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おとうがおじいやんに「タンポポの目」を読む場面は温かい気持ちになりました。
おじいやんが目を閉じた時のおとうの「つまらないのか?」の問いに「はなのつくった話がつまらないわけがない。目をとじると風景が浮かぶ」と答えるおじいやん。私も思わず目を閉じそうになりました。
おじいやんが目を閉じて「たんぽぽの目」をきく表情がすごく良かった。おじいやんがはなのつくった物語の世界の中に入り、そしてそんな物語をつくった孫娘、好きにはなれないが婿殿がいなければその孫娘はいなかっただろう・・と思いをはせる。
娘のふじ、孫の吉太郎、かよ、もものことも情けない婿殿とはいえこの婿殿にしか頼むものはいない。
たんぽぽの目を「今読めるのはお前しかいない」とおとうに頼んだ言葉と重なりました。
おとうは、おじいやんの今日の言葉をしっかりと受け止めて欲しい。それができるかどうかは心配ですが・・。
石橋蓮司さんは名優。言うまでもない事ですが、そう思いました。
何度も「たんぽぽの目」を読んでくれるようにせがんだお爺やん。はなはお爺やんにとっての初孫。生まれてきて、どんなにか喜び、また可愛くて仕方なかったことでしょう。お父は行商に出ていることが多く不在勝ちでしたから、お爺やんがお父さん代わりだったと思います。病床に臥せりながら脳裏に浮かぶのは、まだ幼く可愛かった頃の事。抱っこをせがまれたり、一緒に遊んであげたり、囲炉裏の横でお話したり。遊び疲れて腕の中で眠ってしまったはなの横顔も体温も、きっと思い出されたことと思います。そして、今思うことは家族のこれからと幸せ。お父にあとのことを託すお爺やんの言葉に家族への深い愛情を感じます。明日は、ふじとはなへの別れの言葉ですね。また涙の止まらない回になるのですね。
おじいやんとおとうのシーンはよかったですね。
なぜ、花にはこういうシーンが少ないのでしょう
おじいやんが誇りに思っている花
もっと努力しているところがわかるシーンがあってもいいと思う。
>知りもしない人が描くと、ごちみたいにウソ、ヤラセになるから敢えてしないんじゃないのかな。
普通朝ドラは一年以上前から撮影は行わないだろうから、撮影時期、期間の問題もあると思うし。
その意見もどうかと…f^_^;)
知らないことなら調べ、取材して書くのが脚本家。そうでなければ空想と経験したこと以外書けないダメな脚本家になってしまいますよ。
>はなはお爺やんにとっての初孫。
水を差すようで悪いけれど初孫は吉太郎かと…w
なんか吉太郎って小さい頃からあの家族でかわいそうな存在だった。
あと創作なんてどれもウソ、ヤラセに変わりなし。
編集長の言葉を借りれば、そのウソ、ヤラセにも洗練されたウソ、ヤラセと
そうでないウソ、ヤラセがあるんでしょう。
このドラマはあまり洗練されてる感じはしないですね。
今日は石橋さんの好演があって良い回だったのでは、と思いました。石橋さんはこれまで割とくせのある怖い人の役をよく見て来たように思いますが、こういう役もさすがにお上手なんですね。台詞の間の取り方などが絶妙なんでしょうね。
これまでのおじいにもこういう重みが欲しかったです。耐えている人、ということでももう少しこの人らしさを描いて欲しかった。
始めてこの朝ドラが静かで穏やか、と言うのをちょっと感じました。
たんぽぽの目、良いお話ですよね。全部が分からないのがちょっと残念ですが。
このドラマも変に軽く深みのない恋愛エピなんかより今日のようにもっと実際の花子さんの作品や文学性を強調してくれればずっとよくなりそうなのになあ、と感じました。アンネタより格段にしっくり来ます。
そこに優しさと愛がある良いドラマです。
毎朝 穏やかに観る朝ドラとして丁度良い感じ。
優し過ぎる朝ドラ
私の感性に合うのでしょう
こんなに癒やされる朝ドラは始めてです。
ももや小学校の子どもがはなの童話を読むシーンなども欲しいと思います。
はなの名シーンに早く癒やされたいな。
癒される人が多いのですね。
今日のおじいやんとおとうのからみはよかったと思いますけど
昨日も今日も花は怒ってばっかり
でちっとも癒されないです。
花はおじいやんが字が読めないのは知っているはず
何で読んであげなかったんだろうと不思議に思いました。
今日はおじいやんの「もっぺん読んでくりょ」ににやにやしちゃいました。
俳優さんのお芝居や、一部分のシーンには楽しめることもあるんですよね。
トータルで見ると気になるとこがたくさんあるのだけど。。
きょうはおじいやんとおとうが初めて心が通じた感じでよかったです。
けどこのドラマが癒されるって感じでは私はないなあ。
なんだかこれでおとうがころっと家族思いのいい人、とかになってしまったらホント嘘くさいし。(このドラマならありえるからこわい!)
