でとてもよかったです。吉田鋼太郎さんの演技も見れて満足しています。
2014-09-16 16:23:44 2014-09-16 18:01:36
2014-09-18 17:10:39 2014-09-18 21:06:56
以上の感想を興味深く、読ませていただきました。最後の1週間ですが、番組完結を前に、初めて投稿します。カナダ映画の「赤毛のアン」シリーズを数年前に見て、子供の頃に読んで以来、改めて同書を読み返しました。数冊を見比べ、村岡訳が古くても適切と購入。とても面白く感じ入り、あの時代にこれだけの翻訳ができた女性とはどんな人だったのかと感銘を受けました。その後、村岡訳には誤訳や省略があるとの話題をネットで確認したので、巻末の特に重要な箇所を試訳したりするうち、NHKで「花子とアン」が始まり、大いに喜んで録画視聴してきた次第です。(例えば、文庫版で7行が、原文を訳すと12倍くらいになります。)
フィクションとして、当初は面白い場面などもあり、事実と異なる点も受け入れていましたが、明治末から大正・昭和にかけて、時代背景が描かれず、だんだん単なるホームドラマに変質していったのが、残念です。何より、新しい時代を切り開いていった女性たちを代表するはずの村岡花子さんの精神が、浮かび上がってきません。知的エリートの人たちがどういう認識を持ちながら、欧米をも相手とする無益で無謀な戦争拡大を許してしまったのか。敗戦となって、無力感や悔悟など、示されていましたが、深みはなかったです。悲惨な戦争を直接に描かずとも、真実を散りばめるドラマであって欲しいです。また、アジア諸国への加害に対する謝罪の念はまるでなかったですね。そもそも、戦争ドラマではないとはいえ、時代を正確に伝える役割が、NHK(公共放送)にはあると思います。
個人的には、「赤毛のアン」を試訳していた間、原文に感じ入り、また、ふさわしい日本語を探しながら、温かな幸福感に包まれました。村岡さんは、出版の当てもなく(収入の保証もなく)、終戦までに700枚もの翻訳原稿を仕上げたということですから、その間、この本の内容に共感し楽しんで訳に打ち込みながら、次第に使命感を抱き、日本にこの本を紹介できるよう、一時も早い戦争終結と平和を祈念するようになったと確信しています。ドラマで、空襲の時に原稿を持ち出さなかったとか、原書や辞書がまるで新品のようにきれいすぎるとか、違和感に悩まされながら視聴してきましたが、机に向かってすらすらと訳している場面だけでは、何も伝わって来ない。明るい未来への悲願を込めて、誠心誠意、長い時をかけて、決して簡単ではない翻訳を信念を持ってこつこつと進めているところこそ、ドラマで強く描いて欲しかった、ということに尽きます。
長文になり、失礼いたしました。
中園さんはキャラクターのバリエーションは豊富だと思います。自分が愉しめた唯一の部分でした。けれど多くの方が語っているように、ヒロインの花子だけは魅力が欠けてしまった。
2014-09-22 10:59:06の仰るとおり、花子が翻訳家としての足跡を残していたならば、辻褄が多少合わなくても目を潰れたのかも知れません。日本文学を学ぶ機会をなくしたのは何故なんだろう。上の方も書いていらっしゃるように『赤毛のアン』の語彙の豊富さは英語を学んだけでは、到底織りなせないものばかりです。
女学校時代はわりに好きなパートでしたが、花子は舶来物に興味を示していませんでしたね。スコット先生や蓮子の部屋は、物語のアンにとっては夢のような部屋だったはずなんです。
醍醐さんにもらったリボンひとつにしても、素材に興味を示すどころか心が浮きたつような描写もありませんでした。リボンをもらったからつけているかのようにしか見えなかったのです。
いわゆる少女趣味を花子は持ち合わせず、興味の外でした。そんな人が『赤毛のアン』を訳せるとは到底思えない。アンシリーズはストーリーもや風景描写も達者でしたが『小物』がアクセントになっています。花子が海外の生活様式に興味や憧れを抱くエピソードがあれば『赤毛のアン』を訳す布石になったのではと非常に残念です。花子が普段ふれる、生活用品、お洒落へのこだわりであってもよかったのです。
