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「不安や恐怖はある。だけど鋭利なガラスの破片のようにその不安や恐怖が瞬時に論理的に砕かれてしまう。ただキラキラと舞い上がるだけなんだ。今私は見えない広大な宇宙に繋がっている。全ては繋がっている。始めから終わりまで。」そしてアルジャーノンの墓を見ながら「救われるのだから」と終わっていました。解釈はそれぞれでしょうが私はもっと深く神とは程遠い嘆きのように聞こえました。もの言わぬアルジャーノン。神の領域にまでも造りだそうとした人間の科学。しかし所詮は宇宙に生きているだけの存在にしか過ぎない。アルジャーノンも僕も。生きとし生けるものはいつかは土へと帰る。そしてそれはまた別の命へと繋がっていく。咲人は恐怖に怯え不安も抱えきれないほどある。痛いくらい感じてもガラス細工のように論理的に砕かれる。アルジャーノンと自分にしかわからない悲しみ。咲人の切ない顔を見ながらいろいろ考えさせられました。
私のまわりは脱落者が多いけれどあと二回ちゃんと見届けようと思い視聴しました。
…まだエピソード盛りますか。
もう泣ける展開とか要らないから主人公に焦点を絞ってそこを深く見せてほしかった。
シンプルな展開でいいんです。
改めて余計なエピが多すぎるし不自然な描写が目立ちます。なんというか…大袈裟すぎるというのか。
展開で魅せるドラマと誰かが仰ってましたが、原作のシンプルなストーリーを深く丁寧に見せることをしてほしかったです。
いろいろ狙いすぎ感が見えてしまってせっかくの熱演もどこかしらけてしまいます。
これは脚本が欲張りすぎた例だと思います。
「アルジャーノンに花束を」の主人公は天使でもなく神でもない。
ずーっと終始にわたって人間なんだよなぁ。
人間だからこその、知能と感情の相克を主役のお芝居を通してじっくりとみたかったんですけど。
今後は、医学の手が及ばない不治の病の治療法をいきなり短期間で見出すのでしょうか。
そうやって人間的な愛情の裏付けもなく、ただ科学の力で生まれた「人工知能」に優れた価値を見出そうとすること自体、原作のメッセージに大きく反していると思うのですが。
確かに、現代の医者が治せないと匙を投げた不治の病を咲人がこの短期間で治してしまうとしたら…それは神の領域と言ってもいいくらいの奇跡かもしれない…。
咲人を自己を犠牲にして不治の病を救う「神」のような存在にして終わらせるのだろうか?
最終回、しっかりと見たいと思います。
いろいろ達観しすぎててついていけない。。
切実さとか嘆きとかないの?
アルジャーノンもかわいそう。
もしも、新しい時代のメッセージとして、「人間と科学との親和」という革新的なテーマで行こうとしているのなら、それはそれで評価もする。
でも、そんな高邁な話でもないんだよね、これが。大事なプロセスが全部省かれちゃってるか、コマ切れになってるからテーマはいったい何が何だか。
ただ、「主演俳優を見せる」ということに関しては、演技・立ち居振る舞いのつけ方からカメラワーク、照明まで含めて、みごとに首尾一貫し、すべてがそこに収れんしていたと思います。
そして、かわいい、冷たい、セクシー、サディスティック、神々しい…主演俳優のさまざまな顔を次々に見せ、ファンあるいは、これにはまった女性たちを熱狂させました。
まさに、長編のPVの名に恥じない作品でありました。
ただ一つ惜しむらくは、「原作アルジャーノン」をうたったことで、それさえなければ、悪評が後々まで残ることもあるまいにと思うと、残念です。
達観してもいいけど、急すぎるんだよね……。
このドラマ、「いつの間に?」ってことが多すぎ。
咲人父と社長のエピソード、良かったですね。アルジャーノンの墓前での咲人が語る世界観〜知能が高まった彼だから解る神の領域の真理。哲学的なテーマに比重がかかってきて興味深く拝見しました。
