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合計 | 132件 |
窪田さん演じる藤竹先生の生徒への接し方が素晴らしい。
そして、それぞれの事情を抱えながらも懸命に生きる生徒たちに、幸多かれと願わざるを得ない。
窪田さんが演ずる藤竹先生は、宮沢賢治が現代に甦ったような人に見える
火星探査ロボのオポチュニティを、遠い星にひとりぽっちと、山頭火のように悲しく自分になぞらえた佳純
でも藤竹は、オポチュニティは決して孤独の象徴ではなく、3か月しかもたないと言われたのにみんなの力で15年も稼働した、少しでも前に進もうと懸命に努力した象徴、その子が火星に残した轍を、佳純が科学部で残してはどうかと言った。
柳田にしても佳純にしても、小さいときから失格者の烙印を押されていた。佳純は、母親に邪魔者にされ、姉にも人生詰むよと言われていた。そんな彼女が唯一楽しみにしていた父親との天体観測の想い出
中でも気に掛けていた火星で、夕暮れという落日のイメージをもつ時に不純物が多い大気環境で、短い波長であるがゆえに散乱せずに青い光が通っていく。
柳田の時同様に、佳純が見た希望の光…まだささやかかもしれないけれど、輝いて見えた。
原作が実話に基づいたものなのですね。このスレで知りました。良いドラマですよね。いやな押し付けもなく、それでも考えさせられる気持ちなる。そして、少し物理的な知識が付くのも良い。もちろん主役の窪田君は、演技が良いし、生徒役の小林君良いですよね。小林君、優しさや、秘めた意思の強さを感じさせる良い役者さんにどんどん成っていく感じあります。前のドラマからの成長が見え、これからが楽しみな役者さんですよね。
>2024-10-23 23:28:41
短い波長であるがゆえに散乱せずに青い光が通っていく。
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短い波長は散乱され易いです。散乱されるが故に、青い光が太陽方向以外の方向からも届きます。それが火星の夕焼けです。逆に、赤い光は透過性が強く、概ね太陽光の中に含まれています。
科学部には「行き場が無い生徒に居場所を作る」という意味合いも
あるのだなと思いました。
こんな米村でんじろう学校行きたくないなあ
窪田くんには若い頃からずっと注目してきたから、抑えた演技が光るいい役者さんになったなあと、偉そうだけど感慨深いです。
オーバードーズの子も、いつか救われますように。
今期一番大切に見たいドラマです。科学部に自分の居場所を見つける事ができた高校生たち。問題が起きても大騒ぎせずに居場所へ導く理科教師。落ち着いた作りのドラマで、でも次回が楽しみ。こういうドラマを見たかったのだなと思って見ています。
NHKらしく真面目で重暗い感じがマシマシで、観る時間がなくて、やっと今朝3話を観たけどやっぱ朝観るドラマではない(笑)原作知っているけどこんなに気怠い感じだったかな〜と思っている。先生のキャラは「倫理の時間です」を彷彿とさせる。脚色って大事だなと思わされる。
病気というのは、どんな病気も心を重くしがちだけれど、分かってくれる人ばかりに囲まれているとなかなか次に行けない気がしますけどね、それは障害や身体的な特徴も同じだと思います。自分は特別だと思っちゃうって悲しし、常に理解を求める立場だと辛いよね。
似てるけど全然違う人たち、彼女の場合生きづらさ抱えてるけど生きる障害抱えているけど、リスカもしないし過呼吸にもならない人との繋がりが世界を広げるのだと思います、誰かを救うのは、先ず自分を自分で救ってからです、それを教えているから
だからこの話は価値があるのだと思っている。
自分と似ているようだけど全然違う人たちとの関わりの中で開眼し成長して行くから、今までと違う景色を見ることができる。同類相憐れむじゃあ駄目なんだよ、だから違う視点や環境って大事、自分と同類ばかりを集めようとしない笑笑
ざまざまなものが混じり合うことの大切さ、科学の実験にも通じるものがあるのかも知れないですね。
ゾクゾクするぐらい良い。
