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昭和男クドカンの平成社会派ドラマの失敗作。
いや〜クドカンものでは、最悪だと認定します。多分本人も敗北感に苛まれているはずだ。
最終回の内容においても、あそこで茜を許すのは定番過ぎる。せめて、5年後に合ってから、結婚を決めるとかできないのか。結婚にああゆう妥協を許すのがゆとりと考えているなら昭和世代以下だ。一夜限りの不倫はこまかい一過性の過ちかもしれないがそこに問題性を認識しなかったら、最早、一体、ホームドラマで何を描くのだろう。
大体、茜は結婚しても7割方、浮気するのは目に見えているし、家庭にも収まらない厄介な女だ。それでも2、3年一緒に結婚生活を送ると正和が決断したなら、それでもいいが設定上、そんなキャラではないはずだ。あそこで許したら、本当に現状肯定の頭の軽いキャラでそれこそ、年長者の定義するゆとりの典型となってしまう。
しかし、基本設定としては、実は主人公3人とも昭和型のキャラで、「不揃いのりんごたち」の主人公達みたいだ。その他のでんでん、植木屋の親方、茜の父親、まりぶの兄とかも昭和のキャラであり、彼らこそがクドカンはじめての暗い社会派ドラマである本作の救いじゃなかったのか。
クドカンが2000年以降、のしてきたのはおそらく80年代以降のトレンディードラマの衰退と関係があって、実はクドカンは70年代的な脚本家だ。ためしに「雑居時代」とか「熱中時代」とか70年代ドラマをみれば今の他のドラマよりはるかにクドカンのドラマテイストに近い事が分かろう。したがって、70年生まれのクドカンはどっぷり70年代にテレビを見て育った昭和男と言う事である。
そして、今作に象徴的なのは女性憎悪に近いクドカンの女性に対する悪意に満ちた描き方だ。茜や悦子先生は言うに及ばず、正和の妹ゆとりやだいごまま、孫の顔を見たがっている実は陰険そうな正和の母(青木さやかが影で泣いていそう)、まりぶの母親まで、社会のいいポジションについて、利己的で幸せにしてもらう事しか考えていないずるい利己主義者だ。自殺したサラリーマンの母親役の真野響子の泣きの演技も下手すぎてとても息子の死後1ヶ月の母親とも見えない。おまけに山岸に息子を重ね合わせるとか回収されない伏線をクドカンははっているが、結局、山岸というキャラを手に負えなかったということだろう。
この番組のCMに見られるように視聴者はF1層の若い女性達であり、その線からあのイケテル3人の若手俳優とかが起用されたのだろう。「桐島」の女性プロデューサーが起用されたのもそのためだ。したがって、クドカンもそのようなF1層向けにイケメン達が葛藤、活躍するライトコメディーを代理店サイドから要求されただろうが、同時に女性人には美女はキャスティングせず、視聴者が感情移入しやすい安藤さくらとか、青木さやかとかの女優陣を配置した。あくまで女性目線のドラマであったことは確かだ。そう考えるとこれだけ、悪女がオンパレードの本作はクドカンの悪意としか考えられないのではないか。
いやいや、クドカンは「あまちゃん」はじめ、むしろ男女のキャラをともに描ける希代の脚本家だ。彼はおそらく、その鋭い観察眼で現代の閉塞社会に女性のずるさが顕著に浮かび上がっているを見ているのだ。それは女性が未だ弱い存在である事の裏返しで、玉の腰狙いの「婚活」や正和の妹のゆとりのあざとい「就活」、青木さやかの陰鬱な「妊活」等、時代がきつくなる程、社会や制度にしがみつかざるを得ない構造的に弱い女性達を客観視しているのだ。
で、そのようなきつい社会にさらにしがみつこうとする卑しい女性達と、行き場の無い社会不適応気味で、社会に疑問を抱いているゆとり世代の男性達との葛藤の収束点が最終回だったのだが、結果はやはりがめつい茜は醜態を晒し、はいつくばりつつもみごとにイケメンとの「婚活」を成功させ(ここはクドカンの狙いと反対に茜に対する視聴者の嫌悪を深めただけだ。)、無能者のゆとりはこずるく「就活」を成功させ、青木さやかも「妊活」をギリギリで成功させ、伝統的家族における嫁の第一義を満たした訳だ。一方、男達はと言うと、主人公の正和は茜という重くて、やっかいな未来をかかえこみ、松坂桃李は悦子に喰われてふつーのつまらない教師になるのは間違いなさそうであり、唯一、中国女に尻をしかれつつあるまりぶぐらいにしか、続編になりそうな未来は待っていなさそうに見える。
