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私もゆうちゃんのシーンは 寄ってたかって オトナの都合を正当化して子どもに押し付けている 本当に気分の悪いシーンだと思った。 こんなに身勝手で偽善的な大人の理由で 小さな女の子を泣かせて、それをまるで心温まるシーンのように演出している脚本家に、なんとなく冷えびえとしたものを感じた。
家族の結婚式を挙げると自分で言っておきながら、突然 自分に素直になりたいからやめるというヒロにショックを受けて泣きじゃくる幼いゆうちゃんを 、大人たちが取り囲んで あーだこーだ説得。 ゆうちゃんが欲しかったのは ヒロというお父さんがいる(←謎)3人家族だったのに。 涙を流すゆうちゃんに 母親がかけた言葉は「早くオトナになりたいんじゃなかったの!」
可哀想すぎる。子どもが 子どもでいることも許されないなんて。 ゆうちゃんはなにも悪いことなんてしてない。 家族になってくれると言ったヒロの言葉を信じて胸を躍らせてただけなのに。 大人たちが よってたかって 身勝手で偽善に満ちた大人の事情を理解しろと迫って、ゆうちゃんは泣きながら それを受け入れる。 泣きじゃくるゆうちゃんを 聖母のような微笑みで抱きしめるヒロ。 ふざけるな!自分がどれだけ 幼いゆうちゃんを振り回し、傷付けたか!
そんなにまでして 一緒にいたいと言ったヒロとちょうじなのに、翌朝、また「やっぱり身も心もおまえを愛せない。オレを捨ててくれ」だとさ。 でもって、結局 結婚しました。 たくさんの人を傷付けたけど、とても幸せそうです。 胸くそ悪いわ。
こんなに軽薄でいい加減に ゲイとレズを扱ってきたくせに、最後に 現実に頑張って結ばれてる同性カップルたちに語らせて、体裁をつくる。あざといし、本当に姑息!
人に対する尊敬や愛情のかけらもない脚本だったんだと、最終回にして 思い知りました。
↑恐らく同性愛に対して偏見を持っているのは脚本家のほうではないでしょうか。
自分はストレートなので断定的な事は何も書けませんが、本当にゲイだったら絶対しないよねって事を超治は沢山していると思いました。
ヒロと水森の結婚の形も。あれではまるでヒロが奉仕で親子と一緒にいるようにしか見えませんでした。
この脚本家は、現実離れした変人や 極端な人、過激で ありえないな人物像が出てくる、突拍子もない つじつまが合わなくても誤魔化せるようなストーリーゆ描くことはできても、普通の人が 普通の暮らし、普通の毎日の中から 紡ぎ出すような物語を描く能力は 持っていないんだろうなと思う。
人た人が当たり前のように交わす心のやりとりや 喜びや哀しさが この脚本家には描けないから、特異な人物像と過激な流れで 注目を集めるよりほかはないんだろう。
だから、物語はいつも どこか破綻してしまう。 あえてそのようにしているつもりでも、本当のところは こんなものしか描くことが出来ないのだ。
脚本家自身が 自信家でありながら いつも どこかイラついてるのは、そんなところにも理由があるようにみえる。
このドラマでは 子どもがたくさん出てくる。ちょうじも幼稚園の園長代理で 子どもたちのため 頑張ってる ってのがウリ?だった。
だけど、このドラマに出てくる子どもたちは みんな 子どもらしさの欠片もない。 愛情ある母親も見当たらない。
ゆうちゃんって子が変わってるからといって、ゆうちゃんが一緒は嫌だとお遊戯会を全員揃ってボイコットする 幼稚園児、園長代理がゲイだからという理由で 、汚いものを見るような目で、園長代理を辞めさせることで全員一致する親たち。(レズであるゆうちゃん母を除く) ゆうちゃんを虐めるだけでは飽き足らず、足の悪いゆうちゃんのお母さんに 足をかけてわざと転ばせ、ニタニタしながら「スミマセーン わざとじゃないんでえぇ〜」と言ってのけた二人組は 小学一年生。 そんな子たちにに「いいの。これからもゆうと仲良くしてやってね」と微笑む母は 娘の気持ちをどう思ってるんだろう。そんな母に「しおりさんはどうしてそんなに優しいんですか」というヒロも。 そして あくまで息子たちは悪くない、謝れ という悪童の母たちにも 子どもへの愛情は感じられない。
話はずれるけれども ついでに、いつも無表情でひたすら食べ物を食べ続け 毎回毎回 「そんなだからブクブク太るんだ」と言われる兄妹役の体格のいい子役の子たちが、私にはかわいそうに思えてならない。
8話まで楽しんで観てきたのに、今 振り返ると 思い出すのは、大人に取り囲まれて 有無を言わせず ヒロと家族になれないことを説得されたゆうちゃんの泣き顔ばかり。 ヒロが自分から 家族結婚式を挙げると言い、翌日(かな?)には 自分に素直になりたいからって 翻意した。 ゆうちゃんの悲しい涙の印象ばかりが残っています。 もうドラマは終わったけど、ついつい、ゆうちゃんはこれから 大人を信頼することができるのかな とか ますます周囲に心を閉ざしてしまうんじゃないか とか 思ったり。 だから 最後に、評価 ☆1をつけて、このドラマとお別れします。
8話目まではまあまあ面白かったですが、9話目で気持ち悪くなってきました。
同性愛に偏見はないですが、異性が好きだった人がいきなり同性を好きになれるもの??
