5 | 24件 | ||
4 | 6件 | ||
3 | 0件 | ||
2 | 0件 | ||
1 | 22件 | ||
合計 | 52件 |
レトロな雰囲気がまたいいのよ。最新CGを使った映像より手作り模型の方が好きだな。昔のLPが捨てられない感覚に似ている。
バルンガの最期は太陽に突っ込んでいったわけだ。鉄腕アトムやジャイアントロボの自己犠牲を思い出した。ランギュウルスの最期は?
古代から900年前の世界にタイムスリップし、そこからまた現代に幽霊船とともに時を超えてやってきたという設定がなんともミステリアス。この怪鳥の仮の姿が手乗りブンチョウ。手乗りということは、昔だれかに飼われていたのかな。そして夜になると巨大化する。ん?最後は昼間だったな。どういう状況で巨大化するのだろう?いつか巨大化するのがわかっていながら、鳥かごに入れて警察の留置所に拘留させるといういい意味でお馬鹿なシナリオ設定がおもしろい。案の定、巨大化して建物破壊。
ラスト、Qお得意のボカシたエンディング。この怪鳥はどこに飛んでいく?たぶんジュラシックパークだろうな。
既にこの時代に鳥は恐竜だと言う説を匂わせていたのかと驚かされる。
実は今までに発掘されていた化石は夜に巨大化したトカゲや鳥類なのではないだろうかw
2021-05-12 18:52:47名前無しさん
水を差すようで申し訳ありません。
文化人のマスメディアでの言及にも誤解が多数見られますが、視聴率というのは全人口比ではなく、1%=33万人程度ということになるそうですよ。
32%は一千万人以上ということになりますので、国民の10人に1人は観たことになるというのはご主旨の通り凄いことです。
ペギラに登場した南極の氷が発泡スチロールのようなものにしか見えなかった。当時は大変な技術だったかもしれないが2021年度4月期ドラマ群の現代科学を極めたCG(現在のドラマはどこでCGが使用されているのか分からないくらい進歩していて、なおかつ、さりげない形で使われていることが圧倒的に多い。これらはセットを組み込む制作費節約の為、そうしている)と比べると高評価は望めない。
いくらなんでも古すぎる。
古い作品を見直すいいきっかけになった。
映画で使われたシーンを挟むのは反則っス
へぇ、ガラダマに出てきた一番小さな小学生が、後の星飛雄馬であり、アムロレイなんだ。
ふむふむ、一の谷博士が「科学特捜隊」の生みの親なんだ。
お~、東京氷河期では地球温暖化に警鐘を鳴らしている。意外と問題意識高いな。
ぷふっ、父母のカネゴン化は当時のびっくりオチ。
今期7月度ドラマ群で圧倒的に場違い。1966年度日本ドラマランキングでは堂々1位だろうが。
やはり昔のモノクロの方が怖さがある。なまじカラー化や4k化すると、劣化する。でも面白い。
金ゴンの話、髭おじさんがあの渡辺文雄さんだったり、
金ゴンのお母さんがあの渡鬼とか家政婦は見たの野村昭子だったのでとても懐かしかった。
あの頃の十円は子供にとって結構価値があった。
桜井浩子さんは、まさにラッキーガールだったんだね。
ウルトラマンにもフジ隊員として続けてレギュラー出演だったし。
出てくるおじ様たちが見覚えのある方たちばかりで、うれしい。
名前はわかんないんだけど、顔は知っている遠縁のおじさんみたいな感じ。
おそらくは昔の時代劇でよく見ていたおとッつぁん俳優さんなんだと思う。
特撮の怪獣を目撃しても白髪交じりのちょんまげ乗っけててもちゃんとリアルなおじさんを演じられる実力派の方々、こういう立ち位置の俳優さんて今どれだけいるのかな?と思ってしまった。
