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ふわっとしているのは私も嫌いじゃありませんが
花がきれいな着物を着て(妹に比べ)
小学校でごきげんようと楽しく教師生活ができるのは
父親の偏愛と兄妹の犠牲のもとに女学校に行き高等教育を受けれたから
この現実があるので
花がふわっとしているとイライラしてしまう自分がいます。
何が好きでどこが癒されるのかはほんと人によって違うから面白いのだと思う。
人の感性がみな同じであれば、同じようなドラマしか生まれないでしょう。
私は吉高ちゃんの袴姿を見るだけで癒されます。あまちゃんは能年さんを見るだけで癒される方もいたと思います。
吉高はなの娘から女性になる過程をじっくり楽しみます。
>吉高はなの娘から女性になる過程をじっくり楽しみます。
それは無理なんじゃないでしょうか?
だって教師になって4年たちましたもの。
20歳から24歳です。
その時期は過ぎてしまいました。
あの時代はもう行き遅れの年齢
ごちのめいこも3人の子持ちになって子育てに奮闘していた年齢。
娘から女性って気もちの問題じゃ。
私も吉高花子の着物姿を見た時には本当にピッタリでびっくりしたほど。今もいいと思うけれど、中身がどうも伴わないような描き方なので最近はそれこそこちらの方がお人形、みたいに見えてやや見飽きてきた。仲間蓮子はやっぱり最初見た時、もうお蝶夫人のように艶やかでこちらも衝撃を受けた。東京の蓮子、九州の蓮子、どこかキャラ変したようなところも感じたけれど、こちらはかなりズレまくった人だな、と思いつつなんとも「らしさ」がストレートに伝わって来るのでお人形に収まりきらないパワーを感じるんだよね。
仲間さんは魅力的だけど脇役女優じゃない感じ。いくらステキでも主役を食っちゃうような作りはやっぱり脚本・演出の責任だと思う。
えーっ?もう4年もたつの?
女学校時代の花子と変わんないじゃない?着物が教師らしくなっただけ。何が悪いの???
下手したら同年齢の梅ちゃんよりも子供っぽい・・・
>お嬢様が廊下を通り過ぎる中床を拭くかよ
すみません、その描写がどう残酷なのか教えてもらえませんか?
はなちゃん蓮クミに負けるな
袴を広げて花子パワー全開にせえ
『はな』はまだまだ『はな』なんだよね。
『花子』にはいまだなれない。
蓮子は歌を詠み続けて、伝助のお金を使ってとはいえ『白蓮』として歌集を出した。
『花子』になるのを切望しているのは、今ははな本人より蓮子かもしれない。
はな~!私も早くあなたを花子と呼びたい!
がんばれ!(^^)!
>お嬢様が廊下を通り過ぎる中床を拭くかよ
すみません、その描写がどう残酷なのか教えてもらえませんか?
私はコメ主さんではありませんが、あの場面には確かに厳然と存在する、そしてそれを当然のことのように受け入れる、という感じの無自覚、無神経な社会の差別意識のようなものは感じたので書きます。
貧しい者が当たり前のように床をふき、そこをお嬢様たちが当然のように通り過ぎる。確か醍醐さんか誰かが「そんなことしなくても」と言ったような覚えがありますが、それは床をふく、というのが貧しい者がやる、という前提があるからそういう場面が作られそういう台詞が出てくるのではないかと思います。
それに対する掘り下げがドラマにあればむしろ深いものになるのですが。
はなやかよが自分たちの境遇やお嬢様たちとの格差を嘆くこともなくあまりに簡単に受け入れてしまう、というのがすごく不自然です。その割にやたらに実家の貧しさを言葉だけで強調したりおとうの社会主義なんていうのがお飾りのようにネタとして扱われている。ネタの奥にあるものが全く切実に伝わって来ません。安東家の貧困ぶりに本当に胸がつまされるようなことがない。
そのあたりに非常に作者のこの時代に対するとらえ方の浅さ、とか無神経、というところは感じてしまいます。でも今日の伝助の炭鉱事件の描写の方はそういう点ではずっと良かったと思います。
「はな」は花子になろうとなるまいとこのドラマが始まって終わるまで「ヒロイン」のはな、ですよ。
花子に変わるのはある日突然、なんてことではそのドラマの「ヒロイン」とは言えないでしょう。「過程」というのは何事においても非常に大事です。
数学の試験だって答が間違っていてもそこに至るまでの数式で部分点はもらえることがよくありますからね。
日本の社会のことだけでなくて、アンからのネタを取り入れるにしてもなんだかそこにあるエピとか出て来るものをただ表面的に入れ込んでいるだけのようなところを感じます。
赤毛のアン、という作品世界の中で一つ一つがどんな意味を持ちなぜそこにそういうものが使われているか、ということをちゃんとわかって大事にしてこのドラマにアンのネタを使っているのかな?
