




![]() |
5 | ![]() ![]() |
486件 |
![]() |
4 | ![]() ![]() |
116件 |
![]() |
3 | ![]() ![]() |
70件 |
![]() |
2 | ![]() ![]() |
70件 |
![]() |
1 | ![]() ![]() |
278件 |
合計 | 1020件 |
「アルジャーノンに花束を」というタイトルじゃなかったらいいのにと言うならあれだね。窪田のデスノートも原作改変で別物って話だから「デスノート」というタイトルじゃなかったらいいのにとなるのは確実だわな。
窪田くんもここほどは投稿は集まらないとは思うけどそっちの原作は俺でも知っているし、今度は酷評される側になるんでしょうね。
改変が悪いんじゃなくて改変してもキチンとした脚本なら良かったて事なんじゃないの?
この作品はわざと?て思うくらい原作からかけ離れて内容の薄い脚本で登場人物も魅力がない描き方だから何でアルジャーノンを使ったのか?て疑問しか残らないんじないの?
芸能界は持ちつ持たれつ利用したり利用されたりだから。
原作に対する妙な対抗心すら感じたもんね。
野島さんの過去作品も社会に対する反逆心的なメッセージやあえて強烈なインパクトを与えることで世間に作品を印象づけるみたいな手法が多かったし。
未成年や薔薇のない花屋や最近で言えば明日ママがいないとかね。
でも原作に対してまで対抗意識を持たなくても良かったのにと思う。その現れが母性の排除と、対局にある父性の描写。原作のいくつかのメッセージをあえて排し、独自の主張で作品を組み替え色を塗り替えた感じ。
それはそれで挑戦だったのかもしれないけどここまで色を変えるならやっぱりせめて原案にするべきだったかな。と思うよ。
それでも「原作」という形に拘ったのは野島さんの原作に対する対抗意識からだったのかな…。
せめて野島さんの思うカタルシスは何だったのか?それが試聴側にはっきり伝わるようにはして欲しかった。それができないなら脚本はやめて欲しい。これからも。
今期ドラマの中では1番見応えがありました。
このドラマが始まった頃感動したのは、家族に障害者がいる人や施設に働かれてる方、友達、親戚に障害者がいる人たちの
本当にたくさんのコメントがあったことです。
その方たちのコメントを見て感じたことは共通して『前向きになれる勇気と希望をもらった』と言ってる方が多かったことでした。
このドラマは1話から全話通して観てると、毎週何かしら付箋のような私たちに訴えかけてくるものがありました。
それは言葉だったり、皆さんの表情しぐさ、演技そのものから見えるもの!
本当にジックリ入り込んで観てみると、1話からの流れが最終話のストーリーに全部、謎解きのように繋がっていくのがドンドンドンドン引き込まれました。
そして、障害者の人をテーマにしたドラマは色んな意味で考えることがあったと思います。
色んなところで配慮してくださったことにドラマに関わった全ての方に感謝したい気持ちでいっぱいです。
私も、その中の1人だから。兄が咲人と同じ知的障害者です。
最後にドラマの話からズレますが、私は、あえて、『障がい』ではなく『障害』と漢字で書くようにしてます。
この字を用いるのは意味がありますが、わざわざひらがなを使う必要性はありません。
私たち家族は安心するのです。話せば長くなるのですが私は、この表記の仕方に守られてるようにずうっと思っていたので。
この書き方に気を使ってらっしゃる方を何人か見かけたので、ここに書かせてもらいました。
咲人を見ていると前向きになれる。柳川と檜山は殺し合いになりそうだったの止めたのも咲人だったし、それがきっかけて柳川と檜山は友人になれたようなものだからね。障害者であっても咲人は争いを望まず友人の大切さが分かる奴だと思うよ。
