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新人女性プロデューサーが、「新しい時代のドラマ」作りに臨む物語
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最終回。
ハルをやってる女の子の表情がよくなってた。
ハルの髪型は、ドラマの進行に合わせて良くしていこうとする試みだったの?
でも、最初から%の最後の撮影のような髪型にした方が良かったと思うんだけど。
「障害者が健常者を傷付けることもある」という台詞を出したのは良かった。
ただ、それを何かのエピソードにして出してほしかったな。
にしても、甘い最終回でいただけない。
吉澤という主人公の女の子の言動、およそ社会人とは思えないんだけど、あれを許してしまう優しい周りがファンタジー過ぎる。
最後をうまくまとめようとしただけに見える最終回にがっかり。
結局問題が解決してる訳ではないのでならば、厳しいことを突き付けるような問題提起型の終わり方の方がまだ良かった。
社会も人も、現実はそんなに甘くない。
障害者が絡む話だと綺麗事のドラマにしてしまうことを”感動ポルノ”と言うのだと、このドラマの台詞で出しているにも関わらず、結局は、このドラマも感動ポルノになってしまっている。
評価の星2は、障害者を主題にした内容を企画放送したことに対して。
ドラマ内容の評価は星1でもいいくらい。
最後を皆の笑顔で終わらせればそれで良しとする傾向、いい加減、どうにかならんのか。
だから感動ポルノという言葉が生まれてしまうんだと思う。
5/16(5/19再放送)にEテレのバリバラで「ドラマ パーセントの前代未聞!」という回をやっていたのを知り、今更ながらバリバラの方を見てみた。
バリバラでは、このドラマに出演する障害者を選ぶオーディション(演技の経験があって心身に障害がある人という条件で、100人以上の応募があったらしい)の様子や、オーディションで選ばれた当事者数人と番組プロデューサーをゲストに迎えて撮影の様子の紹介をしていた。
その中に映っていた和合さんは、演技以外では生き生きとした表情をしていて活気があった。
ドラマでの演技は、撮影前の台本読み合わせのときのような感じ。
やっぱり、演技力不足だと思ったし、現場慣れしてないこともあったかも。
バリバラでは、元々舞台役者として活動していて視覚障害を患った女性と、聴覚障害の女性、事故で左側に麻痺の後遺症が出た男性が出演。
3人とも、ドラマとは比較的にならないくらい、生き生きとしていて自然な表情と話し方。
当事者を使って撮影するに当たってのスタッフの準備や配慮、当事者がドラマ出演に当たって苦労した点や戸惑った点等、バリバラの内容は、ドラマよりよほど興味深かったし、これをドラマにそのまま落とし込めば面白い内容になったのにとも思った。
このドラマのプロデューサーが話していたけど、何しろこんなに当事者を起用するのは初めてなので、やってみてはじめて分かったことが色々あるとのこと。
それは、当事者の人達も同じだったと思う。
ノーマライゼーションという言葉があるけど、ドラマ制作に於いて、日頃から当たり前のように様々な心身障害者を起用して(勿論、演技力をある人であることを前提として)、障害がある設定の役だから障害の当事者を使うという発想ではなく、普通に障害がある人もそのへんにいる社会という発想で、障害に焦点をあてるのではなくて、登場人物の主要キャストの中に、ところどころに障害がある人を普通に登場させるようなドラマを制作するようになってほしいと思う。
健常者が障害者を演じるのと同じように、障害の当事者が、その障害に焦点をあてることなく普通の役を演じることもあるような、そんなドラマ制作現場であってほしい。
そういう現場を増やしていくことで、障害があっても演技力を生かせるような役者さんが世の中に出てくるようになるのではないか。
ドラマの登場人物に障害がある設定の役がある場合、どうしても、その障害に焦点をあてたドラマを作りがちだけど、焦点なんかあてなくてもいい、時にはそういう設定の役が悪役でも極悪人でもいい、そういうドラマの制作現場。
それが、本当のノーマライゼーションのあり方だと思う。
テレビドラマがテレビドラマの現場を描くとき、どうしてあんなにリアリティーが無いのだろう。すぐ近くにある世界なのに。あんな演出家っている?現場で俳優とあんな会話する?それだけでドラマ全体が陳腐に見えてしまう。三話まで来て「障害者だから」みたいな台詞が出てくるのも、やっぱりそこ止まりのドラマなのかな?と思ってしまい脱力してしまう。机上のテーマだけを推進力にしているので、人間が全くと言っていいほど描かれていません。
3話まで見たけれど…主演の子の話し方、どうにかならないの?