花子は辞書に対しては能動的でしたが、辞書があれば全てが解決するような描写に興が削がれました。辞書一冊でも英英辞書がなければとてもじゃないですが訳すのは無理だったのではないでしょうか。さらに知識があるだけでは翻訳はできないのです。
こちらをご覧になっている方の多くは英語にふれたことがあると存じます。日本語に比べ簡素です。男女の口調も一緒です。一度頭の中で理解をし、訳者の語彙の豊富さとチョイスは元より、文章のリズム、トータルとしての美しさで初めて翻訳となり得るのです。
また、登場人物をきちんと捉えておかねばできるシロモノではありません。それは、主人公アンたった一人では成し得ない事です(中園さんは想像の翼と連呼しているあたり、アンの解釈も正しくなかったと思えますが)。
実生活で苦労はせずとも翻訳に関しては、必然的に存在したはずの困難な作業に熱意を見せる花子は外して欲しくなかったですね。それは『赤毛のアン』を知らない視聴者にとってはアンの世界を垣間見え楽しい風景であったとわたしは信じます。また、ドラマのタイトルにも恥じない脚本になったのではないでしょうか。
確かにちび花ちゃんの時の
見事なまでな、装飾日やきれいな着物やリボンへの無関心さは
不自然でしたね。
ひとりだけ粗末な着物に対する劣等感もない。
大人になっても、服装にこだわりを見せるシーンもない
しかしモンゴメリーの作品は、服のことが沢山出てくる。
綺麗なレースやリボン、モスリンのドレス
絹のストッキング
花子とアンだけををみると、あんなに装飾品やおしゃれに無関心な人が
翻訳できたとはおもえない。
村岡花子さんは、身分の高いお嬢様達の身なりに憧れはあったと思います。カルチャーショックを受けたかもしれません。自分は出来ないからこそ憧れてた。と言うか…。媚びること無くお友達を大切にされたのでは?と思います。
ドラマのはなは、婚活に精を出す級友に距離を置いていました。醍醐さんも級友のうちのひとりで、親友ではなかった。醍醐さんと女子会するより、本を読んで居たかった。文学を大事にしたのでは?
だから、チョットクセはあるけど 文学を愛する蓮子さんと親友になりたくて。腹心の友にもなったのではないでしょうか?
価値観の違いと言うか…。
旧友とくに、自分が思い入れた相手には 理不尽な事をされても許せる。喧嘩しても気になるし。と言うのが自然なのではないでしょうか?
それは、蓮子さんにも共通して言える事で。
お金が欲しい訳ではない、嫁として立場を確立したい(お人形ではない)。文学を愛する私を愛して理解して欲しかった。
一見 わがままにも見えますが、「私の求めている愛情はそれじゃない!」
お金が余る程の家に嫁いだ蓮子さんは、湯水の様に使う事しか出来なかったのではないでしょうか?蓮子さんなりの精一杯の反抗と言うか…。
私が想像する村岡花子さんは、偉業を成し遂げたい!とか思わず、謙虚にその時その時を一生懸命生きた方。
決して 棚ぼた 人生ではなかったと思います。
チャンスは、努力した者に与えられる。まったくその通りの方だったのではないでしょうか?
そうそう、スコット先生の部屋に心ときめかせた様子だったのは醍醐さんで、はなは見向きもしなかったんですよね。印象に残っています。
「アン」を訳すことになるヒロインだし、ましてや「アンに似ている」設定のはずなのに、なんでそういう子にしたのか不思議です。
翻訳のときは「アンのあこがれのパフスリーブってどんなものだろう?」「パッチワークって?」とか、洋服ひとつ、小物ひとつでも、実物のイメージが湧かないと訳しにくかったはず。
そういったものを探る過程は、画面的にも変化があって面白かったと思うんですよね。
時には、まったくイメージがわからないまま当て推量で苦労して訳す、というのもまたよし。
花子がおしゃれや雑貨に興味津々の人で、ドキドキしながら外国文化を調べていくのなら、視聴者にもその興奮が伝わったことだろうに、と思います。
予算の都合でいろんな場所に行くわけにいかないなら、女学校へ行って先生に相談、とか図書館で資料をみつける、とかイギリス帰りの郁也に訊いてみる、といった程度でもいいから。
脚本家は翻訳=机に向かってひたすら辞書とにらめっこ、って本気で思っていたんでしょうか?
