3.44
5 204件
4 76件
3 47件
2 24件
1 126件
合計 477
読み どこんじょうがえる
放送局 日本テレビ
クール 2015年7月期
期間 2015-07-11 ~ 2015-09-19
時間帯 土曜日 21:00
出演
14歳だったひろしも、もう大人。30歳。 憧れの京子ちゃんも、後輩の五郎も、そして、あの番長ゴリライモも、みんな大人になりました。 「ど根性」ですべてが解決!!!! とは、ゆかぬことを知る――。そんな歳を重ねました。 だけど!つまらない大人にはなりたくない...全て表示
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名前無し

1話から順番にこのドラマから受け取ったことを書いてみます。

1 良いことを言うには話手側にそれなりの説得力が必要である。
2 根性とは、嫌なことや不得手なことを頑張る、ということである
3 働く意味などは今は考えなくてもいい。意味を考えるのはとにかく働いてから
4 嬉しい時にしろ、悲しい時にしろ、上を見上げることは大切なこと。
5 本来肩書きとは、その能力に相応しい人物に後付けで与えられるものである。能力無きものに与えても無意味である
6 よくわからない
7 自分の思う相手の幸せと、相手が自身で思う幸せはズレていることがままあるが、
それをうまく擦り合わせることが出来た瞬間、
二人にとっての本当の幸せが見えてくる

・・・個人的にはだいたいこんなふうに感じとりながら見てました。
6話だけはちょっと意味がわからなかったなw
だけど6話の演説原稿を一生懸命考えてるひろしの様子は良かったです。
普段ロクに頭なんて使わないだろうに(涙

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ベランダー評論家

ほのぼのと見えるクレイジーな作品。
薬師丸ひろ子のお母さんも普通にクレイジー。いつまで息子は本当は優しい子だとか、まだまだ発育の真っ只中だからとか甘えさせてんねん!三十路の男があんな街中にいたら今の世の中、警察沙汰ですよ。白石加代子も白塗り座敷童にしかみえないし、勝地涼のャンスも気持ち悪い。よく警官になれたな!って懐疑的になるレベル。ゴリライモが選挙に出るとかパン作るとか支離滅裂。まず、「ゴリラのパンだ。買っておけ〜♪」なんて街宣車とやってること同じだよ?迷惑千万。あと光石研の寿司屋もなにあれ?「すっ、すっ、すっ」って。まずあの担任の先生もどういう格好してんの!?誘惑するなよ小学生を!校長のでんでんも「教師生活〜」とかうるせーよ!!くどい。そして前田敦子はもはや何にも言えない。ただ早く女優辞めてください、はい。満島ひかりは可愛いけど声がウザイかな。とにかく私が一番イライラするのは松山ケンイチの異常性。ヤバすぎだろありゃ。格好、言動、性格。全てにおいてクレイジー。毎回、最終的になんで松山ケンイチが実は良い人、ピュアな人、みたいな感じで終わるのが心底腹立つ。なんなのあれ??えっ!?もしかして今までの異常な行動や言動は許されちゃうの?しかもそれが良い人だから、ピュアな心の持ち主だから、って理由で良しとされちゃうの?最悪だよ!!はあ!?倫理的に許されないだろ?散々迷惑かけといてそんな理由で松山ケンイチが正当化される展開が本当にムカつく。いくらドラマだからって看過できねぇよ!!偽善ドラマだよこれは。その息子を育てた最大の戦犯者は薬師丸ひろ子。俺は今作で薬師丸ひろ子が大嫌いになりました。気持ち悪すぎる、キャラクターとして。べらんめえ調も似合わないし、とにかく善人らしさを強調しすぎていて返って不気味に見える。ぴょん吉との突如始まるフィロソフィーじみたセリフにも違和感を覚える。「母ちゃん、おいら死ぬのかな?」「母ちゃん、死ぬってどういうことかな?」・・・ウゼーよ!!!なんでこういう歯の浮くようなセリフを入れるかなぁ?なんか唐突にこういうセリフ挟んでくるから萎えるんだよね。意図的にシリアスにしようとしていたり、あるいは震災とか戦争とかをあざとく匂わせすぎる。ぴょん吉の死と無理くり世相とを結び付けようとしていてなんとも嫌らしい。不自然の集積なんだよこのドラマは!!あー、腹立つ!!

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名前無し

松山ケンイチさん、もう最高です
思ったより、すごく面白かったし、世界観が新しいもので、古いものも混ざったような、独特な感じが見ていて気持ちよく、久しぶりに3度も見ました。最近のドラマには頭にくるほどつまらない感しかなかったので、リピートするのはめずらしいです。

カエルに疑問を抱いたり、1話ですでに理解できないと言う人が逆に理解できないです。1話はざっくりしたあらすじ説明のようなものだったしね。カエルにいたっては、深く考えて見るほうがどうかと思いますね。可愛いからいーんだよ!って感じです。例えばはちゃめちゃな芸術品を現実的に考えて見る人はいないと思います。

松山ケンイチさんがこのドラマにあたって、

大切なものがあたりまえのようにそばにあって、
大切なものを置いてきてしまっていることがあると思います
それに気づけるようなドラマになればいい…

とゆう感じのコメントをしていました。

ゆるく見ながらも、そういう一番大切なものに気づかせてくれるドラマになると思います!演じているヒロシがそうゆう思いを込めて演じているのだから、絶対そうゆうドラマになります!伝わると思います。

これからも、応援しています!

