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騙されるほうも悪いといわれるとつらいものがあります。
「赤毛のアン」はとても有名な物語ですから。
便乗商法みたいだな。
そう、私も毎日楽しみなので最高の朝ドラに間違いないです。
ドラマを見て疑問に思う視聴者が村岡花子の伝記を買えば最高ですね。
ドラマを見た伝助ファンが白蓮さんの本を見るとがっかりするでしょう。私はその逆でした。
まさに便乗商法ですよね。もう某局も終わりかな。
カーネーションより花アンの方がずっと面白いわ。
次回の朝ドラも期待してます。
それを言っちゃあ...
お終いよ・・・じゃない。そのまた上の方に同意
作風が全然違う二つのドラマを続けて見れる今期は幸せな朝です。
カーネでハートを締めつけられて、花アンで締めつけられたものがもどり、柔らかくなって行く感じ。
日曜とは言え、ここに来る人もめっきり少なくなってしまいましたね。
ほんとにそう・頭空っぽにして朝ドラって見るものだと思う。
村岡さんに本当に興味ある人は史実を書いた本を読めばいいんじゃないかな?
そうかもしれませんね。「ちりとてちん」「カーネーション」「ごちそうさん」と、頭空っぽにして見る必要のないドラマが続いたから、勘違いしてしまったのかもね(汗)そう思うことにしましょう。
「ちりとてちん」「カーネーション」「ごちそうさん」以外にも
朝ドラあったでしょ?
カーネのことがよく話題に出るけど、花アンにカーネを求めても悲しくなるだけですよ。南極からハワイに行くような切り替えは必要だと思います。ドラマと史実の違いも、アニメと大河ドラマくらいに次元が違うものだと捉えてます。
朝ドラというか、ドラマに純文学とか直木賞レベルのエンターテイメント小説のクオリティを求めている人と、ラノベやネット小説ぐらいの体裁が整ってればいいと思っている人とがいる気がする。ってなんか両方向から反論が来そうだけど、とにかく同じ土俵でこのドラマを語ってないと思う。
話題性とか外見の綺麗さ入り易さだけでドラマが評価されることへの危惧を叫ぶ人の気持ちはわかる。でも時代はそういう物を賞賛する声の方が大きくなってきてるなというのを感じる。中園さんはそこら辺のアンテナは敏感なんだと思う。そして真逆のベクトルにはアンテナが全然反応してないという気がする。
カーネーションはもう古いし、飽きたから今は花子とアンのほうが似ていなくておもしろいです。
生意気な顔したカーネーションのヒロインより吉高さんのほうがいいです。
>とにかく同じ土俵でこのドラマを語ってないと思う
これはすごく感じます。だから感想も真逆になっていると思います。
求めてるものが全然違うので噛み合わないっていうか…
こんなに疑問をもって見てる方がいるのに、私は全く感じずに楽しんでるって、これでいいのかな?ここに来て感想を読むのがこわくなってきてます。
明日からのラジオの吉高おばさんに期待。
なーに?この場所、急に変な感じになっちゃいましたね。
何だか私なんかの来る場所ではなさそう。
ここできちんとしたドラマの感想や疑問など言おうものなら袋叩きにあいそう。
ケガしないうちに、早々に退去することにしまーす。
上の方みたいな嫌味っぽいコメント増えてきたなあ。
視聴者がドラマに合わせてあげる必要なんかないよ。
私も全く疑問なんか感じずに楽しんでいる一人です。
でもドラマに求めるものって、人それぞれ違うので
これでいいと思ってます。
私も明日からのラジオの吉高おばさんに期待してます。
ここは叩き合いの場じゃないって、日曜の夜をまったり過ごしてるだけ
管理人さん上のも消してください。
それだけこのドラマに対する皆の関心が薄れてきたということかも知れませんね。良いことか悪いことか…。でも私は明日からまた頑張りますよ。何に頑張るのか分からないけど…(笑)
今日は意味不明な言葉がたくさんならびますね。
ごめんなさい。私の勘違いで消してくださいなんて書いてしまいました。それはないものとしてください。
違反報告や管理人への要望は専用の場所で直接訴えた方がよいのでは。
わざわざここに書く必要はないですよ。
この朝ドラ何だろう?内容は
支離滅裂で破天荒な部分が結構満載なんだけど8時すぎたら自然とテレビつけて見るんですよねえ、これがまた
見ないと1日そんした気分で見た日はテンション上がって元気になるから不思議?