ドラマ10の枠はTBSの日曜劇場の枠と同じくらい良作が多いからいつも期待してる
今作も勿論良い〇
遠い火星に一人ぽっち、孤独の象徴のようなオポチュニティ
でも、15年という長い年月スタッフも一緒に旅をし
懸命に生きた証でもある轍の写真を持つ、無数のリスカ傷の手
このシーンからラストまで、胸が熱くなる感じでした
「体に触っちゃダメ!」と言っていた養護の先生は
ギュッとハグしちゃうし
彼女が自分で部室の戸を開けるのもよかった
火星の夕焼けの実験は、静かな青い光ですが
彼女の頬はなんだか”ぽっ”と明るく日が射したように感じました
何の知識も無かったのですが、”ソル””ハブ””EVA”
忘れられないワードになりました。
10-24 9:34:08
ご指摘ありがとございます。
ただ、私は浅学非才で、火星の夕陽が青いこともその理由も知りませんでした。そこで次のような仮説を立てました。
太陽光の入射距離が一番長い夕暮れに、波長の長い赤色光が通過して短い青色スペクトルは散乱する。その現象が、なぜ地球上では起きて火星では起きないのか。もしかすると、超短波長のX線の透過がヒントになるのではないか。火星の大気成分は二酸化炭素が主。重力は極端に小さい。地表成分として酸化鉄(Ⅱ)や二酸化ケイ素や生石灰も地球より多い。その成分は砂嵐が巻き起こる時に大気に吹き込む。そういったことが重なって、奇跡的に夕暮れ時あるいは日の出の時に青色光が透過して見えるのではないか…
おそらくこの仮説は間違いでしょう。でも、現代科学の正論が形成される以前に、無数のトライアル&エラーが繰り返されたことだと思います。仮説を立てて検証をしていく、それこそが理科を学ぶことの醍醐味だと私は思います(ニュートンの万有引力の法則は、すべての科学的力を記述できる言われましたが、現代量子論では、4つの力の内の最も微少な力と定義されるように、時代とともにその正論さえもエラーと化していくわけですし)。
柳田に、火星の土壌に酸化鉄が多いのを知ってたんなら教えてくれれば良かったのにと言われた藤竹は、自分で考えて分かった方が面白いでしょと言った。それが、科学の精神だと思います。
藤竹は、それぞれの生徒の特性をよく観察している。失格者の烙印を押された彼らの高い能力を、視点や考え方を変えることで引きだそうとしている。
そんな藤竹だからこそ、それぞれの人に無限の可能性を見ることができる藤竹だからこそ、夢に優劣なんかありませんという言葉が、本当に自然に口から出て来るのだと思います。
そうです、無限と無限なんて比較できないと彼は思ってるんです。
地球(高大気密度)の夕暮れ
・青色光は途中でほとんど散乱され、目に届くのは微量。
・赤色光は途中での散乱は少なく、赤色の太陽光と多少散乱された赤色光が目に届く。
火星(低大気密度)の夕暮れ
・青色光は途中で少し散乱されるが、白色(青成分は少ない)の太陽光と多少散乱された青色光が目に届く。
・赤色光は途中でほとんど散乱されず、概ね白色の太陽光として目に届く。
現実的な話をして申し訳ないが、人間の可能性は有限であり、人間が見る夢には優劣があります(2024-10-17 00:59:15参照)。
いずれにせよ、太陽光の入射距離が長い時に、主に青色スペクトルが目に届いてくるということで、地球の夕暮れの常識が破られることに意味がありますね。それ以上に、その原因を自分なりに考えることに科学的アプローチの意義があると思います。
人の能力に計測の定規を設けて差をつけることができても、夢をもって前へ進もうとすることにおいては誰にも差はない、夢をもつという行為そのものが核心なのだと、藤竹同様に私も思っています。夢は共有できるものでもあるので。
別に宗教ではありません。ただ、ドラマを観ていて、藤竹の生き様にリゾネートしているだけです。
藤竹から、花巻農学校の教師として、生徒達に面白い実験を見せて科学へといざなった石っ子けんさんこと宮沢賢治を連想する。
氷水に硫酸ナトリウムを浸すと結晶が出て来るはずなのに出ない。過冷却の状態。そこへ、もうひと欠片をそっと落としてやると、その周りで数枚の透明な結晶が出始める。まるで水晶製のクジャクのようで、生徒達から歓声がわく。過冷却という言葉は、賢治の「インドラの網」にも出て来て、幻想の湖の水を描写してる。
