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(月〜金)昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而と、歌手としても活躍したその妻・古関金子をモデルに、昭和という激動の時代の中で人々の心に寄り添う数々の曲を生み出した作曲家とその妻の波乱万丈の生涯の物語。
「あなたたちは騙されている」が、
詐欺や宗教勧誘の人の第一声なのはわかっている。
根拠示さずそう言ってくる人には警戒している。
歴史を無視しないでほしい。
主人公でもない光子の回想シーンは必要だったのか。
裕一が藤堂先生や弘哉の事を思い浮かべるというのならわかるのだが。
光子が命を落とす前に楽しかった事を思い浮かべるというのなら納得がいったのだが。
自分の思い通りの歴史を読みたい人やドラマを見たい人が増えているんですね。
騙されたくないです。
賛否の争いや、いろんな戦争解説があって何を信じていいのかわからないサイトです。自分の感想だけを信じて書いていきます。
裕一が、これから何を信じて進むのかに期待します。
僕にはもう歌は作れない
昔のオフコースの曲を思い出す。
あれは小田さんがスランプの時だったのだろうか?
生まれ来る子どもたちのために
裕一よ、歌で勇気をあたえたまへ
戦後の新しい出演者にあの人が。
光子さんの回想場面、綺麗で切ない歌声と共に心に沁みました。
これから先、心に傷を負いながらも皆が各々立ち上がり、前を向いて歩いていくエールに期待しています。
エールのテーマが、音楽だと言うことが忘れ去られてるのかしら。
薬師丸さんの歌で戦争の終わりを締めてくれて、音楽が人々に力を与えてくれる表現が素敵な朝ドラだと感じました。
ビルマでの体験を経て茫然自失状態にになりながらも、裕一は「作曲機械」のように曲を作っていた。鉄男の差し出す詞(敵討ちが動機)にも、物言いたげながら黙って曲をつけていた。
その裕一が筆を執らなくなったのは、敗戦が理由なのか。それとも弘哉の死に直面したからなのか。
「国のために戦う」「立派な」「命を捧げる」というどこか抽象的で美しい死が、藤堂先生や弘哉に「逢いたい」「二度と逢えない」という具体的で心を引き裂かれる慟哭に塗りつぶされていく。
このドラマを絶賛も酷評もする気にはなれない。ただ真摯に見届けていきたいと思う。
戦争孤児を題材にするなんて、菊田一夫という人は優しい人なんですねえ。
来週ラジオから流れてくるであろう「とんがり帽子」。私は古関作品の中で
この曲が一番好きでまた一番泣けるんです。北村さん菊田先生に風貌似てます。
ただ国民に寄り添って曲を作った人じゃないのかな古関さん。
戦争で傷ついた人たちと、戦争を知らない子ども達のために、これからも頑張ってほしいエール。
絶賛も否定もせず見ています。
来週もまた祐一がうじうじ悩む話みたい
「僕は音楽が憎い」?
悩む方向おかしいだろ。
初回から見ていればおかしくないのがわかります。
また極端に悩んで、誰かの話を聞いたらあっさり解決パターン?
裕一のヘアスタイルは、戦前、戦中、戦後と変わらない。ビルマに慰問中も変わらない。召集令状もらいバリカンで丸刈りにする直前、即時除隊になると知らされそのまま。あの髪型で一度は海軍に出頭したのでしょうか?せめて一度は短髪にすべきでした。
インパールでは楽器や歌で音を出したことが相手に居場所を知らせることになり、それで襲撃されたようにも見えた。前線近くでの慰問がなければ藤堂先生の部隊はひっそりと後方支援を続けられていたかもしれない。インパールではそれも違うだろうが・・・。藤堂先生は出征から5年が経過していた。その間、一度も家族のもとへは帰れなかったのだろうか。悲しい。
残酷シーンで戦争を描くのもありだが、個人的には、対戦相手も同じく音楽を愛でる人間なのだと裕一が現地で気付くという流れにしてほしかった。自分のしてきたことが戦時下の日本人にどう影響を及ぼしたのかに思いを巡らせ、落ち着いて考えながら徐々に気がつく方が、モデルの方に近いような気がする。
私には、ドラマの戦地での裕一が子どもっぽく見えてしまった。
恩師や少年を死なせ、「僕は音楽が憎い。」と主人公に言わせる脚本は酷いと思った。
今週、森山直太朗さんと薬師丸ひろ子さんと徳永えりさんの演技が良かった。
何を書くのも自由といえば自由ですけど、これだけ色々不自由に取り巻かれてあーしろこーしろ言われている中で
「面白いよね」とか「あれはどうもね」と思って感想書いてる人の横っ面張り倒すようなレスや黙って座って説教を聞け的なレスはどうにかならないんでしょうか?
