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カーネーションは名作。ラスト一か月はだめだけど。
とと姉ちゃんはいまのとこ良作。
後半もっと良くなるように期待したい。
ここ何作も酷い朝ドラが続いたから、久々に
楽しく見てます。
戦況下での常子にはまたしても裏切られた。おおらか≠子供っぽい
パターン化された戦争背景に小橋家を投げ入れただけ。
何のメッセージもなかった。
今の高畑さんは心の動きまでナレ頼りだから、
難しい要求かも知れないが、雑誌への情熱は言葉を出さなくても描けたはず。
誰も心の中までは縛れないし、何を考えようと自由だ。
沸々とわきあがる雑誌への情熱を見せて、戦後につなげて欲しかった。
"とと姉ちゃん"というワードは、作家自らを縛りつけていないだろうか?
おおらかで行動的な人物として描くはずだっただろう常子。
前半の彼女は周囲の持ち上げでここまで来た。
こんなにも受動的な女性になってしまったのは、
"家族"という小さな枠に縛り付けてしまった結果だと私は思う。
後半は作家の呪縛が解かれた事を祈り、遅い再出発ではあるが、
花山伊佐次に食われない、伸び々と能動的なヒロインに描いてくれる事を切望します。
終戦を喜ぶのを「不謹慎」みたいな反応が普通に出るほど右傾化してるんでしょうか
通りすがりのカップルを「戦地の兵隊さんの苦労を思え!」みたいに威嚇した男、私は異常者だと思ったのですが
「その通りだ!」
と思う人が少なくないのかね?
乳繰り論議でウヤムヤになっちゃったけど
つまらないの一言。
常子たちは十分荒波に揉まれ苦労などしているとは思うんだけど、
何にせよ。
大切なものを失ってでしか、本当の幸福は理解できないのだとか
自己犠牲的な生き方のみを最上とし、それを持ってして他の生き方に対しての攻撃材料するのは
個人的には間違っていると思いますね。
戦争がささやかな日常を奪っていったという描き方はいいのだが,人々の心の中には奪われた命の尊さを一番に思う教育がされてるからね。その重さを映像で流しちゃって自分たちの喜びを強調するからバランスが悪かったんじゃないかと思う。
人の感想に右とか左なんて分け方をしたら失礼でしょ。
純と愛から見てきたけど、父親の代わりになるヒロインの物語は今までなかったので新鮮です。家族のために星野のことを諦めるっていいですよ。
まれは色んな物を詰め込めすぎで話がよくわからなくて、簡単に言えば駄作、あさが来たはその駄作が前にあったおかげで本当は内容が無いということを上手く誤魔化した駄作でした。
今は、ようやく普通の朝ドラを見ているという感じがしますね。もちろん、星野が腹減らしたくらいで森田屋全員で出迎える様は異様でおかしいといった部分もありますけどね。
けど、毎日充実した気分でこれを見てます。今週は小橋と組長さんこやり取りは興味深かった。組長さんが物語のスパイスとなり話の広がりが出ていたと思いました。
あらすじを見たら、来週からは花山の話もたっぷりと出るようなので期待してます。
常子達の日常を通して、その時々の常子達の気持ちを見せることで戦争を描いたので、ありきたりな戦争描写でなくとても良かったと私は思っています。好き嫌いはわかれるでしょうが、どんなドラマでもあることですしそれは仕方ありません。
来週からはまたイキイキとした常子が見られるんですね、嬉しいです。