これからですね。楽しくなるのは。
ドラマとか映画とか映像作品は、どこまでいっても頭で見るのではなくて心で見るってことでしょう。
舞台でも映画でも理性的論理的に正しいものが残るのではなくて、感情的に面白かったと思う人が多かった作品が残って、名作と言われます。
だって人間だもの。感情で生きてますから。
今回の作品は泣くも笑うも、見るも聞くも、効果音までも心に響く事が多く、いい作品だと思ってます。
これからますます面白くなりそうです。
>フィクションだけど村岡花子さんの名前を出せば、本は売れます。そういう事情なのだと思ってます。
こういうのがすごく嫌。
とにかく人気がとれればいい。そういうドラマですよ、これ。
公共放送の朝ドラでしょ?
公共放送くらい、今のただものが売れれば良い、お金が一番、そういう風潮からは離れたところで本当に伝えていことをしっかりと伝えようとする、それができる脚本家を使ってまじめに番組作って欲しいよ。賛否が分かれても良い。そのためにいろんなタイプのを作ればいいんだし。コメディだろうがシリアスだろうが軽かろうが重かろうが、とにかく作っている人がお金や人気取りのこと第一じゃなくて作品にちゃんと打ち込んだもの、そういうのを作って欲しい。それはちゃんと見てる視聴者には伝わるもの。
このドラマは、とにかくいい加減過ぎます。村岡花子をモデルにしていったいなにがやりたかったんだか、ずっと見ていても伝わってきませんよ。
ただその時その時の話題に乗っかってくれるようなものをひねり出して次から次へと出してるだけ。そっちの方には相当頭使ってるのかもしれないけれど。
恋愛中心って言ったってとにかく手軽なところで男女をくっつければいい、ってだけ。人を好きになる気持ちがパルピテーションなんて言う安易なことばでごまかされて内容的にはゴシップ記事の域を出ていない。
朝ドラだからこんなもんでいい、とかこんなのが適当、って思っている人もいるんだろうけれど、半年も毎日見る朝ドラだからこそ逆にちゃんと取り組んでくれてるもの、そういうのを期待する視聴者がいたって当然でしょう?
自分はどちらかというとそっち。
ドラマの批評に朝ドラだからこんなもので、なんていうのは擁護にはならないと思う。
感情だけでいい、って言う人がいくらいても基本的に脚本自体が評価されなければ結局視聴率やその時だけの人気を得てもドラマ社会で評価されるような作品にはならないものです。
たとえ、この朝ドラが社会で評価されなくても
私にとっては、面白くて楽しいんだもの。
ありがとう中園さん、毎朝楽しんで観てますよ~
こりゃダメだ。。。当初、甲州弁の使い方が間違いすぎてて、今となってはもはや諦めてるけど。ストーリー自体も、唐突過ぎたり、薄っぺらかったりで、共感や感動も出来ないです。
もう、観ません!
NHKとしてのドラマ制作の技術やプライドが感じられない。
『カーネーション』と同じ朝ドラとはとても思えません。
村岡花子さんの生涯と言うよりも、今が受ければ良いと
行き当たりばったりの薄いドラマを見せられているように思う。
NHKに意見させて貰う時にこのように申しました。
真摯に聞いて頂き、パソコンで入力されこう言うことでしょうか?と
質問もされていましたが、もう今から方向性を変えるなど出来ませんよね?
もう先が見えて来ましたから視聴をやめます、精神的にその方が良いみたいです。
面白いと思うから見ていますが、ここのコメント何だか逆説的なのが多い気がします。ちょっと不思議。
脚本の評価とかしている意識はない。ほとんどの人もそこまで意識しないだろうと思う、職業評論家以外は。
ドラマ社会ってのも微妙、面白いから見るのじゃなくて、脚本の良いものを見る?
