5 | 77件 | ||
4 | 20件 | ||
3 | 7件 | ||
2 | 3件 | ||
1 | 28件 | ||
合計 | 135件 |
生徒役の子たちが熱演していて、引き込まれる。
高柳も、正解をわかっているわけではない。
ただ、正しく向き合おうとする真摯さが毎回しっかり伝わる。
いち子、クラスメイトの異変にすぐに保健室の先生を呼びに行く機敏さがえらいよ。
人の痛みがわかる優しい子なんだなって、いとおしく思えた。
生徒達は、学校に知識を得に来ているように見えますが、実は、人との触れ合い、人との絆、知識よりもエモーショナルなもの、情緒を求めに来ているのだと確信させられた回でした。
高柳、生徒にも丁寧語、敬語、これはいいですね〜。好感がもてます。
私も呼ばれてみたい⁉️
今回は泣けた。心身の愛を知らずに育った二人の間に生れた愛情に涙が出た。そして、高柳先生もまた悩める生徒の一人だった事。
個人的にこういう話しに正解は無いと思っているし、人それぞれ解決策は違うと思っていて、考えるだけ無駄だと思いその場しのぎの対応をしてしまっている。今まで生きてきた経験から出した、今現在の自分の答え。高柳先生は答えを出すのか。そんなに苦しむくらいなら出さなくていいと思うけど、答えがあるなら見てみたい。
教師は子どもたちに対して平等でなければならない、それは正しい。
教師であるからこそ、できることに限界がある。
高柳はあの子たちを救えなかったかもしれないが、二人の強い思いのこもったハグがお互いを救ったのかもしれない。
結果オーライ、と言えば軽く聞こえるが、それでいいのではないかと思う。
教師は万能ではないから。
私は、高柳の大学の先生?の話に共感した。
その場しのぎの、持続できない優しさでは、根本的に何も解決しない。
現実は金八先生やヤンクミとは違う。
教育のみならず、あらゆる状況で、そういう視点は大事だと思う。
あの男子は、保健の先生にも心開き、ハグを求め、保健室登校。高柳にも、同じく。
独占力、甘える、まだ幼稚なのだろう、考え方が。学力ではない。自分の範囲内を広げてのハグ、君も悩んでいたんだねというハグだったのか。
彼の問題は、一回で終わるような事ではないと思う。学校は子どもに社会性を身につけさせ、自立させ、社会に羽ばたかせる所だから。来週は違う生徒に焦点があたる。
1時間欲しいドラマ。
学生ドラマは嫌いなんだけど、このドラマは続けて観てしまうんだよねぇ…。
都幾川くん、『風と木の詩』のジルベールに少し似てる。母親の愛を受けずに育ったとか。顔が綺麗……💓。ジェームス・ディーンの映画も思い出した。確かジミーは早く母親を失い…。
心身二元論… “心と体” というテーマは『子ども科学電話相談』にも有る。
コミックを見て、面白くて引き込まれてたので、
ドラマも見ていますけど、先生の役作りはまあまあ良いと思いますが…?
生徒役の役者さん達が、ちょっとイメージと違い過ぎるかなぁ(^^;
演技は頑張ってると思いますけど、コミックの独特の雰囲気とは 明らかに違うので、そこまで引き込まれないです⤵️
ドラマだけしか見てない人は、それなりに面白いドラマだと思いますが、私は 無理でした.。o○
テーマは悪くないと思うが、ドラマとして見ると
やはり面白さに欠ける。山田の演技も惹かれるものがない。
「なつぞら」の演技で評価されてこの役が回ってきたという山田君。
抜擢した人とは話が合いそう。
私も彼を「なつぞら」から評価していた。
彼は縁起の幅の広い人と思う。
誰かのことを咎めるためにいるのではない倫理の先生。
誰かのことを「お前のためを思って忠告しているんだ」と言わない先生はとても貴重な存在。
どんなに言葉を尽くして語り合っても、理解し合えたと思うのは幻想。
じゃ、理解し合えないと感じる相手は、どうなんだろう。
理解とは何なんだろう。
理解し合えたと感じるのは、もしかして、自分にとって心地よい言葉が聞けた時?