いきなりダメ言う前にマナーの推奨を。
日本が戦争に突入した対外的な動機や状況はともかくとして、国の為政としては、戦争の先導者が国民を苦しめ、国を破滅へと追い込んだことは確か。
世界に対する罪としてそれを裁いて刑を宣告する権利が戦勝国にあるとは思わないが、国内的には、国民に対する罪は重い。
そして、裕一はそのお先棒をかついでしまったことに悶々と苦しむ。
ドラマの巧拙は今は問わないとして、描こうとしたこと言わんとすることは、十分に理解も納得もできる。
直太朗さんや薬師丸さんの歌が悲しく響いた今週。
戦後は明るく行って欲しいです。
今日見た、望みという映画の主題歌「落日」も直太朗さんの切ない曲でした。
今週は一番辛い週でした、、藤堂先生の戦死、子供のように取り縋って慟哭する裕一。あの瞬間に、少年時代の教え子に戻っていた💧そして、昌子さんに手紙を届ける事だけが使命のように(泣)
弘哉君のハーモニーカを届ける母も哀しかった、、あの爽やかな少年を回想の中で映像化して欲しかったです。
藤堂先生死なせる必要なかった。先生は自分に意志で戦場にいったので、祐一の歌に関係ない。
戦争を描いておきながら、身内や親しい知人に誰も戦死者が出ないとか不自然な朝ドラが多いんだよな。
エールは、きっちりと戦争ってものの怖さに向き合って描かれた朝ドラだよな。
モデルの人は死んでないのに、知人を死なせてベタなお涙頂戴話にしなくても、戦争の悲惨さは描ける。
浩二も鉄男も召集されないし、梅と岩城は助け出されて治療を受けているし、五郎は釈放(終戦になったから?)されて元気一杯で走ってくるし、そういう意味ではやはり「不自然」です。(ドラマだから、それでもよいと思って視ています)
どの朝ドラも(巧拙や軸足の置き方に軽重はあるものの)、その世界の中で、戦争に向かい合って描いてきたのではないでしょうか。
エールの視点がこれまでの朝ドラと異なることは分かります。それを評価するのに他の朝ドラを貶す必要はないと思いますがいかがでしょう。
ならエールを貶すのも おかしくないか?
