5 | 254件 | ||
4 | 105件 | ||
3 | 62件 | ||
2 | 51件 | ||
1 | 217件 | ||
合計 | 689件 |
↑水上あさみさんではなく
水川あさみさんです。
大変失礼いたしました。
連続ドラマにはむいてなかった原作なだけ。
万民が観たいと思うような作品ではないだろう。
特に出演俳優のファンじゃないけど
でも何だか惹かれるところがあって毎回録画して観ている。
綾瀬さんはコメディよりこういう役のほうが好き。
連続ドラマ向けの原作でないことは確かです。
この小説が発表されたのが2005年。世界初のクローン羊ドリーが死亡してから2年後で、テロメアによる老化が議論になっていた頃でもあります。
小説の中では、戦後(第二次世界大戦後)にクローン技術が確立され、1970年代には広く普及した記述がある以外、具体的な説明はありません。
誰が何のためにこの制度を作り、どのように運営されているかは明らかにされていないのです。
主人公が自らの記憶をたどる形で物語が進みますが、『あらかじめ決められた運命から逃れられない人々』が基本になっていると思われ、クローンの是非というよりも、『人は何故生まれてきて、何のために生きている』がテーマなのかなとさえ思えてきます。
実際、最後まで見ないと森下さんが求めているゴール地点を窺い知ることはできないと思います。
なので、星を含めた最終的な感想はその時に書くつもりです。
物語に興味をもたれましたら、全話見終わった後に小説を手に取ってみることをお薦めします。
この世界には、はまれないな。
やはり、英国ものを日本キャストでやったことが失敗だと思います。三浦春馬って、どの作品も良くない。
私は逆に三浦春馬さんこの作品で見なおしましたよ。難しい役をちゃんと演じていると思います。魅力がないとか言いますが、トモ自体がが癇癪持ちの友達も出来ない、周りの子らにも引かれるキャラなので、「気持ちが悪い」と言うのはちゃんと演じれている証拠じゃないでしょうか?魅力的なら、コテージでもモテモテでキャラが変わってしまいますし(顔がイケメンすぎるので)イケメン三浦春馬を消せていて素晴らしいと思った。大人になっても純粋にそのまま大きくなった感じが良く出ていますし、表情、仕草一つ一つが翼くん演じたトモそのもので、とくに7話の恭子が「塀は…」と言ったあとの表情や6話の地図を見つけて二人に駆け寄り「ちょっとこれ見て!」は幼少期の姿まんま、翼くんの演技がダブりました。ドラマ直前スペシャルだったかな?三浦さんが癇癪のシーンを見にきている所があったと思います。良く研究されたんだなと感心しています。ドラマは恭子と美和の関係が深く掘り下げられていて映画より私はイイと思っています。感じ方は人それぞれなんで。
残り3話今後の展開が楽しみでしょうがないです。
三浦春馬だから これが精一杯だと思う。癇癪もちで いつも孤立しがちなとも。ともなりに秘めた哀しみもあるだろうと思うけれど、そういうものを感じとることはできない。 薄っぺらい存在感。 しかたない。
次は花もゆの脚本家だし期待できねー
友は「気持ち悪い人」ではないんですよ。なのに気持ち悪くみえるってことは残念ながら三浦春馬が友を演じきれてないんでしょう。
もうリタイア いつも見ているけどおもしろくなりそうにない 何がいいたいのかわからないし魅力がかんじない.人によって思いかたは違うけど何にかんどうするかもわからないしどこでなけばいいかもわからない 脚本家がだめなのかわからないけどよさがない だからもう見ません ギブアップ
友彦は感情表現が苦手と言うか自分の考えや思っていることを人に伝える術の能力が劣り、自分でもどうしたらよいのか戸惑い、またそれが周りから理解されず癇癪を起こしていましたよね。成長した友彦のそんな不安定な精神的特徴を三浦春馬さんは巧に演じていると思います。普通に見たらそれは気持ち悪いと言えるかも知れません。
こいつ何考えてんだよ、気持ち悪い。
友彦にもっと近づいて見たらまた見方が変わると思います。役になりきり友彦として生きている役者三浦春馬に出会えるはずです。
最初は三浦春馬にイラっとしてたけど上手いと見直した
内容が濃くて、とても楽しい!
綾瀬はるかさんや、水沢あさみさん、三浦春馬さんの安定感ある演技は、内容に入り込めてとても良いです!
見ているこちらが切なくて仕方なくなる内容ですね。
最終回まで楽しみです!