結局、クドカンは社会派ドラマに取り組んで、その時代観察に沿って、現状を消極的に諦観する結論に至った訳だ。現状から一歩もはみ出せない妥協で生きていかざるをえないだめな男達(草食系?)が社会のサバイバルのために肉食化した女達に喰われて彼女等の幸福を背負いこまされるだけの終幕に至っただけで、現状打破への何のヒントも示せず終わったとしか言えない。
地方回帰の「あまちゃん」やアットホーム地域ものの「ごめんね青春」に比べたら、実に情けない結果となったのだが、それは15年前のウェストパークや10年前のタイガーアンドドラゴンの時代に比べてさすがのクドカンも小技満載のコメディー以外ではファンタジーを見せる事ができなくなった閉塞した現代の日本社会を示しているのだろう。
最終回、見ましたけど良い話にしたいのか笑わせたいのか中途半端に感じた。
山路先生の授業は良い事言ってるでしょ的な場面だけど長いなって思っただけ。
牛丼屋に中国人とか「え?」って感じだったし童貞童貞まだ言ってるのかって感じだったしクドカンって小学生みたい。
しつこく感じるだけで全く笑えないし・・・。
茜ちゃんは最悪。
自分の親族が新郎が居ないことに腹を立ててるんだから自分が悪いんだくらいフォローしろ。
悔しかっただの被害者みたいな顔してるし。
山路に対しても殴ってくれとか自分勝手すぎ。
本当に殴ってほしいなら誰も見てない所にしろよ。
足が痺れたって這ってたけど足が痺れても這うまでにはならんでしょう。
やりすぎ。転びながら歩くぐらいにしておけば良かったのに。
安藤さんは上手い役者さんかもしれないけど上の方のコメントであった水川あさみさんとかだったら、もう少し微笑ましく見れたかもしれない。
松坂さん、柳楽さん、岡田さんは演技も良かったです。
演技だけ評価するなら3人には☆5つです。
脚本がバカバカしすぎたのと茜ちゃんというキャラの不快さが強すぎた。
大体の人が「自分はこういう展開が見たいのにも関わらず、そうならないこと」「自分の思い描いてる理想、自分の知っている現実の世界と違うこと」対する批判ばっかりしてて、
想像できる展開だけで成立していく物語でどう楽しめるのか、逆に聞きたい。
「もっとこういう展開(ストーリー)が見たいのに!」
そういう展開のドラマを見てください。
ゆとりは視聴率は悪くても、満足度は非常に高いとか
言われてたけど、テレビウォッチャーの最終満足度調査でも
7位と大したことなかった。
キャスティングが良かったから、視聴率もなんとか7~8%
取れたけど、内容だけなら、5%割れしても、しかたない内容。
ネット上では相変わらずクドカン神話で持ち上げられてるのが
滑稽だね。
人は誰もが不完全で情けないでも前を向いて歩いて行こうと
昔から不変な題材を大人になりきれていないゆとり世代を題材に
上手く描けていたと思います。
茜やまりぶを倫理観を振りかざして責めたてても相手を
責められるだけ人として立派な生き方が出来てるのか?と
反省こそすれ、ドラマとしてその一部に拘って全体が見られないのは
残念な事だと思う。
茜の役を美しい女優が演っていたら普通の奇を衒ったドラマに成り下がっただろうし、まりぶのそのまんまを口にし行動する人間の基本のような実直さそれゆえに普通の生き方と外れて来しまい生き直そうとする
真面目さが台無しだったろう。
このドラマはかなり反感を買うような作り方がされていたと思うが
多分製作者は嫌われる部分も想定内だろう。
確信犯的な投げかけをする事で平和ボケしている視聴者に人間について
考えて欲しいと思ってるのでは。
綺麗な人たちが普通では有り得ないような恋愛を蹴り広げて
会社ではあれよあれよと出世して皆に祝福されてハッピーエンド。
良くある普通のドラマのピースを一度壊してスパイスを掛けて組み直しかなり歪な青春モノだったが人はダメになると行く所まで行かないと
立ち上がれない時もあるし、そんな時に誰が側にいてくれるのかが
結局は一度大事なのかなと。
これだけ演技が上手い同年代が揃ったのも凄いし楽しめました。
形容しがたいドラマですよね。
三人三様の人生があって、うねるように進んでいく。
しかもどこにもドラマ的既視感がなく、生温かい「今のセリフ」に満ちている。
まさに「今」を切り取って再構成して見せてくれる。
これ、ゆとりという掴みなだけで普通の若者偶像劇?とちょっと思ってたところでしたが今回の父子喧嘩で得心がいきました。
テーマは
ゆとりがなんだ?人は怒られてなんぼだ!と。
ちゃんと叱れよ!で、お前にいわれたかねえんだよ!のどっち?に
ああ、なんて脚本が上手い、と。
そこに画面に入らずすぐに小さめな声の「民事です」が一番笑った。二回目よりも一回目がツボ。
お兄ちゃん!
