




![]() |
5 | ![]() ![]() |
404件 |
![]() |
4 | ![]() ![]() |
98件 |
![]() |
3 | ![]() ![]() |
65件 |
![]() |
2 | ![]() ![]() |
105件 |
![]() |
1 | ![]() ![]() |
563件 |
合計 | 1235件 |
情報局長の演説に 心が寒くなりました。
政府が全責任を追う。
国民は信頼してください。
なんか 現代でもよく聞く フレーズだと思ったら さらに 気持ちが暗くなった。
有馬アナは 放送人としての 気骨のある方だったんですね。そこが 救いです。
しかし 黒沢さんには 逆にガッカリ。
花子の決意を 先ず理解してくれるのは 彼であるはずなのに。
曲がり門まがってしまって それぞれの道が分かれていく。
家族の中でさえ 気持ちが引き裂かれていく。
来週は さらに 厳しい展開になりそうですね。
あ、余談ですが
今まで なんとなく自分の中で混同してしまっていた 飯田きすけさんと 堀部圭亮さんの違いが しっかり認識できるようになりました(笑)
これまでお堅い冷たい印象だった有馬アナのアナウンサーとしての確固たる信条が判り今日はいろいろ考えさせられました。
花子のこれでいいのだという決心した表情も良かったです。
また来週から波乱万丈そうです。
壇蜜さん来週登場のようですね。
ラジオから流れる日本軍進撃のニュースを聞いて歓喜する国民。
今日は戦争とラジオ放送がテーマでしたね。
同じ放送局の人間でも、時代に迎合しお上におもねる漆原と、扇情的でなくあくまでニュースを客観的に伝えようとするアナウンサー有馬の対比が印象的でした。
そして花子は放送を通じて子供たちを立派な小国民に導くようにという命令に、ついにラジオのおばさんを辞めることを決意しました。その脳裏には当然、蓮子の言葉もあったでしょう。毅然とした態度による強い意志表明でよかったと思います。
最後に有馬と別れの挨拶を交わすシーン。「お世話になりました」「お疲れ様でした」とごく当たり前の言葉ながら、これまでむしろ対立してきた有馬との間に、同じように時代を憂う気持ちが通い合うのが伝わって、とても胸に沁みるシーンでした。昨日から、有馬さん役の堀部さんの表情演技がとてもいいですね。アナウンサーとしての矜持をよく表していると思います。
朝から暗い場面、暗い話、不気味な声のナレ、おばさんに見えない花子、脚本家さんの熱意、本音、放送局の視聴率ねらい、受信料払いたくない、
暗いとか、嫌な奴がいるとかいう理由で叩く人って
作品を見る力がないなと思う。
最近はちょっと主人公が辛い目にあうだけで「無理〜イライラする〜もう読まない〜」とかいう漫画読者もいるくらいだから
こういう人たちは昔の文芸作品とか名作なんて何一つ読めないんじゃないかと思うくらい
逆境に対する耐性がなさすぎて笑えるほどです。
どんだけゆとり…どんだけヘタレ…w
こういう人たちはもうテレビや漫画や小説は見なくていいですよ
自分の好きなハーレムものだけ見てればいいです。
まあべつにだからって花子とアンが好きなわけじゃないけど
戦争に突入してからまあまあ面白いです。
序盤での空襲のシーンの、特殊メイクで老けた花子、無かったことにする気かよ。
玉手箱でも開けさせるんか?
>私は逆に大人になってからアンが好きと思ったいうご意見にうれしい気持ちでした。
単なるリップサービスとしか思えなかった。
ドラマから
赤毛のアンへの愛着が全く感じられませんもの。
朝市のギルバート
醍醐さんのダイアナ
扱い方がひどすぎだし
朝ドラを観るのは「おしん」以来です。
少女時代から「赤毛のアン」が大好きでこのドラマを見始めました。
初めは脚本に違和感を感じながらも、次に期待しながら見続けてきました。
が、もはや我慢の限界です。
最近は早送りして見ています。
何故それ程までして見続けるのか。
「赤毛のアン」に関することは見逃したくない、それのみです。
このサイトで同じ考えの方が沢山いることを知り、慰められました。
愛すべきキャラも多いのに、主人公の花子がミスキャスト。
脚本がひどすぎる。
一番腹立たしかったのは、花子の翻訳が初めて本になった「王子と乞食」の本を見た時でした。
立派な装丁 表紙に大きく「翻訳 村岡花子」
表紙を開いても「村岡花子」
作者の「マーク トウェイン」の名前がどこにも出てきません。
おまけに花子は「、、、に捧げる」とまで書き添えている。
図々しいにもほどがある。
「王子と乞食」を書いたのはマーク トウェインてしょうが!