何か違う気がしますが、脚本を吟味して見ている方がいらっしゃるというのはわかりました。
でも、何をもって善し悪し決めるのか、疑問は残ります。
絶対性ではなく、好みなんじゃないかという気がします。
とかって、お茶の間話題ですね。失礼しました。
まあいずれ楽しく見ています。来週も楽しみです。
2014-08-18 00:46:32 名前無しさん
(引き続きお茶の間話題かと思いますが何のことか分からなくなるのでここに書かせてもらいます。)
発想が完全に逆だと思います。というより自分のドラマのような見方や感想の書き方をすべての人がする、と考えていらっしゃるのかも。
ここで批判してるような人はまあ一部はドラマの脚本の勉強などしてる人がその観点からいつもドラマを見てこういうところで批評する、ということもありえるでしょう。
しかし多くの人は普通に何気なくいつもの朝ドラと同じように見た結果、なんだかおもしろくない、へんだ、好きじゃない、良いように思えない、とまずなってそれがなぜなのか、どういうところにその理由があるのか、と考えた結果が多くの批判意見になるのだと思います。
自分が感覚的にしかドラマを見ないような人、すべてのドラマの評価が「好み」かそうでないかの人(それがいけないという意味ではありません)にとっては、嫌いなのに見続けて感想を書くなんて逆説的に好き、と言ってるように思えて不思議、となるのでしょうが、世の中にはそういう人ばかりではないし、ドラマをただ好みかそうじゃないか、だけで評価する人ばかりではない、と言うことだと思います。各コメントをそういう観点からお読みになることができれば別に不思議でもなんでもないことと思います。
別に簡単なことです。脚本が良いから面白いんですよ。無論、最初は感情(好き嫌い)から入ります。そして気がついてみたら、それが非常にクオリティも高いドラマだったというだけのことです。私の場合はそうです。ただ、それとは別に、好き嫌いは別として客観的にみたクオリティの問題も確かにあります。それとクオリティが低いと分かっていても、好きだ…そういうこともあるでしょう。私も決して過去にそれがないわけではないです。
脚本を吟味とか難しいことはしていません。
楽しくない、なんかイライラする…、ああ、話がおもしろくないし色々と辻褄が合わないんだと気づく。
そんな感じです。
つまりは脚本ですね。
吉高さんは着物似合っててかわいいし、絢香の主題歌も好きなんですけど、残念です。
2014-08-18 01:05:23ですが、あれは花子とアンのことを書いたわけではなく、単に、自分が或るドラマを面白いと感じるのはどういう場合か…という一例を書いただけです。残念ながら、花子とアンを面白いとは全く思っていません。すみません。
土曜日の回について。
以前、「2次創作的な面白さ」について書いていた方がいらっしゃいましたが、まさに「2次創作的」な回だったと思います。
作品全体の質を考えたときに、このタイミングで茶番劇、というのは「いや~それはないだろう、ダメダメ」という感じです。
でも、ファンの2次創作とかスピンオフのつもりで見れば、サービス満点で楽しい。
私はあまり感情移入して見ていない(この作品人間ドラマ的なことはあまり求められないと思っている)せいか、切り替えてすごく面白く見てしまいました。
醍醐さんの超かわいい棒読み、ひたすら真面目な吉太郎、物陰に隠れる花子のユーモラスな動き、しっかり者のかよの駄目演技っぷり、台本そっちのけ自分語りの蓮子さん、熱入っているのにおとぼけな龍一、安定のあほかわいさの武、緊張の英治、一人事情を知らない平祐の乱入。
ありがち展開であっても、とっても楽しかった。
「花子とアン」は翻訳家の真面目な伝記でないのはもうわかったし、心の機微とかあんまり期待できないから、こういう部分こそがこの作品の良さのような気もする。
でも良心は疼く。子供の死の週にこんなバカ騒ぎ、いけないよね、憤慨すべきよね、と思う。ジレンマ。
それにしても、金曜の終わり方で救いは見えていたのだから、あれを土曜にもってきたってそう暗い週末ではなかった。茶番は月曜の始めにすれば、みなさんの怒りも半分くらいになったと思うのに。冒険したなー。
残念ですが、ここまで来てこのクォリティでは…。もう殆どこの先に希望は持てないですね。別サイトで、脚本家の方も実は執筆過程でいろんな制約に縛られていたのだという投稿がありましたが、それが事実なら、お気の毒だとは思いますが。
久々に見たらこれとはもう何か情けないです。こんな浅はかな脚本の茶番劇に付き合わされる役者さんの心中お察しします状態です。笑えなかったです。
そうそう、自分が大好きなのによーく考えるとたいしたことないドラマだなあ、脚本だめじゃん、って感じることや自分は嫌いだけど人気が出るのはわかる、とかいうのはありますね。