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いいね!投票数 4 票
名前無し

第一話のオープニングテーマソングで一緒になって歌ってる私に
「ママ、どうして最初(一話)から歌うたえるの?」って不思議そうにしてたうちの子が、
すっかりこのドラマにはまっちゃってもうそれは夢中でした。
お絵かき帳はピョン吉ひろし、(何故か)梅さんでいっぱいになってました。
ほんとに親子で楽しんだなー。
素敵な夏をありがとう。

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ベランダー評論家

〉2015-09-02 03:25:12映画好き

小津安二郎作品とこの作品とは似て非なるものだと思います。「小津的な情感というのは、表面上は波風のない穏やかな生活を描いているようで、内面では、暴風雨が吹いている」と仰ってますが、ど根性ガエルはこの真逆ではないでしょうか?表面的にはヒロシが深夜にギャーギャー愛の告白をしたり、ゴリライモのトラックを盗んで飯食いに福島に行っちゃったり。要は表面的にはこのドラマ、かなりクレイジー。暴風雨が吹き荒れてますよね?しかし、ドラマ後半ではその暴風雨男ヒロシがなぜそのような暴挙に出たのか、またなんでそのような言動をしたのか、嫌らしいくらい解説してくれていますよね?で、私が先に述べたようなヒロシは純情無垢な心の持ち主、本当はとっても優しい子、といった理由でなんと!それまでの暴挙が許されちゃうのがまあ、道義的にも「嘘だろ?解決かよ?」と拍子抜けしてしまうほどあっさり毎回ハッピーエンド的に終結するのである。つまり、表面的には暴風雨が吹き荒れてはいるけれど、内面的には'《波風のない穏やかな生活》を描いているんですよねー。だから、このドラマはリアリティーがないわけです。小津安二郎は非常にリアリストな監督で「東京物語」なんかそれを象徴した作品ですよ?東京物語を例にど根性ガエルと比較するなら東京物語についてきちんと理解しなければいけないと思います。「その伝で言うと前田敦子は、原節子・・・とはいかない、薬師丸ひろ子と合わせて、杉村春子でしょうか」、あの、東京物語での杉村春子は自分の暮らしに忙しく、つい父親に対してドライになってしまう長女役ですよ??薬師丸ひろ子と前田敦子のミックス像みたいに仰ってますが比較対象にさえならないのでは??まずこのドラマの母親役である薬師丸ひろ子は本当にクレイジーな親で、一見冷たそうに見えるけど実情はただの甘やかしオバサンです。普通なら30過ぎの息子が働いてなかったらもっと悲惨ですよ。なのに口では「あんたはいつまでぷー太郎なんだい。ハァー」とか嘆息している割に、ぴょん吉には「あの子は優しいから」「会社で色々あったから」などと、全然シビアじゃないんだよね。てか、いつまで子供見守ってんねん!おかしいよ薬師丸ひろ子の母親は。全然子供のことを考えているようで考えてないし、優しそうに見える冷酷非道者だよありゃ。本当に子供のことを思っているなら家から強制的に出すよ。なんだかんだでいつもホカホカの朝ごはん食わせてるし、ヒロシが寝坊してても「はやくおきなー!いつまで寝てんだい!」と、階下から怒ってる体裁をしているだけでマジでキレていないように見える。まず、杉村春子と薬師丸ひろ子とを同一視するのも無理があるし、表面的には暴風雨、内面的には波風のない穏やかな生活、という構図の時点で小津安二郎作品とは、正反対だよ。さらに言えば是枝裕和作品とも真逆。海街ダイアリーを批判していたけど小津安二郎作品と近いのはど根性ガエルではなくて海街ダイアリーだよどう考えても。是枝さんの作品見たことあるなら分かると思う。例えば「歩いても歩いても」なら表面的には夏休みにおばあちゃんの家にやってきた家族。だけど内面的にはバツイチの息子と結婚した子持ちの嫁を、その息子役のお母さんである樹木希林が後々非常に嫌味なことをその嫁に言うんだよ。さっきまで仲良〜く、愛想よ〜くしてたのに。海街ダイアリーもそう。表面的には日常の穏やかな生活が描かれるんだけど、内実はこんな凄い面倒な、例えば遺産相続だったり、家を出た母親との確執だったり・・・。それを表に出さないで人間って生きていきますよね?本音と建前じゃないけど。だから、最後のラストシーン。海を血の繋がりのない妹と三姉妹が眺める場面なんか 「東京物語」のラストで、妻に先立たれた笠が一人たたずむ場面と重ねって見えたなあ。海街ダイアリーは言外に匂わせる、セリフで心情を吐露は決してしていない。東京物語もそう。ヒロシみたいに「あー、せつねー!」とか「あー、かなしー!」とか「くそー!おのれー!」とか野暮なことは言わないのである。そういった余韻を映像で見せる点でやはり海街ダイアリーは小津的であるし、きわめて秀逸なヒューマニズム映画なのである。単なるアナクロニズムに陥っていたように感じました、と仰っているけど、ど根性ガエルのほうがよっぽど時代錯誤ですよ。今時寅さんじゃないんだからあんなべらんめえ調な人はいないし、設定も無理やり現代に移っただけで光石研とか全然変化してないじゃん。いつまでも独身だし。でんでんのちょび髭とかあんな人いねーよこのご時世に!よほどこのドラマのほうがモダンっぽくしようとしているアナクロドラマですよ。現代との齟齬がありすぎてやっぱりみてて不自然なんだよね。「 「ど根性」では、昭和レトロな風景を映しながら、スカイツリーとの対比によって、その日常が侵されてゆくことを示唆し、実のところあまり起伏のない日常を映しているようで、ピョン吉が消えることによる時代の変化と、それに翻弄される人々」、ってどういうこと?昭和レトロって一応現代の下町なんだけど?つか、現代の下町なのに出てくる人は昭和臭プンプンじゃん。つまり、映画好きさんが批判していたアナクロニが浮き彫りにしてるじゃん、演出で。で、スカイツリーとの対比でどうして日常が侵されているとの示唆になるわけ??まず日常が侵されるってなに??起伏のない日常ってだから起伏毎回ありまくりじゃん(笑)ヒロシがいっつも問題起こすことで物語の推進力が生まれるじゃん。だからくどいようだけど、表面的には暴風雨なんだよ。だから、リアリティないの。ゴリライモのトラック盗んで福島で農作業してオニギリ食って帰るのかよ!?1日農作業体験かよ!って大いにツッコミたくなるわけ。で、次の話でまたトラブル起こして最後はヒロシが正当化されチャンチャン。だーかーら、深みがないの。小津安二郎とも是枝裕和作品ともそもそものベクトルの向きが正反対だから。第一に登場人物達が「死」を明からさまに匂わせるからなんか見え透いていて興ざめ。海街ダイアリーはそこはかとなく死を感じさせてたよ?だからこそ、どうなるの??と話にのめりこめたし、最後、あの海を見つめる静的なシーンである種のカタルシスがあるんだよね。でもど根性はなんのカタルシスもない。だって暴君ヒロシが良き人扱いで終わるんだもん。ありえないよ、小津安二郎や是枝裕和が静的に暴風雨を含有させた穏やかな日常を描くことで人間味あるドラマを描いているのに対して、ど根性ガエルは動的に暴風雨を明からさまに見せつけながら同時に穏やかな日常性を両立させようとしているのだ。だから、まっったくど根性ガエルのキャラには人間味がないし、みんなクレイジー。クレイジー達の、クレイジー達による、クレイジー達のための偽善的日常風狂気ドラマなのである。長々とすみませんでした。