本来、自分自身が一番の理解者であるはずの自己。
人間は、誰しも自己を肯定しながら生きている。
自己肯定感が無いと、生きていることが辛くなり、生きてはいけない。
でも、自己否定も無いと、自己を省みることが無くなってしまい、社会性は保てない。
自己肯定は自分自身の為のもの。
自己否定は社会人として生きる自分自身の為に存在し、他者目線を必要とするもの。
自己肯定と自己否定を繰返しながら、人は生きていく。
理解し合えたと感じる時は、その自己肯定感を刺激された時。
理解し合えないと感じる時は、自己否定感を刺激された時なのかもしれない。
自分に対する言葉は、常に、他者から発せられる。
その中には、自己肯定感を刺激する言葉もあり、自己否定感を刺激する言葉もある。
自己否定感を刺激される言葉を受けると、人は傷付き、反発する。
それは、当然の摂理。
だから、言葉は難しい。
ドラマに出てきた曽我君は、言葉を発しない。
言葉を発しない相手といると、人は自問自答に陥る。
自問自答には明確な答えはない。
前回、「言ってくれなきゃ、何も分からない」と口にしていた高柳。
でも、言って貰ったところで、結局、何も分からないのかもしれない。
人は、自分自身の中にある知識や経験でしか、物事を捉えられないものだから。
自分が経験したことのない感情は、頭では理解が出来ても、その本質は理解出来ない。
本質が理解出来ていないから、理解したつもりになって口にする言葉は、その他者自身とのズレが生じる。
人に対して向ける言葉は、常に、その人自身とはズレがあるということを、人はいつも頭に置いておかなければいけない気がする。
言葉は理解を促進する助けになる一方、理解を妨げる要因ともなる。
言葉を介しない曽我との交流。
そこで生まれるものには、言葉による理解の妨げはない。
無論、言葉による理解の促進や確認も無い訳だから、相手のことは本当には分からない、という謙虚さを常に持つことになり、自分の考えたことは本当にそうなのか?と思い、自問自答しながら言葉を発し、接することになる。
自身を省みながら慎重に発する言葉。
その慎重に発した言葉は、その通りではないかもしれない、との思いを相手に伝える。
相手のことは、自分には本当には分かっていない。
そう自分を諌めながら人と接することが、他者との望ましい関係を築く第1歩なのかも。
だから、曽我君も言葉を発してくれたのかもしれない。
どんな人でも緻密な部分を持っているんだなと感じさせてくれるドラマ……原作も少しだけ読んだ。
今回はほっこりさせてくれる話だった。
資料室での曽我くんのはにかんだ笑顔から、あの後覩二人は言葉を交わしたのではと想像する。
友達が多ければいいわけでもないと、最近よく言われるけれど。
静かに自問自答、自省している人もいる。
饒舌に話をしたところで、人を理解することは難しい。
気づきたい、と真摯に静かに語りながら、ぐいぐいいかない高柳は信頼できる存在なのだと思う。
話しかけてもうわの空な高柳に、さりげにチョコをくれるいち子もそう。優しい。
いち子と一話の彼はほのぼのさせてくれるいいコンビ。
いち子、予告でいじめられてるっぽいって言ってたけど、気になる。
録り溜めの5話・6話を連続視聴。
どちらも教師としての自らのポリシーを貫こうとする高柳の限界の自覚を描いた回。しかし生徒たちはそれぞれの肌感覚で見つけ出した脱出口を使って解放されていく…保護されるだけの存在としてではなく、ある時は癒やし合うことにより、ある時は他の生徒の価値観から何かを感じ取ることで。
物語であるがゆえに着地点は必要なのだが、現実のそこに分かり易く絶対的な解決策など存在しない。却っては、生き方に正解は無いが、確かなのは自ら学びそして考える続けることを止めてはならないことだろうか。
高柳が最後の授業で何を語るのか楽しみだ。
このドラマで「倫理」が「道徳」とは違うことを知って実際に学ぶ学生さんが増えたらいいなと思っています。
倫理に興味を持てたなら、次はEテレの「百分で名著」がおすすめです。
高柳先生の授業以上にわかりやすい内容です。
今週は震災関連です。
心に沁みる回だった。
場面緘黙なのかな?