藤竹のちょっと現世離れをしてるような佇まいを見るにつけ、私の大好きな詩人の宮沢賢治を連想してしまう。
いまひとつしっくりこない。生徒、学校、科学実験…これだけ材料が出揃ってて面白くないのはキャスティングが原因なのか?そこを追求してもらいたい。
>2024-10-26 23:29:49
>太陽光の入射距離が長い時に、主に青色スペクトルが目に届いてくる
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上記は正しくありません。青色光が赤色光より直進性、透過性が強いと思われていらっしゃるようですが、途中に大気などがある場合はそうなりません。
途中の物質が光の波長サイズのとき、赤色光と青色光で散乱(反射、屈折、回折など。吸収は無いとする。)の度合いに差が生じます。それは、
・赤色光:散乱され難い
・青色光:散乱され易い
です。
太陽光が途中の物質によって散乱されると、太陽方向以外からも光が目に入って来るようになります。
以上の2点により、以下の現象が生じます。
(1) 途中の物質が希薄なとき(宇宙から周りを見たとき)
太陽方向に白い太陽が見える。他の方向は夜の星空。
(2) 途中の物質がやや多くなったとき(地球の日中、火星の夕方)
青色光が散乱される。やや黄色みがかった太陽と青い空が見える。
(3) 途中の物質がかなり多くなったとき
(地球の夕方、火星は大気が薄いのでこの状態にはならない)
青色光はほとんどが散乱され、目に届かない。
赤色光が散乱され、赤い太陽と赤い空が見える。
一般論として青色スペクトルの透過性が赤色スペクトルより高いと言ってるわけではなく、火星の低重力・低密度大気の環境下で、低波長の青色スペクトルが透過する現象を起こすのではないかという仮説を立てているだけのことです。
火星の夕焼けが青いということについて、学生時代に雑誌「ニュートン」にその要因の説明があって、当時興味がなかったので流し読みした朧気な記憶があります、というか、そういえばそんなアーティクルがあったぞと今思い出したところです。
でも、私は私の仮説の方が好きです。きっと、藤竹も私の仮説を面白いと言ってくれると思いますね。
今回は出色のデキだった。
リストカット常習者の女子二人とオポチュニティの轍を上手く絡めていた。
それから映画の話で引っ掛かったのだが、あれは「オデッセイ」だったんだ。
じゃがいもの話で思い出した。
あれは面白かった。
4話。今回はイマイチだったかな。
お互いを知ることで言動の背景が分かって理解し合える、というストーリーは悪く無いし、イッセー尾形が語る内容も、奥さんが旦那さんのことを理解してるというエピも良い話なんだけど、色々既視感がありすぎて、何となく終わってしまい、特に響くものがあまりなかった回。
科学実験や科学話との組み合わせが、今まであまりに良すぎた為に、期待値が高くなってたのかもしれないけど。
特に演技が悪い訳じゃないけれど、イッセー尾形の演技、話し方、いつも同じに思える。
前に、55歳のスローライフを見たときは感動した演技なんだけど、代わり映えしないというか、意外性がないというか、イッセー尾形節だなぁというか。
奥さんを演じた朝加真由美も、Dr.コトーで脳梗塞の後遺症が残ったときのリハビリを頑張りながら家族への愛情たっぷりに過ごす雰囲気とまるで同じに思えて、既視感があったし。
集団就職からの話も、奥さんの代わりもあって定時制に来ているエピも、良いエピなんだけど…何だろう、私は新鮮さや意外性をこのドラマに求めているのかもしれない。
仮説を立てることは夢があって自由ですが、その仮説が間違っているのを理解されているのか?正しいと思っているのか?分からなかったので、「間違っていますよ」と補足説明させて頂きました。
希望が見える作品。
歳のせいか涙もろくなったようで、またしても目頭が熱くなった。イッセーさんがみんなに疎まれながらも、分からないところを何度も質問する理由にやられてしまった!