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映画好き

 オリジナルは名作とは思いません。「オバQ」とか「ドラえもん」なんかの、洗練されていない亜流で、若い世代に伝えるほどの価値はないと思います。

 オリジナルに忠実に作る価値は感じませんし、そんな馬鹿な制作陣ではないでしょう。(忠実ならば成長したゴリライモはインパルスの堤下あたりが適任かな)

 あえて実写化したのは、平面ガエルというビジュアルと、それが「根性」の化身だということでしょう。

 3話にして、いろいろ見えて来ました。

 ゴリライモの身の上が出てきましたが、全く面白味はありませんが、立派です。それが、ひろしとの対比で生きてきます。

 ゴリライモの「日本一のパン屋になってやる」という向上心と、ひろしの、「多くは望まない。とりあえず平和ならそれでいい」という考え方(それは、優秀な営業マンだったひろしの、同僚の挫折のトラウマから来ているのでしょう。根性、根性、ど根性では突き進めなかった経験が)の対比。

 ひろし自身や母ちゃんから発せられるように、小さいひろしと、それに対する大きいゴリライモの対比。

 ひろしも目的があれば働きます。ピョン吉のつまり根性の助けを借りて。単にうまい米が喰いたいとか、母ちゃんや京子ちゃんにプレゼントしたいとか。でも、目的を果たせば働く意味を見いだせなくなります。それ以上なにが必要かと。

 私は、ひろしとゴリライモ、どちらが上とは言えません。あるいは、ゴリライモの方は大きく上等な人物だとは言えても、上等な人間じゃなきゃダメだとは言えません。

 それを、裁くことになるのが、京子ちゃんになるのでしょうか。

 エンディングでも示唆されていますが、ピョン吉は遠からずいなくなるでしょう。
 その時、ひろし自身に根性が芽生えるのか - そんな、道徳の教科書みたいな話にはしないとは思いますが。
 ほろ苦くも根性が不要となる生き方を示せるのか - それは不可能に近いことかと思いますが。

 多分誰もが納得できる回答は出てこないと思いますが、岡田惠和のお手並み拝見というところです。

 視聴率が阪を転げるように落ちていますが、理解はできます。
 往年のアニメ実写化のほのぼのコメディを求めていた層はひろしのニートぶりに呆れたり、怒りを感じたり、あるいは以外なテーマの重さに辟易したかもしれません。
 真面目な親御さんは、こんなの子供に観せられないと思ったでしょう。

 でも、作り手はこの事態は想定していたと思います。
 ぜひとも、変なテコ入れとか、方針変換はしないよう願います。

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名前無し

漫画原作を実写化すると大抵は悲惨な結果となる。卑近な例を挙げればデスノートのドラマ版を見ていただければ誰しも納得のはずだ。それはやはり漫画の持つパーソナリティとでも言うか、やはり紙面の上ではどんな表現も可能なため実際にそれを具現化した映像で見せられると大きな差異が生じてしまうのだ。すなわちその差異が違和感に繋がるのである。今回のこのど根性ガエルで言えば松山ケンイチや薬師丸ひろ子など漫画をそっくりそのまま踏襲したためにいわゆる「べらんめえ調」がエンファサイズ(強調)されている。
私はそういう漫画をコピーしたような演出は元来忌み嫌っている。
しかしだ。今回に限っては・・・・・・・良いじゃん!!!!!!!!!
確かに最初はあまりの下町言葉に面食らったが次第に馴致されてしまった。やはり1つにはキャスティング。演者の演技力に因るところが大きいだろうと思うのだ。言わずもがなで新井浩文(彼を9時のドラマで見られる日が来るとは!)薬師丸ひろ子や光石研、でんでんや白石加代子など演技力に関しては最上級の役者ばかり。
松山ケンイチも平清盛でイメージダウンしてしまったけど本来演技力は確かにある。デスノートのLは彼はピッタリだった。唯一の欠点は前田敦子だが周りの演者のパワーでその下手糞加減が相殺されている。満島ひかりのピョン吉の声も違和感なく良かった。男っぽい声で名作映画「川の底からこんにちは」のラストシーン、川辺で叫ぶ満島ひかりの声と似ていた、というのは蛇足的な話だが。。。。
後良い点を挙げるとするなら音楽だ。最近のドラマはやたらBGMが煩く、感動の場面では「じゃじゃーん!!」みたいなシンバル叩くような派手な音をバックで流せば落涙すると演出家は考えているのだろうか。でもこのドラマは不思議と音楽がセリフを邪魔していない程度で好感が持てる。音楽担当のサキタハジメというノコギリ演奏者でもともと彼の音楽性が好きだった私としてはやはり「分かってるな~!」といった感じだ。同じくエンディングにクロマニヨンズを持ってくるあたりもセンスが妙にあるなと思った。
後はセットも素晴らしい。朝ドラみたいなセット感もなく、家の造りとかも細部まで精緻に作り込んでいると私は感じた。こういう細かい所を等閑にするドラマが横溢している中でこのドラマの美術に関してはきちんとしていると感心した。冒頭の朝御飯も美味しそうだったし、ゴリラパンも手抜きがないというか妙に作り込んでいるところが面白い。
こういったディテールを丁寧に積み重ねていくことが大事なのだ。演出家はそこを理解しているのだろう。