そんな簡単じゃないでしょう。
ここまで見てラスト見ないのも何なので一応見ましたが…
理解できなかった。
○○妻もこの脚本家でしたっけ。
あれも最終回で裏切らたし、今まで脚本家でドラマを選ぶことはしませんでしたが、改めます。
もうこの脚本家のドラマは見ません。
設定から作って、とりあえず作ってみて、途中から収集つかなくなって、最後までの話は考えてないだけだと思いました。
純と愛もそうだったし、
最終回でポエムを披露して言いたい事を全部セリフでキャラに言わせて終わりっていうやり方ばかりなので。
正直、脚本や映画やマンガはどれも昔に比べて質がよくなってるし
何より人の気持ちの流れを重視するように変わってる。
だから昔みたいに、ただ設定が奇抜なだけでは受けないんじゃないかな
遊川さんはマンガでいうとコミックの1巻だけ面白くて、途中からどんどん人気が下がり、最終回はグダグダっていう一番多いタイプですね。
遊川さんって脚本家の描くドラマは 私にはどれもこれも 思い出すと 気分が悪くなるものばかり。 今回だって 私の中に残ったのは、ゆうちゃんの泣き顔と、自分の気持ちを押し殺して超治を許す 保君の哀しい酔い姿、水森さんの絶望したような笑顔、、だった。
遊川さんって脚本家さんは 視聴者の興味を引くテクニックだけは天下一品だから、一旦 観はじめると、来週はどうなってしまうんだろうと エサにつられて 次も そのまた次も観るハメになってしまう。
だけど、終わってみたら 中身は空っぽで ただ なんとも言えない いや〜な気分だけが残る。
最初から観ちゃいけなかったんだと後悔。 ドラマを観ることにたくさんの自分の時間を費やすのに、感動ではなく空虚さだけが残って 、毎回 悔しい思い。
これからは遊川さんのドラマはチラ見すらしたくない。
駄作すぎて口あんぐりな最終回。
役者の吐く台詞がすべて思いつき、すべてが安直。
「やり直そう」「結婚式を挙げよう」
大人ならその場のノリで口にしたりできない。
言葉にする前に自分の置かれた状況や傷つけてしまう人のことを考える。
自分から提案した結婚をチャラにするとなればどんな突進バカでも何日も何日も悩む。
のに、なんですかあの図書館のシーン・・・学芸会かとおもった。
結婚を申し込んだ舌の根も乾かない内に全キャストの前で、やっぱり彼が好きだから結婚できないなんて思い立ったら吉日発言をさせる脚本家、さすがです。
安っぽい内容に音楽だけはそれらしく感動を煽ってて余計シラケタ。
確か、一年前に、ヒロが 『一緒にいるだけでいいと思ってたけど やっぱり 身も心も愛されたいから これ以上 一緒にいられません 』、、っていうんで出てったんだったよね。
だもんで ちょうじは保を自分の世界に引き込んで、ヒロはたいした覚悟もないくせに レズビアンの水森さんと恋人になりゆうちゃんに父になる 家族になるーと告げたよね。
なんだけど ちょうじと再会(と行っても ヒロの職場もちょうじの家もそのままなんだから、結構な近場で暮らしてる)したら 、 『 一緒にいられるだけでいい 』ってなって、ご丁寧に、水森さんとゆうちゃんに、結婚式をしましょうと直前に告げておいてからの やっぱ無理宣言ときたよね。 『やっぱ 一緒にいるだけでいい、身も心も愛されるとか ナシで別にいいわ 』てなったね。 一年前になんのために別れたんだか。
ずっと ヒロの心の氷が溶けていくのを見るのが 楽しみだった。
でも、心の氷 溶けたら、こんなに薄気味悪い女が出てきちゃったよ。
三カ月前の自分に教えてあげたい。「このドラマ観続けても 後悔するだけだよ!」と。
毎週感想を書いてきました。
先週「遊川グセが出る予感」と書きましたが、案の定。
しかし、ほんとに9話以降は遊川さん本人が書いているのか?と本気で疑う。
セリフがね、違うんですよ。
言葉の密度も重さも8話までと違う。
8話までの優秀なスタッフと演者が突然変わるわけがないのに、なぜにここまで別ドラマのような内容になってしまったか?