伊藤万理華という名前も知らなくて、あの演技は一体何なんだ!よっぽどのド素人?と調べてみたら、何とこれまで結構、ドラマや映画に出演していることに驚いてしまった。
しかも実年齢は、28歳。
16~17歳の女の子かと思ったよ。
乃木坂出身みたいで、独立して女優業をするくらいだから、きっと人気があってファンもそれなりにいる子なんだろうけど、あの舌足らずのような話し方は、アイドル業なら可愛くて良いだろうけど、芝居をするにはちょっと…
更に言えば、可愛い自分を崩したくないみたいな演技で、見ていてイライラする。
こんなに見ていてイライラする演技をする主役も珍しい。
もっと普通に話して、もっと普通の社会人らしい演技が出来ないんだろうか。
障害を持っている子(和合由依)の方も、どうにもお利口さん的な話し方と演技で、せっかくのブスッとした表情の良さが死んでる。
ストーリーは悪くないと思う。
いかにも業界の人が言いそうなことや考えそうなことを台詞にしていて、もしこれがノベライズだったら面白く読めそう。
2話→3話と、台詞が段々良くなって?面白くなって?きていて、理想と現実がまるで違うことや、ドラマが綺麗事の世界なこと、障害者や弱者を綺麗事だけで済ませないところとか、話自体は好感が持てるし、描いていることは面白いんだけど、いかんせん、主演の子と障害を持ってる子の演技があまりにも学芸会で、感情移入を妨げてるレベル。
まるで、往年の「中学生日記」みたい。
いや、先に書いた2人の演技なら「中学生日記」以下。
このドラマを、どう評価していいのか分からない。
別のキャストで作り直してほしいとも思う。
ストーリーは星4+αぐらいだけど、主演2人の演技は星1でもいいくらいで、脇の人もそれに引き摺られている感じ。
水野美紀だけかな。レギュラーのキャストとしての演技レベルなのは…と、こう書くと、何を偉そうに…と言われそうだけど、水野美紀が出ていなかったら、本当にお粗末な学芸会にしか見えない。
とにかく見ていて退屈。
学芸会を見ているのなら、中々良い台詞がいっぱいあるじゃん!この話を書いた人、中々やる~!結構攻めてるよね、と感心するところだけど。
でもまぁ、ストーリーや台詞は中々良いから、一応星3で。
かつてNHKには、「私が初めて創ったドラマ」というタイトルで、バラエティーや報道等、ドラマとは無縁の人たちに作らせたドラマがあった。
今回はその舞台裏のような、まっすぐでドラマに擦れていない吉澤(伊藤万理華)が出した企画に障がい者起用を条件にOKを出すと言う、ある意味無茶振りな展開。
なので、ころころ変わる企画内容やテーマ、ストーリー展開に脚本家らのスタッフや、出演してくれそうな子たちらまでもが振り回される。
確かに、ドラマに限らず”物作り”には試行錯誤が必要なのは事実。
最初の企画から内容が大幅に変わるなんてのはザラ。
でもここまでプロデューサーの気持ちがブレちゃうと、見ている側も落ち着かない。
ここは、かつてヒット作を連発したけど、スランプ気味の演出家にプロデュースを任せてみた。ぐらいの方が本題(劇中劇)とのバランスが取れたのでは?