「アルジャーノンに花束を」というタイトルを使って原作とはかけ離れ まったく別物を作り上げてしまった。まだ出来が良かったなら、こんなに酷評されることもなかったのに、あれやこれやエピ詰め込みすぎな脚本 気持ち悪い演出 主役の演技力 の無さ…
結果 薄っぺらいアイドルドラマになってしまった。
ユースケ版とても良かったですが、今では山下版の素晴らしさに霞んでしまいました。 それほど今回、私の胸に響いてきたということだと思ってます。
原作も素晴らしいのかもしれない。けれどこのドラマも素晴らしかったと思っています。
とても大切なドラマになりました
役者さん逹の熱演が伝わるだけにちょっと残念なドラマになってしまったなあという感じです。野島さんも原作を意識しすぎたのかな?原作を意識しつつ自分の特長も決して曲げずむしろ全面に押し出した感じで、それがうまく融合せずなんだかちぐはぐになってしまったような印象。リオのエピしかり、教授のキャラ設定しかり、随所に見られた過剰すぎる演出しかり、その他諸々詰め込みすぎ欲張りすぎた結果、肝心の主人公の苦悩も葛藤も全部薄く浅く流されてしまいじっくり見たかった徐々に変わっていく主人公の繊細で微妙な心情描写はほとんど描かれなかった。。
なんだかなあ。。
やっぱり残念だよ。山下くんはじめ他キャストの演技がよかった分余計にがっかり。私的には最終回の雑で粗い展開が一番酷いと思った。なんだか遠い国の絵本のように綺麗に飾られた話で胸の奥に来るものがなかった。
うーん、残念。
天才になってからはモゴモゴ喋りはあったけど山ぴーよかったと思うよ。原作が名作なだけに脚本はもう一つだったけど山ぴー頑張ってたしこの役受けてよかったと思うよ。
山下君は特徴のある役の方が上手く演じられるのかもしれないね。
今回の障害者を演じたときと天才になったときと今までの彼の演技を見ててなんだかそれを感じた。
ドラマ的にはイマイチでも新しい山下君の可能性を見れてよかったと思う。
山下さんに関して、私も上の方と同意見。
かっこいい二枚目だとぜんぜんつまらなかった。
あやうくキムタクのようになるところだった。
今回のがんばりで
道が開けたように思う。
このドラマは山ピーの障害者役と工藤君が良かった。窪田くんもいいところはあったけど訳のわからんキスは評価を下げたよ。演出だから仕方ないかな。まぁ山ピーは滑舌を頑張って良くなれば芝居はいいのが分かったし、工藤君は梨央との時は棒だったけど3人でいるとき、特に最初咲人を心配していた頃は良かったから楽しみだね。
3人のシーンホント好きだわ。
もっと増やして欲しかったけど後半ほとんど絡みが無くなってつまらなくなった。
関係ない人の名前を出すのはやめようよ。
良いシーン、台詞は色々ありましたが、檜山くんが咲人に対して言った「しょうがねぇだろ、生まれつきなんだから」とか「関係ねぇよ、本人のせいじゃないんだから」などの台詞が印象的です。乱暴な言い方のようですが真理だと思いました。障害ということだけでなく、本人が変えようもないことを他人が指摘することは許されません。優しくて正義感の強い檜山くんらしい台詞でした。
山下くんの咲人役も最初から最後まで繊細で丁寧で心地良かった。疲れた金曜の夜に癒されました。遥香に「だとしたらそれはとても悲しい愛だ」と告げた後、遥香に背を向けたまま涙を流していた時の表情には心揺さぶられました。
こんな私でも頑張ったら誰か一人くらい幸せに出来るかな。そんなことを思わせてくれました。
原作とは趣が違いますが良質のドラマでした。
ピアスを渡すシーンは秀逸だと思う。咲人は遥香に何も語らず笑顔を見せるだけだった。
工藤くんはいい役貰ったよね。
