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誰かのわがままが通り、周囲が震え上がり従う世界など所詮歪んだ世界です。
皆の心が離れているのに恐怖で人を縛り付ける
もうこうなったら頼朝が敵を討たれるのを待つしかありませんが、曽我の兄弟も出てきましたからこちらも気になります。
歴史をほとんど知らないのでかえって楽しめています。
ほーら、頼朝がどんどん恐くなってきた。
この恐さは大泉洋さんじゃないと出来ないと思う。頼朝の恐さとは義経と同じようなイレギュラーな人間だから持ちえる非情な不気味な恐さと言ってもいい。だから、芸人ともタレントとも普通の役者とも違う、妙なイレギュラーな存在の芸能人の大泉洋さんだから適役なわけで、この大河の頼朝役は彼で大正解なのである。
彼の頼朝に批判意見が多いけど、私は最初から適役だと思っていた。理由は顔は笑っているのに人にさとられないような笑ってない眼を彼が出きるからである。
今回を見て、やはり彼の頼朝はミスキャストではなかったとほんとに確信しました。
そして、こうなると、頼朝暗殺の展開になる可能性もありえそう。まるでプーチンのような独裁者になっていく頼朝に対して、今度はそれに恐れる御家人達が保身の為に、共謀して暗殺したりするのかもね。
それにしても、今回の小栗旬さんの演技はさすがです。見事に義時のこれから始まる地獄の人生への覚悟と苦悩を演じており、義時覚醒を見せてくれました。
それにしても、この義時役は小栗さんには相当シンドイはずだろう。なにしろこれからどんどんハードになってくる。大変なスゴイ難役になってきた。多分、歴代大河の中でも一番難しく全身全霊の演技力を要する主人公役なのはたしかかもしれない。今回の義時を見ていてよくわかりました。恐らく最終回には精も根も尽き果ててしまい、しばらく役者から離れてしまうかも。
私は小栗旬さんのファンなので、どんなに批判される義時になっても、全身全霊で応援して支持していきますわ。
どうか、体調に気を付けて最終回まで走りぬいてくださいね!
鎌倉殿の13人って、13日の金曜日とかイエスキリストの最後の晩餐を思い起こさせる。
日本では、13という数字が取り立てて不吉とは言われてこなかったが、今の感覚では13はあまり嬉しくない数字。
情けをかけられても人は恨みを忘れず、復讐の炎を消すことは無い。
身をもってその真実を生きてきた頼朝は恨みも猜疑心も底知れず、取る手段はひとつ。
そして、その非情の掟を鎌倉武士に骨の髄まで刷り込んでしまった。
修羅道とはよく言ったものだ。
最高に楽しめる、令和版「仁義なき戦い」だ!
いや~毎回何人死んで行くんだろう。
と思うくらい消えて行く人達の多いこと。
まあ45分間に観せられてるからそう感じるのかもしれないけどね。
でも今日『吾妻鏡』を読み終えたけどこれからもじゃんじゃん見慣れた顔が消えて行く。
義時は今は命令されて嫌々ながら殺して行くんだろうけど今後は自分でも決めて行くんでしょう。
史実だから仕方ないけどね。
義時は頼朝の側近として働いていたから、頼朝の武士の棟梁としてのいい面と、反面教師とする面と、この時期全てを学んでいたのだと思う。だから頼朝亡き後、そのやり方を単に踏襲してリーダーの座を手に入れた、ということにはならないでほしい。頼朝のように生まれながらの棟梁の家柄ではないから、頼朝のやり方の通りやることは抑無理だと思うし、彼なりの鎌倉、武家政権の守り方を切り開いていったのだと思う。三谷さんだからこの後の展開も大いに期待している。
前の人の言ってる、
「義時小栗旬は、全身全霊の演技で疲れ果てる予感」に同感。
死者と対話できる刑事(ドラマ「BORDER」)
を演じた時の小栗旬も、そうだったから。
役者という職業も、大変だね。
小栗旬はヤンキー俳優のイメージが強くて好きではなかったけど、今作中の北条義時役は自分勝手な頼朝と他の坂東武者の間で悩む家臣が嵌っている。プロモーション映像で休憩中にタバコをぷかぷか吸っているのを見るとやはり地は小栗旬そのものなのだろうけど。
猜疑心が悲劇を生んでいく。上総広常謀殺ではドラマに出てこなかったが広常の息子能常と孫に当たる能常の幼子も頼朝の命で殺されている。後々の禍根を断つという意味で。
戦国の世も信長は言うに及ばず家康ですら豊臣秀頼の息子国松を斬首している。享年8歳 。
こんな時代に生まれなくて良かったな。
第一章:権力の掌握
「血筋」以外になにも持たない頼朝が、どのようにして坂東武者をまとめ上げ、権力を手中に収めたのか?