最後にこのドラマのプロデューサである河野英裕氏について是非解説しておきたいと思う。
彼は日本テレビのドラマプロデューサーであり、あの超名作「すいか」をプロデュースし、稀代の脚本家「木皿泉」をドラマ界に抜擢したパイオニアでもあるのだ。彼のプロデュース作品としては「野ぶた」「セクシーボイスアンドロボ」「Q10」(以上全部木皿脚本)、「マイボスマイヒーロー」「泣くなはらちゃん」「妖怪人間べむ」が有名。ちなみに私はぜーんぶ大好きなドラマだ。故に彼のプロデュース作品はある種のブランドではないけれど、「河野Pのドラマなら安心かな」というインシュアランスがつくのだ。彼の作品に通底するテーマは「日常における普遍的な愛」。退屈な日常をSF(少し不思議)ティックに描くことでそこから炙り出される普遍的な人間愛というものを浮かび上がらせる、という内容のドラマが多い。妖怪人間べむもそうだが妖怪と人間との化学反応によって、見事にヒューマニズムドラマに昇華させていた。泣くなはらちゃんもそうだ。漫画のキャラと麻生久美子演じる女性との交流、化学反応によって相互的な愛というものを描いて見せた。それはフィクションとリアルという相反するものが偏愛的なラブではなく、普遍的な愛として描かれているのだ。所謂月9のような、フィジカルな性愛的なラブではなく「愛」をユーモラスにするというのが河野Pのお得意技というか好きな傾向と言って良いだろう。
このドラマもそうだ。ピョン吉というフィクションとひろしというリアルな人物とを化学反応させて普遍的な愛、まあこのドラマに関しては「友情(広い意味での愛)」をこれから展開させるのだろう。どちらにせよ楽しみなドラマである。

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名前無し

おかしな脚本だったなあ。たかがマンガに、変な意味を持たせようとして。

こういうのは、何も考えず、バカになって見るのが一番。楽しく笑って、そして終わった後に一抹のしみじみ感が残る。それが醍醐味。
うずうずと奥歯にものがはさまったような話をひっぱり続けて、それで最後にバカになって終わった、というのは本末転倒だよ。

アニメやマンガ原作を改作して独特の味を出す、というのが脚本・演出コンビのいつものやり方らしいけど、今回ばかりは、いじくりすぎて失敗。
いじくるのは、ピョン吉のアニメーションだけでよかった。あの動きと満島ひかりが声をやったこと、そしてマツケンがヒロシをやったこと、それだけで十分見ものだったし、十分満足できたし、十分価値づけもできた。

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名前無し

こんなに面白くないドラマは久しぶりです。登場人物が全員気持ち悪い。
最終回、目覚めるとそこは病院のベッド。彼は夢想した世界の中で現実逃避をした結果、ど根性ガエルの世界に入り込んでしまった。しかし「逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ」という葛藤を抱えていた。最終回、ついに松山ケンイチは現実に戻ることを決心。その結果見事目覚めることができた。ベッドの傍らにはただの白いTシャツが風に揺れていた・・・。みたいなのはどーでしょうか?(笑)
とにかく、最初から最後までこの世界観にハマれませんでした。。。

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名前無し

いい役者がいっぱい揃ってるね。
ピョン吉喪失の悲しみをそれぞれの表情のみで表現する神輿かつぎの場面は本当にグッときた。
いい役者っていうのはセリフがなくても空気で表現するんだよね。
ピョン吉いなくなってからエンディングの「エルビス(仮)」がかかるまで音楽一切なしの演出も素晴らしい。
音楽が無くなり、「ぽっかり穴が開いた」という空気をひしひしと感じた。

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名前無し

前回がイマイチ過ぎて、もう見るのやめようかと思ったくらいだったが、とりあえず、やめなくて良かったわ〜。

今回はひろしのお陰で、何とも言えない閉塞感にバンッと風穴が空いた感じ。ぴょん吉が生きるためなら、別れも厭わない。酷いと周りから言われようが強気な態度を崩さず、メソメソしない(でも陰では、すごいオロオロしてる)。
そういう、ひろしが「死ぬな」と言った時、死の覚悟を固めつつあったぴょん吉の気持ちが「生きる」の方向に180度転換する。絶対に負の方へは流されないぞ、というひろしの強さと根性が、ぴょん吉を前に向かせたんだと思う。これは、ひろしにしかできないことだよね。他の人だったら、ぴょん吉を慰めることくらいしかできないと思う。

少年の雰囲気を持ち続けている松山さんだからこそ、このひろしが演れるんだな、と今日はしみじみ思った。ぶっきらぼうな優しさ、悲しげな横顔、心底ひろしがカッコ良く見えた。
永遠の少年、ひろしは生命力の象徴なんだね。生の躍動感をそのまま形にした人なのだ。
死に行く者の対極にいる存在。だから、ぴょん吉を死の手から救い上げるのは、やっぱりひろししかいないのだ。

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名前無し

一話から二話の視聴率の急落は、多くの人が初回を見て、あまりの陳腐さに脱落したことの証左だと思いますが……。マツケンや前田敦子のファンぐらいでしょう、継続組は。

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名前無し

トラックの前にひろしとゴリライモが立っている。
「売れたなー。完売だ」と少し驚いたようにいうゴリライモ。

ひろしの営業能力はやはり相当高いし、ゴリライモもそれを目の当たりにしたわけですが、
その場面をばさっとカットしてしまったところに、前回の話であった「根性出すということは、いやなことでもきちんとやるってことなんだな」
というセリフが生きてくるわけなんですね。

何となく人に好かれる部分があり、相手の懐に飛び込む性格を武器にやっていた「営業職」はひろしにとってはさほど「根性」を出さなくても出来ることなのかもしれません。
だけど決まった作業を正確にコツコツ粘り強くやらなくてはいけない「内勤」はひろしが最も苦手なことであり、
「根性」を出さないといけない。
それを表現するための工場勤務だった。

本当は次々パンを売り付ける生き生きとしたひろしの1つでも描けばこのドラマを面白く感じてくれる人も少しは増えるだろうに(笑)
安易なカタルシスを求めず、自分たちのテーマを追求する制作側に星5です。(星5じゃ足らないけど)