ふつうに見れる時となんだかどうしてこうなっちゃうの?っていう時があって割と全体バランスは?のところが多いです。
蓮子中心の九州の話とはな中心の話のギャップが大きすぎます。甲府も今日くらいに心情描写がちゃんと描かれると九州との対比になるのだと思いますが、これまでは別の二つのドラマを見ているみたいでした。花子の描き方がやっぱりすごく物足りないと感じます。
今日のおじいやんには思わずホロリと来ました。
語りで「大好きなおじいやんが・・・」と言っていたけれど、花自身の言動からはそれがあまり伝わって来ないんだよなぁ。ただ補足されてるだけって感じで、残念で仕方ない。
おとうに対しても今まで色々と手を尽くしてもらったのに、不倫疑惑が持ち上がった途端話を聞こうともしないし信じようともしない。挙げ句、「もう帰って来なくていいって!」発言。おかあにはこのままで良いのかと聞いている矛盾。
徳丸さんの方がよっぽど気が利くと思う。
おじいやんとはなの日常のやり取りみたいなのが少しずつでも描かれていれば今日の場面などもつながってさらに生きると思うのですけれど、おじいやんが突然のようにはなの作った話を読みたい、とかはなが作ったものがつまらないわけない、とか言う。
そりゃ脳内完結できる人もいるでしょうけれど、やっぱりそのあたりが批判の対象になって過程がすっ飛ばされてるきめの細やかでない脚本、と言われてしまうような気がします。
役者さん達は好演してるんですが。
このドラマを否定的に見ている者だけど。
きょうのオジイヤンとおとうのやりとりは
しみじみとよかったと思う。
おじいやんとおとうのシーン、良かったです。
思わず涙ぐんでしまいました。
義理の父に読み聞かせる婿の姿なんて、ドラマで初めて見ました。
今回のドラマは気軽に楽しく見ているつもりなのに、時々こうやって泣かされるんですよね。
心を動かされるシーンでヒロインがいなくともいいんだけど、こういうのやれるにも関わらずヒロインにまだそういうものが訪れないのは、何か考えがあってかなと思います。
タンポポの目読みたくなりました。最初のとこばっかりなんだもん。
万が一にも逝かないよね、おじいやん。元気になるよね。
もう出鱈目なドラマになってしまいました。
村岡花子さんの生涯に期待していただけに残念です。あまりにもストーリーが安易すぎます。主人公に魅力を感じません。梅ちゃん先生も魅力なかったがまだ今のヒロインより可愛いげがあった。周りの役者は良い演技をしているのにヒロインの演技でぶち壊しているように思えるのは私だけでしょうか?
周りの役者は良い演技をしているのにヒロインの演技でぶち壊しているように思えるのは私だけでしょうか?