まさかなあ、脚本書くのだって机ににらめっこだけじゃないでしょうに。取材したり資料探したりネタ帳作ったり他のドラマ見たり。
上の方がお書きになっている通り、翻訳作業の過程だけは、丁寧に描くべきだったと思います。
それを「このドラマの重要ポイントじゃないから、端折ってよし
」と考えていたとしたら(というかそのように見える)、制作側は全く「もののわからない人」だと思います。少なくとも、これならタイトルは別のものにする必要があったでしょう。
もしくは、ひょっとして「これで翻訳作業を十分描いたつもり」だったのでしょうか?だとしたら驚きますが…。
村岡花子さんの物語なのに、架空の人物の方が魅力的に観えるのは、脚本家のおかげですか。
深夜に再放送があるとは言え「朝の連続テレビ小説」番組枠のタイトルは、「朝」です。
たかが15分。されど15分。
読書リレーの様に 少しづつ毎日続ける事が大切。
いろいろ 賛同非難 ある番組ですが、「朝の連続テレビ小説」。
名実ともに 愛される 番組を期待しています。
私は高価な分厚い英英辞典を持って居ませんので、英治さんがはなへ贈った英英辞典がどのように書かれた辞典なのかわかりません。
英語に長けて居る方なら 指でなぞって 読める読める!なんでしょうね?!
はなさん、アンの翻訳が終わったら 是非 私の為に
英英辞典を和訳して下さい。
パラパラめくるだけで、文化の違いも訳せてしまう魔法の辞書のようなので。(笑)
花子さんは、いろいろな方との交流があって
風習や文化もご存知だったと思われます。
戦前〜戦後の大変さも解るから。
だからこそ 私達は 偉業と言うのです。
ドラマのシーンにないから 不満になるのです。
翻訳作業の苦労は私にはいらないです。戦時中に命がけで本と原稿を守ったというエピだけで尊敬できます。
ごちそうさんのめいこがぱっと美味しいものを作るのと同じで朝ドラに細かいところは必要ない。
村岡さんの翻訳を何冊か読んでいて、楽しい読書の秋になっています。さっき本屋さんに立ち寄ったらまっさんの原作のような文庫本を二冊目にしました。今度はそれを読むのが楽しみです。
花子のもとに、翻訳家になりたいと相談に来た女学生に
英語も大事だけど日本文学をもっと学びなさいと助言したり
花子が多くのキリスト教関連の原書を所有していることに驚いている青年に
自分はクリスチャンだから理解しやすかったけど
欧米の本を翻訳するのなら、こういう本も読まないといけない。
と話したり。。
あの当時、翻訳家になるのに何が大切かが全く描かれていないドラマでしたね。
>ごちそうさんのめいこがぱっと美味しいものを作るのと同じで朝ドラに細かいところは必要ない
めいこは、周囲がもう勘弁して!というくらい研究していましたよ?