分からない。柳川、遥香、りお、石丸さんなど、一番おかしいキャラが石丸さんかな。とにかく誰かに話をまとめなさい。山下さん、窪田くん以外のかたみんな演技は下手に思える。大政さんとか。Sexy Zoneの子はなんとかならんか。よかったね、窪田正孝がいて。
演技についてです。
咲人がイエス・キリストみたいになっちゃって、もう付いて行けない。(笑)
咲人はもう、実験用マウスの事は忘れてしまったんだよね。知能が上がり天才になって、大人の女性に興味の対象が行ってしまったから。
アルジャーノンが死んで嘆く人がいないなんて変だよね。
タイトルになってるのに、主人公が関心無くなったら。
だから、その役目は小久保君が咲人の代わりをしている。
咲人の代わりにアルジャーノンを失った悲しみを見事に演じてくれたよ。
武部社長の長話は結局、愛がなければ知能がどうであれ暴力が生まれるという原作のテーマを語ってたのか。
一方、咲は愛を与え受け取れたので、その知能が価値を持ったというべきか。
その愛が自己犠牲という形で描かれてるのが野島風というかなんというか。
演技に関しては気になる人はいないな。
咲人の描き方も演じ方も手術前から手術後、性も加味しながら徐々に知能が高くなり、人間関係を排除する天才から愛を受け取り与えられる天才へと変貌する様が丁寧だった。
逆に遥香の描き方がエキセントリック過ぎてなかなか共感できないのが惜しい。
栗山さんだからまだ救われているのかも。
ただ大筋ではいいドラマだと思う。
今回も、ジワーッと心に響きました。
ただ、社長の話が長かったような…、喧嘩からあのくだりにあれだけ時間をさくなら、もう少し深く咲人の心の葛藤を描いて欲しかったような気がします。
リオを助けようと思うに至る葛藤、退行の恐怖と闘う葛藤、アルジャーノンへの想いとか…、ちょっと気になったかな。
過去の咲人と現在の咲人との対峙は見応えがありました。
同じ人が演じているのかと思う程、いつの間にか演じ分けていた山下さんに脱帽です。
そして、静かにさくちゃんに負ける場面は、胸に響きました。
あと一話、淋しくなるな…時間拡大でお願いしたいですね。
このドラマは『アルジヤーノンに花束を』というタイトルの『山下智久 PV』だから、別に低視聴率だろうが、脚本 演出が 変な事だったり演技が下手で悪評が出ようが関係ないんだろう。
エピソードをこれでもかって盛り過ぎてとっ散らかってまとまりのないドラマ。
山下君の演技力に合わせて作られたと書いてた方がいたけど納得。
だから脇役のエピソード多めにになったんですね。
アルジヤーノンと咲人の交流も薄くて タイトルにアルジヤーノンついてるのに違和感しかない。薄っぺらいドラマ。タイトル『咲人に花束を』でいいんじゃないですか。
原作のテーマは、知識や科学の力よりも、愛が及ぼす力の方が人間にはずっと偉大ってことだと思ってる。
でもこの作品でいう愛は、ちょっと極端すぎるというか、いや、そんな成人君子のようじゃなくても…と思ってしまう。さらに苦悩や葛藤が描けてないから、よりおいてけぼり感。
類を見ない名作だけにもったいない。
別物どころか原作を壊しまくっててただただがっかりです。言葉もないよ…。
障害者の息子を抱えているのに、仲良くもない他人に腎臓移植して、弱って死んだお父さん、うっかりすぎるでしょう。それを本物の愛だと? ならニセモノで結構です!!
なんか、原作ぼろぼろで、見る影もないんですね。
これで質の高いドラマになってたら、少しは救われたんだろうけど、
PVとかアイドルドラマクオリティじゃなあ。
出るのは、ため息のみ。
2015-06-06 22:52:29さん、すごい!
私はその台詞、シーンで咲ちゃん神の領域だよって思ったん
です。同じシーンを見てるのに、こんなにも違うなんて、失礼
ですが私たちの感想の違いが面白すぎる。
前半の障碍を持つ人の生きにくさとか中盤からの分不相応な
知能を得た苦しみがあんまり感じられなくってあのシーンだ
ったのでそう感じました。
咲人の魂の嘆き、届いてこなかったなあ。それを感じられた
らもっと面白くみれたかも。ちょっと残念。
感想の感想、すみません!