1/8計画が面白かった。今の少子高齢化社会の時代と違いこのドラマが作られた60年代当時はベビーブームで人口が増え過ぎて都会の人口密度が問題になっていた、ドラマではそれを解消するために人間を1/8に縮小して1/8に縮小した都市をモデル地区にして移住計画があったという荒唐無稽な話で、江戸川由利子 (桜井浩子)が巻き込まれ1/8に縮小された都市に住むことになり、心配した知り合いの万城目淳(佐原健二)と戸川一平(西條康彦 ) は由利子を連れ戻しに1/8都市に迷い込むが二人は等身大のままで1/8の住民にとって二人はガリバーみたいでした。二人がミニチュアの都市を歩くシーンが圧巻でした。さすが円谷プロの精巧に作られたミニチュアの都市が圧巻でした。特撮ファンはたまらなかったと思います。結末は由利子の夢オチでしたが、脚本は特撮ファンの間では伝説の沖縄出身の金城哲夫、監督は円谷英二の息子の円谷一、特技監督は円谷英二亡き後ゴジラシリーズを担当した一人の有川貞昌の豪華布陣で製作されました。自分にとってはウルトラQの名作の一つです。
名作とか古いとかは別問題として個人的に合わない作品でした。
>いくらなんでも古すぎる。
55年前の作品を現代感覚であーだこーだ言うほうがどうかしてるよ。
その当時はそれで最新のものだったんだし。
それを言ったら今のドラマだって時が経てば古くなるんだから。
1/8計画では、金城哲夫が出演していたね。階段にいた人だよ。
次はマナベ参謀が出てくる。楽しみだわ。
今はBLとか飯ドラとか戦隊系医療ものとか新解釈ラブコメとか…
現代感覚でこれを評価するなと言われてもねぇ…
お茶の間でスレ立てればよかったのに。
日本最初の原子力試験炉で初発電が行われてから3年後の話なのか。
なかなかタイムリーだ。
Qの世相を反映する内容にはおおいに感心している。
濃縮ウランのカプセルを積んだトラックの運転手が、ウルトラ警備隊のまなべ参謀だ。
じゅんちゃんがたけなか参謀になるわけで、2人の共演はここがルーツなのかもしれない。
さざめ竹の白い花は、災いの前兆といわれている。
じゅんちゃんの言うことには、天明の大飢饉、応仁の乱、第一次世界大戦が始まった年にも咲いたそうだ。
案の定、パゴスの出現。
でも実際さざめ竹などの竹はないので、フィクションとして捉えなければならない。
遊び仲間の子どもたちのリーダーである女の子のおばあさんは車椅子生活。
その女の子の帽子に飾ってあったさざめ竹の白い花をみて、不安そうな顔をするおばあさん。
でも咄嗟にこの花と虹の卵を見つけると願い事が叶うと嘘をつく。
ありもしない虹の卵で子どもたちにファンタジーを与えたのだ。
そしてパゴスに襲われ大破したトラックから転げ落ちた濃縮ウランのカプセルを見つける。
女の子はこれが虹の卵と勘違いしておばあさんのもとに運ぶ。
「えっ、本当にあったの?」と驚いたおばあさんが車椅子から立ち上がる。
女の子の願いが叶った瞬間だった。
ハイジの献身で「クララが立った」的な流れを思い出した。
このエピソード、自衛隊のミサイルでやっつけられたパゴスは脇役で、このファンタジーがメインストーリーだと感じた。
古い。
高評価できないな。
ゴメスとリトラが出てくる場面でゴメスはいいけどリトラのサイズがシーンごとに変化しているような気がしてならない。卵のサイズと比較して最後のゴメスにかぶさって死ぬ時のリトラが大きすぎる。卵から生まれて死ぬまでの間、リトラは何も食べていない。
ウルトラQが評価に値するのはトワイライトゾーンというアメリカのドラマをモチーフに主に虹男、透明人間、伝送人間など映画が中心だった怪奇映画をドラマという媒体に移行させ子供も見れるものとしてTVの可能性を模索した点だ。
あくまでも子供もであり大人が見るに堪えるようにと考えられているのは、当時は日曜の夜というのは家族団らんでTVを囲むのが流行りだったからだ。
