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合計 | 2656件 |
(月〜金)昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而と、歌手としても活躍したその妻・古関金子をモデルに、昭和という激動の時代の中で人々の心に寄り添う数々の曲を生み出した作曲家とその妻の波乱万丈の生涯の物語。
久志の付け髭、LIFEのコントみたい。
農地改革が悪かった、と受け取れかねない台詞がありました
この評価は、むずかしい。
実際に人気を得ている(得てきた)曲の数々。
音楽というものが、時として人の心の深い部分を揺さぶり、支え、それぞれの思いと結びついているということを、このところのエールを見ながら考えています。
あくまでも私自身にとってのことだが、いくつかの大切に思う音楽があり、そこには作詞者も作曲者もなく、ただその音楽がこの世にあることが重要な意味を持っている。
「エール」の特に序盤を楽しく見てきた。しかし徐々にドラマを見つつ心がざわつくようになってきた。
古山裕一青年が関内音という女性と出会い、「君はるか」や「晩秋の頃」を作っていたころは、そのメロディーを素直に楽しめた。それは初めて聞く曲だったし、素敵なメロディーでもあった。
しかし、自分が強い思いを持っている曲がドラマの中心となってきた。曲の背景や登場人物の感情が、その曲に「意味付け」をされていく。
それは私が曲そのものとの間で感じてきたものとは異なるものだ。正直なところ、その「意味付け」は私にとっては受け入れにくいものだ。
音楽家を主人公にするとは、こういうことなのだと今さらながらに認識できた。
良いとか悪いとかではなく、それが必然なのだろう。
楽しみに見てきたが、そして裕一や音、久志のこれからも気になるが、「曲との関係性」をこの先も保つためには、視聴中断しか選択がない。
私にとっては「罪なドラマ」になってしまった。
戦争に行かずに済んだのに、農地改革のせいにして、やさぐれてる久志を戦災孤児が見たら何て言うだろう。
エールは、面白くなくなったよ。安直な描き方ばかりで視聴率は大台割れしてるのは、わかる。このまま最後まで行くだろう。
曲作りとエピが無理くりになってしまったのは否めません。
音が福島で疎開生活をしている間にも、久志と一度も会わなかったし、消息も聞かなかった、という設定。
で、いいんだよね?
つまり、おぼっちゃま生活ができなくなったので、荒んじゃったということなのかな。
レースのおかあさまはいるのかいないのか。
どうしてわざわざ物資不足の東京へ舞い戻って来たのか。
分かりにくい。
あの、聡明で洗練された魅力にあふれたちび久志が、こんな大人になるなんて。
まだ火曜日。明日あたりに久志の「戦中戦後」が描かれるのだろうか。
どうせ史実から外れるなら、作曲前に作詞者と対話する場面が見たかった。久志のこのエピソードは、どうがんばっても安直な筋運びになってしまうだろう。
加賀大介さんご自身と野球との関係はそれ自体がドラマのように思える。それを久志に知らせて、彼の再生…などという、「史実の都合のよい切り取り」ではないことを祈る。
そんなことより、藤丸さんにDVした久志にはもう消えてほしい。
久志は、藤丸さんよりずっと歌は下手だけれど、ウインクもできる。
もったいないけど、暴力はだめ。藤丸さんは、もうあきらめてほしい。
「わが心の大阪メロディー」の冒頭で、皆で「栄冠は君に輝く」を合唱していたね。
もっとも、ゲストは次作のヒロインだけど。
久志のやさぐれた原因が、史実(モデルの方は)だと戦時歌謡を多く歌った責任感からだといわれている。福島の3人で戦時歌謡に多く関わっていたので、福島三羽烏といわれるようになったのでは。このドラマだと裕一だけが、贖罪感を持って悩んでいたのは違和感を感じる。
20:08:30と20:12:44の投稿って、ほとんど同じですよね。
連投で印象操作に当たりますよ。
藤丸さん、再登場ありがとうございます。
やはり、髪型は吟さんと同じく、サザエさんぽいけど相変わらすキュートな美しさ。
屑な男につくす意地らしさ。
最高です。屑男は捨てて、家の息子の嫁になってください。幸せにします。
さて、ここに来て、中断が響いたか、少し物語に緻密さがなくなってきたように感じます。
どなたか書いたように、展開を急ぎすぎているのでしょうか?
