5 | 453件 | ||
4 | 105件 | ||
3 | 79件 | ||
2 | 60件 | ||
1 | 224件 | ||
合計 | 921件 |
青木読んだ。一方的だし思い込みで書いてるなぁ・・・
まあココも絶賛派・酷評派問わずその傾向だけど、所詮素人の集まり。
対する青木は職業人。プロの肩書き付けて書くような内容ではないね。
唯一同意したのは「のん」が念頭にあったという一文だけ。
そりゃそうでしょ、のんで当ててるんだもの、念頭になかった方がおかしい。
原作がある以上のんをぶっ壊すレベルで真逆に行かなかっのも当たり前。
犬でもわかるような事をもっともらしく、盛大な脚色(想像)つきで。酷い職業人だ。
原作を大事にした結果、ドラマのすずさんになった訳だけど、良く演じていたと思う。
ドラマの出来も良かった。ここの評価のほぼ全てはドラマ中差し込まれた現代に対する賛否。
うちは断然いらなかった派。序盤から違和感しかなかった。
最終回は確かに惜しいな。DVD視聴したときなんのこっちゃ になるよね。2018年の夏ふぁから広島豪雨災害にも配慮していると推察できるけど。失敗だな、あのラストメッセージ。
ふぁからって だから?タイプミスだね
そうかなあ?
あの最終回良かったけどね。
原作のオチは知らないけど
戦後直後の悲惨な広島への応援と
現代の広島(広島カープ)への応援の対比で
今がいかに平和か(平和であることの大切さ)を
表現してるように感じたけどね。
過去と未来が繋がっていて現在のすずは、養女であれども娘と共に
元気に今を生き、どんな人生でも楽しむことを貫いている。
生きる希望に溢れたとても良いラストだと思いました。
原爆で廃墟になった街で終わるより広島の持つバイタリティに救われた
気持ちになった。
日本人は過去と未来が交差とか、同じ時代で何人かのエピが同時進行に
拒否反応のレビューが必ず見受けられますよね。
ヒロインのみに、一点集中型の人が多いのかな?
映画とドラマは別物だと理解しています。
同じ事をやるのなら作品の意義が無い。
原作が同じでも監督(脚本等スタッフ)により
自分が表現したい部分は変わるはずだから。
良作でした映画の方が号泣したけど。
>日本人は過去と未来が交差とか、同じ時代で何人かのエピが同時進行に
>拒否反応のレビューが必ず見受けられますよね。
ひと括りにするのは違うかと。
日本人の苦手な構成だから「この世界」も賛同が得られなかったという訳ではないと思う。
「この世界」どころではない頻度で〇年前と〇年前&現在を行ったりきたりする日本産の作品も多々ある、でも作りが良かったり時代飛び/時代戻しの必然性がその物語にあれば、見ているこちらは時系列無視など気にならないくらいにのめり込む。
この作品の現代は突然ドラマを中断される感じで、必然性がまったく見えなかった。
冒頭の曲は スウィング ジャズの名曲でアメリカン パトロールですね タイトルも何か意味あるんかいな 進駐軍いっぱいだからね
現代版を評価する方がいたらその良さを講釈してほしい。今拒否するばかりで素直にどう捉えたらいいのか模索してる。
榮倉さん扮する若い女性の葛藤が感じられなかったし すずさんの家屋や家具に敬意を持っている風に見えなかった。カフェにしたい理由も理解できなかった。
賛成側の意見を教えてください。納得できたら評価も変えます。
カフェは尾道にも多いし、若い女性が起業して成功した例があるからじゃないの。
綺麗だしカッコいいし。
古民家カフェは一番カッコいいでしょ。
成功すればね。
2018-10-03 14:28:25さんへ。
ここは各人が自分の感性を信じて思いを述べるところで、事実関係の確認等は別にして、誰かに意見を問うところではない。論争するところではない。論理より感性で評価してる人もいるだろう。自分がそう思ったならその評価を自信を持って主張すれば良い。それを各人が自分の意見と違っていても尊重すべきである。どちらかが正しくどちらかが間違っているものではない。賛成側の意見は今までも散々書かれてきてるからそちらをご覧になればいいだろう。
カフェが、ただの「思いつき」という感じで、必然性がわからないので、昔の生活や戦争との関連性もわからない。
しかし、カフェやって失敗したら、その後の人生はどうするんだろう。
こちらの古民家カフェと、すずめの扇風機。
どちらの発想がまともなんだろう?