証拠に提供は武田薬品であり大人へアピールするもの。大人が映画館でお金を払ってみるには怪奇ものは敬遠されていたから。
ここでの怪獣はゴジラで得意だった円谷の資源を生かしたアイディアだと思う。
逆に子供が食いついたのはこの怪獣の方で、ウルトラマンが作られ
るきっかけになり、最終的には今の戦隊ものへつながっているが、戦隊ものの元でもない。
むしろこの後の怪奇大作戦で円谷のやりたいことが示されるし、これらはザ・ガードマンなどの大人向けの怪奇ドラマへ繋げたかったと思われる。
やはり4Kになっての見どころは当時の街並みや風習とかが細部まで見れること。よく見ると自分の知ってる街だったりするし、当時の言葉遣いとか若い人のファッションとか興味深い。
彼は、人間の未来の姿なのかと思い込んでいたが、西暦2020年の異星からきたのだね。ずっと勘違いしていた。
「2020年年の挑戦」はムラマツキャップであり町田警部でもある小林昭二氏のウルトラ作品デビュー作だ。
オープニング映像のアート効果で不気味さが増した。後の怪奇大作戦「かまいたち」を思い出した。
パトカーに追いかけられるケムール人。この着ぐるみの中にアマギ隊員が入っているのだね。
この観覧車は後楽園ゆうえんちのものなんだ。今は輪の中をジェットコースターが通っているが、当時はシンプルそのもの。
神田はケムール人との交信の中で弱点を見つけたのだろうな。xチャンネル光波を開発していたわけだ。ペギミHみたいなものか。
光波を放つ東京タワーが大活躍だった。これも灯台からの光線でおかしくなるウインダムを思い出した。
消された人たちが戻ってきた。ゆりちゃんはじゅんちゃんのところに駆け寄る。でもじゅんちゃんのハグはかいくぐる。これは、じゅんちゃんに化けたケムール人に遭遇した恐怖によるものなのだろうか。一平くんはゆりちゃんに気があるのはわかる。ゆりちゃんの好みは一平くん?じゅんちゃん?これが謎。多分、じゅんちゃんには尊敬の念を抱いており、一平くんは気のおけない親友として捉えているのだと思う。ゆりちゃんからの恋愛感情はないと想像する。
ラスト、ケムール人が溶けて流れた後の液体に「だいじょうぶだろう」と足をつける宇田川警部。しかし体が消えてゆく。「たすけてくれ~~~」でチャンチャン。こういうQ特有のオチは好きだな。
ペギラという怪獣が旅の途中ということで東京に立ち寄った際、東京首都圏が氷河期になったが、あの怪獣のどこにそんな能力が秘められているのかちゃんと説明がなされていない。また、この回では子どもが出てくるが、その子の父親と対面するくだりが偶然と言えど、制作側のご都合主義的な面が恥ずかしげもなく堂々と見せてしまっているのはいただけない。
いや〜海底原人はいつ見ても不気味だな。やはり白黒映像の方がそれが際立つ。ただ、ハワイアンが大好きな😍ところがなんとも滑稽だ。崖から転げ落ちたのが父親で、最後漁港に子どもを取り返しにきたのが母親なんだろう。無事に子どもを取り戻せてよかった。
若い漁師が黒沢年雄で、これがテレビデビュー作のようだ。そういえば、TBSドラマの日本沈没にも出ていた。このエピソードは、その日本沈没のモチーフになったのではないかとも感じ取れる。
「アンバランス」というコンセプトを元に作られた最初の頃の「マンモス・フラワー」「変身」「あけてくれ」の3本まではよい。ただし同じ時期に作られた「悪魔っ子」はいかん。子供の演技がどうにも我慢できなかった。中盤から後半にかけて作られた「バルンガ」「2020年の挑戦」「8分の1計画」「クモ男爵」なども良いと思うが、このドラマは中盤から「大人の事情」によりアンバランスというテーマを捨てて「子供」を頻繁に出すようになり、それに伴って内容がチープになっていった。「事情」よりも「信念」を優先してほしかった。