2015-06-06 21:37:51 でした。
過去の映像を見ているシーン
父から教えられて
人にも自分にも幸せを与えることが出来ていたことを確信し
最後に父を見て過酷な運命を受け入れようと前へ進みながらの
「あいきょでしょ」
切ないけど心にグッとくる場面でした。
社長の話は極端にせよ
自分だけのために生きるより
他人のためになるような生き方をしたいなあ
きっとその方が幸せな人生だと感じられるんじゃないかなあ
と思いました。
毎回いろいろ考えさせられるドラマです。
アルジャーノンが亡くなって泣いてくれる小久保くんがいて良かったよ。
もう、咲人はなんだかわからない人になってしまった。
ここまで終盤グタグタになるとは予想以上です。
私もがっかりしました。
アルジャーノンは咲人にとって、特別な存在だったはず。
それなのに、アルジャーノンが死んでしまって、一番悲しんでいたのが研究員だなんて。
咲人は、手を広げて、神々しい神の領域?みたいになっちゃってるし。
しらけてしまいました。
咲人が、自分の運命に苦しんだり、悩んだり、アルジャーノンの死に悲しんだり、そういう葛藤がほとんどなく、神の域に達してしまったら、観ている方は、「?」となり、全然感情移入できません。
「アルジャーノンに花束を」は、主人公にとって、アルジャーノンが、最愛の、特別な存在だからこそ、この題名になってるはずなんです。
これでは、全く違うドラマになってしまってます。
悪いけど、山下さんのPV と言われても仕方がないものになってしまっていると思いました。
咲人の抑揚のない芝居は演出がつけてるんですよね。なぜあそこまで感情抑えた芝居にさせるのか意図がわからない。
下手とかじゃなくて不気味です。
原作に愛が大切みたいなメッセージってあったかなぁ?
むしろ無慈悲なまでに科学の犠牲になっているだけだってと思うけど…
社長の話は、本人の感謝の心を語っただけで、真実ではあっただろうが、全てではない。咲人にだけ亡き父の良きエピソードを語った方が、より良かったと思った。咲人が母との間柄をうたぐった時にでも、殴るんじゃなくてその話をしたら、より自然な感じがした。
咲人は、頭が良くても、人の気持ちを考えられない咲人から急速に、心も成長している感じがした。
私もアイドルドラマや山下さんのPVと思ってしまいました。
アルジヤーノンが死んで咲人ではなく一番の友達の研究員 小久保君が悲しんで…
咲人はキリストの様になっていって…
ファンやドラマで山下さんに好感持ってる人にはどんなに内容が雑で障害児を抱えた父親がむやみやたらに他人に腎臓提したりする信じがたい内容もセリフが聞き取りづらかろうがそんなの関係ないんですね。
だってPVなんですもの。
愛が大切というよりも無機質な科学の無意味さから何が一番大切なのか(それが愛情に裏打ちされていなければ無意味というメッセージに繋がる)という問いかけだったと思う。
その科学の力で天才になり人間が普通に感じる絶望や葛藤がほとんどなくそこから発せられるはずのそういうメッセージは今のところは感じられずじまいだった。
この先どうなるのかはわからないけどもしかしたら、、不治の病の娘を自らを犠牲にして助けるということで咲人にある種の達成感や幸福感みたいなものを感じさせ少しは幸せに終われるだろうという狙いなのだろうか?