けど、話がおもしろくないな、へんだな、と感じたときにはよく考えると脚本の出来がよくない、矛盾があったり突飛過ぎたり粗っぽかったり、ってことが多くて、逆に話自体が面白くて次が楽しみで、っていうのはよく考えると脚本がいいんだーって分かる時が多い。
自分でそれがよく分からなくてモヤモヤしてしている時に感想サイトのほかの方のコメントを見ると、なるほど、と感じることがよくあります。私は賛否がどうこうよりそういう点で感想サイトが好き。
ちなみにこのドラマは、異論はもちろんあると思いますが、自分がちっとも良いと感じられないのに人気があるようだ、ということは、これはドラマというものにストーリー性を重視するよりも人の気を引く、ストーリー以外のところで人気を得よう、という意図で作られているものだからなのだ、と思っています。価値観の多様化はそれ自体は良いことだと思っていますが、私はやっぱりこういう作り方がドラマなんだ、という風潮になっていくのは個人的には抵抗があります。人気は出てものちのちまで評価されるようなドラマになるとは思えないのですが。
最近の朝ドラで言うなら、好き嫌いはまた別に考えたとしても(ただ自分が好きって言うなら私は実は別の作品ですが)「ドラマ」と呼ぶならやはり前作の「ごちそうさん」のようなものであって欲しい、と思っています。やっぱりドラマの根幹はドラマらしい筋の通った脚本にあり、と思っています。何が面白いのかよく分からずに見ていたしもちろん好みでない部分もあったのに終わったときに作者の世界感、伝えたいことがとてもよくわかった。ああいう脚本はただその日その日が楽しかった、というだけでなく朝ドラなのになにかずしっと心に残るものを与えてくれるものと思います。大ファンの人たちの肯定意見をその欄で読んでもそれが伝わってきますから。朝ドラであっても「ドラマ」という看板を出している以上はやはり脚本には真摯に取り組む姿勢・・・私は望みます。
うーん、土曜日のは二次創作、というひとつの作品(二次創作だろうが、作品はひとつの作品として筋が通っているのが基本なのでは?)というよりは、このドラマの出演者たちが重い場面をきりぬけたあとで楽しく遊んでいる風景、というように映りましたね。
視聴者がストーリーを楽しむ、というよりむしろ俳優さんたちのための場面、この人たちこんな面白い面もあるんですよ、シリアスだけじゃなくてこんな面白い演技もできるんですよ、っていうのをアピールしているかのように感じられました。
コントでしかありませんでしたから。同じ週直前のドラマチックさとはまるで違う世界。
あれが視聴者サービスとしてやったのならやっぱり視聴者を勘違いしてると思うなあ。シリアス場面のあとはやっぱりお笑い、お笑い、楽しくなくっちゃ、そんな風に感じるのが今の視聴者の主流?
各場面を切り離して楽しめる視聴者にはありがたいかもしれないけれどドラマにストーリーの連続性を求める人にはあれじゃだめでしょう?
私も確かに土曜日のあの場面は俳優さんたちが楽しそうでクスクス笑ってしまいました。
でもたとえ二次創作であっても創作、というならやっぱりコメディならコメディ、シリアスならシリアス、という筋が通ったものでなければ良い創作物とは言えないように思います。
それに二次創作であるなら、元のものに対してのリスペクトや研究はなくては駄目ですよね。それが感じられないところには二次創作のものとしても良い作品ができるとは思いません。
横槍&お茶の間系で失礼、脚本の良し悪しを何で図るのかという提起では?
視聴者も脚本家自身でさえ、どこまでいってもたどり着けない命題、見る人が好きだったら、どこかしら良く感じるだろうし、作る側がダメかなと思っても好評な事もあり得なくもない。映像や音楽でかも知れないが。
だからこそ本来あてにならない視聴率が業界の神様になってしまうのだと思う。
ここでの意見は頷かされるものもあるが、脚本の評価については否定はしないものの、家庭なり職場なり身の回りを見る限り、脚本を意識しての視聴は一般的とは思いにくく、ここが特別と思える。
クオリティにしても個人的な基準で言うことは出来ても、本当の意味での良し悪しを決めれるものでもなく、見る側でもっとみたいかどうかの多さでしか計れないだろううから、それが正しい正しくないではなく、視聴率くらいしか基準はないのはやむを得まい。
実際ここでもつまらないだけという人もいれば、面白いという人もいて、どこまで言葉を尽くしても個人好みの範疇から出ることはない。
そう考えれば、嫌いな人がいたとしても不思議ないものの、結果的には成功ということになるだろう。
自分個人としても十分見るに値すると思うし、それを楽しんでもいる。社会的にもいい効果を産み出している良くできた作品だと感じている。
ここで脚本についてどうこう言ってる人たちも家庭や職場でいちいちそんなことまで話さないでしょう。
家庭や職場の会話と感想サイトを同列には語れないと思います。