CGの影も形もなかったころの当時の特技スタッフの職人芸が冴える、実際火薬を仕掛けた爆発や火災や大量の水を使った洪水シーンや地震でミニチュアの建物の崩壊や盛り土の崖崩れなどのスペクタクルシーンが今のニュースの災害映像を見ているような臨場感があり、それがCGがない時代に再現されていたので驚かされる。また模型の飛行機が縦横無尽に飛ぶシーンが見事で操演技術が素晴らしい。時折見えるピアノ線がご愛敬でニヤニヤする、当時テレビ画面が小さく画質も良くないためにわからなかったと思います。CG処理で消さないで当時のオリジナル映像で見せてくれて特撮オタクの自分には贔屓目で嬉しい。毎回1話完結のドラマなので出来不出来は仕方がないが全体的には傑作が多くて満足です。いかにCG技術が発達しようが作り手の想像力が乏しければ宝の持ち腐れ、例えCGが優れていても心に残らない場合があります。最新CG技術を駆使したハリウッド版ゴジラを見たが、ゴジラとは違うと思いました。どんなに特技技術が優れてもなぜか日本で作られた数十年前の初代ゴジラを超えることがなかった。ウルトラQを見て時々今のCG特撮より優れていて驚かされる時があります。所詮CGは実体のない高度なアニメと同じでアナログであろうがCGであろうが想像力がなければ心は動かされない。今のCG時代の映像を凌ぐ特撮の神様円谷英二特技監修のもと作くられたウルトラQを堪能しています。
いずれやってくる「悪魔っ子」の回は深夜にカラーで見るのは正直怖い。
カラーだと上から吊っているピアノ線が見えるんだよね。白黒だと画面に同化するので気にならない。で、「あけてくれ!」はお蔵入りのまま?死神博士に会いたいんだけどね。
1966年だからビートルズ来日の年。
ちょうどこれが終わった8月に来た。
時代を考えればビートルズ来日以降GSブームが来て、1970年にはもう終る。1971年には太陽に吠えろが始まり松田優作、アイドルブームとはっぴえんどや吉田拓郎を経て1972年にはユーミンがデビューする。海外でもクイーンがデビュー。
つまり少し違和感があるこのドラマのセリフとか、ファッションとか、ゆりっぺ、じゅんちゃんの若いのか年なのか分からない風貌(実は若者)はたった5年で現代とほぼ近いものにワープするということ。
この差が高度成長の凄さと言うことがよく分かる。
逆に70年代から今まであまりに変わらなすぎ。
やはりセルロイドの人形は気持ち悪い。怪奇大作戦の中でも不気味さが際立った「青い血の女」につながるのかな。
じゅんちゃんといっぺいくんがセスナから消えたわけだけど、ゼミによってテレポートさせられたと考えていいのかな?これが今もってわからん。
ボスタングの鳴き声は人食い蛾のそれに似ている。
この怪獣は水のある星にしか住めないな。星を滅ぼすためにつくられたにしては行動範囲が狭すぎる。
ルパーツ星人の姿は人間女性と同じ。この人あまり見ないが、綺麗な人だ。
自衛艦の船長として、ヤマオカ長官の登場だな。これでウルトラ警備隊の上層部がそろった。
それにしても自衛隊の攻撃力はすさまじい。ウルトラヒーローが登場する前は、陸、海、空の自衛隊が日本を守るヒーローだった。これは今でも変わらない。
地球を守るために来訪し永住した宇宙人はたくさん居るというエンディングはよかったが、みんな同じサンダルを履いているというオチがあったということはよく見ないと気づかない。
小山内先生にすべての話の脚本を任せれば
今頃はトワイライト・ゾーンに匹敵する世界的名作になっていたはずだ。
要はビートルズがあまりにも凄すぎた
60年代から文化が急速に変化したのはこの4人組のせい
所詮はウルトラQもその波に飲まれて制作されただけの話
ウルトラQのテーマ曲、エレキの音色が
ジョージ・ハリスンの出す音にソックリ!!