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映画好き

 実写ドラマ化の噂を聞いたときは、狂気の沙汰かと思ったけれど、キャストが分かったら、俄然興味が湧いてきました。

 贅沢なキャスト。それも、役に合った役者さんを集めたら、結果として豪華キャストになったという感じが好ましく思います。
このキャストを使って、アニメのオープニングをそっくりなぞるなどのこだわりが楽しいです。

 松山ケンイチは、こんな無茶な企画を納得させられる役者。単に年齢的なものではなく、少年と、中年が混在している雰囲気を出せるのは、彼しかいないと思います。

 五郎の勝地涼、「亡国のイージス」から、これほどの役の幅の広い役者に成長するとは想像付きませんでした。

 ゴリライモに新井浩文。このキャストに一番、惹かれました。粗暴さの中の繊細さを表現できる役者です。
 
 ピョン吉の声に、満島ひかり。違和感を感じさせず上手い。
 
 前田敦子。結構好きです。
 例のトヨタのCM群は嫌いだけど、ジャイ子だけは良いと思った。
 どちらかというと古臭い容姿で、影のある雰囲気を持った女優さんだと思います。実年齢よりも老けた役の、冷めた、少しくたびれた女性を好演していると思います。
 例えば、第一話の登場場面での、ゴリライモに声をかけられてからの表情の変化を見ると、ちゃんと役の心情を理解して、巧妙に演じていると思います。

 根性という言葉が「ヤンキーの根性焼き」ぐらいにしか残っていない時代で、主人公にも「そんなものとっくにねえよ」と言わせながら、根性、根性、ド根性をあえて持ち出して、30歳ニートがどう変わってゆくのか。

 少年のままのひろしと、成功者のゴリライモや、大人としての痛みを抱えた京子ちゃん。
 30歳の少年、ひろしは哀れだが、羨ましい存在ではある。だから、ひろしには何一つ負けていないように見えるゴリライモも、「あいつには勝てねえな」と呟く。
 でも、やっぱりひろしも成長しなければならない。成長することによって失うものを、しかと見つめなければならない。それを、象徴しているのは、ピョン吉なのかと思います。

  京子ちゃんの離婚による帰還で、動き始めた、ひろしの時間が、周囲にどのように波及して行くのか。

 オリジナルの未来に希望を託することができた時代の、ほのぼの能天気アニメから、未来にはまず不安が先立つ時代に、一流の役者を揃えて後日談として、実写で作る狙いを見据えたいと思います。
 それが、根性の復活か、根性の終焉か、それとも他の回答があるのか。

 このところの、日テレ土曜ドラマは、酷いものが続いたけど、久しぶりに土曜日が待ち遠しくなりました。

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名前無し

びっくりするほどつまらない。
30にもなった大人が大声だしてギャーギャーうるさい恥ずかしいだけのドラマ!
懐かしいならまだわかるけどこのドラマをみて面白いって言ってる人本当に大丈夫?ですね〰。

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名前無し

原作はコミック買って途中までは読んでたし、
熱心ではないがアニメもリアルタイムで観てた世代です。

原作のテイストに拘る方には不評のようですね。

自分はこれはあり。

実写化で、リアルとファンタジーの融合のバランスがいい。
ヒューマンファンタジーな世界。

ある程度ラストは決められた上で構成された物語。
とてもいいと思います。
おそらく、「別れ」がテーマなんでしょう。
当たり前にずっと一緒にいたため今迄忘れていた、
最も大切なものとの別れ。

とりあえずは、キャラの成長を描く
ヒューマンドラマとしての魅力を感じられた。

初回の時点で、ぴょん吉に視聴者に感情移入させることで
初回切りされるリスクを最小限に留める工夫もあり、
脚本の岡田さんが売れっ子であるのも頷けます。

「泣くな、はらちゃん」を思い出す絶妙なキャスティング。

水産加工場から、パン工場のパートリーダー、
そして主人公の母親になった薬師丸さん、
工場長&たまちゃんから、梅さんになった光石研さん、
ヒロインのお母さんから、
ヒロインのおばあちゃんになった白石加代子さん。