あのころのアナウンサーって、今の北朝鮮のアナウンサーと同じだったんですね。
このドラマで赤毛のアンなんておまけくらいでいいと思う。
無理に絡ませなくても何とも思わない。アンチがここでよく言う
花子「私とアンって似ている~」でいいし、とりあえず、花子が
赤毛のアンを略したと言うことが分かれば十分です。
重箱のすみつつきしなければ、このドラマの内容はとても分かりやすいと思います。私のまわりでも「ごきげんよう、さようなら」を聞くと条件反射で口にだす単純な人も多く、楽しんでいる人はいっぱいいるよ。
ただ、花子の名前へのこだわりだけは変人だと思いますが。
>このドラマで赤毛のアンなんておまけくらいでいいと思う。
タイトルにアンをつけ
オープニングにグリーンゲイブルズを映し
アニメのアンが登場する
それでおまけってておかしいでしょう。
公式サイトでも「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子の明治・大正・昭和にわたる、波乱万丈の半生記です。
と書いているんですし。
アンを書いた人じゃなくて、翻訳した方ですからね。
アンかぶれがさらにかぶれるようなドラマはみたくないよ。
もともと始まりはアンかぶれでしょう。
つじつまの合わない
アンの小ネタをちりばめて
架空の人物はアンの登場人物の名前をもじっているし
アンの小ネタなんて入れないで
はじめから花子と蓮子
と堂々とダブルキャストにしておけば
ここまで批判されなかったと思いますよ。
だったら最初にやたら赤毛のアンの引用をするのはやめるべきでしたね。
いいところだけパクっておいて、それが批判されたから
途中から路線を変更したようにしか見えません。
花子の性格も最初は「自由な発想の人」としてもちあげる描写してたのに
それが視聴者に受け入れられず、変だとか自分がないとか言われたから
自分がない人として表現を途中から変えたようにしか見えません。
だから一貫性もポリシーも感じないんですよ。
今のなっては赤毛のアンはおまけ扱いですが、最初は「私とそっくり!」と言うような示唆をしてたんですよ。
今はそれも批判されて、アンと似ている私という設定は省いたみたいですね。
>「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子の明治・大正・昭和にわたる、波乱万丈の半生記です。
そう 村岡花子の波乱万丈の半生記なんです。
「赤毛のアン」に出会うまでの人生を描いてるので
今の描かれ方で間違ってないと思います。
>「赤毛のアン」に出会うまでの人生を描いてるので
今の描かれ方で間違ってないと思います。
いや間違っていますよ?
翻訳家になれたのは英語力だけという流れですから。
断言できる
このドラマはごちそうさんやあまちゃん、カーネーションみたいに何の賞ももらえない。
梅ちゃんみたいにキャラについたファンがたくさんいて、ブレイクする男優も出てこない
断言できる
このドラマはごちそうさんやあまちゃん、カーネーションみたいに賞をもらえたりしない。
梅ちゃんみたいにキャラについたファンがたくさんいて、ブレイクする男優も出てこない
でも朝ドラはあらすじ的に物事をすっとばして展開早くやっておけばいいのだというテンプレになる
相変わらず,花子の英語(の発音)は…。
もっとも吉高さんは舌が長いのか短いのか
日本語の発音もいささか…。
とにかく「I see.(アイ シー)」の発音にはガクッとなった。
日本人で「see」や「sea」と「she」の発音の区別が
苦手な人は,ときどきいるのだが…。
他にも,「f」や「v」の発音も全くできておらず,
とても英語ができた人とは思えない。
賞、もらえますよ。テレビジョンなど主催のものは、結構頂くでしょうね。
過去の経験から言って断言してもいいくらい。ww
翻訳家に英語の発音が上手いかどうかなんて あまり関係ない。
本を読むだけなら、発音は関係ないですよ。しかし、映像.ドラマとなると話は別です。エイゴってなんずら?の娘が、たった10年で 主席となり 英語教師をしないか?と誘われ 校長先生に 誇りだ。とまで仰って頂けると言う設定ですよ。他の学生が通訳なしでは通じない。と言う設定もどうかと思いますが。そこは100歩譲って。英語教師の代わりも出来るくらいに 努力した。と言うなら…。やはり 小学校の代用教員や出版社での勤務のブランクあったとしても、お懐かしい 恩師との会話は 主席たる発音でお願いしたいところだと思うのですが…。
鈴木亮平さんはブレイクしてる
賞も取れるに決まってるやん
中園なめんなよ
>あのころのアナウンサーって、今の北朝鮮のアナウンサーと同じだったんですね。
堀部圭亮さん演じるアナウンサーのことでしょうか?