しかもお兄ちゃん、焼き鳥屋結婚パーティーに一人残ってるもんね。
さすが。なつっこさはパパと弟に負けてません!
茜、全力なのよ。全部。
仕事も恋もそして失恋しての自棄の起こし方も。
パワフル過ぎて消化できないのよ。マーチンみたいなスポンジ吸収野郎がいないと。
幸せすぎてもうだめになる・・・自分の自棄具合にへたり込んでしまうほど参ってる。
私にはその情緒不安定さがよく分るんですけど・・・。
クドカンだ~いと思って見てみたら、すごい重くてストレスフルな内容。確かにこれを日曜の夜に…はない(笑)。通勤拒否症になっちゃいそう。でも「こういうドラマなんだ」とわかってから見た2話目は、なんかすごく面白かった。ガツンとくるとわかっていても次も見る覚悟が決まった。
まーくん、根性あるじゃん。頑張っても裏目に出てばっかりだし、自分のダメさ加減も痛感してる。でも、辞めない。そして「袖すり合うも多少の縁」な人々と着実に繋がっていく所が良い。適当に流してない。第一印象最悪なマリブにでさえ、真正面から向きうし。感情が死んでない。しんどくても、そらさないでちゃんと落ち込んだり泣いたり…。それって人として一番大事なとこだと思う。そこができてるってだけで、1話目のダメさ加減が帳消しになるくらいいいヤツに見えてくる。
力のある役者さんが揃ってるので、変な所に気が散らずにストーリーに入っていける。でも、太賀君はさすがに嫌な奴過ぎて見ててへこむ。
視聴率とかアイドル、美男美女のキラキラ恋愛 嘘っぽい爽やかさ等々
これらから遠く離れたグダグダでドロドロの大人子ども達の成長期
悩んで道を間違って何が悪いんだ〜っと毎回心をヒリヒリさせながら
叫んでそれでもガツガツと前に前に進んで行くのがリアルだったな。
生きて行くのは辛いけど助けてくれる家族や仲間もいるんだと
日常に埋没してるあたりまえの事にも気付き なぜか見終わってから
記念写真に心がほんわかした。
一昨年の「ごめんね青春」は生まれ育った町が舞台だったけど、それ以上の興味は惹かれず、笑えもしなかった。この人にはコメディの骨法として「おかしな人が、おかしなことをするのは、ごく普通のことで、おかしい事じゃない」という事が分かっていないと思う。
脚本クドカン、演出 水田伸生というと「舞妓Haaaan!!! 」のコンビで、これは観ている間中、映画館から逃げ出したくなった悪夢のような映画でした。この映画で私の中の柴咲コウの女優の格は数段階ガタガタと落ちてしまいました。
でも、このドラマではコメディ要素は後ろに引っ込み、あくまでもアラサー世代の群像劇を実直に描こうという覚悟が感じられ、初めてクドカンドラマで楽しく観ることができました。
普遍的なアラサー群像劇で、今のその世代がたまたまゆとり第一世代と言われていただけでしょう。
アプレゲール、団塊、シラケ、新人類、バブル、ゆとり、さとり・・・と、いつの時代も、上の世代は下の世代の若さを恐れ、型にあてはめて無理やり理解したふりをしますが(茜の父親の台詞にもありましたが)、そんなレッテル貼りに対する反発をベースに、この世代の様々な悩みを取り上げていたのに感動しました。
ただ、大きな事件要素がないだけに、どう評していいかなかなか焦点がつかめなかったのですが、ネットを漁っていて「このドラマの男たちは父性を引き受けない」という分析があり、ハッとして、色々見えてくるものがありました。父性を引き受けない男たちに対する、母性の苛立ちと捉えると色々納得できるものがあるのではないでしょうか。
ゆとりがない、「ゆとり世代」である正和は、仕事上では人の上に立つことが出来ず、結婚にも踏み切れない。
山路も、失敗世代としての自分の教師としての立場に悩み、性教育に悩む
まりぶは、事実婚で子供もいるのに、受験生という「モラトリアム」に居座る。
吉田剛太郎のレンタルおじさんは、疑似的な父性は与えるが、自らは父性を引き受けることはできない。
妊活中であり社長の器じゃない、という正和兄も父性を得られていない。
安藤サクラの茜には、確かにイラつくけど、前田敦子のドラマみたいな恋愛依存症というかSEX依存症という訳ではないし、それは正和の煮え切らない態度に対する母性の反応という観点でみれば、案外納得できるものがあるのではないでしょうか。そのため、一応は父性を引き受けている早川と一夜の過ちを犯すのも、むべなるかなとも思います。
この2年ほどで私が面白いと思ったドラマを思い起こしてみると、案外こういうテーマは問われ続けてているのかなと感じます。