↑
いえいえ、決してあなただけではございません
「この人女優?」って思います
文化祭の演劇での生徒達の方が、よっぽど上手です
脚本家もサジ投げちゃったんじゃないでしょうか?
周りの役者さんを使って、なんとか乗り切ろうと、そんな感じですね
吉高さん役に不満があるんじゃないかな
昨日「花子とアンへの道」を読みかえしていて、実際の花子さんは8人兄弟の長女として生まれていましたので、ドラマでも長女と錯覚をしてしまいました。吉太郎の後の2番目でした。
これまで疑問に思ってきたことがありました。それは母親である「ふじ」のモデルは誰というものです。マリラではないことは確かです。
実際の母は「てつ」ですが、母の写真に言葉を添えて額に収めて書斎に飾り、控えめな微笑みをたたえて、花子をいつも見守っていたそうです。随筆「美しい人」の抜粋、「一生を子供らと、夫のために尽くした人、その中に自分の幸福を見出した人、貧苦にも堪え、誤解にも堪え、いつも微笑んでいた母は、私のなかに生きている。」を読んだとき、「ふじ」はやはり実際の母がモデルと思いました。と同時に、後年「家庭文学」を目指した花子自身の母親の姿でもなかったのではないかと思いました。甲府編の終わりになって気づくとは、何とも情けないことですが、「ふじ」の姿を通して、村岡花子さんに触れられたようで、とても嬉しく思いました。そしてドラマでは、書斎に飾られた写真のように、晩年の花子像である「ふじ」が、若き日のはなをいつも優しく見守っていたように描かれていましたので、東京で出てゆくときに、母の写真を持って行ければいいなと思いました。
毎日楽しくドラマ見てます
でも、ここでは痛切な批評ばかり
そんな厳しい目でみなくちゃいけないのかな
この作品を、良くは思えない人が、たくさん投稿している傾向があるだけで、そうでないからと、投稿をためらわなくてはいけない、ということじゃないですよ。
自由に、感想を投稿できる場ですから。
勇ましいシュウゾウ気分で、おじいやんは、死出の旅に揚々と踏み出して行く・・・と、
心の中でナレーションしてしまった、今日のお話でした。
文字通り、生まれて育って、老いてきたこの家で、障子をあけて、富士山の方を向いて、最期を迎えたおじいやん。
読めないのに、ページを広げていた姿に、ちょっと視界がぼやけた。
石橋さん、お疲れ様でした。
浮気騒動、予想通り、犯人の自白であっさり解決。
はい、サダさんの幸福も、お祈りします。
娘時代に戻ったような、おかあが、可愛らしい。いつもいつも、りっぱなおかあなんだけど、おとうに女が?と、思ったら、小娘になっちゃうのね。
今日最後になった朝市の言葉が気になった。
おじいが辞世の句を詠んでいってしまうのは、なんともはかなげで良かったよ。
石橋さんお疲れ様名演技ありがとう。
私もお爺の最期よかったです。孫の花のように最後は修左衛門の気分になって辞世の句を詠み、静かに旅だったんですね。本当なら絶好の泣かせどころなのに、初雪の舞う中、一人で穏やかに富士山を眺めながら。いい演出だったと思います。
朝市はやっぱり告白できないまま、花の背中を押してしまうんですね。あまりにいい人過ぎ…(涙)でもそれが朝市なんですよね。子供のころから間近で花を見守り、常に優しい愛情を注いできた。それに花が気づかないのが少し残念だけど、朝市の優しさが伝わって嫌な感じはありません。二人にはこれからもずっといい友達でいてほしい。
サダさんはあっけなかったですね。一途なお母を見てちょっと意地悪したくなる気持ちはわかるけど、それならまず何をしに甲府に来たのかな? 優しい吉平にただ会いたくなったから? そこがちょっとよくわからないかな。
お爺と朝市に背中を押されてついに花は東京行きを決めた様子。決めたならもう文学に生きる覚悟を決めて頑張ってほしいです。
おじいやんもはなの良き理解者だったのね。