そのあたりに本当の赤毛のアンのファンの人も疑問を感じるところがあるのではないのでしょうか。
全くもってつまらない。この朝ドラって蓮子がヒロインでしょうか?ヒロインの存在感無さすぎます。蓮子の演技はしっかりしてるし観ていても面白い。迫力もある。このヒロインはまず何を苦労したのか未だにこちらに伝わらない。全てが自己中。家の手伝いするわけでなし自分だけが日焼けもせず真っ白な顔と綺麗な着物。家族はみな汚れっぱなし。普通に考えれば休みの日には畑や田んぼの仕事もやるでしょう。花は休みは勉学してるの?そんな描写は一切ありません。女学校時代もアルバイトのお金で蓮子にキンツバを買うってどういう神経しているのか。家族が貧困で困っているのならまず家族に何かをしてあげるべきでしょう。観ていて無神経な女だなぁといつも思います。自分の事しか考えられない女ですね。また朝ドラを何十年も見てきましたがこんな人間として女性として出来の悪いヒロインは初めてです。
また出演者はうまい人達を起用しているのにヒロインの演技力の無さには呆れてしまいます。花の脚本も訳がわからないがその上にヒロインが私からみたら大根役者でどうしようもありません。演技が浮いてしまい目の表情も笑い、泣き、困惑、嬉しさ、等等、全部が同じに見えてしまう。
やはりヒロインの演技力の無さは致命的です。
蓮子とそれと比べたら雲泥の差は明らかです。
今日なんかは蓮子が出てきただけでドラマらしくしまるのに残りの5分は花の場面になった瞬間に白けてしまいました。忘れていました。花って家の食事の準備も手伝わないのですね。なぜももばかりに苦労をかけるのか。いったいあなたは何様ですか。正直な感想です。村岡花子さんがお気の毒になりました。
床を拭くかよ、のコメ主です。
私以上に詳しく深いコメント残して下さった方、ありがとうございます。
ほんとに上の方のおっしゃる通り、なのですが、少し追加で。
社会の格差、差別意識ももちろんなのですが、今回の場合は花は綺麗な着物を着て廊下を通り過ぎる側だということに残酷さを感じます。
自分がかよの立場なら惨めです。
ふんわりまとめるならせめてはたきや洗濯じゃだめなのか、と思います。
床を拭くことがどうこう、じゃないですよ。私も自分の家ですが拭いてますし。
その描写をドラマに入れることで、ふんわりだけじゃ済まされないものを私は感じてしまうということです。
今後の展開でこの格差がどう変わるのかが見たいです。
蓮子はいつまでもお姫さまでいるわけではないだろうし、はなの兄弟も明るい未来があるのかもしれません。
ある週刊誌では貧しさを強調せず、アンネタなどが入って楽しめるところが人気の理由だと書いてありました。
<<筒井さんがお国言葉で見栄を切った今朝は面白かった。
私も!今日一番でしたね。
筒井さんの喋り方、筑豊出身ではありませんが、福岡の私から見たら完璧で、自然な啖呵の切り方でした。
場面としては修羅場で、見るの嫌な方もおられるでしょうが、私はしびれました。
福岡、もしくは九州地方の出身の方かなーと思って調べたら、逆に山梨の甲府出身の方でした!女優さんてやっぱりすごいと思いました。
今日は最後の花子のあざとい寝顔で寒くなりましたが、九州パートが良かったです。今日だけ録画しとけば良かった。
花子…居眠ってる場合じゃありませんよ。フツーに主役食われちゃってますよ。
いやー、おもしろいですよ。
平日なのに?ここがこんなににぎやかなのもおもしろいですね。
フィクションであれ、コントであれ、朝からいろいろ考えながら観なくてもいいというのはおもしろいですよ。
朝ドラはこんなもんでいいんじゃないかい。
上のコメに少し付けたさせて下さい。
考えてみたのですが、残酷さを感じた1番の原因は多分、目線だと思います。
お嬢様に悪気はないですが、構図として絶対「上から目線」になる。映像で見るとキツイな、て感じます。