ここからは感想とは言い難いですが、疑問を明らかにしたいので書きます。
以下のどれかが起こってしまったのではないかと想像しています。
(1)8話まではプロデューサーか監督の意向が強く働き、遊川オリジナル脚本に誰かがそうとう手を加えるか、遊川氏に暴走しないと約束させて、良いものになった。→しかし9話以降は好きにしてよいと密約?
(2)9話以降は弟子か誰かに書かせた?
(3)最初から最後まで遊川氏オリジナルだが、「俺はここまで書けるんだ」と8話まで見せ、9話以降は意図を持って視聴者をもてあそんでいる?
…こうでも思わないと、大人が大勢集まって作っているドラマだとは信じられません。
誰か死人が出そうな最終回予告でした…
この最終予想が外れることを、心の端っこで願います。
本気で祈ったら、当たったときのダメージが半端じゃないですから…
俳優人はいいのにね。
やっぱり、無理矢理感が出てきたね。
どういうバットエンディングになるんでしょ?
伏線などない突然現れる通り魔にでも刺されるとかかな(笑)
遊川はつまらんね。もう、この人に書かせないで欲しいよ本当に。。。
なんだかいろいろからまって こんがらがって、同じところを堂堂巡りし始めたような気がしています。 ◯◯妻を観ていたせいか、もしかしたら 脚本家さんの頭の中には また、登場人物たちがこれからどうなるか どうするか なんてビジョンなんてないんじゃないか と不安になります。 最終回まで 客(視聴者)をつなぎとめておければそれでいい というドラマは もうご免です。
1、2話続けて見たけど、
偽装結婚さっさと断ればいいしなんでグダグダ引っ張ってんの。
子供のくだり毎回やるのいらないよ。
関わらなければいいのに。ご都合主義だよ。
としか思えなかった。
これ落とし所が残念なドラマな予感しかしない。
このページの右の検索から
○○妻
を検索。
評価見てもらえれば、このドラマも後味が悪くなる可能性大です。
途中で奇を衒う内容でおもしろい風に見せて、
結局伏線回収もちゃんとせず放置、あると思います。
もしくは、え?こんな事で人間こんな風になる?と言うような。
僕はとりあえず撮りだめて、最終回のみんなの感想次第では
みようかと一応思います。
いまごろは、ヒロと超次、別れてるんだろーなー。で、超次はまた 新しい男みつけて、ヒロはまた 私 心を閉ざしてます ってやってるんだろうなー。。。。 と思えてならない。
保くん、ゆうちゃん、水森さん、、、、脇役はただの道具扱いのドラマだったなぁ。 後味 悪すぎて、、、。 結果的に、いやなドラマになっちゃった。
遊川和彦ってもう終わってるのかもね。昔はそれなりに面白い作品残してきてるけど、個人的にだけど、近年でこの方の作品で面白いと思った作品は「曲げられない女」くらいだわ。導入は良い作品だったのに最終回の悪い意味での裏切り?「純と愛」思い出したわ。
第9話があまりにも衝撃的につまらなくなったので観る気が失せてしまい、最終回観るのが遅くなってしまいました。脚本家の意図は十分伝わってきましたよ。想像通りだったけどね。そういう意味では成功なのかもしれませんが、いち物語としては残念過ぎる。8話まで面白かっただけに余計だ。伝えたい事を面白く盛り込むのが脚本家の仕事でしょうよ。それがハッピーエンドだろうが、そうでなかろうが。がっかりだわ。
>同性愛者に対して偏見がある人にとっては許せない内容でしょうね。
本質がズレてますよ。
偏見が邪魔してドラマを受け入れられなかったのではなく、単純明快に内容=脚本への酷評だったと思います。
私には純愛や○○の経験から、批判が起こった時の言い訳のスケープゴートとしてこの題材を選んだという狡賢さがあったように映ります。
何を言われても「偏見があって中々こういう題材は理解されなかった」で済みますからね。
本当に同性愛を扱ったドラマで何かを伝えたかったのであれば、もっとその人達の事を知ろうとしたと思います。
この人の描く同性愛者はステレオタイプの、きっと世間が同性愛の人ってこんな感じよねと想像するそれと大差なかった。
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