2018-10-03 14:28:25さんへ
2018-09-30 23:50:56ですが、そこに書きましたよ。
意義だけでなく評価もしています。
家(北条家)に縛られて苦痛を感じていたすずさんが、自ら生きる道を探って結果として家と共に(北条すずとして)生きる事を選択する。
だけど家というのは血の事ではないという事を節子さんが表している。
血の繋がらない節子さんが結局北条家を継いだが何かの理由で家を棄却する選択をした。
しかし、えくらさんがこの家を再生する事で、すずさんが生きた証(象徴)である家が受け継がれて行く。それはすずさんという一人の女性が生きた証が受け継がれて行く事を暗示している。
家というのは、誕生と結婚と死を経て初めて家になる。北条の家に結婚と死は描かれた。 残る誕生はえくらさんとヤスハルによって完成するのかな?
というような事を考えてました。
赤毛のアンのシリーズにあったね、家は結婚と誕生と死で家になるって。
周作や姉さんは、あの家で生まれたんじゃないんだろうか。
節子が家族になることと、節子とすずが理由はわからないにせよ家を出ていること、これが全てだろうね。
家とか土地に拘る物語では無い。
>事実関係の確認等は別にして、誰かに意見を問うところではない
明らかに違うのでガイドライン読み直して下さいね。
右手が不自由な体で高齢者になったら、あの家には住んでいられないだろう。
便利な広島市内の施設に移って、カープ老女子生活を満喫してるんだろうな。
すずさん、案外、今が一番幸せかも。
やっぱり現代版苦手。
>明らかに違うのでガイドライン読み直して下さいね。
どこが違うか具体的に説明すれば?
ここは感想を書く場所で意見を問い論争する場所ではないけどね。
よく利用規約とガイドラインを読んでください。
>明らかに違うのでガイドライン読み直して下さいね
挑発的な煽り文言だよな。
「ここの意味が分からないので教えて欲しい」「ここでは酷評が多いが良い作品だと思うがどう思われますか」と言うのはいいだろう。
だが「高評価にする理由が分からない。どこがいいのか教えて欲しい」は煽りもいいところ、論争を誘発するものだ。各人がそれぞれの感性に従い批評すればいいのだ。「高評価の理由を教えてくれれば評価を変える」と言うのは感想欄の趣旨をはき違えてるよな。
これ以上は「お茶の間」で。議論はお断り。非常に不愉快だ。
カフェが失敗したら、あの家はどうなるんだろう。
そもそも、あんな立地でカフェなんかやって、お客さん来るのかな。
人によって捉え方は違うでしょうけど、件の方の意見に刺はほとんど感じません。
どう捉えたらいいか模索している、納得出来たら評価も変えますとまで書いています。
自分はこう思うけれども反対の意見も取り入れてその上で考えたいという前向きな文章で、むしろ望ましいのでは。
感想を書くところというのはその通りですが、ガイドラインでも意見を求める書き込みとその返答に関して問題ありません。
なんとしてでも悪者にしようとしているように見えてしまいますが、そこまでのことではないでしょうね。
2018-10-04 11:41:16へ。
あんたの言い分を百歩譲って聞いてもそれは「お茶の間」でやることだな。本スレのここで延々議論されるのは迷惑なんだよ。まあどうせ分からんだろうけれど笑。あんたの言い分も「お茶の間」で書け。
栄倉さんが呉に初めて家の下見に来たときに、「カフェか民宿」って言ったと思う。
別にどうしてもカフェがやりたい訳ではないようで。あるいはどうしてもすずの住んでいた所で何かをしたくて移住とは違い、これと言った理由もない。強いて言えば仕事で小さな負が色々溜まって限界なんですぅって感じ?