そっとそっと見守って、肝心の時にはそっと背中を押してくれている。それがはなの原動力となるのですね。「夢を夢中になって追いかけて欲しい。はなの手は自分たちとは違うものを作り出すためにある。」
朝市もそう。見守って、肝心の時にそっと背中を押す。
後々の花子さんはこんなに温かい人たちがいたから今の自分がいる。自分だけの力ではないんだって、しみじみと思い出し感謝する。
そういう描き方なのかもしれませんね。
お爺やん、お疲れ様でした。
ゆっくり休んで家族のこと温かく見守ってあげてくださいね。
朝市はやはり告白できないままですか~
うん、まあ朝市らしいと言えばそうかもしれないですね。気付かない花も花らしくて、これが二人らしい関係なんですかね。
おじいやんの静かな終わり方はよかったですね。
甲府編はイライラすることが多かったですが
昨日と今日は温かい気持ちになれました。
はなも頑張ってほしいものです。
毎日楽しくみています。花を優しく見守ってくれてたお爺さんが亡くなりとても寂しいです。あと朝一は花に告白しないままになりそうでとても切ない思いです。朝の支度を済ませコーヒーを飲みながらドラマをみこぴっと頑張ろって毎日過ごしてます。
ストーリーとしてはひどかった。
サダの浮気話は嘘でした、の展開は薄々予想できたものの、もう少し説得力のある理由づけがなされるかと思いきや、単なるいやがらせ、で終了。
おバカな軽いエピソードがあってもいいかもしれないけど、おバカな軽いエピソード(しかも必然性のない)のためにおじいやん死なせるのはひどすぎる!
朝市、十数年の想い、しかも手を伸ばせば届きそうな望みに対し行動を起こさなすぎた上、最後も身を引いてしまうのか…
「一生懸命やって負ける」姿が見たかった。
はな、子供時代は「この子には人の見えないものが見えるのかもしれないな」と思わせるものが確かにあったのに、あの豊かさや輝きはどこかへ行ってしまったのか、主体性のない甘えた人になってしまっている。
と、ここまでストーリー的には不満いっぱい、今日は特にひどい回だったけど、不思議に役者の演技には惹かれてしまった。
はなの顔が、今日は特にきれいでかわいく見えた。
もともと吉高さんのはなは見た目としてはかわいらしく、和服が自然に似合っていて、仕草や表情含めて好きだった。
朝市に相談するシーン、内心では「もっと自分の意思を出して!」と思いながらも、迷う姿がかわいく見えてしまった。
朝市、はなに相談をもちかけられ、ちょっと期待してしまい、かつその期待を表に出さないようにして話を聞いた結果、はなの気持ちを見通して、恋心を抑えて「ほんなら、行けし!」と言ってしまう。
その気持ちの流れが表情から伝わってきて、内心「ここで想いを伝えないなんて情けないぞ!」と思いながらも、意外に爽やかな気持ちになってしまった。
私は俳優の演技にあまり不満はなく、むしろかなりいいと思っている。
でも俳優は脚本から逸脱した演技はできないからね…はなだって、シーンをもっとちゃんとつくってもらえれば、応援したいヒロインになったと思う。
一番好きな爺やんが、逝ってしまった・・・・。
「そうさな~ 」は思い出の場面ぐらいしか聞けないのか?。
あ~ぁ、もう少し長生きして欲しかった。さびしい。
私も、吉高さんは嫌いじゃありません。
でも花にどうしても共感できない。
心に残るシーンが成長したヒロイン不在のドラマ
あの子役の時に感じられた輝きを
東京編で見せてほしいです。
恋愛ドタバタで終わってほしくはないですね。
本当、吉高由里子の和服姿は素敵なのにね。
今後の東京編に期待したいんだけど、村岡印刷さんを巡る恋バトルもあるみたいですしね。醍醐ちゃんを雑には扱って欲しくないなぁ、と切実に思います。
かよちゃんとの絡みもあるでしょうし、やはり脇役ばかり応援したくなってしまう不思議なドラマです。
はなに輝きを〜
>やはり脇役ばかり応援したくなってしまう不思議なドラマです。
そこなんですよね。
花が順風満帆すぎるから?