さらには、はらちゃんのヒロインの弟も「ひろし」という名前で
20歳でしたが、ニートで馬鹿設定でした。
今作の「ひろし」とキャラ被ってるのがちょっと面白い。

ここしばらく連続ドラマはご無沙汰でした。
これからが勝負ですが、久しぶりに毎回観たいと思うドラマに出会えました。

他のキャスティングもいい味出してて嫌いなキャラもいません。

今後に期待します。

願わくば、ひろしの長所をもっと出してほしい。
ヘタレの彼を回毎に確実に成長させて欲しいかな。

京子ちゃんとの再会がきっかけで、
徐々に変わる姿を見せてもらえれば満足です。

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名前無し

友人に薦められ見てみたら意外に面白いかも…が最初の印象だった。ピョン吉は可愛いかったし、30歳過ぎた息子を甘やかすダメ親ながらホンワカムードを醸し出す母ちゃん、悪趣味な柄のシャツを着てても落ち着いた大人の雰囲気を漂わせるゴリライモ、変な言葉遣いなのに慣れるとなぜか癒やしオーラまで感じさせる五郎など、魅力的な登場人物がこの異世界に感情移入する道筋を作ってくれているように思えた。が、唯一受け付けられなかったのが、ヒロシ。30過ぎたニートなのに、とにかく偉そうな態度、意味不明な自信、人に迷惑をかけても悪びれない尊大さ。原作キャラの性格がそうだったのかもしれないが、少なくともゴリライモや五郎がきちんと成長しているのに対し一人だけ中味子供のまま、しかもそれを周囲が何の違和感もなく受け入れている設定に逆に反感を抱いてしまう。とはいえヒロシが内に抱える焦りのような表情を見せることはたびたびあった。そこにきちんとスポットを当て、毎回少しずつでも成長していく過程を見せてくれれば共感も出来たのに、いつもなんだかんだコトは都合よく運び、結局ヒロシのイラッとくる自信過剰にはなんら変わりなく。
唯一彼がそのありのままの心情を吐露できる絶好の機会があった。それはゴリライモの応援演説を頼まれた時。いつになく真剣な表情で推敲する姿から、その原稿には日ごろは偉そうな態度をとるヒロシの、尊敬すべき大人になったゴリライモに対する素直な賞賛や友情が表されていたはず。ところがまさかのピョン吉の激白という妨害に遭い、それを知る機会は失われた。せめてヒロシの原稿をちゃんと読み上げた上で感極まっての告白だったなら良かったものを、あまりにもTPOをわきまえず自己チューなピョン吉にがっかりすると共に嫌悪感まで抱いてしまったのがなんとも惜しまれる。
擁護する人はコレはナンセンスコメディなんだから、と言うだろうか。でもそれで片付けてしまうにはあまりに重い" 親友の死" という予感をハナから匂わせ、引っ張り続けた事で既に単なるナンセンスコメディでは許されない作り方をしてしまってたと言えないだろうか。
まあそれも千歩譲ってなんとか許容したとしよう。いよいよピョン吉を失い、どん底まで落ち込んだヒロシが遂に自力で自らを成長させていく自覚に目覚め…という展開かと思いきやピョン吉は根性であっさり復活。仲間達は尽力してくれたけど、ヒロシは何かしたろうか?…何にも。なのにたまたま紛れ込んできた自分ソックリな男(これもあまりの御都合主義にポカーンだったが)にまさかの説教。なにこれ。結局子供の時から母ちゃんに守られピョン吉に守られてきた男はどこまでも甘くぬるく、これからも同じように生きてゆくというエンディング?この男のどこに共感しろというのだろうか。
結局、主人公に最後まで感情移入出来なかったのは致命的にイタかった。脇の役者さん達の好演があっただけに、惜し過ぎた。松山さんには仕事選んで欲しかった…が最後の感想だった。

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名前無し

いつもは二度観して評価を入れるのですが、終わってしまったのだという感覚が襲ってきそうで観られないです。いい加減評価付けますね。

今期1、2を争うドラマでした。出来ということを鑑みれば一位です。岡田さんの脚本には毎回泣かせられた。それが気持ちよかった。ヒロシのひととなり、自分はすごく好きだし、ある種の憧れすらあった。子供かと思えば妙に悟っていて大人だったり、すねてみたり、まあごちゃごちゃあるんだけど(笑)しめっぽさが皆無なんだわ。脚本の意図するところを完全に把握した松ケンのお陰と、もちろん演出の狙ったところも(だいぶ狙ってますね)ありますが。 とにかくヒロシ自身はなにがあってもからっとしてる。悩んでもからっとしてる。三枚目に描いてるせいもあるのでしょうが。
対してぴょん吉はシリアスキャラクター。かわいいけど、感情の起伏に巻き込まれ、観ているこっちはうわあとやられる。
ヒロシは淡々とやりすごしてる部分に涙をさそわれる。本人が「しめっぽいのは嫌いなんだよ」というとおり、しんどい時ほど感情を表に出さないからでしょう。そこにやられる。

泣きのベクトルがまったく違う。ヒロシもテンション上げて困難に立ち向かうことはあるんだけど、がんばれ!と応援に徹してしまう。ヒロシとぴょん吉の対比が素晴らしい。岡田さんのテクニックに唸らされました。観ている最中は夢中でそんな分析なんかできないんですけどね。

最終回ですが、なんと言っても岡田作品です。銭ゲバでもあのラストですから。ぴょん吉は死んでも(笑)ぜったい戻ってくるという確信がありましたが、ヒロシとヒロシの攻防には目を見張りました。

いろいろな解釈があると思います。ドラマを文字通り捉えれば別人なのでしょうが、いや、そんなことはあるわけないんですよね。だって松ケンが一人二役をこなし、同じ顔に設定しましたから。あれはやっぱり、どなたかも書かれていましたが、わたしももうひとりのヒロシだと思います。ぴょん吉の存在するやさしいワールドの外で存在するだろう、ヒロシ。パラレルワールドなんでしょうが、ちょっとぞっとする話ですよね。
こっちの世界(わたしたちの世界かな)とあっちの世界(ぴょん吉ワールド)の差異を、どうしても岡田さんは描きたいというか、メッセージを、わたしたちに激励を送ってくれたんです。

優しいぴょん吉ワールドを目にすることで、本当に癒やされました。宝物をもらいました。岡田さんもそう考え制作してくれたのでしょう。だからこそ、リアルに目を向け、つらいことがあるだろう事象に、腐るな、とやさしい(わたしはやさしいと捉えました)言葉で背中を押してもらえた気がします。

あー、もう泣けてくる。ぴょん吉の彼女のことやパラレルヒロシの走り方とか書きたいことはいっぱいあるんですが、いい加減もう長いのでここいらで。
最期にこれだけ。すべての出演者が素晴らしかった。あっちゃんも大好きになった。岡田さん始めスタッフのみなさん、本当にありがとうございます。忘れられないドラマが、またひとつ増えました。

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名前無し

なんだこの喪失感…。お話はずっと続く、という希望溢れる終わりなのに、寂しくてしょうがない。

今日出てきた弱気ひろしが現実のひろしで、今までのドラマのひろしとピョン吉達は、カバーとお別れする絵本が許せなくて作った、弱気ひろしの創作物語なんじゃないか?
エンディングのピョン吉と笑い合っている自分を見て泣くひろしは、現実と夢物語のギャップに悶え苦しむ弱気ひろしの慟哭だったんじゃないか?