ペギラの回は2つあるが南極で現れた回はよかったが、
東京が氷河期になるとかいう回は駄作と言うより他ない。
駄作の原因は「子ども」である。ウルトラマンのような
ヒーローが登場するわけでもないのに子どもを出す理由がない。
ゴジラも子どもや若い女性が何かテレパシーらしきものを
使い始めて駄作と化した。世界では知名度だけが進行して
肝心の商業的成功に結びつけることができなかった。
第22話《変身》…こういうアンバランスゾーンの極み的な設定は恐ろしい。サルが青葉クルミで巨大化したのとはわけがちがう。1/8計画は縮小した夢物語でかわいかったが、人間の巨人化は身震いする。初回放送時には途中で消してしまったのを覚えている。再放送のときにようやく見ることができた。結果的に彼女の愛の力と一の谷博士が開発したビームで彼を救えたのが幸いだった。ビームはもしかしたら結果オーライだったかもしれないが…
途中、編集長がゆりちゃんとの会話の中で「ザ・エンド」と言ったのがずっと気になっている。これはセリフ設定ミスなのか、編集長の無知を強調したかったのかどっちなんだろう?あと、若き日の石坂浩二氏の語りがすばらしいと毎度感じる。
ジ・エンド。とは言わなかったなぁ。昔はTHEをジと言える人は少数派だったと思う。
逆にザだろと直された。多分TVでもザと言ってたからみんながそう思ってる。TVだって細かいことは直さない。生番組ばかりだし。
そこの違いがわかるほど身近に英語なんか無い時代。ギブミーチョコレートほどでは無くてもだ。
何しろ東京都心部じゃなければ外人を見たら大騒ぎ。子供たちは後をついて回ったか隠れるかどっちか。
戦後20年程度の日本はそんなもの。
そういう時代的な観点で見れるから面白い訳だ。4Kだと見やすいし。
今回の南国の未開の島の現地人って設定も当時ならでは。
日本人や欧米人に取って南の島々は未知で、エキゾチック。滅多に行けない場所。
当時はラテン音楽、ハワイアン、タヒチアン、バリ島の音楽。あらゆる南国のミュージックが流行っていた訳で。
現地人がアジアン系の民族として、どうみても日本人だろ的な適当なコドバで話す原住民でお茶を濁すシーンがどの映画でも出てくる。
モスラのピーナッツとか。今なら差別的な問題に成りますね。そういう笑えるようなシーンを真面目に作ってたと言う背景には、渡航が自由化されてないとか国交も少ないとか日本が敗戦国だという意味で考えれば納得な訳で、そういう風に見ると、渡航自由化されたこの後の時代と映画も作り方に違いがみられる訳だ。
舞台はミクロネシアだったかな?
怪しげな現地人が怪しげな言葉を話していた。
モノクロだと特撮がリアルに見えて面白い。
が、槍で大ダコをやっつけられるとは思えなかったな。
しかも日本人漁師が現地の娘と恋仲となり永住するとは。
夢のある時代だったのだと思った。
悪魔っ子が気味悪かった。そして子どもに催眠術をかける人も不気味すぎた。今だったら作れない設定かも。しかも人間を最低でも2人殺してしまっているし結局、確証がないということにして、本当は真相を知っているくせに一の谷をはじめ星川航空の連中が事件をうやむやにさせたっぽいな。江戸川は同じ会社で働く同僚をあのような殺され方されて笑っている場合じゃないだろ。それともこの人だけ真相を知らされてないとか?とにかく不快感を伴う話だった。
五郎とゴローの五郎の描写が酷すぎる。フランケンシュタイン対地底怪獣のまだ人間サイズだったフランケンシュタインよりも酷い。でも外国人から見た日本人ってあんな感じに映るかもしれない。前のW杯でサムライのようなカッコをした日本人観客がオモチャの日本刀を没収されてしまう場面をニュースで見たが、外国人から見ると暴れだしそうで怖いとでも思ったのだろうか?すでに民主主義の中で生きているはずの五郎の描写はあきらかに行き過ぎだと思う。
日本の特撮はとにかくリアリティに欠ける。