●「血筋」や「敵討ち」という物語性を上手に活用した
●有能な女性を味方につけた
●群雄割拠状態の坂東武者達を、アメとムチを上手に使い、「御家人」に変質させた
●軍事のスペシャリストである義経を上手に使った
●距離的に遠い中央との情報網を構築し、情報戦で勝利した
●謀反人の血筋を断つことで後顧の憂いを断った
本作の頼朝は、義理人情や当時の倫理観に縛られない、壮大なビジョンを持った、徹底したリアリストとして描かれています。久しぶりに大人の鑑賞に耐えうる大河ドラマと思います。
第二章:権力の継承
→ 楽しみ!
このドラマは戦ではあまり人が死なないが、謀略による死はとても多い。
それも「そりゃねーだろ!」という死に方だけに精神的に堪える。
私の少ない知識ではこの後、義経が東北に逃げた挙句、殺される。
その義経が英雄として語り継がれるようになったのは、北条による印象操作と聞いた事がある。
つまり北条が源氏から権力を奪った言い訳として頼朝を非情な男としたのだと。
ここまでドラマを見た感想だが、確かに頼朝は非情な面が多々ある。
だが、彼も辛い選択を常に迫られていた。
もはや源氏も北条も存在しないが、今の鎌倉市の繁栄を見ると仕方が無かったと感じる。
次は壇之浦か、、アニメの平家物語でもみとこうかな
色々と辛い回でしたな。命が軽かった時代を、命の重さを感じられる描き方をしてくれて感謝です。
静御前出てきたけど化粧のせいか芸人のゆりあんかと…
工藤祐経に石を投げる二人の子供、この子達はちびっ子曽我兄弟?
有名な仇討ちも、義時と八重と子供たちの家庭でのシーンに絡めて前もって伏線として描くとは、三谷さんの脚本の細部までの緻密さ、用意周到さを感じました。
何処までが創作で何処からが史実なのか分からなくなるくらい面白かった。木曽義高殺害の史実の謎を創作を駆使して巧く描いて見ごたえがありました。一の谷の戦いで手柄を立てた義経が後白河法皇から検非違使に選ばれる、義経は仲間と喜ぶがこれが後の悲劇の伏線になると思うと切なくなります。一方鎌倉では義時が頼朝から義高を討てと命じられる、それを受けて政子は義高を逃がすために動くが、義時が信用できないのと鎌倉が恐ろしくなり一人で鎌倉から逃げるが、頼朝の許しを知らず藤内光澄に討ち取られる。その後光澄は処刑される。そして謀反のために義高をそそのかしたと武田信義の子忠頼も成敗される。義高をめぐって裏で蠢く策略謀略が絡み人間の愚かさ醜さを描いて引き込まれました。
「法皇様は誤解している」と間違いを正そうとする梶原景時に
「構わぬ、その方が絵になる、響きがいい」とひよどり越えは自分がやったことにする義経。
「歴史はそうやって作られて行くのだ、カッコイイ方がイイのだ」と自ら言い、歴史を捏造したり改変する歴史上の人物を初めて見た。
この時代でも「古事記」「日本書紀」を全て史実だと思っていた人は少なかったのではないかな。義経が読んで知っていたかどうかは別にして、「どうせつくられた話だろ」と思っていた人が少なからずいた可能性はあるだろう。
なんか平家が支配していた頃の方が平和だったと思うぐらい殺伐として嫌な気持ちになる。
かって兄の宗時は「もう平家の顔色を伺うのは御免だ。板東の事は板東の者で決める」そう言ってた筈だが今は頼朝という絶対権力者の顔色を伺う恐怖世界になってしまっている。
守る者が増えた義時はもう戻れない泥沼の中で笑顔が消え死んだ魚のような目に成ってしまった。
かつて主命であっても「私には出来ない」と刀を落とし身を挺して八重を逃がした江間次郎のような者は居ない。
これからが本当の地獄の始まりとなるだろう。
平家が支配していた世が平和だったなんて実際に見てきた訳ではないからわからないと思う。
平家が都で『おじゃる』っぽい暮らしをしてたので、優雅でのほほんとしていたように見えるが、実際には地方では平家の配下にあった北条氏のような豪族が小競り合いの殺し合いをしていただろう。
この時代勢力があった寺社は荘園や利権を護る為に強訴などを繰り返し、最高権力者だった法皇や平家でも手に負えないほど暴れていた。
ドラマで法皇が義経に命じていた検非違使というのは昔からあったが、都も地方も治安は悪く、飢饉もたびたび起き、盗賊なんかがやりたい放題だっただろう。
平家や清盛がのし上がれたのは、そもそも瀬戸内海の海賊を従えたから。
高校の国語の授業で「俊寛」をやったのを思い出す。どこまで史実通りかは分からないが、平家の独裁に不満を持っていた人たちがたくさんいたのは確かだろう。