敗戦の悲しみと戦争が終わった喜び。常子に複雑な心境があったとナレーションで説明してたけど、「敗戦の悲しみ」の方が全然伝わらずただただ嬉しいようにしか見えませんでした。日本が負けて悲しいと思うのが自然だと感じられる物語にはなっていなかったと思うんですよね。悲しむことが良いとか悪いとかではなくて、ナレーションで説明されているようには私には見えなかったという事です。説明されているように見えないから「おや?」と思った。「不謹慎ながら嬉しい」という説明もされていました。それが常子という人なら貫けばよいのに、不謹慎覚悟なら潔くそう表現すれば良いのに、複雑な心境とか言って曖昧にしなくても良いのにと私は思いました。常子はそれでいいんだという確固とした物語を作れば良いのだと思います。
これからの人達のことを考えて生きなさい・・滝子がそう言っていたではないか、これからの人は二度と同じような過ちを繰り返さないこと、悲惨な戦争場面ではなくても、戦争を伝えることは大事なこと、小橋一家の描き方にはあまり共感できないが最後の花山さんの表情がよかったね。
今まで見てきた朝ドラの中で、最低レベル。
小橋家、どうも好きになれない。
戦争の勝ち負けよりも、終わったことで抑圧から解き放たれることを喜ぶヒロイン。それそのものはいけないことだとは思いませんが、あの「できるできるできる」は・・・・・ごめんなさい、松岡修造さんを思い出して笑ってしまいました。
避難中に目にした東京大空襲の被害のむごさを淡々と語ったお竜。
息子の戦死の報に魂の抜け殻のようになって歩き、玉音放送を肩を震わせながら聴く組長。
充血した目をかっと見開き、厳しい表情で玉音放送を聴く花山。
軍の統制下での不自由で息苦しい生活に耐え、防空壕で空襲におびえながらも、人の死という戦争の最も残酷な面に直面しなかった小橋家ですが、それを補う昨日、一昨日の間接的な戦争の描写が秀逸でした。
お竜と組長の話からは戦争の恐ろしさとやりきれない悲しみがストレートに伝わり、戦時中、戦意高揚の標語で国民を煽った花山からは恐らく身を苛んでいるであろう大きな葛藤が感じられました。
花山についてはそれが戦後どのように描かれるか注目したいですね。
そんな中、女家族で身内を兵隊にとられることもなかった小橋家が
厳しい状況下でも、ささやかな工夫で当たり前の日常を保とうとした姿に
将来の生活雑誌作りにつながる精神が感じられてよかったです。
敗戦は多くの人を悔しさと絶望で打ちのめしましたが
一方でようやく戦争が終わったという安堵と喜びもあったはず。
悲しみ以上に大きな希望に喜びを爆発させた常子の姿に私は心からの共感を覚えました。
戦争を知らないから…そうかもしれません。でも戦争終結が将来への明るい展望を感じさせるものにしてくれたドラマの描写は私は好きです。
戦後のエネルギッシュな常子の活躍を期待します。
戦後、当たり前の日常を大切にした、ちょっと素敵な暮らしを提案する雑誌を作るために戦時中の不自由な暮らしの描写は不可欠だったと思う。
お洒落も出来ない、言いたいことも言えない、そして何よりも当たり前の日常が無くなったことをもっとしっかりと描いてほしかった。
あの時代の女性たちが何よりも欲していたのは、普通の日常、普通に窓を開けて、電灯を灯し、空襲の心配をしなくてもいい、そういう生活だと思う。
戦時中の不自由な暮らしを経験したヒロインだからこそ、戦後の雑誌作りに繋がって行ったのだと思う。
そこのところ、このドラマで十分に描けてるとは言い難いです。
暮らしの手帖は、「当たり前の日常」と共に「男女同権」も大切な大きな柱。
ととの家訓も、男も女も大人も子供も一緒に同じことをするというフェミニズムが根底にありました。甲東出版も男女同権を自然に実践していました。
反対に、結婚して自分の自由に動けないあやさん、女であるが故に理不尽な不利益を受けるお竜さん。
これらもまた、暮らしの手帖誕生の要素になっているのではと思います。
11:25:29さんに良いね!!
