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上方芸人の大先輩のかの夢路いとし師匠でも「古畑任三郎」ではちゃんと標準語で演技していた。鶴瓶さんが関西の芸人だから大阪弁で(しかも巻き舌で江戸期の港湾の荷役仕事の奉公人の言葉。浜言葉で品がない)構わないというなら何のための薩摩藩士の薩摩弁?
方言指導もあってないようなものか。ため息。
当時当たり前のように存在していた幕府を無くすという考えに武士が至るまでは様々な経緯があり、葛藤があり、
たくさんの人の思考が重なっていたはず。西郷一人があんなに簡単に(そう見えるんだよこのドラマは)幕府をつぶさないといけん、なんて考えついたわけがない。とにかく脚本が浅い、意味不明のオンパレード。あの時点で西郷が長州と手を組むことを考えていたことにしちゃったら、今まで伝えられていた龍馬の功績はなくなるわ(笑)もう脚本がメチャクチャ 脚本が一人で書いていないにしても名前が出ている人の責任になって当たり前。言い訳にもならない。あまりにも適当過ぎて幕末史をバカにされている気さえする。鶴瓶の演技にも腹が立ちます。
西郷さんが流された島の言葉は、字幕までつけて、すごく凝っていた印象だった。指導の先生もいたんだろうと思う。俳優さんが標準語で自由にやってはいなかった。
それなのに、岩倉の言葉は、演じた芸人さんの普段の言葉、そのままの大阪弁って、あまりにも雑。
島の話にばかり妙に凝りすぎていて、バランスが悪過ぎる。島から出たあとの西郷さんの活躍の場面こそ、リアルに迫力のある丁々発止の言葉のぶつかり合い、やり取りが見たいのに。
島の話に、ほとんどのエネルギーを使って満足して、もうその後は消化試合みたいになっている。適当に有名人、並べとけばいいでしょ、みたいな。
ああ。
島編が本編で、今は消化試合なのね。
なんか納得だわ。
恐れ多くて誰も鶴瓶に方言指導も演技指導もできないんでしょ。
いわゆる忖度がこんなところにも蔓延してるんだな。
有名俳優も有名芸人もいらないから、心に響くドラマ作りをしてほしい。
歴史を知らない小説家による、中身の無い、歴史ドラマを装った詐欺みたいなドラマ。
皆様の感想を「そうそう、その通り」と共感しながら読んでいます。でもこの共感を「今回の西郷どん、面白いですね!」とポジティブな共感にしたかった。ホント残念。
多少、史実と違っていてもいいんです。ドラマなんだから。「なるほど、そう来たか!」「そうか、そういう演出もあるんだな」等、視聴者の期待を良い意味で裏切って、予想以上の脚本の出来栄えだったら文句は言いません。しかしこの西郷どんに関しては文字通り期待を裏切られ、予想以下の出来だからガッカリするのです。
鈴木亮平が鶴瓶に「鶴瓶さんセリフ覚えて下さい」と言って撮影現場が笑いに包まれたそうだが冗談じゃない。大河ドラマの仕事をナメきっている。セリフを覚えなくてもバラエティー番組のようにスタッフが「カンペ」出してくれると思っていたのだろうか。セリフ覚えられないから、しょうが無くてアドリブだって・・・。全然プロフェッショナルじゃ無い。昔の大河の撮影現場は役者もスタッフもピリピリして、もの凄い緊張感だと聞いたことがある。今は違うんですね。
ここで、あれこれ言ってもNHKには届かないと思い、NHKの「みなさまの声」というサイトで西郷どん打ち切りの希望を投稿しました。月刊みなさまの声でも厳しい意見が好評意見を上回っています。
きっとNHKは何か鶴瓶に弱みを握られているに違いない。
大河の、NHKの凋落ぶりが甚だしいですね。
そりゃ、民放に負けます。
そうなんですよね。多少忠実と違っても脚本が面白くて納得できればいいのです。新撰組では江戸で近藤と龍馬が会うなんてあり得ないと散々叩かれましたが、結果面白かったし必要な描写だったと思います。しかし今回の西郷はひたすら西郷を唯一無二の賢くできる人にするためだけに安易に忠実を変えたり或いは都合よく使ったりしているように見えるのがガッカリです
すみませんが、
史実→しじつ
忠実→ちゅうじつ
意味がまったく異なりますので、そこは。
毎週楽しみに見てます。ヤモリの鶴瓶さん良かったです。
駄作の原作なんか無視して、面白い脚本に仕上げてほしかった。
でも、中園ミホの力不足に加えて、中園ミホと林真理子は友達と称して色々メディアに出てるくらいだから、林真理子の原作を大幅に作り変えた脚本にはできなかったんだろう。
ビジネスにお友達優先主義を持ち込むなんて、一番やってはならないこと。
実力ある脚本家の書き下ろしの方が上手くいくと思う。
セリフも覚えず、アドリブで演じる鶴瓶を推薦したのも、脚本家だとか。無名でもいいからいい役者を探してくるのが、制作側のNHKの仕事でしょ。
せっかくの西郷物語を、ここまで低次元に貶めて、鹿児島県民のみならず、日本人としても悲しい。
鶴瓶を起用するくらいなら、温水洋一さんの岩倉具視が見たかったなぁ。
京言葉も話そうとしない、ベタベタの大阪弁岩倉具視って、制作側がもう大河ドラマを自ら冒瀆しているようなもんだよ。
言語指導も怖くてできないような大御所芸人に、やりたい放題させて、何のための方言指導スタッフなんだ?