あの男の子は。
高柳は、あの男の子に寄り添おうとして、自分が癒されていたように感じた。
鏡は自分を映すけれど、何も語らない人を前にすると、人は自分自身を露わにしてしまう。
その通りに、いつになく饒舌な高柳。
曽我君に話しかけているつもりが、いつの間にか自問自答。
自分は生徒に必要とされてないのではないかと悩む高柳だったけど、静かな自問自答の時間が高柳を癒していく。そんな雰囲気。
答えは、いつも自分自身の中にある。
そして気付く。
こうして自分が、自分自身らしくいることの大切さを。
場面緘黙を、言葉をとても大切にしているから、と表現したのがとても良かった。
そうなんだよね。
言葉が無い方が分かり合えることもある。
人を理解するのに、言葉を尽くすことはかえって邪魔になったりもするから。
昔、誰か小説家が言ったのか、何かの小説に出てきたのか、「男性にとって、一番理想の女性は唖(おし)である」と読んだのが、いまだに忘れられないでいるけれど、確かにそうなのかもしれない。
その言葉が意味していたところは、煩くないとか、煩わしくないとか、確か、そんな意味の言葉だったけど、
相手からの言葉が無いと、人は自分を省みるしかない。
自分を省みて、人は、自分にとって大切なことに気付くし、自分自身でもいられる。
話しかけても何も返って来ないというのは、結果、自分自身を見詰める作業。
人間には、そういう時間が絶対的に必要なのだと思う。
そして、自分らしさをきちんと取り戻した時、人は、人ときちんと向き合うことが出来る。
高柳も、もう一人の男の子に、「自分を大切に」と伝えることが出来た。
今回のドラマ中に出てきた「他者への没頭は、自分からの逃避である」という言葉とは逆の状況。
他者のことに心が奪われている時、人は、自分自身を見詰められない。
自分自身が見詰められないと、決して心は穏やかにならない。答えも見付からない。
自分にとっての答えは、自分自身で見付けるしかないもの。
自分自身の中にだけ、自分にとっての答えがある。
教師は生徒に何かを教える仕事ではあるけど、実は、生徒から教わることの方がとても多い。
高柳も、生徒から教わったんだね。
お互いに相手を尊重し、お互いに教わる。
とても理想的な教師と生徒の関係だと思う。
ところで、もうジュダは出てこないのかな。
ジュダを演じた成河さんに、また会いたい。
このドラマが初見だったせいか、顔がよく覚えられてなくて、前回の高柳の先生が成河さんに見えたり、先日の「レッドアイズ」に出てきた瀬川を演じた役者さんが成河さんに見えたりしている。
ジュダも、今回出てきた場面緘黙の男の子同様、高柳が自分自身を省みなければならない相手だった。
2人、高柳に対する接し方は真逆だけれど。
ジュダは、弁舌巧みに高柳を激しく追い込む。
今回の男の子は、全く言葉を使わず、静かに高柳自身が穏やかに自分を省みる。
このドラマ、生徒の問題を扱うドラマでありながら、実は、高柳自身の物語なんだとあらためて感じる。
教師も生徒も同じなんだよ。
お互いに未熟なんだよと、この物語は語っている気がする。
いいドラマだと思います。終わり方が高柳からの決めつけではなく、オープンエンドも視聴者に投げかけ、視聴者ともコミュニケーションが取れるドラマ、真剣に受け止め視聴しています。
しかし、高柳があまりにも子どもの人生や悩み、家庭に入り込み、自分を見失わないか心配です。教師は一に体力、二に精神力だと思います。
道徳は社会全体における善悪の判断基準を指し、倫理はある特定の集団や職業における善悪の判断基準を指す。「善悪の判断基準を指す」は同じ事。私なんかは同じことだと思います。
高柳の指導とこのドラマのタイトルが抜群にいいのは、授業で、生徒達に話し合わせたり、授業以外での場を捉え、「ここは今から倫理です」とやったりする所です。わかりやすくていいです。学校生活全てを受け入れて、アドバイスする姿勢に共感します。
が、授業以外の場面でその問題に入り込み過ぎていて、自分をコントロールできているかが心配です。