一昨年の「あすなろ三三七拍子」では父性の復権が描かれ、去年の「問題のあるレストラン」では、虐げられた母性の復讐が描かれ、そして、このドラマでは父性の行き場を問う・・・
このドラマやこれらのドラマが、陽にそれをテーマにしているわけではないでしょうが、正面からヒューマンドラマを作ろうとすれば必ず、普遍的な父性と母性の問題は出てくるものだと思います。
最後に仕方なくも父性を引き受けるか、引き受けつつある登場人物たち。彼らが、これからどう生きていくかですが、それは「過ちを赦せる大人になる」という、陳腐な、でも究極の道徳で乗り切るしかないという結論じゃないかと思います。
そんな事で納得している新人類第一世代です。
ところで、不倫や浮気にやけに敏感に反応する投稿が見受けられますが、私は一人の異性を相手にするだけでメチャクチャ大変なのに、複数を相手にできる人は、逆に尊敬・・・というか、そのバイタリティに気圧されてしまう方なので、あまり嫌悪感は感じません。
上の方の感想で、女性が感情移入しやすい女優として、安藤サクラがキャスティングされたってあるけど、寧ろ女性は美人でないのに、自分勝手であざとく見える女性の方に反発を覚えるものじゃないでしょうか。これが「美人」の範疇の女優さん、例えば長澤まさみ、石原さとみ、沢尻エリカ(適当に30前後で思いつく人を上げただけ)なんかだったらだったら、反発しつつも、美人だしおっぱい大きいし、しょうがないよね・・・という反応になるんじゃないでしょうか。
相変わらず、登場人物の命名はセンスはないなあとは思います。特に妹の「ゆとり」はやりすぎの感があります。例えば、トーリとかいう名前で、愛称で「ユトリ」とか、呼ばれているぐらなら洒落ているのに。実際、そんな名前の人いるし・・・
どうしようもない駄目な所を許し許され生きて行く人達のドラマ。
でも主役の坂間と山路は、情けないだゆとりだ言われても、圧倒的に「許し、受け入れる側の人間」として描かれていたと思う。自分よりも更にゆとりな年下を受け入れ、自分よりもどうしようもない年上の大人達を許し、毎週一回、この二人のどちらかが誰かを叱って誰かを許してたって感じ。こんな懐の深い人間、どの世代にもそうそういないと思う。そういうのを普通にサラッとやって、でも達観してる訳でもなくて本人もずっともがいている、というのがすごく良かった。
そして、こんな二人が恋人や家族にも打ち明けられないような鬱屈を吐き出せる相手が、駄目な年上代表の麻生っていう所が実にいい。お金で繋がった関係だからこそ何でも言える。下手にまりぶみたいに血で繋がってたりすると、吐き出すのに最終回までかかっちゃう。受け止める方の麻生も、ちょっと小遣い稼ぎって感じで実に心のこもってないチャラーイ感じなのが、またいいんだよね。
こういうドライな関係が、坂間と山路の精神のバランスを支えてる、というのが何とも現代っぽい。だけど、それが冷たい孤独な雰囲気にはなってなくて、そこはかとなくこの間柄にも情が通っているのが、クドカンらしさ。結婚式に呼んじゃうくらいには親しみを持っている、でも扱いはぞんざい、という距離感が絶妙なんだな。
ゆとりだけど実は菩薩みたいな二人。それを底で支えてるのは、軽薄極まりないオジサン。駄目な奴でも自然とコミュニティに組み込まれて、なんか知らんが役に立っている。そして当の本人達は、それに無自覚。こういう世界観に優しさを感じる。
そして主役の中で唯一、相手から許され受け入れられることでしか関係が始まらないのがまりぶ。坂間が「店に来い」って言ってくれなきゃ、友達にもなれなかったし、麻生のことはまりぶの方が許さなきゃいけない関係に見えて、実はその前段階として、麻生がまりぶを息子として受け入れ、親の責任を果たしてまりぶを叱る、という行為が絶対に必要だった。だから、やっぱりまりぶは他人にまず許され、受け入れられなきゃ立ち行かないというキャラなのだ。
不倫するし、捕まるし、奥さんへの態度は酷いし、それでいて許されることが必須なキャラって、視聴者には受け入れられにくいと思う、普通。でも、まりぶ人気はここでも結構高かった。これは、柳楽君の実力あってこそのものだと思う。下手な人が演じてたら、愛されキャラにはなり得なかった。
自分がこのドラマで気に入っていたのは、こういう所。女性の描き方にはだいぶ疑問符が付いたけど、男達の世界は大好きだ。クドカンの真骨頂かな。
自己嫌悪で繋がってるって、いいね!このドラマの褒め言葉としてすごく的確。しかし、それを踏まえてまりぶと茜の自己嫌悪について、ちょっと物申したい。