ビデオに録りためていたものを一気に見ました。
皆演技が上手く、重い話だけど面白いです。水川あさみちゃんはこれまでこんな嫌な性格の役をしているのを見たことがなかったので意外でしたが、悪びれず恭子にけしかけてくる感じが腹立たしく、こんな役もできるんだ、と思いました。
トモと恭子二人で猶予を勝ち取れるのか、陽光は本当はどんな学園だったのか、続きが楽しみです。
馬場園さんがもう出てこなさそうなのは残念です。
どのドラマでもオタの意見は歯がうきそ
見ていて悲しくなるのでリタイア
もっと短く終わったほうがよいと思った
映画があるそうなのでそっちを見ます
賛否両論を獲得する見事なドラマ
綾瀬さんが免許持っているかは知らないけど、テレビに映る素を知っていると取れるかどうか微妙
小説にはおもに娯楽小説と私小説があります。
ー恭子は言った。ーとか
ー恭子はその時こう思ったさ。ー
という文が頭にくるのが普通の一般的な娯楽小説です。対して、
ー私の名前は保科恭子。ー
という紹介から始まり、その後の話が全て彼女の主観でかたられる小説が私小説です。
保科恭子さんという作家がいれば正真正銘の純文学ですが作家は別にいるのです。
このスタイルは古くは、ドストエフスキー『地下室の手記』等によって確立された書き方であまり数多いスタイルではありません。
『私を離さないで』と題されたこの私小説を書いているのは恭子であり、カズオイシグロではない、という前提においてカズオイシグロが書いている事になります。
理屈を書けばややこしく聞こえますが読み始めればとても読みやすい小説です。
このタイプの小説は映像化がとても難しく戯曲のようにはいきません。
同じ世界観はなかなか見せられないため別な手法をとらざるを得ません。映画ではこれ以上ないという美しい映像に変えて世界観を表現していました。
テレビドラマ化に際してはあくまでも作者は恭子というスタンスで仕上げようとしています。
しかし恭子は外側の世界の事を何も知りませんので物語の世界観が極めて小さなものになってしまいます。
一見するとSFのようだが
世界の定義があまりにも幼稚なのはそのためです。しかし見ている方はとても気になるので、その欲求を満たすために真実という人物をあらたに登場させたのだと思います。
ここで、ひとつのルールが壊されます。
恭子の手記であるなら、恭子不在の場面は存在しえないからです。
結局、外側の世界観がやや中途半端になってしまってそこに批判が集中しているように感じます。
恭子目線をしっかり取り戻さないと、この物語は美しく終わりを迎えることは出来ないでしょう。
心配はしていませんが……。
と2016-03-01 21:40:15さんがおっしゃるように、とも は決して「気持ち悪い人間」ではないと思います。 なんにでも一生懸命で純粋な部分は 魅力的な人物でもあると思います。 でも、演じ方によっては、このドラマのように なんとなく違和感ばかり感じてしまう ともになってしまったのが もったいなかったと感じます。
昔の筒井康隆さんの作品にこれと同じ手法で書かれた短編小説がありましたね、
『オレに関する噂』
というタイトルでした。
映像化はされていないかな?
私は映画版のトミー、アンドリュー・ガーフィールドもなんだか気持ち悪かったんです。
他の作品ではかっこいいのに、髪型のせいかなあなんて思ってました。
三浦君もそんな感じなのかな?
私はドラマの友は、よく考えられて演じられてるように思うけど。
もうラストは見えた、私はこんな風に生きたんだって。ただそれだけ。恭子のプロローグで終わるんだ。
1話、2話では ただただ救いのない重いドラマかと思っていたが 6話、7話にきて 環境は激しく違えども 共感をできる所もでてきた。
小説では 逃げ出さない 反抗もしない子供達がドラマ版ではなぜ?と考え行動する。
三人が愛しく思えてきて 静かな涙が溢れる7話でした。
重厚なドラマになってきていると思います。
私はこの作品でまだトモの見せ場は恭子に夢を語る所、CDを探して渡すところくらいじゃないかな?と思います。恭子への一途な思いを7話で見せてくれていますし、あと3話でトモの見せ場はあると思ってます。とも=気持ち悪いじゃないと言われてますが、1話から見ててトモの書かれ方は正直私たちの日常からしたら気持ち悪いと言われてもしょうがない人物だと私は思います。ただこの世界の人間からしたら希望を持ち続けているトモは強くてずっと変わらない所もとても魅力的には見えるんだと思います(恭子はトモに一途なので)
普段の三浦さんからは全く気持ち悪さは感じないので良く演じているんだろうなと思います。普段の三浦さんが気持ち悪いなら別ですけど。
小説や映画では逃げ出さないし反抗しない。だからこそ重厚で深いんだと思います。ヒューマニズムや常識を中途半端に入れてしまうと、せっかくの作品の世界観が壊れます。
はまれたらいいけどね。
この世界にはまれる人は幸せ
3ヶ月つ〜まらん…
恭子のナレーションが多くてうざい!