思えば「ゴジラ」がそうだった。
ゴジラの身長は50メートル。国会議事堂の先端は60メートル以上。
それなのにゴジラのほうが背が高かった。そんなバカな。
米国で作られた2005年版のキングコングは身長7メートル。
しかしサルは腕が長いので両腕を伸ばした幅が20メートルくらい。
確かにそのサイズがいかに巨大であるかを映像で表現してくれた。
米国のモンスターはやたらサイズを大きくしない。
あまり大きくしてしまうとモンスターと人間を比べられなくなるからだ。
「近くにいる人間と大きさを比較してみろ!この大きさ、ハンパね~ぞ!!」
しかしエンパイヤステートビルを登るコングの小ささといったらない。
いや、コングが小さいのではない。人間が作ったビルディングがデカすぎるのだ。
米国はコングの見映えが悪くなるにもかかわらずリアルを優先した。
むしろそれが素晴らしい。特撮を愛しているがゆえの冷徹な判断だ。
米国の特撮愛がひしひしと感じられる。おそらくジュラシック・パークも
アメリカ人の特撮愛がCGというスタイルで進化したものだと信じている。
ウルトラQは残念ながら「寸法」においてリアルを追求しなかった。
もっとも残念だったのがガラモンと東京タワーが一緒に映ったシーンだ。
何十年も前の特撮ドラマを今のCG時代の感覚でなんだかんだいっても詮無いこと、CGの影も形もない当時の特撮界の創意工夫の製作過程を想像するとワクワクします。縮小した山や町や建物のセットや陸海空のミニチュアの乗り物など一から作り上げた苦労や撮影も演出も職人芸が感じられ製作費もかかり手間もかかるドラマを毎週30分間ゴールデンタイムに放送したことは今から思えば考えられないことだと思います。異次元の世界を描いているので雲の上にトドみたいな怪獣が出るのはおかしいとか固いことは抜きにして当時のアナログ特撮ドラマの最高峰を毎週楽しんでいます。
知ってる役者がいない。音楽も好みではなく怪獣もCGで動くほうが好き
なんか間違ってる人がいるけど、当時アメリカの特撮はコマ撮りだったわけ。ハリウッドの人達は日本の特撮を見て動きが滑らかなことにびっくりした。これは何なんだと。人間が入って動かすという考えが無かったんだ。何故なら人間の大きさに合わせて模型を作るには家もビルも大きくて予算も時間もオーバーする。プラモデルのようなセットと恐竜で精一杯だったわけ。
日本人は自分を犠牲にして働いていたので出来てたこと。西洋人には考えられなかったわけだ。
やがてスピルバーグなどが日本の特撮に影響されてCGXとかを創り出す。確か2001年宇宙の旅とかにも日本人の特撮が関わっていたと思う。円谷プロに声が掛かったがウルトラマンとかで忙しく断ったとかだったかもしれない。
CGXじゃないSFXだ。もうあまり使われないから間違えた。
ウルトラQは日本人が不得意な模型作りを極力抑えて、日本固有の持ち味を活かした
「あけてくれ」こそ傑作だ。日本人が作る模型は全部オモチャに見えてしまう。
理由は分からん。たぶん、カメラワークをちゃんと勉強してないからだと思う。
名脚本家、小山内美江子はすべてを見通していた。「あけてくれ」こそ
日本人らしさを感じさせる至高の名作である。アレでいいのだ。
あの酔っ払い男こそ「日本」という国そのものを象徴する、言うならば「シンボル」だ。
日本人が不得意って誰が言ったの?ジオラマって小さいから簡単に作れるの。大きいのを毎週作るのは凄い努力。
それはゴジラの技術が継承されてるから。これを参考にイギリスではサンダーバードが作られ、サンダーバードを参考にウルトラセブンが作られる。
アメリカは完全に遅れていた。ゴジラを筆頭にガメラとか日本の特撮が席巻してたから。
なんでこんなサイトにウルトラマンガチ勢がいるんだよw
最早半分以上ドラマじゃないだろw
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