だから、今日の伝助さんはとても良かったです。お客さんとして通して、同じ床に座り、お金も封筒に入れて出す。
例えば炭鉱夫が庭にいて、縁側にいる伝助さんがお札を渡す、だと全然印象が違いますよね。
文句言っちゃいましたが今日はキュンキュンしました^_^15分の区切りで見ると、いいところもいっぱいあります。
もも、顔に比べ、首が白いよ~。いかにも黒く塗ってる感があり不自然。
『真夜中のパン屋さん』のドラマも見てましたが、学生役だったけど美人さんでした。そのまんまの顔で出してあげて。。隣のはなが白くて小綺麗にしてるから可哀想だ。
お嬢様と女中ねえ。
そういう時代の情景ならしかたないでしょう。
お嬢様が幸せで女中が不幸だとは限りませんし、残酷までは感じませんでした。
このドラマの先行きが心配になってきました。
本筋ではない蓮子の話しに惹きつけられて、はなのことはどうでもいい感じのコメばかり。たまに吉高ちゃんの応援が入るとそのコメにチャチャを入れる人がいる。
ふんわりと感じてる人がいるんだからそれでいいじゃんと思うけど、実は無神経だとか残酷だとか。
蓮子とアン、いやアンさえも否定されてレンコンドラマになっていくのか?
醍醐さん村岡さん編集長、早くはなを東京に戻してやれし。
福岡は広島と並んでヤクザっぽく血の気が多いとか言われてたけど
残念ながら現在の福岡や広島に伝助のような男なんていないよ。
博打好きで野球試合も勝って強くないと応援しないヘタレが多い
のは事実だけどねwだけど女中頭のような気が強く上を上とも
思わない生意気な女が多いのは事実だけどな。伝助も実は
へタレという内容になるかもしれないけどねw
博打好きな男と生意気で傲慢な女の滑稽なサーカスゲームが
繰り広げられている。それが福岡や広島の社会だねw
ちなみに山梨県人とは広島人や福岡人は相性最悪との事w
批判がいくらでようが違反でなければいいでしょうや。
ここで批判がでることを心配している人達が多すぎるよ。
今日は女中とのビンタのやりとりですか、朝ドラというよりも昼ドラ展開ですね。女中は説明がなくても言動から愛人でしょうね肉体関係ありのね、でなければ本妻をあそこまで愚弄できませんよ。
仲間の死を必死になりうったえにきた炭鉱夫達を金で即座に解決は現実的で笑いましたしよかったですよ。
これってごちそうさんでもあったよね、悠太郎が捕まったときと同じだと思う。あの時は知り合いを頼ってなんとかしたんだけど、砂糖のこともうるさく言っていた人達がいたけど石炭王のしたことと比べてどうなのかな?と思いました。
前作を叩いて今やっているこの朝ドラを肯定的に見ている人達っていったい何様なんですかね、今日の伝助の行いを見て、その人達の意見でも聞きたいものですね。どっちも同じでたいしたことのないドラマだと言うのですのかね。
>前作を叩いて今やっているこの朝ドラを肯定的に見ている人達っていったい何様なんですかね、今日の伝助の行いを見て、その人達の意見でも聞きたいものですね。どっちも同じでたいしたことのないドラマだと言うのですのかね。
こういうコメントする人こそ何様なんでしょうかね。
ひとくくりにするんじゃなくて、具体的にどのコメントに対してものを言っているのか(くってかかっているのか)ちゃんと書いたほうがいいと思いますよ。
2014-06-04 17:39:28 名前無し様
コメ主様
とても詳しいコメント有難うございました。よく解かりました。m(- -)m
おぉーw←とうとうこれをつける人がでてきましたね!福岡出身の私より福岡と広島と山梨の社会に精通された、妙に県民性にお詳しい方です。
今日だけたまたま見たらしい知人が今回の朝ドラ仲間由紀恵さんが主人公なんだねって言ってました。違うよって言いましたが、なんと主人公の存在感の無い回だったことか。
まぁ朝ドラの御法度ってありますからね、昼ドラ展開への反応が強いですね!