これから間違いなく売れると思うし、柳川くんは誰もが認める演技派になったと思うし、山下君は新たな一面を見れて幅が広がって行くと思うし。
これから3人の活躍に期待したいな。
分かる。ひらがなで書くのは配慮からなんだろうけど、普通に漢字でいいのにって思ったりするよ。まぁ、私も多くは語りません。
単純に出てくるといらっとするキャラが多すぎた。はるか、檜山、リオ、母親、教授、まい。
特にリオはあれだけの設定なのに、恐怖や葛藤も伝わってこず、結局誰を愛したのかもわからない。ただ主人公の弊害になる装置だった。いくら展開で引っ張ろうとしても、人物に魅力がないと興味は持てないんだなって思った。
最終回は本当に駆け足で、それぞれを落とし忘れの無いようにまとめてくれたけれど、それも皆先に希望の持てるように。 でもあと一回は欲しかった。
すべて録画してあったので、最終回ゆっくり改めて見てみたら本当に納得できて安心した。
役者さんて皆凄いなと 今更ながら感心する。 主役の山下智久君。こんなに透明感のある愛らしい咲ちゃん、そして知能が向上してからの咲人の目の演技、素晴らしかった。
遥香と研究室で勉強中の時、「君とキスがしたい」と言った咲人の目。少年のようだった。 そして知能が退行してひとりで咲人宛の手紙を持ちながら歩いて、遥香に呼び止められた時の咲人の複雑な目。 あの時、遥香って認識してたんだね。それに気がついた時思わず涙がこぼれた。
栗山千明も良かったよ。遥香はあれで精いっぱいだと思う。それに先の希望も持たせてくれたし。
最後は「たいとうの友達」に託した咲ちゃん。
友情でラストはよかった。
たぶんなんだけど、アルジャーノンのタイトルは原作とユースケのドラマを脚本家が真っ向から否定するためだと思うよ。
梨央の病気を原作に例えて、咲人は脚本家自身なんだと思う。咲人が梨央の病気を治す、そして絵本は閉じられたとなるのは言わば比喩なんですよ。
脚本家が原作を否定したいと言うメッセージがこめられているんだと思うよ。タイトルを変えちゃうと原作やユースケのドラマを知っている者たちが見なくなっちゃうからね。脚本家がメッセージを贈りたいのだから変えられないと思いますよ。脚本家自身が「花束」を贈りたかったんですよ。
自己満足で終わってしまったね。
原作に対する対抗意識を感じたと書きましたが、私もこれはある意味では原作者へ向けた否定のメッセージだと思いました。否定というと言葉はきついけど脚本家自身が原作を読んだときに感じた拒否反応みたいなものを自身の新しい解釈で書き換えたんだと感じました。
天国のダニエルキイス氏に宛てた挑戦状みたいな感じかな?
野島さんにとってかなりな挑戦作だったことは確かだったと思う。
原作がSFをベースにした人間と科学の真実と現実を描いてるとしたら今回のドラマは夢物語のファンタジーを描いていたんだと思います。
小難しいことは一切切り捨てて、白鳥咲人という青年の恋愛と友情を描いたお伽噺。
そういうことだと思う。
今更ながら岡田脚本とユースケはうまかったなあと思いました。
こちらは全く別物で比較対象にもならない。
久しぶりに良い青春ドラマを見れたと思いました。原作があるからか小難しくなってしまい、また、未成年と比べての青春とも違いますが、ドラマ自体が高齢化してるから青春ドラマというのは貴重にあったことだと思います。
愛とか研究室関連の難しい事を抜きにすれば、もう少し早く青春ドラマとして楽しめたんじゃないかなと感じました。
たしかに「アルジャーノンに花束を」の焦点をずらした作品だという感想を持ったので、批判が多かったのだと感じます。
ちなみにですが、アルジャーノンを土の中に埋めるシーンでは、あのままDEATHNOTEが始まってしまうんじゃないかと思いました。