歴史上の人物をドラマ化する場合、主人公が北条義時では物足りない。
それを埋めるために小細工が多すぎる。
今回、数え七歳の大姫が義高の助命嘆願に懐刀を喉元に突きつける。政子が頼朝に「教えていません」と言うのはもっともである。この時代、まだ武家の娘が懐剣を帯にさすという習慣はなかった。だからこそ、大姫の場面は不自然に見えた。義高を武田信義親子や三浦親子に絡ませ、義時を登場させるより、義高は馬で必死に信濃に向けて逃げ、追手に殺されるほうが自然だと思う。なぜなら義高は入間川付近で殺されたと「吾妻鏡」「玉葉」「明月記」に同類のことが記されている。
巴御前が和田義盛の側室になったという史実はなく、後世の作り話であることは明らかである。
義時の活躍を誇張させるために、頼朝、義経を必要以上に貶めるのはいかがなものか。頼朝、義経がいたからこそ鎌倉幕府が成立したのであり、源氏と北条氏は共存関係にあったと思う。
頼朝の死後、時政、義時は幕府の権力を北条家に集中させるために陰謀、謀略、謀殺を繰り返す。最後は時政と義時の権力闘争へと進んでいく。
母の名前も妻の名前もあやふやな主人公義時が鎌倉幕府2代目執権になり、幕政を意のままに動かすことができたのは、やはり頼朝、義経の知略、戦略があったからこそ。謀略、謀殺で権力を掌握した義時は大河ドラマの主人公にはキャラ不足である。
ここのところ、戦国の世の残酷さをこれでもかと見せられていますが、義高を救出するために僧侶が頼朝になりすましたり、父親のエピソードを義高に確認するようにという頼朝からの指示にアタフタする義時とか、三谷ワールドはやっぱり魅力的です。
三谷幸喜は朝ドラでコメディーをやる方が向いている。
まだ10代だった義高が首を斬られ、その首が鎌倉に運ばれた...なんて残酷なのでしょうか。父義仲も理不尽な死だったのに、義時を信用しないのは十分理解できます。命が軽すぎます。
頼朝は試すように義時に次から次に嫌な役を任せますが、義時の中で沸々と頼朝への憎しみに変わっていくのでしょうか。
頼朝の死因ははっきりしないらしい。落馬だったとか、糖尿病だったとか言われているが、これだけひどい人物に描かれているのだから普通の最期を迎えるとは思えない。義時かそれ以外の坂東武者によって謀殺されるのだろう。刺客はこの流れだと善児か。演じている梶原善は見た目はそんなことをやりそうもない人物だから余計に不気味さがある。いずれにしても6月中の放送で消えるだろう。
私がこの時代劇で印象に残るのは〝文(ふみ)〟である。
亡き義仲が息子・義高へ宛てた文は、「頼朝が平家を倒し、新しい世になるのを見届けよ」という物でした。筆不精でも達筆な器用貧乏でもなく、普通に地味に嗜まれて書かれた文でした。〝戦うよりもまず人を信じよ、その努力を怠ってはいかん〟とまず謳っている、義仲らしい文章でした。嗚呼どこまで良い男なのか。死してなお更に彼の男ぶりを上げた、誠実な文でした。
しかし義高は義時を信じる事が出来なかった。義経の出陣時に蝉の脱け殻を握りつぶした一件で、彼の父への崇拝愛は描かれていたので無理はないのですが、それが義仲が文に書いた志に背く事になる事に気付けなかっただろうか?。そして武田信義と一条忠頼親子に頼朝を討つ算段を持ちかけられ、そちらは父の意思に背くと断ったのに逆賊とみなされてしまう皮肉。義時の誠意がわからず、助けようとする坂東武者たちの心も届かず、同じ頼朝に相容れない存在の源氏である武田が接近した時点で、彼の命運は尽きていました。
政子と大姫の嘆願空しく、藤内光澄が義高の首を献上するシーンは「新撰組!」であと寸前で飛脚が間に合わず斬首されてしまった隊士の話を思い出しました。あの話は私が「新撰組!」で一番心に残っている話ですが、三谷さんの時代劇で〝土壇場で間に合い死なずに済む侍の話〟をなお一層見たくなりました。
今回登場した〝文〟は頼朝が義高を助ける証拠にと書かされた(結局手遅れとなった)誓約書と、あとは忠頼や光澄を成敗する内容の『粛清に関する文』ばかり。
上総介広常の「これから三年のうちに〜」のように真っ直ぐな、義経や御家人たちが頼朝へ宛てた便りのように各人の性格を映した、義仲のように誠実を貫いた『人間らしい血の通った文』はもう見られないのだろうか。もしそうなら、私は何よりそれが悲しい。
粛正が権力を強める。
家族を守るため敵でもない仲間を敵にしないよう殺していく。
狂いゆく鎌倉に深く関わって狂わずに生きていけるのか?