このドラマは家族の前で見るのは危険だ。
夢をもつことに優劣がないように
苦しさや絶望にもまた優劣がないんだと思った。
長嶺が、今の若者は甘い、苦労をしらない、いい加減だと切れてしまった後に、藤竹たちに促されて彼らの苦悩も知ることができた。
藤竹が策した“就職に関する話”で、柳田たちも長嶺の思いを知ることができた。ユキから発せられた長嶺への拍手をすごく自然に受け止められたし、イッセーさんの長ゼリフの名演技はただ者ではなかった。
夢をもつことにも絶望にも優劣はない。お互いが夢を抱き絶望も抱えていることを知った上で、少しでも前へ進んで行こうとするなら、この世の中良くなって行く…そんな風に藤竹は考えているのだと思う。
理論家で理数脳の柳田・旺盛な知識欲の佳純・人間性豊かな世話役アンジェラ・職人気質の長嶺、“食えない策士”藤竹が目指す化学変化(科学変化)にワクワクする。
しんみりする回でした
イッセー尾形さんは印象として
舞台での独り芝居とかもやってそうな感じじゃないですか
今回のクライマックスはまさに、彼の独壇場
集まってくれたクラスメートに、というより自分に対して自分の思いを探るように話をする姿
ジーンときました
時に消え入るような小さな声なのにちゃんと聞こえる
「演じている」感がまったくない。
ほんとうにこういうおじさんがこういうシチュエーションで話しているように見えた
まさに役者
またイッセー尾形の話を聞いてそれなりに思うところはあったけど
全面的には和解はしない柳田君の演技もリアルでよいと思いました
中学を卒業したらすぐに働かなければならなかった世代は
どれだけ勉強を続けたかったのか、高校に行きたかったのか
めちゃくちゃ心に響きました
長嶺さんや奥さんのような人は、実際に沢山いたと思います。
出来る時に、勉強やしたい事を実行しないと駄目ですね。
年を取っても同じです。 ためになる話でした。
所で、生物の大絶滅は5回あったとされてますが。その内の、
2~3回は地球に大隕石が衝突したのが理由だそうです。
とかく偉い人たちは、今最先端がお好きで、教育や児童心理学なんかでも、「そういう時代なの!」で古い価値観は時代遅れと言ってヒステリックに否定されるが、そういう時代の最先端でどれだけ人類は間違って来たことでしょう… 身近なところで言えば、私が子育てに初心者マークだった頃は、赤ん坊うつ伏せ寝かせが大流行で私たち新米親世代も推奨するセンセー方の言葉を信じてして祖父母世代が苦しそうだからと言う言葉を「古臭い」考えだと一笑していた。
今はうつ伏せ寝かせは突然死のリスクがあり危険とされている、子育ても教育も「そういう時代なの!」は「どういう時代?」と聞きたくなるしその常識は何時か非常識になるかもねと言いたくなる(笑)と、前説長めだけど、やっと4話を今日は早かったので帰宅後観ました。
そうね、中卒は金の卵と言われた世代も70オーバーなんたって、バブルの申し子世代も還暦迎えます(笑)長嶺さんたち世代までだよね自分の都合自分が行きたくないじゃなしに状況が就学を許さなかった人たちがいる世代ってと、こういう話を見聞きする度思います。映画「学校」で言うところの田中邦衛さん枠がイッセー尾形さんになる、ちょっと面倒くさいけど無学かも知れないけど、実直な人たち。私は好きですねー、こういう人たちが日本の戦後や高度成長期を支えてくれたのだと思うから。もう、背負わなくて良いから、それこそ、そういう時が来たから好きなことどんどんやって、言いたいこと言って欲しいと思いました。だって、あなたたちの頑張りがなかったら、今の日本もない、そりゃあ駄目なところクズなところ、失敗、そして、「うっせわ!」なところあるけど、子供は好きなことするが当たり前になったのですよ日本は、好きなこと出来るって当たり前じゃないし(笑)
イッセー尾形さんに不覚にも泣かされましたので星2つ増し。それでも妻は幸せでしたと言うと思います昔の人だから(笑)
自分の価値観では理解不能でも、みんな其々の事情を抱えてる
長嶺さんは柳田の、柳田は長嶺さんの生き方に触れて
変化していくように感じます
外庭で煙草を吸うのを躊躇する柳田の横に座り、話し出す長嶺さん
ちょっと腰をずらして柳田に近づきます
近づくと柳田は座り直して距離を取りました