星野君がいた頃からずっと戦争の影は描かれてきたので長かったです。
何時でも常子たちの辛抱、兵隊に取られなくたって寄る辺のない女所帯の心もとなさ、は伝わった。
それで敗戦という形での終結に、まだまだ若い常子があんな風に積極的な解釈をする事によって、この一つの区切り、をしっかり掴み取って心に刻み、昨日までには戻るまいという決意に見えました。
常子たちは不自由な生活をしていたと思いますよ。乳繰り合っているのか!と言われたり、ビアホール事件、会社をクビになるなど女性蔑視を受けていますし、戦争では食べる物がない、いつ来るかわからない空襲に怯える、戦争によって森田屋や青柳商店もなくなるなど辛いことが多かったと思う。
でも、ドラマで常子があまり落ち込む姿がないので視聴者から見たら常子が苦労しているようには見えないんじゃないのかな?と思います。
戦争でなくとも、この現代で辛いことがあっても辛そうな顔を出さないでいられる女性って少ないと思うよ。
結局ヒロインの演技や表情話し方が軽すぎて時代や設定が入ってこない。
常子には、ととになる大義名分はあっても、編集者になる大義名分はない。
少なくとも描かれてないし、視聴者は感じられない。
ただ、ととになるため、稼ぐために編集者になるのだ。
鞠子にまっすぐすぎると言われたけど、まっすぐな性格になったのは父親の代わりをするとなったからなんじゃないのかなと思う。
家族を守るとなったら、黙っているとはいっていられない場面もあるからね。
編集者の話はまだ本格的に始まっていませんよ。これから後半にかけて、本についての話がたくさん描かれるのでしょう。
やっと折り返しなのか… ながっ
常子たちが不自由な生活をしてたのは、ちゃんと伝えようとしていたし、伝わってきたなと私は思っています。そして、そうは思えない人もいるのです。また、批判をしている人全員がそこを指摘しているわけではないと思います。私は後者です。同じものを見ても、色んな感じ方捉え方があるということであり、ここで正解を決めることでないと思っています。
私が個人的に少々残念に感じているのは、その辺の描き方ではなくて、今はやりたいことが思うようにできなくても、いずれは編集者になりたいという気概、こんな雑誌が作りたいという情熱。そういうものが感じられる描写がない、あったとしても軽いなぁということです。
花山さんが登場した時は、戦意高揚の標語を真剣に作っている様子、一方で人の心を癒すような絵を依頼され、そちらの方も真剣に取り組んでいる事が、机の上に画材やスケッチブックを用意している様子から伺えました。その机の上が整然と整えられいる様子からも、単なる変人ではない几帳面で真面目な様子が描かれていた。そして、それらの事が土曜日のあの表情に繋がって、見ている私の目を釘付けにしました。あの場面がスゴイと私が思えたのは、唐沢さんの演技だけではなく、初登場のあの短い時間の中で、脚本、演出、演技などが丁寧に練られていたからではないかと思うのです。そして、こういう感動を常子で見たい、そう思ってしまうのですよね。
他のドラマのほうが戦時中の不自由な暮らしや工夫を描けてると感じます。今週は少し物足りなさを感じました。
常子の気概は仕事よりも家族を守るという方向に持って行ってましたけど,できるできるという叫びはこれからの仕事宣言なのだと受け止めて雑誌作りの情熱に期待をしています。
花山さんのモデルの方は変わり者で天才と言われた方なので,始めからそのように演出されてるのと唐沢さんの演技が見る人の心を動かします。
常子の気概が仕事より家族を守ることなのか、自分の作りたい雑誌を作ることなのか?できる、できる、できる・・・で分からなくなった。まだ編集の仕事に熱心に取り組もうという段階でなく戦争が終わってホッとして嬉しいということなら、「戦争が終わって良かった、安堵した」と素直に言わせとけばよかったのにと思う。
常子はまだ、どんな雑誌をつくりたいのか現段階では決めてあるという描写は先週の段階ではないですよ。それが決まれば常子のはっきりとした目的が出てくると思いますが、その話は来週の月曜からの話なのではないのでしょうか?常子が昨日やれると言ったのは、とりあえす戦争がなくなれば戦争を讃える記事を書かなくてもいいと思ったからじゃないのでしょうか?
昨日は、唐沢さんの数秒と向井おじさんがよかった。それだけ。
来週からというか明日からはしっかり見るよ。
つまらないと思うが…確かに違和感があるが西田さんって見やすさを狙ってるのか…あぁいじめの描写は嫌だったな。
大野くんが星野だったらは少し想像した。
坂口君が綾野剛さんそっくりに 見える。高畑充希好きだから見てます。
男女同権というと、普通は甲東出版のようなやり方になると思います。女性でも新人でも、男性ベテラン社員と同等に扱うという事です。(もちろんそれは間違っていません)
でも花山さんのモデルの方は、スカートをはきました。男性が女性の方に歩み寄ったのです。これはすごい発想だと思います。単なる酔狂な変り者ではないですよ。
現代でも私たちは、女性を男性と同じにするという事を前提にしていませんか?つまり男性が上で女性が下で、気の毒な女性を男性と同じにしてあげるのが男女同権と無意識に思ってるのではないでしょうか。
来週から本格的に花山さんの登場です。どのように描かれるのか、唐沢さんがどのように演じられるのか、とても興味を持って楽しみにしています。
面白い朝ドラは、ああ、もう半分来ちゃったよ、もう半分大切に見なきゃと思うものだけど、まだ半分か、あと3カ月もあるのか、と思うと、うんざりする。
もう終戦で終わってくれていい。今まで、きちんとこちらへ伝わらないにしても「ととになる」「ととになった」といろいろ言ってきているから、テーマはそれなりに一応まっとうしたでしょ。
「本を作る」は、本来要らないもののはず。日常を大切に、スーパーウーマンの話にしないと喧伝してきたけど、だいたい出版社を立ち上げて本を作ろうなんて女性が、非凡でないはずがない。私たちとは違うんだよ。
知的で聡明で視野が広く、観察力が鋭くアイディアやひらめきに富んでいて、世の動きに敏感で社会性が高く、意志が強い、ぐらいの要素は、最低限必要。つまり、モデルの大橋さんのような人。主人公ってドラマ見る限り、彼女みたいな人間じゃないでしょ?