父親譲りの料理人としての才能はあったかもしれないし
アイデアも豊富。
だけど料理に関しては努力していたことは伝わっていたと思いますけど。
翻訳家というより、ラジオおばさんをやったり童話を書いたりして、子どもの夢を守るために一生懸命な花子さんとしてドラマを見ていました。命がけでアンを守り、今は出版するために苦労していく感じで満足しています。翻訳家になるためのノウハウなどは細かいところを見たい方もいるのだなあと、ここを読んで感心いたしました。
翻訳家のノウハウなんて求めている人なんていないと思います。
英語力と辞書さえあれば翻訳家になれるストーリに
疑問を持っている人が多いということ。
話を捻じ曲げないでいただきたい
弔いにお父の作ったぶどう酒の最後の一本偲びつつ呑む
この度はご愁傷様ご馳走とワインでお悔やみ徳丸家より
吉平と喧嘩するのも楽しみで賑やかにして送って下さい
お母やん縁側座り櫛を見るお父のくれた思い出の品
おらの前お父倒れて最後をば見届けることできて良かった
あのお父亡くなったなんて不思議だね今帰ったと言う気がするね
あの世ではきっと歩とお爺やんと一緒になって楽しんでいる
東京で私と一緒に暮らさない兄やんたちに田畑任せて
好きなこと歌舞伎見物歌謡曲何でもできるよ東京だったら
ありがとうやりてえことは無いんだよこの家だけがおらの居る場所
大切な色褪せもない櫛を差すいくつになってもお母は綺麗
闇市で買った砂糖をふじ子にと歌を忘れた蓮子は短冊
また歌を詠んでおくれと懇願す気力失い動かぬ蓮子に
一面に紅い椿の花落ちて西の空には白い三日月
今はまだアンの続編止めておく約束果たし出版するまで
いくつもの会社回れど断られ知られていない作家だからと
警察に戦争孤児の浮浪児は腕つかまれて連れて行かれる
かよの足幼女二人がしがみつく小さくなって怯え震えて
はなとかよ警察欺き嘘をつくあっちの方へ逃げていったと
それでは、また明日
花子が何を求めて本を読み、何を学んだのかはっきりわかると良かったですね。子どもの時にいきなり辞世の句を詠んだり、教師になって童話を書くのが唐突に思えました。脚本や童話を書くくらいだから当然文学の勉強をしていたのだと思いますが、英語に焦点を当てられていて、児童文学家としての基本がうまく盛り込めなかったのかもしれません。
ここまてきたらアンの出版を応援してます。
アンのラストがドラマに出てたけど、確かに難しいことばだったなあ。
アンファンの方は子どもの時に難しいことばをどう受け止めたのかななんて思いました。
子どもの夢を守りたいっていうけど、子どもの夢ってなんだろう。
花子が考える子どもの夢?
子どもたちになにかしらリサーチしたの?
花子の勝手な押し付けみたいに感じる。
「赤毛のアン」は名作だけど、すべての子どもが夢中になれるというわけじゃない。
食料だけで人は生きていけないと言われるけど、万人に必要なのは絶対に食料。
花子の言い方は独善的できれいごと、いつまでも現実を見ないお花畑な人だと思ってしまう。
せめて理想と現実に苦しむような描写があれば。
翻訳の苦労も一つか二つでも入れてくれれば、全ては描かれてないけど他にもきっと大変なんだろうなとこちらも想像の翼を広げられるのにと思う。
このドラマ上での花子の偉業は、戦火の中、アンの原書を持って逃げたことだけ、みたいなことを書かれていた方がいましたが、本当にそうだと私も思います。
いや、でも、原書って言ったって、モンゴメリー書き下ろしの世界で唯一の本ではないのだから、燃えてしまったとしても、戦後アンは翻訳されて日本で出版されたのでは?と思ってしまうまでになりました。訳者は村岡花子じゃなかったかもしれないけどね。それでも良かったんじゃない?なーんて。
実際は村岡花子が翻訳したからこそ、赤毛のアンがあんなにも魅力的になり、日本の読者が増えたのよね?でも、ちっとも伝わりませんでした。
この訳はどうしたらいいかしら、意訳になりすぎるけど、こっちの訳のほうがアンの魅力が伝わるんじゃないかなどなど、そういう産みの苦しみがまったく描かれませんでしたし。
こういう部分は地味だし、面白みもないからいらなかったという方もいるかもしれませんが、それを少しのコミカルさと共に生き生きと見せるのが脚本家の腕なのでは?