制作費の大半を受信料使っておいて、スタッフにちゃんとした仕事させないんなら、人件費の無駄遣いだよ?
受信料払ってるんだから、我々視聴者はNHKへの出資者。
意見や批判はきっちり言わせてもらう。
関西人から見たら、大阪弁と京言葉は、大阪弁と岡山弁くらいの差があって、違いは歴然。まして格下とは言え、公家だよ?「麻呂は」の主語だけ付けときゃ公家らしくなる、と思ったか。コントかと思ったよ。大河も堕ちたもの。
鶴瓶自身もそんなこと分かってるはずなのに、自ら申し出て、しっかり京言葉指導してもらうべき。
それとも大阪弁のままでいいから、と、出演を懇願されたの?
高校生の頃、京都のアクセントで源氏物語を朗読してくださった先生がおられて、関東のアクセントのアナウンサーの朗読と全然違って、感動したことがありました。
だから岩倉具視のお公家さんも、どんなんだろうと、本当にワクワクしていたんです。鶴瓶さんということで、関西の人だから、関東の人よりは習得がしやすいはず、と思っていたけど、落語とか漫才の芸人さんの言葉で、京都の言葉と違いました。
深い深い、失望感でいっぱいです。無名の役者さんでいいですし、何なら素人の方でもいいから、京都のきれいなアクセントや、お公家さん独特の言葉を聞きたかった。
岩倉具視にふさわしい役者さんは他にもっといたはずです。
自己満足と内輪ノリであのような人物像、ストーリーを作り上げた現場の方々に失望しました。
中園ミホはドクターXでも主人公が絶対で敵対者は無能というスタンスを貫いていて本作にもそのセオリーをそのまま持ってきている(原作はもはや面影なし)。
致命的なのはドクターXでは主人公の有能描写を抽象表現で逃げられていたところが(脚本家にとって興味のない)史実に置き換わったことによって上記の誤魔化しが一切効かなくなってしまった。
結果的に興味のある恋愛描写に時間を割き、それ以外はほぼダイジェスト処理という歴史を知らない者から見ても理解不能な代物になってしまっている。
中園ミホより原作がひどいよ。
林真理子って浅はかな人物が大河ドラマの原作なんて書けるわけない。
なんとなくですけれど、登場する人物全てに、あまり敬意を持って描かれていないような気がします。
主役の西郷さんからして、いい年をして鰻とりしたり庭掃除したり、振る舞いが軽いし、印象に残る言葉も、精神的な修養を積んだ風格もないですし。
先日の岩倉具視もひどい。下級の公家と言っても、一般人とは違う教育を受けて、切れ者で、宮中に出仕していたのですから、それなりの気品があったのではないでしょうか。
島津久光も慶喜も、軽くて薄くて、町人みたいですし、桂小五郎は浮浪者が遊び人みたいで、勝海舟や坂本龍馬も存在感がないし。
そこはかとなく、歴史上の人物を貶めて、野蛮な人々として描きたいかのように見えますし、そのような演出がされているように思います。
これは大河ドラマ云々と言うより、ドラマとしてどうなの?同じ日曜の民放の某ドラマのここを覗くと、あのシーンの意味は、こうだ、イヤ、私はそうは思わない、あの時の心理はこうだ、あの小道具はこんな意味がある等々、ドラマの設定やシーンの解釈で楽しそうに議論して盛り上がってる。でも、西郷どんは、背景描写、心理描写、あまりにも浅くて、登場人物の内面など何にも議論する余地がない。そもそも、設定がおかしいから、そのおかしさに終始。何もかも浅すぎる。大河でなくて小川。