喫煙シーン、無くなりました。喫煙自体は否定派ではありませんが、校内から丸見えは、高校生にとって倫理的にはよくありませんね、
今夜は楽しみ、最後の授業です。
山田に魅力が無さすぎる
少し派手でギャルっぽい子。
物語状のキャラとしてはとても良くて。
ただ、演じてる子が少し…
この役やるにはもう少し役柄を理解してる子。もう少しお芝居が出来ないと難しい。
そこだけ少し勿体ないが、他は概ね好評価。
チャットのグループから外れて、仲間はずれにあう。
よくあるいじめのパターンだけど、「集団主義」と「個人主義」の観点から客観的に考えようとする興味深い内容。
思春期に同じような悩みを持つ子は多いと思うから、来週このドラマなりのなんらかの指針のようなものが示されることに期待する。
このドラマのメインの子どもたちはみな役にはまっていて、引き込まれた。
今時の学園ドラマでは群を抜いて素晴らしかったと思う。
山田さん、ちょっと変な役ばかりやってたけど、こういう役のほうがいいですね。
ただ職員室やクラスにいいなあと思える人がいないのが残念です。
高柳先生、生徒の抱えている悩みに気づき、そこで自分の考えを押し付けたり伝えたりするのではなく、それを倫理の授業で生徒達に投げかけ考えさせる、ここが素晴らしい先生だと思います。気持ちのキャッチボールがきちんとできていて安心して授業を受けていられる、目指す教師像そのものだと思います。今回は課題を投げかけて終わりましたが、来週、どんな授業展開になるのか楽しみです。
ラストは、視聴者に「あなたは個人主義ですか。全体主義ですか。」と問いかけましたか。全体主義と言うと、政治思想が入りそうですが、高柳センセ、人間そんなに割り切れないわよ。しかし、生活を振り返りよく考えてみます。
え?いちこのクラスのように、今の高校生は体育祭の件でチャットをするのですか、超短文で。近くにいるのだから声をあげればいいのに。昭和の高校生は、あのようなまとまり方はしませんでした。驚き!あれで心の繋がりができていると考えるの?今どきの高校生もなかなか大変ですね〜。
このドラマは大人の間でも話題になっています。頑張って、高柳センセ、生徒さん達‼️
チャット…抜けたいよね~~
最終回、楽しみにしています
私も群れるのは嫌い。
みんなで〇〇しよう!みたいなノリにはついていけないし、妙に白ける。
私も個人主義?
そんなつもりは全く無いけど。
日本だと、個人主義と聞くと、和を乱すとか、自分勝手のようなマイナスイメージが先行するけれど、それは、個人主義とは別物だと思う。
本当の個人主義は、自分の意思をきちんと持っていて、相手の意思も同じように尊重する主義のことなんじゃないかな。
人は皆、其々違う考えを持っているはずだから、同調出来る部分もあるし、同調出来ない部分もある。
他の人が否定しようと、他の人と違ってようと、自分は自分。
自分も含めた周りが否定しようと、自分達とは違ってようと、その人なりの考えがあるならば、好きにすればいいと思う。
周りに合わせないこと自体を、誰もとやかく言うべきじゃない。
その人は、自分を大事にしてるだけなんだから。
群れたい人は群れたらいい。
でも、群れたくない人を責めたり貶すのは間違ってる。
群れたい人も、群れたくない人も、お互いがお互いを尊重出来る社会だといいな。
和を乱すとか、自分勝手という概念は、群れたい人達の勝手な言い分。
乱そうとして乱してる訳じゃなければ、他の人に迷惑をかけようとしてそうしてるのじゃなければ、何も悪いことなんかじゃない。
寧ろ、群れたい人達が、群れたくない人に、協調性という言葉を盾にとり、集団という名の暴力・威圧をかけているとすら、私には思える。
個と集団と、どっちが大事なんだろう。
個が無ければ、集団も作られないのに。
集団の為に、個が存在する訳じゃないのに。
集団は、個が作り出しているもの。
それなのに、それを忘れていつの間にか、集団だけが一人歩き。
個が集団に縛られている。
これは、日本独特のもの?