まりぶも茜も不倫したという点で同じクズ、なんだけど、まりぶにはその背景がちゃんと描かれているということが、かなり大きな違いだと思う。浮気な父親のせいで不幸な境遇だった子ども時代。母親の期待に応えるどころか真逆の落伍者になってしまった大人の自分。その上、気づけば大嫌いな父親と同じ過ちを犯している。
そういう自己嫌悪と鬱屈が爆発して、殴り合いという形で二十何年分まとめて父親に甘えた。かろうじて、麻生はそれを受け止めてくれた。甘えるには遅過ぎというか、いい大人なのに精神が子どものままのまりぶだが、この過程を経ることで「自分の子どもには自分と同じ思いをさせない」という決意が固くなった。
心理描写はないけど、その様に視聴者には受け取れる作りになっている。それを踏まえてのビラ配りってことで、まりぶは自己嫌悪を乗り越えて、他者を受け止めて共生する方にシフトしていけた…というのが充分納得できるようになっている。だから「ダメな奴でも応援したくなる。共感できる」となる訳。
対して、茜の場合はほとんど背景が描かれていない。ただただ衝動のままに、自己中心的に不倫して、タイミングも相手の気持ちも考えないで罪を告白をしただけ。
茜の葛藤は不倫の罪のためだけでなく、それがあるから会社に復帰できないという後悔と抱き合わせになっていて、そんな事情がなければ一夜の過ちをあそこまで後悔しただろうか?という疑問符もつく。坂間への罪悪感だけであそこまで煮詰まってた訳じゃないっていうのが、まず利己的だし、告白した後の第一声が「考えてる?男としてどういう態度を取るべきか」っていうのは、坂間が苦しみながらも器の大きな男を演じて自分を許すのだろう、という確信がなければ出てこない言葉に思える。相手を苦しめるだけだとわかっていながら、自分が楽になるためだけにした告白なの?という解釈もできてしまう。
山路に見抜かれたように公衆の面前で「殴ってくれ」なんて、坂間への反省アピールでしかないし、人前でそうさせるということで、対外的には山路を加害者にしてしまう。絶対に自分を完璧な悪者の位置には置かない。これを計算してやっているのではなくて多分、無意識にやってるというのが、何ともいやらしくて、私には茜に愛すべき自己嫌悪を見ることができない。
これは同性として厳しい目になってしまうというのもあると思うけど、それ以上に、やっぱりクドカンが女性を描ききれていないからなんじゃないかと思う。観察眼は長けているから、こういう女性のいやらしさには敏感に気づく。坂間母が指輪を茜にあげちゃうシーンとかね。
ずっと妊活頑張って、向いてないのに社長やってる夫を助けて、ゆとりちゃんの面倒も見て、優等生やってきた兄嫁より自由奔放な茜の方を気に入ってしまう姑。そして、それにいち早く気づいてしまう兄嫁…ギャグタッチで描かれてたけど、結構なドロドロだよ、これ。自分が兄嫁の立場だったら、ぞっとするわ〜。
で、そういう細かいいやらしさをチクチク描ける割には、どうして女性がそうなるのかっていう根底の心理をクドカンは理解できてないと思う。茜はバリバリのキャリアウーマンで、男の中であんなに仕事をガツガツやって昇進していく7年間って、相当な負荷があったはずなのだ。いくらそういうのが向いてる、好きだと言っても、男女平等の社会になってきたと言っても、男以上に疲れるものが絶対ある。けど、茜のそういうどっかずっと無理してきた部分、その苦悩にはあまり肉薄できていない、と私は思った。かと言って「結婚したいんだよ」って何回も言うけど、その茜の不安についても、あんまり、まりぶ程に迫ってくるものがなくて、結局、茜のそういう心の奥底を描くのに失敗しているから、最後に道を踏み外す所にも共感できない、ただ自分の本能に忠実なだけに見えてしまう。私はそう感じた。
茜が白無垢で這ってくるシーンが、このドラマ全体のクライマックスみたいになってたけど、どうしても「ダメでも頑張る愛しい人間」には見えなくて…「醜態」としか思えなくて…。公の場なんてもっての外で、好きな人にもあんな姿は、私は見せたくないな、というのが正直な感想。あれは、茜が頑張ってる姿ではなくて、利己的な自分を全部、坂間に投げ出す、相手への思いやりとか考えになくて、ただただダメな自分を全肯定して受け止めてほしいという、最大級の醜い甘え。子どもが小さい頃に、親に対してだけ求めていい種類のものに思える。
大人が他者に対して求めていいものじゃない。支え合って生きていきたいなら、あそこまで自分を丸投げしたらだめだ。
クドカンは、「女性ってそういうことしてくる」って思ってるのかなあ?理解しきれてなくて、ああいう描き方なっちゃっただけなのかなあ?