だって、背景も無いようなもんだし、登場人物にも内面が無いようなもんだし………。
議論のしようもないよ。
奄美大島の女性の手の刺青ぐらいかな、ここまでで強く印象に残ったのは。
原作者は編集者に西郷持ち上げのための史実改変を提案されて突っぱねているのに
脚本家にはそういった史実や人物への配慮は一切無いようだ
岩倉具視が鶴瓶ってあり得ない。品がなさすぎ頭が悪そうで最悪すぎる。
鶴瓶岩倉の幕末に乾杯。
小栗竜馬と京の町を散策します。ふたりで京の町の人情に触れ
鴨川のほとりの料亭で鱧料理に舌鼓を打ちながら、
にっぽんの夜明けを語り合います。
鶴瓶岩倉の幕末に乾杯。お楽しみ(笑)。
鶴瓶さんで、ぶち壊し、観る気が失せました。
他の番組で、西郷さんが若い頃、長く通って座禅をしていた石を紹介していました。碑ができるほど、人々にも知られていたことに驚きました。
このドラマだと、西郷さんがどんな書物から影響を受けて、何を考えて、大久保さんとどんな話をしたのか、学びの過程とか、心の研鑽を積む様子がほとんどなかった気がします。
斉彬のために水に打たれたとか、島のオープンな檻の中で瞑想みたいなことをしていた(すぐ子供が来たり、人が来て中断)とか、ほとんどポーズだけ。
大の大人がガッツリ学問に打ち込んで、具体的に何かを掴んだり、精神を鍛えて成長するエピソードがなかったから、内面の深みが感じられなくて、少年漫画のような、バカでお人好し的な、熱いだけの主人公みたいに見えてしまう。
剣の修行をあきらめた子供の頃の壮絶な体験は、学問に打ち込む転換点だったはずなのに、剣もやらず、学問もあんまり。佐内さんに失望されていたほど。このドラマが終わったら、鰻とりの西郷さん、みたいなイメージしか残りそうにない。
西郷さんに多大な影響を与えた佐藤一斉の話もなし。敬天愛人もなし。
斉彬のスパイとして大活躍できたのも孫子の兵法など中国古典の素養があるからかと思っていたのだが、無学な庭掃除番になっていた。
ドラマは脚本家の西郷観なので別にいいと思うが、もし視聴者に伝えたい内容をうまく伝えきれていなったとしたら、単に映像化が下手なのかもしれない。
「せごどん」は初めからダメドラマだ。渡辺謙は島津斉彬の役が似合わない。吉田茂やったときもそう思った。体型からして史実とまるで違う。脚本も斉彬がロシアンルーレットで藩主の座を父から奪うなど荒唐無稽にも程がある。松田翔太の一橋慶喜もミスキャスト。幕閣と吉原くんだりでお忍びのヒー様なんぞに扮して水戸斉昭と一緒に出没するなんてあり得ない。南紀派と一橋派の将軍継嗣係争も実にいい加減な描き方だった。薩摩の一藩士の西郷さんが将軍後見職の一橋慶喜に相対面し短刀畳に突きつけて政治的決別を宣告して立ち去るなど有り得ない。歴史を冒とくしている。また他の人も指摘するように慶喜は宿場の酌婦を側室にするような下品な男では無い。「せごどん」はデタラメだらけである。良くこんな大河ドラマを放送できるもんだ。
鈴木良平の西郷さんのキャスティングからして失敗。全然似てない。
西南戦争まで描くのか?とすれば「とぶがごとく」と同じ時点まで描くことになる。その中で大久保ではなく西郷だけを単独主役にして、西郷さんを通じて何を訴えたいんだろうか?すなわち、大政奉還だけで済ませず、廃藩置県までやって安全に幕藩体制やめて、西南戦争で自身と薩摩を葬り去ってまでして武士階級を無くし、中央集権の国民国家誕生に寄与したわけだが、様々な政治的対立軸の中でなぜそういう政策を取捨選択していったのか?何かやり残した改革は無かったのか、他の政治家ではなく主役の西郷の足跡が150年後の日本にどういう意味をもっているのかを描き出してほしい。