学校は、その"集団"を教え込む場なのかもしれないなぁ。
義務教育がすっかり浸透している日本の社会。
大抵の人間が、家庭から出て、初めて接する集団社会が、学校。
まぁ、その前に保育園や幼稚園もあるけれど。
保育園、幼稚園、学校と、人は、自己が確立する前に、集団社会と出合う。
そして、その集団社会で生き抜いていく為に、協調性を身に付け、自己の確立の中に取り込む。
生き抜いていく術を身に付けようとするのは、人間の本能的な部分。
だから、協調性を身に付けるのは、別に悪いことじゃない。
でも、それはあくまでも、集団社会の中で生き抜いていく術でしかなく、そこに善悪はないはず。
10代の時期は、まだ人生経験が少なくて、様々な価値観に触れる機会も少なく、純粋培養の中で生きていることが多い。
その為か、集団生活の中で知ったこと、教え込まれたことを、あまり疑問を持たずに信じ込むことが多いように思う。
だから、集団から少しでも反れた者に対しては、その者を否定、排除しようとする思考に陥りやすい。
でも、人生経験を重ねていくと、多種多様の価値観に出合う。
ある集団の中では是とされたものが、他の集団の中では否定されることもあり、是とは言い切れないことにも、段々と気付いていく。
この話の舞台は、高校3年という、大きな社会に出ていく直前の生徒達。
その時期に、個と集団について考えることは、とても意義があること。
次回は最終回。
どんなことが描かれるのだろう。
因みに、個人的に感じることだけど、人は年齢を重ねるにつれて、集団の呪縛から解き放たれていくように思う。
まだ自己が確立していない時期に教え込まれ、取り込んでしまった「集団」の呪縛。
その呪縛から逃れられるには長い年月を要する。
生まれたばかりの時は個しかない。
それが集団大事の時期を経て、死期が迫ると、誰しも個の大事さを痛感し、また個に戻る。
個の大切さ。若い時期にこそ気が付いて欲しい。
個は集団で磨かれる。集団は個で高まる。この連鎖が円滑にいくかどうかだと思う。ドラマは負の連鎖になっている。
それをどう変えていくか、高柳のアドバイスといちこの判断、クラスメートの受容が鍵だと思う。
高柳はどんなアドバイスをするのだろうか。
どの回もテーマがいい。
視聴者に投げ掛けてくれる。
凄く良質のドラマだと思います。
最終回の展開が楽しみです。
今期一番のドラマ。
最後に視聴者に問いかけて終わる、よく練られた発想だと思う。山田さん、穏やかな役が合っていると思う。
残念は、生徒の中で魅力ある子がいない。
完全にはまりました。数年ぶりに連ドラを見続けています。
毎話とても良い余韻が残り、思考しています。
次回最終回ということですが、もっと見たい。そんな気持ちです。
終わって欲しくないドラマの一つです。高柳先生の抑揚のない話し口調がツボで、それを聴いているだけでもドラマに引き込まれます。毎回自分も生徒になった気分で視聴しています。
再放送してほしい 土曜日深夜は観られない(:_;)
NHKは無料配信ないのかなあ NHKプラスは嫌な思いしたのでやんないの。
高柳先生は、答えを生徒個人個人に考えさせ、話し合わせ、そして自分の考えを押し付けずに、心に響く言葉を投げかけ、オープンエンドで終わる。ここが倫理の先生らしく、いいです。
穏やかな雰囲気の中で、自分を見つめさせる時間がしっとりと流れていき、こういう授業を受けてみたかったです。
生徒たちの個性が光っていていい。
高校生だということもあるかもしれないが、高柳先生のように生徒をさん付けで呼び、
敬語で接するのには大賛成。
お前呼びや命令口調などもってのほかだ。
このドラマは丁寧に研究され、丁寧に制作されていますね。
私は、昨年、NHKの同じ時間帯、不定期のドラマ、菅田将暉さん出演のを見逃して、NHKに電話しました。その翌日と翌々日に再放送してくれましたよ。私のためだけかなぁといい気分でした。
これは連続ものですけど、連絡してみてください。番組表を見逃さないように、ね。深夜枠にやる事もあります。春休み、コロナ、きっと再放送があるとは思いますが。
高柳先生、いいですね。雰囲気があります。嫌いだった詰め込み式の倫理の授業、高柳先生でおさらいしています。生徒の質問一つ一つに真摯に応える高柳先生のファンになりました。しかし、顔がパッと浮かばない、歳かな⁉︎
倫理の時間、俺は寝ている。つまりそういうことだ。このドラマのような魅力的な人はこの世に、学校にはいない。
倫理を学んだらNTTから接待受けるような姑息な大人は皆無になるのか?