脚本について意見を述べる、ということはそれなりに思考を伴うものです。日常会話でドラマの話を人とする時には、同じような思考能力があったり同じようにドラマの脚本というものに興味があったり、そういう場が与えられている場合に限られると思います。
自分が脚本の出来など考えてドラマを見ない、回りでもそんな人などいない、ということが感想サイトのコメントを判断する理由や根拠にはならないと思います。
それをもってこのドラマが成功である、とか逆にここのコメントを持って失敗、とかの判断など誰にもできないしそれをしてもあまり意味があることとは思いません。
自分がどういう見方でこれを具体的にどう感じるか、というのを書くのが感想サイトであり、ほかの人が脚本をその人なりの観点からその人なりの評価をする、そういう感想を書くことは全くの自由ですし、それについてどうこう言うのは自分のドラマの感想とは違うことです。
視聴率はただの数字。
その内容がどんなものか、実際どんなことを感じながら人々が見ているか、というのが具体的に分かるのがこういう感想サイトだと思います。
いまやこういう場が与えられている、ということ自体がただの数字、つまり量だけでなく、質、というものを測るひとつの材料になっているものと思います。
視聴率で測れない、表れないものをたとえ視聴者の一部であってもこういうところでそのドラマがどう見られてるかが分かるのだと思います。
視聴率だって多数の家庭からごくごく一部の家庭にモニターをつけて測っているだけ。感想サイトだってごく一部の視聴者が参加しているだけ。そういう意味では全体から切り取った断片である、ということでは似たようなものでしょう。
土曜日の回、最悪でしたね。
これまでも脚本の酷さに呆れたり怒ったりしてきましたが、過去最悪でした。
子供が亡くなってからそんなに時間も経過していないのに、いい大人が全員集合であんなふざけたコント劇をやる意味が全く分かりません。
だいたい醍醐さんの恋バナなど、花子か夫が直接兄やんに真意をただせば済む話。
どうしてもコントを見せたければ、せめて「○か月後」「○年後」と、いつものようにワープさせれば良かったのにと思います。
あんなに普段積極的だった村岡弟の告白を延ばしに延ばして都合良く大震災に持ってきたように、どうせ醍醐さんも兄やんもオリジナル設定、展開なんかどうにでもできたはず。
でも歩くんにはモデルになった村岡花子のご子息がいて、実際亡くなる時の諸々のエピソードや台詞等、そのまま使用しているわけです。なのにあんな扱い、悲しくなりますね。
子供を失う母親の悲しみを描いた辛い一週間で、吉高さんが母親花子をどう演じるか注目していましたが、素晴らしかったと思います。手の焼ける子供に振り回される姿、突然わが子を失って呆然とする姿、悲しみを実感して慟哭する姿、どれも表情豊かに演じてくれました。
そして海にかかる大きな虹に我が子を重ね、将来への希望を見出す花子。悲しみはすぐに忘れられるものではないけれど、歩くんへの想いも込めて新たな翻訳に取り組む姿には母親の強さも感じられます。今週はいよいよラジオのおばさんとしての花子も見られそうで楽しみです。
土曜日の内容・演出など脚本には賛否両論かもしれませんが、私はポイントとなる箇所の心情描写をしっかり描いてくれれば満足です。とてもよい一週間だったと思います。
自分個人としての意見を具体的に人が読んで分かるように書くのが感想サイトだと思いますが。脚本の良し悪しなどを述べているコメントの多くはそうですよね。友達や同僚には言わなくても感じたことを考えて文章に書いているのがここなのであり、それのなにが特別なんでしょうか?
〉自分個人としても十分見るに値すると思うし、それを楽しんでもいる。社会的にもいい効果を産み出している良くできた作品だと感じている。
見るに値するってどこがなのですか。社会的にもいい効果、って具体的になんのことなのでしょうか。どういうところが良くできた作品なのでしょうか。良くできた、とおっしゃるからにはやはり脚本などについて考えていらっしゃるところがあるのではないのですか。ただの好き嫌いを述べていらっしゃるのではありませんよね?
〉クオリティにしても個人的な基準で言うことは出来ても、本当の意味での良し悪しを決めれるものでもなく
とおっしゃっていながら、ご自身が最後にはただの好き嫌いではなく、この作品を良くできている、と評価して良し悪しを決めていると思いますが。
申し訳ないですがおっしゃっていることに非常に矛盾を感じます。どういうことをおっしゃりたいのかよくわかりません。
>そう考えれば、嫌いな人がいたとしても不思議ないものの、結果的には成功ということになるだろう。
私もそう思います。
脚本云々は別にして、少なくとも視聴率的には成功してますから。
ただの数字であっても、世間では高視聴率だと好調!って書きますからね。
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