そうだとすると,違うと思うのですが。
北朝鮮のアナウンサーは,変な抑揚をつけ,
あの人や自国を讃える感情たっぷりにしゃべります。
一切感情を交えず,余計な抑揚を加えず,で
原稿を読むことを心がけている「有馬次郎アナウンサー」とは
違います。
共通するのは「原稿を一字一句間違えずに読むこと」と,
「発音・滑舌に注意して読むこと」でしょうか。
でも,この2つはアナウンサーがニュース原稿を読む
基本だと思います。
どこに注目するか、人それぞれなので、気になる人もいるってことで。
うちのジジババが発音のそれに気が付くとはまったく思えないし、自分もそれほど英語が堪能ではないので気が付かった。
ただ以前より流暢になったかなとは思った。
塩屋孔章さんって方に指導も受けているんでしょ。なかなか本番に強くて上手いって指導者は言ってましたけどね。
「日本人として彼女自身が考えたこと、思ったことをご自分の英語にして話しているのです。だから本当に“はなさん”、花子さんと一緒だと思います」とはその方談。
> 翻訳家に英語の発音が上手いかどうかなんて あまり関係ない。
でも村岡花子ですから関係あるかと
彼女は10歳の時から
ミッションスクールでカナダ人たちに囲まれて育ったんです。
戦後友人のご主人がGHQで裁判に書けらてた時も
弁護士顔負けの弁論(英語)で
助けたという事実もあるし
ヘレン・ケラー来日時に通訳もされました。
プロのスポーツ選手のドラマとかでも
あんな下手で、プロの選手?とかよく言う人がいるんだけど
演者はプロでもないしね。
そこを批判にするのは、ちょっと違うと思う。
私はこの朝ドラの軸になっているのは愛と友情だと思う。
史実の村岡花子や白蓮の功績を重点においてなんか最初から書かれてなんかいないよ。
花子と蓮子の愛と友情はよく描かれていると思う。これが中心ではないのかな?花子ひとりが目立たなくても花子と蓮子は裏と表のあるひとつのコインと同じだと思うんだけどな、蓮子が目立てば自然と花子もひきたっているよ。
花子と蓮子の決別は良くできた脚本だと思います。蓮子の譲れないプライドと花子の蓮子を思う気持ちがぶつかる場面は今までで一番よかったです。
鈴木亮平はいいよね、将来有望です。吉高花子の演技も回をますごとによくなっていると思います。
このドラマでブレイクする男優いないって、あれだけ朝市伝さまで盛り上がっておいてねぇ〜笑。
村岡花子さんって。本当に素晴らしい方と思います。
好みも人それぞれですので、大絶賛!にまでならないまでも。
こんな批判されるようなドラマにされて なんだか 泣けて来ました。
そうですね
今日の吉高さんの演技も心情が表現されていて、とても良かったです。
吉高由里子がもう少し演技がましだったら
脚本の雑を忘れさせてくれたかも。
脚本だめ朝ドラのヒロインが魅力ないものは作品としてはだめでしょう。
いくら脇で魅力あるキャラがいたとしても。
私は、吉高さんの演技は母親になってからは
よくなったと思いますけどね。
最初はあのキンキン響くしゃべり方が苦手でしたけど。
吉高さんより脚本がだめだめだと思います。
たぶん、北朝鮮のアナウンサー風と言いたかったのは、堀部圭亮の方ではなくて今日から出てきた軍関係のお偉方のアナウンスのことだと思われるけど。
やまとなでしこも松嶋菜々子じゃなかったら、
どうだっただろうと思う。
やっぱりヒロインの好感度や演技力は重要。
視聴率がよくなかったら、吉高もダブルヒロインが気に入らなくて途中で降りてたかもね。
老けメイクはやるのかなぁ…。
あの顔で終わるのは嫌だろうけど、やらないと
空襲を逃げるシーンはなんだったんだってことになるよね。
脚本もヒロインもいいから人気が出たんでしょう。
そうとしか考えられません。
脇役もいいし、ダブルヒロインは成功してるし、映像は素晴らしい。
花アンの良さは吉高さんにあると思います。
2014-09-06 12:36:48 名前無し さんに同意です。