花アンでの花子の一番の印象は、酒飲みで何度も醜態をさらす、間抜けだけど憎めない女性って感じかな。
村岡さんと子どもの夢はつながってると思います。
赤毛のアンは読みませんでしたが、村岡さんの訳であろう物語を子どもの時に何冊も読んでいたことが今になってわかりました。
私は花子から楽しみや希望や勇気をもらって読書していたのかもしれないなんて、考えちゃいました。ホント村岡さんとそれに気がついたドラマに感謝してます。
子どもの夢って、漠然としていて何がいいたいのかわからない。
単に聞こえがいい言葉を連呼しているようにしか思えない。
子どもを思うなら、まず目の前の美里の心を大切にしろと言いたい。
養女の告白の件、フォローはないまま終わるのか?
美里ちゃんとアンのつながりも楽しみです。
都鳥さま、私都鳥さまのファンです!いつも楽しみにしてます!
カヨは孤児院でも始めるのでしょうか?
村岡花子さんの実話に基づくエピソードは端折って、
架空の物語ばかり盛り込むんですね。最後まで。
「子ども」「子ども」言って創作童話を語ってたのは良かったよ
でも、戦中に非国民呼ばわりして石投げたのも子どもだった、、。
ちょっとそれは無いのでは?
かよの孤児引き取りは…。
旦那は要らないけど子供は産みたい。(親戚付き合い面倒だし、舅姑の世話したくない。自分の老後の為に子供は必要)と言った結婚不適合者の友人を思い出させる エピソード。
これは、個人的感想ですが、脚本家もシングルマザーとか…。
勘ぐりたくないけど、ご自身を正当化しようとしてそう!!
主人公が一番腹立たしくこんなに嫌いになるドラマは初めてでした。脚本家はよほど村岡花子さんをお嫌いなのかと思います。
しかし、ここの感想欄を読むと皆さんの鋭いご指摘やご意見を読むとこの方に脚本を書いて頂きたいと思う方や演出してほいしと思う方がいて視聴者のレベルは高いなあと思いました。
視聴率はみんなの意見を反映したものではなく一部の家庭の意見ですが、受信料はみんな払っています。
民放と違い視聴率に左右されず作れるNHKのプライドを持ち、次回作ではプロの脚本、プロの演出、プロの演技を望みます。
出版社に売り込むとか、それモンゴメリの話だよね?まぁどうでもいいけど…
命がけで本を守ったって、、正確には焼失の危機から救っただけw
焼けてもカナダの友人先生に 新しい本を送って貰えば良いだけ
世界で一つの大発見とかじゃないのに まるで武士の手柄みたいに
いい加減にしてほしい
空襲で死んでも、原稿は残したかったのでしよう。
赤毛のアンの翻訳を生きた証しとしてるのがドラマでした。
いい描き方だったと思います。
私は翻訳家でも何でもありませんが、学生時代に使っていた英和辞典は何の役にも立ちません。プロの翻訳家があんな古い英英辞典をずっと愛用しているものでしょうか?
生きた証にしたいほどの原稿を、いとも簡単にすいすい翻訳して書いている様に見せているのが、ひっかかるのでは。
>英語力と辞書さえあれば翻訳家になれるストーリ
それは違うでしょ。ドラマのなかでマシューのセリフを花子はおじいやんの口癖を引用してユーモアのある言葉に略していて凡人にはとてもマネできないよ。そんなことができるのは花子だけだといわんばかりの場面がありました。
どこか懐かしくて優しい言葉の選び方、そして花子らしい翻略の仕方が描かれている、単純に誰でも英語力と辞書さえあれば翻訳家になれるだなんてなんで言えるんだ?
> アジア諸国への加害に対する謝罪の念はまるでなかったですね。そもそも、戦争ドラマではないとはいえ、時代を正確に伝える役割が、NHK(公共放送)にはあると思います。
何も朝ドラにそこまで求めなくても、、、
童話を書いたり、編集の仕事をしたり、ラジオでは子どもに伝わるように原稿を直してきたところなど、ところどころ花子の文学的な資質が感じられる描写がありました。キリスト教を信仰し、ミッションスクールで育ち、外国人の友達もいたのだし、英語と辞書だけで翻訳してるなんてそんな安直なドラマは見えません。
翻訳の仕事から花子の人生が見えてきます。
アンの続編が梶原さん経由で手に入ってしまいました。
ええっ?! だったら命懸けで原書を守る必要なかったんじゃないの。日本では無名の作家で、スコット先生がカナダから持って来た一冊しかないのかと思ってました。修和の図書室にもなかったんだよね、だって花子は図書室の本は全部読んでるんだから。日本では手に入らない本だから貴重なのかと思ってたのに、続編が手に入るって・・・なんだそれw
本になったら、乞食と王子のように
村岡 花子
がバーンと表紙に出ていて、モンゴメリの名前は?って感じなのでしょうか。
かよちゃんがたくましい!