こんな甘々夢物語に、30にもなって慰められている自分が情けなくて、物語の中でピョン吉を殺そうとした。ピョン吉に「俺はここにいていいのかな」と悩ませた。でも結局、この甘い夢にうたた寝する自分を肯定することにした。だから、ピョン吉は戻ってきたのでは。

そして最後に、物語の中に現実の自分までも登場させ、現実では誰も言ってくれなかった「ダメでも生きていていいだんよ。居る場所がなくても生きていていいんだよ」という言葉を、夢世界の母ちゃんにいってもらった。これは孤独なダメ人間が、自分を慰め、許すために必要だったファンタジー…そういう風にしか見えなかったよ、この最終回。

30にもなって、あんなに少年っぽい男いる訳ないよね。でも、少年ひろしが好きでたまらなかったよ。彼は、弱気ひろしの中に潜んでいるもう一人の自分、理想的な自分なのかもね。少年ひろしは、現実世界では生きていけない。だから、彼は弱気ひろしの中に奥深く沈み込んで、決して他者から認識されることはないだろう。本当に幻の少年だ。それが悲しくて寂しい。
ひろし達と一緒の夏が、終わってしまった。

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名前無し

マツケンは、このドラマが終わったら暫くはまた映画の方に行ってしまうのかしら?何て事無いドラマだったんだけど、見た後に何だかほっこりした気持ちにさせてくれてたので、終わってしまったら淋しくなるんだろうな。マツケン大好きなので、またいつかドラマに戻って来ておくれ。

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名前無し

松ケンは…暗い方が似合うって。ひろしは上手いけどやっぱり少しオーバーじゃない?演技は抜群に上手いよ。
ひろしに見えるんだから。内容はもうあんまりだけど松ケンはよいからぜひまた連ドラよろしく。
ピョン吉の声もいいよ…ぜひ姿を満島ひかりの。
今度松ケン時代劇でもない、シリアスなドラマでも見たい。あんまり見たことないから。
会話劇なら心が…の方が好きなんですけどね。岡田さん。
松ケンに30才その姿で見てみたいね。

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名前無し

第1話から「ぴょん吉の死」を匂わせて、それをずっと引っ張るやり方があざとい。「主役の死」はありえないでしょう。そんな方法で話題になりたいのか?それとも映画「ET」みたいな展開(主役が死?〜奇跡の復活〜ドタバタの大騒動〜別れ)にするつもりなのか。
満島ひかりも、所詮はアニメ版(千々松幸子)のしゃべり方に寄せているだけのことで「上手に真似できたね」なんだが、さほど違和感を感じないのが実力の証。前田の京子ちゃんは論外。そもそも脚本の性格設定、間違えてないか?
たくさんの登場人物が出ているが、ストーリーも人物もただ「滑稽」なだけで統一感がない。人物描写にも甘え(手抜き)を感じる。アニメではなく、生身の人間が演じているんだから、コメディとはいえ、ドラマとして成立させて欲しい。

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名前無し

これは第五話の感想です。

ひろしは思っていたよりずっと大人でした。自分のだめなところもちゃんとわかっている。ゴリライモとの差異もきちんと把握し、心の底では彼を尊敬していた。

ちょっとこれつらいわ。大人なんてわかんねえよ、なってたまるかコンチクショウ!的なひろしだと思い込んでいました。それもかなり開き直って。でもコンプレックスはやっぱりあってという。

自分の立ち位置がわかって、そのことを享受して、自分を否定し、立っているというのは、しっかり大人なんではないの? というか、それができる人なんてそうそういないよ。自分を肯定して人はやっぱり生きていきたい。都合の悪いことは見ないふりをして、時には嫉妬をしてそれが人間だと開き直っている。それはそれで大人だとわたしは思う。そして多くの人の生き方だとわたしは感じる。

ひろしは清冽だと思った。だからこそ世間にもまれて生きることが人一倍つらかったのではないかな。同期が壊れていくのに目をそらすことができなかったんじゃないかな。あいつは能なしだから、そこまで思わなくても、

「そういうことがこの世にはあるんだよ」

下劣な、けれど防衛本能が、ひろしには湧かなかったのじゃないかな。
わたしは下劣と書いたけれど、人間は汚いと思う事柄にも鈍感になって流せるようにならないと、潰れてしまうんじゃないかな。人の事を気にしない人もいるでしょう。けっして間違いではない。

でもね、どこかで負い目がある人間には、ひろしがまぶしく見えて仕方がない。自分が失ってしまったものを目にするには同時につらい。胸にくるよ。そして自己を改めて振り返ることができる。流す涙は自己憐憫なのでしょう。けれどひろしを清らかだと思う自分が、ほんのちょっとばかり誇らしい。

そんな回でした。上手くまとめられず、もう六話が放送され、やっとの思いで書きました。

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名前無し

ピョン吉が過去の事を思い出し語るうちに、思いが溢れたと言う事で!
確かにマツケンのコミカルな動きは凄いものがある 上手い
訳の解らない応援演説されても、カエルビョコピョコ?ポーズを一緒にやってるゴリライモも凄い!

これからはピョン吉が思い残す事ないように思い出を作って行くのでしょうか?
コミック原作のファンタジーものって設定が既にあり得ないので、TPOとか気にして見てません。
根性と人情の世界観だから普段の自分の生活とは掛け離れ過ぎで、何が起こってもこんなもんなんだと思ってます。

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名前無し

子供に夏休みの課題で日記があります。
ど根性カエルの感想を書こうかと小学校三年生の息子に促しましたら、

「ひろしがサングラスをかけているのは、死んだお父さんにみつけてもらうためです」

一言日記なので短くかかねばならなかったので、心に残った事を書いてねという末の文章でした。

子供なりに感じることがあったようです。『死』というテーマに敏感になったのかもしれませんが、文章を見たときにはこみ上げるものがありました。

まだまだ幼いとドタバタを喜んでいるとばかりに思っていたぶん、なんだか寂しくもなりました。親の勝手な言い分ですが。

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映画好き

 原作者は、実質これ一作で終わってしまったマンガ家だけど、40年も経ってからこのように感慨深いドラマとして翻案されるのは、幸運だとも感じます。

 このドラマの基底に流れるのは、祭りの後のような「切なさ」でしょうか。切なさの上に繰り広げられるコメディといったところで、確かに岡田惠和らしい作風に感じます。回を追うごとに、色々なものの、終焉を感じてしまいます。

 ピョン吉との死別が、今回は露骨すぎるぐらいに示唆されていました。最後の花火見物の一行の俯瞰がピョン吉の目玉に変わるカットはピョン吉が空から見下ろす存在になることの象徴でしょうか。