長嶺「俺が悪かった・・ごめんな・・」
柳田「えっ・・なんだよ・・キモッ・・」
台詞は無かったのですが
そんな心の声を感じた、いいシーンでした
長嶺さんが、藤竹先生に「妻より食えん」と言っていましたが
ホント、先生”策士”です。
衝突によって絶滅し、でも、新しいものが生まれる
人も、本音で衝突し合わなければ理解し合えることはない
でも、自分の本音が相手に理解されない恐ろしさから人は黙る。
案の定、自分の本音を若者達にぶつけた長嶺はみんなからボイコットを受け、本音をぶちまけたことを後悔した
だがそれをきっかけに、藤竹を始めとする教師たちや長嶺の奥さんが動き、若者達が生きづらい時代でもがき苦しんでいることを長嶺が知ろうとした。
長嶺の半生記の語りで、若者達が長嶺の生き方を理解できたわけではないであろう。
でも、長嶺が自分たち同様に、満たされない中を前に進もうとする同志であることを感じられたのだと思う。
金の卵の衝突…藤竹ら教師たちにとって、金の卵は長嶺世代の比喩だけではなく、他の生徒達も指しているのだと思う。
ガチャ玉のように約束されてない人生を与えられてる生徒達すべてに、藤竹ら教師は、希望の光を見ているのだと思った。
本当にいいドラマですね。主役の主張しないスタンスで温かい窪田正孝さんがとても心地よいです。
そして、今回はイッセー尾形さんにあっぱれ!!でした。クラスの若者たちを批判しながらも、ちゃんと彼らの様子に心を傾けて理解しようとしていました。集団就職から高校進学や奥さんへの思いを語るところは感動的でした。最後に科学部に入部してほっこりしました。
第4話での興味深い物理学的知見は、藤竹が語った
・落下物(鉄球)の運動エネルギーとクレーターの直径は比例関係にある
であった。
果たして、これは本当なのか? 考察&調査した結果、これは「正しくない」であった。
クレーターの形は、概ね相似形になるらしい(直径に対し深さは約0.1倍)。クレーターの直径が2倍になると、落下物によって吹き飛ばされる物体の量は8倍(2の3乗倍)になる。それが2倍の高さ(外輪山に相当)に移動するので、位置エネルギーの増加量は(クレーターの直径が1倍のときと比べ)16倍(2の4乗倍)になる。
ということで、
・クレーターの直径は落下物の地面衝突直前の運動エネルギーの約(1/4)乗に比例する
が正しいようである。まぁ、大雑把に見れば比例関係にあると言えますが。。。
もしかしてもしかすると
藤竹は、金の卵衝突実験に先立って
各生徒のもつ性格その他のファクターを数値化してワークシートを作成し、世代間の反発係数も入れて
各生徒が衝突後、どのような方向にどのようなエネルギーを持って向かっていくかをシミュレートしていたのではないだろうか。
反発係数を包含する不完全弾性衝突である以上、運動エネルギーは保存されずにロスが起こる。
だが、その失われるものは、お互いのわだかまりや偏見という負のエネルギーだと読んだのではないだろうか。
そして、運動量という視点からすると、不完全弾性衝突であってもロスはない。すなわち、負のエネルギーが失われる分、結束力や共に前に進む運動量が増える…
長嶺と他の生徒達の衝突実験は、目論見以上の成果があったように思える。
このドラマは、今クール1というより、今年1番のヒューマンドラマだと思うが、それだけではなく、細かい計算がされ尽くされたドラマでもあると思う。本当に見応えがある。
窪田さんの演技、声、佇まいが、さすが上手いと思う。目立つわけでもなく、引っ張ていくわけでもなく、自然。生徒たちは、リスカの彼女以外知らない俳優さんだけど引立つ。地味だけどジワーっと見終わってから満足感ある。NHKだからできるドラマだろうな。
科学的な思考力を高めていくためにはwiki等に頼ることは寧ろマイナスだと思う。そこで得た安直な知識を正論と決め込んで振りかざすのは恥ずべき行為。
自分の側頭葉や海馬に蓄えられた知識を元に仮説を立てて検証していくことが何より大切だと思う。
私の学生時代の恩師である助教授は常に、通説は疑え、それにより科学的弁証法で脳は開発され、科学全体が発展していくと言っていた。
藤竹からその恩師と同じオーラを感じている。
熱血教師とか個人的に苦手なので