吉高さんはヒロインとして十分魅力的だと思います。
内容も面白いと思います.。
でなければ、段々視聴率が上がっていったりしません。
同じか、下がっていくでしょう。
花アンももう少しで終わってしまいますが、最後まで応援して観ていきたいと思ってます。
何をしたいのかが単純にわかる内容でいい脚本だと思うな。
英治がいったように「馬鹿にでもわかる」素晴らしい脚本です。
>何をしたいのかが単純にわかる内容
いや逆かと
まあ白蓮事件をしたかったというのは
わかりやすかったですけど
視聴率と作品の評価(視聴者だけでなくプロからの評価も)は、イコールではないと思います。例えばちりとてちんは評価は高いですが、視聴率は悪かったですし。
吉高さんは好きでも嫌いでもない女優さんですが、村岡花子に合っているかというとどうでしょう。個人的には、吉高さんの花子はあまり知的には見えないのですが。
週の終わり、いろいろなご意見が出て感想欄も賑わい何より、と感じます。
細かいところでは・・・
吉高さんの英語の発音は正直良くないことは否めないと思います。今の若い人は俳優さんでもタレントさんでもいわゆるジャパニーズイングリッシュの人はどちらかと言えば少ないのですが、吉高さんは典型ですね。ともさかさんが上手だっただけに差は目立ちます。英語だけでなく日本語の台詞も蓮子との回想部分などを見ても滑舌が悪くあまり上手とは言えない人だと感じます。そういう意味であまり音に対して鋭い感覚の人ではないのだと思います。
しかし、当時の日本人のことを考えれば私は英語については内容的にきちんとしたことを言っているし、堪能な方と見ることはできますし、台詞発音の稚拙さがあっても吉高さんには全体的に魅力があり、ファンが多いということは非常によくわかるところです。個人的に好き、とまで言える俳優さんではありませんが。
内容的には、今日の展開などは悪くない、というより戦争というものを報道の側面から大変上手く描いているのではないかと思います。前作ごちそうさんでやはり報道の仕事に携わっていたヒロインの妹、希子の複雑な気持ちと今日の花子や有馬の気持ちは重なるところがあります。実際に都合よく洗脳される人ばかりではなく、社会のあらゆる場面で戦争に疑問を感じ、でもそれをなかなか口に出せないで生活を続けていた人たちはたくさん存在したことでしょう。
花子はもう9年間もラジオ番組を続けていたのですね。あっという間にドラマでは時が流れて・・。今週などの展開を見ているとこれまでのこのドラマは一体なんだったのだ、と言うまるで別のドラマを見ているような感じ。村岡花子や白蓮の人生を描くドラマにするなら当然今週のようなものに最初からすべきだったでしょう。
本当になぜ、人生の晩年にやっと出会う赤毛のアンを最初から人気取りの道具になど安易に入れ込んだのでしょうか。タイトルも花子とアン、とするには全体の流れからはどうにもちぐはぐさが漂う感じがしてしまいます。赤毛のアンについては、ただことば使いだの人物の設定だの名前へのこだわりだの、表面的な部分を作者、及び見ている一部の人の「お遊び」のためにこれまで取り入れてきた、というだけのような・・・
小手先の人気取り、自分や特定の人だけが面白がるような遊び的要素にとらわれないで、赤毛のアンなどあまり意識せずに、コメディ要素をふんだんに入れたとしても花子と蓮子に焦点をしぼり、独自の視点で作ればもっとずっと面白い筋の通ったドラマにもなっただろうに、と今週の展開などを見ると残念な限りです。
ずっと心がもやもやしていた花子が今日きっぱりとラジオの仕事をやめる、という意思を自分で表したこと、こういうヒロインの主体性が描かれてこそ、見ている者はそこに時代や環境に対する人間の葛藤ややるせなさも感じられ、そしてそこからどうヒロインが道を開くか、ということにおいてドラマとしては深いものになるのだと思います。