とても良いドラマだと思う。印象として押しつけがましくなくて、高柳先生も自然体で観ていて心が落ち着く。あんな先生がいて生徒と向き合ってくれたら、救われる生徒もたくさんいるのではないかと思う。高校のとき倫理社会はあまり真剣に勉強しなかったから宗教的な印象しかない。もう一度勉強したくなった。
エンタメ性を追求できない日本ドラマの行き着く先は
例えばこのドラマのような「お話しようよ」系しかない。
いろいろな世代のいろいろな環境の方が見ています。若い頃はエンタメが好きでしたが、今はEテレ、NHKが安心して見ていられます。NHKドラマは最近冒険していていいです。寝る前の睡眠導入剤みたいの。
今夜は録画しましたから、後日書かせていただきます。最終回の山田裕貴さん、じっと見て、自分も教わります、人生を!
中庸主義かな。
個人でも全体でもないし、個人でもあり全体でもある。いいとこ取り主義(笑)
若い頃は、周りに合わせないと生きづらいよね。
大人になっても、中々大変。自分の価値観押し付けてくる人、沢山いるからね。中庸で生きたくてもそれは理想で、上手くはいかない。
結局、子供で柔軟性のないわがままな人に合わせていくしかない。
最終話まで全て見ましたが
山田裕貴さん カメレオンだね!
凄いよ! あなたのこの作品は代表作品として
ピカイチですよ!
デビューした時から シンパシーを感じる人
って見てたけど かなり凄い!
この題材の作品に出てくれて嬉しいですね!
これって 続編出来ますよね!
山田裕貴さん 独特な演技又見せてください。
あなた自身は どこにいるのかな?
宇宙のどこか?
ある時は全体、ある時は個人主義かな?
時と場合、だな。
高柳先生、雰囲気はあるが。一日中あのスタイルならば、本人は疲れるだろな。今夜は最終回。見る!
今夜最終回ですね。再放送を深夜やっていました。
連投します。お先に先行投資‼️高柳の授業、理想の授業体型と感じる。大学のゼミみたい。「個を大切に」と叫ばれて久しいが、まだ、詰め込みばかり、十羽一絡め的な授業の中で至極いい。倫理の授業だからこその特性を生かして、生徒の呟きを吸い上げ、自分の考えを少し入れながら、軌道修正!