西郷の限界を描くには、征韓論での岩倉・大久保との政策の違いを論点を台詞に散りばめて丁寧に描く必要がある。また内務卿大久保の限界は、司法卿江藤新平との対立を描く必要があろう。更に伊藤の限界は明治14年政変での大隈重信(自由民権運動)の対立までを描く必要がある。殊、明治維新150年の節目の今年、この時代を取り上げたNHKの大河ドラマとしては、近代革命としての明治維新の限界を政治家間の政争悪戦苦闘を通じて描き出すのが使命であったと考える。政治家はそうやって自分の歴史的役割を自覚して国を動かそうとした人なんだろう。「せごどん」は、漫画の「いなかっぺ大将」「国松様のお通りだい」的なノリで、一私人として西郷さんにスポットを当て過ぎて、政治対立軸の提示や錯綜の解きほぐしが希薄で政治家が歴史的に担った役割の描出が下手である。まるで歴史ドラマの使命を見失ったようである。前作「井伊直虎」は戦国時代男領主の不在で存亡危機の中、直虎が如何に振舞って一族を存続発展させたかという明確なテーマが貫かれていた。今作で当原作を取り上げて、脚本にした失敗は今や修正手遅れであるように思う。NHKは視聴率5%割れを如何に阻止できるだろうか?
幕末の倒幕劇を、西郷の視点からのみ描くのは、あまりに一元的。
たとえ西郷を主役に据えたとしても、色々な立場の人間からの視点ももっと丁寧に描き、複眼的に描かないと本質がぼやける。
その意味では、西郷と大久保のダブル主演にしたほうが良かったと思う。
薩摩の重臣、小松帯刀も単なる脇役の域を出ていないのが残念。
民の為云々なんて純粋バカ丸出しの「せごどん」ではなく、欧米列強が蒸気船で開国迫る中、日本の独立維持の為危機の中で、時に迷い、時に非情に奔走した大政治家軍人として重みのある人間像を見たかった。
羽原大介さんに、大河ドラマの脚本を書いてもらったらどうなんだろう。近年の朝ドラ随一の名作マッサンを描いた筆力で、是非お願いしたい。
原作、脚本家とも日芸出身なんですね。大河ドラマの作りに手は、少なくとも原作者の方は、歴史(=史実)をキチンと勉強した人にやってもらいたいです。脚本家は事実を理解した上で脚色を加えて欲しいです。
八重の桜の松平容保の描き方が好きだった。
会津藩主になるに当たっての不安、藩主としての覚悟と苦悩、逆賊とされた会津藩の汚名挽回への道のり。
切なく、強い、美しい藩主を綾野剛が好演した。
西郷どんでは、斉彬も久光も大久保も慶喜も、その内面が重層的に描かれず、薄っぺらい。西郷もいつもへらへら笑ってるだけで、リアリティがなく、内面の描写が単一的。
脚本・配役・演出。この3つがバラバラな感じがする。
鈴木亮平の笑顔は、村岡花子の夫としては良かったが、西郷としてはそぐわない。
政治的争点があって、それが複雑に絡み合って、あっちを立てればこちらが立たずが繰り返されるから、葛藤があって殺し合いにもなる。
今週は、西暦(または元号)の何年で、こういう問題が生じたを冒頭で解説してから描き出せば、大分分かりやすかったろうに。とぶが如くはそうしていた。
NHKは、何で林真理子の原作なんか使ったの?(怒)
今、日経新聞で官能小説書いてる人だよ?