 4話で、モグラ(このキャラすっかり忘れていたけど)が出てきたことで、ひろし、ゴリライモ、京子ちゃん、そして五郎にも迫ってくるものが明確になって来たと思います。花火職人として一人前になり、子供もいるモグラに比べて、まだまだ迷いの中にいる4人。

 それは、「若さ」との決別でしょうか。
 私のような、人生の秋に入った者にとっては30歳なんて、まだまだこれからとは思いますが、たしかに若さとの決別が必要になる年代だとは思います。

 それを、潔く受け入れようとするのがゴリライモで、執拗に「いい話は嫌いなんだい!」、「ダメな奴でい続けるのも楽じゃないな」と、あえて「意識的に」成熟を拒むのが、ひろしでしょうか。

 ピョン吉は、根性の化身であると同時に、若さの象徴でもあると感じました。
 アニメのカエルだから、歳はとっていないように見える・・・というか見せているけど、実際は平均寿命をとっくに過ぎている老蛙なわけで、それが剥がれかかって死が示唆されている。見かけも声も子供のようだけに、比較的若い方は、キツさを感じるかもしれません。
 でも、私のように人生の折り返し地点をとうに過ぎてしまった者にとっては、キツさよりも、寂しさと諦めの入り混じった感傷を覚えます。

 この、4人がいずれも片親か両親を失っている事も注目したいと思います。年齢的には、不憫とは言えないけれど、でもちょっと早めな親との死別、特に京子ちゃんはアニメでは、結構裕福で、美人で若々しい母親がいた設定を大きく変えているのも何か意図を感じます。
 甘えられる対象を失って、否応なく青春を卒業しなければならないという条件を主要な登場人物に与えているのだと思います。

 ピョン吉が去った後、残された4人がどのように、若さに決着をつけるのか。

 また、梅さんのよし子先生への、「けッ、けッ、けッ・・・」も、ギャグというだけではなく、それを象徴しているような気がします。「け」の後がちゃんと言えたとき、また一つの終焉でしょうか。

 このドラマでの、前田敦子は本当にいい。彼女の主演、出演している映画は観たいと思いながら、観れていないけれど、注目すべき監督や脚本家の意欲作に頻繁に登用されているのが良くわかります。

 今クールのヒロインたち、西内まりやとか、武井咲とか、本田翼のような今風のモデル顔ではないけど、どこか笑っていても切なさを感じさせる女優さんになったと思います。敬愛する黒沢清監督が、ミュージックビデオを撮るにあたり、テレビに出ていても、どこか周囲から浮いていると言っていた意味がよく分かります。

 それは、同様の不幸な身の上の設定でありながら「恋仲」の本田翼に決定的に欠けているものです。

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名前無し

ヒロシの性格が回ごとに違ってぶれぶれ!話の内容も何にもないしつまらない。共感できるところが何もない。
この土曜9時は良いドラマ親子で楽しめるドラマがたくさんあるのにこのドラマはダメですね。最低レベルです。

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名前無し

プロデューサーはテコ入れしないとドラマ開始前から明言していたそうですね。覚悟して作ったんでしょう。こういう作品がまだドラマ制作できる日本は捨てたもんじゃないと思う。

自分にとっては『すいか』を想起させるドラマです。って、いまちょっと調べたら『すいか』も日テレで同じ放送時間じゃないですか。しかも同じプロデューサー……。河野英裕さんありがとう。
『すいか』もあの時代を考えると低視聴率ですが、ずっとこころに残っている名作です。

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名前無し

とにかく脚本が練られていて素晴らしいと思う。
小さい子が見ても楽しいドラマだと思いますが、そこそこ曲がり角に来た大人には沁みる物があります。
モグラは今回きりの登場かもしれないが、すごく印象的だったと思う。ラスト一旦中止になった花火がモグラの懇願で打ち上げられるってのは現実社会じゃあり得ませんが、なぜかすごく心にストンと来て切なくて暖かい気持ちになりました。
これこそフィクションドラマの真骨頂じゃないでしょうか。
ただ端々で間延びして冗長に感じるところは否めません。ピョン吉がはがれかけてきているのはもう少し後の回あたりでもいいような気もしますがラストまでどうもっていくんでしょうか。気になります。
視聴率のためテコ入れなどせずこのままの世界で突っ走ってほしい。

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名前無し

今回は遺されたものの回でしたね。確かに重かった。だからこそヒロシは「しめっぽくなるからよう」と必死で場の雰囲気をこわそうともがいていましたね。
クライマックス手間でもってくるエピソードだと思っていただけに、不意打ちがきつい。ぴょん吉の花火は、時が来たヒロシの脳裏をかけめぐるんですよね。

サングラスエピソードを知ったあとに打ち上げられた花火は、なんとも神秘的でした。ヒロシ、お父さんにみつけてもらえたかな。「おれは元気だよ」と言ってしまった手前、うん、泣き顔は隠していいよ。サングラスで覆われた目に見えないはずのヒロシの表情に、わたしが泣き始めてしまいました。

必要な回でしたので、エンタメではありませんでしたが評価できます。始終お葬式状態、打ち上がる花火は死者の魂。それを見上げる遺された者たち。
人生折り返した歳ですが、ひっそりと死の陰を忍び寄ってきたように感じます。まだ幼い子供がいるなか、立て続けに亡くなる親御さんたちを目にしたばかりでした。

子供を置いていってしまった親御さんの無念を思うとたまらないですが、わたし自身は生への執着が湧いたように感じます。まだまだあっちには逝けないです。子供が大きくなるまでふんばらなきゃなあと、図体の大きなヒロシをみるたびおかしな事ですが、我が子のようにいとおしくなります。親子の年齢じゃないのに不思議です。ぴょん吉が少しでも安心して逝けるといいのですが。だめだ、考えるだけで泣いてしまうわ。あ、ちなみにわたしは40代前半です(笑)

それにしても松ケンはすばらしい。ヒロシの内面が手に取るように伝わってきます。このまま☆満点の評価ができる回が続きますように。

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ど根性ガエル:第1巻 男はつらいよの巻