プロフェッショナルで小栗旬の座長としての奮闘や演者としての葛藤をみました。
小栗旬は役者として己の凡庸さに苦しんでいるようでした。
いつか化けられるじゃないかとそう思って真摯に努力している。そこがすでに映画アマデウスでのモーツァルトではないサリエルみ。
己の非凡さの欠如に悩みながら誠実に努力する彼が、逆に本来の人間味を失いつつあることを悩む義時をどう演じるのか。
これから否応なく、ドラマにおける義時は凄みは増すでしょう。
変貌してしまうのか、あるいはどこまでも「普通」を維持するという奇跡をもって非凡とするのか。
いっそう楽しみになりました。
すでに大河クライマックスの気分。秀吉とか信長とかがある程度の地位を得てガハハとなった後の晩年迷走期の頃のような。それくらい義時が悩み苦しみ板挟みでうまくいかなくなっている。
もしかして6月くらいからニュー義時になってガラッと雰囲気変わるんじゃないかなあ。
今のモヤモヤを溜めに溜めまくって翻弄される義時もおもしろい。それぞれの信念に突き進む頼朝や義経も。その先に悲劇が待っていても私は見る。
あの仁田さんも武田の息子を暗殺する場に参加していた。
彼もまた逃れられない運命にはまって後に残念な最期を迎えてしまう。今はにこやかに談笑してる畠山も和田も…。
今後の歴史を知ってる者ならもう笑える場面はほとんど無いだろうしこのブラック大河最後まで見続けられるかな。
鎌倉怖えー、マフィアの世界かよ。
一条を殺したのは武田にもう逆らわせないためにやったんだろうけど、
義高を討ち取った藤内をわざわざ処刑する意味はあったのかな
政子が許さんと言ったからといってもねえ。
まあ義時もストレスで普通の状態じゃなくなってきたか
上総広常の回も凄かったが今回も凄かった。
義高の件はしょうがないね。
そうしないと後に大変なことになる可能性もあるのは
頼朝自身が一番よくわかってるだろうし。
幼少で、坊主になるという条件で命が助かった常盤の子も全て(史実では義円は頼朝の元に駆け付けなかったらしいが)挙兵したのを見ているわけだから、そりゃ生かしておけないわな。こんなことをしなければ3人とも長生きできた可能性もあるが、それは結果論だろう。
二度とこの脚本家は使わないでほしい。
せっかくの大河の時間が台無し。
観てて気分が悪い。歴史ドラマを勘違いしている。
前回、今回と三谷幸喜を見直した。
まず、木曽義仲と巴御前が素晴らしかった。
で、義高の染五郎の美しさ、潔さが半端ない。
ボタンのかけ違いにより、助からなかった描き方が上手い。
そして、おそらく、ゴッドファーザーのマイケルになるであろう義時も。
ただ、残念なのは、静御前、京の雅に似合う方でなく、
一目惚れはないだろうな。
菅田将暉のハチャメチャ義経は面白い
頼朝との対面
義経の「顔がそっくり」ってとこ
笑った。
菅田将暉はこの大河で多くの学びがあったようだ。
2022-05-07 09:04:56 と 2022-05-07 09:07:34 は、理由を書かないと全く意味のない書き込みだ。
なぜそう思うのかわからず、無視するしかない。紙面の無駄遣い。というか邪魔な書き込みでしかない。ただしここを利用している人たちを妨害するのが目的なら意味があろう。
当方は三谷さんの脚本は好きではない。
自己中心的な人たちの仁義なき戦いで、まるで〇力団の抗争のようだ。「草燃える」も同じだったが、ドラマの筋立て、つまり役者さんのセリフで動機が理解できた。このドラマは血も涙もない殺戮の繰り返しだ。
藤内を殺す必要がどこにあるのか。頼朝は慈悲の心などみじんもなく、それを指摘しなければならない立場の安達盛長は頼りない。
頼朝の残酷な性格をほくそえんでいるのが御台所の実家北条家だろう。頼朝以外の源氏の力を弱体化させ、罪のない御家人を切り捨てる。義時が苦悩する場面が多いが、違和感を覚える。視聴者に義時を善人に見せるために苦悩の涙をながさせるのか。男はやすやすと涙を流すものではない。史実では時政、義時は頼朝よりも残忍だ。