藤堂先生は、「父になって、国を守るために戦う意味を考えるようになった」と言って、将校として出征する道を選んだように記憶しています。(記憶が曖昧で申し訳ありません)
彼のように、家族を愛するからこそ家族を遺して戦いに身を投じた人はたくさんいたのでしょう。
そして帰って来なかったたくさんの人たち。
藤堂先生の最後の「恋文」と、それを読む昌子さん(堀内敬子)の美しさは詩のようでした。
彼らの犠牲のおかげで戦後の平和と繁栄があったとは、私は思いません。
ただただ、命が惜しかったと思うだけです。
もし、あの人たちが生きていてくれたら(生き続けられるような世界であったなら)、日本も世界ももっと豊かで平和なものになったのではないかと、思いを馳せるのみです。
前に誰か書いてたけど、今作にとって戦争の相手は誰であろうが関係ないんだよね。敵が全く姿をあらわさないのはわざとだと私も思う。裕一は敵が憎くて曲を書いたのではないし、敵も人間だと気付いたら曲を書かなくなるわけでもない。日本人みなが一致団結して戦争した。裕一もその中の一人だっただけ。その中で自分ができる限りのことをした結果、若い命を、妻の教え子で娘の大事なお友達を死なせてしまった、その音楽が憎いという流れだと思う。
「音楽が憎い」は飛躍しすぎ。
『さくら』を歌った人を殺したかったんでしょう。
あの日 鉄の雨に打たれ 先生は死んでいった
インパールの森の中で ざわわ
そういうことか。
今週は、裕一の物語を主軸として、福島の古山家、豊橋の関内家が並行して描かれた。
福島ではまさが病身であるものの静かで穏やかな日常。芋菓子(?)を花形に作る心の余裕もある。
反面、関内家は特高に勾引される五郎や空襲で全焼する家など、厳しい状況が続く。この関内家の物語の描き方が半端で杜撰に思える。キリスト者の中でも関内家は厳しい言葉を浴びせられていたが、その関係性はどうなったのだろう。五郎の行動もよくわからず、彼が「どうしても必要」と参加する集会が、平和について語り合うものなのか、何らかの「行動」に向かう会議なのか、見ていて戸惑う。「心だけは自分のものだ」と言い放つ真っ直ぐな五郎は、梅や岩城のもとでなぜ「自分のことばかり考えていた」と反省するのか、それも分からない。(留守中に空襲が来ることなど想定できただろう)
空襲で逃げる光子も梅も手ぶらで防空頭巾もない。そして、あのゆったりとした病室。
光子の讃美歌と回想もそれ単独では美しかったが、ドラマのバランスから外れている。
大切なことを見せてくれる良いドラマだとおもいつつ、作り方への疑問が湧いてきてしまった。
今週は本当に素晴らしかった。
このような朝ドラに出会えて幸運でした。
改めて気付かされたこと、一人ひとりが考えていかなくてはならないことが沢山詰まっていたと思います。
来週からの展開も楽しみにしたいと思います。
五郎が何の集会に行ったのか、わからぬままでした。
甘っちょろい戦争朝ドラに無い、反響の大きさがエールが朝ドラに一石を投じた見事な週だったな。
コロナ禍の撮影中断により、放映期間が半月程少なくなったことで、色んなエピソードが足早に過ぎていったり、編集でカットされた部分が少なくないのは、観ている視聴者にも分かる。
ただ、そのような非常事態の中でも、時間をかけて戦場が描かれるなど、かつての朝ドラにはなかった描写には心を揺さぶられた。
どなたかも書いていたように、関内家が空襲から逃げる際に、防空頭巾も被っていなかったのには疑問符が付くが、時刻的に暗くてとか、何かの事情でそんな余裕もなかったのかもしれない。
戦争は戦時の人間にしか分からない事だらけだろう。それを掘り起こして現代のスタッフ達が想像力も働かせながら制作する。
どうか、躊躇することなく、いつまでもその試みは続けてほしい。戦争体験を風化させないことが現代に生きる人間達に渡され続けていくバトンなのだから。
「地獄」のインパール作戦の後方部隊が無防備なところで呑気にコンサート。
兄ちゃんのタップダンスはいらないけど、闇市にチビなつ3兄弟たち出してほしいな。なつぞらも、この辺りは良かった。今作も、子役大活躍でしたね。
何度も同じこと書いていますが飽きました。