どうして健常者が障がい者を演じるのではなくて、障がい者本人でなければいけないのか。
もっとそこにフォーカスを当ててほしかったかな。
まだ1話しか見てないので何とも言えないんだけど、前にEテレでやっていたバリバラ制作のドラマを思い出した。
当事者達が障害者役を演じているからかもしれないし、ドラマに出てくる台詞や描いていることが、他局の24時間テレビを感動ポルノだと批判して、毎年裏番組の特番をぶつけて放送しているEテレの「バリバラ」と同じだったからかもしれないけど。
健常者と言われる人の障害者の捉え方を、(暗に)揶揄・批判している台詞やストーリー展開は、最初、バリバラでやっていたときは新鮮に映ったんだけど、それも、何度も繰り返されていると、それだって感動ポルノに思えてしまう。
健常者にも色々な性格の人や物事の捉え方の人がいるように、障害者だって千差万別。
バリバラで当事者の人達がよく言っていたのは、何故、障害者は「いつも前向きに頑張っている」イメージを押し付けられなければいけないのか、みたいなこと。
それって、かなりしんどいし、障害者をまるで聖域のようにしてしまっている。
そりゃドラマだから、見ていて気持ちが良いものにしたいのは分かるけど、『見ていて気持ちが良いもの=感動ポルノ』だからね。
当事者を連ドラレギュラーや主要キャストに使うのは、評価されていいとは思うけど、和合さんは、役者として見た場合、まだまだ演技力不足。
それを、パラリンピックの開会式での演技が素晴らしかったとか、実績がある人だとか、そういう風に、誉め称えるのはどうなんだろう。
確かに、表情は自然な感じだけど、ドラマのレギュラーとして考えたら、まだイマイチ。
これは、敢えて厳しく言っている。
障害があるのに凄い!…なんて誉め言葉は、当事者にとっては、それも差別意識からの誉め言葉だと思うから。
主役の子も、あんまり上手くない感じだけど、これは、和合さんの演技水準に合わせて、和合さんの演技力の未熟さを目立たせないようにしてるんだろうか、なんて穿ったことも頭を過る。
大体、和合さんの髪型、何とかならないの?
16歳で現役高校生。
本人は、普段はもっと綺麗に整えてるんじゃないの?
それをあんなバサバサの髪型で登場させること自体、障害者”らしく”見せようとしてるとしか思えない。
車椅子を使っていたって、身体に障害があったって、 それとお洒落は別物でしょ。
彼女の障害の程度なら、もっと身綺麗に出来るはずだし、してるはず。
どうにも、”障害者らしく”見せて、視聴者の「障害者への理解」を期待した作り方にしか見えなくて、少し不愉快。
ただ、このドラマ自体の企画は評価してよいと思うから、一応、様子見で、今は星3ぐらいかな。
ドラマの面白さとしては、星2でもよいくらいだけど。
実際に星を付けるのは、先週土曜日の2話を見てからにするけれど。
なんか、全体的に「○○の会」みたいな素人が作ったドラマに見えて、かなり残念。
こういう内容のドラマこそ、ドラマとして完成度が高い見応えのあるドラマにしようよっていう気がするけれど。
別のサイトの感想欄で、2話は1話と違って、ドラマとして面白かったというのがあったから、2話を早く見てみることにするけれど、1話は正直かなり残念でした。
ドラマのキービジュアルを観ると社会の中の障がい者の割合のようなタイトルの「%」に見せ掛けているが制作統括の人や主役の名前を含め考察すると、来年の春に向けてのアンダーカバーマーケティング含みドラマのようですね。最近のNHKのやり方はとても巧妙だが、視聴料金を強制的に取る形態のメディアなので、社会派ドラマを描きたいのならそういうマーケティングの濁り抜きに、心に届く内容のドラマを放送にして欲しい!と切実に願います。
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