嘉納ちゃんがいつ蓮子さんと別れて出番が無くなるのか気になります。なるべく長く出てほしいです。
とりあえずいまのところは史実の伝助と蓮子との関係とは違っていてほっとしています(ネタバレじゃないよね? 仲が良いというのはなかったから)
それでも充分昼ドラちっくなので、この辺で抑えておいて欲しい。
元がアレなんで相当これでも抑えてますよ。忠実にやると朝ドラなんかでは流せない。
伝助やさしくていいですね、唯一の救いだな。これからを見越して優しい人物像にしているのでしょうが(朝一と同じく)
朝一とはなの別れはせめて深く描いて欲しいな。ひどいかもしれないけど、はなには少し傷ついて欲しい。で、傷心のなか東京へ行って村岡氏と……こんな流れなんですかね。なんだかこれもアレですね。でもいまのほわわんのまんま行かれるよりかはいいかな。
自分もほわん好きなんですけど、メリハリは欲しいです。はなだけが気になる。許せないとまではいかないんですが。朝ドラだからまあいいかな、と流せてしまう感じです。
伝助氏かっこよかったな。
このまま蓮子とうまくいけばいいのに・・・
私は最近このドラマを見ているとなぜかヒロインやその周辺のパートだけ、面白くない、を通り越して無性にイライラして来て、蓮子や伝助の九州パートになって来るとなぜかホッとするところがあります。
>ある週刊誌では貧しさを強調せず、アンネタなどが入って楽しめるところが人気の理由だと書いてありました。
ああもうこういう記事とか見てもほんとかよ?って感じてしまいますね。貧しさを強調せず??とんでもない、ことあるごとに花の家は貧しい、貧しいって言いっぱなしだしここでもコメントがあるようにおかあの髪型やらももや皆の恰好まで貧相なことを強調している以外の何ものでもないです。花子だけがいつもこぎれいなので余計に対比されてまるでわざとやってるようにさえ見えてしまう。子役さんの時はそんなことなかったのですがね。
当たり前のように女学校はキラキラした描写、蓮子の豪華ないでたち、九州で蓮子は不幸とはいえ山梨とは雲泥の差の贅沢な暮らし。
こういうものをこれでもか、と並べておいて貧乏を強調してない?逆ですよ。よけい「貧乏」を非常に無神経な形で強調している、と感じてしまいます。
もちろん貧乏は事実なんだからそれはそれできちんと描かなくてはだめ。しかし貧乏を強調しない、というなら貧乏や貧相なものを描いてもそこにそれなりの気遣い、というものが絶対必要だと私は思います。それがない。まるで当たり前、当然、ドラマを面白くするための小道具のようにとらえてる感じ。たえだってまるで子守奉公の境遇をいとも安易に花子先生のおかげで受け入れられた、というように見える。かよの扱い方も同様のものを感じます。かよの辛さがあんな中途半端な描かれ方でいいんですか?