周囲がみんな花の味方だから?
花以外は苦労してるから?
努力しているところが感じられないから?
このままでは
吉高さんも花も気の毒ですよね。
お爺やんとハナちゃんの二人の会話を見ていて、「タンポポの目」の百合子ちゃんはハナちゃんで、お父さんはお爺やんなんだなと思いました。
やはり「タンポポの目」を読んでもらっていたとき、懐かしいハナの子供時代を思いだしていたんですね。可愛い孫娘は目に入れても痛くありませんものね。
めっけた夢は、夢中になって追っかけろし。
わしらの作れんものを作ってくれっちゃ。
ハナの夢が、お爺やんの夢にもなった瞬間です。夢の続きをもっと見たかったことでしょう。
今度は大好きなお爺やんのためにお話を作らなくては。
朝市とハナは、兄と妹のような関係でしたね。妹思いの兄、いつも妹のことを心配し、落ち込んでいるときは励ます、そんな優しい兄の姿でした。東京行きを相談するハナに、自分の心を隠して笑顔で送り出す姿に胸がいっぱいになりました。
ハナ、二人のためにもいっぺい頑張らんといかんずら。
すごく遅いですが
2014-06-11 22:59:00 名前無し さん
>はなは何にも思い入れがあるように見えないか…
笑いました
それです、それで
蓮子と喧嘩別れ?しても、交流再開しても、
童話が本になっても、
編集社就職を一旦諦めても、再びチャンスが来ても、
見ててあんまり感情が動かないんだ。ふーん、て感じ。
でもおじいやんが好きだったのは、少し伝わりました。
個人的な想像の中では花はすごく努力してるんですよね。だって、何にもしてないのに小説が出版されたり仕事の誘いがあったりするわけないですから。
でも、ドラマ中ではその辺が詳しく描かれていないので想像の範囲内を出ることが出来ず、棚からぼた餅みたいに見えるから何だかイラッとするんですよね。本当は違うのだと思うのですが。
あえて描写せずに視聴者の想像にお任せしますってのはある程度ならいいですけど、あまりにも大雑把で突拍子もない作りだと想像に委ねる範囲が広がる一方になりますよね。
努力してないように見える花を実は努力してるのだと必死に納得しようとする自分に、だんだんと疲れてきました。
なんか上手く言葉に出来ないけど。
嫌なら観なければいいと言えばそうなんですが、せっかく見続けてきたし。なんか複雑。
う~ん、毎回、
3分位、小説書く場面入れて、
3分位、家の手伝いの場面入れて、
3分位、学校の場面入れて、
残り5分位、なに入れよう。
はなが以前言ってた「今日はまだ失敗していない、新しい日…」云々。はながももに言った、「言わないのは思ってないのと同じ事…」云々。朝市の「一生懸命負けること…」云々。
ドラマを見ていてもこのセリフが発言者の経験からにじみ出てきた言葉だという流れは全くないので説得力がないし、セリフだけ浮いてるように感じる。
静かなおじいの死はそこだけ見たら良いシーンだったと思うけど。
おとうの無駄な浮気騒動は、お母の、全てを知った上で微笑む、達観した母像を壊しました。おじいやんとの別れの週にいる話だったのか謎。あの人、騒動起こしに新潟からきたのか。
エピソード、セリフ、全体的にちぐはぐ。何も伝わってこない。
はなは、人に向いてないと言われればキッパリあきらめます程度の文学への夢を叶えるために家族無自覚に踏み台にする。
そう言えばはなって一人っ子みたい、画面に兄弟らしき登場人物がいなきゃ、兄弟がいるように見えない。
小説?考える場面や家の手伝いする場面
毎回じゃなくても、週に1~2回でも入れてくれたら、今よりだいぶ伝わるんじゃないかと(笑)
ついでに、家族があんなに汚い格好してるんだから、
花もせめて着物の色は地味にするとか…
家族とのバランス悪すぎだし、
稼いだお金を自分のためだけに使ってるの?!