自らを犠牲にし他人を救う主人公、そして命を救われた少女は主人公の分まで力強く生きていく…そういう心の美しい主人公に感動し涙する…そんな物語を描いているのか。
もしそうなるならとんでもないまやかしというかすり替えだと思うんだけど。。
ともかく「綺麗事」と言われない終わり方をしてほしいなと思います。
私は、咲人のキャラ良いと思います。前半は、嫌なことがあったら泣き、楽しかったら正直に笑う。でもお父さんの繰り返し教えた事を心の奥底に秘めた天使みたいな無垢なキャラ。後半は頭は良くなったのに心がついて行ってない冷血な人からだんだん心も成長していく咲人。
博士が、人体実験としてだけしか見てなかった咲人にだんだん愛着を持つのがわかる気がしました。
咲のパパが何度教えたかわからない、笑顔とアイキョデショ。小久保君も同じように何百万回教えたかしれないアルジャーノンの名前。決して科学のちからだけではない、人としての努力の積み重ね、理解し合える仲間がいたんだね。
原作の愛の裏付けのない知能そして科学の無意味さは蜂須賀を描くことで示されていると思います。
綺麗事と捉えられるかもしれないけど
人のために生きる決断は感動するし、そうありたいと思います。
私も20代だからかもしれないけど
ツイで感動してる同年代も素直に咲人や柳川に感情移入しています。
このドラマには原作にない友情を描くことで、私たちのことと置き換えやすいのかもしれません。
咲人のアルジャーノンに対する描写は初めからかなり詳細に描かれていて
いつも咲人のポケットに入っていたり
アルジャーノンが研究所に戻っても会えば一番の笑顔を見せています。
咲人が研究員になり人を排除していたときもアルジャーノンだけは友だちだと言ってましたし
アルジャーノンの異変が出たときはアルジャーノンのそばを離れたくないと言い、自分だけでなくアルジャーノンのために研究に没頭することになります。
また死に気づくのは小久保でしたが、解剖せずに埋めることを決めたのは咲人でしたし、アルジャーノンの死を無駄にしない、対等の友だちとして墓を振り返る姿に悲しみが伝わりました。
原作の読後感は儚さや虚しさでしたが
このドラマは自分の生き方や幸せについて考えさせられるという新たな主題が加わっているようです。
ですから若者向きに作られたとも言えるでしょうか。
批判ありきでサラッと見てると、無理に一言で表した原作のテーマとは違ってみえるよね。
原作のテーマも本来簡単に表現できない深さなんだけどね。
今作はいっぺん見ただけじゃ自分には気づかないこと多くて
感想読んで見直して、そういうことかとやっと分かるという。
そうして通してみると、力入れて作ってるんだなと。
若者が一回で素直に感動できるのであれば
年をとって自分の心が腐ってしまったのか理解力が劣ってきたのか。と、思うわ。
ながら見でも分かりやすく楽しめる作品がウケる時代に
えらく挑戦的なドラマ作ったなという点は評価します。
上のかたの感想にとても共鳴しました。私は20代ではないけど、咲人とアルジヤーノンの描きかたにはとても儚さや刹那さを感じることができます。しっかりとアルジヤーノンの知能上昇、退行にからめながら咲人の変化や悩み苦しみは受け止めることができました。原作、前作とは違って人としてそれぞれに考えさせる素敵ドラマだと思う。
アルジャーノンと咲人の関係の描写はあれで十分に理解できる。それ以上に過剰なまでの関係を描かれたら興醒めする。
タイトルが違ったらまた評価は違ったかもしれないね。
いかに科学が進歩しても足を踏み入れてはいけないものもある。自然界の中では法則を壊すと破滅へと導く道があることを山での咲人から見てとれた。科学から天才になったが命あるもの死は避けて通れない。自然界でも古くの大木はいつかは朽ち果て、わずかに広がる隙間から太陽がさしそこからまた若い木の芽が育つ。科学によって思いもよらない力を授かったアルジャーノンと咲人だか迫り来る退行によって幻覚をみたり普通に暮らす仲間より、より以上な不安や恐怖に怯えて生きることを余儀なくされる。アルジャーノン。幸せだったの?ママから愛されるため友達と対等になりたかった自分は果たして幸せなのか。愛する人を得ても時間が心に残酷な時を刻む。もう、こうなると死は救いなのかも知れない。幻覚やパニックに怯えることなく休むことができる。アルジャーノン、もう苦しまなくていいんだ。安らぎの日差しが包み込んでいるのだから。今回とても印象深かったことは、様々な思いの中でも「あいきょでしょ」と笑顔で前を向いて歩いていく姿だった。科学の進歩が無意味だとは思わない。しかし自然に逆らって生きることは難しい。最終回にむけて良いスタートがきれた9話だと感じました。