すべての登場人物がその場の気持ちで動いて、筋の通った考えや信念を持った人がいない。だから継続して観ようとか、来週が楽しみだという気持ちになれない。
三谷さんの脚本は大河ドラマには不向きのように思える。
自己中心的な人たちの抗争、その場、状況に応じて気持ちで動いていて信念がないように見えるのは当然かもしれない。
自家の門を通り過ぎるものがあれば射殺せ、を習わしとしてきたのが土着の武士だ。自分の土地を守り、そこで生活する人たち一族郎党を守り発展させるのが第一。信念といえばそれが信念で、そのために障害となるものは排除する。それが例え親子兄弟、肉親であろうと果敢な判断をせざるを得ない。頼朝は鎌倉の体制にとって必要な措置をとり、義時も後にそれに習ったのだろう。御家人たちにとってある程度納得のいく公正な行政が行われ、この人たちについていたほうが自分の土地、権益を守れると判断されたから鎌倉の体制が維持されてきたのだろう。罪のない広常や義高、藤内を殺すことは、突出した力の排除と頼朝を中心とした幕府体制固め、仇討ちの禍根を断つ、御台所の意向の強さを見せる。という目的として描かれ、甲斐源氏に対する措置では源氏であっても鎌倉体制下では他の御家人同様、頼朝を主人とすることをわからせた、という意味があったのだと思う。
北条氏は、江間を継いで分家となった義時が頼朝の側近として仕える程度で、この段階ではまだ力を持ってないし、これらの事件に対して自家への特別な利点は感じてないと思う。
これまでのところ、頼朝、政子、時政•義時親子、義村や義盛、景時などの御家人たち、広常、義仲、大江広元、比企能員、そして義経、それぞれが独特な立場や性格で活躍していて、かなり見ごたえのあるドラマとなっていると思う
静御前の肖像画を見たが、「イメージと違う」などという書き込みも結構あるものの、今までに静御前を演じてきた役者の中では石橋静河は似ている(と思う)。
義時に限らず、どの人物を主人公にしてもそれを引き立てるための創作が多くなる。それはドラマだから当然だと思える。光秀、黒田如水、前田利家、三成など、信長、秀吉の家臣を主人公にした場合はもちろん、信長、秀吉、家康そのものを主人公にした場合でも引き立てるための創作だらけだった。女太閤記では弟の秀長がやっていたことを、黒田如水主役のときは全部如水がやり、利家主役のときは利家が、山内一豊主役では一豊がほとんど秀吉の補佐としてやっていたのには呆れたことがある。
この時代では頼朝や義経はすでに主人公となっているし、義時は彼らより長く承久の乱まで生きて、その頃は執権になっているので、鎌倉創生期の主人公としては最適だと思う。
↑一言つけ加えるなら、鎌倉殿を中心とした政治体制にまつわることをもう少し取り入れてほしい。派手な権力闘争や源平合戦は面白いが、それだけではなく、広元がやっていたこと、和田義盛が侍所としてやったことなど、事務的行政的にでも、坂東の仕置き、御家人を納得させ、統制をどうしたか、税の経路など、平家から解放されてどう変わったのか、朝廷工作はどうしたのか、などを見せてほしい。
なんでヴィヴァルディ?
大河ドラマ舐められてるよね……😵
タイミング悪い……
知床……海中……
極悪非道人 九朗 狂っている。
見てて本当に気分が悪くなります。
義経の一番の理解者のようなふりをしながら、鎌倉ではマイナス面ばかり進言する。梶原景時は定説通り嫌な人物として描かれていたな。
いつの世も人生は誤解の積み重ねだな。
命がけで戦い地位を得ても美味いもんは変わらない。
義経の笑顔に言葉が詰まる。
それから壇ノ浦で入水する際の水しぶきが安っぽくて悲しくなった。
もっとCGに金をかけろよ。
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