そもそも、このドラマには大きな無理があった。「ととになる」「本を作る」「でも普通」「何気ない日常を大切に」なんて根本的に矛盾する要素が一つのドラマで全部成立すると思ってるんだろうか。
要は、テーマが分裂してるんだよ。「何を言いたいのか/やりたいのかわからない」という評が多いのはそのせい。
そもそも、作り手自身もこのドラマを通して何を主張したいのか、よくわかってないんじゃない? ただただ、視聴率を高く維持したまま終わらせることを目指してるばかりで。
このドラマを批判的に考えネタバレを見ている人と、ネタバレを見ないで放送を見ている人ではドラマの見方が違うと思うな。
ネタバレ見ていない私は、今週常子たちの家が爆弾で被害がでるのではないかとヒヤヒヤしていたし、組長さんなんかは町内の人に悪態をついていて、もしかしたら空襲で死ぬんじゃないかと思っていました。
実際の放送では小橋家に何も被害がなくてホッとしましたね。でも、放送前にネタバレを見ている批判的な人には、このドラマの戦争の話はたいしたことがない話に映ったのでしょうね。
ネタバレ見てない私でも空襲の場面はヒヤヒヤはしませんでしたよ。物足りなかった。
このドラマ……とにかくヒロインの演技が全てを残念な方向に持っていっているんだと思う。
瞬き多いな~と思ったら、全く瞬きしなくなったり、顔芸過ぎてww
高畑さんの表情演技は素晴らしいと思います。この年代の女優さんではトップクラスだと思います。このドラマ脚本もいいですが感情表現が大切なので、演技力の無いヒロインだったらとても残念なドラマになっていたと思います。明日からは本格的に出版に向けて常子達の奮闘が描かれていくのかな、楽しみにしています。
本来編集者としての修業期間が戦争末期と重なり何もできなかった
松竹に入ったのに何のトピックスもないまま退職した「春よ来い」を思い出した
一応、三ヶ月の折り返し地点。ようやく戦争が終わって、戦後という新しい時代に向かう前の起点となる大切な場面なはず。そういう重要な場面で主人公が口にする印象的な台詞は、選び抜いたものであって欲しいと私は思う。過去にあんな場面があったから、こんなことを乗り越えてきたからこの言葉なんだ、この言葉しかあり得ない、そう思わせて欲しいと私は思う。そして恐らく作り手もそう思って選んだ言葉なのだとは思うのだけど、「出来る、出来る、出来るーーーーーーっ!!」には、そういうパワーを感じられなかったです。私は。
いよいよ来週から本格的に雑誌の編集に携わる、終戦はその大切な節目。昨日は前半の締めくくりだと思われるが、ラストが突飛で雑で何かが省略されているみたいで、まるで総集編かと見間違えた。
まずは甲東出版の谷編集長や五反田たち社員が無事かどうかの心配もしないのか。
家族に対して「とと」になると言うならば、自分のことよりもまずは妹たちに、これからはコサージュを作って装っても、家に花を生けても、好きなだけ小説を書いても、外に笑い声が聞こえても、もう誰にも咎められないと言い安心させることが先じゃないのか。好きな内容の雑誌を作ってもいい世の中が来たと喜ぶのはその最後でもいいと思う。
鞠子も美子も、出来る出来るとはしゃぐ常子に戸惑い、仕方なく付き合い笑いをしているようにすら見えた。常子のはしゃぎっぷりが唐突過ぎて引いてしまった。
わたしには満足できる朝ドラです。明日も見るのが楽しみです。
自分もこのドラマ好きです。
つまらないという人の気持ち良くわからないのです。
常子は、元気なのが魅力。たまに暴走するけど、そんなところも魅力。
充希さんこれからもガンガンやって下さい!