死を美化しているのではないよね。限られた時間を精一杯生きたい。そこに価値があると言うことなのかも。言いふるされた言葉だけど、それがなかなか難しい。
そう君は独りじゃないんだよ、人間の価値は人それぞれ。決して神だなんて思ってない。自分も自然には逆らえない運命をアルジャーノンとともにするであろう道を全身で受け止めているだけ。
社長の一人語り、研究員の逃亡、もごもごで聞こえない台詞、キラキラリンの映像処理…
もう訳が分かんなくて笑ってしまいました。
原作者の方が可哀想で仕方がありません。
山Pが森で突然手を広げ、「私の苦悩はガラスのようにキラキラと(なんたらかんたら)」と語り始めた時、どっか頭打ったのかと思った。唐突にもほどがあるわ。
少なくとも人間のエゴや思い上がりによる科学の無意味さ暴力となりうる恐怖は描かれていないというのは確かですね。味付けが原作とは違う。それがうまくできてるかどうかは…微妙なところ。
無機質で身勝手なだけの科学の力がどれだけ人間の尊厳を壊してしまうものなのか、どれだけ恐ろしいものなのか、それについての言及、糾弾は一切なく、限りある命を精一杯生きよう、友情は美しい、という綺麗なメッセージだけに刷り変わっているとしたら、、、なんか脚本家の偽善的な幻想に騙されているような気がします。誤魔化しのドラマですよね。
「誰かを助けなければ私とアルジャーノンの意味がなくなる」っていうなら、ネズミの解剖ぐらいして科学に生かせばいいのに。。
その解剖により、逃れられない運命を知り、その後綺麗にしてからお墓にすればいいじゃん。
あのモジャメガネも、ネズミの解剖がイヤで逃げ出すって、研究者やめちまえ。
やっぱり原作がある以上、ある程度比較されるのは免れないよね。たとえば別物と考えても、タイトルに同じものを掲げる限り、ここだけはぶれないでほしいという、読者の思いもしかたないと思います。
私は本やドラマ、映画をみるにしてもタイトルをかなり重視するほうです。このドラマでのアルジャ-ノンも、やはり主人公にとって大切な存在、重要なポジションであったはず。
日々アルジャ-ノンと触れ合うなかで、主人公は自分自身を彼に投影し、亡くなった瞬間には哀しみとともに、同じことが自分にも起こりつつある恐怖に苛まれたはずだよね。なのにドラマでその彼...アルジャ-ノンを唯一の友と呼び涙を流したのは、咲人くん...ではなく一研究員。肝心の咲人くんはそのそばで神秘的に手を広げ、科学のなんたるかなど語ってる。
...どうしても、違和感を感じずにいられないです。アルジャ-ノンは、同じ研究対象として扱われてきた同志でもあり、彼そのものなのに。
加えてはるかさんは、退行をただ悲観するだけでなく、研究者として客観的に咲人くんを見守りながら、科学より、高い知能より...もっと大切なものがあると教えてくれる存在であってほしかったし、お母さんとの再会も、いっそ途中は何度か過去の記憶をはさむのみにして、最後に見せ場としてあれば良かったのでは、と感じてしまいました。
すべてが中途半端で、肝心な主人公の心情が伝わりづらかったかなと思います。
あまり原作と比較するのは好きじゃないんですが、最終回を前にこれだけ言いたい。原作の一場面で、主人公の、ある映画を観たあとの感想です。まさにいま同じ気持ちなので。
”脚本家か監督か、誰だか知らないがプロットにそぐわないものを話の中に入れたがるからだ。
だから不自然なんだ”
「ドラマのTBS時代」を愛する者としては残念だが、先週位から「アルジャーノンに花束を」と冠しただけの新春かくし芸大会の堺さん中心にやっていた「ヒット映画」などの名作コント(1作品として見れる)のようにかなり、引いた目線で冷静に見ている自分がいる。主人公がスーパー?で父の幻覚を見る場面でそれは如実になった。この原作は自分にとって心の友とも言える大切な作品である為、ドラマ鑑賞には別れを告げ、自分の中のアルジャーノンの面影を探す旅に出た。原作で訴えたかった事のいくつか断片を探す旅に。結局、野島さんに脚色を頼んだ時点で似た作品(未成年・聖者)でテーマのいくつかを新たな作品として上梓した功績にあやかり、テーマの掘り起こし、映像化へ踏むべきステップを省略できる「省エネ」対策として彼を指名したに過ぎないような気がする。
直接原作には関係ない、臓器を提供する場面、主人公のセリフが丸被り・・て手抜きですか。何ですか(困惑)。
テストの問題去年と一緒なんですけど・・と教師に詰め寄る生徒の気分で全く1ドラマとして楽しめない。TBSが戦犯なのか、野島氏がバレないっしょ・・ソフト化されてないし、って気持ちなのか? まぁあれだけ評判良かったから丸パクリで・・て主役のお膝元が野島氏に頼んだんだろうと普通に予測するが。節操なさすぎるし、1年ってサイクル早過ぎない??