という意見がありましたが、第七話を見てなる程言葉の選択がちょっと仰々しいかな?
と感じました。
三人が再開して、車内がとても穏やかな空気に満たされたとき、いきなりナレーションが入るのですが、あれはいらなかったかな……
と思いました。
出来れば三人のとりとめもない話を続けて笑ったりしながら陽光の門にたどり着いてほしかったなぁ…。
七話の車中シーンは三人揃っての唯一の幸福な場面(おそらく…)ではないかと思われるので、役者さんのアドリブでもいいから、もっとはじけてほしかったなぁ…。
例えば、綾瀬はるかさんの十八番のウサギの物まねくらいれてもよかったかな。
(第一話で鈴木梨央ちゃんもやってたし)
と思いました。
自然科学の急激な進歩で、「クローン人間を造っての提供が実現するかも」なんてことは、杞憂に終わっていますよね。
なのに、敢えてこれをテーマにした理由を知りたくて、つまらない(いまのところ、脚本、演出、映像、全てつまらないです。ただ、キャストの皆さんは頑張っていると思います)ドラマを観続けています。
以前に、テーマは違うのですが、延々とつまらないフランス映画を観た時に、状況は変わらないのに最後の最後の構成の妙で、素晴らしい作品を観た満足感で映画館を出たことを思い出します。
もし、最終回後もつまらなかったら、このドラマの製作陣に抗議したいくらいです。
多分、このドラマで傷ついている多くの人々がいらっしゃると想像できるから。
製作者さんたちの成果発表会かと思う様な前のめりなドラマの様相はしっくり来ません。
大河かといわんばかりの力みがかったテーマ曲も違うかなと感じますし、綾瀬さんの深刻な語り口や思わせぶりなセリフも。
この話しは、使命という絶対的な壁と、おぼろげながらいつでもたちかえられる幼少の日々と
きょうこの目を通して語られるこの世界観から視聴者が彼らの生き様に何かを感じ取ればいいという作品だと思うのですが。
憲法まで引っ張ってきてあんなに一方的に説明をされてはかないません…。
徐々に原作の持つ世界観から乖離し始めたという気がします。
カズオ・イシグロ氏は脚本を読まれて、評価していたと思いますが、
そもそもご自分が書かれたこの本が全く自分の意図していたとおりには決して映像化されることはないだろう、と踏んでいるのではないでしょうか。
私も原作に強く惹かれて、賛否はともかく何度も何度も読み返したクチですが、全く別物と考えればこのドラマはそれなりに見ごたえがあると思うようになりました。
キャスティングも悪くないです。綾瀬はるかを見直しました(アジアン馬場園も)。
着地点をどこに置くのか、最後の恭子のセリフや立場をどう描くのか、単純に興味があります。
どのみち風土や人種の違いがある以上、原作に忠実になんて脚本が書けるはずがないわけで、そうなるとこれまで幾多のドラマで高い評価を得てきた脚本家が果たしてどうラストを描くのか期待してみようと思います。
設定に引っ張られすぎだよ
これに限らず、原作を映像化するにあたり、何らかの自分の痕跡を残したいためにも見えてしまう様な、元の話を少しひねくる事って上手くいったためしがあまりない様におもいます。
この小説の作者が伝えたい事が作者の本来のリズムでかたられているところに、ちょいと日本風味の味付けをしてそれが何の役に立つでしょうか。
ドラマの受け手が日本人、ドラマの製作者が日本人だなんてそれ程考える必要のあることなんだろうか?と個人的には思います。
そもそも原作もイギリス人だけに向けたものではありません。
作者がというより、このお話が何を伝えようとしていたか?が全てであり、それを念頭に、決して損なうことのないようベストを尽くすことだけでも十分価値がある事では。
そうやって作ったものだって様々なバックグラウンドの受け手が作品に触れて多種多様に勝手な解釈します。
なのに色々と手を加えたり細かな定義付けをしてしまったもの(真美の登場や憲法というキーワード)をさもすごいだろうという様な感じで見せられるのが、個人的にはなんだかなと思います。
臓器提供の最終段階にきた美和の諦観と最後の希望を描いたシンプルなストーリーの第7話は、恭子にとって美和と友彦のふたりが掛け替えのない存在であることに気付く救いがあり、静かな余韻を残しました。
こころを見捨てた恭子に対してこころにしがみついて生きてきた美和。恭子にしてきたこれまでの行為を、怒らせたかったからと告白する美和の冷静な自己分析に彼女の変化が見えます。恐らく美和は過酷な境遇に耐え切れず、母親に甘える子どもみたいに喜びや哀しみそして怒りを恭子と共有したかったのでしょう。恭子と別れることを最も恐れていた美和が離れて実感する恭子の存在、それは同時に美和にとって恭子が最も必要とされていたということになります。親も身内もいない恭子と美和のふたりだけのつながりが浮き出て来ます。