すみません。
飽きましたは、16:57:01さんに対して言ってます。
次週から、菊田一夫と古関裕而のタッグで数々の戦後ラジオドラマが作られていくんですね。孤児院で暮らす戦争孤児達をテーマにした「鐘の鳴る丘」の曲も古関裕而が書いたとは。
「なつぞら」で戦争孤児だったなつ達兄妹の朝ドラでも流れた曲。戦時歌謡の時のような勇ましさとはまた違う優しい曲だけれど、古関裕而の曲特有の、高らかさや明るさのある曲調には彼らしさがありますね。
「長崎の鐘」も、小さい頃、藤山一郎が「懐かしのメロディ」や紅白で歌うのを時々聞いたけれど、そのエピソードも描かれるとは楽しみです。
松田優作のジーパン刑事殉職を超えると、SNSで話題の藤堂先生戦死。
これは、窪田さんの、子供裕一の演技踏襲が大きいと思います。
「いやいやいや」、「うそうそうそ」、これは袴が可愛いあの子供裕一そのものです。藤堂先生の前では、裕一は今日明日何をして生きればいいかわからないただの子供です。映像フラッシュバックをせず、それを想像させる窪田さんは、素晴らしい役者ですね。
惜しむらくは、ドラマに不似合いな筋トレの不自然な筋肉を映してしまったところかな。
インパール作戦の詳細は、またドキュメンタリーで再放送や新作放送してほしい。朝ドラは朝ドラの描き方でいい。呑気という意見も最もだと思うが、朝ドラはドラマであってドキュメンタリーではなく、むしろ朝ドラの制約のなかで、よく描いたと思う。
今週は戦場描写と共に、窪田さんの筋肉が凄い事にも注目が集まりました。
そうです。インパールは森と山だったのです。
あれじゃ、撃ってください~っていってるようなもの。
豊橋は、もともと曖昧だった馬具職など含め、脚本4人体制の弱点がたくさん出てしまいました。特に、五郎の信仰は何も訴えかけがありません。仕方がないので、キャスト総大将の薬師丸さんの鎮魂の歌で〆ようとしたのですが、あまちゃんみたいにまとまりませんでしたね。
戦争そのものに、いろいろな意見が出たのは素晴らしいと思います。あとは、ドラマそのものがどうだったのかな?
とても良かったと思います。
何か大切なことが伝わってくるものがある作品は素晴らしい。そういう作品ならどんなドラマにもある粗なんて気にならない。
弘哉君、存命なら90歳くらいか?
もし無事に帰ってこられたなら、戦後はハーモニカをキッカケに音楽に携わる仕事をしていたかもしれない。
もちろん他にもいろんな可能性があったでしょう。
しっかし、母親を残して・・・そもそも人の命を奪う、傷つける戦争にどんな意味があるんだよ。
犠牲者の数は「子孫繁栄」の観点からすれば、現在の人口にも大きく影響してるでしょう。
ただ、確かに多くの犠牲者は出したけど、敗戦して良かった。
そうじゃないと、国民は、いつまでたっても戦争の愚かさに気がつかなかったのでしょう。
コロナ禍で撮影が押してるから、五郎の心の葛藤と、信仰に傾倒していく過程がちょっと雑で唐突感あるよね。
でも、自分の心を優先したばかりに、梅や岩城さんを危険な目に合わせた事を心底後悔したと思う。
裕一を戦争加担だと責めた事も、自分にそんな事言う資格がなかった事を恥じているかもしれない。
悪いのは裕一ではなくて、裕一の才能を巻き込んだ戦争そのもの。
皆、その時その時に目の前にある大切な人や物を守るのに必死だった時代。
その時代の経験があるからこそ、日本は二度と戦争しないのだ。
週6日放送に戻して全話放送したらよかったのに。久しぶりに熱のこもった朝ドラを見てる。北村有起哉さんが一気に空気をかえた。わろてんかは力を出せる場ではなかった。エールでは存分に力を発揮してほしい。
もともと働き方改革の一環で始めた週5日放送。そこへコロナ禍。
感染対策にも気を遣い、スタッフやキャストの健康管理は最優先事項です。
なので週6日放送に戻したらよかった、なんて言わないで下さい。
視聴者の為にキャストやスタッフを命の危険にさらすなんて、国家の為に兵士達の命を虫けらのように扱う戦争と同じになります。
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