男性作家が女性の心理を描ききれないのは当たり前だとも思うので、それなら無理に描こうとしないで「女性とは遠くにありて想うもの」のスタンスを守ってほしいなあと思う。
すっごく長くなった。ごめんなさい。でも、茜には色々思う所があって書いておきたかった。
最後まで見た結果、やっぱりゆとり世代はあんまり関係なかったような…という感想。最後は結局、ずっと抜け出せない思春期、心の中に男の子がいるから器用にやれない、でも自分の人生の中で一番輝かしい時代の姿だから捨てることができない、そしてそういう自分を肯定して生きる…というクドカン自身の話になった感じ。あまちゃんを見終わったときも似たような感想を抱いたな、そういえば。
自分の中のテーマが一番前にでてきちゃう人なので、違う世代を描き切るのは向いてないかも。ただ、自分はゆとり世代じゃないからわからないけど、ゆとり世代の人が見た時「元気出た」とか「共感した」となったなら、大成功なんじゃないかと。「何世代」なんて括っても、人間の心の根本にあるものってそう変わらないと思うから。響き合えるものがあるなら、それでいいんじゃないかな、と思う。
ドラマとしては、やっぱり登場人物の魅力がすごい。変にテーマ掲げなくても、キャラクターを動かすだけで1クール作れちゃう人だよね。私も山路が大好きだ。
主役としての華がある岡田君、他の二人より若干出番が少ないのに、確実に見せ場は全部持ってく柳楽君、柳楽君とは良い意味で真逆の、空気のような自然さ、もう山路にしか見えない松坂君。それぞれの個性が見事に活きる脚本だった。個性のぶつかり合いではなく、調和を見た。この三人の生み出す空気が気持ち良かったから、毎週会いたくなった。
彼らに会えなくなるのがちょっと寂しい。でも、なんやかんや格好悪くジタバタしながら、今日も日本のどっかで生きてるんだろうなー、あいつら…って思えるし、そう思うだけでなんだか元気が出てくるから。1話切りしなくてほんと、良かった!
幻滅だった。
自分が悪いのに親族に説明もしないで新郎一族を吊るし上げて知らんふり。
なのに結婚したいから1人で式を進行したって這って近づいてきて、ホラーか!
せめて皆の前で自分の行動を告白して詫びろ。
そう、茜がひどすぎて魅力なさすぎて嫌悪しかなくて無理でした。
安藤サクラじゃなかったら…演技の上手い整った顔立ちの他の方が演じてくれたら、ここまで全編違和感を感じることもなかったのに。
満島ひかりさんとかだったら、同じキャラでも何だか納得して観られて「面白かったーさすがクドカン」って言ってた気もする。
茜ちゃん失敗したねぇ、こりゃイメージ悪くなるよ。こんな女嫌いだもん、ゆとりをこんなところで使って欲しくなかったね。ゆとりじゃなくて人としてどうなのか?って話だと思うよ。
茜を糾弾した後すぐに擁護するようなコメントが書き込まれるのが不思議だ
後腐れないって、そもそも早川既婚者なんだよね
誘いかけた早川が悪いのは確かだけど、妻がいるの分かってて肉体関係結ぶ茜も茜
一夜だからとか浮気じゃないからOKとかそういう問題じゃない
坂間にプロポーズされて快諾するときほんの少しでもそういう自分の浅はかだった所に自己嫌悪する描写でもあればまだ良かった
早川と共謀してまずい事実は闇に葬り、坂間には笑顔炸裂で平然と腕に抱きつくところ、正直鳥肌ものの怖さだった
こんな生き方してる女の人をどうやったら応援できるのか