淡々と、でも優しさが滲み出ていて
気がついたらそっと寄り添ってくれている。
いいなぁ。
金八先生は、人と人は支え合って生きているという自分の価値観を全ての生徒に押しつけるけど
藤竹は、生徒各人を良く観察して、長所と短所を見極めて接することから始めている。
近年はコーチングばやりで、ほめてなんぼみたいな指導法が重宝されたりするけど、私は藤竹のような人物が理想の教師だと思う。
藤竹先生みたいな人がいたらみんな学校を好きになれそうね。
穏やかに受け入れてくれるような存在。
柳田くんの俳優さん初めて見たけどすごいハマり役だと思う。
不公平をバネに何クソ!とガムシャラに頑張ってきたイッセー尾形さんの頑固さにも共感したけど、柳田くんの苛立ちもよくわかる。
年齢も何も関係なく、激しくぶつかった末にお互いにわかり合えて、こちらまで嬉しくなった。
長嶺が半生記で、学校なんて行かなくっていい、俺は学校なんて行きたいとは思わなかったと語ったとき、生徒達は何を言ってるんだと激怒した。
そして、長嶺が奥さんのことを語ったとき、柳田は、あんたは奥さんのために学校に来てるのかと訊かれ、それには答えず、私の話は終わりですと締めた。
でも、藤竹は長嶺の奥さんから、あの人も誰よりも学校に行きたかったんですと聞いていた。
意を決して半生記を語った長嶺にも、言いたくない本音はある。そういうこともあって、生徒達みんながわかり合えたというのは早計だとは思う。でも、柳田あたりは長嶺のそういう心持ちを察せられたように見えた。少なくとも、長嶺の語りを聞いた生徒全員が、長嶺が自分たちと同じく、満たされないガチャを引きながら前に進もうとする同志であることは分かったと思う。だから、これはほんの始まり。
第3話の「オポチュニティの轍」にしても、難病を抱え学校の保健室や屋上にハブを見つけて必死に前に進もうとした佳純は、孤独の轍に自分のリストカットの痕を連想していたと思う。でも、その孤独に見える轍は、一生懸命生きてきたことの証だと藤竹は教えてくれた。理解をしてくれていた。
それが宇宙の始まりのビッグバンと言ったら、あまりに大袈裟だとは思う。
でも、一人一人の内面は、小さな宇宙に喩えられる…
このドラマには本当に希望の光がある。
全日制しか経験していない私からすると、定時制は非常に大変なことをやっているなぁと感じる。仕事の後に学校へ行って、勉強、やりたくない。また、教える方も大変そう。生徒のレベルに大差があるから。多分、定時制高校だと、中学校の内容もかなり含めながら高校の内容を教えて行かなくてはならないだろう。
さて、団塊の世代長嶺が定時制高校に通う理由、奥さんのことを持ち出したが、多分、自分がやりたかったからであろう。では、何をするために勉強するのか? 勉強して何になるのか? 多分、これには答えは無く、「兎も角勉強してみよう」であったろう。そして、勉強した後の自分がどうなっているか?何をしようとしているか?に興味があったのだろう。
いわゆる学園物を見始めたのは「飛び出せ青春」が最初だったように記憶する。
70年代のドラマは如何に生徒を殴れるかで教師の情熱を量ったもんだ。
殴って抱きしめると両者が涙し、超合金よりも強い絆が生まれた。
しかし、実際に中学へ上がるとモンキーで殴る体育教師がいて、青春ドラマは幻想なのだと知った。
体罰は恨みしか残さない。
それに比べ、こちらは他者との距離感、温度が心地良い。
集団就職で上京した生徒、難病を抱える生徒が殴り合う事もなく、膝を突き合わせ議論するまでもなく、少しずつ距離を縮め互いを理解しようとする。
そこに70年代なら爪はじき者にされた教師が穏やかに存在する。
次回は科学部の発足と発表会へ向けた第一歩のようだ。
「衝突」の後、何をテーマにするのだろう。
ドラマや映画で泣いたことって全然無いけれど、1話目で自身の読字障害を知った生徒の叫びに号泣し、泣いている自分にびっくりして以来、毎週泣きながら観ている。役者さんの演技がリアルで素晴らしいし、何より登場人物にすごく感情移入性してしまう。みじめだったり孤独だったり貧しかったりもがいても前に進めなくて、すべてが同じ境遇という訳ではないのにああ自分だって思う。そして少しずつ前に進む登場人物に頑張れなかった自分も救われる。今からでも少しだけ頑張れるかもって思える。これまでだってこういう題材のドラマはあったと思うのにこんなにも揺さぶられるのが不思議。1話目に感情移入しすぎたせいかな。