サイコー!今夜は録画して、オンタイムで見ます。
一つ、3年生だからあの授業体型はいいだろうが、一年生はあれでは話は進まないと感じる。私の頃は2年で倫理。しかも詰め込み、半分は先生の好きな岩下志麻さんの話を何回も聞かされました。倫理=岩下志麻さん、となっています。
とても素敵な最終回でした。
生徒たちの話し合っている 言葉の一つ一つが 様々なことに 通じる言葉だったような気がします。
いち子の告白に「もう結婚は懲りたから」と答えた高柳先生は、いち子を生徒ではなく一人の女性と扱い、対峙していました。
そっかー 高柳はバツイチだったのね という私のつぶやきはともかく、 喫煙所でへたり込んだ高柳は良かったなぁ。
生徒の成長にタジタジとなった高柳。
そうなんです。生徒はいつも教師を追い越していくものなんです。
いち子は素敵な女性に成長しましたね。
教師はいつも残される側。 送り出す側。
でもきっとそれでいいと思う。
生徒を成長させることが教師の仕事なんだから。
最終回、作り手側の意向としては子供たちに「群れる必要はない」というメッセージのようなものが受け取れますが、もっとも大人として受け取るべきは、全体主義的な流れの中で生きにくいものを感じさせてしまう世の中の構造に着目すべきかと感じます。
(このドラマの最終回では話せる友達がいることで救われているように感じるが、現実問題それが難しいから孤独の問題が昨今議論視されているかと)
こういうことを考えている子供たちがいるということで未来は安心だという老婆心を持つのもなんか違う気もしますし。
そういうことを考えると、なかなか個人的にはアウトプットできていないように感じるのでそういう意味ではこのドラマは失敗かと、、、
子供たちにとっては哲学は入りやすい内容だけど、個々で扱ったテーマがひどい、というか重い
(だから取っ付きにくくなってはいないかと老婆心ながらちと思う)。
だからこそ、最終回で扱われたSNSに「戻るべきかどうか」という、高校生に分かりやすいことを議論させるということで帰着できた最終回は良かった。
それでも、生徒たちにさまざまな背景があって初めてスタートラインに立てるという、本当は第一話が始まっていない状態。というかこれが社会(なんだと思うと怖いですが)。
まじめに倫理を教えることの不確実性に向き合わないと本当に効率ばかりや損得や利益優先で中身がなくなっていく。
もっと話し合うべきことはあるということを、この3,11近辺になって個人的に感じていった週だったので、ちょっと関係ない話になってしまったかもしれませんが理解ください。
円陣を組んで、個々の友人の顔を見て、一つの問題を話し合わせる、高柳もその輪の中に座り。カメラワークも上から撮り効果的だった。考え過ぎかもしれないが、輪、和を感じさせ非常に良い場面であった。
スマホ、パソコンの普及、リモートワーク、コロナ渦によってか、面と面を突き合わせて話す事が少なくなりつつある昨今、直接話し合う重要性を感じさせてくれた。
普及してきた究極のモラルジレンマ授業にした点も良かった。チョイス!させる。現実は全体に流されてもいい事、個人の意見を通さねばならない事、いろいろだろうが、その選択の原点として、これから社会の一員としてぶつかる難問をどの観点から選択していくのか、他人はどのような考えからそれを選択したのかの、スタート授業として興味深かったです。
いちこの告白に対する高柳の丁寧なお礼とお辞儀、あそこにまいっちゃうんだよね、女性は!直後?喫煙室でへたり込む高柳の心中は女の私には分からなかった。卒業生を送り出した達成感と少しの寂しさ?いちこにバツイチと効果的な嘘をついたからか?誰をも襲う別れの寂しさか?
チャットで繋がる?これがわからない世代でよかった、かな?あれは、しなくてもいい業務連絡だと思います。
いろいろ学びの多いドラマでした。山田さんは目が素敵、それからあの抑揚のない声もいいです。
全てにおいて中途半端だった
結局、倫理学からは程遠い脚本だった。
人はどう生きるべきか?
人はどう幸せを作るべきか?
等、社会主義や資本主義、マルクスらを教えてからの3年ラストの授業シーンが続き、ラストは今までの学びから自分達の身の周りの問題を話し合わせる、理想だ。
「チャットから抜けるべきか?」を話題にしていたが、ラストとして、どうだろうか。
とても良いドラマでした。
現実がこんなに上手く話が進めばイジメなんてなくなるのになぁと思いました。
晩秋の暮れゆく教室の空気感や、受験会場へ向かう時の孤独感は、昔も今も変わっていないようで自分もその頃の感情が掘り起こされた。
そして卒業。「豊かなひと」という単語をいち子は告白に用いた。これまでずっと「好き」の感情を撒き散らしていただけの彼女が、高柳を敬愛する理由、そして自身が目指すべき姿を言語化したもの。そして反論で師にダメージを与えられる程に彼女は成長した。
ただ受け容れられぬことが判っていても止められないのが切ないし、高柳はどう応えても汚れ役になってしまう皮肉。
ラストのコロナ禍の描写は卒業の何年後なのだろう。今の日本には身近な現実なのに妙に異物感。ニュースで頻繁に映し出されるような通勤風景の雑踏に凛々しく立つ彼女で物語は閉じられた。
スポンサーリンク