すずが北条家に暮らした事の重さに比べて現代の何とお手軽すぎること。
その軽さがそのまま現代版の不評に繋がっているんじゃないですかね。
というか、12:48:09は不特定多数が利用する場で最低限の敬語も使えないのかな。
11:41:16さんに対して、上から命令したり、バカにしたり、読むだけで気分が悪いです。
あそこに民宿を作って、どんな客層を掴むんだろう。
元が取れるんだろうか。
進駐軍が呉に上陸したのは10月過ぎてからのはずなのだけど..。
8月原爆にあって2ヶ月以上ひとりでさまよっていた幼いセツコとすずさんとの出会いが不自然。疲れ切って飢餓状態であんなきらきらした瞳のはずがない。演技は仕方ないにしても安堵して眠ってしまう演出にすればもっとよかったのに。
節子ちゃん、安堵して周作さんの背中におんぶされて眠っていましたよ。その演出にアニメファンの方からの投稿で、「アニメでは、背中で起きていたのに何で眠っているんだ」とのクレームが書いてえりましたよ。私は、あの場面では、安心したのと疲れで、寝入ってしまった、、で良いと思いました。
最終回 冒頭の音楽は インザムード だと思います。
原作は寝てるんだけどね。
何でアニメファンってのは自分が好きなものを神聖視したがるのか。
原作もアニメも知らなくて、このドラマしか見ていません。
が、現代パートの浅さがどうにもならないと思います。
もし、あのようなところに民宿やカフェを開こうとする若い女性がヒロインの朝ドラだったら、どんなお粗末な話になったでしょう。
仮に最初の計画に失敗しても自分自身で挽回するヒロインには見えず、またメソメソと泣き言を言って誰かにすがるように思えます。
これは朝ドラではないしヒロインはすずですから、現代パートはどうでもいいという考えもあると思いますが、このドラマオリジナルである現代パートの弱さはこのドラマそのものの弱さだと思います。
現代編はすずと節子の生き方がどうなっているかが全ての焦点になってくるはずです。
榮倉奈々が演じる佳世の生き方や性格や今後の展望はさほど問題にはなりません。あくまでも脇のキャラでそこを掘り下げる必要性はありませんから。
つまり、現代編において佳世がどうであろうとさほど質には影響しません。
いってしまえば北条家が誰も住んでいないのはすずがもう亡くなっているということを暗に示す目的でしょう。
もちろんミスリードです。
家を現代編で出すために佳世が北条家の家で仕事をしたいと言い出したわけです。
故に職業は何でも良いのでカフェや民宿と決められていません。
ましてやその他のキャラである佳世のその後の展望は必要ありません。
大事なことは節子とすずが現代編でどう生きているかです。
すずは戦時中より食料の事情が悪いという中で、このままでは生きていけないであろう節子を助けました。
佳世はこのままでは生きていけないという程では無いにせよ人生の岐路に立たされている中で節子を助けています。
それもあれだけ歳が離れているにも関わらず仲良くなるぐらいな程に親身になったということです。
これはすずが節子にしたことを節子が佳世にしたということです。
すずのその生き方が世代を超え節子にも継承されています。
すずが直接出なくてもすずがどのように生きてきたかを表現しています。
節子はすずに助けられた時に節子の全てが描かれています。
限りなく絶望と飢餓の状況で、節子は右腕を無くしたすずの姿から原爆で同じく腕を無くした母親を思い出して落としたおにぎりを返すという行動が取れたり、思い出した母親を思い出して骨箱(骨壺)を気にしたりという行動を取れています。
明日どころか今も飢餓と戦う中でも人との絆を優先させられる力を持っています。
これらを全て現代編において佳世を通してすずと節子のその後の生き方に表現出来ています。
必要性で言えば原作に現代が無いこともあり必ずしも必要ではないでしょうが、決して蛇足にもなっていない出来映えにはなっています。
因みに現代編においての良さを書いているだけなので、現代編が面白くないという人を否定している訳ではないので悪しからず。
ただ、今のところ現代編によって質が落ちるというレビューの中で考え方を改めようと思うほどの意見が正直無いと感じるので書いています。
現代パートに出てくるのはどうせ脇のキャラだからどんなのでもいい。
すずと節子の生き方を見せるためだから、観光地でも何でもないような不便な場所をカフェにする設定にしようが民宿にする設定にしようがどうだっていい。
その粗さと甘さ。
原作の精神をないがしろにする傲慢さ。
ふざけるなと言いたい。
脇だから、なるほどね。
脇だから、現代版はあの程度の作りで良かったんだ。
脇だから、本編に散々貢献してきたリンさんもラスト2話であんな雑な扱いだったんだ。
視聴者からしたら、ふざけるな。だよね。
脇役さんを使い捨てるドラマに名作はない。
雑すぎる。
信じがたいほどに。
何故そうしたか、ですが、そこの密度を上げようと思えば現代編の時間が長くなるからでしょうね。
だから人生の岐路に立たされている人という記号だけの存在にしたということです。
現代編の中で必要なことだけは描写し削れるものは削っており、その辺り計算されているのは間違いないですね。
尤も、私の書いたことは嫌いな人にとって火に油を注ぐだけでしょうね(笑)
でも件の人と同じ。
私は逆に質が悪くなるという理由に納得出来るものが無いので、真剣に書いたら呼応して一人ぐらいは納得させてくれるものを書く人が居れば良いなと思いますね。
節子とすずが現代にどう生きているか。
北条の家を出て大きな街に住み、カープ女子をやってるすず。
北条の家を継がなかった節子さん。
それが全てではないの?