失いし
積み上げた宝
想い人
リンゴの唄に
誘われ帰らむ
常子だって、国威高揚のための本の出版に加担していたのだから、最後の花山の思いに近いもの(想像ですが虚しさだったと思う)を感じていいはずなのに、思わず自己中心的なしかも子供っぽい喜びに満たされてしまったのね。
こんな人が作る本なんて読みたくもない。どうしてこんなヒロインにしてしまったのだろう。
しかも、その演技も問題ありだと思う。不思議に感じたし、違和感で不気味な気持ちになってしまった。いくら不本意だったとしても、自分のしたことに対する責任みたいなものが全くないというのが。そんな複雑な心境を演じているようには見えなかった。
先週の予告の映像で、常子の目玉の大映しがあったけど、私はてっきり東京大空襲の恐怖に固まった目だと思ってたら、叔父さんを泥棒と間違えた時の目だったのね。
泥棒も怖いけど、東京大空襲の恐ろしさも、もっとちゃんと伝えてほしかったな。
鞠子はドリカムのひとだよ。
前半が終わり明日から後半。いよいよ本格的な出版業に突入ですね。
前半は常子のとと姉としてのキャラクター、自分よりもまず家族や他人のことを考え行動する、それでいて自己犠牲を犠牲と思わない、明るく前向きで行動的なキャラクターが様々なエピを通して丁寧に描かれてきたと思います。それが時として空回りしたり無礼になったり決して完璧な人間像ではないですが、それでも家族や他人の思いを大切にするキャラにブレはありませんでした。人間味のある、私には感情移入しやすいキャラクターでした。
そして社会人になってからは、家族の生計を立てるためにお金を稼ぎたい。その強い思いは当然として、二つの会社での経験と戦争から、職場での男女同権の精神の大切さと、戦争賛美でない自分の思うような雑誌を作りたい、それはできれば当たり前の生活を伝えるものでありたい、という今後の人生の二つの目標ができました。それを伝える描写が十分かどうかは個人的な受け止め方によると思いますが、私は十分伝わったと思います。役者の皆さん、特にヒロイン役の高畑さんの豊かな表情演技も素晴らしいです。
今後はそんなこれまでの経験を活かし、常子がどんなふうに雑誌の明確なビジョンを定め、
会社を立ち上げることになるのか。明日からの展開が楽しみです。
ところで、常子達と関わる登場人物以外の人が、実に少ないように思います
深川のときは、まだ人の行き来があったように思いますが、時々挟まれる戦時ニュースと、常子達の住まいの様子があまりに違うので
壊れた家屋など、周辺の町や人の様子もあった方がよかったなと。(そんなの朝から見たくないと言われそうですが)
話し言葉だけでは伝わりづらい
いよいよ、暮しの手帖の出版編へ
流石に「新世界」みたく、いきなり できてるってことは、ないよね?!
ますます面白くなりそうでワクワクしてます。
いいわぁ~こんな朝ドラ。
花子とアンなら蓮子、もしくはディーンみたいな人がいないということなのかな?
おれはそんなのはいらないと思う。そんなのを意識して置くから、物語がスカスカになるのでは?と思う。
それに常子達と関わる人を無理してつくる必要もないと思うし、朝ドラはそれが定番じゃないよ。しいて言えば花山くらいかな?
超浅ドラ→退屈だわ
いいえ、違います
町の様子などと一緒に、人全般です
空襲の翌日、配給をもらいに来たのは、常子達だけ
お竜さんの幼い弟妹と遊んでいる美子達。周りに誰もいない
町の人は、どこ行っちゃったんだろうと
「瞳」や「おひさま」のように無駄な脇役がやたら多い朝ドラもあるけど「とと姉」は少ない気がする
一方でタイピストあんなに人数要らんかったやろとか
確かに毎日が総集編みたいかも。すごく見やすいんだけど、あっさりしてて記憶に残らない作品だなと思ってた。
家とか仕事の手に入り方が全部恵まれすぎてて、こんなにラッキーなことばかりの一家じゃ応援したい気持ちも湧き上がらない。とりあえず小橋一家はあの時代の中では裕福な方ってことでいいのかな。
何より好きなことやれる!と敗戦を喜ぶなら、編集の仕事をもう少し丁寧にやって欲しかった。それはこれからってことなんだろうけど、たまたま見つけた仕事だし、検閲されたページを破るのと花山のイラスト回収しか印象がないから、タイプライターの職場を半分位にして、常子が戦前に雑誌作りにはまってく様子にもっと時間を割くべきだった気がしてならない。
これでもう出版社起こすの?って今週もまた総集編のような印象になりそう…。
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