はな以外は皆貧乏の犠牲になっているのにはなだけこれ以上ない、という縁談にも自分から決して積極的にならずにそういう花が悪者にならずに済むようにか相手から断らせるってなぜそんな設定をわざわざ作るのか?お気楽に貧乏をとらえてる場合じゃないのでは?と感じてしまいます。
貧乏だけれどこの家族には女学校や蓮子の家にはない大切なものがある、とそこまでに感じさせてくれる深い描写がない。ただいいとこどりの表面的気遣いのようなものばかりではそれこそほんわか心が温まるところまで行かないです。
アンネタにしてもなんだか制作側は盛んに宣伝してるけれど本当に楽しんでいる人がそんなに多いのでしょうか?って私はかなり疑問に思ってしまいます。
2014-06-04 18:11:53 名前無しさんのご意見、同感です
>全くもってつまらない。
>ヒロインの演技力の無さは致命的です。
私も、そう思います
確かに九州パートには気合が感じられます。本当はこっちメインでやりたかったのかな。朝ドラだから、詳しくできないから…
しかし、文章を書く事を職業としてあの時代で成功した女性が、あんなに他人の気持ちがわからない鈍感でいいのか…文章を書いていたが、つい居眠りした感じじゃなかった。本気で寝てます。あんだけよそで熟睡できる花子すげえな。
そうそう「鈍感」そのことばがすごくぴったりくるヒロインに見える。
フツーの女の子とかつき合う彼女とか友達だったらどう考えても蓮子より花子だなあ、とは思うけれどドラマのヒロイン、それも文学の道に行くような子がここまで鈍感でフツーだと面白くない。いやいいんですよ、おしなべてフツーでも。でもここぞ、という時には何かぴかっと光るものが欲しい。それがただ理由もはっきりしない名前のこだわり、とか自分の恋の相手ばかりの想像の翼ではお話にならない。
2014-06-04 22:33:17 名前無しさん、
何様発言は余計なひと言(笑)のように感じてしまいましたが、その前に言ってらっしゃることは具体的に前ドラのどのコメント、なんて書いてくれなくても長く参加されてる人ならよくわかる人多いと思います。わからない人は興味があるなら前ドラのここを読めばよくわかることと思います。くってかかっている、なんてのでなくて実に真っ当な疑問だと思いました。 感情的にドラマによってその場その場で叩いたりもち上げたり、というのは賛否のポイントが理解できないコメの事多いです。
このドラマが始まるにあたって「アンのゆりかご」を読み、期待して見始めましたが正直、予想していたイメージと全然違って最初は違和感を覚えました。でも見ていくうちにだんだん馴染んで、まあ、ドラマならこんな描き方もありかな、と思えるようになりました。あまり村岡さんのイメージに凝り固まって見ると楽しめませんね。まるっきり別もののフィクションとして見たほうがいいようです。これまでは花子の家族と友情を中心に描かれてきましたが、これから仕事や恋愛を通して花子自身の生き方が見えてくるのではないかと期待しています。
貧しさを強調してないってヒロインのことですよ。
おしんのような描き方ではないと、そういう記事を見ました。
じゃ、かよはどうなるんだ?
このままではないでしょうね。
はなの鈍感さにイライラします
ほんと一昔前の三流少女マンガのヒロインみたい。
とりあえず明るく元気で鈍感な女が大した努力もせず棚ぼた式に次々と幸運を手にする、みたいな話
しかも周りの人を幸せにするという事もないし
兄妹は犠牲になってるし
兄弟は犠牲になってるのかどうかはまだわからないよー
経済力を持てば家族を救えるしな
今日はももとおかあのシーンに泣けた
昨日の伝助の金で解決するところや、妻と女中が殴り合いをしてるのを見て笑ってるのはどうしても好きになれなかった
花の人生は周囲を犠牲にしてなりたってるんだとつくづく思いました。一見妹想いな姉ちゃんに見えるけど、とんでもなく残酷な人。朝市に鈍感なんて言える立場ですか。
ももの方がずっと大人で優しくて、気配りできる女の子ですよね。
別に、鈍感なヒロインでもいいんですけど。
親切を通り越してお節介も度を過ぎていて、いちいちイラッとしてしまうんですよね。
はなは良いおねえちゃんなんだろうけど、
第三者から見てるとももが不憫で(笑)
はな無神経且つ鈍感すぎるー!とハラハラときにイライラしながらみてます。
ももが朝市をあきらめずにバトルするってのもよかったんじゃないの?