最後まで見た感想。脚本がダメ。登場人物がなぜその言動に到ったかの因果関係が充分に示されていない。前半は、ちゃんと示されていたと思う。咲人が「おりこう」になりたいのは母親に愛されたいから、友達と対等になりたいから。遥香が被験者を熱心に探すのは蜂須賀教授に好意以上の感情を持っているから、など。
ところがドラマ後半、咲人が拒絶モードに入るとプロットが崩壊し始め、全体的に唐突な流れが続く。意図的に洗脳しておきながら、わざわざ真実を告げ咲人の洗脳を解く蜂須賀教授。一方的に母親と竹部社長の仲を疑いキレる咲人。誤解を解こうともせずいきなり咲人を追い出す竹部。感傷的な理由でアルジャーノンの解剖を拒絶し研究を妨害する小久保。退行してしまった咲人を一人で外へ放り出す研究所側。いくら事実にショックを受けたとしても、退行した路上の咲人を保護せずむざむざ行方不明にする遥香。咲人の元へ向うのに、なぜか花屋を辞める柳川と檜山。檜山が切り出した別れをあっさり飲み込む莉央。檜山につき合う形で舞と別れる柳川…まだまだ挙げればキリがない。あれほど激変する咲人にいつ、なぜ遥香が恋したのかも謎。なぜそうなるのか納得が行かないことばかり。
ファンタジーとして見ても登場人物の言動に整合性が無く、ドラマの世界観が崩壊している。なのに感情面でやたら煽ろうとするから、あまりのチグハグさに苦笑。役者さん達が真剣に演技に取り組んでいるのは伝わって来たし、前半は知性について何を語るのか期待させただけに後半からの失速が残念。知性にまるで訴えない安っぽい精神論のようなドラマになってしまった。
毎週このドラマが本当に楽しみでした。自分は知的障害者とかかわる仕事をしていますが、山下さんは本当に良く研究されて演技をしていたと、思います。語弊はあるかもしれませんが、知的障害の方の純粋で、時にかわいそかわいい感じが、特徴をとらえていたと思います。工藤さんの役や演技も好きでした。毎回録画したのを見返すと、より理解が深まりました。
ただ原作ファンを怒らせるだけのドラマだったな
確かにこのドラマを支持する人のなかには原作の重苦しい描き方を否定する人が多かったよね。
もしかしたら真逆の描き方をすることで原作を自分と一緒に否定する人間を増やしたかったのかも?
原作と真逆の捉え方描き方をしといて原作の名前を使うということはこれで支持されれば原作者であるダニエルキイス氏を越えたことになるだろうから。
ダニエルキイス氏とタイマンを張ったつもりなのかも。
タイトルの本当の意味はそこにあるのか。。
知識が上げ下げするという格好のネタが欲しくて仕方なかったんだと思う。その時点で負けだから、原作をリスペクトすべきだけど、「自分ならこのネタでもっとうまく料理できる」と思ったんだろうね。
原作者が亡くなったから好き勝手するとかどうかしてるよ。
まごころはどこへいったのかな?
全てが主演のせいにされるが、前半と最終回山Pの演技にも泣かされたし、今まで演技が下手クソと思ってた山Pをかなり見直したのは確かだ。遥香に共感できなかったのが一番残念だった。
窪田くんを認識したのは、Nのためにからで、凄いピュアな俳優さんだと思って、アルジャーノンを見たら、全然違う人みたいで、又びっくりしました。
皆さんが言う通り上手い役者さんだと思うし、これから注目して行こうと思いました。
ただ、ファンの人が主演を馬鹿にしたり、凄い傲慢な感じ悪いコメント多いのには、もっとビックリ。
窪田くんは謙虚そうな人なのにね。
遥香の描きかた次第で評価はもっと変わったね。友情に支えを持って行くのも良いがやはり遥香も支えて欲しかったよ。咲人は、ずっと世界で一番好きな女の子と言って、指切りしたり蜂須賀にやきもちやいたり、悲しむ遥香を抱っこしたりキスしたくて頑張ってたよ。でも遥香は天才咲人をいつの間にか好きだとは言ってたけど、咲人の支えになれなくて遥香を心配する咲人がいた。退行する咲人が結局弱い部分を見せられたのは柳川で遥香じゃなかったのが残念だったな。それでも咲人が柳川と檜山に退行した自分を委ねることができたのはある意味救いがあったと思う。