と、錯覚させられます。
石橋さんの演技で何とか押して画面は断片的な絵にはなっていたもののやはりこのドラマはストーリー自体の説得力がないとしか言いようがありません。
なぜこんな茶番じみたおとうの浮気話を入れなければいけないのかまるで意味がわかりません。せっかくのこれまでの室井さんの大らかで土地に根を張ったようなおかあの演技も台無しになったと感じます。あのおとうとおかあが抱き合っても全く絵にはなっていない。すっかり畑をやる気になっているおとう・・もう、コントになってしまいました。今さらふじさんと会って甲府が大好きになった、故郷の表冨士を見せてあげたい?これまでのおとうが安東家及び妻にして来た言動をこちらは見せられているのにここに来て突然こんな言葉が飛び出しても言葉が浮いてるだけ。ちょっと中年パカップルみたいな描き方・・・
名前へのこだわりもまるでアンネタが元にあってそれを入れたいためのこじつけとしか感じられません。名前が変われば自分がすごいものになったような感じ?なんだかあまりにも子供じみた浅い発想でついていけません。子供の頃の発想ならともかく人間成長して勉強したりいろんな経験をすれば名前よりは物や人の本質を求める・・・そちらの方向に行くのが自然だと思いますし、そんな子供じみた発想を土にまみれて長年甲府で過ごしたおじいやんにまであてはめようとするのはあまりにも無理がある過ぎる、と思いました。石橋さんの演技に救われているけれど脚本そのものは相変わらず、と言うよりますます違う方向に走っているように感じてしまいます。
朝市のこともそうですが、ちょっと見は感動場面なのかもしれませんが、よく考えると非常によく分からない話です。朝市と言うのは花子に都合がよく話が運ぶための駒として創作されたキャラですか?
本物の村岡さんや白蓮の創作力と申し訳ないけれどこのドラマの作者の創作力に何だか歴然たる差を感じてしまいます。みみずの女王やたんぽぽの目、白蓮の歌が下敷きになっている部分だけがかろうじてドラマになっているような気がしてしまいます。
>ドラマを見ていてもこのセリフが発言者の経験からにじみ出てきた言葉だという流れは全くないので説得力がないし、セリフだけ浮いてるように感じる。
まさにおっしゃる通りだと思います!
朝市のことばもおじいやんの台詞もそれ自体はすごくいいのです。
でもこれまでのそこに至る流れがなくて突然来るからそのキャラの台詞としての説得力がない。
このドラマを見ていると自然にいいなあ、と感動できるようなドラマってやはり起承転結があってクライマックスに至るまでの過程というものがよく考えられて作られているのだなあ、ということを改めて感じます。
このドラマは役者さんの演技やところどころの良い台詞に心を留めることはあるのですが、なんだかその場だけ。前からの連続性もなければその後にもつながって行かないんですね。
花子に関してはもう本当にその場その場の状況や人の言葉でころころと変わってしまうつくづく一本筋が通ったところのないヒロインだと感じます。甲府に帰って小学校教師で頑張る、のように決心をした後、花子が実は迷っていた、というような感じは少なくとも私には伝わってきませんでした。いくらおじいやんのことがあったからと言って本人自身がこれまで本気で迷っている様子もないようではなんだかまた心変わり?みたいに見えてしまいます。
ももと朝市の話やおとうの浮気の話(こちらはこんな中途半端な話なら要らなかった、とも思いますが)を入れたとしてもヒロインの複雑な心情のようなものはところどころにちゃんと入れてくれないと一体誰の何の話なのか分からなくなってしまうと思います。