兄弟がみな、はなに都合良く描き過ぎてるから、犠牲になるって感想が出てくるのだと思う。
ももの気持ちは少女漫画よりまだ純粋で泣けたおばさんでした。
このドラマは貧富の格差やおとうの社会主義運動への傾倒など、ことさらに強く主張するのではなく、時代背景としてさりげなく描いているのが私は好ましく思います。強い社会意識を感じさせるドラマが深くて好きだ、と思う方もいるのでしょうけど、朝からあまり重いものはちょっと、と感じる人もいます。どなたかも言っていたけど、特にはなを描いた部分の基本ふわっとしたこのドラマの雰囲気が私も好きですね。べつに無意識・無自覚の差別意識のようなものも感じないです。基本、性善説のドラマなんだと思うし、ほんと、感じ方は人それぞれなんだな、と思います。
ももと朝市のシーンは泣けた、吉高いないほうが入りこめる。
製紙工場や北海道開拓など無理やり当時の社会情勢を入れてきてるのがあんまりすきじゃない。
家族がいつまでも貧乏すぎ
ももの気持ちを姉としてどう考えるのかが、難しいところだね。
朝市とは一緒にならないことはわかってるし、朝市とはなの関係もこのままなのか?
そういうところを中園さんに期待するのだが?
相変わらず前作をたたいて今作を肯定する、みたいな決めつけを当然のように主張する方がいて驚きます。どうしてそんなふうに感じるのかな? このドラマを好きな人にも前作を好きだった人もいるし、逆にそうでない人もいる。それが普通でしょう?
どうしてそんなふうにひとくくりに決めてかかるのか理解できません。ごちそうさんと花アンでは、そもそもドラマの醸し出す雰囲気が全く違うから、確かに好き嫌いが分かれる部分も多いかもしれないけど、それぞれ別の良さがあるドラマですよね。
ごちそうさんのちょっと下世話な人間味も花アンの少女趣味的な軽さも、私は悪くないと思います。
実際、世の中大事故が起こっても補償金を出し渋る事業主が多いんだし(昔はもっとひどかったのでは)それに比べたら伝助は責任感のある人物だと思うけどなあ。
妻と女中の喧嘩にもヒートアップした状態を鷹揚な態度で鎮静化させ、冷静な対処をしたように観えた。
役者さんの演技が上手いから、多くの従業員の生活を担う大人物の風格を感じられる。
お嬢様育ちの蓮子にはむかつくだけだろう。それも分かってて後でフォローを入れる伝助はホント大人の男って感じがする。
上の方に同感。伝助さん、カッコいいです。
「心に思っていることを伝えないのは思っていないのと同じこと」はながももに言った言葉でなかなかいいな、と思ったけど、もしかしたらこれまたアンネタですか?(笑) まあ、私は台詞の流れの中にうまくはまっていたからかまわないけど。仮にアンネタであってもうまく活かせればそれは脚本家の腕だと思います。
それにしても、ももの告白は切なかったですね。
お父もお母やはなに言われてさすがにももの気持ちを心配していたけど、健気に明るく振る舞うももがいじらしいです。
そしてお母はやっぱりいいですね。ももが朝市の気持ちを知って傷心で帰ってきた時もその様子からいち早く状況を察しているし、告白してきたももを「おけえり」と言って優しく抱擁し、泣きじゃくるももを赤ちゃんのようにあやす姿に泣けました。
明日は朝市の告白かな。私は窪田さんが好きなので、これまでの朝市の描き方にはイマイチ物足りなさを感じてきたんだけど、はなにどんなふうに告白するのか楽しみです。
>兄弟は犠牲になってるのかどうかはまだわからないよー
経済力を持てば家族を救えるしな
兄妹の犠牲のもとに高等教育を受けられた。
というのは事実ですね。