研究員のメガネ君のシーン全削除すれば一見おかしく見える咲や友人達の心情がもっと丁寧に表現出来たはず。一番要らないキャラだったと思う。主演とのバーターだったのが見え見えで、見せ場を無理やり作ったのも明らかなのでホント寒かったし、無駄なシーンだらけだった。言っておくが、これはもちろん本人が悪い訳ではない。そういうゴリ押しな売り込み方をする事務所の問題。これまでジャニーズだから悪いとか思った事なかったけど、今回はあまりに露骨なごり押し姿勢が明らかで凄く不愉快になった。自分とこのタレントを大事に思うなら大事な売り出し方をしてほしい。山下さんを綺麗に見せる事でなく、ちゃんと演技を見せられる脚本・演出を与えてあげてほしい。まだ実力が足りない若手なら、無理に不自然な露出をさせるのでなくきちんとチョイ役から下積みさせて実績を積ませてあげてほしい。これほどジャニーズの弊害で台無しにされたドラマも珍しいと思う。原作ファンもドラマファンも役者さん達、スタッフの皆様も、ホント気の毒。
主要な俳優さんが良かったから、確かにもっと遥香の脚本上の描きかたを咲に寄り添った描きかたにしたら良かった。特に山ピーの咲人は遥香が好きなのが伝わったし、ママのためにおりこうになりたがっていたし、柳川になんの戸惑いもなくお金を貸そうとする咲人もいじらしくて思いの外良かった。結局は脚本家の好みで男の友情が優先させた。もし、今の時代あの頃の桜井幸子がいたら脚本が変わったのかな。栗山千明さんは演技は良かったけど設定が栗山さんにとっても難しかったよね。
6-17 23:42さん
まさに同じことを思ってました。あのメガネ研究員の出し方は、商業的な影響で脚本に加えられているのは明からさまで、物語の流れを壊す何ものでもなかったです。
アイドルPVに事務所のバーター、脚本家の野心(?)による支離滅裂な改竄、そんなつまらないものの犠牲になった原作が、心からの毒に思う。
二度とこういう悲惨なものは見たくない。
メガネくんいい演技してたよ。
私の中では彼がMVP。アルジャーノン大事にしてくれた唯一の人だから。
俳優の名前はしらなくてごめんなさい。
彼もご都合主義の脚本の中で扱われた1人だろうけど、私は好きだった。
皆さん、このドラマに期待していたんですね。裏切られた悔しさ一杯いの酷評の数々・・・、それも真剣にこのドラマを見ていたからなのでしょう。
制作側は人の心に残るドラマ、爪痕を残すようなドラマを作りたかったと言っていたと思います。ですから、ある意味狙い通りのものができたのだと思います。
そもそも原作のメインテーマ、知能が上がる脳手術や、クライマックスの自ら施設に入ることを選択する行為は、原作が書かれた当時のアメリカの障害者隔離政策やロボトミー手術に対する痛烈な批判、風刺であったのだから、今現在の日本で原作通りの内容と結末を再現しても、意味がないでしょう。
にしても、現代日本で障害者も社会に出て健常者と共に働き生きていくのは容易ではない、と知らしめた作品であるのは確か。彼らを受け入れ、支えていく健常者の奢りを、この作品は竹部社長の独白や柳川の「対等じゃない」発言でえぐって見せている。
極めつけは、知能が向上した咲人を愛した遥香だ。知的障害者に戻るのを食い止めたい、戻ってしまった咲人を引き止められない。それは世の一般女性が遥香の立場になってしまったら、大抵の人が陥る正直な心情ではないだろうか。
それを共感できないと断言できる人は、所詮人ごとと思っている人たちだ。
自分なら知的障害者咲人と恋ができるか?結婚できるか?