それでも、充分面白いがエール。
設定、内容に細かいこと言えばきりがない。
朝にふさわしい華やかさ。女優さんを美しく(見た目だけではありませんよ)、男優さんをカッコ良く(見た目だけではありません。)見ている人が気持ち良く、
そこがこの作品の素晴らしさと思います。
作詞者名、ぼやけてはいましたが、架空の人物名であることは間違いなさそうだ。
ということは、ドラマに登場するということかな。
ほぼ同じ投稿になってしまったものです。
一度だけ投稿したはずなのに、なぜか「全く同じ内容です」というエラー表示が出てしまったので、やむなく一部だけ変えて再投稿しました。
どちらかを消せるならそうしたいくらいです
鉄男はいつの間に作詞家に戻ったのかな
>一度だけ投稿したはずなのに、なぜか「全く同じ内容です」というエラー表示が出てしまったので、やむなく一部だけ変えて再投稿しました。
クリックがブレて2度押しの状態になった時に、よくその表示が出ますが
既に投稿されているので2度は出来ないってことでその表示が出ます。
なので今度からは投稿されているかどうか、先に確認されたらよろしいかと思います。
昨日と今日は、朝ドラらしい朝ドラだ。
今週はずっとこうかな。
ぜひ視聴中断してください。
あなたの望むドラマはこの先もないと思います。
多くの視聴者はただドラマを見ている。だから賛成も批判もある。
あなたは自分の期待しているドラマを待っている。だからそうならないと腹をたてて脚本家をののしる。
馬脚を現したのはご自分の方でしょう。
私はこのドラマを楽しく見ています。
駆け足気味なのは残念ですが、とてもよくできていると思います。
よく書かれていますが、悲しみや苦しみのあとに必ず喜びや希望があるのがいいと思います。
鳴かずに大三元を栄和(ロン)しなかった?余程配牌や自摸がよかったのか(笑) それにしても暗い部屋でマージャンしてたなあ。同じ役満でも四暗刻のほうが似合っているんでないかい。
農地改革や親が亡くなったことが語られていたけど、久志の現在の姿を納得させる理由にはなっていないと思う。戦後に再び東京に来て賭け事で生計をたてているようなのは、今週のエピの為なんだろうな、だからドラマのあり方を追及したらいけないんだろうな、としか思えなくて。
ただ、山崎さんの久志役の演技は、今の荒んだ感じの方が自然体に見えた。
どん底に大地がある。先週、長崎の鐘にちなんでこの言葉が紹介されました。
この歌が短調から長調変わるところの、胸の締め付けられる感じ、あれは地に足が着いた瞬間、地面に立って周りを見渡している様子なのかもしれない。歌を聴きながらそう思いました。
「どん底]とはなんだろうと、あらためて考えてみると説明が難しいです。何処まで落ちたら底なのだろう、どうなったら大地に足が着き、ここが踏みしめられる場所だとわかるのだろう? そういう疑問が湧きます。
今このコロナ禍はまだ泥沼、底無し沼に吸い込まれている途中であって、底はまだ見えてないかもしれない。一方で底かどうかに関係なく、変化に力強く向き合おうとしている人もいる。
結局地について生きられるかどうかは、客観的な状況ではなく、自分の心の問題なのだと思います。周りを見渡して人に何かを与え、何かをもらう。共に生きている、分かち合っているという感覚こそが大地であり、ソコに到達できるまでは苦しい。苦しむしかないのかもしれない。
裕一は、長崎で立ち上がろうとしている人達に力をもらって自分の大地に立つことができました。智彦も、自分の拠り所を失ってもがいていたが、同じように生きる基盤を無くした人々の中で、新たに自分が立つ大地を見つけることができました。
今度は久志の番だと思います。 久志はまだ周りが見えず、泥の中でもがいています。しかし周りを見渡すことができ、周りが自分の仲間だと気がついたら、自分の大地は見えてくると思います。
そしてウィズコロナの今も、今までの様式が通じなくなり、拠り所を失っていても、新な拠り所は共に生き誰かの力になる、というような方向から、必ず見えてくるような気がします。
先週から今週のエールを見ていて、これは我々への応援歌なのだと思いました。
久志って農家の子供だったっけ?