でもアンのゆりかごでは、学生時代は家庭教師のバイトをして仕送りをしていたりしてたんですよね。
甲府の女学校の英語教師も、長女して家族を支えるためにもあったんですよね。
ドラマの花にはそんな覚悟は感じられないですね。
いつまでたっても娘のまんまです。
>村岡さんのイメージに凝り固まって見ると楽しめませんね。
村岡さんのイメージなんて最初からありません。
でもこのドラマは面白いドラマとは感じません。
村岡さんを知りたいからこそ期待した部分はあります。しかしその人の人生がある程度忠実に描かれているものではない、ということがわかり、こういう作り方をする姿勢にはまず疑問がわきました。
フィクションとして面白いか、と言われればやはり完全に作られたヒロインとしても生き方に興味を持たせてくれるようなヒロインではありません。
社会問題や貧乏を重く描いて欲しい、なんてこととは全然違います。元々そういうものを「さりげなく」描く、ってどういうことなのかな、と思います。そういうものはそれで苦しんでいる、という人は実際に存在するわけです。軽く安易に扱っていいものとは私は思いません。それを追求しろ、などということではなくてそういうものを扱うなら、やはり細かい気配りとか気遣いは必要だろう、と思うのです。
お金があれば髪も着物もきれい、でもなければそういうものには人は無頓着、のような描き方、そういう部分に大変疑問を感じます。
今日のラストのおかあのシーンは室井さんの名演が来るぞ~というのがわかったので出きれば感動したかったのですが、できませんでした。おかあがももの北海道行きを全く気にも留めないような感じで反対しなかったことに違和感がありました。
おじいやんも高齢だし、長女はいつ東京に行くといいだすかわからない状態であんな若い末っ子を気軽に遠方に嫁にやれるものでしょうか・・
噂によるとNHK「ステラ」という雑誌で伊原さんと室井さんの対談の中で室井さんが「おふじさんははな以外の子供たちにももう少しやさしくしてほしい」(←そのままではないがこれに近い)みたいなことを言ってたみたいでもしそれが本当なら、役者さんたちも苦心しながら演じてるのかも。明日、室井さんが「あさいち」出演予定なのでその話がでるかもと注目しています。
ももがはなに比べて大人すぎて、健気で何とも言えない回だった。はなの鈍感さは16、7の、それこそ少女漫画のヒロインと同じ年頃なら若さ故の残酷さとして見れるけど、あの歳であれでは人の気持ちがわからな過ぎでしょ…と思ってしまう。
「心に思っていることを伝えないのは思っていないのと同じこと」は、いい言葉なのかもしれないけど、はながももに言うのは残酷過ぎるように感じた。ももが朝市を想うような深い気持ちを他人に対して持ったこともないはなが「思っていないのとは同じこと」なんて言い切っちゃうのはなあ。
甲府編は何かにつけてモヤモヤした気持ちが先に立って、つい否定的な感想ばかり浮かぶけど、はなの家族の一人一人にスポットが当たる度にその人物のことが好きなるので、それは良かった。かよもおにいやんも、ももも健気で大人で優しくて大好きだ。ただ、それと反比例するようにはなのことが嫌いになってしまうのが辛い。
肯定意見でよくほんわかする、というのを見るけど、はな以外の安東家の子ども達の心根の純粋さには私もほんわかします。だからそういう意見も共感できます。でも、おとうとかおかあとかはなの態度にいちいち無神経なものを感じてほんわかしきれない。ほんわかしたいのに水を差される感じ。なーんか消化不良な感じになっちゃうんですよね…。
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