わたしの中ではかよちゃんが主人公だ。
村岡花子さんが赤毛のアンを訳すまでの物語。
本当にそうなら、白蓮事件も 朝市武 醍醐さん吉太郎にかよは要らない。
もっと文学談義したお仲間が居る。
端折るところとフィクションとして脚色するところが違う。
半年見て来たけど、これほどまでに つまらないドラマは久しぶり。
このドラマを高評価する方は、関係者の方?
いるわけないのに、そう勘ぐってしまうドラマでした。
外国人の友達??いたか?
まさか先生の事???
村岡さんに原稿は焼けてもまた書けるからと言ってたけど
花子は健忘症でしたかw
中園さんにタイトルを『花子とアン』にした理由は聞きたい。
村岡花子といえば『赤毛のアン』という発想が『赤毛のアン』ファンにあるから? 村岡花子さんは『赤毛のアン』を訳した人なんですよ、と世の中に伝えたかったから? それとも最初はアンに誠実でいようという気持ちがあったのかな。読者が愉しめるようにエピソードを入れると宣言していたし(活かせてなかったとは感じはしますが)
とりあえず翻訳したという事実を後半に出しただけに留まってしまいましたね。やはり『赤毛のアン』のファンをひっぱるためのタイトルだったのかな。中園さんのドラマは好きなものがあるだけに悲しいです。
はっきり言って 吉高由里子が嫌いです。滑舌悪いし、役になりきる努力がみれない。自分に合った役しかできなさそうな女優。
女優?演技が出来なければ、タレントです。
お笑い芸人である カンニング竹山さんや、春菜さんの方が 素晴らしい演技をされていました。
武役の方は 研究生ですよね?
吉高由里子さんは、演技の勉強をされたのでしょうか?
時の流行りで スカウトが多く 事務所の力だけで有名になる方が多く見受けられます。
脚本もダメ 演出もダメ 主役もダメ
で、良いのは 脇役と視聴率だけ。
早く 来週にならないかなぁ〜。
子どもを尋常小学校に通わす余裕もない小作農の父親が総領息子を差し置いて娘を東京の女学校へ通わせるべく大騒ぎした序盤の段階で、ああ、これはファンタジーとして視るべきだな、と。途中からは、これは花子のサクセスストーリーではなく、シンデレラストーリーとして視るべきだ、と。
ファンタジーだから、村岡印刷の御曹司郁弥のかよへの時代がかったプロポーズも、社長令嬢の醍醐さんの兄やんへの押しかけ女房もOK。
8月半ば過ぎになっても大正時代が終わらなかったり、タイトルロールであるアンの翻訳エピソードが正味一時間あったかなかったかで終わっていたのは想定外だったけれど。
ファンタジーゆえに、時代背景はあえて捨象。ただし、日中戦争から太平洋戦争の時代を描くにはその手法がたたって正直苦しかったかな。
基本ファンタジー。だけど、お父うのマイブームにのったはなが「ごきげんよう」の世界の人になったのに対して、お父うのマイブームに振り回された兄やん、かよ、ももはどうなの?