人生は引き算かもしれない。だから夢を追いかけるって台詞のあたりからジーンときて最後までウルウルしながら見ました。
家のために勉強して田舎に帰ったものの、自分の夢が諦められずに東京に戻るって展開なら、私は自然に受け入れられます。
が、東京編の予告はコピっと感がなく恋愛おちゃらけ編のように見えてしまいました。台詞がその前後に繋がらないっていう意見には頷けるところがあります。
でもまあ、今日はいい旅立ちだったし、東京でかよが活躍し蓮子との再会があると思うので期待もたくさんあります。
上のほうでどなたかが書いていた「今日はまだ失敗していない、新しい日…」、「言わないのは思ってないのと同じ事…」、「一生懸命負けること…」どれも私にとっても印象的な台詞だけど、私にはそれぞれ場面の文脈に合っていて自然に聞こえました。特に最初の吉高さんの台詞は出勤前に自分に言い聞かせ励ます台詞としてすごくいいなぁ、とその時に感じたし、人によって感じ方って本当に違うんですね。アンネタも含まれているようだけど、私はたまに見られるこういう台詞もドラマの楽しみです。
ヒロインに都合のよい存在……前作の源ちゃんや名前はもう忘れたけど(苦笑)西門家のパトロンみたいなおじさまもそうでしたよね。ドラマってそういうものじゃありませんか。
朝市はオリジナルキャラクター(土スタで言っていました)なので、主役の都合のいいように振り回されるだけの役割です。
やはり朝市はストーブさんだ。
いい男なのになあ。
本は銭だ。オラ、やっぱり東京で本を出してえ。
売れればこの村の誇り、アイドルだ。コピっとがんばれし。
あまちゃんとかぶせて見てしまう私でした。
これからは行商やめて百姓する、とお父が仏壇に向かって誓った時のお母の嬉しそうな顔。実際に不器用に草鞋を編むお父をそっと助けるお母。いい夫婦になれそうですね。
人生は引き算かもしれない。確かにそうですね。何もせずにいたら時はただ過ぎていくだけ。お爺や朝市の励ましもあったけど、花が焦る気持ちはわかります。もともと子供が楽しめる本を作りたい、というのは女学校時代からの夢なのだから。だいぶ回り道はしたけど、教師時代の子供たちと触れ合った経験は、童話作家や児童文学翻訳という将来の仕事にとって必ずプラスになるはず。なんといっても、これまでふらふらしていた花が大人になってから初めて自分の意志で決めたことなんだから頑張ってほしいです。
そして花を送り出す家族も学校の子供たちも先生方も、みんなあたたかいですね。緑川先生や小使いさんまでが半泣きだったのにはじーんとしました。私が教師を辞めた時も皆さんあったかかったな、なんてつい思い出したりして。朝市は「さいなら」のあと、一言ずっと好きだっただよ、って言ってもよかったと思うけど(笑)
昨日のお爺が静かに亡くなるシーンといい、こういう優しさが感じられるところが好きです。
旗振りの代わりに先生と子どもたちがサヤウナラをしてくれましたね。
その割りには学校での活躍は少なく物足りなかったね。
家族の描き方は良かったけど、教師としてもちっと深く掘り下げて欲しかった。ダメ教師でもいいから。
はなを嫁に出すような気持ちで両親は東京に送り出したんだろうな。
あの時代あの年で夢を追いかけるって、やはりはなは特別な人だから周りも応援してくれてる。
人生は引き算かもっていう台詞はこの年で聞くと響くものがある。
いい週末の朝になった。
人生は引き算かも…ってセリフは心に残りました。
これは脚本家さんのオリジナルのセリフなんですよね?
教えてくりょう。
来週の東京編も恋愛モード炸裂ですね。
翻訳の話はおまけとして見た方が良さそう。
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