19:34:49です。
北条じゃなくて北條ですね。
間違いました。
それが全てというならば、ドラマの質を落とす役目しか果たさなかった現代パートはいらなかったが全てではないの?
現代に割いた尺で他のエピをもっと丁寧に描くなり、2夜連続程度でまとめるなり、ね。
現代編は蛇足では無いと思うけれど、エクラさんとすずさんのイメージが似通っていたらもっと素直に受け入れられた。
エクラさんは華やかだけど軽いというか、すずさんと似ていない。
軽いというか、バカっぽい。
あんなとこでカフェやって暮らしていけると思ってるのが。
すずは現代に生まれていたら、あのエクラさんみたいだったのかな?
本当に、寂しい、、終わってしまって。
しみじみと良いドラマでしたね。
終わってしまい、日曜日がさびしくなりました。
どのドラマ予告観ても、何も観たいと思えない。それ程、心に残るドラマ「この世界の片隅に」でした。半年間あったら、ゆっくり描いてくださったでしょう。やはり、三ヶ月という枠の中なので、最後の方は急ぐ形に。良いドラマでした。
良いドラマのはずなのだけれどところどころ綻びが目立って残念なしあがり。悔しいです。
私も丁寧に作ってるのにもったないなって思ってた。
でもよく考えたら、単に原作とセットが良くてキャストが頑張っただけの気がしてきた。
ドラマの製作班がやった事って
●戦争をファンタジックに仕上げて
●原作にはないらしい(未読の為ココの情報の受け売り)大不評の現代版を付け足して
●原作にあったらしい( 〃 )大事な枝葉のエピをぶった切ったってことよね。
つまり最悪じゃん。
やっと全部見た。改編時にはドラマが無いので残りを見る期間にあてているのです。
このドラマいいんですけどね??何か足りない。まあ最近は原爆投下や爆撃で人が撃たれて死んでいくシーンを極力避ける傾向にある。というかお茶の間に死体を流さないという自主規制なんでしょう。でもそれがあって戦争だから。昭和のドラマはバンバンそういうシーンを流してたから。まあでもそれも作り物っぽかったけどね。
片腕無くしたってのは思わんかったが、松本穂香はよくやったと思うよ。でも遊女との恋とかへんなものを入れすぎ。赤線とかそういうのに全員が行っていたわけでもないし、あんなふうに大っぴらに元カレ元カノの話しはしない時代。しかもほとんどの女性は処女で結婚の時代という事を忘れて無いかい?
恋愛の話しが表で出来るようになるのは1960年代すぎてからよ。
という違和感は大きい。そもそもこの時代は跡取りは殿様であり、家では君臨していた。嫁さんなんか蹴とばして言う事聞かせていた時代なんだよね。特に軍人の家は。ラブラブなんてのは表向きは無いし、女中を貰った程度にしか考えて無かったと聞いている。俺のばあちゃんもそうだったと言ってるし。
そういう日本の汚い部分を隠すのはどうかな?もう出尽くしているけど若い人にはわからんでしょ、その人権無視の生活。
戦争がだんだんオブラートに包まれてくるのはおかしいよ。これも自民党の差し金なのか、TV局が自民に忖度しているのか。
そういう事を考えながら戦争ドラマも変わったもんだと思いながら見ましたね。まるで美化。敵が悪い見たい。悲惨さを快感に換えるような演出はダメ。
弁護士にダブル不倫に男子中学生に狂う女子高校教師など秋ドラマはつまらない。観るべきドラマはなくて寂しい。今思えば夏ドラマは名作ドラマばかり、とりわけこの世界の片隅には秀逸です。今でも思い出すたびに感動の記憶で胸がいっぱいになります。
確かにこのドラマは面白かったけど、
まだ放送されてもいない秋ドラマを悪くいうのはどうなんですかね。
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