そして、
無垢で純心な友彦のそのこころねの変わらぬ姿に出会い、かつて好意を寄せた自分が間違っていなかったと思える恭子の安らぎ。
こころはいらないと絶望した恭子の冷たいこころに微かな温もりが射す帰郷の車中場面の(とても美しいものを見た気がした)という恭子の言葉にまとめた、静穏で味わい深い回でした。
恭子はふたりに天使(良心)を見たのではないか。その良心とは自分のこころに正直に生きる美しさ、と言えるのではないでしょうか。
続きが気になって仕方がないドラマです。
臓器提供のために人間を育てるって、かかるお金を考えたらあまりに設定に無理があるとはわかってはいるんだけど、どこかリアルに考えてしまう自分がいます。
今自分が、自分の命を自分のために使うことが当たり前として生きているけど、そうじゃないことが前提で育ったとしたらって考えると、ものすごいリアリティのある心理描写な気がします。
金曜日ドラマはまれないと辛い。見るのないから楽しみが。他の日に比較的重なって好みのがあるから。迷惑な方は省略でとばして見ないだろうから。あぁこの世界観分かりやすい上に本当に気分が悪くなる。恋愛の三浦くんと 水川さんの関係にイライラ…。
本当に臓器売買のために産まれて使われてしまうなら残酷なはずなのに、ただ恋愛でやきもきしてるだけに見えたり。
綾瀬さんだからかなぁ。なんか違うばかり思いました。
陽光で育てられた子ども達があんなになるんだろうか…。
二話までは吐きそうになりながら見たが…はまれなかったなぁ。
煙草吸ったりするんだろうか。恋愛はあんなにするんだろうか。
さっぱり分からん。的外れだったらごめんね。
早くこの枠本来の姿に戻ってほしいですね。このドラマでの臓器の扱いだけがおぞましいわけではなく、なにからなにまでもがおぞましく見え、このドラマを冷静に見ても美化できるものがひとつもないことが腹立たしいです。このドラマを見て美化できる点かあると言える人はいるでしょうが、わたしのように美化できる点がないと言い切る人間が多いのが現実であり、その結果が視聴率へと連動しているのだと思います。
何だか見ていて嫌な気分になる。
綾瀬さんは好きだから何とか見てるけど
二時間ドラマや映画向きのお話の様な気がする。
確かに前作は出産と言う命の奇跡というもの見せて貰ったから、正直今作は全く別次元の話で何の感情も湧いてこない。ただ後味の悪さだけが残る、着地点だけを見届けたいと思う。多分自分が思うようなものにならないこともわかっている。
本気で入り込んで見ようとすると、彼女達の運命のあまりの残酷さに呆然としてしまう。同時に怒りも湧いてくる。辛すぎる。かと言って、こんなことはあり得ないんだからと思いながらみると、あまりに絵空事でどうでもよくなってしまう。なんな複雑な思いで毎週見てます。
ソメイヨシノというお馴染みの桜は日本中に無数にあるが、大元の木は一本しかなく、それは突然変異で生まれたものでした。確か、親木は京都かどこかにあるらしいが、他のソメイヨシノは全て挿し木から株分けされている。
提供者は植物に喩えると、挿し木によって元木から殖やされた個体のような存在といえる
。このドラマでは出てこないが、全く同じ人間を大勢創ることも出来る。
国家は一応に人権を与えるだろうか?
つまらないよなぁ、
今週はけっこう本気で待ってた感じ。
陽光は真実の自殺が原因で教育方針に批判が集まっての廃校って感じなのかな?ってところは考えてたけど、予告に出ていたあの子供時代の恭子と対面していたシーンはなんなんだろう?
クローンだから何世代も同じ子供が生まれるんだろうなとは思うけど、どのように出会うのか、そこから新たな謎解きがあるのか?ってすごく気になる。
かなり気味が悪い。いい気分にはなれない。人間の扱い方の乱雑な描写、人間を天使と言う名の道具としている描写ただただ気味が悪い
見たかたいるかな。なんかつけたら疲れる…まだ諦めきれない、
宝物は、恭子、美和の宝物。
わたしを離さないでと絶叫する美和
わたしたちは天使だから、と恭子
美和の最期が恭子にこころを、友のところへ。
友と恭子、猶予を、時間を取り戻せるのか?
今は、美和の死が悲しい。
気味が悪いと感じたあのシーンに関しては、気味が悪いと感じるのが正しい反応だからそれで良いと思う。
人間をバカにしてる
気分悪い、描く中身に意味あるのか
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