甲府を飛び出して職業軍人を目指した兄やんだけど、士官養成機関の受験資格は中等学校卒業。で、ようやく就けたのが、世間に忌み嫌われた汚れ役ともいえる憲兵。
姉の修和の給費生の誘いを断り女工になったかよはカフェーの女給を経て自分の店までもったのに、陰で色を売るカフェーもあったということで国防婦人会の面々から「クロウト」の蔑視を受ける。
お父うのマイブームで北海道の「森田くん」に嫁いだももにいたっては、ただの労働力で人間扱いされず。
「上を見たらきりがない」裏道人生を余儀なくされる、というエピソードが妙なリアリティーをもって語られる。
でも、三人とも「お父うは何もわかっていない」とは言うものの、恨み言はひとことも言わず。敗戦後、自分の選んだ道は間違っていたと、死を考えるほど思いつめた兄やん。自分のほうからお父うに頭を下げる。どう考えたって逆だよ!
自分の選んだ道は自分で責任をとること。親や環境のせいにしてはならない。それはそうなんだけど、なんだかなあ。
お父うはラジオで鍾愛の娘はなが自分への感謝の言葉を述べるのを聴きながら安らかな最期。で、遺影で手を振っている!
ファンタジーでシンデレラストーリーとして視るには、ざらりとした舌触りが残るドラマだった、というか、このドラマ、ファンタジーだったの?
兄やんひとが良すぎやろ。
心が弱ってるとき優しい言葉かけられたらついコロッと・・・
長年の恨みつらみではなく、父親に認められたいという承認欲求が満たされ即和解兄やん浮上ってなんて安直なw
敗戦により憲兵として懸命に働いてきた矜持がズタズタに。
当時、真面目な人ほど苦しんだであろうひっくり返った価値観。
それを深く掘り下げて描けば見応えがあるドラマになるのに個人的な問題にすりかえた脚本が残念。
スピンオフ作るなら是非醍醐家の事をやって欲しいです。
醍醐家の情報がほとんどないので醍醐亜矢子の人生からひもといてみます。時系列あやふやですが
①醍醐家の父は貿易会社社長である。
最初、一家は海外(イギリス?)に赴任しており幼い娘は女学校の寄宿舎に入れた。
②やがて帰国し娘は自宅通。その頃から娘の縁談が多くあったものの本人吟味しまくる。
③卒業。医師と婚約までするが突然の破棄。
花子と出版社へ交換入社。花があり男子社員より評判がいい。
④大手出版社から独立した新しい出版社に移る。編集者として花子や他の男性社員などより企画力などあり作家受けもよい。
⑤編集者としての給料はどのくらいか不明だが、服装装飾品などは豪華なので実家にいると思われる。
⑥栄治に恋した事もあるが突然やめる。
⑦震災後、何故か女学校時代の友人の離れに住む。実家はどうなった?
⑧蓮子の本を書くなど、ライターとしての道を進む。⑨ペン部隊に憧れる
⑩久々の醍醐家情報!父のつてでシンガポールにペン部隊へ行ける事になる
⑪命からがらの帰国、傷心の亜矢子は実家にこもる。
⑫吉太郎を追って逆プロポーズ。押し掛け花嫁になり甲府の農家でワインを作る。
不思議なのは③④辺りと⑨⑩辺り、⑫でも実家では何も言わなかったのか?
娘を心配しなかったのか?
以下、大胆な予測。
亜矢子には腹違いの男兄弟がいて実家の貿易会社は兄(あるいは弟)が継いだ。蓮子のように妾腹などではないと思われる。
亜矢子のようにどんな時も余裕があり人に優しく出来るのは幼い時より可愛がられ育ったお嬢様特有のゆとりだから。
その男兄弟が逆に妾腹かも知れない。亜矢子の存在を多少疎ましく家業と関係なく好きにさせている。亜矢子の実父母の権威は④の辺りでもう既に無くなったのではないか。そして震災の頃にはもう故人になっているのではないか。
以降兄弟は亜矢子が何をしても一切関わろうとしないのでは。
だから亜矢子は蓮子にシンパシーを感じたのかも知れない。
大事なのはお金ではなく互いを信頼する事と吉太郎との生活を選んだのかも知れない。
自分の波瀾万丈な人生を一切語ることもない亜矢子は凄いと思うが
実家側から見たドラマを是非見たいので脚本家さんよろしくお願いします。
↑⑧と⑨の間くらいで吉太郎との恋。猿芝居事件がありましたね。あれは自分でなかった事になっていたので忘れてました。
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