朝一新聞(新聞社名は架空らしい)の記者と再開して喜ぶ裕一。
しかし、ビルマは最もつらく苦しい記憶と結びついた土地ではなかったか。
懐かしく笑える裕一に、どうも納得が行かなかった。
辛く苦しかったからこそ、またこうして再会出来たことが嬉しかったんだと私は思います。
久志には早く立ち直って貰いたいです。
農家じゃないですよ。当時は地主と農民は基本全く別の存在で、農民の多くは土地を持たず地主から土地を借りて農業を行い、高い使用料を支払っていました。地主の多くは自らは農業などやっていなくて、小作人の支払う金で生活できたわけです。別に仕事を持っている人が多く、実業家などが多かったようです。
史実のインパール作戦の番組を観ました。
あの前線近くで、音楽の慰問は無理ですね。
朝一新聞社の訪問を受けた時、裕一に、「え、あさいち?」と言ってほしかった。
某局のドラマでは梅と華がルームシェアしてるね。
ひさしのメンタルがいきなり弱くなった。
ドラマは、色々な劇作の制約の中で、エピを取捨し、アレンジし、また、タッチもコメディかシリアスかの効果も全体の中で決定されると思っている。ただ、モデルの側・描かれる側に思い入れのある方にとっては、それだけのものではない、というのは当然かと思う。
戦中・戦後と、裕一の活動が拡く社会性を帯びたことから、モデルの対象も多くなり、その描き方が十分にでない点も出てくるとは考えるが、私のこの考え方は、少し便宜的かもしれないと、反省する。心の中にいくつかの投稿の真摯さが気になり、心に残っている。
・「長崎の鐘」の作詞のサトウ・ハチローさんについて、その名に何も触れられていなかったことを惜しむ投稿があったが、確かにそのとおりで、作詞家の存在を表に出し、(タグ[385]の)「10-24 21:27:52」の方の書かれている通り、「ドラマの中で「作詞家と対話し、協働する裕一」」を描くことに留意した方がよかったと思うし、その方が、あの歌の広さ深さを表現できたと思う。
・モデルの永井博士に私淑されているという方の(タグ[385])「10-24 23:06:15」の投稿も、深く真摯な意見だと感じる。永井博士の思いや悲しみが余りに深く(私など、その投稿の少ししか理解できない程だが)「フィクションだから仕方がないのでしょう」と書かれている言葉に、この投稿者の心情の複雑さを感じてしまう。
加えて(タグ[386])「10-25 08:14:24」の永井博士の有様を例示され、モデルを使うドラマについて「ご自分たちの表現するもの(表現したいものではなく、結果として表現されているもの)や、その影響に繊細になっていただきたい。」と記載されているのは、モデルを扱う作品全てに対する痛切な指摘である。
例えば、取り上げられたモデルの方々については、その実際を劇中にナレーションで流し紹介する、放送の最後に簡潔にテロップを流す(或いはスペシャル番組を作る価値のあるテーマでもある)などの、工夫や配慮は、このドラマを描いた製作者の意図をさらによく視聴者に伝え、また、モデルの方への敬意を表すことにもなるだろう、と最近、思う。
かって、第94話で、ケンがネギを切りながら「・・・母ちゃんは病気・・ いつも、妹と弟の為に(食事を)作っていた、・・みんな空襲で焼けちまった。・・」「つらいな」「つらかねえ、妹や弟に申し訳ないだけだ」。この「焼け」たことが、死んだという表現としては不自然だと思ったし、「申し訳ない」の発言の意図は、生き残った家族に対し、無一文になったことだと思っていた。
月曜日の、第96話で、ケンの家族が死んでいると思われ、思い入れのあった私は、とても残念に思うと同時に、このドラマに関する最近の流れに、以前の朝ドラにあった「シリアスで真摯な事件から始まるが、後の結果が安易」な展開を思い出し嫌な予感がし出した。