大河ドラマなんか任せられる器も品性も欠け過ぎ。
愛加那 糸とのプライベートエピソードも久光との感情的な反りの合わなさもウェイト置き過ぎ。描くにしたって内容は大したことないんだから半分の時間割きで済んだと思う。
政治的対立の解説に時間割いて欲しかった。
政治も歴史も書けない。恋愛とか人間関係のもつれとか、そういうのを専門としている作家。
相撲のシーンが印象的
原作ありだからこんな感じになったのかな。
花子とアンもそうだったね。
西郷さんの心の成長とか、学問をしっかり身につける過程を、もっと丁寧に見たかった。当時の教養のある人の日々の学びの様子を具体的に見たかった。
至らなさを知り、学び、人に会い、情報を集め、それらを踏まえて判断したり、先を見通せるようになった軌跡みたいなものが見たかった。
複雑な利害関係を調整する中で、相手の懐に飛び込んだり、受け入れたりして、清濁合わせ飲む政治力も身につける、そんなふうな過程を、一つ一つ、エピソードとして、目撃してみたかった。
記録がたくさんある人だと聞いていたので、それを期待していたけれど、直虎や直政のストーリーよりも空疎、イメージ映像のようなシーンが多く、人物の魅力も凄みも伝わらず、娯楽としても楽しめず、非常に残念。
>過程を、もっと丁寧に見たかった
>具体的に見たかった
>軌跡みたいなものが見たかった
過程や軌跡が具体的に描かれない印象があったのは、花子とアンもそうだった。
あれは運悪くBSのカーネーションの再放送の後に放送されたので、比較がしやすかった。
カーネーションは布を裁ったりミシンを踏んだり、徹夜で何かを縫っているシーンがやたらと多く、それ以外にも服のデザインを描いたり店の客対応をしていたり、何かが出来上がるまでの過程っぽいシーンが多かった。
花子とアンは、極端に言えば、「雑誌を作ろう!本を出そう!」と登場人物が言った翌日にはもうモノができあがっていて、「出版記念パーティー」のシーンになっているような感じがすることが多かった。
よくよく思い出すと、ところどころには仕事をしているシーンがあったことはあったんだけど、それよりは恋愛のシーンと宴会のシーンが多かったので、そちらの印象ばかり強くなってしまっていた。
今で言うと、政治の話よりウナギ獲りのシーンが多いような気がするのと同じ。
林真理子の原作と中園さんの脚本のどっちが悪いのかという話になることがあるけど、両方の特色が悪い方向に出ているんではないのかな。
確かにカーネーションは、1つ1つのエピの起承転結の描写が丁寧で、各エピの顛末に説得力があった。
この大河ドラマ、政治に絡むところはダイジェスト的に進んでいって、ナレーションに補完を任せて次に進む、みたいな進行なので、物語に説得力がない。
先日の岩倉具視の回も、唐突に蟄居が解除され、唐突に薩摩藩士達が岩倉を敬いに集まってくる、というご都合主義に、開いた口が塞がらなかった。
脚本として、拙すぎる。
基本をちゃんと勉強してきたのか、それともセンスの問題か?
いつだったか、前野良沢と杉田玄白が「解体新書」を翻訳する顚末を描いたドラマを三谷幸喜脚本で見たけど、なかなか面白かった。
翻訳作業を具体的に、しかも面白く見せてくれて、学究肌の前野がいつまでも表現にこだわっていたりする様子、オランダ語の辞書、フランス語の辞書、原書の図面も写って、医学書の翻訳なんて、かたくるしい話なのに、コメディー風に笑えたり、当時の知識人の悪戦苦闘が生き生きと伝わってきた。
ドラマ風に脚色して、そういう資料をどんどん見せてくれたらと思う。魂は細部に宿るというけど、西郷さんの言葉や考えを、残っている本物の資料の中から厳選して、ドラマとして見せてほしかった。
「解体新書」だっておもしろい会話劇になるのだから、やろうとすればできると思う。そういう労を惜しまない人に脚本を担当してもらいたかった。
154909さんに同意です。
全編手抜きです、この脚本。
過程が丁寧に描かれず、いつのまにか、結果が出ている。
過程を丁寧に描くからこそ、エピに説得力が出るのに、そこをすっ飛ばしている。
性格的に面倒くさがりやな脚本家なのかもしれない。
緊迫感も、説得力もない、従って当然、感動もない。西郷を応援する気も起こらない。
マッサン見てると、玉山鉄二と鈴木亮平の演技力にも歴然とした差が。
玉山鉄二を西郷にしたほうが良かった。鈴木亮平は何役が良かったかな。
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