第5話はワクワク感満載。
名取円佳[姉](伊礼姫奈)の名取佳純[妹](伊東蒼)への態度(馬鹿にした態度)は、上の立場の人がやってはいけないもの。上の人は、下の人より余力があるわけだから、下の人の相談に乗ったり下の人へのアドバイスを行うべき(面倒でなければ)。
関東高校生科学研究コンテスト入賞発表会でのこと。学会発表の内容は、それと同様のこと、関連したことを専門に研究していないと分からない場合が多い。大方、質問もできないだろう。定時制高校科学部の皆さん、ドンマイです。
論文「隕石衝突によるクレーターの内部構造可視化実験」は、文書の形式しか見ていませんが、素晴らしかったですね。論文作成経験の無い人達が2週間で作成できるレベルのものではないような?(参考文献を調べるだけでも大変)
ランパートクレーターについてネットで調べてみました。某研究者によると「ランパートクレーターのエジェクタ(外側の低い外輪山)は空中を飛んでいって堆積したのではなく、地表面を流れて堆積したために、このような地形ができたということまではわかっています。」とのこと。
多分、エジェクタは、氷河や溶岩流などの先端付近にできる岩石などの堆積物のようなものと考えられる。ということは、火星表面近くの地殻は、密度や含水率が異なる2層構造(上層が軽い)になっていると思われる。
周りから見下され蔑まれながら、そうした視線に抗いながらの学校生活の日々、さぞかし辛いことでしょう。様々な事情をかかえる生徒役の皆さんの演技に毎回惹きつけられ目頭を熱くしています。
とりわけ、人にはなかなか分かってもらえない障害を抱え、やり場のない怒りとたたかう青年を演じる小林君が素晴らしい!
そして、そんな生徒達のことを思い、つい声を荒げてしまった藤竹を演じる窪田さんの演技に感服至極。
物語は中盤を迎え、いよいよ学会に向けて動き出すのか科学部・・・ワクワクが止まらない。
窪田正孝が大声をあげるシーン、声だけで藤竹の姿は映さなかった。
普通なら、普段静かな口調の藤竹が感情を昂らせるシーンなんて、ドラマの見せ場として顔をUPにしたりするものだけど、UPどころか姿も映さず、それを見た人の反応だけを映す演出。
これって、よほど藤竹のそういう姿を視聴者に印象付けたくなかったのかなと思った。
多分、原作には藤竹のその時の台詞があって、藤竹が怒っていることは視聴者や登場人物達に伝えたいけど、藤竹を感情を昂らせるようなキャラにはしたくない、ということなのかなと私は解釈したんだけど。
前例がないからエントリーを外したと話す最後に出てきた男の人も、猛抗議してきた、と話してるだけで、猛抗議しそうな藤竹の姿は出て来なかった。
でも、窪田正孝の藤竹、そういう工夫もあってか、とってもいい。
俗世間のことにはまるで興味関心が無さそうなところがホッとする。
人の好き嫌いとか、人への評価とか、全く頭に無さそうで、惑星とか科学とか、そういうことしか考えてなさそうな人って癒される。
女の子がネット検索で、藤竹が凄く専門分野で評価されてる記事を見つけるけど、そのことについて藤竹に何も言わないところも好き。
このドラマでは、人の評価ということに対して、藤竹と科学部の生徒達の間では、徹底的に無視している。
評価的なことを口にするのは、藤竹や科学部の生徒以外の人達。
それがあるから、人への評価と無関係な中で生きてる訳ではないことが分かるけれど、そんなの自分とは関係ない、という姿勢を藤竹と科学部の生徒達は貫いている。
そして、天体観測に来た子どもがいる女性が、そのことをきちんと言葉にしている。
人は自分をどう見ているのか。自分はどう評価されているのか。世間は誰かや何かをどう評価しているのか。
評価ばかりが物事の尺度のような人間社会だけど、
そういうことは頭になくて、そういうこととは無縁で生きてる人もちゃんといる…ということを、この作品は伝えているような気がする。
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