他のキャラたちはみんな泥臭くも一生懸命生きてる感じが出てていい
安藤サクラは好きだけど、ただただ茜というキャラだけが受け付けない
茜ちゃんは、まーちんに対して以外は自由奔放。
だから出世してるんだろうなと思う。
奥ゆかしく謙虚な女子は、会社員としては上司は評価せんからね。
同じ女性から見た時に「やり過ぎじゃない?どういうお育ち?」的なくらい、積極的にイケイケじゃないと、上司の目には「出来るね、君」とはならんのよ。
だから、山路と旅行に行っちゃった件を見て、あ~だからコイツは出世するんだと思った。
こういうことを平気で出来ちゃうヤツは、仕事でも思い切ったことをバーンと決断できるからね。
そして、山路の後輩(教育実習生)だった彼女は、男性から見たら、茜ちゃんとは真逆に見えるのだろうが、女性から見れば同じ種類の人間。
茜ちゃんの方が正々堂々とやってる分だけ、まだ信用できる。
そして、女性と言えばもう一人、まーちんの妹。
この子も、どうしてどうしてかなりの女。
まりぶみたいな男に「魅かれる」ところまでは共感できても、実際に行動を起こすことは、普通の女性ならほとんと無い。
女性から見た場合に、共感できるのは、青木さやかと中田喜子くらい。
独身の私から見ても、この二人以外は変わった人ばかり。
それでも、面白く見られるのは、ひとえに、まーちんが「普通の神経と精神を持ち合わせていて、結構我慢強く、努力家」なため。
女性の私でも、誰に一番共感できるかといえば、やはり主人公のまーちんなのである。
そして、その友人の山路が、変わり者でありつつも、こちらも極めてまっとうな言動だからである。
彼らが報われない社会だったら面白くな~い、と思うからドラマの先行きが気になるのだ。
共感は出来ないけど、これくらいが世の中なのかもしんないよ。
第一次のゆとりっこは一番割を喰った世代で、一番苦労してる。
第二世代はゆとりモンスターで、団塊世代が引退したから需要があってきゃりーが代表世代で、ある意味開き直って強いよ。
最低なドラマだった。
人間としてどうなの?って登場人物がおおすぎ。
見ていて気分悪い。
こういうの見てバカが不倫を軽く考えて不倫する。
害悪しかないドラマ。
見ている人を悪事に導く。
暴力シーンありすぎ。
不倫ありすぎ。
女性の描き方が酷すぎ。
「ゆとり」と一括りしすぎ。
急に怒鳴ってうるさすぎ。
「おっぱい」言いすぎ。
以上。
放送前から、緩そうなタイトルで面白そうだな~と思い見始めました。期待より色々深くて最後まで面白かった!
みんないつも自分の内面の弱さやどうしようもない部分に葛藤しながらそれでも今できるベストを尽くそうともがいてる感が、好き!!(特に、山路(笑))
その時は正解じゃなかったにしても、とった行動が後々いい方向に作用したり(まーちんと山岸の関係性しかり、まりぶとの出会いしかり 。まりぶいなかったらあの笑顔な集合写真はなかったと思う…)どうなるんだコレ、と毎回ひやひやしながら見てましたが最後はほっとして、まーちんや山路やまりぶと一緒に私も笑ってました。楽しかったです!あかねちゃんもいいなあ…。
正直、まーちん役の岡田くんなんか苦手でしたが(すいません)、このドラマで好きになりました!!(まりぶと妹が別れるのか、あの一連のキレまくりなシーンが笑)次の新作ドラマあれば見ます!!つうかゆとり続編希望です!!