この作品はそれを問うている。
脚本に難があったのは感じるが、テーマは深く今やる意味のあった作品だと思う。
08:45:23さんの投稿にすごく共感しました。
遥香に対しての見方…私も同じ立場で退行した咲人を守れるかと言ったら自身などない。色々言われているがやはりこのあたりも視聴している我々に切実な課題を与えた見ごたえのあるドラマでした。 ジヤニーズ、野島さん、バーター…私にはあまり関係なく多少の設定の粗さは下智久の白鳥咲人の生き方が全て払拭して見れたのが素直な感想です。
なんとかこのドラマから立ち直りたいのに、ずっと心のリハビリがなかなかできなくてとても苦しいです。
50年前にアメリカで書かれた原作ではありますが、今現在の日本においても、一番普遍的に変わらないのは、家族のあり方、人間の尊厳についてではないでしょうか。そのあたりを本編ドラマ内できちんと深めて欲しかったのに、最後の最後まで浅く薄かった。そう強く思ってしまうのも、自分自身が、主人公の妹であり母親である立場に置かれているせいもしれません。障がいを持つ家族を抱えたものたちの苦悩と葛藤と悲哀、それでも過去をごまかしてでもなお生きていかざるを得ない宿命(このあたりは妹の心情にあります)、そんなものが、全てなおざりになっている。残念でなりません。
またドラマ中の「対等」という言葉の使い方も、私には違和感がありました。蜂須賀ではありませんが、人間は全て対等じゃないと私は思ってます。そういう人間同士が一体何をもって「友情」や「愛情」というものを抱くのか。またそういう心理が人間の尊厳にどう関わっているのか。そのあたりも描写不足であったと思います。こういった50年前の原作と現在を結ぶ普遍性について、このドラマは訴えきれなかった。当時と違うものを描く意味がないなら、同じものを描く意味は当然あったと思います。そうでなければ、この原作の名を語るのはただの商業的な狙いだけだったのか、と疑ってしまいます。
すでに多くの方々にもう何度も語られていることですが、せめて「アルジャーノン」と名乗らなかったら許せたのかもしれない。そう何度も何度も何度も思います。ラストのラスト、人口知能ネズミに改造されてしまったアルジャーノンの墓に咲く遺伝子組み換えのバラ。奇しくもあの薬と同じ青い花が、自然の森のなかで咲く様は異様でした。原作のテーマに真っ向から反して、科学が自然をねじ伏せていくようなラストシーンを堂々と美しく?見せる様は、まるで野島氏がちょうど1年前になくなったばかりの原作者に背後から殴りかかっているようで、なんとも無礼で嫌な気持ちになります。
このドラマ確かに名台詞名シーンはたくさんあったよね。さすがは野島さんだと思う。この人の言葉のチョイスやセンスは一流だと思うし池田さんも粗削りではあるけれどなかなか人をひきつける展開のホンを描く脚本家だと思う。
だけどその名台詞名シーンも切り取ればそう感じるけども残念なのは「そこに至るまでの心情経緯」がすごく雑で、丁寧に描かれていないこと。台詞や演出に頼りすぎだと感じた。だからせっかくの名台詞も心の表面を滑っていくだけで心の奥には染みてこない。共感できないというのはそういう下地があるからで遥香に関しても単に他人事として見ていたからではなくてそれまでの流れで彼女をそういう風に描いてこなかった脚本に問題があるような気がする。ここまできて原作通りの流れにしてほしかったと望んでる人なんてまず居ないと思うし、望んだのはせめて山下版として整合性をつけてほしかったという事だと思う。素晴らしい台詞とか素晴らしい友情のシーンじゃなくて特に咲人の心を深く見せてほしかった。。
物語として考えさせられ、そのメッセージ性について賛否があるならいいけれどそうじゃないもんね。ストーリーの流れや作り方に粗や問題があるという議論になってる。
....こういう意味で心に残るドラマを作りたかった訳じゃないと思うんだけどなあ。
そもそもストーリーの流れが変になった始まりは、中盤のツンデレ俺様に豹変した主人公といきなり愛してるとコクちゃったヒロインのラブシーンから始まったと思うわ。
そうですね。何をもってみんなが対等というのか。
あまりにあっさりと安易に最後纏めにかかってしまったような感じです。
綺麗事ではすまない現実や一生抱え続けながらそれでも前向きに生きていく家族の切実な姿は見られず科学の功罪への追及もなく、このドラマのように綺麗なメッセージだけに浸れていれば幸せなのかもしれませんがそうじゃない大事なものに蓋をしてしまったこのアルジャーノンはやはり別の意味で大きな問題作だと思います。
私は認められないなあ。
スポンサーリンク