「戦場の歌」の週で感動したのは、「藤堂先生の戦死や無念の中に潰えた色々な死」で描かれた「真摯な人生と、叶わなかった願い」というテーマで、それを生き残った人々の戦後の描き方でも大切にし、生かして欲しいと思う。
戦後の闇市では、「戦後の人生」の群像が色々描かれるのかと思っていた。ここは「戦後という戦場」なのだと思う。ただ、智彦のラーメン屋の話のまとめ方が「余りにキレイ」に思えた。今まで、あんなに丁寧に描いてきたのに!(少し描き方が駆け足になり、雑になっていないだろうか)。
私の一つの杞憂だが、何か戦後がこのまま「きれいに」描かれていきそうなこと、その中心が、ただ(戦前は不遇で戦後有名になった)「裕一の成功物語」になるのではないか、ということである。
そう邪推しながらも、この智彦エピの結末に対し、ふと二つ目の考え方も思い浮かぶ。それは、視聴者のそれぞれに走馬灯のような未来達が目に浮かぶこともあるだろうということだ。
つまり終戦と戦後の物語を、復活した「長崎の鐘」辺りをまでをピークとして、後は、大団円(※)として、例えば、演劇の最後のカーテンコール、コンサートのアンコールのような、この1か月は、舞台から去ってゆく人々の挨拶なのだろうか?
(そういう意味では、あの伊達者の久志が、最後にむさくるしい格好で登場するのもシャレた演出だと思えてくる)
残念ながら、二つの結末、つまり二つの考え方のどちらであるかは、この「エール」という舞台がこの1か月でどういう余韻を残してゆくか、そして視聴者がこの1か月をどう楽しんでゆくかということにかかっており、結論は、ひょっとすると可なり最後の段階でしかわからない気がする。だって、別れを早々と伝えることがよいことかどうか・・・ただ、ぜひ、この二つ考え方の後者で、最後の挨拶として色々な登場人物が顔を出すことを願っている。
(※)大団円(だいだんえん):最終の段階で、ものごと全てに結末がつき、円満におさまること。
人を明るく勇気を与えてくれた久志が「どうしていいかわからなくなった」と、
今まで人に弱い所を見せて来なかったもの、なんかわかる。
一瞬弘哉君が戻ってきたのかと思った。オーバーラップしちゃった。
ホームラン少年は将来の華ちゃんの旦那様かな?でも彼を見ていると
つくづくハーモニカ少年が可哀そうでならない。
久志が「露営の歌」を歌ったことで、戦後にご近所さんから戦犯扱いされるようになったということか。それなら裕一の実家周辺ではもっと裕一が非難されたのではないだろうか。
モデルの方々に対する世間の捉え方を真摯に見せてくれていたらと願う。
それにしても、エピのつなぎがどこかで聞いたようなセリフのオンパレードでくすぐったい。
ジャズ喫茶になったバンブーでのマスター夫婦と裕一の会話、歌のレッスンを再開させた音、新しい恋の始まりの予感な華、父を面倒くさがる成長した娘と変わらない父(笑)。戦後の生活が始まっている古山家の一方で、終戦後すさんだままの久志。
「戦争中は戦時歌謡、戦争が終わったら平和の歌、時代の波にのるのがうまい」。裕一のことをそう評した久志に、鉄男は激怒する。本気で言ってるのか、と問われた時の久志の目。最後まで見ればわかるのだが、結局、久志は自分が言われたような心無いことを裕一に言ってしまっているのだ。これに気付いているのかどうか。
誰もが大変だった、でもみんなそれを必死に乗り越えようとしている。鉄男は熱く言葉をぶつけるが、今の久志には届かない。だがその目は濡れていて、鉄男はそれ以上どうすることもできなかった。
華やかな立ち居振る舞い、周囲への細やかな心配り、そして実は繊細なハートの持ち主・久志。音楽学校でのもてもてプリンス久志、しかし卒業後は芽が出ず、オーディションでなんとか研修生の座を勝ち取り、そして念願のレコードデビュー。彼の活躍も戦争期から。久志も実は裕一と似たような人生を歩んでいる。彼の回想から、音楽の道に送り出してくれた父がその後苦労したらしいこと、息子が戦犯のようなものだと言われていたらしいことがわかる。自分の選んだ道が親を苦しめた。それを聞いた裕一は、実家を捨てて音楽の道を選んで成功した裕一は、どんな気持ちがしただろう。