山路の童貞の行方も気になる(笑)
ツナグはいい映画で感動したよ。
岡田将生は昔の方がクールさが売りみたいな雰囲気で好きになれなかったがここ2、3年ドラマを見て見てて気持ちがいいわ。
変わるもんだね~。
ぜひまたドラマにでてほしいわ。
クドカン枠でらジャニーズ扱いなのか。
STは日テレドラマではよい方だ。
クドカンは昔から苦手だったがこれはよかった。
クドカンって どれほどのものなんだろうと 興味津々で見始めたけど、なんだか ペラペラなドラマで がっかりした。 いつか 面白くなるかも と観続け、結局 面白いと感じることは私は なかった。
ネット民の熱烈な称賛やそれに迎合するメディアの
クドカン上げ記事、それに豪華な俳優陣。
にもかかわらず、今回もまた視聴率は一桁。
録画率もある調査では春ドラマ中、8位と振るわない。
ホントにクドカンはスポンサー泣かせだね。
ネット民と一般人の温度差を感じる。
クドカンは小ネタ満載の面白さだけで、
実に薄っぺらい脚本が多い。過大評価もいいとこ。
ゆとりも確かに俳優たちのムダ使いで、駄作。
最終回、洗車用のスポンジを持って追いかける早川さんが
面白かった。
本来なら、茜に関わった男同士のいがみ合いの場、シリアスに
なるのかと思いきや、殴ってからのコメディタッチの逃走劇。
さらにそこからの、新郎新婦それぞれの神聖なる三三九度。
いろんな感情が巡りめぐって、何故だろう、
不思議と感動を覚えた。
周りの迷惑とか、相手にどう思われるかを考えて、
消化しきれない思いも無理矢理飲み込んで生きている
ことが多いけど、このドラマを通じてスッキリさせて
もらうことが多かったな。私は。
続編があれば嬉しいですが。
たかだか作り話なんだから気に入らないコメントだからといって、いちいち反論しなくてもと思う。
茜が嫌いもドラマが面白くなったも見た人の素直な感想なんだから仕方ない。
不倫した人間の側から気軽に「人の過ちを許せ」とか言ってんじゃないよ、って感じ。
不倫している人間は、してない人間、された側に対して
「あなたは非が一切ない人間ですか?聖人君子ですか?」という、
不倫している人間は「人は過ちを犯す」という。
甘えたこといってんじゃない。
不倫は、人の道に外れたことです。
許されないことです。
された側は、自殺、他殺を真剣に一度は考えます。
それほど苦しめられることです。気軽に不倫して
愛だ恋だ、過ちだ、、、、なんて言える類のものではないんです。
不倫相手の妻の苦しみはアウトオブ眼中。
アカネの不倫相手を殴る前に、アカネに不倫相手の妻に謝らせて土下座させろ。上司もアカネも共犯でどっちも悪い。
アカネが誘ったんだから、アカネの方が悪い。
胸糞悪いドラマ。
誰か言ってたけど、20代のションベン臭いあんちゃんが書きそうな脚本。その通り。次はクドカン世代の「団塊ジュニアですがなにか」でもやれば(笑)。
何事も全て正しいきれいなドラマばかり見ていると、そうできない自分はなんてダメなんだろうと、現実がなんて矛盾に満ちていて、自分の人生も希望がなくて、とつまらなくかんじるけれど、
こういうドラマがあってくれるおかげで、自分の人生も捨てたもんじゃないと思えます。
長男の嫁より、茜ちゃんが姑に気に入られるって、それのどこが変なのかわからない。
苦労の大小で人の好き嫌いまで左右されなければいけないんだろう。苦労している人やすごした時間が長い人の方を姑はより好かなければいけない、指輪もねぎらいのためにあげなければいけないなんて、そんな基準ありえない。
それに、そういう視聴者を気持ち良くしてくれる、理不尽なことなくきれいに理想的に描くドラマは他にあふれているんだから、ここでそんなのはやらなくていい。
茜ちゃんのあやまちだって、厳密にいえば別れていたときなんだから、結婚もしているわけでもないし。双方のお互いの問題であって、視聴者がどうこういう問題ではない。
最近見た中で最悪のドラマ。
特に出てくる女どもが不倫女ばかりで胸糞が悪い。
特にアカネが最悪。自己中な女で不愉快。
出てくる女はみんな不倫している。
不倫相手の妻の苦しみなど微塵も考えない、自己中で
男の前ではいいこぶりっこする気持ちの悪い性悪女ばかりが
出てくる。特に酷いのはアカネ。この男の前ではぶりっこで
自己中の不倫女を可愛いと思う人たちの感性がわからない。
不倫をして恋人を騙し、しれっと笑顔のお調子者。
さすが不倫する女=嘘つき自己中女だ。
しかも恋人の前ではいい子ぶりっ子。気持ち悪いし気味が悪い。
クドカンは、不倫=かっこいいと思っているのだろう。
不倫された側の人の苦しみ痛みがわからない脚本家だ。
不倫してした側が成長するなどありえない。
人間として品性が後退するだけだ。
人の苦しみ痛みを少しでも想像出来る人間なら
不倫をしない。人間として少しの誠実さがあるなら
不倫をしないで踏みとどまることが出来る。
男たちは誠実そうな人物像だが、出てくる女たちが総じて
人間のクズで気軽に不倫する不誠実な尻軽女たちばかりで
微塵も魅力を感じない。不愉快しか感じない。
アカネの不倫で続きは見ることに耐えられず脱落した。
不倫は決して許してはいけないことです。
気軽に「人を許そう」などというたぐいの軽い罪ではないのです。
そこのところをクドカンは大きな勘違いをしている。
これは、不倫をしたことのある人間か、あるいは
全く不倫には縁のない、されたことのない人間が書いた脚本である。
自分の周りの人を踏みつけにして平気な人間が書いた脚本である。
かなり不愉快な最悪最低なドラマ。
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