で、よっぽど「ありあまる富」という曲が主人公の心情やら、マイケルの「ベンのテーマ」とか映画「ベン」の主題そのものがよっぽどネズミと主人公の友情を表していたり、障害者と健常者の友情なら野島氏の「未成年」の方が描き切っていたり・・・。
他の方の指摘にもあるように、主役の美しい映像集作りたいだけなら、態々ダニエル・キイスに許可取らずとも恋愛モノのオリジナルで堂々描けば無問題だったのに。原作ファンはこのドラマのソフトは買わないでしょう。逆にコレをきっかけに原作の内容を理解しバイブルとする人も実数としては大して増えないと感じる。
結局こういうものは時間をかけ、口コミや偶然手に取り読者となる・・という方法しかない。どんなに時代が進んでも。むりくり実写化しないでくれ。
咲人のイメージを天使、悪魔、と来て神様にまでステップアップさせてしまったのには苦笑した。咲人を美化するあまり新興宗教のグルみたいになってしまっているのが痛い。ALGβで超天才になった咲人が選んだのは、父親と同じく、自分を犠牲にし他者の命を救う事。守るべき家族や恋人が他にいるのに自分の命を他者のために危険にさらす事に何の迷いも躊躇もない。終盤に入り、このドラマは何だか自己犠牲を極端に美化するカルトのようで気味悪い。アイドルPVとしては悪くないんじゃないかと思っていたが、アイドル路線も踏み外しこのドラマはあらぬ方向へ向っている気がする。
障害者の時は簡単な単語が多くてまだ、聞けてたけど…天才になってからの咲人は難しい単語が多くて、山下さんのモゴモゴ発音で何言ってんだ!? ってなる 笑
社長の話も長かった。障害児の息子がいるのに他人に腎臓を提供してしまうお父さん。自己犠牲も立派だけど、普通に考えてあり得ないし父親として息子や家族に対して責任感が無さすぎ。
この父親にしてこの子あり、だから咲人も自己を犠牲にして他人を助けてしまうくらい優しいんだと話を持っていきたかったのかな?
色々無理な受け入れ難い設定ありすぎるから、共感出来ないしドラマとしての魅力がなくなってくるんだと思う。
中でも森の中で山下さんが神みたいになったときは、笑ってしまった。ギャグ??
どこに向かってるんだ、このドラマ・・・
美しい自己犠牲 精神 無理矢理綺麗な話しにまとめようとして なんだか 気持ち悪い このドラマ。一番気持ち悪いのは、
自分の家族より他人を優先してしまう無責任な父親、もし自分の父親や夫がこんなことしたら、許せないと思う。
栗山さん演じるヒロインも前の咲人に戻る事そればかり心配してるただの女だし、山下さんは神様みたいだし気持ち悪い脚本演出演技。ここまできたら笑えるアルジヤーノンってことで認識したらいいと思う。
きっと 放送されてないけど森の中で山下君、つまづいて頭を強く打ったんだと思う。それでいきなり神になっちゃったんだね。
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