裕一は久志を連れて帰った。久志を心配している藤丸の元に。この二人、どうなるのか。今作はここまでわりと希望の見える結末が多いが、鉄男には愛する人と結ばれない悲恋があった。久志と藤丸の未来もわからない。
心配なのは、久志の酒の飲みっぷりが尋常でないこと。今作は初回が主人公夫妻の晩年のシーンから始まっているが、そこに鉄男はいたが久志はいなかった。頼むから最後まで生きていてほしい。
どうせ「エール」のことだから、とってつけようにやさぐれた久志は、なにかのはずみでとってつけたようにコロッと元に戻って、来週にはまた寒いウインクコントしてるだろう。
鉄男も少しは罪悪感感じろ。新聞社でウソの報道流してたんだろう。
華ちゃんと話してた男の子、ルパンレッドだったのか。気づかなかった。さわやか✨
福島3羽ガラスが吉田氏の分身にされてしまっているのカモ(鴨)。カラスではなく。
久志も戦意高揚を歌い戦争に協力し、心配してくれた親を亡くして自責の念で落ちぶれる。そんな時友人の慰め激励はありがたい。友の好意を素直に受け入れて立ち直ってほしい。裕一が言うように栄冠は君に輝くは勝者ばかりではなく敗者にも温かいまなざしと勝ち負けではない精一杯頑張った全ての人への温かい歌に感じる。ならば裕一と同じようの痛みを知っている久志こそ歌うのが相応しい。久志の渾身の歌唱力で敗戦で打つひしがれている国民にエールを送り元気を与えてほしい。
やっぱり裕一・鉄男・久志の話、好きだなあ。この三人のバランスが好きです。熱くてたくましい鉄男、頑固で芯の強い裕一、キラキラだけどガラスのハートな久志。久志も傷ついたよね。みんなついてるからがんばって。
戦後の農地改革は、ある資料によりますと ” 在村地主の貸付地の保有限度( 都府県で平均一町歩、北海道で四町歩 )を超える部分を国家が買収し、小作農に売り渡し自作農化した。 ” というだけで、地主がすべての財産を失うワケではないんですよね。ですから、このドラマのお話は、とんでもなくデタラメです。ハッキリいって、いくらフィクションの朝ドラといえども、あまりの酷さにビックリしますね!!
今まで歌ってなんぼの藤丸が歌わなくてもすごくいい。惚れ直した。
そういうわけで今でも財産を保有していられる方が
多いということなのでしょうか。
不公平ですね。
格差の元なんですね。
教えていただいてありがとうございます。
裕一には音がいたように、久志には藤丸さんがいるんですね。そして心から心配してくれる裕一や鉄男も。
辛い気持ちは良くわかる。投げやりになってしまう気持ちも。。でも何とか立ち直って貰いたい。
裕一の曲を、久志の歌声を待ってくれている人達が沢山いると思うから。
裕一と鉄男が傷付くのは見てきたけど、久志は初めてかな。卒業後デビューできなかった頃は笑いにしてくれてたし。
シリアスな時はとにかくシリアスな「エール」。久志がどうやって浮上してくるか、楽しみ。
久志がやさぐれて裕一のことを酷く言っているのを見て、まるでここのアンチさんみたいと思って凄く残念だったけど
根っこはとっても優しく思いやりのある久志だから、自分の吐いた悪態を後悔し、きっと立ち直ってくれるよね。
無理やりすったもんださせても、どうせ金曜日に久志が「栄冠は君に輝く」を歌うんだろうけど、山崎育三郎また変な間をとった変な歌い方しなけりゃいいが。普通に歌ってね。
何度も無知なエール信者とか書く、規約も守れない無知なアンチ。
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