花子の恋愛やこれまでの友情、家族への思いなどにもこういうものが描かれて欲しかった、とつくづく思います。
興行的には視聴率もよく関連商戦も成功、なのでしょうが、ドラマの一作品としては成功とは言えないだろう、と思う作品で残念です。両方が充実するのが本当は一番なのでしょう。
このドラマがあまりにヘンテコなので、かえって気になって日本史を勉強しなおしたよ。
ここでも詳しく解説して下さる方達のおかげでとても理解できて有り難かったですわ。
この歳になって学習意欲が湧くなんて・・・恐るべし花アン(笑)
戦争になってからはまあまあいいと思う
時世の変化が面白いから、キャラの破綻なんて関係なくなるしね。
でもそれまでが酷すぎる。
二人の女の友情がやりたいならウィキッドでも見て基本から勉強しなおしてほしい。
一番嫌いなのは初回から前半にかけての、赤毛のアンパクリと
ロミジュリの寒い改変。
>視聴率と作品の評価(視聴者だけでなくプロからの評価も)は、イコールではないと思います。例えばちりとてちんは評価は高いですが、視聴率は悪かったですし。
それは裏を返せば、プロの評価が高いから そのドラマは面白い、観たい
とういうことにはならないってことでもあると思います。
視聴率が高いということは、花アンを観たいって思って観た人は多かったんじゃないでしょうか。
映像の美しさに惹かれたのか、雰囲気 世界観に惹かれたのか
ヒロインが魅力的だったのか、理由はその人によって違うとは思いますが
そのドラマを観たいと思える要因がある・・・それもドラマとしては
脚本と同じくらい、とても大切なことだと私は思います。
もちろん脚本が完璧で、魅せる要素もふんだんにある作品が
一番良いとは思いますが。
>一番嫌いなのは初回から前半にかけての、赤毛のアンパクリと
ロミジュリの寒い改変。
これはもうねえ、モンゴメリやシェークスピアの作品を文学としてきちんと深く捉えることができてる人ほど、大きな疑問を持ったり、嫌い、と感じて当然だと思いますよ。
冒涜、とまで感じる人が出てきて当然。
そういうところは声をあげていいと私は思う。
でないと、文学作品そのものの価値が失われていってしまいます。
ドラマだから、個人の創作物だからなんだっていい、というのはだめです。
全くのオリジナルならそれでもいい。
でもそこに何らかの形でネタとして使われるなら、それらのファンの人は大声で異論を叫ぶべきです!!
女の友情を書きたかっいたのなら
なぜ、女学校時代決別した後
花子に蓮様を思うシーンを入れなかったんでしょうか?
蓮様は、ミミズの女王を読んで、うれしくて手紙を書こうとし
自分が言った酷い言葉を思い出し、途中でやめる
というとてもわかりやすいシーンを入れていたのに。
肝心の花子は、蓮様結婚後女学校でも甲府でも
本が送られるまで一度も何年も思い返すシーンがなかったというのに。
けなげな醍醐さんへの感謝も全く感じられなかったし。
「王子と乞食」の出版に関しては 史実とは随分違った描かれ方でした。
でも、献辞が添えられたのは 事実ですよね?
亡くなった息子に向けて。
私が一番嫌いなのは
王子と乞食の翻訳のきっかけを
安っぽい恋バナにからめた事ですね。
あとは辞書を漬物石や枕にするシーン
甲府の葡萄酒の宣伝とはいえ
度々酔っぱらうシーン
花子と不自然にこだわるところ
屋根の上を歩くエピ
でも震災後からはかなり良くなったと思います。
恋バナが減り
アンの小ネタを入れなくなったからでしょうか?
今から考えると、太平洋戦争は無謀で、戦争自体悪で、そんなものに協力したくない、との主張は当然に思えますけど、実際村岡さんはどうだったのでしょうか?反戦のために、ラジオ番組を辞めるような方だったんでしょうか。。。
違うとすると、この設定もまた、安直に作り過ぎの気がします。戦争反対のキャラのほうがありがちで簡単ですもんね。
つくづく、よく考えて作られてない脚本で、辟易します。
スポンサーリンク